俺の彼女が120円だった件   作:守田野圭二

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十四日目(月) 夢野の旧姓が土浦だった件

「あっ、いえ、そんなに重い病気とかじゃないんで大丈夫です。来週には退院しますし」

「それなら良かったけど…………入院って、いつ頃からしてたんだ?」

「えっと……丁度私が大会の日だったので、一ヶ月ちょっと前ですね」

 

 大会の日…………。

 あの日は確か、俺が夢野と一緒に梅や望ちゃんの応援に行って――――。

 

 

 

『良かったら涼みがてら、どこかで軽く食べない?』

 

『もしもし? はい……はい……えっ?』

 

『ごめん米倉君! ちょっと急用ができちゃったから、私先に帰るね』

 

『本当にごめんね』

 

 

 

 …………もしかして、あの時の電話がそうだったんだろうか。

 一ヶ月前のことを思い出しながらも、望ちゃんの話の続きを聞く。

 

「お姉ちゃん、本当は陶芸部の合宿も休もうとしてたんです。でも一年に一度だけなんだし、あんなに楽しみにしてたんだから行って来なさいってお母さんに言われて……」

「…………」

「だから合宿が終わった後は、お母さんの分も頑張ろうってはりきっちゃって。私達の御飯を作ったり、アルバイトのシフトも前より増やしたり、お母さんのお見舞いにも行ったりして、それで…………」

 

 道理で陶芸部にも音楽部にも顔を出していなかった訳だと納得する。疲れていた理由はバイトだけじゃなく、ましてや文化祭の準備なんかではなかった。

 この前の釉薬掛けの日も午後は用事があると言って帰っていたが、もしかしたらあれも母親のお見舞いに行っていたのかもしれない。

 

「お父さんは仕事で帰りが遅いですし、私は勉強に集中しなさいってお姉ちゃんに言われて……でもこんなことになるなら、やっぱり私も手伝うべきでした」

「!」

 

 お父さん。

 そのワードを聞いて、和室で見た仏壇が脳裏をよぎる。

 パッと見た限り、写真は置かれていなかった。

 それなのにどうして祖父や祖母ではなく、父親の仏壇であると考えたのか。

 望ちゃんが図書館から戻ってくるまでの間、今更になって思い出したことがあった。

 

『それとキミは気にしていないか、はたまた忘れているのかもしれないけれど、蕾君には大きな謎が一つ残っているからね』

 

 恐らく阿久津はこのことに気付いていた……いや、覚えていたんだろう。

 一体俺が、どういう経緯で夢野と知り合ったのか。

 どうやって彼女のことを思い出したのか。

 夢野との距離が縮まる中で、俺は大切なことをすっかり忘れていた。

 

 

 

『あ~っ! 信じてないでしょっ? これでも梅はお兄ちゃんをぬか喜びさせないように気を遣って、夢野じゃない蕾さんを見つけても報告しないであげたのに』

『それ以前に余計な報告が多すぎだっての。第一夢野じゃない蕾さんって何だよ?』

『えっと、確か……土浦……だったかな?』

 

 

 

 夢野蕾。

 旧姓、土浦蕾。

 幼稚園時代のアルバムが、全てを物語っていた。

 苗字が変わる理由は離婚や再婚以外にも、養子縁組というケースだってある。

 ただそういう事情があるという可能性を、俺は全く考えていなかった。

 

「お母さんが退院するのと同じくらいにお姉ちゃんの夏休みも終わりますし、学校が始まれば無理するようなことはないと思うんですけど――――」

 

 ――ピーッ、ピーッ――

 

「ん?」

「あっ! すみません、ちょっと待っててください」

 

 何やら部屋の方から電子音が聞こえると、望ちゃんは慌てて椅子から立ち上がる。

 夢野が寝ている部屋に早足で向かい数秒した後、戻ってきた少女が手に持っていたのはにゃんこっちだった。

 

「ああ、成程な。二人で育ててるんだって?」

「はい。大事に育ててます。本当、あのコンビニの一件といい今回といい、米倉先輩には私もお姉ちゃんも御世話になりっ放しで…………」

「ん? あのコンビニの一件って?」

「あっ! な、何でもないです! 今のは忘れてください!」

 

 俺が不思議に思い尋ねるなり、目の前の少女は慌てて掌を横に振る。

 望ちゃんを初めて見たのは去年の夏に黒谷南中の体育館でやっていた練習試合の時だし、それ以外に会ったのは年末の神社と一ヶ月前の引退試合くらいしかなかったと思うが……コンビニとは一体何のことだろう。

 

「…………ぞみ…………のぞみぃ…………」

 

 どうやら先程のアラーム音によって、寝ていた夢野が目を覚ましたらしい。

 ドアの向こうから聞こえてきた消え入りそうな声を耳にするなり、望ちゃんは再び部屋へ。俺が先程の何やら気になる一言について考える中、二人のやり取りが耳に入る。

 

「どうしたのお姉ちゃん?」

「米倉君……まだいるの……?」

「うん」

「ちょっと……呼んでもらっても……いいかな……?」

「あの、米倉先輩。お姉ちゃんが呼んでるんですけど、少しいいですか?」

「ああ、聞こえてた。大丈夫だよ」

「どうもすみません」

 

 顔を覗かせた少女のいる部屋にお邪魔させてもらい、布団の傍へと腰を下ろす。制服からパジャマへ着替えて横になっていた夢野が、俺を見るなり弱々しく笑った。

 

「また……恥ずかしいところ……見られちゃったね……」

「見られたくなかったら、あんまり無理しないこった」

「うん……そうする……迷惑掛けてごめんね……?」

「妹と同じこと言ってるぞ? 別に迷惑なんかじゃないっての」

「そっか……ありがと……」

「夏休みも明日で最後だからな。今日と明日でしっかり休んで体調を治さないと」

「あ……でも、明日はバイトがあるから……」

「望ちゃん」

「はい。ちょっと電話してきます」

「頼んだ」

 

 目を合わせ名前を呼んだだけで完全なる以心伝心。電話番号を知ったばかりとは思えない連係プレーによって、望ちゃんは部屋を出ると休みを告げる電話を掛けに行った。

 

「ちょ……望……大丈夫だから……」

「駄目だ。俺が許さん。明日のバイトは休め」

「でも……休むと迷惑掛けちゃうし……」

「体調悪いまま来られる方が、よっぽど迷惑だと思わないか?」

「それなら……明日になって様子を見てからでも……」

「連絡するなら早いに越したことはないし、当日キャンセルされる方が困るだろ?」

「じゃあ……」

「いいから明日のバイトは休むこと。わかりましたか?」

「…………はい…………」

 

 こちとら伊達に論理的な幼馴染とやり合って……いや、やり合ってはないけど、アイツのダンガンロンパは耳にタコができそうなほど聞かされてるからな。

 時折頑固な一面を見せる夢野だが、説得の甲斐もあって諦めがついたらしい。しゅんとなった少女をジーっと眺めていると、柔らかそうな唇がゆっくりと動く。

 

「ねえ……米倉君。ちゃんと休むから、一つお願いしてもいい……?」

「何だ? 喉が乾いたのか?」

「ううん……私の手、握っててくれる……?」

「ああ、いいぞ」

 

 風邪の時は人肌が恋しくなるというし、その程度の頼みなら御安い御用だ。

 もぞもぞと動いた夢野の手が布団の中から出てきたのを見て、俺はその柔らかい掌を覆うように優しく握り締めた。

 

「…………ん……ありがと……」

「とにかく今はやるべきこととか全部忘れて、ゆっくり身体を休めてくれ」

「うん…………そうする……」

 

 そう静かに呟いた後で、夢野はゆっくりと目を閉じた。

 少しして電話を終えた望ちゃんが戻って来たが、俺は鼻の前に指を当てシーっというジェスチャーで応える。そのまま十数分もすると夢野は眠りに落ちたようで、すやすや寝息を立て始めた少女を見てからそっと手を離すと静かに部屋のドアを閉めた。

 

「眠りました?」

「ああ。バイトの方は?」

「はい。大丈夫です。お姉ちゃん頑固だから、米倉先輩が言ってくれて助かりました」

「お役に立てて何よりだよ」

「すっかり遅くまで、本当にすみませんでした」

「いやいや、こちらこそ長居しちゃってゴメンな。それじゃあ俺もそろそろ帰ると…………あ、ちょっとだけ待ってもらってもいいかな?」

「?」

 

 買っておきながら結局開けていないままの桜桃ジュースを見て、俺は鞄からペンとノートを取り出すとページを一枚千切った後で夢野宛てのメッセージを残す。

 

「これでよしっと。夢野の目が覚めたら渡しておいてくれるか?」

「はい。わかりました」

「それじゃ、後は宜しくな」

「今日は本当に色々とありがとうございました」

「おう。望ちゃんも勉強頑張ってな。屋代の後輩になるのを楽しみに待ってるよ」

「はい! 文化祭、遊びに行きますね!」

 

 見ているだけで幸せになりそうな姉そっくりの可愛い笑顔を見せてもらいつつ、俺は夢野家を後にする。ああ書いておけば、夢野も無理をすることはないだろう。

 週末に迫る一大イベントを前にして、今年はテンションが上がっていく。未だかつてないワクワクを感じながら、ペダルを漕ぐ足は自然と速くなるのだった。

 

 

 

『文化祭で一緒に回るためにも、しっかり休んで治してくれ。楽しみにしてるからな!』


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