「おし、準備物の搬入は間に合った。道ノ上くん、朝礼は間に合いそうな感じ?」
「なんとか」
「午後の部は、三時半からやるからな」
「はいよ」
時刻は、午前八時十五分。いつもなら登校しているはずの時間。
大急ぎで着替えを済ませ(トイレに隠しておいた)、下駄箱へと走り込んで、三段飛ばしで階段を昇り、渡り廊下を疾走する。
……教室の前にいる。この中は、いつもざわついている。こんな狭いところに四十人以上が在籍しているというのもあるけど、本質は、おそらくそこにはない。
授業中だろうが休憩中だろうが関係ない。とにかく、うるさいのだ。どこの学校でもこんなものなんだろうか? 敷居を跨いだなら、そそくさと自分の席へと。
「……みんな、おはよう」
「おはよっ!」
「渉、おはよう」
「……はよ」
篤を見る。まだ、傷が少し残っている。
あれから、特に何も言ってくることはなかった。でも、それは篤の性格を考えれば当然で。いちいち何かを伝える必要はないと思っているだろうし、俺にしてもそうだ。
と、ここで由香里が、いつものように、
「……あっれ~、渉? 教室に入る時、『おはよう』って挨拶した?」
きやがった。にんまりとしている。
これだから嫌なんだ。由香里より遅い時間に登校するのが。
「してないけど」
「しようよ」
「……あのさ、由香里。正味な話、ツラくないか? 毎日さ、挨拶してさ、それでもさ。今の状況だろう」
「あたしは大丈夫よ。気になんないし」
『大丈夫』ってなんだよ。わけわかんねーよ。
いちいち強すぎるんだよ。
「ほら、渉。やりなおして。教室に入るところから」
しぶしぶと教室の入口に戻った。ご丁寧にカバンまで持って。
――ふたたび、わが3-3クラスに足を踏み入れる。
すぐ近くに、四人のグループがいた。男ふたりに女ふたり。このクラスの中心人物たち……だと俺は思っている。
授業中、景気のいい冗談をどんどんと先生にぶつけて、クラス中の笑いを誘いまくっている。運動会でも合唱コンクールでも、こいつらがクラスを引っ張ってきた。
「おはよーございますっ!」
ああ、馬鹿みてえ。でも、やり遂げてやった。
「……」
わかっている。
俺達に挨拶なんて返す者は、このクラスにはひとりも――
「おはよう、道ノ上くん」
「……おう。おはよう……ええと、安田……くん?」
こんなこと、初めてだ。いまだかつて経験がない。しかも、今のは安田といって、この集団内でもリーダーシップを取りまくっている人物である。
――凄まじい視線を感じる。由香里のものであるのは間違いない。この後、いったいどう反応してやればよいのだろう。
おずおずと、自分の席に帰るのだった。視線を感じながら。
「なあ、由香里」
「……」
由香里は、ただ俯いて、じっとしていた。なんだ、もっとその、大喜びすると思っていた。
いつもと変わった面差しだった。照れているようで、しかしながら、落ち着きのあるというか。
零れ落ちそうな笑みが眩しい――途端、ハッと我に返ったようになり、こちらを振り向くのだった。
「ねえねえ、渉。そういえばさあ。さっき、外でなにやってたの? 面白いこと?」
「これから面白くなるかも」
しばしの沈黙。
「……面白くないのに、どうしてやってるの?」
「砂羽。わかって言ってるな、お前」
「……ねえ、渉。花壇づくり楽しい?」
「たのしーよっ! もうすでに筋肉痛だし。ひとつ何十キロの袋、どんだけ運ばせるんだよ」
「楽しそうだね」
ニッコリとした微笑み。砂羽にしては珍しい。
「……」
篤は、無言を貫いている。参考書を読んでいた。
聞いているらしい感じはわかる。
「ねえ、渉。あたしも手伝っていい?」
由香里が、いたずらっぽい笑みとともに聞いてくる。
「だめ」
「なんで?」
「なんでも」
「なんでよ、いいじゃん」
「どうしてもだめ」
「ねえねえねえ、な・ん・で~~?」
「俺のこと嫌いになったんじゃないの」
「そんなことないよ。渉、篤のために頑張ったんだよね」
「こないだと言ってること違うじゃねーか」
「女の心は、千切れ雲なんだよ。千切れたり集まったりして、そんな心のカケラを……」
ああ、くそ。
ほんとにつえーな、お前は。
「悪いな、由香里。これは……あれだよ、『仕事』なんだ。おっ、和田先生」
すりガラスの向こうに影が見えた。それだけでも相手がわかる。なんとなく、影が揺れている感じというか、そんなので。
やっぱり、和田先生だった。粛々とした歩調で教室に入ってくる。
HRが始まろうとしている。
「みんな。朝礼を始める前に、連絡事項があります」
教室は、騒がしいまま。
「みんな、聞いて。大事な話です」
教室は、騒がしいまま。
が、少しばかり静かになった。ような気がする。
「……」
やっぱり、うるさいままだ。しかしながら、和田先生は、ただじっと教壇の前に立ってクラスの様子を伺うのみ。「静かにしなさい」とは言わない。
「……」
そろそろだろうか。あ、そうだ、今だ――ざわつきが止んだ。一瞬だった。
そう。「静かに」なんて言わなくても、勝手に話が止むのだ。どうやら、そういうタイミングがあるらしい。
「はい、それでは連絡です……一週間前にケガをした箱田くんですが、もう少しの養生が必要ということです。仲間の復帰を願って、もう少し待ちましょう」
箱田の話だった。
不良たちの方をチラリと眺める。いたたまれない様子かと思いきや、そうでもない。普通にお喋りをしている。
ふと、そのひとりと目が合いそうになった。凄まじい勢いで視線を逸らされてしまう。
「……じゃね?」
誰かが、呟いた。「戻ってこなくていいんじゃね?」と。
「いま、なんて言ったの!?」
天を突くような声。
教室内の空気がピシャリと締まり、声を上げる者がいなくなる。
「ねえ、みんな。想像してみて。大きなケガをして学校に来ることができない時、そんなことを言われたらなんて思う?」
先ほどとはうって変わって、山肌を撫でるような温かみのある声。
教壇に両手をついて、クラス全員に訴えかけるように言を続ける。
「箱田くんは帰ってきます。その時はみんな……ううん、先生言わない。みんなわかってるよね、どうしたらいいのか。信じてる」