「ハーサカさん、だよね?」
第一回目の春期講習が無事終わり、早々に片付けを始めた早坂を止めるような言葉に内心ほくそ笑む。それでも、そんな顔は表に出せない。少し驚いてる顔を作りながら視線を向けた。
「あの、早坂から聞いてる?」
頬を掻きながらたどたどしく来た質問に「あぁ」と応えた。聞くも何も、話をしたのもこれからするのも自分。そんな気持ちをさとられないように。
「貴方が早坂さんの言ってた」
自分の事を他人のように語る仕草に何とも言えない不快感を感じながら、早坂は続けた。
「よかった。日本の勉強風景を見たくて参加したんですけど、1人だと心細かったから。友達になってくれそうな人がいてくれて」
軽く微笑めながら顔色を伺う早坂。初対面相手だからか何時もに比べてはるかによそよそしい態度に少し傷つく。しかし、今はハーサカという自分。早坂愛ではない。そう言い聞かせつつ、考えた設定を披露していく。
「日本のって事は海外で暮らしてたの?」
思った通りの解答でほくそ笑む。やはり自分は彼の事をきちんと理解できている事を実感できた。そんな思いを顔を出すことはないが。
「はい、日本は死んだ父親の祖国なので興味があって来たんです。
だから、友人や知り合いとか殆どいなくて心細くて……」
少し大袈裟に困った顔を作る。早坂は知っていた。それぐらいわざとらしい方が少年の心に響くと。事実その通りであり、彼は気まずそうな顔をしていた。同情で気を引くことには成功した。早坂は内心の笑みを強くする。
「唯一話せる人も早坂さんぐらいだから、他の人と仲良くなれる機会が出来て嬉しいな」
トドメと言わんばかりの一言に少年は「そっか」と短く応える。何を言っていいのかわからないのか、口ごもる彼を逃さないように片付けを再開し、パッパと終わらせた。
「だから、勉強教えるかわりに貴方の色んな話を教えてほしいな」
「俺の?」
「日本の学生について興味あるから」
適当な理由付けをしつつ、荷物を纏めた鞄をわざとらしく見せる。
少し近い? でも、人肌寂しい様子を見せればきっと応えてくれるはず。早坂が知る少年のイメージでは、この後断ることも出来ずになし崩し的に勉強会になる。もっとも、彼自身が勉強したいという熱意もあるため断ることは先ずないのだが。
それでも、少しでも大きく気を引きたい。早坂の我がハーサカとして写し出される。
「そっか、じゃあよろしく」
少年の同意と軽い笑顔に胸を打ちながら、早坂もまた笑顔で返した。自分の嘘を疑うことなく、敷かれたレールを走る姿に満足しながら。
ここまでは予定通り。勉強会も早坂からしたらテスト前の日常と変わらない。普段通り大した問題もなく終えることになるだろう。
しかし、それでは意味がない。わざわざハーサカという架空の男性で彼の前に出たのには理由がある。このためだけに主に頭を下げ、四宮の息のかかった塾に話をつけて入塾した。仕事に関しては普段のテストの成績を引っさげて学ぶ必要がある事をかぐやに説き、呆れさせながらも春期講習に通う事に許可を貰った。最も、かぐやは彼が絡んでいる事を早々に察して深くは尋ねてこなかったが。
そこまでして通う事に意味はあるのか? もちろんある。早坂は自問自答に即答する。意味はある。これから作る。切っ掛けを。
駅前というのもあり色々と融通がきく。共に勉強する場所なんて困る事はない。それでも、早坂は少年の親しみのあるファミレスを指差してそこに赴く事になった。彼女自身は余り縁のない場所。学生同士でこういった場所で遊ぶことに早坂は内心憧れを抱いていた。
普段ならば主のためにと満足に友人と放課後に遊ぶ事など許されない。せいぜい学園の中を歩き回る程度しか離れる事は出来なかった。そんな早坂からしたら、時間になるまで気長に話し相手として付き合ってくれていた少年の存在は大きい。自分にも友達がいるとしっかりと認識出来ていた。最も、それは来年度からなくなるのだが。
それを思うと思わず手に力が入る。感情を表に出さないようにすぐに深呼吸をして落ち着かせる。彼は気づく事なく目の前の教材に向かって溜息をついていた。
来年度になれば、この1年当たり前のように過ごしていた日常が一気に非日常へと変わってしまう。その苛立は早坂の予想を超える。もう、その日が間近に迫っているからだろうか。
自身の事を落ち着かせつつ、目の前で教材に向かって四苦八苦する少年の姿を楽しく見つめて早2時間。時間を確認しつつ綺麗に書かれていく英単語達を眺めつつバレないように顔を見る。真剣な眼差しで取り組む姿を間近で見ているだけで満足する自分に鞭を打つ。これから先、こんな風に傍に居られる時間が無くなる事を避けるためにも早くしなければ。そう思う自分と傷つきたくない自分がさっきから脳内で喧嘩をしている。自分を守っていたこれ以上踏み込まないという心が立ち行く時間に負けたのか、折れた事を感じ取り早坂はようやく切り出すことにした。
「早坂さんに聞いたけど、彼女ってどんな人なの?」
ほぼ初対面の相手に聞くような事ではない。しかし、ハーサカは海外で育ったという設定。多少の常識外れの質問は許してくれるだろうと信じた。実際、少年は困った顔をしてペンを止める。言うべきか言わないべきか悩みながら。しかし、少年は悪気のない悪意無い質問とそれを感じた。友人知人がいない場所で過ごす彼からしたら、共通の話題は早坂のみ。そんな彼女から言われた話で興味あるものを選んで振って来ているのだろうと。
それでも言いたくないという気持ちはある。乾いた喉にアイスコーヒーを流しこむ。
「僕、彼女とかいないからどんな感じなのか気になるんだ」
そんな言葉に追い込まれつつ。
「別に普通だよ?」
肩をすくめて無難な返答をする少年。早坂もその態度は予想していた。
「でも、さっきから携帯凄い鳴ってるよ? 彼女からじゃないの?」
何時もの癖でテーブルに放り出されていた携帯はやはりその存在を誇示するように震えていた。
「早坂さんから、連絡とか凄いする人だって聞いてたけどこんなになんてね」
苦笑するハーサカに少年も合わせる。
「少し困ってはいるんだけどね」
そんな共感を得た言葉に早坂は尻尾を掴んだことを確信した。
エスカレーター式の学校というのもあり、高校生になった所で環境が変わっただけですれ違うのは殆どが見知った顔。中学3年生の時に付き合い始めた彼の事やその彼女の事も殆どの人達がその関係を知っている。過度な連絡、異常な束縛、深い愛情。皆それらを知っていた。
付き合い始めてすぐの頃は早坂も含めて周りが心配していたが、もう1年近くなるとそんな言葉は無くなり日常と化していた。むしろ、放課後に異性といる事を周りが冗談でからかってくる程に。早坂からしたら冗談でも浮気相手として言われる事に何ともいえない感情を感じていたが、少年の方は始めこそ否定していたが今となっては力なく笑うだけ。周囲からも彼女からも追い込まれ、精神的に疲弊しているのがよく見えていた。
だからこそ、第三者からの同情の言葉に食いつくと早坂は睨んでいた。最も、自ら彼女の話題を振ることになるのは屈辱的だが。
「へー、どんな人なの?」
それでも、今が絶好の機会。ハーサカとして接する事のできる少ない機会に最大の結果を残さなければわざわざ我儘を許してくれた主に申し訳が立たない。嫌がる顔を出さないよう、唇を軽く噛み締めながら平常心を装う。
「……つまんないよ?」
「別にいいよ」
念を押す少年にとどめを刺す。
「僕は、貴方のことを全部知りたいんだ」
オーバーな表現になったが、早坂からしたら本心だ。この時に出た笑顔は間違いなく早坂愛としての笑み。そんな笑みに彼女の面影を重ねながら親戚って似るんだなっと能天気に思いながら少年は話し始める。
「切っ掛けは去年の夏頃なんだけどね」
去年の夏と聞いてふと思う。早坂が彼を意識する切っ掛けもその頃だ。
「泣いてる所をたまたま見ちゃってね」
放課後にまだ帰らないクラスメート達と話している時。好みの異性のタイプを話をしていた。
「気になって声をかけたらさ」
ちょうどドラマでやってた話。嘘つきの女の話題が出た。私のような嘘つきの恋愛話。そんな話題。
「凄い正義感が強い子でさ、それを周りにわかってもらえなくて苦しんでて」
皆嫌がっていた。それもそう。名前も嘘、経歴も嘘、皆と接する態度も仕草も全部嘘。だから私は友達と思える人はいない。勝手に自分を重ねながら下らない話に相槌を打つ。
「話を聞いてると、可哀想に思えてきて。少し仕事の手伝いをする事にしたんだ」
皆平気で人を騙す癖に、自分が騙される側になると途端に嫌がる。それでも、彼だけは言ってくれた。正直者の馬鹿な彼は。
「そしたら、なつかれてね」
騙すよりも騙される側の方がいいな。嘘をつくのは嫌いだから。だから、俺は嘘つきな相手でも好きだよって。
「別に告白したりされたりしてないから、付き合ってるって実感ないんだけどね」
あの時に、きちんと自分の気持ちに気づいて告白を___
「そうなんだ」
「つまらないでしょ?」
「そうでもないよ」
改めて聞かされた早坂としては、思い出したくも無い顔を思い出す。自分から奪ったとしている彼女の顔を。
「でも、告白とかはしないんだ?」
それも早坂愛として尋ねたことがある。少年はその時と変わらぬ返事で応える。
「どうなんだろう。今更告白するのも変な気がするし、付き合ってるって彼女は思ってるみたいだから、別にいいかなって」
そんな曖昧な回答が早坂の怒りに触れるが、顔には出さないよう曖昧な笑みで堪える。
私とならそんなふわっとした関係じゃなくて、きっちり付き合って傍にいるのに。何があっても。
「へー」
ここまでは何時も通り。早坂愛としても行える、行っていた会話。あの時と自分は違う。今はハーサカという男性として踏み込めれる。
「それ、付き合ってるの?」
素朴な疑問を口にする。少年の驚いた顔。その開いた瞳に自分の顔がよく写る。表情こそ悪びれた様子のない悪意のない笑顔。その心は嫉妬と執着心で歪んでいた。
「だって、付き合うとかって告白して初めて意識するものでしょ?」
「そうだけど……」
「付き合ってないのに、彼女も思ってるみたいなんて勝手に思って傍にいるのはどうなんだろう?」
「それは……」
実際、その彼女は完全に少年に惚れている。遠目から何百と見かけていた早坂からしたらそれは間違いない情報だ。しかし、決定打に欠けていた。
告白
恋愛において重要な要素であり、恋愛の始まりを告げる合図であるそれを怠っている事を知った時、早坂は大きく動揺した。周りからしたら既に付き合っているように映っていたそれは、スタートラインにすら立ってはいないという事実に。
早坂はその相談を受けた事がある。告白するべきかどうか。当然告白を応援するのが友人としての努め。当時の早坂もそう思っていたし、そう言うつもりだった。
「えー、もう付き合ってるみたいなもんだしいいんじゃない」
自分でも何故そう言ったのかわからなかった。思考を飛ばして反射的に出た言葉。それを鵜呑みにした少年は告白せずに中学生活を終え、高校生となる。
そう、その時の早坂の気持ちは誰もわからなかった自分すらも。しかし、少し時間を置いて考えて早坂はその答えに辿り着いた。
悔しい
嫌だ
取られたくない
醜い嫉妬に駆られた自分を見つめるのに時間がかかったが、それに気づいてしまえば飲み込むのは早かった。
彼の事が好きな自分
彼の隣にいたい自分
彼を守りたい自分
それらの感情を理解するのに時間はいらない。
しかし、それらの思いを伝えることは出来ない。早坂は四宮かぐやの侍女。それを周囲に悟られないようにしなければいけない。下手に注目を浴びることはさけなければいけないのだ。学園の早坂愛として下手に割り込み、別れさせ、奪うように付き合ったら嫌でも噂は立ってしまう。いらぬ注目を浴びてしまう。
だからこそ、早坂愛は良き友人として振る舞うことに力を注いだ。誰の目に映っても親しい異性として映るように。
そんな自分が別れさせれない。しかし、誰かの手で別れさせるのもいや。そのまままた取られてしまうのは嫌だ。
だったら、自分で別れさせて自分が奪う。励ますように付き添って、そのまま恋人に。
夢見る希望を望みつつ、策を考え、重ねる内にそれが現実となる瞬間。それが今。
ハーサカとして真摯に向き合いつつ、戸惑う少年に早坂愛として内心微笑みを浮かべた。
「仮に彼女だとしても、そんな2時間近くに何度もメッセージを送ってくるのはおかしいよ。そんな人見たことない」
「少し多いだけ。心配性なんだよ」
「少し? でも、それって1日の殆ど送ってきてるんじゃないの?」
「まぁ、ね」
「それってさ、信用されてないんじゃない?」
「えっ?」
ほぼ初対面の人にしてはグイグイと前のめりに行き過ぎただろうか。一端わざとらしく咳き込む。それでも、この機会は逃さない。多少変に思われても、この姿なんて使い捨ての仮面に過ぎないから。
「ごめんね、ただせっかく出来そうな友達が苦しんでる様を見て心配で」
「別に苦しんでなんかないよ」
「そう? 早坂さんが心配してたよ?」
「早坂が?」
「うん、最近眠たそうにしてたり疲れた顔をよくしてるけど、彼女と何あったのかなって」
実際早坂は心配していた。目の前にいる時はメッセージなど余り見ず返信することも少ないが、自室にいる時はどうなのか。早坂がいない場ではどうなのか。
もしかしたら、こまめに返信しているかも。変わらず無視をしているかも。メッセージなんかじゃなくてカップルのように長電話しているのかも。
色々と想像するが、どれも早坂からしたら嫌な未来だ。それももう終わる。終わらせる。
「疲れてるなら、きちんと話すべきだよ」
「話すって何を?」
「付き合い方だよ。もしかしたら、それすらも考えるべきかもしれない」
「……それはハーサカには関係ないだろ」
嫌そうな顔をするが、強くは出れない。少年もまた、今の付き合い方が今後も続くという事を良しとはしていない。それでも
「俺はいいんだよ、これで」
それでも、彼女がそれを求めている以上否定することは出来ない。憐れみか優しさかはわからないが、1年以上続けた今の関係を急に変えることに否定的な意見を述べた。
「……そうなんだ」
最も、早坂もそう言われることはわかっていた。
これでいい。今は、これで。
「ごめんね、変な事言って」
「別にいいよ、心配してくれてありがとう」
思ってもいない謝罪の言葉で少年は普通に許す。
「でも」
ただ、これだけは伝えたい。早坂愛として。
「辛くなったら何時でも言って。僕でも早坂さんにでも。何時でも協力するから」
「……ありがとう」
ほぼ初対面の相手に懐かれた事に戸惑いを覚えながらも、心強い友人が出来たことを少年は無邪気に喜んでいた。
その顔を見て、ハーサカはただ笑みを浮かべた。