俺の彼女が120円だった件   作:守田野圭二

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五日目(土) 米倉梅がエースだった件

「キミは相変わらずギリギリの重役出勤だね」

「ちょっと待て阿久津。お前は五分前行動をギリギリと言うのか?」

「五分前は五分前でも部活動開始じゃなくて、試合開始の五分前だろう?」

「えっ? お前そんな早く来てたのっ?」

「練習が始まる前に見学する旨を伝えないと、迷惑になると思わないかい?」

「確かに…………何か悪かったな」

「別に構わないよ」

 

 体育館を使う部活動や生徒会でもない限り立ち入ることは滅多にない二階のギャラリーで、阿久津はこちらへ視線を合わせずに素っ気なく応える。

 

「どうしたんだい? そんなにキョロキョロして」

「いや……前にお前から聞いた話じゃ、この二階って虫の巣窟って聞いたからよ」

「それは夏の話だね。窓を開けても地獄みたいに暑い体育館。そこらの木々から蝉やら蜂が飛び込んでくるけど、灼熱の空間で干上がって勝手に死んでいくのさ」

「生々しいなおい」

 

 残暑から秋へと移り変わる季節だが、今日が涼しくて本当に良かった。しかし実は虫が苦手とか、そういうか弱い一面もないなんて……流石ですわお姉様!

 チラリと少女を見れば、ハンチング帽の下から伸びる長い髪。カーティガンを羽織った上半身はやっぱり胸を含めてスラっとしており、ジーンズを穿いた下半身はスカート姿より脚の細さが際立っていた。

 所謂ボーイッシュな格好という奴だが、普通に似合っていると思う。まあ感覚的な良し悪しなんて千差万別だし、正直ファッションはよくわからない。

 

「ボクをジロジロと見る暇があるなら、梅君を視界に入れてくれないかい?」

「そんなに凝視した覚えはない。人を変態扱いするな」

「キミの場合、変態というより変人の方が相応しいかな。作文的な意味でね」

「あれは才能と呼ぶべきだ。ほら、俺AB型だし。天才なんだよ」

「天才と変人は紙一重と言うけれど、キミの場合は天災違いな上に人災だろう? 見た者の腹筋を崩壊に至らしめる災厄だね。御蔭様でボクは二日続けて筋肉痛だよ」

「笑い過ぎだろっ?」

 

 もういっそ世界平和とかに役立つんじゃね? 俺の作文。

 棒付き飴を咥えた阿久津と話していると、ようやく試合が始まりそうな雰囲気を見せ始める。試合と言っても、今日だけで何試合も行われる最初の一戦に過ぎないが。

 ジャージの上からビブスを着た女子達がコートに集まる中、友達らしき女の子と話していた梅が俺の方を指差した後で、こちらを見上げ手を振ってきた。

 

『あれが梅のお兄ちゃん?』

『何か普通だね』

 

 聞こえてるぞ友人B。普通で悪かったな。

 何なら今から髪をモヒカンにして、ヒャッハーな世紀末兄になってやろうか。そう思いながらも大っぴらに応えるのは恥ずかしいので、小さく掌を見せるだけに留める。

 

「ミナちゃん先輩は、中身も入れると普通以下だって言ってるけどね」

「………………(チラリ)」

「何だい? そんな目でボクを見られても、通知表的には合っているだろう?」

「学力以外にも大切なものは世の中にいっぱいある! 愛とか勇気とか――」

「キミに愛や勇気があるのなら、是非見せて欲しいものだね」

 

 とりあえず隣にいたコイツから消毒すべきかもしれない。ってか妹のバスケを観戦しに来ただけの筈なのに、何でこんなに胸を痛めてるんだろう俺。

 その昔『愛と勇気だけが友達とかダサい』って笑ってた頃が懐かしい。でも実はエンディングで『アソパソマソはキミさ』って予言してるんだよな、あの歌。

 

『整列!』

 

 笛が鳴り中央のサークルに集まった十人がお互いに礼。元気な声でお願いしますと挨拶するだけで、いかにもスポーツマンな青春という空気を感じる。

 我らが黒谷南中の相手は黒谷中。名を轟かせるスーパールーキーなんて当然いないし、体格に特徴ある子すらいない。ジャンプボールを飛ぶ双方の身長も同じくらいだ。

 

「実況は櫻、解説は元部長の阿久津さんでお送りします」

「静かにしてくれないかい?」

「…………以上、黒谷南中の体育館ギャラリーよりお伝え致しました」

 

 ボールが高々と投げられる。

 二人のセンターが跳び上がり、弾かれたボールは南中ボールになった。

 相手が戻り始める前に、素早くパスが繋がる。

 

『ナイッシューッ!』

「ハンズアップ!」

『『『『はいっ!』』』』

 

 自陣コートへ戻った梅が声を出すと、守りについた残りの四人が応え手を上げた。

 ドリブルしながらボールを運んできた相手は、マークを避けつつパスを回す。

 

『鉄壁防御のディフェンスディフェンス! ディフェンスディフェンス!』

『シューッ! シューッ! シューッ!』

 

 コートの外では双方の一年生、そしてスタメンではない二年生達が声を上げ、手を叩いたり足を踏み鳴らしたりと応援合戦が始まった。

 阿久津にもこんな時期があったのかとチラリと横目で見れば、少女は俺に目もくれることなくボールの行き先を集中して眺めている。

 

「…………………………」

 

 真剣に後輩達を眺めている横顔。普段あまり見かけない綺麗な表情を目の当たりにして、数秒の間だが見惚れていたことに気付く。

 正直ドキッとしてしまった自分を戒めつつ、俺は黙って試合を見届けるのだった。

 

 

 

 ★★★

 

 

 

『ビーッ!』

 

 流れるように相手のゴールが決まった後で、小さい薄型テレビみたいなタイマーの表示が0になりブザー音が鳴り響く。

 一クォーターは八分間だが、これで八、九回程やっただろうか。勿論梅が出突っ張りなんてことはなく、時折控えメンバーや一年生の練習試合も行われていた。

 

「ちょっと行ってくる。すぐ戻るわ」

 

 試合自体も半分以上は勝ってるし、梅の奴も緊張なんてすっかり解れただろう。

 退屈で欠伸が出そうだった俺は阿久津に声を掛け、ギャラリーから降りると気分転換に外へ出る。あまり良い思い出はないが、半年振りの母校だし少し見て回るか。

 

「?」

 

 行き先を考える中で、白いワンピースを着た少女が視界に入る。ギャラリーからも入口を通してギリギリ見える位置にいたため、試合を見ていたことは知っていた。

 上からは帽子で顔が見えなかったが、普通に考えれば阿久津同様バスケ部の関係者。俺が関わるような相手でもなく、声を掛ける気なんて毛頭ない。

 

「「…………え?」」

 

 気付いたのは、全くの同時だった。

 向こうも驚いたらしく、お互いの声が重なる。

 つばの広い帽子の下に隠れていた顔は、何度も見た店員の真新しい姿。

 

「米倉君……?」

「夢野…………さん?」

 

 名前を呼ばれた少女は、ニッコリと笑顔を見せた。

 普段見せていた営業スマイルは、どうやら彼女にとって自然な笑顔だったらしい。

 

「こんにちは」

「え? あ、ああ……こんにちは……」

「そっか。南中って米倉君のいた中学校だったんだね」

 

 植えられた木を背景に、画になりそうな少女は帽子を脱ぐ。

 普段と違い髪を結んでおらず、梅より少し長いセミロングの髪が風で揺れた。

 

「私の妹、黒谷中のバスケット部なんだ」

「妹……? じゃあ今日は応援に?」

「ううん。道案内してきたの。ちょっと用事があって部活に遅れたら、集合時間に間に合わなかったんだって。それで南中の場所がわからないって言うから」

 

 そういえば一人遅れて来た子がいたっけな。

 入口の傍で休憩していた、7番のビブスを付けた相手チームの女の子をチラリと見る。確かに言われてみれば、目の前にいる少女と似ていなくもない。

 

「米倉君は?」

「へ…………? いやいやいやいやっ! 違うからっ! アイツは彼女とかじゃなくて男女間の友情は存在する会の会長だからっ! ほら、俺もその副会長だしっ?」

 

 いつから副会長になったのかは聞かないで欲しい。

 意味不明な弁明を聞いていた少女は、ポカーンとした後でくすりと笑った。

 

「米倉君って、やっぱり面白いね」

「と、とにかく違うんだよ! アイツはバスケ部のOGで、俺が来たのは妹の応援!」

「妹さんって、ひょっとして4番の子?」

「えっ? そ、そうだけど、何で……?」

「何となくだよ。目元とか、米倉君に似てるかなって」

「へ、へえー」

 

 そんなの今までに一度も言われたことがない。

 寧ろ姉妹二人が美少女と呼ばれたのに対して、俺は微妙者と呼ばれてたし。一人だけ拾い子じゃないかなんて、親戚から茶化されたこともあった気がする。

 

「………………」

「……………………」

 

 そして訪れる沈黙。こういうとき、どんな話をすればいいかわからないの……。

 

(笑えばいいと思うよ)

 

 梅曰く、俺の作り笑いはキモいらしいので却下。

 向こうが色々と話題を振ってくれるのに、こちらはさっきから受け答えしかしてない。こんなことなら本屋で売ってる『困ったときの会話術』とか買っておけば良かった。

 

「そ、そういえば、今日は髪の毛、下ろしてるんだ?」

 

 苦労の末に、真っ白な脳から引きずり出してきた無難な話題。些細な変化を意識する女の子には効果ありだったようで、少女はその髪を見せるように首を傾げる。

 

「うん。どうかな?」

「似合ってると思うけど……あ! に、似合ってるよ!」

「けど?」

 

 無意識に口が滑ってしまい自爆した。

 余計な二文字に反応した少女は、わざとらしく俺に聞き返す。

 

「けーどー?」

 

 最早言い逃れはできそうにない。

 普段の落ち着いた接客姿しか見ていないため、彼女のこうした子供っぽい一面にギャップを感じつつも、誤魔化すのは無理と観念して正直に答えた。

 

「えっと…………お、俺的には、普段の方が好きかな…………なんて……」

 

 女心がわかってないと言われても仕方ない。

 少女は頬を膨らませてから、小さく微笑んだ後で手首に通していた髪ゴムを外す。

 

「ちょっと持ってて貰ってもいいかな?」

「え? あ、はい」

 

 変に丁寧な返事をしつつ渡された帽子を受け取ると、サラサラ揺れる髪を掬い取った少女は慣れた手つきで後ろに結んだ。

 いつも見ている普段の髪型だが、コンビニの服とも制服ともまた違う華やかさ。着ている洋服が違うだけで、こんなにも代わり映えするものかと目を疑う。

 

「これでどう?」

「うん。やっぱそっちの方が似合ってる」

「そっか。ありがとう」

 

 帽子を手にした少女は、正に純真無垢な表情で笑いかけてくれた。

 思わず心臓が高鳴るものの、その心の奥では隠しきれないモヤモヤが残っている。

 

「値札の件、聞かないんだね」

 

 先に核心へ触れたのは彼女の方だった。

 聞いて良いのか躊躇っていた話題だけに、驚くことはなく落ち着いて答える。

 

「何か意味があると思ってさ。でも、もし単なるミスだったら恥ずかしいかなって」

「優しいね、米倉君は」

 

 そんなことはない。

 勇気がなければ記憶もない、ただの心が小さな愚か者だ。

 

「最初は偶然だったんだ。知らない間にくっついちゃったみたい。米倉君が変な顔してたから不思議だったけど、すぐ店長さんに言われて気付いたの。凄く恥ずかしかった」

「じゃあ、最初以外は?」

「うん。わざとだよ」

 

 躊躇いの一つもない即答だった。

 純真無垢だった微笑みが、それだけで悪戯っ子みたいに見えてくるから不思議である。

 

「そもそもネームプレートに貼りつくなんてこと、滅多に起こらないから。ほら、コンビニで値札を貼るような商品って限られてるし」

「言われてみれば……」

「だから次の日もその次の日も、米倉君が来た時だけ値札を付けてたの。米倉君が挙動不審になるのが面白くて……あ、生卵に割り箸は最高だったよ」

「ってことは、お釣りが120円だった時も……?」

「あれは不可抗力かな? 最初は私も気付いてなくて、ちょっとしてから値札のことを言ってくれたんだってわかったんだけど、米倉君凄い顔してたから」

 

 変な顔とか凄い顔って、一体どんな顔を見せてたんだよ俺。

 生き生きと語っていた少女は、ふうっと息を吐いた後で視線を下げる。

 

「でもね、もう止めるつもりだったんだ」

「止めるって……バイトを?」

「ううん、値札のこと。いつまでも米倉君に迷惑掛けるのは悪いし、会えただけでも充分嬉しかったから。もう私のことは、ただの間抜けな店員さん扱いで良いかなって」

「…………」

 

 あの時、じゃあねと呟いた理由。

 もし今日こうして会わなければ、俺が彼女と話す機会はなかったかもしれない。

 

「あはは……改めてこうやって話しても、米倉君からすれば私が名前を知ってることも変な話だよね。葵君っているでしょ? 私も屋代の生徒で、彼と同じ音楽部なんだ」

 

 彼女は語る。

 葵から面白い人だと聞き、数学棟に名前も貼り出されていた俺に興味を持ったと。

 あの日アルバムを調べてなかったら、恐らくこの話を真に受けていたかもしれない。

 

「…………それだけ?」

「うん、それだけだよ」

 

 嘘だ。

 確認を取っても、少女の口からは偽りの答えしか返ってこなかった。

 

「学校で会った時は宜しくね。じゃあ――――」

 

 未だに核心は掴んでいない。

 彼女がそこまでして、自分のことを気付かせようとした真意を知らない。

 しかしそれでも、今言わなければ駄目な気がした。

 

「……………………同じ幼稚園にいたからじゃなくて?」

「えっ?」

 

 去りかけた少女が振り返る。

 俺から思わぬ単語が出たことに驚きつつ、改めて確認するように彼女は尋ねてきた。

 

「…………幼稚園のこと。覚えてたの?」

「いや……本当に悪いと思うけど、正直何も覚えてない。俺のことを知ってるってわかった一昨日の夜に、片っ端からアルバムを探して見つけたんだ」

「そっか。そうだよね……」

 

 初めて彼女が、いつもと違う笑顔を見せる。

 それはとても悲しそうで、今にも消えてしまいそうな儚い苦笑だった。

 そんな表情にさせてしまった原因が自分であると思うと、何だか胸が苦しくなる。

 

「でも、わざわざ探してくれたんだ……それなら……」

 

 それなら、一体何なのか。

 少女の小さな呟きは聞こえていたが、あえて尋ねはしなかった。

 

「じゃあ私、そろそろ行くね」

 

 体育館の中で、新たなクォーターが始まる。

 ボールが高々と投げられ応援合戦が巻き起こると、彼女は手にしていた帽子を被った。

 

「バイバイ、米倉君」

「ああ、また……」

 

 次に会う保証もないのに、俺はそんな言葉を口にする。

 最後にいつもの笑顔を見せた少女は、手を振った後で去っていった。

 残されたのは手を振り返す小心者と、虚しく響き渡るバスケ部の声。

 

「綺麗な女の子じゃないか」

 

 そして木陰から現れた、ハンチング帽の大魔王だった。


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