……フワリ。着地、成功。
辿り着いた地点は、今しがた眺めたばかりの村落。その出入口とも言える場所だった。
「ここが……そうなのか」
眼前には、かなり開けた谷が広がっている。この谷を渡すのは、樹木でできた橋一本のみ。
「……」
振り返ろうとして、立ち止まる。
「由香里……」
泣きそうになるのを堪える。
「おい、少年。待てよ」
「!?」
後ろを振り返る――今しがた、『朔太朗』と呼ばれていた男だった。
地面に目を凝らすと、すぐ真下に黒い空間が開いている――穴が消えた。高森とかいう女の人が使ったのと同じような空間移動だろう。
「さて、ええっと。道ノ上君だったか……わかるよな? これから俺がやろうとしてることが」
「……面接試験?」
自分で言っておいてなんだが、苦笑するしかない。
「面接試験? 違うな、断罪だ。俺の配下が数名、お前にやられてる」
――言うやいなや、疾風のように駆けてくる。
「まー、やってみなよ! お前さんが俺を殺したって恨みやしない」
「くそッ!」
まだ痛みがある。目眩も。が、やるしかない。勝てない? ああ、勝てないさ。でも――
柔道の構えを取る。敵は目前だ。
「オラァッ!」
両手で、しっかと襟と袖を掴んだっ!
「その構え、柔道か」
横襟オーケー。袖口オーケー。繰り出すは――大外刈りっ!
一瞬の脱力の後に、両手と両脚とが調和していた――胸板同士をぶつけつつ、相手の右膝裏にしっかと掛かった俺の右足。
「だりゃあっ!」
――倒れない。
「なんで……」
その瞬間、かなり後ろの方で何かが弾ける音がした。バチバチと、森林が燃える音が聞こえる――さっきの場所だ。
だめだ、今は目の前のことだけ考えろっ!
「……なんで、どうしてあいつは倒れないんだ……!」
「よく見てみなよ」
「オオオオオオオオオオ……」
なにか、いる。大外刈りが命中し、一気に倒れるはずの背中をナニカが支えている。
――隷者の行進《ブラックパレード》――
地面という地面が、真っ黒に染まっている。
と思ったら、俺の左足が、ナニカにしっかと掴まれてしまった。
「これは……」
男も女も、大人も子どもも、健常者も欠損者も、ありとあらゆる屍体が暗黒の穴の中から現われる。
少なく見積もっても、三十体はいるだろう。
「なんだよこれ……」
「往け」
囲まれている! ひとまずは足首を掴んでいる手を蹴っ飛ばし、この場を脱する。
「くそっ!」
奴らの群れを振り切ろうとして、この谷の崖にある大樹の傍に逃げた――相当な高さがある。落ちたなら……あいつらの仲間になる。
動きを変えた集団がにじり寄ってくる。
俺は目を閉じる――見開いた。
「オオオオオオオオオオオオ……!!」
屍体の集団は大混乱に陥った。押し合い、へし合い、もんどり打って自滅を繰り返す。
運よくこっちの方に向かってきた一団も、俺を通り過ぎて崖下に落ちてゆく。
「……あっけない。これで終わりか?」
敵の視線が、こちらへと。
「お前さんの能力は見せてもらった。珍しい
「へえ。
「希少だとも。具体的には……回転寿司の皿には、一貫しかネタが乗ってないやつがあるだろう? ……そうだな。それくらい、希少な存在だ」
カイテンズシとはなんだろうか? とにかく、
「なんていう名前の
「……言わない」
「どうして?」
「別にいいだろ」
「もしかして、名前を言うのが恥ずかしいとか」
図星だった。
「ああ、これはアレだな。お前さんぐらいの年齢によくあるやつ。その逆バージョンだ」
「違う!」
「自ら魔法の名を言明するのは、より強力なノーション概念力を導くための基本だろう。習わなかったか?」
「あー、想念(オブエクティジェ)とか変状(アフェクティオ)とかいうやつだろ? 三番目と四番目の工程だっけ? それでも時と場合によるだろ。少なくとも俺には必要ない」
「そうか、ならいい。そういう奴もいるにはいる」
誰が言うもんか。こっぱずかしい。
「それで。説明、したくないんだよな? ならば」
――《プラトニック・マリオネーション》――
「ッ!?」
身体が動かない。いや、違う。
左腕が、次第に上がって……胸の前で、人差し指を立てたポーズになる。
「うん。説明にはそういう感じのポーズがいい」
「生きてる人間も操れるのかよ……」
――また、まただ。由香里がいる方角から、ズシンという大きな音が響いた。
「どうする? 自分から説明してもらってもいいんだが」
「あ……あー、あー……」
口や喉は動くようだ。それ以外は動かせない。
……しょうがないか。
「スウゥー」
深呼吸をする。
――《アイズ・ワイド・シャット》――
「おお! これがお前さんの
「どうだ? メチャクチャよく聞こえるだろ……お前が使役してる連中の声がよおっ!」
男は、耳を塞いでしゃがみ込んだ。
「あぁ、が、あああああ……おいっ、お前! それ以上、近寄るんじゃない」
近寄るな? 構うものか。むしろ走り寄ってやる――そこだっ!
敵人の右腕が遊んでいる――それを両手で抱え込んで、自らの胸に当てる。体重を真後ろに預け切ったなら――仰向けに転がすッ! ……腕ひしぎ十字固め。すでに九割方完成している。
「完成だ! 折れ……ろ……?」
何だ? 今、何が通った?
「ぐごっ!」
蹴り飛ばされた。身体が。凄まじい力で。
……脇腹を押さえて立ち上がる。
「……!」
佇んでいる。女が。
ピンクとベージュが組み合わさった柄のアンサンブルを着ている。動きやすさのためか、だいぶ広がりのあるスカートだ。
「もしかして、こいつも死んでる?」
「やれ、アヤカ」
アヤカと呼ばれた
速い。先ほどの連中とは雲泥の差だ。見れば、右手に小振りの刀を握っている。
刃が首筋を掠めた――相当の切れ味と思われる。
剣先が次々に襲ってくる。なんとか避けてはいるものの、正直、いつ当たってもおかしくはない。
「……ぱいろ……くらす……ト」
俺の背後に火柱が上がる。逃げられなくなった。
「死んでるのに……どうやって、
「オオオオオオオォッ!」
焦りを察してか、走り込んでくるアヤカというらしい屍体。
「れい……やー、プロミ、ネンス……!」
真円をなした炎の障壁が……目前に、立ち塞がっている……? いや、違う! むしろ、こっちの方に向かってきているっ!
「ええい、ままよっ!」
炎の壁に突っ込んでいく。
「……!」
肩と肘が焼けている。この制服も長くは持たないだろう。炎熱に耐え切った直後、前方回転受身によって着地を決める。
「オオオオオッ!」
なんてことだ。俺を待ってやがった。って、よく見たら、お前もフツーに燃えてるじゃねえか――
迫る、斬撃。
「ここだっ!」
今しかない。双手刈りを仕掛けた……ヒットッ!
予想は当たっていた。死んでいるだけあって、関節がうまく動かないようだ。驚くほど簡単に倒れてしまう。
「それ、よこせっ!」
小刀を取り上げようとする。
「さがれッ!」
だが、突如として煙に巻かれたように消え去った。
「……危なかった」
「どうした、おい。死体どもがいなけりゃ、なんにもできな……げ、げほ、ごほっ!」
咳が止まらない。片手を地面についてしまう。
……なぜだ? デモンズトレードは使ってないのに。
「残念だったな。お前さんはもう病魔に冒されてる……アヤカに触れた時点で」
「う、あ、そういう……ことか……」
「だるさが出てきてるだろう? そのうち、皮膚から色々と吹き出してくる」
なんだって? 一体、何が吹き出してくるって? ……じんましん? いや、もっと恐ろしいものだろう。俺にはアレルギーはないけど……ん? 待てよ。アレルギーといえば……思いついた。起死回生の一手を。
「なあ、頼みがある。こっちに来てくれよ……み、見て……欲しいものがある」
「……?」
逡巡した後、男はこちらに歩いてくる。
「さて。どんな面白いものを見せてくれるって?」
「苦手な食べ物、教えてくれよ。できればそれのこと、考え込んでくれると嬉しい」
「へえ。面白いね」
男は考え込んでいる。頼む、頼む、頼む。真実を答えてくれ――
「……梅干し」
「サンキュ」
こいつの感覚神経を、数万倍に研ぎ澄ませる――味覚をっ!
「ッッッッッ!!」
自虐的冒険心が強い相手で助かった。
「……!」
いまだ地面をのたうち回っている。通常の味覚を1としたら、少なくとも1万倍のそれを味わっていることになる。
俺は立ち上がって、由香里がいるあの森に視線をやる。
「あとは、この毒を解除して、それから……待ってろよ」
「やるじゃん、あんた」
「……え?」
ごく自然に、そこに立っている。転がり回っていたはずなのに。
「悪いが、俺には
そして、鬼のような形相とともに、
「覚悟しろ」
回し蹴り、一閃――
鼻先を掠めた一撃。飛び跳ねるようにして後ずさる。
着地の瞬間だった、
『嘘だろ、こいつ』
それくらい、速かった。
「げぼっ!」
拳骨。みぞおちへの一撃が決まった。
……しかも身体がだるい。フラフラとよろめいて次の攻撃を待つしかない。
「ぐ……!」
続く正拳を胸に受けたタイミングを狙って袖先を掴むことに成功するも、切り離されてしまう。
「あがっ!」
パァン、という関節の弾ける音が響いた。凄まじい瞬発力のローキックを受けたことによる。もんどり打って倒れ込んだ。
「そら、小僧。さっきまでの威勢はどうした?」
「ごっ!」
見えなかった。とにかく、何らかの蹴り技がこめかみにクリーンヒットした。地面にワンバウンドして、ようやく勢いが止まる。
起き上がった矢先だった、また鉄拳が――
「がうっ!」
「チィッ!」
噛み付いた。敵の拳の関節部分に。
しっかと食い込んだ犬歯。血の味が染みてくる。
「なかなか骨のある。が、そろそろ終わりにしたい」
「あ、が、ぐぅ……!」
今は耐えるしかない。
――《プラトニック・マリオネーション》――
「ぐっ……!」
体が動かない。さっきと同じだ。この口だけは死んでも離さない。
敵人は、ゆっくりと拳を振り上げる。
「とどめだ」
――《
「手に入れるのは……
「何だ? 急に動きがっ!」
地面から飛び起きて、敵人の前襟と袖を握り締める。すでにこの右足は振り上がっている――振り下ろしたっ!
一本、それまでッ! 相手の頭が、後頭部から地面に突き刺さるかのごとく――投げ飛ばすことに成功する。
「はあ、はあ、はあ、はあ、やった……!」
違和感がある。ポケットだ。
「え?」
由香里にもらったフェイスタオルを取り出そうとする――取り出すことはできた――握ることはできなかった。灰になっていたから。
「ははっ……こんな代償もあるのかよ……くっそ」
灰を握り締めて額に手を当てる。すぐ間近で倒れている敵を見下ろした。
「……え?」
いない。いなかった。
「惜しかったな」
え……? まさか、これは……俺の真後ろに……立っている?
「さすがにアレを食らいたくはなかった」
「たしかに……刈り倒しただろうが……!」
「幻でも見たんじゃないのか」
「……畜生」
俺は、目を閉じた……。
ここまで由香里と一緒に歩いてきた道のりに心をやる。
「俺に力を貸してくれ」
奥歯を噛み締める。涙の味がした。これで最後だ――
――《
まっすぐ敵を見据える。
目が合った。微笑みと一緒に、静かな瞳をたたえている。
その言葉を、口にするのが恐ろしくて。でも、ここで勝たなければ。いや、違う。勝ちたい。俺が勝ちたいんだ。
俺は、こいつに勝つためなら――そして、願いを叶えるためなら――なんだってやってみせる。
「手に入れるのは……お前の死」
人として壊れてしまった大切なナニカとともに、願ったことを確かめる。そして――
バタッ、という地面に倒れる音が聞こえた。
「……」
男を見る。表情はない。
「……」
頬面を叩く。返事はない。
「……」
心臓に手をのばす。鼓動はない。
「……」
口元に耳を当てて呼吸を探る。
「……」
「おはよう」
「うわあああぁッ!!」
心臓が凍りついた。
なぜ? なぜだ? 確かに、俺は今確かに――
「次にあんたは、『確かに死んでいたのに』と言う」
「確かに……死んで……死んでいたのに……!」
「惜しい」
死んでいたはずの男が起き上がった。首の後ろに手を回し、痒いところを掻いている。
「ああ、言ってなかったけど。俺、死んでも蘇るんだわ」
「……何を言ってるんだ?」
「死んだままでいることもできるし、本当に死ぬことだってできる」
「……」
男が近付いてくる。
「お前さんの能力、思い出したよ。見たことがある……代償、いるんだろ?」
「ああ、要るよ。代償」
平静を装うも、顔に出ていると思う。
「さて。何を失うんだろうな……あんたの命で代償になればいいんだが」
「は、はは……命……?」
――代償。
何が? 一体、何が失われる? 俺は、俺は、殺そうとした。いや、殺した。殺した、殺した、殺した……!
「後悔……してるんだな。じゃ、そろそろ終わりしよう」
俺は笑い返す。醒めた笑いを。
「後悔……いや、これでよかった。むしろ嬉しいよ」
その時だった。
ズシャアッ、という、大人ほどの重さの物体が地面を滑る音とともに、
「渉、大丈夫だったっ!?」
この声は……栞?
「……チッ」
男が舌打ちをする。
「よりによってあの人か。ついてない」
後ろを振り返った。
……栞だ。栞がいる。さっきより傷だらけになった由香里も。
そして、今しがた滑り込んできた物体の正体は――
「……」
吉利だった。顔中がボコボコに腫れ上がっている。気絶しているようだ。
「そこのあなた。
「……いかにも」
「見てのとおりの状況よ。どうする?」
「あなたと戦うのは得策じゃない。これ以上うちの者を傷つけないと誓うんなら、去るがいい」
栞は、俺の手を取って引き寄せる。
「では、お言葉に甘えて。渉、由香里ちゃん。帰りましょう」
「ところで、道ノ上栞さん。俺達が初対面でないことはご存知かな」
「……大きくなったわね」
「恐縮です。あんたは確か、この橋の向こうに行ったよな」
「ええ、そうね。懐かしい……。お母さん、元気?」
「死んだよ。あんたの傷が原因で……気にすんなよ。母さんが弱かったのが悪いんだ。俺はもっと弱かったし、今でもそうだ」
二人は何を話してるんだ? 腑に落ちないけど、気にしている余裕はない。
栞は、俺だけでなく由香里の手も取った。適当なタイミングで歩みを始める。慣れない歩き方のせいか遅い。
後ろを見た。彼はただ、俺達を見送っている。やがて見えなくなった。
……淡々としたペースで下山が進んでいく。
「栞、その」
「渉」
「は、ハイッ」
「……心配したよ」
コツンと、拳骨が額に当たる。柔らかいパーになって俺を包み込んだ。
「ごめん。栞、ごめんよ」
俺を抱き寄せる。
「弟が大事じゃない姉がどこにいますか」
優しい声だった。
それから、何度か後ろを振り返ろうと思ったけど、できなかった。まだ彼がこちらを見送っているような気がして。
自分の胸に手を当てる。喜んでいるのか、悲しんでいるのか。よくわからない。