四人はゲームセンターに足を踏み入れた。
渉と由香里は慣れない様子で、種々並んだ筐体を見渡している。
エアホッケー、スロットマシン、シミュレーション型の釣り、馬と騎手の模型が並んだ競馬、電車を運転できるもの、顔写真を整形して撮影できる機械など――
「渉くん、ゲームセンターは?」
「……もちろん初めてだ。あー、なんていうか……声にならない」
「声になってるじゃない」
「今のは比喩。ええっと、そう、アンユだ」
安田が由香里を見ると、写真を撮影できる筐体の前に居た。隣に宮本がいる。
興味深そうに機械を眺めている由香里の袖口を、ちょいちょいと摘んだ手――
「さっきはありがとうね? 案内してくれて。汐町さんもここ初めてなのに……ねえ、帰りにここでプリ撮らない?」
「プリってこれでしょ? 興味あるけど……でもなぁ」
「撮ろうよ?」
「うん。気が向いたら……」
「……由香里さん?」
「え!?」
「ていうんだっけ?」
「うん」
「私、
「知ってる」
「由香里さん?」
「な……なにっ?」
「名前で呼んでほしいな? 横尾さんの名前呼んでるみたいに」
「……」
その表情が崩れる。いつの間にやら肩付近にまで寄っている宮本の気配に押されるようにして、顔を逸らした――
「……佳奈子」
「キャアアアアアアアアッ!! 呼んでくれた!? しかも呼び捨て!」
尋常でない声色に、何かを察したように由香里は――宮本の近くに寄って両の瞳を覗き込んだ。
「呼び捨て、嫌だった? じゃあ……佳奈子さん」
「その呼び方も……尊いです……」
心臓に手を当てた。口をパクパクさせて由香里を見上げる。
「尊い?」
「な、なんでもないよ? ただ、ちょっとからかっただけだからね?」
安田は、そんな二人から目を離すと、渉のすぐ後ろについた。
渉は、さっと振り返って、
「なあ、安田。携帯電話って持ってる? ほら……あいつらみたいな」
エアホッケー台の傍にある木製ベンチに二名の男が居た。女性に声をかけている。
片方の大きな男は赤色の携帯電話を取り出し、両手でボタンを押している。
「ナンパか。よくやるよ……ケータイだったね、ボクは持ってない。宮本ちゃんは持ってる。藤原さんと前田は親に交渉中。クラスではほとんど誰も持ってないんじゃないかなぁ。没収されるから学校に持ってこないだけかもね」
「そういうもんか……」
「ねえ、ところで」
「ん?」
呟くようにして、渉のすぐ横に
「……由香里ちゃんと付き合ってる?」
「付き合ってない」
「なんで? カワイイのに。
「あいつの、どこがそんなにカワイイって?」
「……ふんわりとした頬に、ちょっと切れ長の瞼。肩にかかった柔らかそうなセミロング。ピシッとした体型で姿勢もいいし、何より……横顔がいい」
「……」
渉はため息を吐いた。
「安田。あいつはな、とっても」
「でも、ボクにとって一番の魅力は……暴力的なところかな」
「え?」
「引かないでくれよ。たまに思う時があるんだ……由香里ちゃんに殴られたら、どんな気持ちがするんだろうって……例えば、こないだの職員室の渉くんみたいなシチュエーション。由香里ちゃんに顔面をひっぱたかれて、鼻血が出たとするよね? ボクは懇願するような目で、『もうやめてください』ってお願いをするんだ。けど、由香里ちゃんは、『泣いてるの? ……もっと泣きなさいよ』って具合で、今度は倒れたボクの顔を素足で踏んづけるんだ。その時、足の指の間から漏れてくる、とんでもない臭さにボクの脳神経がナニカを感じる……それで、足がどいたら、ボクの胸倉を掴んで、昆虫を見るような目で見下ろすんだ。最後に、口の中でさんざん溜め込んだ唾を、ボクの顔を目がけて吐き出」
渉は、安田の肩を掴んでいた。激しく前後に揺り動かす。
店内をぐるりと見渡し、カッと目を見開いた。すると、手首に巻かれた
薄紫色で、光沢を帯びた空気の塊が散らばってしまう前に、
「安田優一、目を覚ませっ!」
渇を入れる。
『まさか、この近くに精神操作系の
渉は、安田の目を食い入るように見詰めていた。
十秒ほどが経った。
「ごめん。ボクとしたことが。頭がヘンになってたみたいだ」
渉は安堵のため息とともに周囲を見渡す。
「
誰も、渉の声がした方を向いていない。
ここで、由香里と宮本の後ろ姿を認めた。雑談に興じている様子だった。
「なんてね。ボクがそんなこと言うと思った?」
「は……?」
「ボクは本気だよ。渉くんには悪いけど」
両者の視線が交錯する。
「本気なんだ」
「……」
呆れかえって、醒めざめとした眼が安田を見据えている。
「急にこんなこと言ってごめんよ。でも、今じゃないとダメなんだって、そう思った」
渉を睨み返している安田の姿がある。真っ直ぐにその瞳を覗き込んでいた。顔は笑っていない。
「あー、わかったよ。本気なのは。わかった、応援するよ安田」
「……やっぱり、渉くんに話しておいてよかったね」
片目を閉じてにんまりとする。
渉は、ハッとなって由香里の方を見やる――由香里は後ろ手にサインを作っていた。人差し指を立て、ブンブンと振っている。
「後で怒られるな……由香里に」
「由香里ちゃんに怒られるの? 羨ましいな。今度、怒らせるコツ教えてよ」
呆れ果てて唇を歪ませる渉だった。
が、急に澄ました顔になると、安田の眼前に歩みを進める。
「宮本さんは彼氏いるのか?」
「いないよ」
「……そっか」
「もし彼氏がいたら?」
「ダブルデートするよ。こっちからは俺と由香里が参加する。それで、由香里は彼氏にくれてやる」
「へえ。それで渉くんがフリーになった宮本ちゃんと付き合うの?」
「いいや。それから、彼氏をぶっとばして由香里と別れさせるだろ。そしたら、次は彼氏を取られて傷心してる宮本さんにこう言うんだ。『由香里はホントは宮本さんのことが好き』なんだって。由香里にも同じことを言う」
「フッ……! そ、それで……?」
「それから……仲良くそういうコトをしてる二人の……う、もうだめだ……!」
急に笑い出してしまった渉――安田の肩を掴んで引き寄せる。
「お前、けっこう馬鹿な奴だよな」
「君こそ」
「おーい、渉!」
女子が肩を軽く寄せ合っている。
「そろそろ降りようよ?」
宮本が首を傾けながら言った。
「そうだね。じゃ、降りようか。テキトーに見て回ろう」
安田が先導するようにして四人は階段を降りていく。男子が先に進んで、女子は斜め後ろについている。
やや暗くなった階段を、由香里は一段ずつ慎重に下りながら――渉の方を見ていた。
* * *
「あのぬいぐるみ、いつか欲しいね?」
宮本と由香里は女子トイレの手洗い場にいる。
宮本は、ボブカットの後ろに結んだポニーテールを整えながら声をかける。
「あのぬいぐるみだよね。プリンが逆さになったやつ。高すぎよ、5,500円なんて。大人になっても買えやしない」
「え、そこは自信持とうよ?」
由香里は洗面台の鏡とにらめっこしながら、胸襟の辺りに手を突っ込んで服の乱れを直している。
「佳奈子、ちょっと胸元が出すぎかな。あたし」
「そんなものじゃない?」
「ふーん、そういうもん?」
「ブフッ!」
宮本は噴き出してしまう。
「なにかおかしかった?」
「だってさ? その口癖……そういうもんって……最初は何でもなかったけど、何度も聞いてるうちに……!」
「同意をすると同時に、同意を求めてるんだよ。すごいでしょ」
「へー。それでいつも渉君に同意してもらいたがってるんだ?」
「渉は幼馴染だから……」
自らの手を脇の辺りに近づける形で、宮本が小さく挙手をする。
「渉君に興味がある人、挙手してね? ハーイッ!」
「……」
沈黙を貫いている視線が蛇口に移った。透明な水がじゃぶじゃぶと音を立て、排水溝に吸い込まれていく。
それを見詰めながら、鎖骨に手を当て、自分の中にある草の葉が揺れる音に耳を澄ます――天井に設置してある、まん丸な蛍光灯に目をやった。
「あたしさ、例えば……太陽が照ってるじゃない? 照らしてるんなら、それが中心だって思うよね。でも、あたしには……空に破けた穴に見えるんだ」
宮本の顔を眺める。
「その穴に、大切なものが空に向かって落ちていくのを感じることがある。そんな時、ふとね――」
「詩人なんだね? いいよ。それ以上言わなくても」
「……いいの?」
「いいよ。だって、さっきの挙手、ウソだからね?」
由香里の右腕が、宮本の胸ぐらを掴んだ。ゆっくりと、優しく――宮本を壁に押しやる。
……近づく距離。冷たい
「佳奈子。冗談でそんなこと言っちゃだめだよ?」
「……!」
「じゃないと……」
触れそうなほどに、唇が接近している。心音が本人の耳まで届いて、鼓膜を刺激し、目頭を熱くし、口角を歪ませる。
宮本が動いた。人差し指と中指で由香里の唇を塞いだ。
「……謝らないよ?」
「うん。自分で嘘つきだって告白したんなら、嘘つきじゃないわ」
「ブフッ!」
「え? 今なんで噴き出したの?」
「だって、それ……私、もうウソついてるし……ウソついた時点でウソつきだし……由香里、寛容すぎでしょ……?」
「そ、そう?」
一瞬、困った顔になって蛍光灯を見上げた。薄ぼんやりとした光の重なりが二人を照らしている。