卑密の太陽   作:渡邉 実一

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#13 終わらないパズル(1)

「いてて……」

 

 三日ほどが経っている。まだ痛む箇所を押さえながら学校に向かう。

 午前八時前。誰もいない通学路。誰もいない……はず。

 今になってもにやつきが止まらない。やった、俺はやったんだ。来年からは公務員として――親父、なんて言うかな。栞はどうだろう。喜んでくれるに違いない。

 ゆっくりと歩いていると、誰かが近付いてくる感じがする。

 

「よ、渉!」

「尚吾か。不良のくせに――」

「朝早いじゃろ?」

 

 これまでに百回以上は交わしてきたやりとりだ。

 

「もっと遅く来てもええじゃろうに」

「あんまり遅いと教室に入る時にさ、あいつがうるさいんだよ。『挨拶したの?』って」

「そんな奴、おったか?」

「いるだろ。ひとり」

「ワシでもない、渉でもない、砂羽でもない、篤でもない。一体、誰じゃ?」

 

 ……え?

 

「おい、尚吾。冗談きついぞ」

「なにを言っとる?」

「……キツイって」

「どうかしとるんじゃないんか」

 

 ……さて。これはどういうことだ? 何が起きている?

 

 *  *  *

 

 ガラガラと音を立て、3年3組の教室のドアが横に滑る。

 

「……おはよう」

「おはよう、渉くん!」

 

 安田だった。お手本のような笑顔を振りまいている。

 いつもの四人グループで雑談をしていた。あれ、今日は、机の上に参考書が置いてあるぞ……。

 でも、宮本さんは元気がない。瞳が沈んでいる。

 両手に包帯を巻いていた。ケガ……をしてるようには見えないんだけどな。

 

「いつも早いんだね」

「まあな。最近は、安田も早いじゃん」

「みんなで朝勉強してるんだ。もう受験だからね」

「あー、受験かーって、あれ。由香里は、まだ……来てない?」

「……?」

 

 お前は何を言ってる? そういう目。

 

「あ、別のクラスの子だった! ごめんよ」

 

 どっと、笑いが起きる。

 

「え、もしかして、ボケた? 渉くんが?」

 

 安田は俺の肩を抱いてくる。

 

「そうそう、渉くん。もっとさ、級友に心ひらいてさ」

「はは……ありがと」

 

 微妙な雰囲気のまま、自分の席へと。

 ……篤と砂羽がいる。篤は、今日も勉強か。こんな朝早くから勉強なんて、俺には絶対できない。って、おいおい、砂羽まで勉強してる。今日は太陽でも降るんじゃないのか?

 

「篤、砂羽。おはよ」

「おはよう」

「……はよ。ねえ、どうしたの? さっき、なんか、おかしかったよ」

 

 砂羽。それ以上、言うな。

 

「ゆかりって、誰?」

 

 やめろ。やめてくれ。

 篤が席を立った。俺の近くに来ると小声で喋り始める。

 

「渉。さっきの、人として正しい行動だと思うよ。でも、使用者(エッセ)一般人(エンス)が相容れることはないんだ。ずっと学んできたことだろう?」

「あ……ああ。そうだった。俺、なんかおかしいかも」

「気にするなよ。僕だって、人と交わりたい――そんな気持ちになることがある」

「……」

 

 俺は、頭を掻きながら席につく。

 

『……いや、待て待て。おかしいだろ』

 

 あるじゃないか。由香里の席が。俺のすぐ後ろに。

 

「……」

 

 ある。あるのに。

 

「どういうことだよ……」

 

 それから、いつものように朝礼が始まって、授業があって、昼飯を食って、掃除をして、終わりの会があった。

 今日は一日が早かった……ような気がする。

 由香里、由香里……由香里。

 

 *  *  *

 

 下駄箱を眺めている。

 ひとつずつ名前を確かめて、視線を移していく。

 ……誰かが後ろを通り過ぎた。

 

「あいつ、なにやってんだ?」

「あれだよあれ。変質者の見習い」

 

 気にしない。探し続ける。

 

「やっぱり、ある」

 

 汐町(しおまち)、というラベルシールが貼ってある。

 

「……」

 

 靴に履き替えて歩を進める――下駄箱を出て、駐輪場に向かう。脇にあるアルミベンチ。誰も座っていない。

 

「よし。考えよう」

 

 ベンチに腰をかけて目を閉じる。

 

「由香里は、どこにいる? わからない。見当がつかない。では、問いを変えよう。由香里は、どんなことが原因でいなくなった? 答えは……」

 

 目を見開いた。

 

「さらわれた。まず、ここから考えよう。由香里がいなくなった。いなくなると……どう困るって、説明はできないけど……とにかく、俺は困る。嫌だ……よし、次。では、見つける方法は? 見つける方法、見つける方法……まったくもって見知らぬ人間にさらわれた場合。これは手がつけられないから後に回そう。では、見知った人にさらわれた場合は?」

 

 足をぶらぶらさせる。

 天井を見上げた。打ち放しのコンクリートが視界に映る。

 

「親しい人物である可能性が高い……親しい人……篤や砂羽の可能性はゼロと考えていい。じゃ、尚吾……」

 

 あの夜の記憶が頭をもたげる。

 ベンチに座っているのが嫌になった。あの時の、具体的なシーンが脳裏に浮かんでしまう――

 いや、違う。尚吾じゃない。

 昨日、尚吾から彼女の紹介を受けたばかりじゃないか。彼女の正体は、あの夜、あいつが軽トラックで自転車ごと田んぼに突き落とした、あの娘だった。そう……塩飽縁。あの使用者(エッセ)だ。なんかもう、とんでもなく気まずい思いをしたのを覚えている。

 あの場でこっそり、勇気を出して尚吾に聞いてみたじゃないか。そしたら、大した驚きようで、『あいつはのう、ああいう過激な状況でしか興奮できんのじゃ……』って、もの悲しく言ってたじゃないか。

 あいつの胸に手を当ててみたけど、真実だった。あの娘の胸に手を当てる? できるわけねーだろ。

 ため息をつく。

 

「……それじゃ、ほかに誰がいる?」

 

 考えたくはなかった。でも、考えなくちゃいけなかった。疑わなくちゃいけなかった。

 できなかった。目を逸らしていた。恐かった。信じていた。

 骨の髄まで疑って、それでも確証がなければ、それでいいはずだった。でも、結局、疑うことすらできずにいる。今日まで、ずっと。これからも続いていくのか?

 ……身体が勝手に歩き出していたみたいだ。西の校門まで来ている。

 

「教育委員会って、どのへんにあったっけ?」

 

 東門に引き返す。歯軋りをしながら。

 

 五月の半ばにしては冷たい風が吹いている。

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