悪魔が耳元で囁いた。超エロい声で腰抜けた。

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最高じゃねぇですか

 人類なんて一度滅んでしまえばいいと思っていた。ならばそれが現実にできるようになったとき、どうしたらいいのだろう?

 

 

 

 

 目を覚ます。朝の陽射しを感じる。そして生きていることを実感し、そのままスマホで通知を確認する。いつも通知が溜まっているので、いらないものといるものでさっさと選別しておく。

 

 そんないつもと変わらない日常の始まり。

 

 スマホで鑑を起動して、顔を確認する。寝起きなだけあって酷い。醜い顔だ。死んでしまえばいいのに。そう思うけど、そんなことをする度胸がない。剃刀首に当てることさえできない。意気地なしだ。死んでしまえ。以下ループ。

 

 人間が死にたくなるときって、たくさんあると思う。それこそ些細なことでも死んでしまいたくなる。そして死んでしまいたくなったあと、いつも他人に押し付けるのだ。自分が死ぬのは嫌だから代わりにお前が死ね、と。

 

 いつも同じようなことを考えている。いつまでたっても止まらない。思考はそのまま回り続ける。意味があろうと、なかろうと。

 

「あーあ、俺以外の人類みんな死なねーかな。口内炎なって永遠に治らなきゃいいのに」

 

 と、いつものようにうそぶいた。どうせそんなことなどありえない。ありえないというのに、そんな幻想をしている。究極的には俺は社会不適合者なのだろう。いや、俺だけではない。きっと俺一人ではない。どいつもこいつもろくでもない。だから俺ひとりだけこんなに醜いわけじゃあないはずだ。

 

 さて、そんなクソどうでもいいつぶやきに対して、なんとも珍しく───というか、まずありえないことなのだが、返す声があった。

 

「それが君の望みなのかい?」

 

 どことなく聞く耳が心地よい声で、女の声で返された。

 

 音の発生源は上方。となれば、今俺のうえにだれかがいるということで、という考えはせずに、ただ肩に突然現れた重みに驚きながら原因を探って上を向いた。

 

 肩の上に、女が乗っていた。

 

 肩車をしているようなそんな感覚。というか実際していた。え、どういうことだ。そう困惑するのも無理ないだろう。なんせ、俺は一人で暮らしているのだから。

 

 こんな状況、ありえないはずだった。

 

 しかもその上に乗っている彼女がとても愛らしい───と、いってはあれなのだが、個人的にとても()()()容姿をしている。その事実がますます自分を困惑させ、

 

 結果、正常ではない状態で彼女の足に口吻(くちづけ)た。

 

「ひゃわァっ!?」

 

 驚かれた。

 

 

 

 

「ボクは悪魔です」

 

「はい」

 

「君の願いを一つ叶えにきました」

 

「はい」

 

 らしい。なんとも簡潔で、好感が持てる。無駄に長々と喋る人間が大嫌いだ。話はまとめろ。自分ができてないくせに他人にはそれを求める男、それが俺。

 

「じゃあなんで俺の願いを叶えにきたんだ?」

 

「理由ー? そんなのー? ナイショだよー?」

 

「くっそかわいいなおい」

 

「……ボクがかわいいかはおいといて!」

 

 おいといて! ともう一回言った。大事なことらしかった。

 

「君の願いってなんなの?」

 

「え? そこ? 悪魔なんだったら読心的な力でなんかこう摩訶不思議な感じにちちんぷいぷいでビビデバビデブーしちゃうんじゃないの?」

 

「悪魔なのに読心もちちんぷいぷいもビビデバビデブーもできないんだ。あ、でも君が独身ってことは知ってるよ!」

 

「くっそこいつ……!」

 

「あうあうごめんなさい揺らさないでぇぇぇえええ」

 

 揺すぶっていた手を止める。

 

 さて、どうしようか。実際、願いという願いはぱっと出てこない。俺はどうしたらいいのか。そういう願いは出てこないんだ。

 

 強いて言うなら、どいつもこいつもろくでもないからくだらない諍いを繰り返す人間は全部死んでしまえばいいと思っている。

 

 しかしそれが願いというのも───なんというか、華がない。もっとこう、赤い華を散らすような脳漿爆裂スプラッタな願いではなく、もっとなにかちゃんとした願いのほうがいいよなと思う。

 

 というかそういう願いってまじで悪魔信仰でもしてるような絵面に見えて心象わりぃ。

 

 酒池肉林みてーなことも考えたけど女とか人生において必要ねーしな。というか女に関しては命を賭けるに値するやつに出会ったことがないから、どうにも要らないって判断しかできない。

 

 だからといって男がいいって話でもなく。

 

 まぁ、なんだ。なにかを消す方向性で考えるのはやめようかな。そんなことを思いながら、頭では人類が滅びてしまうことになによりも惹かれていた。なんせ、今のいままで生きてきた人間が一斉に死ぬのだ。なによりもおもしろい見世物だろう。

 

 ……ああ、そうだ。俺を殺してもらうってのもいいかもしれないな。この首を刎ねて、俺という人間を磨り潰してカエルの餌にでもしてやってほしい。

 

 そういうことで聞いてみることにした。

 

「俺を殺してってのはあり?」

 

「うぇっ!? あー……えーと、その……できるけど……ボクとしては避けてほしいかなーって」

 

「あー、うん。わかった」

 

 なるほど、それは厳しいらしい。

 

「世界を滅ぼすのは?」

 

「それは任せて! ばっちり生き物全部殺してくるよ!」

 

「あ、それはできるんだ」

 

「ボクにできないことはないんだよ」

 

「俺を殺すのは?」

 

「ちょっと避けてほしいかな……」

 

 なるほど。

 

 俺を殺すというのが一番厳しい願いらしい。これはなんとも意外である。世界を終わらせることができるのに、俺なんかを殺せないというのも意外な話だ。

 

 まぁここらへんは悪魔との契約とか、そういったオカルト的な部分に踏み込んでくるからかなぁと適当にアタリはつけておく。間違ったとしても、別に俺は死んでもいいし殺されてもいいわけだ。特に、ここまで一目惚れみたいに惹かれている女には殺されたくもある。

 

 これは俺がおかしいだけか。いや、しかしおかしくはないと思う。そもそも、殺されていいって思える相手に『愛』って言葉は使うものなのだから、当然だと思ってる。

 

 実際この悪魔になら殺されてもいい。死にたいだけかもしれないが、その後押しをしてもらえるなら怖くはない。

 

 なんて思って、そう口にしようとするのだけれど───口が縫われたかのように動かない。喉は震えない。

 

 言葉にすることを拒んでいた。

 

「……まぁ、特に願いの期限はないから、じっくり悩んできめたらどうかな。ボクも君が死ぬまでくらいなら、一緒にいることができるし」

 

「あ、そうなのか? じゃあせっかくのお願い券だしとっておくことにするわ」

 

「ん、わかった。……それでね、一つお願いなんだけど」

 

 と、いって彼女は両手をあわせこちらの顔を覗き込む。

 

「実体化しちゃったから住む場所がないんだ。君が答えを出すまで泊めてくれない?」

 

 ……ずるいよそれは。

 

 

 

 

 そんな経緯で、悪魔との共同生活が始まった。

 

「あ、母さん? 俺は友達できたぜ。ルームシェアしてる。そっちは元気? ……そっか。わかった。来月あたり帰れそう。そんときに友達も連れてっていいかな? ……まじ? ありがと」

 

 と、言うだけ言って電話を切る。肩にもたれ掛かってくる悪魔の体温は時期的にクソ暑い。離せといってもへばりついてくる。どうしようもないので扇風機を強で回してどうにか相殺している。

 

「あつすぎる……」

 

「ねー」

 

「お前どけよ」

 

「ねー」

 

「暑いんだって!」

 

「ねー」

 

「駄目だ、イカれてやがる」

 

「ねー」

 

「素麺食いてぇ……お昼それでいい?」

 

「やったー!」

 

「お、反応した。ほらどくのじゃ」

 

「やだ」

 

()()()()め……!」

 

 頭を手で押すが、しかし抵抗される。くそ。俺はこの暑い中こいつを背負ってないといけないのか。

 

 スマホで適当に動画を再生すると、肩越しに画面を覗き出した。机の上にスマホを置く。こうなると、タブレット端末を買う必要がでてくるかなぁなんて思う。

 

 しかしまぁ性急に必要なわけではないのだ。使えるものは使い倒してぶっ壊れるまで温存しておこうと思う。

 

 流している動画はひどくつまらない。なんというか、この時期すべてのことがつまらなく感じているような感じがする。無味乾燥とした人生、というか、

 

 彩りがないような。

 

 人生に刺激なんてものはいらない───も悪魔なんてものと生活している時点で満ち溢れている。けれど、なんというか人生の彩りが足りない。退屈なのだ。流しているテレビからはいつもと同じように見知らぬだれかが死ぬといったニュースばかり。全くもって心は傷まない。なのに、ツイッターでよくある諍いを見て人間の汚さを見て、心を痛めるのだから俺という人間はよくわからない。

 

 あるいは、悪魔のほうが人間味があるくらい。

 

 ……。

 

 空を眺めて、死んだ鯨を見つけた。いや、それは比喩だ。ただ、つまらない人生に彩りを与えてくれることを望んだ俺が生み出した幻覚にすぎない。

 

 幻影。

 

 今俺が見ているすべてのものは、なにかの幻影にすぎないのかもしれない?

 

「戯言だよな」

 

「んぬ? なに? 中二病?」

 

「正解」

 

「中二病かぁ。可愛そうだね、ここはボクが一肌脱いであげよう」

 

「人肌は脱ぐなよ。神話生物みてーなのを見るのは勘弁だ。死にたくない」

 

「酷いなぁ。別にそんなんじゃないよ。ただちょっと頭の中をクリーンにしてあげようかなって」

 

「絶対やめろ」

 

 まず、だ。

 

「人格を形成するのになにが影響するのかわかるか?」

 

「ん? うーん……わかんない」

 

「記憶だよ」

 

 俺はカッコつけつつ返した。

 

 そう、記憶が人を作る。

 

 世界五秒前説なんてものがあるように、人の根幹を形作るのは記憶だ。感情なんてものはあとから実感の伴わない記録として振り返られる。いつ憤りを覚えたか、その記録から人は自らの憤りを覚えるスポットを作るわけだ。

 

 記憶以外に人格を肯定する要素なんてない。同じ人間でも、記憶を消してしまえば別人だ。いくつもの経験の結果今の俺があるわけだし、だからこそそんな自分を肯定してあげられなければ人間ってのは終わりだと思う。

 

「俺は今の俺になにより納得している。だからこそ、頭を弄られるのはなによりも許しがたい」

 

「ふーん、そんなものなんだね。勉強になった」

 

「あくまで俺の意見だけどな───まぁ、あれだ。自分を肯定できない人間に生きてる価値はないよなってことだ!」

 

 ははははは、と笑い、顔を見合わせる。

 

 テレビでは、どこかのだれかが自殺したという報道がされていた。

 

 どこの馬鹿だ、と思ってみたら、なんとも数奇な運命か───中学時代の同級生の名前だった。

 

 

 

 

 そういう経緯もあり、いろいろな企画を前倒しにして実家に戻った。そうして葬式には出た。俺と同じように、ニュースを見て戻ってきたのか、報道があったのかはしらないけど、多くの顔見知りが来ていた───そして、だれもかれもで彼の死を悼んだ。

 

 だれかが死ぬ、ということは世界にありありふれている。しかしそんなことで、ものの僅かな交流をしただけの俺でも、面識があるというだけで───空気に呑まれたというのもあるが、どことなく寂しく、悲しく感じるのだから、人間というのは厄介にできている。

 

 寂しいだけだと未練が残るだろ、と思って無理やり笑ったら不謹慎だと怒られた。そこらへんは価値観の相違だろうか。俺も笑いたくて笑っているわけじゃない。

 

 ただ、このしんみりとした空気で、いったいどれだけの人間が半年も死人を憶えてるんだ、と思った。そうなると、そんな連中に悲しまれる、憐れまれる彼がどことなく不憫に思えた。

 

 死因は自殺だろう? そこまで追い込むに足る理由があったわけだ。なのにどうして死んだあと悲しむんだ? 誰も彼を救ってやれなかった。つまり、その程度の存在でしかなかったんじゃないか? 彼にとっても、お前らにとっても、俺にとっても。自分自身を含めて嘲弄する以上にはない。愚かだ。バカらしい。

 

 人間は脆い。直ぐに死ぬ。

 

 ほとんど関わりのなかった人間ですらこれだ。俺は、身近な人間が死んだとき、正気でいることができるのだろうか。

 

 暇を潰していた悪魔───母さんの前で呼ぶために、名前が必要ということでひとまずテレスと名付けた───と合流し、そのまま実家へと帰る道を行く。

 

「なんというか……人が死ぬって寂しいんだな」

 

「その感覚、ボクにはわからないな」

 

「俺もわからねーもんだと思ってた」

 

「君が解ったんならボクもわかりたいな」

 

「必要ない。こんな感情は人生の妨げになる」

 

「ふーん。それで、どうする?」

 

 どうする、とは? 最初は聞かれている意味がわからなかった。判断力が鈍っているのかもしれない。そんな俺に向かって、悪魔は甘く囁いた。

 

「ボクなら彼を生き返らせることだって───できるんだよ」

 

「……………………あ」

 

 そうだ。

 

 そういえば、この悪魔は願いを叶えることができるんだった。

 

 日常の一部となっているから、考えることを忘れていた。それだけ自然に溶け込んでいたのだから、悪魔という存在がこいつ以外にも世界に溢れてる可能性を考えて、そんなわけがないかと考えを破棄した。

 

 そういうものだろ。たぶん、きっと。

 

「……どうするのかな?」

 

「生き返らせない」

 

「あら」

 

 意外、と彼女は目を丸くする。

 

「珍しく感傷に浸ってたから、てっきり生き返らせるかなーって思ってた」

 

「こんなのは余計な感情だろ。そもそも、人間は人の死や悲しみを乗り越えていきてくもんだ。こういう悲劇だっていつかは風化する。ありふれてくだらねー日常の一部になる」

 

「だからいらないって?」

 

「おう」

 

「人ってわかんない」

 

 悪魔は眉を寄せる。いよいよ疑問のようだ。そんな()()すらかわいらしいなんて思ってしまうあたり、俺はどうしようもないバカ野郎だと思う。死んでしまえばいい。

 

 俺みたいな人間には、地獄の業火がお似合いだろう。

 

 なんてこんな考えさえ人生においては無駄なものの一つで───俺は、吐息と共にすがりついてくる感傷を振り払う。

 

 宵闇の気配が首元を撫でた。

 

 

 

 

 母親は意外なくらいあっさり悪魔を受け入れた。

 

 若い男女が同棲しているというのに、あっさりと受け入れる母親は正直意外だったし、それに悪魔がめちゃくちゃ実家に馴染んでいることに少しばかり違和感がある。

 

 実家には男の影がない。父親はいない。俺は母親一人で育てられた。つらいこともあっただろうに、俺に無制限に無償の愛を注いでくれた母親を尊敬しているし、だからこそ俺が父親になるときは命を賭けて愛せる相手を探そうと考えたのだろう。

 

 親に恵まれたから。

 

 愛されたぶんだけ愛してやりたかったのかもしれない。

 

 ひょっとすると、口では死人なんてどうでもいいと言っているが、実は俺はとっても繊細なのかもしれない。

 

 というか、人間はみんなそういうものなのだろう。口で述べる戯言とは別に、本心はきっと真逆にある。人間はいくつもの仮面を身に着けている。それは、俺すら───そしてその社会の中に生きている、悪魔ですらそうなのかもしれない。あるいは、この息苦しい社会のなかで、何事にも染まらないその悪魔に俺は惚れてしまっているのかもしれない。

 

 全ては推測でただの勘違いなのだろう。自分のことなんて案外自分がわからない? 知るか。俺のことは俺のほうがわかっていることが多い。母親だって、俺のすべては知らないだろう。

 

 だからこそ───お前ら全員くだらねー。

 

 人生のしがらみに囚われている俺を含め、全人類がくだらない。死んでしまえばいい。そんな過激なことをSNSに呟いてみた。だれも反応しやがらねー。やっぱりフォロワー少ないと問題か。そもそもこんなこと呟いてる時点で、俺は好かれないんだろうな、という自信があった。

 

 葬式の帰りだ。若干性格荒んでるかもしれないだなんて保身に走ってから、頭の熱が過ぎ去って自分のやったことに若干後悔する。よくあるんだ、こういうの。くっそくだらねー感傷でしかない。感傷でしかないのに、頭の中で羞恥心が渦巻いてたまらない。クソがくたばれ。お前は死ね。俺だ。俺のことだ。早く死ね。死んでしまえ。

 

「俺の願いは───……」

 

 なんなんだ? ろくに交流もなかった人間が死んで、こんなに心を乱されるのはなんでなんだ?

 

「死にたいのか?」

 

 死にたくないのか。

 

 わかんねーよ。俺のことなんて。

 

 だれか教えてくれ。

 

 

 

 

 願いを叶えることができるとき、お前はなにを叶えますか?

 

 自分の痛みと悼み、どちらを取りますか?

 

 世界の寿命ってぇ理のとおり、親のほうが子供より先に死ぬ。子供は親に取り残され、その屍を乗り越えて踏み越えて生きていく。

 

 人は生きているだけでたくさんの人を殺している。食っている飯だってそうだ。いくらでも人以外の何かを───自分と直接関係のないなにかを、間接的に殺してきた。自分が生きるために。

 

 願いを叶えることができるとき、お前は親に自分の悲しみを背負わせますか?

 

 自分の痛みと誰かの痛み、どちらを取りますか?

 

 そんなの自分に決まっている。決まっている。選ぶ余地もない。だれだって俺が一番かわいい。だから、悲しみなんてすべて捨て去りたいに決まっている。

 

 回りくどくする必要はない。ただ、予定調和のように───母親がその生命の焔を消し去ろうとしている。その時がやってきただけだ。

 

 人生でよくある、別離の時間。

 

 

 

 

 あっちがすぎさればこっちがやってくる。わずかな期間で、二回目の葬式。またか。せかいはどうして人を殺さずにいられないんだ。どうしてハッピーエンドで終われないんだ。

 

 それが人生だからだ。

 

 ハッピーエンドなんて人生に存在しない。それはただ、早死しただけじゃねぇか。そんなのハッピーエンドとは違っている。

 

 物語が終わっても、キャラの人生は続く。どうしようもないほどに。語られないだけで、そこには悲劇があるだろうし、語られないだけで幸せには終われない。だれかが悲しんで終わる。だから、完膚なきまでのハッピーエンドなんて存在しない。

 

 葬式はつつがなく行われた。

 

 親族共が集まって、ひそやかなざわめきの中に俺はいる。どうしようもなく憐れまれている。顔もみたこともない親族どもの集まりだ。おまえらいままでなにしてやがったんだ。一体今更どの面で母さんの葬式にきやがった。

 

 そうは思ったけど、キレるのだけはしなかった。それは母さんの品位を下げるから。だから、そのことにキレることはなかった。

 

「あの婆さんも大変だったよな……捨て子を今まで育ててたなんて」

 

「ああ、父親がいないのもやっぱり……」

 

「妹の子供を押し付けられたって聞いたぜ。あの子も可愛そうだよな。あんなに母親を慕っていたのに」

 

 そう、俺は母親の品位を落としちゃいけない。我慢しろ。こんなのはただの雑音だ。どうでもいい雑音にすぎない。それより、自分の嗚咽のほうが鬱陶しい。どういうことだよ。テレビの向こうで人が死んだときはあんなにどうでとよさそうだった涙腺さんよ。こういうときだけ、どうして活発になりやがるんだ。クソが。クソだ。やっぱクソだ。どこまでも最悪の気分だ。最悪の気分になりながら、笑みを作ろうとする。母親は俺によく笑えって言ったから。

 

 たぶん、こういうとき、母さんの子供なら、泣いてちゃいけないんだ。

 

「違う……俺は、母さんとちゃんとした……」

 

 どうしようもない。

 

 そうだ。噂は噂。ありえない。しかしお前ら、よく本人のまえでそんな話してられんな。どういう神経だよ。全部聞こえてんだよ。クソ。ニキビ潰れたときの痛みに苦しんで死ね。死ね。

 

 違う。

 

 これはただの、雑音。

 

 

 

 

 どれだけ嫌がろうったって、時間は過ぎるものだ。

 

 これは運命に最初から定められたもの。だからこそ、俺は母さんを生き返らせることをしなかった。

 

 なんだよ、奇跡って。人類を滅ぼせても、そんなの一回きりの退屈な奇跡じゃねぇか。

 

 一度亡くなったものを世界に連れ戻すことは、故人に対する冒涜だ。そんなことをする人間は死んだほうがいい。だから、一瞬それを考えた俺も死ねばいい。

 

 もう、生きる理由も見当たらない。

 

 それでも朝はやってくる。世界が地獄だと今更気づいても、いつでも明日はやってくる。

 

「君さ、落ち込みすぎじゃない?」

 

「そうかもしれねぇ」

 

「もともと人なんて死ぬように作られてるんだよ。仕方ないんだ。お母さんも覚悟してたよ。ボクにそのことを教えてきてた」

 

 そうだったのか。

 

「そうだよ。あんまり落ち込んだって意味ないよ?」

 

「俺の気が晴れる」

 

「そのくらいならボクが治してあげる」

 

「わりいが宗教上の理由でな。自分のことを自分でできねぇ人間は頭弾けて地獄行きだぜ」

 

「うーん……そんなに?」

 

「そんなに」

 

「そっか」

 

 じゃあ仕方ないね、と悪魔は俺の頭を撫でやがった。

 

「膝枕する?」

 

「しない。男なら自分の膝で枕する」

 

「無茶でしょ」

 

「じゃあ流れに枕して石に漱ぐ」

 

「漱石枕流……!」

 

 悪魔のくせに妙なこと知ってるな、と思いながら、気分の乗らない遺品整理をする。もうすでにある程度を仕分け終わり、残るは一つの引き出しのみ。

 

 特になにも思うことはない。ただ、心を錆びつかせ機械のように仕分けるだけ───なのだが。これだけは違った。

 

 『生まれてきた君へ』。そう書かれた一つの写真と、手紙だった。長年保管されたのか、紙は折れ固まっていて、肌触りもあまりよくない。おそらく俺に宛てた手紙なのだろう。そう思って、その手紙を読み始めた。

 

「……生まれてきた君へ。この写真だけ遺して消える私達を許してください……」

 

 

 

 

 握りつぶした写真を持って、思わず外へと飛び出した。口に入った雨の味は最悪なくらいまずかった。俺の気分と同じ味と色をしている。即ち曇天。クソだ。世の中クソだと思っていたが、なんだお前ら。俺がいままで真実と思っていたことは間違っていて、ただ最悪な事実だけが世界には溢れてやがる。

 

 なんだよ、消えるって。俺を遺して消えるってなんなんだ? お前らいったいなにしてたんだ? いまどこにいるんだ? 最低だ。そして最悪だ。死んじまえよ。今はもう、死んでるのかもしれないけど、死んでしまえ。すり潰されろ。その肉片はもやしの栄養にでもする。

 

 なんだ。今まで右だと思っていたものが左だったときのような気分だ。最低だ。

 

 そして、逃げ出して、立ち止まった俺の後ろに悪魔が立った。一歩分だけ足音が多いから、それはわかってた。なんだよ、お前はオヤシロさまか? 軽くホラーじゃねぇか。つーかそもそも悪魔ってなんだよ。今更ダサいぜ。なんて言葉も口からは出ない。

 

 願いを頭の中で考えた。怨嗟のままに吐き出すことさえ厭わなかった。この世界が終わってほしかったから、だから世界を滅ぼしてくれ、と、小さくつぶやいたような気がする。悪魔のやつがそれでいいの? なんて言ったような気がした。気の所為だ。確固たる意思を持って、俺は世界を滅ぼしてくれ、と命じた。

 

 なんだよ。俺の信じてきたことが間違いで、噂話が趣味の悪趣味なクソ共が言ってることが真実だったとか、どういう顔すりゃいいんだよ。俺はどうすればいいんだ? 記憶を消してしまいたい。

 

 やっぱり記憶を消してくれといった。ここまで来て死ぬことを厭うのかお前は。死んでしまえよ浅ましい。クソだ。お前の性根は腐っている。死んだほうがましだ。死ね。死ね。死ね。

 

 唱えても意味はなく、虚しく雨音が響くだけ。雨が濡らした。なにを濡らした? 体? 心? くだらねー思考に水を差すように、車が大きく水を跳ねた。

 

 正面から浴びたから、ぐっしょり濡れてきもち悪い。けどいまさらどうでもいい。この胸の死にたさと比べたら濡れた気持ち悪さなんて些細なものでしかない。さぁ、俺を殺せ。世界と一緒に俺を殺せ。それでも世界が続くなら、お前は俺を許さないでくれ。

 

 と、思っていたら自分の部屋にいつのまにかいた。足場が消えて、いきなり落とされたので、着地に失敗して転ぶ。そのうえを、悪魔がのしかかった。ああ、これ知ってる。アニメとかでよく見るやつだ。実際に起こりうるんだな。小説とかなんかより、現実のほうがよっぽど残酷で気持ち悪い。こんな世界はこわれてしまえ。人類は一度滅んでくれ。

 

 床が濡れる。

 

 自分の腕で首を絞めた。さぁ死ね。今死ね。直ぐ死ね。疾く死ね。お前には立派な腕がある。丈夫に生んでもらえてよかったな。じゃあ人格なんて膿を抱えてそのまま死ね。息ができなくなって、思わず手を緩めた。そのときに悪魔に手を取られた。

 

 荒い俺の息遣いと、なにかを抑えるように深呼吸する悪魔の息遣い。髪から落ちた水が床に落ちる、わずかな音。静かな部屋だから、そんな些細な音でさえ目立って聞こえる。

 

「……こういうとき、ボクはなんていえばいいかしらないよ」

 

 なんせ悪魔だからね、と彼女は言った。

 

「君がどうしてそんなに狼狽えてるのか、ボクには全く共感できない。ボクだけじゃないと思う。他の誰も、そう感じると思う」

 

「そうか? それはないだろ」

 

「じゃあなんで君は怒ってたの?」

 

 さぁ。

 

 なんでだっけな。そんなこと、どうでもいい。忘れた。ただ、今はなんとなく死にたい。……そう、なんとなくだ。

 

「殺してくれ」

 

「君は、お母さんの死で何を感じたの?」

 

「なんだろうな……ああ、あれだ。物語の書き手ってやつの悪意かな」

 

「……………………?」

 

 いや、大したことじゃないんだけどさ。

 

 この世界のお話を作っているやつがいるとして、そいつは人を殺して喜んでやがる弩級の変態だ。クソ野郎だから死んでしまえ。お前に価値なんてないよ。物語を執筆するのだって、どうせ覚悟のないただの自慰行為なんだろう?

 

 運命っていえば聞こえはいいかもしれない。とりあえず、そういうやつに俺らは命を握られている。そのことがどうにも憤ろしい。殺意が沸く。殺したい。

 

「でも殺せないからさ。だから死にたくなった。俺一人死ぬのは悲しいから、世界中全員巻き込んで死にたくなった。でも俺の抱えている悲しみが俺一人のものじゃないとして、無差別に殺すのはかわいそうだな、って思った。だから俺だけ殺してほしかった」

 

「わけわかんないよ……君がなにを言ってるのか、ボクには全然わかんないよ」

 

「わかんねーだろうな。お前は人間じゃない」

 

 だから、このしがらみを知らずにいられる。

 

 それはとても羨ましくて───とても、綺麗で、無垢で。

 

 見ているだけで穢したくなる。

 

 そんなことを考える俺は最低だ。死んでしまえ。何回この言葉言ったのかわかんねぇな。死ね。言うだけならだれだってできる。

 

「……いきなりでごめんなんだけどね」

 

「おう、唐突だな」

 

「聞いて。ボクがさ、なんで世界にたくさんいる人の中から君を選んだのか、わかる?」

 

「わかるわけねーだろ。嘘なんかも見抜けない間抜けだぜ? そんな俺になにがわかるってんだ」

 

「君の両親と約束したからなんだ」

 

「ふーん」

 

「反応薄っ」

 

「どうでもいいからな」

 

 そう、どうでもいい。段々気持ちも萎えてきた。俺は一体なにに憤っていたんだっけ。わけがわからない。こういう人間だから、適当で困る。

 

 抱きしめられた。

 

 悲しみはもうとうに消えている。こんな息子で、母さんには申し訳ない。最低な息子ですまん。地獄に堕ちたら天国から嘲笑ってくれ。

 

 感情の整理がわけのわからない。俺はいったい何なんだろう。ああ、わけのわからない感情だらけだ。けど、自己矛盾を無限に起こしたような気がする。死にたい。けど生きたい。死んでほしい。けど生きてほしい。

 

 こんな感情を抱えている人間は、どうにも欠陥生物だ。

 

 仕方がない。こんな欠陥生物だから、雨に濡れて肌のやわらかさを感じた段階でもうどうすることもできない。

 

 永遠に願いになんて頼らねぇ、と俺は心に誓った。

 

 悪魔が笑ったような気がした。

 

 

 

 

「ありえねぇ───!!」

 

「うふふふふふ」

 

 クソすぎる。今更こんなことありえるのか。ありえねぇ。相変わらず俺は人を疑うのが下手すぎる。

 

 なんというか、今回俺が空回りしまくった結果のその顛末、というか、悪魔と俺との奇妙な決着というか。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、というわけのわからない結末。

 

「仕方ないよね君の両親に頼まれたんだもんボクは悪くない」

 

「お前さぁ……」

 

 なにがいいたいかというと、悪魔と俺との関係は両親が定めたことだったらしい。それは知っている。知っているが、その関係というのが問題だ。

 

 いわゆる許嫁。

 

 今までちょっと空回りしてたけどシリアス風に俺がガチで悩んだのなんだったの?

 

「男の子は困難を乗り越えて強くなるものさー」

 

「全部独り相撲だったけどな……!」

 

「ボクも見ててずーっと『この子一人で勝手に空回りしてる……!』って思ってた」

 

「そこは教えようぜ」

 

「やだ」

 

 人生に置いて、いくつ起伏はあるのだろうか。

 

 きっといくつかあると思う。けど、意外と人生って悩む必要もなかったり、無駄に考え込んだりしちまうこともあるみてぇだ。

 

 実体験、今日の教訓。あ、これ洒落な。

 

「……しかし、願い事の権利は残っているわけだ」

 

「え、なんか嫌な予感が……!」

 

「当然ッ! この場合俺が命じることはわかっているなッ!」

 

「えっちいのは嫌いですぅぅぅぅぅぅ……」

 

 そんなこと命じるわけないだろ人聞きの悪い。

 

「よし、じゃあ願いをいうぞ! ───一生俺の横で笑ってろ」

 

「……? あっ! プロポーズ!」

 

「そのとおり」

 

「……ついにデレた……!」

 

「あの、人をヒロインみたいに言うのやめてもらっていいですかねぇ……」

 

「あとやっぱり中二病治ってないんだね。ボクはプロポーズの言葉の選び方に中二病の光を見た」

 

「不治の病だからね」

 

 さてさて、それでは。

 

 やっぱ人類は一度滅んだほうがいいぜ、なんてことだけ最後に一つ言っておく。

 

 ついでに俺もお前らも、半年くらいはくたばっとけ。




 人間らしさってどんなのだろうとか考えてたら金と暴力とセックスが真っ先に浮かんだので性格が荒んでますね


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