「で、どういう事なの」
静かに、それでも溜まりに溜まった怒りを隠すことなく隣に座る伊井野は言う。
そんな彼女の怒りをより際立たせるように対面に座っているスミシーはニコニコとした笑みを浮かべていた。その目は表情と反比例するように沈んでいるが。
人込みの中で騒動を起こされてはいけないと少年は近場にあった喫茶店へと何とか2人を誘導したものの、テーブルという小さな障害物があるだけでいざとなれば簡単に取っ組み合いが始まりそうなこの状況に1人後悔をしていた。
身から出た錆
そんな言葉を思いつつも、ぼちぼちと人が埋まる静かな店内で必死に笑顔を作る。目尻に涙を溜めながら。
「さっき説明した通りだよ」
スミシーとの経緯とも言えないような浅い仲をじっくりと話すのに時間はいらなかった。
それだけ互いの事を知らない、知らなすぎるのだから。
もっとも、スミシーからしたら時間等関係ないのだろう。少年の言葉に付け加えるように「説明された彼女だよ」と挑発的な事を軽々と言う。
「彼女って言ってるけど!!」
テーブルを強く叩くと、コップに入った飲み物達が誰も口を付けていなかった事が災いしてどれも少し零れていく。
伊井野からしたらそんな事に眼中にもない。周りから集まった視線の数々も。
「いや、違うって」
少年もまたそんなのに構えるような余裕はなかった。
そんな2人に余裕を見せつけるようにテーブルの汚れを拭きながら周りに軽く頭を下げるスミシー。
この現状を楽しんでいるような様にやはり伊井野は気に食わない。
「スミシー、彼女を紹介したら諦めるんだろ?」
「うーん、どうしよう」
小さな唇を強調するように人差し指を当てながらわざとらしく横目で少年を見る。
そんな自分の可愛さを理解し、示すような仕草に伊井野は余計に腹が立って仕方がない。
自らには無い遊びなれた様な雰囲気や、少し年が離れているだけなのに感じる大人な雰囲気。
何よりも、何処と無く自分の嫌いな人に似ているから。
早坂愛
伊井野は彼女の事を苦手としている。
所謂ギャルと呼ばれる彼女と真面目な彼女。
真反対な所にいる2人は正しく水と油だ。
何よりも、怖い。
同性の友人すら少ない伊井野に異性の友人なんて殆どいない。同じ学年の人達には煙たがられる様な扱いを受けているからだ。
だからこそ、早坂のように同性異性問わずにフレンドリーに皆と接する姿は羨ましいとついつい嫉妬してしまう。
そんな彼女が特別少年とよく居る場面を何度も見てきた。中学3年生になり初めて同じクラスになったと聞いている。その前から顔だけは知っていたことも。
特別やましい事はないと言っている。彼女の本心はわからない。
自分では出来ない様な触れ合いも気軽に出来てしまう早坂に、少年を取られてしまうような気がしてならない。
最も特別早坂が目立つだけで他の女性達皆に対してそう思ってしまうのだが。
だからこそに伊井野は怯える自分を隠すように怒りを顕にする。
早坂ではないが、相手は少年を奪おうとする女。
取られてしまうという恐怖と絶対に思い通りにさせないという怒りで向き合う。
「どうしようって、何でそうなるの」
ため息をつくものの少年は内心こうなる気がしていた。
急に付き合うと言って彼女面したスミシー。そんな型破りな少女が言葉通りにならないだろうと。
それでも、連絡先を交換しただけなのだから今後会うことはないだろうと思いこれ以上連絡が来ないように願いつつ放っておいた。自分には既に彼女がいる事を念押しして。
「もう付きまとわないで」
「付きまとってないよ、たまたま遊びに来たら会っただけ」
「なら、これからは声もかけないでください」
「え〜、折角知り合えたんだからそんな酷い事言わないでよ」
徐々に険しくなる伊井野をからかうようにわざとらしく困った顔をするスミシー。
少年からしたら、伊井野がいる今の内にスミシーにははっきりと別れてほしい所。
何処と無く友人に似ている彼女を冷たくあしらう事に抵抗を感じるが、それでもこれ以上伊井野の機嫌を損ねる事のほうが面倒事になってしまうから。
「スミシー、俺の彼女は伊井野なんだ。お前じゃない」
ゆっくり、はっきりと伝える。
その言葉に伊井野は表情こそそのままに口元が緩む。
私の事を彼女と言ってくれた。私の事を好きでいてくれてる。
そう思うだけで多幸感に浸りながら、改めて隣に座る少年がしっかりと相手と向き合ってくれる事実により強気になる。
「本当に?」
そんな強気な思いも重々しく感じる言葉と瞳を前にすぐに2人して怯んでしまう。口元に笑みだけ浮かべたその冷たい声の前には。
「本当に付き合ってるの?」
「ほ、本当です」
「へー、私を騙そうとしてるんじゃなくて?」
「騙す必要なんかないだろ」
「あるよ」
自分の番と言わんばかりにはっきりと口にするスミシー。
「だって、私は急に告白したんだよ?
そんな人、気味悪がって嫌になるよね。
ごめんね、気持ちを考えてあげられなくて。
でもね、これだけは知ってほしいの。
私は、貴方の事本当に大好きなんだよ」
「……何それ、意味わからない」
思わず伊井野は声が漏れた。
強く言わなきゃいけない。そんな思いと共にまたテーブルを思いっきり叩いてその反動で立ち上がる。
スミシーや少年はもちろん、店内全員の注目を浴びても気にしない。
言うべき相手は1人なのだから。
「一目惚れなんて知りません。
貴方がどれだけ彼が好きでも、彼と私は──ー」
言わなきゃいけない。はっきりと今、言葉にしないと。
自分に言い聞かせる。何度も、何度も。
それでも、そんな本能を否定するように理性と身体が言う事を聞かない。
唇だけが震えながらもゆっくりと動く。空の言葉を伝えるように。
「伊井野?」
少年ははっきりと言った。自分の事を彼女だと。
「どうかしたの?」
彼女もまた、告白をしたとはっきりと言いつけられた。
自分だけ、何も言っていない。
好きだと伝えるような言葉も態度も。
言えない。
言ったらどうなるか。
風紀委員として学生を取り締まる自分が、異性との交流に否定するような事を言う自分が彼氏を作るなど。
本当はわかっていた。
言葉にしないだけで、自分は彼女なようなものだと。彼は彼氏のようなものだと。
待っていた。
告白さえしてくれれば、何時だって彼女面出来るのに。周りに言われても、先輩に告白されて仕方なくって言い訳を並べれるのに。周りにではない、自分自身に。
そうすれば、文句を言いつつも自分の中の正義に則って付き合う事が出来たのに。
助けを求めるように少年を見る。
黙る伊井野を心配そうに見つめる顔
そして、自分を興味深そうに見てくる沢山の視線
「……あっ」
困ったような店員の顔をトドメに伊井野は顔を真っ赤にして座ってしまう。自らの勢いを殺してしまった。
「大丈夫?」
隣から聞こえた心配する言葉。その主の顔なんて見れる余裕はない。
ただ俯いて、歪んでいく視界の中膝の上で震える両拳を眺める事しか出きなかった。
「ほら、やっぱり付き合ってないじゃん」
勝ち誇った顔をする相手の顔すら見れない伊井野。
ただ、自分の事を情けなく思うことしか出来ない。
「ねぇ、私と付き合おうよ」
こんな風に、こんな風に自分に素直になれたら
「私前の彼氏ともそんなに深くなかったから初めての事ばかりなの……だから、色々と教えてほしいな」
自分の中のルールも規則もない、守るものもない人だったらどれだけ気楽だったんだろう。
「私ね、同じ年の彼氏と教え合いながら勉強してみたかったんだ〜」
だけど、素直な良い子じゃないと
「一緒に映画見たり、買い物したりご飯食べたり。
やりたいこといっぱいあるね」
素直な良い子じゃないと誰も愛してくれない。
それが伊井野ミコの価値観でもある。
「……やだ」
ただ呟く事しか出来ない。
映画も買い物も食事も全部伊井野がこの後やる予定だった事。楽しみにしていた事。
ふと、想像してしまう。
眼の前の彼女と少年がありふれたカップルのように過ごす様を。
自分とだったら出来ない事を平然とやる様を。
手を繋いで歩き回るのだろうか。
腕を組んで歩き回るのだろうか。
暗い部屋で互いの手の温もりを感じながら過ごすのだろうか。
感想を言い合いながら談笑しつつ食事をするのだろうか。
自分とならそんな事は出来ない。
手を繋ぐなんて出来ない。そんなのまだ早い。
腕を組むなんてもってのほか。
話だってきっと、何時ものように自分の愚痴を優しく聞いてくれるだけ。
彼女なんかじゃなくても出来る事しか私はしてあげられない。
眼の前の彼女のように、フレンドリーな接し方もできない。
「……やだよ」
それでも、それでも離したくない。
必死に頑張って袖口を掴む。掴もうとする。
薄い布に指が触れると、途端に怖くなる。
こんな時にだけ彼女面する自分に冷たい仕打ちがこないか。
縋る手を振り払おうとしてこないか。
そんな事はないのだろう。
少年は何も言えずに戸惑うのみ。スミシーもまた、その伊井野の様子に笑みを強める。口元を両手で隠しつつもその興味深そうな視線だけは隠せない。
そんな周りに視線を向けず、ただただ指と指という小さいながらにも掴んだ自分の希望を一点に向けた。
これだけなら、これぐらいなら大丈夫。そんな風に言い聞かせながら。
「可愛くていいな〜じゃ、私も」
そんな軽い口調にに合うように軽々しく、いや、スミシーからしたら本当に軽い事なのだろう。
伊井野が必死に掴んだ袖口とは反対の手を無理矢理に取ると、強引に自分の指を絡めていく。
「あ、温かいんだね」
照れているのか顔を赤く染めながら。
「伊井野? だ、大丈夫?」
中学生という身分だからこそ、身の丈にあった付き合い方を徹底しなければいけない。そう思って付き合ってきた。
こんな風に指を絡める者達なんて沢山共に見てきて、少年の前ではっきりと注意をしたのも何度もある。
いけないことだと定義していた。
世間的には許される事なのだろう。
それでも、周りに煙たがられ友人と呼べる友人が少ない伊井野には世間の常識というのか著しく欠落していた。
きちんとした付き合いをするのであれば、それ相応の年月を重ね身分に相応しくなってから。
そんな風に子供の頃から思い、間違っているなんて思いもしない。
周りを見れば自分が浮いているなんて直ぐに分かった。
それでも、自分が正しいと思う。
一歩でも道を誤れば全てを手放す事になりかねないような事態になるのだから、その前に予防線を張るなんて子供にだってわかる事。それができないのは、理性よりも本能を皆が優先してるから。
そんな風に思っていた。
自分が正しい。間違った事なんて言ってないししていない。
「伊井野、伊井野?」
軽々しく他の女と指を絡めるながら、その手を必死に外そうとしながら心配そうに見てくる少年。
自分ではなく、彼が悪い。
そうだ、だから──ー
「先輩、先輩が悪いんだ」
何時の間にか溢れていた涙になんて気にもしない。ただ1人視界に映る少年を見る。
「先輩が悪いんだから」
何度も呟く。
「私は悪くないもん」
何度も何度も。
「ふっ、ふふふふっ、ふふふふふふふっ」
その姿に不気味さを覚え、少年も少女も言葉を失う。一方的に絡まれた指は中途半端に外されながらその動きを止めて。
そんな2人とは違い、周りはその不気味な彼女を不審がる。店内の異質な雰囲気に見かねた店員が近づくのを合図に笑い声が収まると、伊井野は静かに笑った。
「私帰るね」
ただ静かに呟いて伊井野は席を立つ。
振り返ることすらせずに店を出ていく彼女の背中に影を感じつつ、追いかけるかどうかすら判断できずにただ、掴まれていた腕を伸ばす。
どんな言葉をかけていいかすらわからない。どうするべきかも。
彼女からみた自分の立場も、自分から見た彼女の立ち位置も。
何もかもわからなくなったまま、表現できないその気持ちに気付いて貰いたいように。
そんな少年の姿を見ながら、早坂愛は額から浮かぶ冷や汗を軽く拭き取りつつ大きく息を吐いた。