「時代は一周回って妹萌えなんですよ!!」
黒板にでかでかと書かれた妹という一文字。それを強調するように黒板を叩きながら石上は高らかに叫んだ。
そんな本来このクラスに居るはずがない後輩の魂の叫びを赤錆は内心引く視線を、早坂は内心虫ケラのように見下す視線を隠しつつ見つめた。
「いいですか!! 時代は妹なんですよ!!」
「「へー」」
既に離れきった温度差をただ1人感じない石上は大切な事と言わんばかりに2度言う。言ったところで注がれる冷たい視線は変わらないが。
「彼女にするならやっぱり、妹のように甘え上手な子が1番です!!」
教卓を何度も叩きながらの力説だが、その音が静かな教室に響く度に2人は珍しく帰りたいという気持ちが芽生え、育まれていく。
「石上くん生徒会はいいの〜?」
このままでは埒が明かない。
そう判断した早坂は手を上げてただ1人妹という文字に燃えている男に尋ねた。
「生徒会の仕事は家でやるから大丈夫です」
「えー、生徒会室できちんとやらないとかぐやちゃんに怒られるよ〜?」
「い、いいんです!! 会長から許可貰ってますから」
かぐやの名前を言われ動揺する石上。
だが、副会長という立場では会長権限を覆せない。
それを盾に石上は教鞭を執る。
「恋愛初心者の赤錆先輩には王道をよく学ぶことが先決です。
いいですか、妹萌えというのは──」
妹萌え
本当に妹がいる者ならば理解し難い風潮。
だが、姉妹がいない者が二次元というフィルターをかけると妹という存在に恋い焦がれるようになる。
そう、石上のように兄しかいない男ならば妹という存在を欲するようになる。
熱するように、萌えるようになる。
兄弟がいないどころか、母親すら知らない赤錆には今一ピンと来ず苦笑いを。
血こそ繋がってはいないが、かぐやという主でありながらも何処かわがままな妹のような存在がいる早坂は二次元というフィルターの強さを痛感しつつ石上の話を聞いていった。
一方的に話す石上はその思考も違う事を考える。
必死に共感を示そうとする先輩とは違い、薄っすらとした笑みを浮かべる早坂の冷たい目をチラリと覗きながら。
「石上くんは面倒な恋愛に関わるのが好きなのね」
それはつい先日の事。
赤錆と早坂、石上とかぐや。
同じクラスの集まりと同じ生徒会の集まりという共通点を持つコンビが2組揃ったあの日の事。
最も、かぐやの登場により赤錆は抜けてしまったが。
彼の背が小さくなると、1人置いていかれ逃げる事も出来ない石上は自分から歩き出す事も出来ずにただ、自分の前で立つかぐやの動きを待っていた。
待った先に言われた事が、ため息と共に漏れたその一言。
「……別に、そんなんじゃないですよ。
ただ、自分の事を構ってくれる先輩に悪い虫がついたみたいなんで追い払いたいだけです」
赤錆という知った人だから助けたい。
その気持ちに偽りはなかった。
少し前に恋愛に絡んで痛い目を見た。
いや、片方が恋愛と思っていたがもう片方は──
自分のちっぽけな正義感で大きな痛い目を見た石上。
今回もそうなるのかもしれない。
だが、それでもいい。
間違っている事を誰かが間違っていると言わなければならないと石上は思う。
正義感からか、情からか。
自分が正しいと思う事をして、友人達の為になると言うならば。
石上は痛い目を見てもいいと、少なくとも今この時は感じていた。
「あらあら」
クスクスと楽しそうに笑いながら、そんな彼の熱い瞳に冷やかすような視線を送るかぐや。
かぐやからしたら、石上という存在は特別でもある。
自分が関わる生徒会役員の1人。
生徒会長が選んだ唯一の後輩。
そんな彼の熱くなる視線から主である自身を盾に隠れる早坂を横目で見る。
学園では見ることのない、見慣れた顔つきの彼女を。
「石上くん」
別に従者の恋愛に興味はない。
むしろ、ここまで落ちた様を見せられ哀れに感じてしまう。
恋愛という取引で負けてしまい、恋に落ちた彼女の様を見て。
嫉妬に狂い自らの持ちゆる全てを使って無理矢理にでも相手を落とそうとする姿を見て。
主である自分を使ってまで。
「恋愛って何なのかしら」
自身の中でも日に日に増していく疑問をぶつける。
「恋愛……ですか」
投げかけられた疑問に考えるが、漠然とした答えしか思い浮かばない。
石上自身恋愛のよう綺麗な思い出がない。
画面や書体から見て得た思い出しか。
「……やっぱり、お互いに好き合うものなんじゃないんでしょうか?」
「石上くんらしい答えね」
より強く笑いながらの反応。
まるで出来の悪い生徒に見せるようなそれに石上は特に何も感じない。
自分が恋愛という概念を理解していない事くらいわかっている。
自分が知っているそれは、絵空事なのだから。
「ねぇ、石上くん。
恋愛は複雑な思考が纏まった結果だと思わないかしら」
「結果?」
「えぇ、そうよ。
例えば……そうね。
玩具会社社長の息子である貴方が好きな人が出来たとします。
そして、相手は貴方ではなく社長の息子という地位を欲して付き合うとする。
この恋愛は間違っているのかしら?」
「……それは」
自分が好きな相手は自分ではなく自分に付加した価値を見て付き合う。
恋愛とは、単純なものではない。
必ずしも、自分という人間が好きで付き合いが生まれ発展するとは限らない。
そんな事はドラマや映画でよく見ていた。
「間違っています」
「あら」
はっきりとした答えにかぐやは少し驚いた。
「そんな恋愛長続きしません。
例え上手く行っても、互いに好きあってない以上そのうち後悔する事になります」
恋愛という尊い関係。
だからこそ、石上はその価値を高いものとして決めつける。
互いの気持ちがあって初めて生まれ、上手くいくものだと。
「本当にそうかしら?」
そんな石上との距離を詰め、少し離れた身長差を少しでも埋めるように軽く伸びをして耳元で囁いた。
「自分の欲しいものが自分から来るのよ?
心の底から手を伸ばしたくなるような人が、自分から。
自分から
自分自身に価値を見いだされなかったなら、近づいてからアピールすればいいじゃない。
そこから好きになってもらえばいいじゃない。
どんなに酷い始まりだとしても、道中次第で結果なんて幾らでも変えられるわ」
恋愛という絵空事。
石上の汚れなきキャンパスを見ていると嫌でも自分の汚さを感じてしまう。
生まれも育ちも何もかも特別な自分。
だからこそ、他者の価値観とは共感できない事が多分にあった。
目の前の綺麗さが嫌でも目立つように感じる程には汚れている自分の心。
本当ならば、綺麗なものは綺麗なままにしておきたい。
自分が汚す事を良しとはしない。
自分の関わりある後輩の価値観を。
それでも、関わらなければならない。
視界の隅に写る、数少ない──いや、唯一の心許せる友人の願いを訴えるような視線に逃げる。
「恋愛は複雑よ?
他人なんかが関わっても碌な目に合わない。
当事者にしかわからない気持ちがそこにはあるんだから。
石上くんは、あの人の恋愛がどうなれば満足なのかしら?」
「……僕は、赤錆先輩が良い人と付き合えればいいと思っています」
「そう。
なら、貴方から見てあの娘は良い子なのかしら?」
「まぁ、口煩い奴ですけど、悪い奴ではないと思ってますよ」
嫌そうにしながらも素直に評価を口にする。
「そう。なら、見てらっしゃい」
そう告げて石上が持つパソコンが入ったかばんを半ば無理矢理受け取る。
「急げば面白いものが見れるかもしれないわ」
クスクスと笑いながら呆然とする石上を急かすように続ける。
「ほら、残った仕事は私と会長の『2人っきり』でやるから、石上くんは赤錆さんの所にでも行ってそのまま帰りなさい」
「えっ、でも会長に1言謝らないと」
「明日にしなさい。二兎追う者は一兎も得ず、と言うでしょ?
先ずはあの人の事をやってあげて、その後会長に謝りなさい」
「は、はぁ」
釈然としないが、少しばかし嬉しそうに顔を崩しながら囃し立てるかぐやを見つつ、確かにと思う。
今から生徒会に顔を出すのも気まずいものがあるため、明日で済むのなら早めに帰れてゲームも出来て一石二鳥だ。
「じゃ、行きますね」
「えぇ、急ぎなさい。残った仕事は私と会長の『2人』できちんとやっておきますから」
念を押すように2人を強調されつつ、急ぎ足でその場から立とうとする石上。
最後に見たのは、事の行末を見守るようなスタンスで全く口を開く事がなかった早坂の姿。
視線に気づき、何処か気まずそうな笑みを浮かべながら手を振る彼女に軽く会釈をしつつ納得行かない心境を表に出さないように振る舞う。
他人の恋愛に踏み込むのは確かに損を見るかもしれない。
それでも、納得出来ない。
自分がどうするのか、考えながらその場を駆け足気味に逃げ出した。
そんな石上が見た光景は、自分の知っている真面目な同級生の姿をした誰かだった。
恋愛観
人によりその価値観は大きく離れる。
頼ってくれる人が好き
甘やかしてくれる人が好き
見た目を重視
内面を重視
人によって様々な価値観を持って恋愛という行為に至るための好意を持つ相手を探す。
そこに口を挟むのは確かにおかしな話でもある。
しかし、目の前にいる男は違う。
共に帰路に着く中で、赤錆という人間に触れて石上は感じた事がある。
赤錆という人間は何処か恋愛感情という感覚がわからないでいた。
度々口にしていたが、自分に向けられる好意が恋心なのか、それとも親切心からきたものなのか。
もちろん、そんなものは誰から見てもわからない。
当事者でもなければ。
伊井野ミコに過剰な程の関わりを求められるのは何から来る感情なのか。
早坂愛から来る積極的な関わりは親切心からくるものなのか。
スミシーという女から来る異常な繋がりは恋愛からきているものなのか。
赤錆は何もわからずただ漠然とした不安を感じている様子だ。
このまま時が過ぎても悪化の一途しか辿らない現状に。
ならば、と石上は思い立った。
それは──
「いいですか!! 妹属性に外れはないんですよ!!」
自分自身気づいていないが、そのテンションは明らかな右肩上がりをしつつその価値観を押し付ける。
恋愛観
それは、人の成長過程によって知らず識らずのうちに形成されるもの。
家庭環境や、過ごし方による。
母親どころか親戚の顔すらまともにしらない赤錆は、唯一の繋がりある父との希薄な関係から見て育つも、幼い内から愛が多いその後ろ姿に疑問を持って生きてきた。
対する石上は、その恋愛観を現実ではなく二次元で形成された部分が大きい。
故に、このギャルゲーから学んだ妹萌えの提唱とそれを一方的に聞く恋愛がわからない男が首を傾ける奇妙な姿に早坂は立ち会う事となってしまった。
「あの上目遣いがあれば、もうなんだっていいんですよ!!」
「何を言ってるかわからないんだけど」
苦笑い気味で1人エンジンが温まる石上を見つめる赤錆。
未だに落ちることないその勢いに早坂はこっそりと溜息をつく。
どうしてこうなった。
そんな言葉を飲み込みながらボーッと横目で赤錆の横顔を眺める。
それでも聞こえてくる雑音に頭がクラクラとしてくるが、決して表には出さない。
あくまでも、自分は友人がその友人の話をしているのを聞いているだけ。
そんなスタンスを崩さないように。
早坂からしたら、何がどうなってこうなったのかはよくわかっていない。
わかっているのは、石上が伊井野と赤錆の一件を聞いていたこと。
赤錆が自分の事情を話してしまったこと。
特に家族の話を石上にしていたのを盗聴越しに聞いた時は腹が立ち、空き教室にいた早坂は傍にあったクラスメートの机を軽く蹴ってしまった。
自分にもまだ話してくれていない話をする姿に、嫉妬した。
相手が男とはいえ、自分にもしない、してくれていない話をした事に。
早坂自身で調べた事とはまた違い、表面上のみ……具体的には、愛人を幼い頃から連れ込んでいるという様な知られては父親の立場がまずくなる事は伏せ、共に暮らしてはいるが全く話していないぐらいのニュアンスに落ち着いてはいたが。
それを、彼の口から直接自分に向けて話してほしかった。
何かを伝って言われるのではなく。
知っているからこそ、その話をされるという事は自分という人間を深く知ってほしいというポーズのような、全てをさらけ出すような間柄だと認められるような。
そんな高尚な話だと思っていたから。
実際全てを話していなかったからこそ、こうして嘘とはいえ笑顔で話を聞いていられるが……。
もしも、全てを石上が聞いていたら。
自分はこうして笑っていただろうか。
笑っていた、とは思う。
その嘘という言葉そのものが早坂を象徴する一文字なのだから。
それでも、内面はもっと暗かっただろう。
それこそ、横目で赤錆を見るような余裕もなく。
どうしようか、と真剣に考えながら教壇を見つめていただろうから。
まだ、落ち着いてる。
そう言い聞かせながら、これ以上考えるのを辞める。
知られてしまったのはしょうがない。
話してしまったことはしょうがない。
そう思って切り替える。
石上という相手にも、既に手は打ったのだから。
「何をしてるのかしら石上くん?」
戸の開き窓から見えていたその顔は、おそらく教室からも漏れていたであろう演説を聞いて一瞬呆けた顔をして深く息を吐くと、ニコニコとした笑顔を浮かべながらゆっくりと戸を開けてそう言った。
静かな、とても静かな一声だった。
それでも、その声でエンジンは故障したのかと思う程に一気に収まりぎこちない様子で首をゆっくりと声の方へと向けた。
「し、四宮先輩」
不安と緊張で大量の冷たい汗を一気にかきながらの呼びかけに、更に満足気に笑みを濃くする。
「石上くん、生徒会役員だろう人が神聖な教壇の上で何を話してるのかしら?」
「あっ……あっ……」
「お話があります。来てくれますよね?」
石上は早かった。
その身柄を拘束されるよりも前に、教壇から降りてかぐやとは違う教壇の出入り口へと駆け出す。
しかし、そんな石上の背を逃さないと言わんばかりに、動きを読んでいたかぐやはその一歩と同時に同じゴールへと駆け、そして
「逃しませんよ」
先に辿り着いたかぐやはその笑みを、惜しくも一歩足りずに固まった石上の視界を埋めるように見せつけた。
声にならない叫びをしながら、大量に溜めた涙を赤錆達に向ける。
気まずそうに手を振る2人の姿を見ながら、襟元を掴まれそのまま教室から引き出されていくように2人は去った。
時間にして数十分程で消え去った雑音。
毎日のように何時間も2人で過ごしているにも関わらず、そのたった数十分の時間を奪われた事に苛つきを感じたが、ようやく訪れた2人っきりの時間を前にするとその苛つきも消えていく。
思えば、昨日も邪魔が入り満足に過ごせていなかった。
順調に進んだ春休み。
順調に進みすぎたからこそ、調整と言わんばかりに多難が訪れた新学期。
進級して早々に訪れた邪魔な要素を思い浮かべると目眩がする。
考えることは何時だって出来る。
まずは、目先の楽しみを満喫したい。
そんな思いを隠すことなく身体ごと隣の席に向けると、ぼんやりと天井を見ながら呟く赤錆がいた。
「妹萌え……か」
不吉なワードを口ずさむその姿に、一途の冷や汗をかきながら軽く息を吐く。
どうやら、早坂が楽しみにしている取り留めもない話をするにはまだ待たなければいけないようだ。