卑密の太陽   作:渡邉 実一

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#11 心らしきものが消えて(前)(4)

「あれが、国府(こうふ)の森の八幡神社か」

 

 歩いていると、右手の開けた土地に神社があった。かなり大きい。

 

「……」

 

 境内に続く石段を見上げる。五十段以上はある。傾斜も強い。

 

「さすが、全国に名だたるだけはある」

 

 石段を昇っていく。

 じゃり、じゃり、という石床を踏みしめる音が響いている。

 

「……ですから……と……です」

 

 なにやら、話し声のような。そう遠くはない地点。

 部外者に気が付いたのか、声が途絶える。

 境内が見えるところまで昇っても、誰もいなかった。

 

「誰か、いた? 本当に?」

 

 いや、いる。いたのだ。少なくとも二人以上は。

 正面に神殿があった。二体の狛犬が立ち並んでいる真ん中に本殿が見える。

 境内の各所に盆提灯が設えてあり、ご神体に至る両開きの扉が開け放たれているのがわかる。

 さらに、さらに前へと進んでいく。

 

「……?」

 

 おかしい。人の気配があるのに誰もいない。

 さらに行って、狛犬を通り過ぎる。

 

「……!」

 

 間違っていた。『誰か』は確かにいる。いるけれども、

 

「おい、あんた! 大丈夫か」

 

 本殿に入るための階段から見て、右に二メートルほど――『誰か』が、ぶら下がっている。

 縄が屋根から伝っていて、その先で縛られて逆さ釣りになっていた。

 

「……あなた、誰? あなたも来てくれたの?」

「! その声……ほのかさん?」

 

 凍りついた。ほのかさん、と呼んだ直後だった。

 ――血。目と鼻の先には女の子の顔――逆さ吊りになっている。

 真白の肌襦袢(はだじゅばん)が血の色に染まっていた。胸、肩、二の腕、お腹、臀部、太股、ひざ、足首――あらゆる箇所が血の色に。

 逆さでなければ肩甲骨ほどまである髪がしんみりと下がっている。腕をだらりと垂らしていた。目を閉じていると死体に見えるだろう。

 襦袢のスカートは膝下までで、中はハーフパンツのような形状になっている。

 

「おい、それ。どうした……?」

 

 ほのかの指先を見た。鉄串が、すべての爪の間に深々と突き刺さっている。

 計十本の鉄串から血が流れ出ていた。ポツ、ポツと、大地が血を吸い続けている。

 ほのかに近付く。 

 

「何があった?」

「……わたるくん、だよね? あの時、風船釣り教えてくれた。うん、大丈夫。わたし、このくらいじゃ死なないから」

「そうじゃねえっ、どうしてこんなことになってる。誰にやられた? 国府(こうふ)の森の連中か!」

「あ、うん……連中、じゃないよ。仲間、だよ。わたしが悪かったの。あの時、介入をしてしまったから。だから、罰を受けてるん……だよ……」

 

 ほのかの顔をまじまじと見る。

 

「あはは、渉くん。恥ずかしいからやめてよ」

「よかった。顔は大丈夫だな。痛いだろ……ちょっと待ってろ」

「こんな体勢じゃ、舞えないよ……」

「そういう意味じゃない。いいから待ってろ。目、閉じて」

 

 ほのかが目を閉じる。その頬に手を当てた。

 

「あ、なんだか痛みが……消えて……あぁ……」

 

 こんな能力でも人の役に立つことがあるんだな。思い至ったところで、ほのかが、その身体を葉っぱにいる芋虫みたいに振っていることに気が付く。

 

「だめ、だめなの。わたし、罰を受けてるんだから……渉くん、ごめんね……解除する」

 言うやいなや、俺の概念力(ノーション)が消えた――一体、どうやって? 何かやった様子はなかった。

 

「渉くん、使用者(エッセ)だったんだ」

「知ってたくせに。どうせ初対面でだろ」

「あはは、ごめん……わたし、嘘つくのヘタなんだ」

 

 ほのかを見つめる。

 

「や、なに? 恥ずかしい……」

 

 その体をつぶさに観察する……致命的な傷はない。

 ただ、体の各所に抉られた痕がある。

 

「……!」

 

 視線が胸の辺りへと。激しく逸らした。

 

「どうしたの? 渉くん、何かあったの」

「なんでもない!」

 

 なんでもあるんだけどな。ほのかはクスッと笑みを洩らす。

 

「わたし、渉くんのこと何でも知ってるよ」

「ゴジョーダンを」

「冗談じゃないよ」

「じゃあ、試しにひとつ、俺の秘密を暴いてみて」

 

 ……肩にほのかの手が延びた。鉄串が髪に触れる。

 痛みが伝わってくるようだ。間近で見るとより恐ろしい。平然としてるけど、こんな痛みに耐えてるのか?

 

「ええっと、渉くんが今月、想像の中で女の子をエサ(・・)にした回数は……8回かな」

「……」

「8回中、同じ学校の子が3回。宮……なんとかさん、ていう子。それから、通学路ですれ違う女の人……あ、わたしこの人知ってる! それが2回。あとは……え、お姉さんが2回……? 渉くん、意外……」

 

 何を言ってるんだ? え? これって、おい、おい……!

 

「あの娘はいないんだね。一緒に風船釣りの営業してた子」

「……」

 

 本物だ、と念じた瞬間、ほのかの瞳が輝いた。

 

「わたしでもしてくれたんだ……!」

「ああああああああッ!!」

 

 地面へとダイブッ!! 頭を抱えて転がり回る――そうだ、そういえば、そうだった……!

 

「シチュエーションは……あ、これってデンシャ? 人がいっぱいのデンシャ……いいなあ、わたし乗ったことがなくて。この感じ、渉くんは乗ったことあるんだね。それで……あ、わたし、痴漢されてる……! 男の人が前から二人、後ろから一人……男の人だけじゃない、女の人も――」

「やめてくれええええええええええッ!!」

 

 叫んだ。いや、叫んでいない……!?

 

「渉くん。ばれちゃうよ? 居場所」

 

 俺は確かに叫んでいた。でも、事実は違う。叫んでいない。これもこの子の能力なのか?

 (かぶり)を振って俺は、ほのかに向き合う。

 

「取り乱してごめん。ええと、そうだ、冗談なんて言ってごめん。謝る」

 

 ほのかの目を見ていた。俺はこの子を嘘つきだと言った。直接ではないけど、似たようなものだ。

 ほのかは視線をさっと真下(?)に逸らした。数秒が経っても視線が定まらないでいる。

 

「ねえ、渉くん。話があるの。こっちに来て」

「?」

 

 導かれるように、ほのかの口元に耳をそばだてる。

 

『……エッチなこと、したい?』

 

 吐息が耳に伝わる。一瞬、震えてしまう。

 

「……ああ、そうだな」

 

 ほのかと向き合う。逆さだけど。

 その両頬に、手のひらを当てて鷲掴みにする。視線の先は、ほのかの瞳の真ん中にある。

 

「あ……」

 

 また、肢体をくねらす。右に、左に、振り子のように。顔を見られないようにしている印象がある。でも、最後には目が合う。

 

「……」

 

 切ない瞳。潤みを増していく。目は慣れたし、すぐ傍に提灯があるから表情がはっきりわかる――心も。 

 ほのかが目を閉じた。

 

「渉くん。いいよ……ふひゃあぁっ!」

 

 俺は今、両手でほのかの頬を揉んでいる。

 揉んで、揉んで、揉んで。最後は、ブニイイイィ、という効果音でも聞こえてきそうなくらい真横に引っ張る。

 

「目に異常なし。耳も大丈夫。口の中にできものや出血跡もない……低体温症のおそれなし。いやまったく、使用者(エッセ)の中の使用者(エッセ)はやっぱり違うな」

 

「わひゃるふん……?」

 

 手を離した。

 

「俺、行くところがあるんだ。どこかは言えないけど……ごめん」

 

 嘘を()いた。行きたい所はない。こうなりたい、という結果ならある。

 

「いいよ、そんなの。こっちこそ引き留めてごめんなさい」

「ほのかさん。あの時は、その……ありがとう。居てくれてよかった」

 

 ――涙。少女の眼から零れている。

 

「う、あ、うぅ……! ずるいよぉ……わたし……わたし、また……渉くんに逢えてよかった……もう二度と会えないって、思ってたんだよ」

 

 ……その涙に、そっとくちづけをした。

 唇を其処につけているうちに、一つの心を読み取ることができる。この血が心臓からどこかに流れ出て、また別のどこかから戻ってくる感覚――要約するとこうだ。

 実はそんなにロマンチックなくちづけじゃない。俺の舌は少女の瞼を撫でている。どこにキスをしようか迷ったところ、一番穏当そうな、穏当でない箇所にいったのだ。 

 まさか、こんなつまらないことが俺の運命を決めたりなんてしないだろう。俺はただ、あまりに意欲的すぎて抗うことのできない俺の意思に従っているだけだ。そして、とうとうこんなことになってしまった。

 唇を離した。手を当てると暖かさが蘇ってくる。これでよかった、いい記憶になりそうだ。提灯が暖めた大気の香りが漂ってくる。

 俺はこの香りを、ずっと覚えておこうと思う。心の中に祭っておこう。俺だけの隠れ家、不安や希望を好きなだけしまっておける、ただひとつの場所に。

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