卑密の太陽   作:渡邉 実一

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#最終話 だけど「大丈夫」なんて嘘を

「へえ、ここが」

「どうだ、狭苦しいだろう」

「なに言ってんだ、部屋が四つもあるじゃん。俺の家より広い」

「ははは、謙遜はよせよ……って冗談にもならんな。すまん」

 

 家が狭いだの広いだの、どうでもいいことだ。

 俺はいま、集の家にいる。国道に面したマンションの十一階、その一室。

 

「これが……公務員試験の問題集?」

「そうだ。魔導技術職採用試験にも筆記試験はある。この職種は、頭の回転の遅さが死に繋がるからな。頭の鈍い奴が入ってこないようにしてるんだ」

 

 パラパラとめくってみる。

 ……図表なんかが並んでいたり、何本も数直線が引いてあったり、クソ長い文章題だったり。

 とにかく、ちんぷんかんぷんだ。

 

「これ、何点くらい取ったらいいんだ」

「70点も取れば一次試験は通過できる」

「70点で?」

「世の中、大抵の試験は70点少々を合格ラインに定めている。公務員試験も例外じゃない。ただ」

「……ただ?」

 

 集は、キッチンまで歩いて行きつつ、

 

「先ほども言ったが、公務員には頭の回転が求められる。その問題集に載ってるやつを一問につき三分ちょいで回答できなければ合格は難しい」

「あー。なんか、もう……なあ、集。俺、どうやったらハッピーマウンテン市に採用されると思う? 公務員試験なんて、俺には難関過ぎてさ」

「焦るなよ。ほら」

 

 髪の毛を掻いていると、集がお盆に載せたコーヒーを持ってくる。

 

「まあ飲め」

「ありがと」

 

 ズズズ……コーヒーを啜った。

 苦い。

 

「にっげえよ、集!」

「おいおい、高い奴なんだぞ」

「あー、あー、にがいよ、にがい。口を洗わせてくれ」

 

 その場で起立をすると、ふらふらとダイニングの中をさまよい歩く。

 

『……もうちょっとか?』

 

 心の声に留めるはずが、呟いてしまう。

 

「おおっと! ストッピング!」

 

 ふらついた俺の身体を抱き竦める。

 

「ちょっと待ってろ。ジュース用意してやるから」

 

 元の場所に座らされてしまった。

 

「ジュースってどんなやつ?」

 

 集は、カーテンレールで仕切られた先にあるキッチンの冷蔵庫へと。

 カーテンは、半分ほどが開いている。

 

「好きなのを選べ」

 

 俺もキッチンに移動する。ドカッ、という感触が肩にあった。間仕切りのカーテンにぶつかったようだ。

 中途半端に閉じられたカーテンのせいで、冷蔵庫のあたりが暗い。

 

「どれどれ」

 

 狭いキッチンだった。二人も入ると動きにくいほどには。

 冷蔵庫を覗いた……庫内の飲み物は、すべて炭酸飲料だった。

 

「……あー、ごめん。俺さ、炭酸、飲めないんだ」

「そうだったか?」

「ごめん」

「謝るなよ。歩いて行ける距離にコンビニがある」

 

 集は、それだけ言うと、玄関の方へと。

 

「じゃ、欲しい参考書選んどけよ」

 

 出て行った。扉が閉まろうとする――よし、閉まった。

 恐る恐る、玄関扉に近付いてみる。

 

「よし、いない」

 

 廊下を進んで、さっき居たリビングに入る直前で立ち止まる。

 このスライド扉の向こうがリビング。リビングとキッチンは、カーテンを挟んでひと繋がりになっている。右手に進むとトイレと浴室。一番奥に集の部屋がある。

 

「トイレは見た。浴室も見た。となると……」

 

 集の部屋へと歩いていく。

 ハンカチを握った状態で、ドアノブに触る。

 

「……」

 

 ……開いた。見たところ、変わった点はない。

 左奥にベッド、右の方には本棚、事務机、洋服箪笥など。

 目を閉じて、息を吸い込んだ。吐き出す、言霊は。

 

「デモンズトレード」

 

 呟いた。

 

「手に入れるのは――真実」

 

 発動させたはいいものの、目を開けることができない。

 もし、もし。この部屋に。もし……!

 

「……ごふっ!」

 

 勢い、ハンカチを口に当てる。

 吐血だった。これくらいの代償は、もう慣れてしまった。

 肺のあたりと、瞼の裏側がめちゃくちゃに痛い……無理もない。今日、これで三回目だからな。

 一回目は、集の家に入った直後。集の目を盗んでリビングで。二回目は浴室で。

 

「こりゃ、もう、だめかな」

 

 フラフラとしながら廊下を進んだ。

 

「あれは!」

 

 まだ調べていないところがあった。

 廊下の壁面に備え付けてある押入れだ。こんなにオシャレな収納庫、生まれてこのかた見たことがない。

 

「デモンズトレードの効力は、まだ残ってるな……よし」

 

 心臓がバクバクいっている。一歩、また一歩と。

 ギギィ……玄関の方から音がする。

 

「待て、落ち着け」

 

 建て付けが悪いのだろうか? いや、今は気にすべきじゃない……ぼうっとする頭に、渇を入れたなら――

 物置を開けた。

 

「……なにもない。すっからかん、だ……はあ」

 

 力なく手が下がる。廊下を進んでリビングに帰った。スライド扉は開いている。サッシを跨いで中へと。

 正面には、窓ガラスが見える。ここは相当な高さだ、家賃も高いのかな。

 コタツ机。その上に広がる公務員試験の参考書がたくさん。テレビのリモコンと、コーヒーカップがふたつ置いてある。カーペットの色はベージュ、落ち着いた色合いだ。しかも暖かい。高いんだろうな。

 おもむろに、机の上にあるリモコンを手に取る。

 

「使い方がわからん」

 

 カーペットに放り投げた。キッチンの方に歩き出す。

 冷蔵庫に向かっている。炭酸が飲みたくなったから。

 本当は、炭酸飲料が大好きだ。砂糖がたっぷりと入っているであろう。

 リビングとキッチンとを仕切っているのは、半分ほどが開け放たれたカーテンだ。

 

「ああ、このカーテン。さっきもぶつかりやがって」

 

 右の奥にある冷蔵庫へと歩を進めるため、カーテンを右いっぱいに、開け放った――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。由香里。

 

 ……由香里がいる。服を着ていない。生まれたままの姿。

 

「え?」

 

 手の震えが止まらない。手だけじゃない、足元だって――心臓も。

 

「え? なんでだ、由香里? なんで……片脚が無いんだ?」

「え? え? なんで?」

「おかしいだろ、なんで。なんで、そんな穏やかな顔で」

「由香里、あ、ああ、あ……なんだ、生きてる? そっか、そうだよな。ああ、」

「……見たな? 渉」

「え? ……あ……あ」

 

 振り返ると集がいた。スポーツドリンクを携えている。

 

「ああ、これな。コンビニに行かなくても、エントランスの自動販売機で売ってるんだ」

 

 笑顔だった。

 

『ああ、ありがとう。それ、もらうよ』

 

 この期に及んで、そんなことを言おうとしていた。言わなきゃならないのは、もっと別のことだろう。

 心臓の高鳴り。この動悸、この圧迫、この緊張――

 でも、この一歩を踏み出さなきゃ、たとえ死んだ後だって後悔する……に違いない。

 

「集。どうして、こんなことをしたんだ」

「ああ、それのこと?」

「どうして、片脚が無いんだ?」

「ああ、右脚? 美味しかったよ」

「……わからないな。なんでそう、平然と答えられる?」

「だって、俺、人間じゃないし。人間の肉が好きなの」

 

 いつもと変わらない。あまりにも変わらない。

 必然、込み上げてくる感情。

 

「どうして食ったんだよッ!!」

「あー。経緯から行こうか、結論から行こうか。どっちがいい」

 

 身体が動く方が早かった。

 ――突進。最速で、最短のアプローチで組み手を奪う。

 引き手ッ! 釣り手ッ! 柔道の構えが成る。両手で体幹を揺さぶるとともに、振り上がった右足が、まっすぐに膝裏へと――当たったッ!

 

「……え?」

「いや、そんなんで俺が倒せるわけないじゃん」

「ごぷっ」

 

 抜き手が左肺を刺し貫いている。『あぁ、穴が開いてるんだ』と直感する。カーペットに倒れ伏した。

 

「さて。それじゃあ、話しやすい順番でいくな。渉くんがさ、今年の四月中頃に傷害事件を起こしたよな? けれども、渉くんの指導を進んでやりたいという教師はひとりもいなかった。とーぜん、同じ使用者(エッセ)である俺にお鉢が回ってくるよな。しかしだ。渉くんがさ、思ったよりもはるかに面白い奴だった……ここまではいいか?」

 

 頭に入れようとしても、入らない。

 血が、ドバドバと流れ出ている。

 

「聞き終わる前に死にそうだな。よし、巻いていこう……そんな時、気が付いた。渉くんがさ、由香里ちゃんのこと好きなんだって。文化会館の時だ。それで、いろいろと画策して……今、この時を迎えたというわけ」

「……それ……で……結局は……なんなんだよ」

「わからないか? なんとなくでも。渉くんがさ、せっかくと俺のことを信頼してくれてるわけじゃない。それでさ、渉くんが大好きな、人生にとっての太陽である由香里ちゃんをさ、俺のものにしてさ、初めてのキスから、初めてのセックスから、殺害する権利から、血肉を食べる権利から、なにからなにまで、こうやって奪い取った後でさ、打ち明けるのは……おもしろい、ということにならないか?」

「……」

 

 涙が溢れてきた。

 目から溢れて、頬を伝って、カーペットに落ちて。

 

「というわけで、俺はお前に嘘をついていた。ひとつ。文化会館まつりの時、スタッフの動員依頼をかけただろ? あれ、嘘。普通に考えて、中学生なんか動員するわけねーだろ。由香里ちゃんの性格を把握したかったから。ふたつ。文化会館の四階が襲われた時、俺は負傷者を優先して助けたろう。あれ、嘘。負傷者なんていない。俺が幻影で作った。お前らが使用者(エッセ)として、どの程度の腕前なのか興味があったから。お前らが本当に死にそうになったら、あのデカイ奴は即座にブチ殺してたろうな。みっつ。渉くんが高森さんと戦った日だけど、あいつの召喚獣を破るのに手こずったって言ったよな。あれも嘘。わざとギリギリになって参戦した。渉くんさ、なんか能力隠し持ってるよなーって思ってたら、まさかあんな化け物じみた能力だったとは。よっつ。渉くんさ、俺が由香里ちゃんの家の玄関前で、そういうことしてるの見たよな。由香里ちゃんさ、俺にメロメロになってたよな。あれ、嘘。実は、何度も会ってるうちに、少しずつ催眠を上塗りしてたんだ。そんなわけで、俺と由香里ちゃんは、五月五日、あの文化会館まつりが終わった日の夜、初めてのラブラブセックスと相成ったわけだ。いや、なにが言いたいかって、こどもの日にこども作ってんじゃねーよって話。いや、すごかったね、布団の上の由香里ちゃんは。ちょっとばかし、しこりのある乳房。でもさ、重みがあって、それがまたいいんだ……いや、ハタから見るとラブラブセックスだったよ。動画サイトにもアップしたけど、すげえ高評価だったし。いや、でもさ、由香里ちゃんが俺に惚れてたわけじゃない。あくまで催眠。本人は、むしろ俺のことが大嫌いときてる。ここ、大事な部分。一回さ、セックスしてる時に催眠を解いたことがあるんだけど、そりゃあもう、スゴイ反応だったね。俺、感動して涙が出てしまった……

ああ、でも勘違いするなよ。由香里ちゃんの初めては俺じゃない。あの母親、水鳥さんがさ、またすごいんだ。由香里ちゃんが家に帰って来るとさ、居間に知らないオッサンがいるわけよ。それで、引き合わせて挨拶をさせる。もうわかるだろ? 実の娘を売ってるんだよ。あの子の箪笥に凄まじい数の下着があったのはそういうことだったんだな……いやぁ、俺、あまりに罪深くって射精しそうになってしまった。まあそう、心配すんなよ。俺が由香里ちゃんとセックスしたかったから、客は全員ブチ殺しておいた。ああ、あと。サービス中のキスは禁止だったみたいだ。やろうとした客がいたけど、水鳥さんが三〇発ぐらい殴って失神させてたっけ。まあ、俺には関係ないから、シラフの状態でもすぐ発情する程度にはキス調教してやったけどな。知ってるか? 由香里ちゃん、キスがめちゃくちゃ上手いんだぜ」

 

 ……話の内容は入ってこない。でも、とんでもないことを話しているのはわかる。俺はただ、こいつが、こいつが――!

 最後の力を振り絞って、立ち上がる。

 力が入らない。膝が震えている。

 

「最後、いつつめ。先週、喬木と戦った時、俺、はっきりいって苦戦してたよな。あれも嘘。やろうと思えば、一分程度でブチ殺せたよ」

「……もう、話は終わりか?」

「ああ、終わり。どうだ、なにか感想でも」

 

 ――《幻 想 変 換(デモンズトレード)》――

 

「おぉ、面白いっ! さあて、なにをやるつもりだっ?」

 

 心は、決まっている。

 

「手に入れるのは――俺の本心。俺の本当の気持ちが知りたいっ!」

「へえ、面白いね。聞かせてくれよ」

「代償は……」

 

 集の目を見つめる。涙が溢れてきた。

 

「代償は……お前の命だ。三良坂集」

「……は?」

 

 見えない、けれど確かな物理的綻びが――集の肉体に幾筋も走る。綻びのラインは、やがて真っ赤に変わって、

 ブチブチブチブチイィッ!

 

「ぎいいいいッ!」

 

 ズタズタに引き裂かれ、バラバラに砕け散っていく男を一瞥する。

 

「あ、が、やめ、や、やめてくれえええええぇッ!!」

 

 叫び声を聴いている。

 

「あ、あ……由香里、由香里」

 

 這いずり回る。由香里らしきものとの距離が詰まっていく――

 やっと、やっと辿り着いた。由香里のようなものを見る。

 

「あ、これ……死んでるんだ」

 

 由香里が死んでいること。今、初めて確信した。

 表情だけを見ると眠っているようにしか見えない。けど、存在しているんだ。生者と死者との境目が。今ここに。

 

「……」

 

 頬に触れる。

 

「……由香里。俺さ、ずっと……お前になりたかった」

 

 頬を撫でた。

 

「すげえよな。あんなに、毎朝ビシッと挨拶決めてさ。無視されるって、わかってるのに」

 

 手が頬からずり落ちる。

 

「あと、俺。国府の森に入りたい、って言ってたじゃん。嘘なんだ、あれ。本当は、自殺したかった……あいつらには見抜かれてたよな。笑える……なあ、由香里。進学するとかさ、就職するとかさ、家の仕事を手伝うとかさ、色々と進路があるじゃん? だったらさ、その中にさ、自殺、っていう進路があってもいいんじゃないかって。そう考えてたんだ」

 

 由香里の瞼を見つめる。

 

「ごめん」

 

 由香里だったものに触れようとする。

 

「うっぐっ……!」

 

 やっぱり。左の肺に穴が開いてる。なんでまだ生きてるんだ?

 

「あ、あ……」

 

 さよなら、由香里。

 

「あー、痛かった。渉くん。俺、死ぬかと思ったよ」

「うそ……だろ……」

 

 振り向かずともわかる。当前のようにそこに立っている。

 

「残念。俺は、お前の大事なものじゃなかったみたいだ」

「う……」

 

 集の肉体。冷蔵庫の扉に映っている。まだ左半身が戻っていない。

 けど、みるみるうちに肉体だったものが集まっていく。

 俺は目を閉じる。

 

「……」

「さーて。それじゃあ終わりにするか」

「……」

「ん、どーした? もしや、絶望とか通り越して、むしろハッピーに? そんなわけないよな。でも、渉くんなら」

「……」

 

 集が攻撃をしてこないのは……俺を恐れているからだ。

 そうだ。集は、いま死にかけた。万全でない状況で攻撃を仕掛けることはないと考えていい。

 少しだけど、時間はある。

 

「おいおい、渉くん。無視はやめようよ」

「……」

 

 何をすればいい? いや、何をすべきだ? 俺は何がしたい? 何をやりたい?

 それがないなら、この場で死ぬべきだ。

 ――それがないんなら、この場で死ぬべきだ。

 

「冷たいね。死線をくぐった仲じゃん、俺達」

「……」

 

 罪。今、思いついたばかりの、罪。

 

「じゃ、そろそろいこう……渉。楽しかったよ……またな」

 

 目を見開いた。冷蔵庫に映った影――左手が変形して、水晶色の鋭利な物体と化している。

 

「なあ、集」

「どうした? 渉」

「ありがとう」

「……何が?」

 

 ――《幻 想 変 換(デモンズトレード)》――

 

「俺の願いを、叶えてくれて……しかも、ふたつ」

「チッ」

 

 斬突が飛んでくる。

 その刃は、俺の心臓をまっすぐに刺し貫いた後、ただ虚しく宙にあるばかりの存在となった。

 ――俺は、生きている。だって、俺の体は、もうこの世界にはないから。

 

『手に入れるのは……由香里』

「……は? 嘘だろ」

『代償は――俺の命』

「ハハッ」

 

 こりゃあなんだ? 理屈じゃねえ、何が起きてやがる? 細かな粒子と化した渉の体が……由香里ちゃんの中に入っていくだとッ!?

 一つになろうとする肉体。頭、首、肩、胸、胴体、手足、指――  

 

「……!」

 

 欠けていた右脚が凄まじい速度で再生している。肉体の張りも瑞々しく。この二人の身体が正しく歪み続けている。

 

「笑うしかねーだろ、こんなの」

 

 そして再構成を終えた体――その目がゆっくりと見開いた。

 

「……」

 

 仰向けの姿勢から、だるそうに上体を起こす。

 床に指を立てつつ、膝を曲げる。

 すっくと立ち上がった、その肉体は、紛れもない――汐町由香里(しおまちゆかり)のもの。

 

「これが、由香里の……からだ」

 

 周りを見渡している。

 

「……」

 

 名状しがたい表情、としか言いようがない。

 

「これが、由香里の……こころ」

 

 心臓に手を当てた。その鼓動を確かめるように。

 

「……ああ、やっとだ、やっと解放された。強い人間に……なったんだ……!」

「あ、あぁ。その……よかったな。おめでとう」

「……」

 

 声が止まる。何も言わなくなった。

 

「お、おい……?」

 

 俺のすぐ横を通り過ぎたその女は、いま下の自動販売機で買ってきたばかりの飲み物が床に転がっているのを確かめる。

 躊躇はなかった。その女が蹴っ飛ばしたペットボトルは、そこらへんの壁にぶつかって、べコッ、という音とともに俺の方へと跳ね返ってきた――たった、それだけのこと。

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