俺の彼女が120円だった件   作:守田野圭二

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四日目(金) 夢野が眠そうだった件

「ネック、ちょっといい?」

「ん? 何だ?」

「何だかユメノン凄く眠そうだから、一緒に釉薬掛けしてあげてくれない?」

 

 俺の元へやってきた火水木が、珍しく声を抑えつつ囁く。

 チラリと夢野の方を見れば確かに作業をこなしてはいるものの、どこか気の抜けた様子でボーっとしている。スローな動きは覚束なく、見ていて不安になるのも納得だ。

 

「アンタが一緒なら、面白トークで少しは目も覚めると思うから」

「ハードル上げるなって。まあ了解だ」

「うん。宜しくね」

 

 先日の風呂あがり事件を気にしている様子もなく、普通に声を掛け頼られたことに一安心する。ようやく阿久津と元通りになったのに、ここで火水木と険悪にでもなったりしたら流石に気まずすぎるもんな。

 十リットルは入りそうな大きなバケツを前に屈み、湯呑を持っていた夢野の元へ。少女は俺に気付かずウトウトしており、こっくりこっくりと船を漕いでいた。

 やがて湯呑は夢野の手から零れ落ち、トロトロの釉薬へトプンと音を立ててダイブ。我に返った少女はハッとした顔を浮かべる中、その様子を見ていた俺は思わず笑う。

 

「恥ずかしいところ見られちゃったね」

「浸し掛け、流し掛け、吹き掛け、塗り掛けに続く、新しい釉薬の掛け方だろ?」

「ふふ。じゃあそういうことにしよっかな」

「名前は……落とし掛けってところか?」

「でもこの方法だと、顔とかにも撥ねちゃいそう」

「まあ水で簡単に洗い流せるけどな。夢野も顔洗ってきた方が良さそうだぞ」

「嘘っ? 付いてるっ?」

「いや、眠そうだったからさ」

「もう!」

 

 クスクスと笑い合いながら、作品を釉薬にササッと浸していく。夢野も少しは目が覚めたらしく、俺の掛け方を眺めながらスムーズに釉薬を掛け始めた。

 

「寝不足か?」

「うん。最近色々忙しくて」

「後で電気窯で焼くことだってできるから、無理に今日やらなくても良いんだぞ? それにさっき阿久津も言ってたけど、夕方からでも充分間に合うし」

 

「ううん、大丈夫。それにこの後もちょっと用事があって……」

「バイトか?」

「ううん。別のこと」

「そうか。そういや文化祭だけど、そっちは牛丼屋なんだって?」

「うん。米倉君の所は?」

「こっちはオカマ喫茶だな」

「えっ? じゃあ米倉君もオカマになるの?」

「全力で陶芸部の店番に逃げるつもりだ」

「えー?」

 

 詳しい事情は聞かないまま、他愛ない話をしつつ作業をこなしていく。

 別の釉薬を掛けるため移動する頃になると夢野もすっかり普段通り元気になっており、冬雪や火水木といった他の面々とも雑談をしながら俺達は作業を進めていった。

 

「おっ? 先輩先輩っ! 何か怪しげな釉薬見つけたッス!」

「ん?」

「ほらこれっ! きれいな青って書いてあったっぽいんスけど、×で消してある上に物凄い灰色って書いてあるんスよ。かなりハイセンスな名前じゃないッスか?」

「どう見ても胡散臭い名前でぃす」

「ああ、それな。ぶっちゃけ綺麗でも物凄くもない普通の灰色に……って、ちょっと待てよ? なあ冬雪、あれも還元なら綺麗な青になる可能性があるのか?」

「……かもしれない」

「だってよ。使いたければ混ぜてみたらどうだ?」

「うッス! やってみるッス! どっちになるんスかね?」

 

 去年の秋のように干上がっているなんてことはないが、すっかり沈殿してしまっている釉薬を混ぜ始めるテツ。さしずめあの時の俺はこんな風に見られてたんだろうな。

 作り上げた作品数には差があるため、夢野や早乙女の釉薬掛けが一早く終了。俺も釉薬を垂らしたり筆を使って簡単な模様を描いたりと、工夫を交ぜつつ作業を終えた。

 

「……ヨネ。ちょっと手伝ってほしい」

「おう。何だ?」

「……釉掛けするから、一旦陶芸室に運ぶ」

 

 そう言って冬雪が指さしたのは豪邸とかに置いてありそうな胴体サイズはある大きな壺。俺の知らない間に、こんな大作を作っていたとは驚きである。

 

「あれ、冬雪の作品だったのかよ。いつの間に作ったんだ?」

「……夏休み中。来年はヨネ達も全員、一人一個は大きな作品を制作すること」

「マジですか?」

「……マジ」

 

 確かに今回大きな作品を制作したのは、冬雪以外に阿久津だけ。その幼馴染も作り上げた大皿に釉薬を流し掛けするため、後輩に手伝ってもらっていた。

 

「つーかこれ、どうやって釉薬掛けるんだ?」

「……スプレーで噴きかける」

「ってことは、終わったらまたこっちに戻す訳か。運ぶ時にうっかり割りそうで怖いな」

「ネック先輩! 割ったら切腹ッスよ!」

「……物はいつか壊れるから、その時は仕方ない」

「達観し過ぎだろっ?」

 

 運ぶリスクはあるものの、確かにこの窯場で作業するのは少し厳しい。エアコンなんて無いから蒸し暑いし、何より物がごちゃごちゃしており狭すぎる。

 大皿を大事そうに抱える早乙女を横目で眺めつつ、冬雪と息を合わせて壺を陶芸室へ。タイミング良くやってきた伊東(いとう)先生から足元に注意してくださいと連呼される中、電動ろくろの上まで無事に運び終えた。

 

「ふう。こんな感じで大丈夫か?」

「……ありがとう」

「おう」

「……窯入れはやっておくから、ヨネは夜に備えてほしい」

「そうだな。ちょっと休ませてもらうわ。何かあったら起こしてくれ」

「……(コクリ)」

 

 数十分程度のうたた寝なら突っ伏すだけで充分だが、昨年の失敗を繰り返す訳にはいかない。夜に備えて数時間の熟睡するためにも、ここは横になっておきたいところだ。

 準備室もとい仮眠室はクーラーが効いていないため、俺が事前に用意したのはクラスにあったダンボールの余り。これを陶芸室の隅に敷くのではなく筒状に組み立て、人目の気にならない簡易式の寝床を作成すると中へ潜り込む。

 テツ達が戻ってくれば多少騒がしくなるだろうが、ある程度ならイヤホンで遮断できるだろう。悪くない寝心地を確認した後で、寝る前にトイレと陶芸室を出た。

 

「お? いよぉ。久し振りだなぁ」

 

 不意に声を掛けられる。

 どこかで聞いたことがあるものの、思い出せない声の主。

 振り返った俺の前にいたのは、長身で割とイケメンな男だった。

 

「…………?」

 

 明らかに校則に引っ掛かりそうな、金髪に染め上げたツンツン頭に見覚えは無い。

 耳にはピアスを付けており、着ている私服からはチャラそうな印象を受ける。

 

「っ!」

 

 最初は誰かわからなかったが、やがて俺は驚き目を見開く。

 以前に見た時は黒髪かつ、制服姿だったため気付かなかった。

 

「た、(たちばな)先輩…………?」

 

 そこにいたのは、陶芸部を自由な部活にした開祖の男。

 かつて阿久津に告白をしたことのある、三日も過ごせば面倒と噂されていた先輩だった。


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