卑密の太陽   作:渡邉 実一

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#07 「Dive or Die」(1)

 最上階から、夥しい数のガラス片が落ちてくるという非常事態。

 悲鳴や怒号、絶叫が飛び交うなか、俺達は目で合図を送り合う。

 分厚い構造になっているはずのガラスが、二枚目、三枚目、四枚目と次々に割れていく。四階を見上げると、こちら一面がガラス張りになっている。

 入口は、人で溢れていた。俺達は、人ごみの合間をぬって館内へと入る。

 

「早く逃げてください!」

 

 若そうな女性職員が、階段に付いて避難誘導をしている。

 

「……集!」

 

 集が階段から降りて来るのが見えた。

 こちらに走ってくる。

 

「逃げろ。これから館内放送で避難を呼びかける」

「何が起きてるんだ?」

「四階の体育ホールで喬木議員が開会挨拶をしてたんだが……襲われた」

「襲われた? 誰に」

「わからん。今はとにかく逃げろ」

 

 またガラスが割れる音がした。ベシャアッ! という鈍い衝突音が響いてくる。悲鳴も。

 

「人手が多い方がいいんだろ」

「いいから逃げろ! 人手は足りてる」

「あたし、行きます。放っておけません」

「……死ぬかもしれない。お前達の親がここに移ってきた理由を考えろよ、こんな争いから逃れるためじゃないのか」

「でも、ここで逃げたら一生後悔する」

 

 どうして、自分がこんなことを言ってるのか分からなかった。

 由香里にしてもそうだろう。どう考えたって、今は逃げるべきだ。

 ……腹を立てていたんだ。人が必死に売店を営業していたのに、せっかく人と繋がることを経験していたのに、邪魔をされてしまった。それが嫌だった……本当に?

 

「そりゃ、お前らの事情だろ。こっちにも色々と――」

「いや、でも! 戦える人間の頭数が」

「もめてる時間なんてないでしょ!」

 

 由香里の視線。その先を見る。

 正面入口の前に、先ほどの鈍い音の正体があった。

 ――血だるまになった物体が落下していた。黒調のスーツを着ている。煉瓦タイルが赤黒く染まっていた。

 さらに、十重二十重の炸裂音が上の階から響いてくる。

 

「……いいの? あんな目に遭う人が増えるんだよ。三良坂さん、公務員なんでしょ? この街の平和を守るのが仕事なんでしょ?」

「チッ」

 

 集が舌打ちをした。

 

「お前さん、どこまでも使用者(エッセ)だな。普通の中学生はな、ワーワー言いながら一目散に逃げるのが精一杯なんだよ。あいつらみたいに」

 

 血相を変えて、階段を降りてくる一団があった。青白縞のすっきりとしたデザインのユニフォームを着ている。見た目からして、中学生か小学生だと思う。

 彼らは、俺達のすぐ横を通って外へ出ようとした。

 

「ああ、早く、早く開いてくれ!」

「はやくー、はやくッ! 死にたくないっ!」

 

 自動ドアが開くまでの僅かの間ですら、恐怖を呼び起こす。

 

「あああああッ!! 死んでる!! 死んでる!! 人がッ!」

 

 外にある死体が目に入ったことで、さらにパニックになる。

 

「チッ、手間がかかる」

 

 再度の舌打ちとともに集は、開いたままの自動ドアに小走りで近づいていく。上と下にある丸鍵を回して開きっぱなしにした。

 帰り際、先ほどの死体をチラリと見たようだ。 

 

「よかった、あれは一般市民じゃない。喬木議員の侍衛(プレシディオ)だ」

「なあ、集。行ってもいいか?」

 

 すると、少しの間を置いて、

 

「仕方ない。じゃあ、俺の考えを伝えておく……いいか? 俺は、地方公務員。全体の奉仕者だ。お前らエッセ使用者のための奉仕者じゃない。現場に行ったらそういう考えで動くからな。見捨てられて死んでも文句なしだ」

 

「よっしゃ行くぞッ!」

 

 俺達三人は目の前にある階段を昇りだした。

 

 *  *  *

 

 瞬く間に階段を駆け昇り、体育ホールに到着する。

 

「……ここか」

 

 暖かい系統の色で塗られた幅広の廊下。

 左手側は、一面がガラス張りの構造であり、彼方にある山岳を眺めることができる。今では、ほぼすべてのガラスが打ち砕かれている。

 右手側には、スライドタイプと思われるオレンジ色の扉が、手前と奥にひとつずつある。扉の近くに体育用具入れが置いてあり、ラケットや柔らかい素材のボールなどが詰まっている。

 ……以上が、体育ホール手前の全容だった。普段と異なる点は、そこらじゅうに死体が転がっていること。

 

「……決着がついたか?」 

 

 音はない。

 てっきり、血なまぐさい戦いが行われていると思っていた。

 ……そこら中に転がっている死体をひとつひとつ見ていった。ある一体は、円形の支柱にぶつかって無残な姿を。また別の一体は、廊下の奥にある卓球台にもたれかかっている。

 この二体だけじゃない。ほとんどすべての死体について、胸から腹にかけての袈裟斬りの跡がある。

 

「……」

「まさか、『ひどい』なんて思ってないよね?」

「一瞬、思った」

「その年でヤキが回ったの? さ、それじゃ」

 

 俺達は、オレンジ色に塗られたスライド式の扉に視線を注いでいる。

 

「ふたりとも。ちょっといいか」

 

 集を見ると、小学生と思しき体操服の女子――どこそこから血を流して気絶している――をお米さま抱っこしていた。

 

「今から、この子を下に運ぼうと思う。逃げ遅れて気絶してるのがあと二人いる……おい、なんだ? その目は。俺さっき、確かに言ったよな?」

 

 俺は、『わかってる』と言わんばかりに、

 

「集。もし生き残れたら、教えてほしいことがある」

「『もし』だったら、今のうちに諦めとけ。使用者はすぐに死ぬんだから」

「そうだな。じゃ、絶対生き残るから」

「『絶対』という言葉をプロは使わない。嘘つきになっちゃうだろ?」

「まあ見てろって」

 

 耳を、澄ます……。

 間違いない。この体育ホールの中では、まだ戦闘が行われている。

 

「負傷者を全員降ろすまで二人で繋いでくれ。頼んだぞ」

「はいよ」

「あたしが死んだら、保険料、あなたに請求しますからね!」

「生命保険? 入ってるのか? 一般人の二十倍にはなるだろうに」

 

 軽口を叩いて集は、足早に階段を駆け下りていった――

 

「……いい? 渉。あたしがドーンと扉を開ける。ふたりとも中に入ったら、ドーンと閉める。あとはわかるわね。思い出せる? つい三年前までやってたこと」

「当然」

「じゃ、いくよ」

 

 ……右手の人差し指を揺り動かしている。

 1,2,1,2,1,2……何度目かで、右手を――前に振り出すっ!

 ガゴンッ! と、凄まじい勢いで開扉させる。かと思うと、すでに扉の仕切りを跨いでいる。

 一瞬、後に続いた。すると、入ったが最後とばかり、開いた時と同じくらいの勢いで扉が閉じた。

 

「伏せてっ!」

 

 ナイフ。だと思った――幾筋もの光が押し迫っている。いや、これは幾筋じゃない――軽く十本は越えているっ!

 

「ぎっ!」

 

 鈍い叫び声とともに、由香里が崩れ落ちてしまう。

 ……ナイフだった。由香里の肩、みぞおち、左脚へと突き刺さっている黒い刀身。生まれたての恥じらいのような鈍い光が目に入る。

 

「……」

 

 由香里に視線をやる。うつ伏せに倒れ伏して、てんかん持ちの発作のように体を震わせている。

 枯れ絞った声――痛みを堪えている。

 俺は由香里から目を離した。周りに視線を移すと状況の一部を理解する。

 

「俺に当たるはずのやつ、叩き落としてくれたのか」

 

 不思議な感覚に包まれていた。焦っているような、いないような。冷静であるような、ないような。

 俺は、倒れている由香里よりも前に進み出る。

 もう、後ろを見ることはないだろう。いや、ない。

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