卑密の太陽   作:渡邉 実一

2 / 54
#01 誰にも届かない鼓動(1)

 誠実な方じゃないと思う。

 自分勝手で、天邪鬼で、気が短くて、そのせいで苦しんでばかりいる。

 だから昨晩、あんなに頭のおかしい夢を見ることになったんだ。

 あぁ、一体、今日という日をどんな気分で過ごすことになるんだろうか。恐ろしい。

 

「……やめた」

 

 寝床から上体を起こすと室内を眺めた。めまいに襲われる。

 

「飯食えばなんとかなるだろ」

 

 寝巻きのままで、歩き出す。畳の上が暖かいような、冷たいような。

 襖の梁の上に学ランがかけてある。ヨレヨレになっている。ロクに手入れをしていないから。

 

(わたる)。今日、早いね」

「まあな」

 

 背後を振り返ると、栞が布団に入っていた。いつもの、二度目の就寝というやつ。

 

「朝ごはん作ってあるから」

「ありがと」

 

 ぶっきらぼうな返事……だったと思う。

 襖を開けて、廊下に出た。さすがに足元が冷たい。

 トイレと、洗面所と、いま目覚めたばかりの寝室。この狭い家を回って身支度を整える。

 最後に辿り着いたのは、居間だった。

 襖戸が開いていく時の乾いた摩擦音を聞きながら、座卓の上を眺める。

 

「……お、いいじゃん」

 

 卓の真ん中に置いてある皿には卵焼きとウインナー、少しばかり端の方には、すまし汁の入った鍋が置いてある。

 畳の上にある炊飯器が目に入る。傍には俺の弁当が。

 

「……」

 

 卵焼きとウインナーを一切れ摘んで、胃に放り込んだ。朝飯は、ほとんど食べない。いつものことだ。

 時刻は、午前七時三〇分。履き潰されたスニーカーとともに家を出る。いつものことだ。

 玄関を出た直後、大きな杉の木ごしに隣家を見る。誰も居ないことを確かめてから、なんの舗装もされていない通学路へと飛び出す――いつものことだ。

 

 *  *  *

 

 霧雨が降っている。

 お天道さまが雲の切れ端に横たわっている。いわゆる、キツネの嫁入りというやつ。

 ……細かいシャワーの粒みたいな水滴が、俺の前髪をしとどに濡らす。手首から先にかけての湿った感じ。学ランの袖についた水分をシャッシャッと払い飛ばす。

 空を見上げると、太陽が雲の切れ端から飛び出して、いよいよ彼方の青空へと羽ばたこうとしているみたいだった。実際には、雲が動いているだけなんだけど。

 雨なんて気にならない。むしろ俺を濡らして欲しい。傘は面倒だし。

 

「ちょっと早すぎたな」

 

 小高い丘を降りていく。坂の下には国府第三中学校が見える。薄汚れたベージュ色の校舎。

 雨と晴れとの境界線を見やりつつ、真後ろを振り返る。

 やっぱり、来ていない。

 ……校舎の西側にある校門を通り抜け、下駄箱にスニーカーを放り込んで、すぐ傍にある階段を二段飛ばしで駆け上がり、渡り廊下を突っ走り、右手に曲がってまっすぐに廊下を行くと、3-3と書いてある年季の入った表札が見えてくる。

 スライド扉をくぐると、まだそう見慣れてもいない教室が広がる。

 午前七時五十五分。人はまばらだ。俺とそして、向こうに座っている(あつし)砂羽(さわ)を含めても十人ほどしかいないだろう。

 

「……」

 

 挨拶はしない。無言で教室に入る。

 俺たちに反応する奴なんていない。いないけど、先ほどまでは確かにあった喧騒の波が崩れるというか、空気が変わったのはわかる。

 

「はよっす~!」

 

 俺のすぐ後ろから、別の男子生徒が入ってきた。

 ざっくばらんにクラスメイトに挨拶をすると、また元気のよい挨拶が返ってくるのだった。朝の雑談の仲間がひとり増えたようだ。

 そんな様子を尻目に、すごすごと教室のはじ、窓際の最前列から三番目の席にカバンを置いた。

 

「渉、おはよう」

「……はよ」

「篤、砂羽、おはよう」

 

 小声で挨拶を返して、席に座る。

 すぐ前の席に居る篤は、いつものようにキリッとした、でもどこか冷たい表情で英単語ノートを広げている。ああ、ごめんな。勉強の邪魔して。

 もうひとり、最前列に座っている砂羽は……これまたいつものように、半目をこすりながら窓側に背をもたせている。

 俺も授業の仕度をとばかり、カバンの中身を机に入れ始めたところ、

 

「おはようっ!」

 

 ついに来た。いつもより五分ほど遅い。

 大きな声を響かせながら、ひとりの女子が入って来る。

 

「……」

 

 静寂。誰も挨拶を返さない。これもまた、いつものこと。

 この3年3組の教室に入って、ちょっと仕度を始めたところで、この女子、汐町由香里(しおまちゆかり)が入ってくる。

 ここまで全部、いつものことだ。

 

「……」

 

 由香里がこちらに歩いて来た。俺のすぐ後ろの席だ。

 今ちょうど俺は、一時間目の教科書類を確かめたところ。

 

「おはよう、渉」

「……おはよう」

「いつもより早かったじゃない。栞さんとケンカでもしたの?」

「そんなことない」

「え~、ほんとに? 急いだけど、追いつかなかったよ。ねえ、たまには一緒に登校しようよ」

「してるだろ。たまにだけど」

「ほんとに、たまにだけどね」

 

 勘弁してくれよ。もう中学三年生だぞ。

 

「ねえ、ところで。今日は、した?」

 

 ああ、コレもまた、いつもの流れだ。

 うっかり、渋い顔をしてしまった。

 

「してないんでしょ!」

「してないけど」

「いや、なんで?」

「なんでも」

「いやだから、なんで?」

「なんでも」

「いやいや、だっかっら~、なんで?」

「どうしても」

「いやいやいやいや、だからさぁ~~、な・ん・でっ?」

「わかってるんだろ」

「……」

 

 由香里が言ってるのは、アイサツのことだ。さっきみたいに、大きな声でみんなに「おはよう」を告げろと言っている。

 つい俺は、しかめ面になってしまう。おかしいのはお前だぞ。

 由香里は、ガンッ! と、いう音を立てて机の脚を蹴り飛ばすとともに、不機嫌そうに席についた。機嫌が悪い時はこんなことをする。

 

「おい、丸聞こえだったぞ」

 

 篤だった。こっちに視線はない。英単語ノートを読みながら話している。

 ふと見ると、その机の上に薄いピンク色の封筒が置いてある。封が開いている。

 

「なあ、篤。お前は、今日は挨拶したん?」

「僕は、毎日しているよ。ああ、聞くな。わかってるから」

「砂羽は?」

「……え?」

 

 ぼんやりとした様子の砂羽。

 

「いつものことだろ。そっとしておこう」

 

 篤の言葉を耳に入れつつ、封筒からはみ出した手紙に目をやる。

 ああ、そうか。わかった。どういうものかが。思い出してしまった。あの中には、A4サイズの一枚ものの手紙が入っている。

 ……さて。もう一度だけ、砂羽に聞いてみるか。

 

「なあ、砂羽はさ。教室に入った時、挨拶してるのか?」

「してない」

「なんで?」

「どうしても……」

 

 砂羽は、すぐ表情に出る。答えに窮しているのが手に取るようにわかる。

 

「いやいや、だから、なんで?」

 

 でも、問いかけをやめない。

 

「ええと、だから、どうしても……!」

「いやいや、だからさ、なんでなのか気になるだろ」

「……だって、みんな、」

「真似すんなっ! あんたに問う資格なしっ!」

 

 ガ、ガ、ゴッ! ガガッ!

 

 ……由香里が机を蹴り続けている。

 篤がため息をついた。

 

「諦めないといけないんだよ」

 

 小さな声だけど、はっきりと聞こえた。

 真実だけれども、由香里の鋼鉄のハートに響くことは一生ないだろう。

 ……周りを見渡さなくても、わかる。

 今この瞬間、クラスの全員、俺たちのことなんか誰も気にしちゃいない。いや、違う。気にしてないんじゃなくて、気にしたくないんだ。

 それでも、気にせざるを得ないから、こんなに変な空気になっている。誰も俺たちの方を見てないけど、心の視界では不愉快な遮蔽物として映っている。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。