騒々しいファミレス。窓際の1席で、興味深そうに見つめてくる視線に戸惑いを感じながらも、少年はテーブルに置いた参考書を見つめながらノートに解答であろうものを記入していく。
間違えていたのだろう、対面に座る者が指で示しながら誤りを訂正していく。感謝の言葉を述べながら、気まずい空気に押されつつ修正をしていった。
「英語苦手なんですね」
中性的な声で投げかけられた指摘に苦笑いで返す。
あぁ、早坂。ありがたいけどなんでこんな面倒な事を。少年はこの場に見えない金髪の友人の事を思いながら内心嘆息する。普段の彼女ならばきっと楽しそうに笑いながら難問に対して四苦八苦する姿を眺め、野次を飛ばしつつ教えてくれていた。そんな光景を想像しながら。
「ハーサカさんは英語得意なんだね」
対面に座り、また面白そうにノートに書かれた間違い探しをする少年に向かって返す。
ハーサカと言われた少年は軽く笑って「それほどでも」と返す。
そこで終わる会話にまた重い空気が伸し掛かった様に少年は感じ取った。
ふと外を見つめると、大分薄暗くなった景色が広がる。駅前のファミレスというのもあり、かなりの交通量が目に入った。そこで一番気を引いたのは恐らく友人同士だろう同じ年齢の男女が複数人で話しながら自分を置いていくように通り過ぎる姿。
本来ならば、自分も今頃は友人達と遊んでいた。例年通りならば。少年はこれ以上嫌な気持ちにならないよう目の前の少年に目を向ける。不思議そうに首を傾げる彼は、共に席を囲ってこそいるが、少なくとも今は友人とはいえない。それどころか知人とも言えない間柄。それでも周りから見たら仲のいい友人にでも見えるのだろうか。
「ここも間違えてますよ」
そんな何とも言えない相手に再び指摘された所に視線を移す。移しながら、全ての元凶となった日の事を思う。どうしてこうなったんだろう。そんな困惑を胸に敷き詰めながら。
「今回もウチは補習なかったし〜」
夕焼け空に塗りつぶされた教室で、他人の椅子に座りながらうなだれる彼に挑発的な言葉を早坂は向けた。返却された答案を束ね、それで自身を覆っていたが、そこにはとても良いとはいえない数字達が記入されていた。
そんな彼を眠りから妨げるようにか、頭の横に置かれた携帯は相変わらずその存在感を震えてアピールする。折角の二人っきりの世界を邪魔するように。
「うるさいなー」
重々しく体を起こしながら、溜め息と共に悪態をつく少年。ようやく見れたその顔に早坂は無意識に頬が緩んだ。
「別に、俺も補習じゃないよ」
「そなのー?」
少し驚く早坂。朝からうなだれていたため、テストの点数が悪く朝イチで怒られていたのだと勝手に思ってしまっていた。
今日、というよりも最近のテスト結果の発表日から数日の早坂はとても多忙だ。仕える主であるかぐやが成績発表の張り出しを見て決まって不機嫌になるからだ。文武両道はもちろん、何事にも1位を取らないと気がすまない。そのように幼い頃から躾をされている彼女だが、高校生になってからその席を自らのものにできていない。それがよほど悔しいのだろう。この日は決まってかぐやは隠れた場所で地団駄を踏み、早坂はそれを宥めることに注力していた。そのため、今日という日は日頃彼に使う時間の大半を早坂はかぐやに費やしていた。
「じゃ、なんでそんな暗い顔してたの?」
素朴な疑問を口にする。それとともに、希望が内心からわき溢れた。テストの事ではないのに、珍しく落ち込む姿はもしや、もしや彼女と別れたのではないかと。だとしたらこれは絶好の機会。逃すという選択肢を捨てて挑まなければいけない機会だ。それじゃなくても、困ってる彼の手助けになる事ならば早坂は何でもしたいという気持ちもある。
「テストの成績がいつも赤点すれすればかりだから、今回の春休みは春期講習に行けって親に言われた」
「あー、大変だね」
ため息をつく彼に苦笑しながら内心舌打ちをする。これだけの事柄では自分の存在をアピールすることも、相手を奪う機会にもならない。
「何処行くの?」
それでも興味深い話題ではある。春休みの動向を探れるというのは大きい。スケジュール等把握できれば、その時間は彼女が接触してくることもないだろうから、その時間は早坂が安心出来る時間にもなる。
「勝手に決めろって。近くでも遠くでも何処でも金は出すから自分のためになりそうな所にしろって言われた」
溜め息が大きくなる少年は、待っても来ない返答に不思議に思い横目で早坂の様子を伺う。顎に手を当てて考え込む珍しい姿に一瞬言葉をなくしたが、その真剣な眼差しは自分の顔こそ見ているが、見られていると感じない。その深くなる口元の笑みも相まり、戸惑いを覚えた。
「は、早坂?」
「……ん? どしたしー?」
「いや、あの……」
視線が移ることはない。早坂はずっと少年の顔を見ていた。それでも、早坂の何時もの様な明るい返答を聞いて改めて見られているという感覚がきた。
「塾、塾だよね」
口元も笑みこそ浮かべているが、先程のような薄ら寒さを感じるものではなく、何時もの楽しげに歪んだそれ。気のせいだったかも。そんな風に思いながら少年は早坂の言葉を待つ。
「ウチ、いいところ知ってるよ?」
「本当に?」
行きたくないんだよ。っと言いたかったが少年はそんな事言えない。頻繁にメッセージをくれる彼女に事情を愚痴ったら行くべきと親以上に念を押されたばかりだからだ。早坂は愚痴に共感してくれるだろうが、それでもあんな思いをする可能性があることに少なくとも、少年はコリゴリだった。だからこそ、彼女の話を興味半分に流し聞く事にする。
早坂もまた、彼の態度に気づく。だからこそ、注目を引き戻すためにと取り出した携帯で手慣れた様子で文字を打ち込んでいく。最終的に出てきたサイトを彼の視界が埋まるよう真ん前に勢いよく向けた。
「あー、有名だよね。CMとかよく見るよ」
「そそ、ここのね……」
一度手元に戻して本当の目的地を探し始める。横目でチラチラ見る。まだ完全に乗り気というわけではないが、協力する自分を見て注目は完全に集めていた。眠たそうな瞳に自分が写っている。そう思うともう少し、もう少しだけ長くと思う自分がいた。そんな自分がページを送る指を遅くする。
「うーんと、えーっと」
わざとらしく声に出しながらバレないよう手を抜いて探していくも、その項目は見つかってしまう。見つけてない振りをするかどうか一瞬悩んだが、どちみち時間制限がある事を思い出すと話は、早いほうがいい。
「ここここ」
「……あー、駅前だね」
「最近出来たんだってー」
たまたま目にしてチラシを覚えていた自分に感謝しつつ早坂は次の言葉を考える。次のカードが今回の策の醍醐味でもあるから。
「ここにね、ウチの親戚も春期講習に行くんだー」
あどけない笑顔を向けながら畳みかけるように続けた。
「先生達も良い人っぽかったって見学行った時に言ってたよー?
それにそれにー、その人は日本に来たばかりだから、知り合いがいなくて寂しいって言っててね。
私、春休みはバイト一杯入れてるからいけないんだーだからさだからさ。
私の為と思って一緒に行って上げて」
「お願い」と続けながら手を合わせて軽く頭を下げる。頬を掻いて困った顔をしている少年の顔をチラチラ盗み見する。
「駅前だから交通の便もいいし、何処でもいいならここでもいいじゃん」
「うーん」と考え込む少年。もう少しだな。早坂は確信した。
「それに、その人英語得意だから教えてくれるように頼んどくからさ」
「英語、英語かぁ……」
溜め息をつく姿を見て早坂は勝ったと確信する。少年は全教科赤点ラインだが、特に英語は酷い。中3の試験、早坂が教える様になって初めて赤点じゃなくなったと言う程に。その時のとても嬉しそうにしていた姿を写真に撮ってなかった事を早坂は今だに後悔していた。
「……名前は何って言うの?」
興味を隠せていない瞳を見るために早坂は顔を上げた。次の言葉を促すように向けられた期待の眼差しに自分の胸の鼓動が早くなる様に感じた。
あぁ、馬鹿な人。
思い通りに事を勧めてくれた少年をそんな風に思いながら。
「ハーサカっていうんだ。ウチの名前と似てるでしょ?」
「へー、早坂と似てるね」
「ね、不思議だよねー」
内心を隠しながら笑顔で向き合う。少年も同じ様にす。それだけで満足する自分もいるが、もっともっとと求める自分がいるのも事実。早坂はそんな思いも隠して笑う。
話題が塾からずれ始めた頃、またあの重々しい曲が流れ始める。溜め息と共に少年は机に置かれた携帯を手に取る。早坂には誰からの名前かは見えなかったが、その曲と真っ先にした溜め息の様子を見て誰かなんて考えずともわかった。
「塾、そこにするよ。教えてくれてありがとう」
そんな礼の言葉と共に鞄を手にして席を立つ。少年からしたら、彼女との会話は色んな意味で聞かれたくないものであり、その要件も聞かずともわかっていた。部屋を後にする背中に向かって手を降る早坂。扉によってその姿が完全に見えなくなるまでそれは続いた。
少し大きな音ともに手をピタリと止めると、目を細めていなくなった彼の背を見つめた。
本当に馬鹿。
そんな風に思いながら冷たく見下した。いない彼を、笑っていた自分を。
長い髪を頭上に纏めて落ちないように止めていく。
塾に通う親戚なんて早坂にはいない。海外から来た親戚なんか。全て今作った設定だ。
瞳にカラーコンタクトを入れ、特徴的な青い瞳を少し暗くする。
それでも、早坂にはどうしても自分の知る塾に来てもらう必要が出来た。春期講習とは、春休みの間に通う学校。そこでなら、違う学年の彼女の干渉もないだろう。同じ学校の同じ学年、さらに同じクラスメートの早坂ならば共にそこで学ぶことができる。
スタンドミラーに映る自分の控え目な胸に落胆しながらサラシを巻いて更に無くす。
だが、早坂はそこには行かない。早坂愛としては。
私服から適当に選び、それっぽくなる様に見繕う。
「よし」
スタンドミラーに映し出された早坂愛の姿は、中性的な様子に変わる。どうしても線の細さや顔つきまでは変えられないが、それでも男性と名乗ればすぐに飲め込めれる程度の見立てだ。
準備万端と意気込むと、机の上に置いた春期講習の案内を手に取る。
もう少しで2年生。同じクラスになるのはかぐやに頼めば済む話だが、同じ空間にいるだけでは何も進展はない。1年下のやっかいな後輩が共に過ごす時間を容赦なく奪い尽くす事を早坂は去年身を持って知った。残された時間は少ない。
かぐやに頼めば後輩の問題も解決するだろうが、不完全燃焼で中途半端な介入をすると後々大きな障害となるかもしれない。だからこそ、完璧に勝ち取りたいと早坂は考える。
鬱陶しい彼女なんかよりも、優れた人が傍にいると。
口うるさい彼女なんかよりも、気の利く人が傍にいると。
束縛する彼女なんかよりも……そこで思考と動きが止まる。
もし、もしも自分が彼女になったら。自分は彼を束縛しないのだろうか。好きにさせてあげるのだろうか。
答えはすぐに出る。
NO
そんな事はしない。すぐに騙される所か、騙されてもいいなんて甘い事を平気で言う子供のような考えを持つ人を目の届かない所で放っておけない。
今だってそう。彼女は正義感が強く嘘をつくような人ではないからこそ、その直向きな感情を直接態度で示した結果の束縛に彼は参っているように早坂は見えていた。
答えと共に動いた身体は荷物を全て鞄に仕舞って部屋を出る。
結局人は適度な嘘がないと生きていけない。自分に対して、他人に対して。
隠すような嘘を庇うような嘘を守るような嘘を。
人は嘘をつかないと生きていけない。
彼が本当に嘘をつくのが嫌いというなら。それが嫌だと言うのなら。代わりに私が嘘をつく。隣に立って嘘をつく。
だから、正直者同士の恋愛なんて反対だ。真反対の人の方がお似合い。それがわからないならわからせる。それでも理解が出来ないのなら、それでいい。その時は____
「ハーサカです。よろしくお願いします」
少なくとも、今の彼女よりも自分の方が優れていると認めてもらう所から始めよう。
見慣れぬ部屋で少し離れた席に座る唯一の見慣れた顔は、早坂の自己紹介に反応し視線を向ける。あえてわざとらしい反応はせずにお辞儀をして普通に座る。今の早坂と少年はあくまで他人なのだから。
ただ、視線が外れるとバレないように早坂は横顔を盗み見る。何かに悩むように開かれた教材を見つめる彼を。
騙されてもいいと言う人を騙すとしよう。
騙されていいのなら、化かされたっていいはず。
だったら、私が騙して化かす。
嫌われないように奪えばいいだけ。
薄っすらとした笑を浮かべて、早坂も自身の教材へと視線を戻した。