卑密の太陽   作:渡邉 実一

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#05 視界ゼロの海に落ちて(後)(3)

「大丈夫か」

「うん、だいじょうぶ」

 

 放課後の駐輪場。ふたりきりだった。

 恐る恐る、由香里の手を取る。氷のように冷たい。

 

「無理、したんだな」

「無理も無理、大無理よ! あの空間、ほとんど真空にしてやったの……渉も、息できなかったでしょ?」

「いいから、もう帰ろう。明日は学校休むんだぞ」

「だめ。せっかく、今日はみんなと仲良くなれたのに……渉だって」

 

 そう言って、俺の手を握り返す。

 

「ねえ、今日は一緒に帰ってほしいな」

「なんでだよ! もうとっくの昔に中学生になったろ。男子と一緒に帰るなよ」

「ええ、なんで? たまにはいいじゃない」

「なんでも、だ」

「だからさっ、どうしてよ? 幼馴染なんだから、一緒に帰ってもいいじゃん」

 

 その肩を、俺の方に寄せてくる。

 自分の髪の毛を掻いた。

 

「……わかった。一緒に帰ろう。ああ、でも。集からもらった手紙を教室に忘れてきたんだ。ちょっと待っててな」

 

 ポツンと佇んでいるアルミ製のベンチに由香里を座らせると、足早に校舎内へと突入した。

 

 *  *  *

 

 教室の扉は、開け放たれていた。遠目から、机の中に手紙があるのを確かめる。

 俺の足は、一直線に進もうとする。が……。

 

「……だよね」

 

 誰か、いる。中から声がする。

 

「ねー、そーよね。あいつら、ほんっとナニ考えてんだろ! アタシら、もしかしてさあ……」

「待ってよ、藤原さん。めったなことを言うもんじゃない」

「……安田くんこそ待ちなよ? 想像してみてよ。殺されちゃうんじゃない、私たち」

「宮本ちゃん。だから憶測でそういうこと言うなって。それってさ、国府(こうふ)の森に入った人の話だろ? あの四人は違うよ、きっと」

「……どうして? 私、本気で心配してるのよ? こんなこと言いたくないけど、はっきり言うわ。あの人たちがどうして学校に通うことができるの? だって、使用者(エッセ)には戸籍もないんでしょう? パパもママも言ってたけど、ハッピーマウンテンの教育っておかしいよ」

「前田は、どう思う? ボクの意見について」

「なあ、安田っちさあ。そうしょげた顔すんなって。もう、明日からあいつらに絡むのやめような? オレら友達じゃん。ずっと仲良く、楽しくありたいじゃんか」

「そーだって! アタシいやだよっ、あいつらが人殺しじゃなくったって、ほかに仲間がいて、そいつらが前田や安田や宮本のこと傷つけたりするかもじゃんっ」

「どうしてもダメか? 僕は、僕は、なんとしても」

「うん。安田くん。『ダメ』だよ? あの子たち……『人間』じゃないんだよ? 見た目は似てるけど」

「ふあーあ。安田っち。つまんね」

「ねえ、アタシらさあ、ずっと友達だよね?」

 

 ――心臓の高鳴り。

 

「ボクには、願いがある!」

 

 動悸が激しい。

 スライド扉にもたれ掛かった。ずるずると、下に落ちていく。心も。

 

「僕の志望校、三人とも知ってるだろ。どうしてもあの国府高校に進学したいんだ。でも、合格するためには、どれだけ成績がよくっても、それだけじゃダメなんだ。ライバルは、みんなほとんど満点近くを取ってくるから」

 

 たった、四人だけの教室。決して五人にはなれない。

 

「でも……そう、内申点! それさえあればライバルに差をつけられる! こないださ、和田先生に呼び出されてさ、言われたんだよ。あの四人をクラスに溶け込ませてほしいって。あなたは、このクラスの交友関係の中心だからぜひお願い、って調子で頼まれたんだ。それでさ、僕」

 

 震えが止まらない。

 片方の手で頭を抱える。もう片方の手でひざを握った。

 

「僕、和田先生に言ったんだ。『国府高校に進学したいんです』って。そしたらさ、先生さ、なんて言ったと思う? 『安田くんは成績もいいし、クラスメイトのことを真剣に考えられる子だったら国府高校に推薦できるよ』って言ったんだ……三人とも、わかるだろ。僕の気持ちがさ」

「わっかるけどさぁー、安田さ、それにしても命まで掛けることはないっしょ」

「そうだよ、安田くん。私だって進学したい高校はあるよ。でも、それは正々堂々とした手段で行くべきであって、こんな手段、間違ってるよ?」

「なあ、安田っち。確実でもなんでもなくって、オレの勘だけどさ。あの四人のうち、二人ぐらいは人殺してるよ。火のないところに煙は立たないって。そりゃさ、友達としてどうかって言われたらさ、嫌いとは思わないけどさ、でも」

「汐町さんたちが不幸な境遇にあること、わかるよ。私だって、ものごころついたばかりの頃から人を傷つけるための技術を磨いたり、化け物と戦ったりしないといけない環境に生まれたら……辛いよ? でもね、無理だよ! 今、目の前でおしゃべりしてる人が、人を殺してるなんて想像したら……無理だよ……」

「わかった、みんな。心配してくれてありがとう……諦めるよ。国府高校には自分の力だけで挑戦する。そうだよね、先生に媚売って下駄を履かせてもらうなんて。恥ずかしいよね、人間として」

「……」

 

 俺は、その場で立ち上がった。

 

「じゃあな」

 

 呟いた。歯軋りとともに。

 振り返ろうとして俺は、足がふらついて、その時だった――スライド扉にぶつかってしまい、ガタガタ、という音が響く。

 

「!」

 

 扉の向こう側から伝わってくる感情――これは、恐怖だ。

 

「……」

 

 緊張が急に解けた。なにもかも、どうでもよくなる。

 教室へと、足を踏み入れた。不思議だった。今までで一番入りやすい。

 ……俺が俺であると認識する藤原、安田、宮本、前田の四人。

 もういいんだ。感情は嫌というほど伝わってくる。

 自分の机まで歩いていく。中から覗いている封筒を手に取った。

 

「……」

 

 帰り際、四人の顔を見た。どんな顔をしてるんだろうか?

 見えなかった。自分の涙で。心臓の鼓動が高まっていく。誰にも届かない鼓動。

 一歩、彼らへと踏み出す。

 

「ごめんな」

「……え?」

 

 頭を下げる。

 

「ごめんな。そんな想いさせて。仲悪くさせて」

 

 声を出す者はいない。

 ほんっと、クソだよな。なんだよ、この展開。

 

「俺がさ、ひとりでさ、和田先生を脅迫してたんだ。俺たちをクラスに溶け込ませないと……そこらへんの道路でぺしゃんこになってる犬猫みたいになっちゃいますよ、って」

 

 ああ、これは馬鹿なやつだ。俺って、ほんと低能だよな。

 

「……こんな人間だけど、折り入って頼みがある」

 

 ああ、もう。言わなくていいよ、そんなこと。

 つまんねー、やめとけって。

 

「どうしたんだい、渉くん。ボクに言ってみなよ」

 

 クソ野郎。

 俺たちのこと、散々利用するつもりだったくせに。

 憎い、憎い、憎い……ああ! なんて憎いんだろう! 嫌だ! こんな感情は嫌だ!

 

「……由香里。でもさ、由香里だけは違うんだ。あいつは、絶対に人を傷つけたりなんかしない。そういう奴なんだ。だから……このまま、ずっと……仲良くしてくれ。頼む」

 

 土下座をしていた。

 なんで、どうして、という感情はとうに過ぎ去っている。やってしまった今では、妙に冷静な感情が湧いてくる。

 

「わかったよ。渉くん、顔を上げてよ」

 

 そう言って、俺の肩を叩いた。

 ……なんだ? 笑っている? 涙でよく見えない。

 

「関係ないよ、そんなの。どうだっていい。汐町さんだけじゃない。君たち四人ともみんな、もうとっくに、僕達の仲間じゃないか!」

 

 俺の両手を取ったなら、グイッと引いて起こそうとする。起こした。

 

「僕達の、新しい関係は……今日だよ。今日、始まったばかりなんだから」

 

 安田が微笑みを投げる。

 

「……安田。ありがとう」

 

 伝わってくる、心――こいつは、嘘をついている。

 

 (第5話、終)




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