卑密の太陽   作:渡邉 実一

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#06 「あなたの名前はなんですか?」(2)

 五月五日。こどもの日、というらしい。

 俺と由香里は、ハッピーマウンテン市文化会館に来ていた。

 

「……でかい」

 

 目の前には、見上げるほどの大きさの建物がある。高さにして、三〇メートル以上はあるだろう。

 

「でかすぎだろ、これ。市街地の方は違うな」

「あんな山奥と比べてもしょうがないでしょ。こないだも見たじゃない」

「あれは横に広かったんだ。こんなに高くはなかった……はず」

 

 由香里が一歩、前に踏み出す。腕時計を見ている。

 

「集合時間ぎりぎり。早く中に入ろうよ」

 

 暖色系を組み合わせた煉瓦タイルの上を歩いていく。

 点字ブロックをなんとなく避けつつ、正面入口へと。

 ウイイイイイイ……自動ドアが開いた音だ。

 

「これがあの……かの有名な……!」

「ちょっと。田舎者だってばれるでしょ」

「もうばれてるぞ」

「……集!」

 

 館内を見渡すと、左斜めの方向に利用者受付があった。五,六人ほどがいて談笑している。

 その辺りから、集が歩いてくる。

 

「ふたりとも、おはよう。動員協力ありがとな」

「集、あそこにいる人たちは?」

「渉! 挨拶くらいしなさい……」

 

 しまったと思いつつ、軽く会釈をした。

 すると集は、

 

「おはよう! 渉。そして、ええと、ゆか……いや、汐町(しおまち)さん。おはようさん」

「……おはようございます」

 

 斜め下へと、視線を逸らした。

 

「はは、冷たいな。あー、それで。あそこの受付にいる人たちはな、うちの職員だ。俺とは違う課で、社会教育課だ。今回のメインスタッフになる。で、渉と汐町さんが学生スタッフで、手紙のとおり風船釣りをやってもらう。ちなみに俺は教育総務課だ。動員要請に応えてる」

「へえ……」

 

 一階フロアを見渡す。

 すぐ目の前には、階段とエレベーター。右手を向くと、ガラスケースがある。野球やサッカーなどの記念品が並んでいる。

 左側には、ひたすらに廊下が広がっている。色々な部屋があるようだ。最奥にはトイレが。

 利用者受付の奥に、いくつもの机が置いてある。事務室だろうか?

 

「珍しいか」

「俺、山の方に住んでるから。こんな建物はぜんぜん」

「渉。ここからだいぶ離れてるけど、ハッピーマウンテンの中心には十一階建てのお店もあるのよ」

「十一階!?」

「はは、よし。そろそろ準備に入ろうか。こっちな」

 

 俺達は、外に出た。

 すぐ脇に立ててある看板には、「親善フットサルフェスタ」という文字が入っている。さらに、「来賓 市議会議員 喬木 直利 様」とある。

 自動ドアを出てすぐ、正面の奥に自動販売機が見えた。その脇には、しぼんだ丸型の家庭用プールと空気入れ(エアーポンプ)、ホース。それと長机、椅子が二つ、白い手提げカゴが置いてある。「風船釣り 一回200円」と書かれたプラ製の縦看板もある。

 近付いていくと、カゴの中が見えた。空気を入れる前の風船と、注射器みたいな形のなにか、輪ゴム、風船を釣るための針金と糸、プラスチックの極小パーツ、これまたよくわからない形状のプラ製の道具、バインダーに挟まった売上表、手提げ金庫、筆記用具……などなど。

 

「由香里、これ」

「あたしもわかんないわよ。なにしていいのか」

「ふたりとも。まずは、プールを膨らませよう。そのあと、このホースがあっちにある蛇口と繋がってるから、プールを水で満たそうな。で、プール作りが落ち着いたら、次は風船を作る。しんどい作業だ。九時までにやってもらう」

「よおし!」

 

 プールの空気栓にエアーポンプを繋ぐ。足で踏むタイプだった。踏むと、スコスコと音を立ててプールが膨らんでいく。

 

「うん、そんな感じだ。ある程度膨らんだら水を入れていい。さて……」

 

 由香里を見ると、白い手提げカゴから風船を取り出している。

 説明書らしきものを一瞥し、

 

「三良坂さん、教えてよ。これ、説明書があるけど、あたしだけじゃできそうにない。三良坂さん、できるんでしょ」

「いいね。積極性マル」

 

 集は、そのカゴから風船をひとつ取り出した。

 

「ああ、そうか、だめなんだ。水がない。おい渉、空気入れるのやめて、向こうにある蛇口をひねってくれ。自動ドアの右手に散水栓があるから。プールの空気は入れとく」

 サンスイセン? なんか、以前も聞いたような。とりあえず蛇口があるのだろう、と思う。

 

「はいよ」

 

 自動ドアの方に走っていく。視線は、その右手側へと。

 ええっと、サンスイセン、サンスイセン……。

 

「……ない!」

「あるって。ほら、今踏んでる!」

「踏んでる?」

 

 真下を見る。

 すっかりと銅色に錆びた蓋。よく見ると、「散水栓」と書いてある。

 蓋をめくる。中に蛇口がある。ひねった。

 

「そうだ、いいぞ」

 

 集が握っているホースの先から水が出ている。足元にあるエアーポンプを踏みながら、プールを満たしている。

 俺は、また走って戻る。

 

「散水栓……街中には、こんなのがそこら中にあるのか」

 

 水が入りつつあるプール。俺と由香里は、楽しげに見下ろすばかりだった。

 家庭用プールなんてものを見るのは、今日が初めてだったから。

 シュコ、シュコ、シュコ、シュコ……

 エアーポンプの音が響いている。

 ふと、集が踏んでいる足を休めた。屈んだなら、カラの水風船をプールに投げ入れる。

 

「よし、と」

 

 ホースを、プールに突っ込んだ。

 

「うおっ」

 

 中途半端に突っ込んだので、水の勢いでホースが飛び出した。

 足元が濡れてしまった。慌てて元に戻す。

 

「いいか。まずはこんな感じだ」

 

 集。その手には、さっきの注射器みたいなやつが握られている。

 注射器に水を入れて、今しがたプールに漬けた水風船を手に取った。そして、

 キュ、キュ、キュ……

 ピストンが鳴る音とともに、水風船が水風船になって(?)いく。

 十分に水を入れたなら、長机の方に歩いていく。

 

「まずは、この水風船の口に輪ゴムを二重にはめる。緩めでいい……さて、次が難関だ。このすごく小さい、口が開いたプラパーツがあるだろう。これをこの、お手軽パッチン、いや、俺が勝手に名付けたんだが……このセロハンテープの台みたいな器具にだな、こう、置くんだよ。それで……」

 

 説明しながら集は、お手軽パッチン? の上部にプラパーツを置いた。次いで、水風船に巻いた輪ゴムをプラパーツの口に噛ませつつ、ゆっくりと力を入れて、真下へと――パキンッ!

 

「おおっ!」

「こうやって作るのね」

 

 見事、水風船の口に極小のプラパーツが嵌まり込んだ。プールに投げ込んだところ、一滴の水も漏らさない。

 

「これを……九時までに五〇個作るんだ。あと四十五分で」

「五〇個!?」

「それで、料金は一回200円。釣れなくても残念賞で一個渡す。営業中に風船が足りなくなったら、追加で生産を行ってくれ。営業時間は、午後三時まで。目標売上は……一万円」

「一万円!?」

「そうだ。ちなみに、去年の売上は9,300円。俺がひとりで担当した……どうだ、できるか」

「……」

「やります」

 

 尻込みする俺をよそに、由香里がスマイルで応える。

 

「由香里、できるのか。一万円だぞ」

「ここで臆しちゃだめよ。成せばなる!」

「汐町さん、男前だね」

 

 ……わかる。由香里には計算がある。

 俺なんか比べ物にならないほどの頭の回転でもって、『一万円でも大丈夫』という結論を導いたに違いないし、また実際にそうだった。

 

 *  *  *

 

「ぜんぜん作れないぞ……」

「厳しいわね。あと十五分で始まるのに、まだ25個しかできてない……あんた、何個作った?」

「五個」

「……」

 

 由香里は、きっと呆れてるんだろう。

 俺は、水を入れたばかりの風船を、お手軽パッチンに置いたプラパーツに挟んだ。真下へと、力を込める。

 風船の口を縛っている輪ゴムへと、挟まっていくプラパーツ。

 ……パキッ!

 

「渉、どう?」

「だめだ。とうとうプラパーツが折れてしまった」

 

 風船の口がなかなか挟み込めない。たまには成功するのだが。

 

「なんでだろうな。由香里、やってみせてくれ」

「はいはい」

 

 軽くかぶりを振ってから位置につく。

 真後ろにいることで、髪の香りが漂ってきた。思わず、身じろぎをする。

 

「いい? 水風船の口に輪ゴムを巻いたら、このプラスチックのやつに挟むんだけど」

 

 風船と向き合う。真剣な目つき。

 

「この時、輪ゴムに噛ませるのは、ほんのちょっと。ガッツリ噛ませると、さっきみたいになっちゃう。一回失敗すると使い物にならなくなるみたいよ、このプラパーツ」

 

 由香里は、屈み込んだ。手元に視線をやる。

 

「さて、それでは――」

 

 力を入れる。輪ゴムを噛みつつあるプラパーツ。

 お手軽パッチンが、プラパーツを水風船へと嵌め込んでいく――パキンッ!

 

「……できたかしら?」

 

 水風船をプールに漬けてみる。

 ……ブクブク。風船の口から気泡が。

 

「だめね。これ、いつかはしぼんじゃう。ごめんね。参考にならなくて」

「十分だ。よーし、やるぞっ」

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