狭い部屋に1人ポツンと居座る少年は溜息を吐きながら寂しく教材と睨み合う。
余りにも集中出来ず、普段の遅いペースにより磨きかかっているのは彼自身よくわかっていた。集中があまりにも出来ていなかったのだ。普段よりも催す事が多く、頻繁にトイレに行き、出したぶん飲みたくなりお茶を飲んだら少ししてトイレへ戻る。隣りからうっすらと聞こえる歌声も重なって本来の細やかな実力すら発揮出来ていなかった。
それならそれでいい。普段の彼ならそんな状況でものんびりとやっていっただろう。
思い返して再び溜息をつく。
ここに来たいとわざわざ誘ってくれた友人は部屋にはいない。もう来ない。その事実が少年の本日最大の反省点だった。
折角来たがっていたカラオケに来たものの、普段よりも全く進まない様子にイラついたのか何時もよりも早く解散することを告げられてしまったのだ。
「ごめんね、用事があったの忘れてた。ゆっくりでもいいからここまで頑張ってやってみて。また明日見るよ」
その言葉と共に気を使った笑みを浮べて退室していった彼の事を思うと自分が情けなく感じていく。
本当は遊びたかったんだろうな。そんな風に気持ちを察しつつもそこまで物事を運べなかった自分の能力の無さを悔いていた。
1人になってもうすぐ1時間は経つ頃、頻繁な尿意も徐々になくなっていくにつれてゆっくりとだが進むペースが戻っていく。指定された所に辿り着くのに時間はかからないだろうと少年は踏んでいた。
別に適当に切り上げて家でやる事も可能だ。しかし、少年はそれを良しとしない。帰ったらやることなくだらける自分の姿が容易に想像できたから。やらないなんて選択肢は勿論ない。友人との約束を破るなんて事は彼は余程のことがない限りしないから。
あと少し、あと少し。自分に言い聞かせながら進めていく。
明日は何というべきだろうか。終わりが近づいていくにつれその考えが思考の幅を広げていく。今日の事を謝罪すべきか、何事もなかったかのように接するべきか。色々と考えては悩みつつ教材から視線が逸れていった。
でも、今度カラオケには誘おう。友達として一緒に遊びに行こう。
最終的にそれだけは決めて最後の問を埋めていく。明日会うであろう友人の事を思いながら。
ようやく終わった開放感に包まれつつ、置きっぱなしだった携帯を手に取る。手にした所で震え続けるそれを眺めているとおかしな数字に気がついた。何時もならこの程度放っておいても9割近くはある充電が7割と少ししかない。特に触らず置いていたため何時もと変わりないと思っていたのだが。
原因を軽く考えてみるとすぐに振動と共に新たなメッセージが送られた事が目に入る。
ついに壊れたか。そう思うと複雑な笑を浮かべた。
少年は携帯電話を本当に電話を携帯してるという認識だ。それこそつい最近まではガラケーで過ごして何の不自由も感じなかった。ただ、その長年の役目を果たしたそれを見た彼女に勧められたのと友人からのアドバイスでスマートフォンという小難しい機器に変えた。後悔こそしていないが利便性も感じていない。むしろ大量に送られるメッセージのせいで嫌気を感じる時もある。
「ん?」
だからこそ、少年は画面に映る見慣れないアイコンを見つけて首を傾げるだけ。
赤いハートのそれを不思議そうに軽く眺めて、どうしていいかわからずにポケットに仕舞う。
目に入らなくなったと同時にそんなアイコンの存在を忘れて欠伸をして終わらせた。
思考は既に友人の事へと向きながら、大分遅れて少年も部屋を後にした。
駅前というのは本当に便利と感じていた。交通の便が滞っているそこは、少し離れた自宅にも簡単にアクセス出来る。日が暮れてきた広場には色んな人が雑多に動く。決まっているようで決まっていない、そんな人混みの流れに逆らわないようにしつつ前の人と歩幅を合わせて歩いていくと周りの視線が同じ所に向いているのに感づいた。
建物の影に隠れるように複数の男達。制服も着てないし見知った顔などそこにはいないが、自分と同年代の人達と感じ取っていた。
何やってるんだろう? 不思議に思いながら、周りと共に視線を送る。少し歩いて見る向きが変わると、見知った顔が映った事に少年は驚いた。
早坂?
男達に囲まれていた少女。そんな彼女の横顔と綺麗な金髪は遠目からでもよく傍で見ていた彼女のモノ。困った顔をしながら壁に背を当てて逃げようにも囲まれており逃げ場はなかった。
少年は何も考えずに流れに横槍を入れるように駆け足でその場へ赴く。急な反応に周りの視線が一部自分に映るのを肌で感じながら。
「早坂!?」
自分も物陰に隠れた集団に交じるように強引に彼女を囲う彼らの傍へ。急な声に今度は肌で感じていた背後ろからではなくしっかりと一人一人の視線を視野に入れる。向かれた顔達を除いて見慣れた友人の顔を見ようとした。が
「……あれ?」
思わずとぼけた声が出てしまう。その綺麗な金髪は彼女そのもの。髪型こそ見慣れた縛っていたそれではなく、垂らしていたのは遠目からでも見れていた。しかし、鮮やかな青い瞳は深い青に変えて見開きながら少年を見つめる。雰囲気も顔も何処と無く似ていたが何かが違う。そんな違和感に固まってしまう。
しかし、自分のした事は変わらない。何をしていたにしても、彼等の邪魔をしたという事に変わりはない。
「おいおい、何だ何だ」
1人の男が少年に近づいていく。それを皮切りに一歩また一歩と周りも距離を縮みていた。
何だこの使い古されたラブコメみたいな展開。思わずそう言いたくなったが言えるような状況ではない。それを作ったのは自分なのだから。逃げるように一歩下がるが迫りくる壁の方が足取りは軽い。ゆっくりとだがその差は縮まっていった。
走って逃げようとチラリと後ろを覗き込む。人混みの流れは巻き込まれたくないのか、いつの間にかその視線は消えていた。
変わりに強い視線を感じる。囲いが消えた友人によく似た少女の涙ぐんだ瞳と目が合う。
「お、遅いよ!!」
それが合図とでも感じ取られたのだろうか。ようやく口を開いたと思ったら短い距離を慌てて走り少年の腕を自身の両腕で絡め取った。
「この人、私の彼氏だから」
「は?」
思わず声が漏れる。古典的なラブコメかよ。そんなツッコミをしそうになったがその深い瞳に軽く睨まれるとそんな言葉は出てこない。変わりの言葉を目を泳がせながら考える。
「そ、そうなんだ。ごめんね」
何を言っていいかわからず、とりあえず謝ってみた。今更こんな展開でどうにか出来るかなんて少年は思ってもいない。すきを見て人混みに逃げ込もうと算段を立てる。しかし、目の前の光景はそれを許さない。
「なんだよ、彼氏持ちかよ」
「つまんな、行こうぜ」
「あーあ、可愛い子見つけたと思ったのにな」
わざとらしさを感じるテンプレートなセリフと共に男達はその場に背を向け歩いていった。何とも言えないが、ツッコミたい衝動に駆られて手だけが伸びる。
いや、古典的なラブコメかよ!!
もちろん言えない。言って事態が悪化する事は避けたいから。それは、隣の彼女も同様だったのだろう。男達の背が遠くなるとクスクスと笑い始める。
「なんか、漫画とかである話みたいだったね」
「……そうだね」
嘆息交じりに応えつつ、相手の顔を近くで改めてよく見る。遠目では間違えたが傍にある微笑んでいる彼女の顔は、雰囲気こそ近いがやはり別人だった。
「ねぇ、この後時間ある?」
「え?」
組まれている手を離してもらおうお願いするよりも前に言われた言葉に戸惑う。会ったばかりの女の子、しかも今までで一番と言っても過言ではない程の美形な少女からの誘いに付いていきたい誘惑が襲ったが、すぐに彼女の怒り狂う顔がよぎった。
「ごめん、予定があって」
苦笑いしつつ距離を置こうと一歩下がる。もう一歩と下がると絡めた腕に引き寄せられるように彼女も一歩距離を詰める。離さないという意志を少年は感じたのは、より強く力が込められたから。
「忙しいんだけど」
困った顔をしつつも空いた手で組まれた手に向けてそっと伸ばす。手を取るためではない。多少強引にでも引き剥がしたいと思ったから。
友人の異性と話しているだけでも怒る彼女。宥めるのは簡単だが、それでも悲しい思いをしてほしくない。過度の拘束も寂しさからくるものだときちんと理解を示していた。だからこそ何か言いたくても何も言えない。言ったところで帰ってくる感情が目に見えていたから。そんな彼女から来る連絡を無視して知らない美女と共に過ごすことに罪悪感を覚えていた。だからこそ、強引にでもとこの場から逃げようとする。
しかし
「あの、まだ怖いの。だから、誰かと一緒にいたくて……。少しだけでいいから」
上目遣いで涙ぐみながら肩を震わせる美女の言葉に少年の手は止まってしまう。
「それに助けてもらったお礼もしたいから。ねっ? 少しだけでいいから」
口元を軽く微笑みながらのお願いに少年は黙り込んで考えてしまう。
本当に、本当に……!!
「……少しだけだよ?」
「ふふふっありがとう」
嬉しそうに笑を浮かべる彼女は、今度は自分の番と言わんばかりに絡めた腕を引っ張っていく。そんなか弱い力に少しでも意志を持てば反発できるが、そんな意欲はわかない。美女からの誘いに弱いのか、今はない目の前にあった今にも泣かれそうな顔に弱かったのか。
少なくとも、その怒りをぶつけるように地面に向かって顔を伏せながら溜息を吐く
古典的なラブコメかよ。そんな思いを込めながら。
少女に案内されたのは最近できた友人とよく行ってる、そして今日は行きそこなったファミレスだった。そこで案内されたのは奇しくも始めて友人と話し込んだ窓際の席。他の席もところどころ空いているのにここに案内された事に奇妙な縁を感じながら対面に座り顔を赤くして俯く少女を無視して視線を外に向ける少年。見知った人にこんなところ見られ、それが彼女の耳に入ってしまったら……。そんなことを考えるだけで溜息が漏れてしまう。
「あの」
そんな光景が十分程続くと重々しい空気に耐えかねた少女が口を開く。視線を外から少女に向けると、少女は改めて重い溜息が出てしまう。
「迷惑だった……かな?」
恐る恐るといった様に顔を伺いながら来た質問に少年は頬を掻きながら悩む。迷惑といえば迷惑な話。すでに彼女がいる身分としてはこんな場面を見られてしまうと何の言い訳も出来ずに罪と罵られ断罪されてしまうだろうから。しかし
「いや、大丈夫だよ」
そんな軽口を叩いてしまう。困った人やお願い事を放っておけない性分を呪いながら。
「……そっか」
顔にこそ出ていないが、その暗い雰囲気に自分が迷惑をかけている事に感付きつつも垂らした前髪を軽くイジる。
そんないじらしい仕草を見ていると、少年は最後の深い溜息と共に気持ちを切り替える。断らなかったのは自分のせい。バレてしまうのは困るためバレない事を祈りつつ少年は窓の方に軽く向けていた体をしっかりと正面に向けて折角の美女との会話を楽しむ方にシフトする。そう思うと心なしか気持ちが軽くなった。
そんな姿を見て少女も察したのだろう。片目を閉じて軽く微笑む愛らしい仕草と共に手を合わせて持ち前の可愛さを強調した。
「スミシーさんだったっけか……」
ここに来る道中でした軽い自己紹介を思い返しながら会話の種を探す。
「うん、どうしてあんな所にいたの?」
とりあえず共有した出来事も時間も少ない2人で話せる唯一の出来事を話題にしたが、すぐに後悔する。名前で呼ばれて笑みを強くしたスミシーも、それを思い出したのか一気に暗い顔になり涙ぐんでしまった。
「あ、ごめん」
慌てて他の話題に変えようとしたが、すぐに出てこない。見慣れぬ人との会話をしない普段の生活からきた弊害がここに来て襲ってくる。
「私、最近彼氏に振られてちゃって……。それで、落ち込んでばかりもいられないからってウィンドウショッピングにでも行こうって思って出かけたらあの人たちに声をかけられてね。
怖かったから誰かに助けって思っても誰も助けてくれなくて……。
だからね、声をかけてくれた貴方にとても感謝してるよ。
してるけど……
まだ怖いから、もう少し助けて欲しいな」
再び手を合わせて上目遣いで顔を覗き込む仕草に少年は同情の視線を送る。嫌な出来事というのは立て続けに起こるもの。少年もよくそう思う経験があった。ならば、今この時だけでも好ましくとは言わなくとも嫌と思えないような体験談にして欲しい。そう思い改めてしっかりと向き合った。
「別にいいよ」
「ごめんね、忙しいって言ってたのに」
「大丈夫。気にしないで」
一度関わってしまうとその人を気にかけてしまう。優しさのような甘さ。自分自身の最大の欠点と思ってはいつつも中々捨てられない性でもあった。
「ありがとう、優しいんだね」
頬を赤く染めつつ言われたその言葉に、少年は言葉を詰まらせる。自分もまた同じような顔をして向き合ってると思うと、浮気と責め立てられても何も言えない。
「そうだ、早坂さんって彼女なの?」
「えっ?」
急に出た友人の名に動揺を見せる。
「ほら、私と早坂さんを間違えてたから」
「あー」
そういえば名前を出していた。思い返すと少し恥ずかしさを覚える。見知らぬ少女と見知った友人を間違えた事に勝手な罪悪感を覚えてしまった。
「彼女じゃないよ。仲のいい友達なんだ」
「そうなんだ」
春休みに入り顔を見る所がまともに連絡すら取り合っていない友人。そんな友人がいつも話題の中心にいる事に不思議な気持ちになる。まるで、そこに居ないのに傍にいるような変な感覚に。
「そっか、良かった」
「なにが?」
友人の顔を思い返して頬を弛ませていると彼女が安堵するように息を吐いていた。一つ一つ大げさ仕草をとる彼女だか、何処かうるさくない。それどころかどれも可愛らしく見えるのは元々の美貌故か、それとも自分の可愛さを引き立たせるための自覚から来た計算なのか。少年はそんな事考えることなくただ、両手の指で青い携帯を優しく挟んで前へ持っていくと軽く胸にあてる。そんな彼女の強い視線から言い得ない不気味な感じになり少し下に反らす。反らして直ぐに携帯の液晶が目に入った。その文字列に困惑する。
「だって、私が今日から貴方の彼女になるんだよね」
……はっ? と声が漏れるよりも早く彼女は立ち上がり、呆けた少年に追い打ちをかけるように顔を一気に近づける。
鼻と鼻がぶつかり、唇が重なる数cmで邪魔が入った。少女の綺麗な人差し指が2人の間に立ち入る。
「……スミシーさん?」
急展開に何の理解も出来無い少年はただ彼女の名前を呼ぶ。自分の指を動揺の眼差しでみる少女を。
「……ふふっ、続きはもうちょっとお互いを知ってからね」
まるで自分自身に言い聞かせるように小さな声で呟くと、そっとただ呆然とする少年に上から抱き被さる。華奢の腕を身体全体に巻き取る様に抱えても自分の身体は寂しいまま。
「せっかくなんだもん、私ラブコメみたいな恋したいの。
振られて直ぐに貴方みたいな人に出会わせてくれるなんて、神様がきっと頑張ってる私にプレゼントしてくれたんだよね。
私、頑張るよ。貴方の彼女だもんね」
囁くように困惑する少年を追い込む言葉達をぶつけて満足したのか、そっと離れて全身を眺めた。わけもわからないと思いっきり書いた顔にスミシーは満足気に微笑みながら最後に言う。
「お会計は私がするよ。これはお礼だから。私を助けてくれた事と、私を見つけてくれたお礼」
そう言ってスミシーは席から離れていく。少年がようやく動けるようになったのは、窓越しで手を振る彼女の姿が完全に消えてから。大量の冷や汗がテーブルに顔を伏せると零れ落ちる。
「なんのラブコメだよ」
そんな何度も言いたかったセリフをようやく頭を抱えながら呟いた。
「というのが本日の彼との出来事です」
満足気に語る早坂。そんな彼女の顔をかぐやはまともに見れず背を見せて顔を伏せ、床に向かって真顔を向ける。
誇らしげに語るメイドの顔を意を決してチラリと眺める。主の前というのに片耳にイヤホンをして手にした携帯をチラチラと眺める失礼極まりない姿は本当に自分の良く知るメイドなのかと目を疑った。
「……ねぇ、それなによ」
「それ、とは?」
「それよそれ」
イヤホンとピンクの携帯を何度も指差しているとようやく伝わったのだろう。早坂は「あぁ」と呟いた。
「これは先程話したアプリの様子を見てるんです」
「そのアプリっていうの私はよくわからないんだけど」
「かぐや様はガラケーですからね」
「うるさい」
気軽に軽口を叩く姿は何時もの彼女。メイドであり友人として見知った姿に安心感と共に複雑な思いを感じる。いっその事そっくりな別人であれば思いっきり距離を取って過ごせたのにと思いながら。「浮気調査のアプリを見つけたので、それを参考に作ったものです。これを入れていれば携帯から音とGPSのデータが送られるので何処にいても彼の事を知れます。消そうとしてもアンインストールにパスワードがいるので絶対に消せない仕様ですから、何時でも何時までも彼の傍にいる事が出来ます」
「そ、そう。それは良かったわね」
重い 超引く 超恥ずかしい
そんな気持ちと共にまた床に向かって真顔を向けた。
「これがあれば白銀会長の事をもっと知れますよ?」
「会長は携帯を持ってないじゃない。それに、何故私が会長のそんなあられもない事を知らなければ……」
「わかりました。何時までもデータを残してて足が着いたら嫌なので後で消しておきます」
「待ちなさい」
かぐやは自分の人差し指を上に向ける。向けて数秒考えてそれを早坂に向けて冷静を装いつつ早坂へと視線を戻す。最も、長年かぐやの傍にいる早坂からしたらかなり慌てている事はすぐにわかった。
「会長のプライベートの覗き見……いえ、覗き聞きをするのではなく、会長の弱みを知るために使えそうだからそれは残しといて」
「ですが、バレそうになってしまったら私が困ります」
「その時は私が何とかするわ。他ならない早坂の手助けだもの」
「ありがとうございます」
一礼してすぐに口元に笑みを作る。欲に弱い主でよかったと思いつつ、その顔を上げる時には消しておく。
「ま、まぁそのアプリとやらの話はまた今度でいいわ。そして、その男達はどうしたのよ?」
「カラオケ店で適当に捕まえた男達です。私のタイミングで声をかけてくるように伝えました。タイミングもアプリのおかげで居場所がわかっている分確実な所を把握出来ましたから。貯金はかなりありますので幾らか渡して芝居を打ちました。今頃遊び呆けている事でしょう」
「……あぁ、それも仕込みだったの」
「はい。恋愛とは第一印象で大きくスタートが変わります。多少わざとらしい展開の方が彼もスミシーを意識する要因になると思ったので」
「でも、困ってる所を助けて始まる恋愛も……いいかもしれないわね」
意中の相手と自分で置き換えて妄想するかぐや。漫画やラノベのような俗世から切り離されて育った彼女からしたらこんな古典的なラブコメでも充分にときめく程のロマンスを感じていた。
そんなかぐやの妄想を邪魔するように可愛らしい通知音が短く部屋に響く。早坂は慌ててポケットから青色の携帯を取り出してそれを開いた。興味を持ったかぐやも失礼とは思いながらわざとらしく早坂の肩上から覗き込んだ。止めない彼女の様子を見て別に見られてもいいという解釈して画面を覗き込む。
名前欄であろう所にダーリンという不吉な文字があり目をそらしたかった。だが、好奇心には勝てない。勇気を持って本題のメッセージへと目線を下げる。
名前教えたよね? わるいけど、そのダーリンっていうのは変えて。ごめん、たまたま目に入っちゃってさ。その場で言おうと思ったんだけど言えなくて……それも合わせて電話したいけどいい?
不在着信
不在着信
ごめん、電話出られない? 既読付くから見てるよね?
不在着信
既読つくの早いから画面つきっぱなのかな? 見てないのにつけっぱなしなら充電勿体ないよ。気をつけて
不在着信
不在着信
わかった、文で送る。本当は口で伝えるべきと思ったんだけど
悪いけど、俺には彼女がいるんだ。だからスミシーさんとは付き合えないんだ。ごめんね
「振られてるじゃない!?」
「耳元で騒がないでください」
メッセージで思いっきり振られてしまった早坂の肩を掴み激しく前後に揺らして囃し立てる。
「なによこれ、始まってないわよ!? スタートしてすぐ脱落しちゃったじゃないの!?」
「……えぇ、はい、そのようで」
「そこから始まる恋愛は何処に行ったのよ!!」
「か、かぐや様落ち着いてください」
苦しそうな声にようやく我に返ったかぐやは早坂の肩から手を離し指を軽く噛みながら悔しそうな顔をする。
「やっぱり駄目ね、早坂程度でもいける恋愛テクなら使えると思ったのに」
「私程度とは?」
失礼な言葉に反発しつつ、メッセージを直ぐに作って送り返した。それに気づき視線を向けたかぐやに向かって画面を前に出す。
えー、彼女って私の事でしょ? 本当にいるなら今度紹介してよ。そしたら私諦めるから
「……彼女いるじゃない。諦めなさいよ」
「はい、絶対いやです」
「嘘つき!!」
怒る主を宥めることなく返信を見ることなく電源を落す。その返信を直ぐに見たのだろう。イヤホンから溜息と共に「どうしよう」と困った声が聞こえた。形はどうあれ、今は自分の事で頭一杯な様子に早坂は満足してしまう。
「まぁ、スミシーの役回りは今後が要になりますから。この反応で先ずは成功ですよ」
「……そう、もういいわ。進展があったらまた教えて」
「私のプライベートなので余り言いたくないのですが」
「あなたが法を犯してないか私が見定めないといけないのよ」
最も盗聴やGPSを使った位置把握等犯罪スレスレどころが二歩超えてアウトなのだが。最もらしい理由をつけて話を聞きたがる辺りはかぐやも恋愛に興味を持つ年頃なのだろう。聞いている話はそんな夢見がちな少女の夢が壊れるような略奪愛なのだが。
「そろそろ寝ます。おやすみなさい」
話を区切りかぐやは欠伸と共に早坂に伝える。「おやすみなさい」と一礼と共に退室する早坂。
ベッドに潜り暗い部屋でかぐやは溜息をつく。
やだやだ、恋に恋すると人はあんなにも変わってしまうのかしら。私のようにどっしりと構えて上品に立ち振る舞えば自分から動かずとも相手の方から何かしらの手を打って動いてくるというのに。本当に、面倒な女にはなりたくないわ。そんな自分の事を棚に上げながらメイドの事を思いゆっくりと眠りについた。
早坂は主の部屋の前にある窓ガラスで自分の人差し指を月に向けて立てていた。月明かりを一身に浴びる自分のそれを眺めながら切り落としたい衝動に駆られてしまう。
何故、あの時邪魔をしたんだろう。夢にまで見たキスを。ただ後悔と共に無表情に眺める。早坂はキスなんて経験がない。だからこそ折角の機会を、強引とはいえ作った機会を邪魔したモノが悪くて悪くてたまらない。自分の指だとしても。
「…………あぁ、そうか」
数分間誰もいない廊下で考え込んでようやく見つけた落とし所。
「ふふふっ、おかしな話。スミシーも私なのに、スミシーに取られるのが嫌だったんだ」
ふと気づく。今日の自分が早坂愛ではないことに。最も、彼の前にいる自分も早坂愛ではあるが本当の自分ではない。
「別に嘘つきでも好きになってくれるんだから、嘘の自分で向き合ってもいいのに」
言い聞かせるように呟く。複数いる自分自身に。その仮面に向かって。
「でも、やっぱりだめ。ファーストキスは私のもの」
そっと指を自分の唇に当てる。彼の唇に触れた指。彼の前から姿を消してすぐにもやった。柔らかい感触が残っている内に、自分自身の指とのキスを。瞳を閉じて思い描く。驚いた顔が視界一杯に広がったまま、お互いの唇を重ね合わせる光景を。
「私の彼を奪わせない。誰にも、自分にも」
誓う様に呟く。強い意志を込めながら、自分しかいない広い廊下で、はっきりとした大きな瞳を見開きながら。