卑密の太陽   作:渡邉 実一

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#13 終わらないパズル(2)

 教育委員会の庁舎前にいる。

 敷地内には大きめのアナログ時計が設置してある。時刻は、午後五時二〇分。すぐ隣には、『ハッピーマウンテン市教育委員会』という丸めのゴシック体で書かれた案内看板がある。

 ふいに、庁舎を見上げる。

 

「……でかい」

 

 この庁舎は、通称『教育の塔』と呼ばれている。

 外観がすべて打ち放しのコンクリートという、公共施設としては珍しい、現代的な建築物……と和田先生が言っていたような気がする。実際、立派な威容といえるだろう。

 

「さてと、まずは」

 

 騒然としていた。正面玄関の前に百人以上もの群集が押しかけている。横断幕を掲げた人々が、シュプレヒコール、だっけ? を叫んでいる。

 水平委員会によるデモ活動だった。警察署や市役所の前でもやっている。学校でも。というか、どこでもやっている。

 

「差別」「対策予算」「解消」「水平委員会」「勝利を」

 

 それくらいは聞き取れる。さらに観察を続ける――

 プラカードを持った数人が建物内になだれ込もうとするのを職員達がブロックしている。が、多勢に無勢。暴力にこそ晒されていないものの、可哀想になってくる。

 彼等の争いが止まない限りは庁舎内に入れそうにない。玄関の奥にも職員らしき影がある。まごついている様子だ――もしや、こいつらが職員を退庁させまいとしている?

 

「こんなところで……! さっさと埒を開けてみやがれッ!」

 

 集団に近づくと、職員の一人と目が合った。『危ない!』と言われた気がした。

 五月蝿さは最高潮に達している。

 

「ちょっと黙ってろ」

 

 ――《アイズ・ワイド・シャット》――

 

 右手の指を前に出して、パチリと鳴らした。こんなに鬱々とした気分だと、こうでもしないとうまく発動できないから。

 ――阿鼻叫喚。そんな言葉が似合う光景だった。

 視界を失った群衆がパニックを起こしている。押し合いへし合い、雪崩のように倒れていく。

 縮こまって震えている者、どこそこへと這うように移動する者、天に祈るような格好を取る者、罵詈雑言を撒き散らす者。

 

「お、お前ら、使用者(エッセ)なんか雇いやがって! 人権、人権侵害だ!」

「喬木さんに伝えるからな! おい、職員ども!」

「あぁ、ああー、あーッ! 助けて、助けてぇっ!!」

 

 うるせえな。誰かに縋らなきゃ生きられねえカスどもが。

 由香里を。由香里を探しに来たんだ、俺は。それだけなんだよ。

 群集の波が開けた一点を通って、真正面に向かう。先ほどの職員のすぐ横を通った際に、

 

「すいません。三良坂(みらさか)さんを知りませんか?」

 

 年季の入った職員だった。すると、明瞭ではない声で、

 

「ああ……五階だよ。議事堂にいる」

 

 察した様子だった。パチンッ。概念力(ノーション)を解除するとともに、教育の塔への一歩を踏み入れる。

 

「しゃ、行くぞ!」

 

 庁舎に入った直後、眼前に見える階段を目がけて走り込んだ。

 

 *  *  *

 

 二段飛ばし。三段飛ばし。ええい、四段飛ばし。脱兎(?)の勢いで階段を昇っていく。

 最後の階段が見えてくる。

 

「よ、はっ、せいっ!」

 

 計四回のジャンプで昇り終えた。豪奢な造りの扉が見える。両開きのようだ、開け放たれている。

 

「……!」

 

 駆け込もうとした時に、ガタガタ、という椅子が床を滑るような音が聴こえた。悪意が籠もっている?

 ついにここまで来た。身を潜めて内部を覗く。

 

「すげえ……」

 

 この五階というのは、ほとんどすべてが講堂のようだ。あのおじさんの言ったとおり、まさに議事堂といったところ。

 落ち着いた暖色の絨毯が広がっている。中央には円卓が鎮座していて、真っ白いクロスが掛けてある。今しがた、ガタガタと音を立て、床面を滑ったばかりの木目調の椅子がある。

 片付けようとする動きはない――一触即発。そんな雰囲気だ。

 左側にいる、喬木議員を含めた三人が水平委員会。右側にいる、集を含めた三人が教育委員会か。

 それぞれ、緊張した面持ちで場を去ろうとしているように思えた。

 

「最後に確認しますが、どうしても地域学習会への助成金は減額するということですな!?」

 

 喬木だった。強い口調で攻めている。

 

「おっしゃるとおりです。議論の余地はありません。最後まで議論が平行線なのは残念でしたが」

 

 この声、聞いたことがある。あの夜の会議の時の、集の上司……三川、といったか。

 

「まともに学校に行けない子どももおるんですよ。地域学習会は、まだ必要性がある」

 

 喬木の隣にいる男だった。

 三川は、立ちはだかるようにして、

 

「何度も申しあげているでしょう。もうそんな時代ではないんです。貧困を理由とする不登校児は、当市においてはゼロ人です」

 

「加えて、配布資料にもありますように、」

 

 集だ。補足説明を始める。

 

「地域学習会一回ごとに、1,500円の手当が指導教員に払われています。昨年度は全部で3,500万円以上も支出している。条例や規則に根拠をもたない活動にこんな金額が。しかも成果は不明瞭ときている」

三良坂(みらさか)君! 君がそれを言うかね。君だって学習会の恩恵に預かったひとりだろう!」

 

 もう一人の喬木の側近が声を荒げる。

 

「そもそも、同和教育というのは――」

「いい大人が、議論を蒸し返すのはやめなさい!」

 

 最後に言を放ったのは、教育委員会サイドの一番奥にいる小柄な男。

 背は小さいが、なんというか、圧倒的だ。ただものじゃない。それだけはわかる。

 

「私たちが述べたことを、もう一度掻い摘んで言います。地域学習会は、一般の児童生徒を対象としていない時点で教育活動の公平性に問題があること、地域学習会で教えている講師には教職員でない者が相当数含まれており、教育の政治的中立という基本理念に反するおそれがあること、今後において大切なのは、集落内・集落外の子どもたちが普段の生活においてどれだけ仲良くなれるかであって、生活習慣の確立や学力の確保ではないこと。以上の三点です」

 

 静まる講堂。三川が続ける。

 

「えー、いま木坂教育長がおっしゃったことと関係しますが、喬木議員。先日、あなたは一人の女性教員に対して攻撃を加えましたね」

 

 和田先生のことだ。はがゆい思いが胸を締め付ける。

 

「あなた方を見ていて常々思うのですが、自分達の仲間以外に人権はないのですか。人権、人権とはおっしゃいますが、なにゆえに人権が存在するのか、なにゆえに尊重されねばならないのか。そういう根本のところの哲学が、あなたたちには欠けているように思える」

 

 人権……そういえば、授業で聞いたことがあるくらいで……人権って、そもそも何なんだろうか?

 

「はははははっ」

 

 急に喬木が笑い出した。

 

「いやいや、木坂さん。さすがはハッピーマウンテン市の教育長じゃ。かなわんのう」

 

 捨て台詞を残して、喬木と側近二名が出口へと歩き出す。階段の影に身を隠した――開かれた扉から出てくると、エレベーターに進んでいく。

 

「……」

 

 恐る恐る、階段から身を乗り出してみる。

 

「よし、いない」

 

 チャンスだ。講堂の中へと。

 

「いいから逃げてください!」

「?」

 

 集が熱弁を奮っている。直後、教育長と三川を連れ立って講堂の奥の小部屋まで走っていき、身を隠させた。

 

「集!」

「渉? どうしてここに」

「いや、集に用事があって。会いに来たんだ。どうしても相談したいことがあって」

「……チッ」

 

 舌打ち。聞き慣れた感がある。

 

「よりによって、こんな時に……」

「危険な状況なのか? 下にいる奴らが押しかけてくるとか」

「それより億倍まずい状況だ。さっきの喬木議員のあれ、どう思った」

「笑ったやつか? なんだか、いかにも強がりというか。悔しそうな感じだった」

「さっきのあれはな、フリなんだ。あの人がああいう風に去っていった場合、必ず、その日のうちに……」

「……」

「殺しに来る。具体的には、あと一分以内。あの側近を逃がしたら引き返して来るだろう――うぉっ!?」

 

 細切れの衝撃音が響き渡る。ガラスが割れた音だ。しかも――この部屋すべての。

 

「窓ガラスがっ!?」

 

 ――《神性変異(スティゾフィニア)》――

 

「なん、だ……これ……」

 

 恐怖。力が抜ける。立っていられない。ああ、思い出した。たしかこんなだった。

 

「ほら、しっかりしろ」

「えっ?」

 

 楽になった。集の手が肩に触れている。

 

強化魔法(バフ)をかけた。しばらくは大丈夫だ。しばらくはな――さあて、喬木直利。姿を見せやがれっ!」

「やれやれ。お前さん方は関係がないから、特別に配慮して……楽に死なせてやろうと思ったのに」

 

 講堂の入口を見た――喬木がいる。

 上着を脱ぎ捨てた。右手で片方の扉に触れる。

 

「は……?」

 

 あの豪奢な扉が……崩れた? いや、違う。朽ちたというべきか。

 

「教育長を引き渡せ。ならば見逃してやる。そこに隠れておるんじゃろう?」

「ふざけるんじゃねえ。うちのトップの首を誰が渡すかよ」

 

 啖呵を切った集。

 ここで、周りを見渡してみる。

 ……少しずつ、本当に少しずつ。絨毯、カーテン、円卓、椅子、壁面、扉。ありとあらゆるものが、少しずつ……腐食、している……?

 

神性変異(スティゾフィニア)は、絶対腐敗の概念力(ノーション)。あれで何千人という政敵を物理的に、そして社会的に葬ってきた。あの能力の前では、物質だろうと精神だろうと朽ち果ててしまう」

「……で、どうしてやればいいんだ? 俺達は」

「はっきり言おう。相手が悪すぎる。あいつは国府の森の利益代表者(スポンサー)の一人だからな」

「集。違うんだ。あいつをボコボコにしてもいいのか、って聞きたかった」

「……はは、渉くん。面白い冗談言うね」

「そうだろ」

 

 笑うしかなかった。

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