日本船籍のクルージング船、アンベリール号が沈没し、乗客一名が行方不明となった。
捜索は死体も上がらないまま打ち切られ、行方不明者は死亡扱いとなった。
死亡したのは、遠山金一。職業武偵。
彼は、乗り合わせていながら事件を未然に防げなかった無能な武偵として、乗客やマスコミに非難されることになる。
これがキンジさんの武偵をやめたがっている理由…か。
「きひっ」
口を大きく歪ませて愉悦を表すその仕草に普段の朝霧の面影はない。
さっきまで一緒にいた俺ですら、途中で偽物と入れ替わったんじゃないかと思うほどだ。
少し前、突然立ち上がった朝霧は俺を突き飛ばすと、ブラドのいる方へ走って行った。
俺はそれを慌てて追いかけることになる。
結果、理子を助けることが出来たのだが、逃げる手段も失ってしまった。
だが、朝霧がいるということは再び攻撃の手段が出来たということになる。
なら──
「朝霧、下がれ距離をとるぞ!」
だが、朝霧のとった行動は俺の言ったことの反対だった。
「きひひ」
真正面からブラドに突っ込む。
普通なら自殺行為以外の何物でもない。
切り取られたはずのブラドの腕も既に回復している。どういう原理か、落ちた腕は赤い煙を上げて消え、すぐさま新しい腕が生えてきたのだ。
化け物だ。正真正銘の。
しかし、朝霧はその化け物に正面から立ち向かう。
丸太のように太い腕から繰り出された攻撃を曲芸のように躱すと、どてっ腹を思いっきり蹴り込んだ。
ドン!
ブラドが数メートル後ずさる。
「な!?」
あの巨体を蹴りで動かしただと!?
ありえない。朝霧はそんな馬鹿力でなかったはず。
いや、驚くのは今更なのか。
俺はもう、あの緋色の瞳を見ているのだから。
「どういうことよ!? まさか、ソラは
その可能性が一番高いのだろう。普通瞳の色が変わることなど無いのだから。
「理子、キミは何か知っているんじゃないのか?」
本当なら、朝霧を援護したいところだが、生憎、朝霧の動きが予測不可能すぎて俺の挟み込む余地が無い。
それに、今の朝霧はそう簡単にやられない。根拠のないが、そう思っている自分がいた。
「何で理子に聞くのよ?」
「朝霧をここに連れてきたのは理子だろう?」
理子は朝霧のいた場所に何かがあると確信していた。何より、朝霧がここにいること自体に一切の疑問を抱いていなかった。
理子がアリアを倒すのに朝霧を頼るとは思えない。
なら何故だ? 目撃者が欲しかったのか?
「…違うよキーくん。理子は別にソラランを連れてきたわけじゃない。ソラランが付いて来たの」
理子が俺とアリアに説明をする。
「理子とソラランはちょっとした協力関係にあるんだけど、ソラランは理子のこと信じてないみたいで、今日まで監視されてたの。だから、今日も多分いるだろうなぁって」
「協力関係?」
それはどういう──
ザン!
「!?」
投げかけようとした疑問が遮られる。事態が動いたからだ。
朝霧が魔臓の位置、右脇腹に杭を投げつけた。
深く刺さったそれは、確実に魔臓へと届いていることだろう。
だが、他の三つが無事な限り、ブラドは何度で蘇る。
刺された場所から赤い煙が出て、修復されながら、杭を押し出す。
だが──
ドン!
ブラドに超接近した朝霧がそれを蹴りで刺し戻す。
ザクッ! ブシュ!
そして、右手に持っているナイフで、ブラドの左肩をぶっ刺し。
左手のナイフで下あごから、舌にある魔臓ごと、口を貫通させる。
「ウグォォ」
口を串刺しにされ、強制的に閉じられたブラドからくぐもった声がもれる。
あっという間に、一人で三か所の魔臓を攻撃してしまった。
あとは──右肩だけだ!
しかし、地面に立っていることも含め、両手両足をフルに使っている朝霧にもう攻撃手段は無い。
ならば、俺が!
と、思ったが、朝霧の顔が丁度俺から見た右肩への射撃線上にあり、それが壁になってここからじゃ撃てない。
ブラドが朝霧を潰そうと動く。
ダメだ! あんな至近距離じゃいくら朝霧でも躱せない!
「朝霧!」
バダンッ!!
誰かが倒れるような音──。
朝霧の頭にブラドの腕が届く瞬間、ブラドが突然倒れたのだ。
何故だ?
魔臓は三つしか破壊していなかったはず。
振り返る朝霧。
やはり、瞳は緋色に染まっている。
こちらに向かって、一歩、一歩と歩いてくる。
そして──
スゥ
朝霧も倒れた。
しばらく──いや、実際はどのくらいの時間だったかわからない。
現実を飲み込めず、ただ呆然としていた俺たちの意識がそれで戻った。
「ソラ!」
アリアが朝霧に駆けよっていく。
「…やったのか…?」
それをしり目に、ブラドに慎重に近づき、確認する。
右肩──魔臓の位置には穴が開いていた。
魔臓は全て潰されていたのだ。つまり、ブラドは──
「ブラドを倒したの?」
理子も半信半疑という表情で近付いてきた。
それもそうだろう。あんな馬鹿げた力を持つ化け物があっさりやられたしまったのだから。
しかも、それを朝霧がやったのだ。こんなことになるなんて誰が予想できただろうか。
だが、腑に落ちないことがある。
右肩に朝霧は攻撃できるような状態に無かった。
だが実際、魔臓は全て潰されている。
何もかも、理解が追い付かない。切れ目が無く進んできたこの事態に。
一体、何が起きたんだ…?
その時──
ガチャ
屋上の出入り口のドアが開いた。
22.「ようこそ、イ・ウーへ」
暗い夜の街。
そんな街のとあるビルの屋上に溶け込むような黒い服を着た少年がいた。
そんな服装だと、交通事故の危険があるだろうと、思うくらいに真っ黒な服装。
闇に琥珀色の瞳だけが浮いていた。
「久しぶりね」
少年に声をかけた少女は黒い長い髪に、黒いセーラー服と、これまた黒尽くめの服装をしていた。
よりにもよって、こんな奴と被るなんて。
うわー、一気にテンション落ちたわー。
「ああ。本当に、ねっ」
ヒュン!
言葉と一緒に投げたナイフは、ひょい、といとも簡単に躱される。
「とんだごあいさつね。何か気にくわないことでもあるの?」
「自分の胸に手を当てて考えてみなよ」
少女はほんの少し小首を傾げた。そして、一息つくと、
「覚えが無いわね」
「はぁ? 僕を殺しかけておいて、そんなこと言うんだ?」
「器の小さい男ね。それは、この前の薬でチャラになったはずでしょう?」
「なってねえよ! あれはレキ先輩の好意であって、断じておまえのじゃない! それにそもそも夾竹桃! おまえがいなければ僕が不眠症になることも無かったんだ!」
夾竹桃はキセルのようなものを吸って、ふぅ、と息を吐き出すと呆れたかのような声で言った。
「あなたが私より弱かった。ただそれだけよ」
「あんな不意打ちで勝ち誇るなよ」
「不意打ち専門のような学科にいるのに面白いこと言うのね」
「大体、あかりに負けたおまえが、僕より強いとでも思ってるの?」
「
「おいおい。その
「ただ単に、私の方が早く行動を起こしたというだけよ。そんなこともわからないなんて、流石、
「あはは。負けてはないから。というか
「条件が違うだけよ。ジャンヌはセコセコした手を使うのだけは立派なだけ。あなたみたいにね」
「確かに、真正面から戦った瞬間、瞬殺されて、ちょっとダサかったジャンヌさんだけど、仲間にそういうこと言うのは良くないんじゃないかな。根暗さん?」
「
「ジャンヌさんはそれでも
「それこそジャンヌごときと比べないで──」
「おい、やめろ!! 互いに罵りあう振りしながら、私をイジメて楽しいか!?」
この暗闇でさえ、いや暗闇だからこそ、一際輝く美しい銀髪にサファイアの瞳。
彫刻のように整ったその容姿は誰が見ても美人だと答えるだろう。
しかし、凛とした顔はプルプルと震えていた。心なしか、本物の宝石のように綺麗な瞳に涙が溜まっている気がする。
夜も遅いし、眠いのかな?
「あら、ジャンヌいたのね」
「最初からずっとおまえといただろう!」
「あ、ジャンヌさんいたんですね」
「…おまえたち実は仲が良いんじゃないか…?」
「「それは無い(わ)」
こんな根暗女と仲良くなんかするかっての。
ジャンヌさんも冗談キツイなー。
「こんばんわ。相変わらず綺麗ですね」
「……朝霧…このタイミングでよくも言えるな」
何だろう。思っていたような反応が返ってこないな。完全に白けてるし。
やはり、僕には女性を口説くセンスは無いみたいだ。今度、あの状態のキンジさんに教えてもらおうかな?
「りこりん、とうっっっじょう!」
「帰れ」
「ひどっ!」
同じ死線を潜り抜けても、やっぱりウザい奴はウザい。
ブラドにあてられて、少しはしおらしくなると思ったんだけどな。どうやらそれは希望的観測だったらしい。
ていうか、呼び出した本人が遅れてくるとか何様だよ。
自分が重役だとでも思ってんのかなぁ、この脳ミソお花畑先輩は。
「消えて……間違えました。死んでください」
「言い直せてないよ!? 余計にひどくなってるからね!?」
「本気だよ。本気」(本気だよ。ウザいなぁ)
「冗談と建前が逆になって───すらいなかった!?」
あーうっかり、うっかり。
「まったくぼくもひねくれものだなー、こんなすてきなせんぱいのまえだと、てれてしまって、おもったこととぎゃくのことをいっちゃうもんなー」
「ソラランの棒読み口調、舌足らずな感じがしてかわいいねー」
「キモイ、死んで」
何、この人、マジでウザい。
嫌味をこう返してくるのは予想外だった。気持ち悪くて鳥肌立ったよ。
「むむっ、流石ソララン。隠しキャラだけあって難易度高―い。くふふ。だから面白いんだけどぉー」
隠しキャラってなんだよ。
言っとくが僕は、パッケージに立ち絵が描いてあっても攻略不可能なファン殺しキャラだからな。
購入者の皆さん、申し訳ないが、ソラルートはありません。
「まだ、ファンディスクという手が!」
「予算オーバーです」
おまえの続編嫌いな設定はどこに行ったんだ!?
……ん? 僕も何を言っているのだろう?
「理子…」
「あ、
どうにも、この人相手だとなかなか本題に入れない。
この中で一番話していたい相手は、ダントツでジャンヌさんなのだが、うまくいかないものだ。これが世の中というものか。
「正直、三人もいる必要あるんですか? 僕的には場所だけ教えてくれればいいんですけど」
「最初はそれでもよかったんだけどぉ」
最初は、ね。
「ソラランに恩を感じている理子は、お礼の限りを尽くしたいのでぇーす」
「そんな…恐縮ですよ。峰先輩はただ、パラシュート外してそこから飛び降りてくれればいいですから」
それだけで、僕は幸せです。
「なんだ。理子は朝霧に嫌われているのか?」
「くふふっ。違うよー。ソラランはツンデレさんなんだよぉー」
「…おえぇぇ…」
「ちょっと、本気で吐きそうな顔しないでよ!?」
ギモチワルイ……。
夕飯のカロリーメイトが逆流しそう…。
「…うぷ……。はぁ……まあいいです。気持ち悪いですが、気持ちはわかります」
あんな、光景を見たのだから。
軽快な性格である峰先輩でも、正確に警戒するだろう。
「最初に、聞くべきだったのかもね」
峰先輩は、アホアホモードながら僕を真っ直ぐ見据えて言った。
「
返す言葉は決まっていた。というより、それしか無かった。
「それを、今から知りに行くんですよ」
◇
圧巻だった。
全長300mはありそうな、海に浮かびあがった巨大な人工物。
そうか、そうだったのか!
イ・ウーの正体、それは
……宗教じゃなかったんだ……。
船上に着陸してもなお、驚愕から抜けない僕に追い打ちをかけるように一人の男が姿を現す。
かっこいい……いや、綺麗な男性だった。
だけど、何故だろう。どこか僕の知っている人物の面影があるのは……。
そう思案している僕に近づき、男性は徐に口を開いた。
「初めましてだな。俺の名前は
……キンジさん。どうやらお兄さんもモテそうですね。
◆◇◆◇◆
遠山キンイチ
性別 男
所属 イ・ウー
キンジの実の兄である。
去年のとある事件で死亡したと思われていた。
隙のない端整な顔立ちをしている美形。
戦闘力はヒステリアモードのキンジ以上らしい。