最上階から、夥しい数のガラス片が落ちてくるという非常事態。
悲鳴や怒号、絶叫が飛び交うなか、俺達は目で合図を送り合う。
分厚い構造になっているはずのガラスが、二枚目、三枚目、四枚目と次々に割れていく。四階を見上げると、こちら一面がガラス張りになっている。
入口は、人で溢れていた。俺達は、人ごみの合間をぬって館内へと入る。
「早く逃げてください!」
若そうな女性職員が、階段に付いて避難誘導をしている。
「……集!」
集が階段から降りて来るのが見えた。
こちらに走ってくる。
「逃げろ。これから館内放送で避難を呼びかける」
「何が起きてるんだ?」
「四階の体育ホールで喬木議員が開会挨拶をしてたんだが……襲われた」
「襲われた? 誰に」
「わからん。今はとにかく逃げろ」
またガラスが割れる音がした。ベシャアッ! という鈍い衝突音が響いてくる。悲鳴も。
「人手が多い方がいいんだろ」
「いいから逃げろ! 人手は足りてる」
「あたし、行きます。放っておけません」
「……死ぬかもしれない。お前達の親がここに移ってきた理由を考えろよ、こんな争いから逃れるためじゃないのか」
「でも、ここで逃げたら一生後悔する」
どうして、自分がこんなことを言ってるのか分からなかった。
由香里にしてもそうだろう。どう考えたって、今は逃げるべきだ。
……腹を立てていたんだ。人が必死に売店を営業していたのに、せっかく人と繋がることを経験していたのに、邪魔をされてしまった。それが嫌だった……本当に?
「そりゃ、お前らの事情だろ。こっちにも色々と――」
「いや、でも! 戦える人間の頭数が」
「もめてる時間なんてないでしょ!」
由香里の視線。その先を見る。
正面入口の前に、先ほどの鈍い音の正体があった。
――血だるまになった物体が落下していた。黒調のスーツを着ている。煉瓦タイルが赤黒く染まっていた。
さらに、十重二十重の炸裂音が上の階から響いてくる。
「……いいの? あんな目に遭う人が増えるんだよ。三良坂さん、公務員なんでしょ? この街の平和を守るのが仕事なんでしょ?」
「チッ」
集が舌打ちをした。
「お前さん、どこまでも
血相を変えて、階段を降りてくる一団があった。青白縞のすっきりとしたデザインのユニフォームを着ている。見た目からして、中学生か小学生だと思う。
彼らは、俺達のすぐ横を通って外へ出ようとした。
「ああ、早く、早く開いてくれ!」
「はやくー、はやくッ! 死にたくないっ!」
自動ドアが開くまでの僅かの間ですら、恐怖を呼び起こす。
「あああああッ!! 死んでる!! 死んでる!! 人がッ!」
外にある死体が目に入ったことで、さらにパニックになる。
「チッ、手間がかかる」
再度の舌打ちとともに集は、開いたままの自動ドアに小走りで近づいていく。上と下にある丸鍵を回して開きっぱなしにした。
帰り際、先ほどの死体をチラリと見たようだ。
「よかった、あれは一般市民じゃない。喬木議員の
「なあ、集。行ってもいいか?」
すると、少しの間を置いて、
「仕方ない。じゃあ、俺の考えを伝えておく……いいか? 俺は、地方公務員。全体の奉仕者だ。お前らエッセ使用者のための奉仕者じゃない。現場に行ったらそういう考えで動くからな。見捨てられて死んでも文句なしだ」
「よっしゃ行くぞッ!」
俺達三人は目の前にある階段を昇りだした。
* * *
瞬く間に階段を駆け昇り、体育ホールに到着する。
「……ここか」
暖かい系統の色で塗られた幅広の廊下。
左手側は、一面がガラス張りの構造であり、彼方にある山岳を眺めることができる。今では、ほぼすべてのガラスが打ち砕かれている。
右手側には、スライドタイプと思われるオレンジ色の扉が、手前と奥にひとつずつある。扉の近くに体育用具入れが置いてあり、ラケットや柔らかい素材のボールなどが詰まっている。
……以上が、体育ホール手前の全容だった。普段と異なる点は、そこらじゅうに死体が転がっていること。
「……決着がついたか?」
音はない。
てっきり、血なまぐさい戦いが行われていると思っていた。
……そこら中に転がっている死体をひとつひとつ見ていった。ある一体は、円形の支柱にぶつかって無残な姿を。また別の一体は、廊下の奥にある卓球台にもたれかかっている。
この二体だけじゃない。ほとんどすべての死体について、胸から腹にかけての袈裟斬りの跡がある。
「……」
「まさか、『ひどい』なんて思ってないよね?」
「一瞬、思った」
「その年でヤキが回ったの? さ、それじゃ」
俺達は、オレンジ色に塗られたスライド式の扉に視線を注いでいる。
「ふたりとも。ちょっといいか」
集を見ると、小学生と思しき体操服の女子――どこそこから血を流して気絶している――をお米さま抱っこしていた。
「今から、この子を下に運ぼうと思う。逃げ遅れて気絶してるのがあと二人いる……おい、なんだ? その目は。俺さっき、確かに言ったよな?」
俺は、『わかってる』と言わんばかりに、
「集。もし生き残れたら、教えてほしいことがある」
「『もし』だったら、今のうちに諦めとけ。使用者はすぐに死ぬんだから」
「そうだな。じゃ、絶対生き残るから」
「『絶対』という言葉をプロは使わない。嘘つきになっちゃうだろ?」
「まあ見てろって」
耳を、澄ます……。
間違いない。この体育ホールの中では、まだ戦闘が行われている。
「負傷者を全員降ろすまで二人で繋いでくれ。頼んだぞ」
「はいよ」
「あたしが死んだら、保険料、あなたに請求しますからね!」
「生命保険? 入ってるのか? 一般人の二十倍にはなるだろうに」
軽口を叩いて集は、足早に階段を駆け下りていった――
「……いい? 渉。あたしがドーンと扉を開ける。ふたりとも中に入ったら、ドーンと閉める。あとはわかるわね。思い出せる? つい三年前までやってたこと」
「当然」
「じゃ、いくよ」
……右手の人差し指を揺り動かしている。
1,2,1,2,1,2……何度目かで、右手を――前に振り出すっ!
ガゴンッ! と、凄まじい勢いで開扉させる。かと思うと、すでに扉の仕切りを跨いでいる。
一瞬、後に続いた。すると、入ったが最後とばかり、開いた時と同じくらいの勢いで扉が閉じた。
「伏せてっ!」
ナイフ。だと思った――幾筋もの光が押し迫っている。いや、これは幾筋じゃない――軽く十本は越えているっ!
「ぎっ!」
鈍い叫び声とともに、由香里が崩れ落ちてしまう。
……ナイフだった。由香里の肩、みぞおち、左脚へと突き刺さっている黒い刀身。生まれたての恥じらいのような鈍い光が目に入る。
「……」
由香里に視線をやる。うつ伏せに倒れ伏して、てんかん持ちの発作のように体を震わせている。
枯れ絞った声――痛みを堪えている。
俺は由香里から目を離した。周りに視線を移すと状況の一部を理解する。
「俺に当たるはずのやつ、叩き落としてくれたのか」
不思議な感覚に包まれていた。焦っているような、いないような。冷静であるような、ないような。
俺は、倒れている由香里よりも前に進み出る。
もう、後ろを見ることはないだろう。いや、ない。