Episode of Laika ①
アタシが初めてソラと会ったのは三年前──中学一年生の頃だった。
東京武偵高の付属中学。
武偵としての基礎の基礎を学ぶ場。
入学したての一年生となれば、一部の特殊な家系を除き、まだ一般人と大差がない。
だからこそ、当時その中でとび抜けていたソラと出会うのは必然だったのかもしれない。
──三年前、CQCニクラス合同訓練の時間。
CQC訓練用の体育館。
一般的な学校のそれと違うのは、広い体育館全体の床がマットになっていること。
それともう一つ。明らかに体育的内容を学校制服で行っているという点だろう。
武偵高、及びその付属の中学に通っている学生が着ている制服はただの制服では無い。
TNKワイヤーという繊維で編み込まれたそれは銃弾をも通さない
つまり、学生のうちは実用性のあるこの格好で仕事をすることが多い。
それに慣れるためにも、ここ東京武偵高付属中学では通常体育以外の訓練は制服で行っていた。
C組とD組、合わせて約80人の生徒が数人の教師に手本を見せてもらったり、型の練習をしたり、二人一組で組手をやっていたりなどをしていた。
これはそんな組手の一組から始まるお話。
……………
………
「は?」
ダンッ!
「ぐっ…」
──ッ!
一瞬のうち、気が付いたらアタシは地面に叩き伏せられていた。
痛みは、さほどない。が、衝撃で体が一瞬硬直する。
そして、肩口まで伸ばされた金色の髪が少し遅れてハラリと揺れ落ちる。
「一本、それまで」
教師がアタシたちにそう言い渡す。
中等部一年では、組手の際には必ず教師が審判を務める。
一般人の多くが武偵として学び始めるのは中学生から。
……まあ、たまに警察関係者やらヤのつく職業のご子息さんだとかがいるけど。それでもある一定以上の奴はあんまりいねえ。
つまり、一年生であるアタシたちは、今やっとゼロから学んでいる状態。
そんな右も左もわかっていない状態から、勝手に戦うのは危険極まりない。
要するに、危険が伴う組手の試合は教師の目の届く範囲でやれよってことだ。
正直、アタシはいらないと思ってた。
アタシは組手でケガさせずに相手を倒すことはできるし、自分が逆に倒されることなど無かったからだ。
事実、男子を含めてクラスの連中に負けた事なんて無かったし、これからも負けるつもりは無かった。
強くなっていつかパパと同じ舞台に立つ。それが目標のアタシからしてみれば同年代の奴らに負けている暇なんてねえしな。
でも──
「お、おい! 待てよ!」
それも今日までだった。
今日、アタシに初めての黒星がつくことになったんだ。
「何…?」
何の感情も見られない、透き通った琥珀色の瞳の少年──朝霧ソラによって。
◇
朝霧ソラは暗い少年だった。
いや、生気が無いと言った方がいいのかもしれない。
クラスの誰とも喋らず、誰とも関わろうとしない。当然友達なんているわけもない。
誰よりも静かにポツンとその場にいるだけ。それこそ置物のように。
そのことから、付いたあだ名が『
いじめを受けているわけでは無かった…と思う。
ただ、得体のしれない、それでいてどこか世界の違うソラには誰も近づきたくは無かったのだろう。
誰もが…教師までもが彼に畏怖の念を抱いていたのだから。
その綺麗な琥珀色の瞳は、ここではない虚空を見ていているようだった。
……いや実際、どこ見てんだよ、あいつ。
アタシはその目が好きじゃなかった。
どこか造り物めいていて、本当の人形みたいで嫌だった。どうしようもなく不気味だった。
「……う…」
話をするために態々そいつのクラスに訪れたというのに、それを見た途端、尻込みをしちまったくらいだ。
「ねえ、火野さん。本当にやめておいた方がいいよ。私、D組に友達がいるから少し聞いたんだけど……」
アタシについてきたクラスメートの一人が、心配するような声で言う。
「話しかけても全然反応示さないんだって、それこそ
確かに、人形みたいに綺麗な顔してるなぁ。
……女のアタシより可愛いんじゃねえか…?
なんか知らんけどショックを受けた気分だぜ……
「そうだよ。何だか不気味だし…」
「ここか見てても、さっきからピクリとも動かないし」
「…怖い…」
「危ない人だったらどうすんだよ」
次々に否定的な声が上がる。
まあ、一応アタシのことも心配してくれてんだろうけどさ……正直な話、やめるつもりはねえ。負けっぱなしは趣味じゃねえしな。
それに、ここ教室の入口だし、こんなに集まってちゃ邪魔だと思うんだけど。
ほら、D組の奴らも迷惑そうにもう一つの入口まで遠回りしてるし。
数秒後、意を決して、アタシは集団から離れる。
もちろん教室の外ではなく、中に向かって。
後ろから静止の声が聞こえたけど、それは無視した。
D組の窓際、入口から真っ直ぐの所にある一番前の席。あいつの席だ。
「朝霧…だよな?」
そこまで行ったアタシが伝え聞きしたその名前を呼ぶと、ほんの少し、まるで本当の人形のような動きでこちらに首を傾けた。
しかし、すぐに反応を消し、アタシなんていなかったかのように振る舞う。
…な、何だよ、こいつ。感じ悪いなぁ。
恐らく、クラスの連中も初め声をかけた時に同じような反応をされたのだろう。
この少年をどう扱っていいのか誰もわからないんだ。
周りの席には誰もいない。
このクラスの連中は休み時間の度にこいつから距離をとってるんじゃねえか?
おかげで、端っこだというのに見られやすさ抜群だな。
……居心地悪ぃ。
様子を探るように、遠巻きに多くの人間がこっちを見ているのがわかるぜ。おまえら暇だな……
「お、おい! 無視すんなっ!」
「……何?」
昨日と同じような、いかにも迷惑ですといった声色で一言だけ呟く。
──喋った!
いや、人間なんだから当たり前なことだけどさ、体育館でも一応喋ってたし…
それより、動揺したアタシが少し声を荒げて呼びかけても、表情はピクリとも動かないのはどうなんだよ。
普通の人間なら、こんなに近くで大きな声を出されたら、驚いたり、顔をしかめたり、首を声から遠ざけたり、少しは何かしらの反応が出るというものなのに……
恐らく、この「何?」は、用件は何ですか?──ではなく、何でお前いるの、消えてくんない? の「何?」だろう。
呟いた後、すぐさま視線を外したのがいい証拠だ。
もうアタシに気を全く向けてない。
…こ、この野郎…!
普通こんな対応されたもんなら、食って掛かるか、怒って帰る。
普段のアタシならそうする自信が大いにある。つーか、ぶん殴る。
だけど、ここで引いたらますます負けた気分になる。それだけは嫌だ!
「今度の訓練でまたアタシと戦え!」
「…ヤダ」
え? 何だ、今アタシ、断られたのか…?
ま、まさか断れるなんて…
断られることを考えていなかった、何だかんだで年相応に純粋なライカ少女(中一)である。
「た、戦えよ!」
「……メンドイ」
二度目の拒絶。
取り付く島の無いの意味を、身をもって知るライカ少女(若干涙目)である。
「…うぅ……な、なんでダメなんだよぉ!」
「………」
今度は完全な無視。というか、聞こえているのかさえ不明だ。
正直、逃げ出したい気持ちがいっぱいなライカ少女(発展途上)である。
「話聞けよぉ…」
けれど、最後に残ったプライドがそうすることを許さない。
引き下がらないアタシに根負けしたのか、それともいい加減鬱陶しくなったのかそれはわからない。
だけど、朝霧はついに口を開いた。ただ、それはアタシが欲しかった言葉じゃなかったんだけど。
「…もう、あれ出たくない。メンドイし…意味無い」
「な! どういう意味だよ!?」
意味わかんねぇ! アタシに勝つくらい強いのに出ないとかなんでだよ!
問いただそうにも、その日朝霧はそれ以上口を開くことは無かった。
アタシがその言葉の意味を知ったのは次の合同訓練の時だった。
◇
ちっ。結局何なんだよあいつ!
意味が解らないこと言うし、あのあと尋ねても無視ばっかりするし。
あの日から今日の合同訓練まで、ずっとイライラしっぱなしだぜ。
誰だよ、牛乳飲めばイライラが収まるって言った奴!
…ふんっ。だけどそれも今日までだ。
だって、今日のアタシには作戦があるからなっ。
──教師の前まで引っ張り出せばあいつも勝負に応じるしかない!
さすが、アタシ! 完璧だぜ!
計画の成功を想像していたせいか、思わずほおが緩む。
(お、おい火野の奴、さっきからなんかニヤニヤしてるぞ)
(ああ、不気味だし、今は近づかないようにしようぜ…)
ん? 何だ? 誰かアタシの噂でもしてんのか?
…ま、気のせいか。
朝霧に負けたあとのクラス内訓練の時間に、調子に乗って勝負しかけてきたバカもしっかり沈めた事だしな。
たくっ、一回負けたからってアタシが弱くなるわけでもねえっての。
そして、今日はその朝霧もぶっ飛ばす。
「くっくっく」
おっと、危ない危ない。笑うのは勝った後だ。
で、アタシは肝心の朝霧を探す。
何故かわかんねえけど、周りはポッカリとした空間が出来ていて全体を見回しやすかった。
だからこそ、すぐに気づいた。
……あれ? あいつがいなくねえか…?
見落としたのかと思い、また前後左右を見る……やっぱり、いない。
誰かの陰になってるのかと思い、体育館内を移動して探す……やっぱり、いない。
焦ったアタシはすぐさま近くにいる教師に尋ねる。
「あー。朝霧か…」
その名前を出すと、その教師は若干困ったかのような顔をする──あのクラスの連中と同じ、どう扱っていいのかわからないという顔だ。
体調でも崩したのか? 軟弱な奴だな。──最初アタシはそのくらいに思ってた。
だけど、教師はアタシに衝撃的な事実を突きつけた。
「朝霧はもうこの授業には出ないんだ」
「え…?」
修了レベル以上の力はもう持っている上に本人の意向もあり、それを学校側は受諾した。
この時点でのレベルの差がありすぎると、他の生徒にあまりいい影響を与えないこともあり、スムーズに朝霧の用件は通ったんだとか。
そんなようなことを教師は続けてアタシに言った。
──これはあとになって、噂で聞いたことなんだけどさ。
ソラは既に強襲科Bランク程度の腕を持っていたそうだ。
まあ、教師たちだってそりゃあ手に余るよな。此間までランドセル背負っていたはずのガキんちょが、もう現場で通用するような力があるっていうんだからよ。
しかも、性格に難がありすぎ。
入学早々悪い意味で『人形』なんてあだ名をつけられるくらいに。
高等部に比べて比較的おとなしい中等部の教師にはさぞかし悩みの種だったことだろうぜ。
だけど、その時のアタシにそんなことは関係なかった。
ただ、頭に浮かんだのは激しい怒りだった。
…嘘、だろ…?
……するい! あいつ、勝ち逃げする気かよ!!
つまり、あの少年の言った通りだったのだ。
出る気も無い、意味も無い、と。