体育会系なクラスメイトの少女を馬鹿にしていたガり勉少年(死語)は、つい言ってはいけない言葉を口にしてしまう。涙を浮かべて走り去る少女。
 少年も少なからず後悔していたが、その翌日から、密かに少女による少年への予想外な“復讐”が始まり……。
 「けれど、輝く星空のように」と同じ立場交換物で、同作とも少々繋がりのあるお話です。

※KCA名義でブログやPIXIVにも掲載しています(Pの方は18禁版)。

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 「艦娘ぐらし、始めました」の20話でチラと触れた2作品のもう片方もこちらに掲載します。


Nervous Breakdown

【序】

 

 私立咲良学院──中高一貫教育を掲げ、偏差値、進学率ともに県内で中の上程度に位置する、俗にいう“中堅校”である。

 旧帝大や早慶クラスに進学するような成績優秀者や、甲子園、花園ないしそれに類する全国大会に出場するようなスポーツ選手はほとんどいないが、中途退学者や自殺者を出すようないじめ等もあまり見受けられない。

 私学であるためか生徒の家庭も比較的裕福な層が多く、同時に、いわゆる“名門”、“金持ち学校”と言えるほど上流階級や富裕層の子女が通っているワケでもない。

 総体として見れば、リベラルでそこそこ環境的に恵まれた学び舎と呼んでもよいのだろうが、しかしながら、そのような場所でも、そこに通う子供たちの間にまったく諍いがないなどいうことは、やはりあり得ない。

 たとえば……。

 

 放課後のその教室では、ひと組の生徒が教壇を挟んで対峙していた。

 ひとりは、男子の制服である紺色のブレザーをビシッと着こなした“少年”。

 メタルフレームの眼鏡をかけてはいるが野暮ったい印象はなく、スクールネクタイをウインザーノットに結び、天パなのか緩やかにウェーブした髪をエアーマッシュのスタイルに整えるなど、なかなかのオシャレさんだ。

 もうひとりは、男子と対照的なワインレッドの女子制服を着た“少女”。

 白ブラウスの上に葡萄色のボレロを着て、首元には青いリボンタイ、ボトムはかなり短めのフレアスカート──という咲良学院の女子制服は可愛いと好評なのだが、“彼女”のようにスラリと長身な生徒には特によく似合う。

 ただ、如何にも教科書通りの着方というか、自分を魅力的に見せようという気配が見受けられないのが、少々残念だ。この学校は、よほど大きな改造でもしない限り、多少制服を着崩しても寛大なのだが……。

 そろそろ下校時間が迫り、夕陽も西に落ちかかった黄昏時の教室には、「彼と彼女」のふたりを除いてほかに人影はなかった。

 

 「──ねぇ、もうこんなコトやめようよ」

 「おやおや、“こんなコト”って一体何のことかな?」

 哀しげな、あるいは懇願するような“彼女”の言葉に対して、“彼”の方はニタニタとニヤニヤの中間のような、あまりタチのよくない笑顔を浮かべてトボケている。

 「そ、それは……」

 “彼女”には答えられない。

 ひとつには、“彼女”自身にもいったい何が自分たちに起きているのか、正確に把握できていないからであり、また、もうひとつには「それ」を起こしているのが“彼”だと断言できるだけの根拠を持たないからだ。

 いくつかの状況から、ほぼ間違いないだろうと推測してはいるものの、決定的な証拠と言えるようなモノは存在しない。

 

 「フフッ、言いたいことはそれだけかな? じゃあ、オレは帰るよ」

 「ま、まっ……」

 「待って」と言いたかった。でも、仮に相手が待ってくれたからといって、何を話せばいいというのだ? 

 その思いが、制止の言葉を尻すぼみにさせる。

 「ククク……じゃあな、“シノノメ”さん、また明日~」

 「!」

 “彼”にそう呼びかけられた時、“彼女”の背中に電流のような震えが走った。

 風邪の引き始めに感じる悪寒を何倍にも強くしたような気持ちの悪さと、それとは相反するフワフワと身体が宙に浮いているような心地よさ。

 それらを同時に感じた“彼女”は、苦悶とも悦楽ともつかない喘ぎを漏らしそうになって、それを懸命に自制し、しゃがみこんで自分の身体を抱きしめるようにしてうずくまる。

 十数秒か、あるいは数分か、ハッキリしないがしばしの時間が流れ、ようやく“彼女”──シノノメさんと呼ばれた“少女”が平静を取り戻して立ち上がった時、すでに“少年”の姿は教室になかった。

 「ぅぅ…けっきょく、誤魔化されちゃった……」

 意気消沈した表情で唇をかみしめていた“少女”だったが、ハッと何事かに気付いたらしく、慌ててボレロの胸ポケットから生徒手帳を引っ張り出した。

 もどかしげにページをめくり、最後の見開きにプリントされた学生証を確認する。

 「う、そ…………」

 絶句する“少女”。

 そこには、制服を着た“彼女”自身の顔写真が貼付され、「中等部二年C組 東雲市歌(しののめ・いちか)」とプリントされていた。

 何もおかしな点はないはずだ──“彼女”が、本当に“東雲市歌”であるならば、の話だが。

 「あぁ……ついに、名前まで…………」

 そう。

 ガクリとうなだれ、よろけながらかろうじて近くの椅子に座り込む“少女”は、本当は東雲市歌などという名前ではない。それどころか“少女”ですらないのだ。

 全体に細身で、身体の線が出にくい制服を着ているため、パッと見には気づきづらいが、注意深く観察すれば“彼女”の肩幅が14歳の女の子にしてはかなり広く、全体にがっしりした骨格をしていることがわかるだろう。

 胸は貧乳を通り越した無乳とも言える状態で、ハイソックスとスカートの間に垣間見える足のラインも、綺麗ではあるが女性にしては少々直線的過ぎる。

 “彼女”がバレー部所属であることを勘案すれば、あるいはそれほど不自然なことではないのかもしれないが……。

 「いったい、どうしてこんなコトに……」

 力なくつぶやく“彼女”、いや“彼”は、この悪夢が始まったときのことを思い出していた。

 

 

【罪負いし火曜日】

 

 キッカケは……たぶんだけど、ちょうど一週間前の火曜日。

 僕が、彼女──東雲市歌さんに投げかけた言葉にあるんだと思う。

 

 今、客観的にかつての僕、折原邦樹(おりはら・ともき)の言動を見返すと、「無神経でKYなガリ勉メガネくん」としか言いようがないと思う。

 言い訳させてもらえるなら、僕は子供のころから運動音痴で体格もあまりよくない。ならばその分、頭脳面で頑張ろうと思って真面目に勉強や読書に励んでいるうちに、周囲からは「根暗」とか「無愛想」とか言われるようになっていた。

 当然、あまり友達もできないから、ますます内にこもるようになって、さらに……という悪循環。唯一の救いは、それなりに成績が上がったことくらいだけど、それだって開●とか駒●を目指せるほどのものじゃない。

 たぶん、僕自身、本心では自分の現状を決して肯定的にとらえていなかったと思う。

 それなのに、ちっぽけなプライドにしがみついて、周囲のクラスメイト、とくに運動能力に秀でた(そして成績がイマイチだった)人へバカにしたような発言を繰り返していた。

 誰だって、そんなヤツと友達になりたくないよね?

 だから、僕はますますクラスで孤立し、ごくわずかな例外を除いて友人と呼べる人間さえいなくなっていったんだから……まったく、自業自得だ。

 

 思えば、そんな僕にとっては、多少のからかい混じりでも気さくに声をかけてくれる、同じ小学校出身の東雲さんは、口を開けば互いに皮肉や悪口の応酬とは言え、数少ない「肩肘張らずにつきあえる相手」だったんだろうな。

 あ、一応断っておくと、男女の恋愛めいた感情は互いに皆無だった。あくまで、ケンカ友達(と言えるかは微妙だけど)的ポジションってだけ。

 

 ただ、ある意味、僕はそれに甘えすぎていたのかもしれない。

 その日の放課後、部活の美術部での活動が終わって帰る時、同様にバレー部の練習を終えた東雲さんとバッタリ昇降口で顔を合わせることになった。

 そこで、いつも通りの言い争い──ならよかったんだけど、もう覚えていないくらい些細な原因で虫の居所が悪かった僕は、彼女につい無神経なことを言っちゃったんだ。

 具体的には、あまり洒落っ気のない東雲さんが、珍しく髪に可愛らしいカチューシャを着けて、いつもは外しているリボンタイをキチンと結んでいたのを鼻で笑った。

 「そんなモン、キミに似合うわけないだろう……まったく、男女がヘンに色気づいちゃって」

 ……うん、今思い返しても、男として、いや人間として最低だよね。

 それを聞いた彼女は、珍しく言い返して来ない──どころか、目に涙を浮かべてキッと僕を睨むと、走って校門から帰っていった。

 その直後、彼女の友人から、その日の東雲さんは憧れていた男子バレー部の先輩に告白しようと目いっぱい気合を入れてたんだと聞かされて、さすがに罪悪感が沸いてきたんだけど……。

 「ぼ、僕は悪くないぞ、正直な感想を言っただけなんだから!」

 そう自分に言い訳しつつ、僕もそのまま逃げるように帰宅したんだ。

 

 

【始まりは水曜日】

 

 家に帰っても気がとがめて勉強もロクに手につかず、早めにベッドに入ったものの、何か嫌な夢を見てあまり熟睡できなかった、その日の翌日。

 朝、登校して教室に入るとクラスの女の子たちが僕を見てヒソヒソと何かささやいている──ような気がする。

 (やっぱり昨日のことは知られてるのか)

 仏頂面の下に憂鬱な気分を押し隠して、僕は自分の席に座ろうとしたんだけど……。

 「ちょっと、折原くん! なんでそこにアンタが座るのよ!」

 「え?」

 いきなり、隣席のクラスメイトの女子にとがめられて、僕は目を白黒させる。

 「えっと……ここは僕の席」

 「だよね?」と続ける前に、激しく否定される。

 「んなワケないでしょ! そこは市歌の席よ!!」

 「え? え?」

 ワケがわからない。

 僕は、本の読み過ぎのせいか目が悪い。

 と言っても、0.5と0.3だから某野比家の長男みたく裸眼だとロクに見えないという程じゃないけど、学校ではメガネをかけてることが多いから、担任の先生が配慮して一番前のこの席にしてくれたはずなんだけど。

 

 「──何騒いでんの?」

 と、その時、僕が今一番会いたくない人物が姿を見せた。

 「あ、市歌! ちょっと聞いてよ。折原くんが市歌の席にさぁ……」

 これ幸いとばかりに、彼女の友人である山田さんが状況を説明する。

 「ふーん……もしかして、折原、昨日のこと謝ろうと思って待ってたの?」

 東雲さんは、ちょっと顔色が悪かったけど、すでに平静は取り戻しているみたいだった。

 

 ──その時、僕が彼女の言葉を肯定して素直に謝罪すれば、もしかしてその後“こんなこと”にはならなかったのだろうか?

 

 「え、いや、その、えっと……」

 口ごもる僕の様子を見て、東雲さんは落胆したように視線を逸らした。

 「別にいいよ、謝んなくて。アタシなんかが付け焼刃で可愛いカッコしたって似合わないのは事実だしね」

 意外に理性的な東雲さんの言葉に、僕はほんの少し救われたような気がしたけど、その言葉には続きがあった。

 

 「──でも、アンタのことは許さない」

 

 いつも明るく威勢のいい東雲さんとは思えないほど、彼女の瞳は昏く、その声にも怨念のようなものが籠っていた。

 「!」

 「それだけ。さ、もうどっか行って。ここは“アタシの席”なんだから」

 

 その後、ほかのクラスメイトにも確認したんだけど、誰もが口を揃えて、僕の席だったはずの場所を“東雲さんの席”だと言うので、僕は残った席──昨日までは東雲さんがいたはずの席へと座るしかなかった。

 教室の窓際の一番後ろというこの席は、人によっては絶好の居眠りスペースとして歓迎するみたいだけど、僕みたいに目が悪く、真面目に授業を受けたい人間にとっては最悪の場所だ。

 

 「おはよー、早速だけど出席をとるよ~!」

 そうこうしているうちに、担任の斉藤菜月先生が教室に入ってきてHRを始めた。

 斉藤先生は英語の担当で、まだ若くて美人でしかも優しいという、ある意味理想的な教師なんだけど、反面ちょっとドジで頼りないところもあるんだよね。

 HR後、教室から出ようとする斉藤先生をつかまえて、席のことを聞いてみたんだけど、案の定、先生も僕の席は教室の一番後ろだと認識していた。

 しかもそれだけでなく、先生の持っている座席表にも、中央最前列が東雲さんで、窓際最後尾が僕だと書き込まれていたんだ。

 「折原くんは目が悪いみたいだから何とかしてあげたいとも思うけど、あまり特定の生徒だけヒイキもできないから……ごめんね」

 「──いえ、大丈夫です」

 僕はスゴスゴと“自分の席”に戻るしかなかった。

 その途中で、なぜか東雲さんが後ろを向いて僕の方を見ていたような気がした。

 

 

【愚か者の木曜日】

 

 訳がわからないまま、それでも座席の位置以外はとくにいつもと変わりのない一日を送って帰宅した、その次の日。

 僕は、昨日の“ハプニング”が、さらに続く“異変”の序曲にしか過ぎなかったことを思い知らされたんだ。

 

 その前の晩同様寝苦しい一夜を過ごして熟睡できなかったせいか、一時間目の数学の授業が始まっても、僕はどうにも頭が働きが鈍いのを感じていた。

 寝不足のうえ、黒板から遠くて板書が見づらく、先生の声も幾分聞き取りづらいこともあって、いまひとつ授業に集中できてないのが自分でもわかる。

 (こんなんじゃダメだ!)

 そう思うんだけど、5月の連休が終わったばかりとあって気候もよく、窓際のこの席では、ついうたたねしたい誘惑に駆られてしまう。

 

 「それじゃあ、この問題を……そうだな。折原、わかるか?」

 「は、はいッ!」

 重いまぶたと必死に戦っていた僕は、思いがけずに数学の高梨先生に当てられて、慌てて立ち上がる。

 黒板の前に歩み出て、チョークを手に、いざ数式を解こうとしたんだけど……。

 授業をよく聞いてなかった上に慌てているせいか、どうにもこうにも問題の解き方が浮かんでこなかった。

 「ん? どうした、さすがに学年3位の折原でも、この問題は難しいか? うん、じゃあ座れ」

 幸い元々かなり難度の高い問題だったらしく、先生はさして不審に思うことなく、僕を席に戻してくれた。

 「それじゃあ……ほかに誰か、わかる人はいるかな?」

 先生の口ぶりには、「ま、いないだろうな~」というニュアンスが込められていたんだけど、その中でもひとり手を上げる生徒がいたんだ。

 「──はい、先生」

 「おっ、東雲、もしかしてコレが解けるのか!?」

 高梨先生が驚くのも無理はない。

 東雲さんは、運動神経は抜群だけど、勉学の成績の方はお世辞にも良いとは言えない、女の子に対してはどうかと思うけど「脳筋」という言い方がさほど的外れではないタイプの生徒のはずなんだ。

 「解ける、と思います」

 普段は先生の目を盗んで居眠りするか、せいぜいやる気がなさそうにノートを取ってるくらいの東雲さんが、こういう場面で積極的に手を上げたうえ、さらに黒板の前で難解な数式をサラサラと解いてみせるなんて……。

 「午後から雨、いや雪でも降るのでは!?」というのがクラスメイトの一致した感想だったろう。

 「ふむふむ……うん、正解だ。よく予習してあるな。感心かんしん」

 劣等生だと思っていた生徒の思わぬ進歩の跡を見れて、高梨先生は上機嫌だったけど、僕はそれどころじゃなかった。

 (どうしよう……わからない)

 東雲さんが黒板に書き連ねた数式の意味が、なぜか巧く理解できないんだ。

 (きっと寝不足で頭が回ってないせいだよね)

 そう無理やり自分を慰めてはみたものの……。

 

 数学だけじゃなかった。

 2時間目の理科も、3時間目の国語も、4時間目の社会科も、教科書に書かれていることや先生の説明の半分くらいしか理解できないんだ。

 「よぉ、折原、なんか調子悪そうだな」

 同じ小学校の出身で、クラスの中では比較的僕と親しい大鳳(おおとり)くんが昼休みにそんな風に声をかけてくれるくらいには、僕は顔面蒼白になっていたらしい。

 「あ、うん。その、ここ2、3日、なんだか寝つきが悪くって……」

 「お前、見るからに神経質(ナーバス)そうだからなぁ。男なら、あんまり、細かいことは気にせず、ドーンと構えてみろよ」

 「ハハッ、うん、まぁ、がんばってみるよ」

 力なく笑ってみせる。

 

 「すごーい、いつの間にそんなに頭よくなったのよ、市歌?」

 「ふふっ、たまたまよ、たまたま」

 「ねぇねぇ、次の英語の授業の宿題なんだけど……」

 「ああ、それはね……」

 「なぜか急に勉強ができるようになった」東雲さんを中心に女子が盛り上がっている光景から目を背けて、僕は重い腰を上げてパンを買いに学食へと歩き出すのだった。

 

 

【壮健なる金曜日】

 

 原因不明の学力低下は午後になっても直らず、その日の放課後、僕は初めて美術部の部活をサボった。

 こんなグチャグチャな気持ちのままスケッチブックに向かっても、まともな絵が描けるとは思えなかったしね。

 (家に帰ったら、落ち着いて1年生の頃の教科書を見てもう一度復習してみよう……)

 そう思っていたはずなのに、いざ帰宅して自分の部屋に戻ると、なぜか机に向かう気が起きず、大鳳くんから借りてたラノベを読んだり、1階の居間に降りて家族と一緒にテレビを見たりしてダラダラ過ごしてしまった。

 けど、そんな風にリラックスしたのがよかったのか、その晩は久しぶりにぐっすり眠って疲れをとることができたんだ。

 

 そして、翌日の金曜日。

 今日は朝の1時間目から体育がある、運痴な僕にとってはユウウツな日だ。

 いや、そのはずだったんだけど……。

 

 ──カキーン!

 

 「おぉ、スゴいじゃないか、折原。2打席連続ヒット、それも二塁打と三塁打なんて」

 体育の授業の軟式野球で、まさかの大活躍。

 打撃や走塁だけでなく、守備でも右中間を抜けるライナー性のヒットに飛びついてアウトにしたり、そこから素早く3塁に送球して2塁ランナーを刺したりと、自分でも信じられないくらい軽快に力強く身体が動いた。

 もちろん周囲の男子も驚いてたけど、大鳳くんや更科くん(去年からのクラスメイトで、趣味が合うから割とよく話すんだ)は、笑って褒めてくれた。

 おかげで、普段なら少しでも早く終われと思いながら受ける体育の授業を、思いがけず楽しい気分で過ごすことができた。

 (スポーツするのって意外に楽しいかも……)

 我ながら現金だとは思うけど、ここ2、3日、暗い気分過ごすことが多かっただけに、ちょっとしたことでも凄くうれしく感じられたんだ。

 

 けれど──そんな僕のウキウキ気分は、着替えて教室に帰ったところでたちまち霧散してしまった。

 僕ら男子とは分かれて別の先生に体育の授業を受けていたはずの女子のクラスメイトたちが先に教室に帰ってきていた。

 それ自体は(普通は女子の方が着替えが長いから)珍しいけど、有りえないわけじゃない。

 でも、なぜか何人かが東雲さんの(元は僕のもののはずの)席に群がり、その真ん中に、手首に包帯を巻き、おでこに絆創膏を貼った東雲さんがいたんだ。

 

 「東雲ぇ、大丈夫なの?」

 「あ、うん、保健室で湿布してもらったから、もう平気」

 「でも、運動神経抜群の市歌があんなドジするなんて珍しいね。バレー程じゃないけどバスケも得意なのに」

 「なんか、動きも鈍かったし……もしかして、あの日?」

 「そういうワケじゃないんだけど……」

 「あ、もう男子帰って来たみたい。じゃあ、東雲さん、ケガしてるんだから今日は無理しちゃダメよ!」

 

 (え、あの東雲さんがパスを受け取り損ねてまともに顔面でボールを受けた!? しかも、それくらいで手首を痛めて捻挫??)

 

 その時、僕の心の中に荒唐無稽な疑念が浮かんできたんだ。

 (──まさか! そんなバカなことあるわけないよ)

 そう、そんなコトがあるはずがないんだ。

 「僕と東雲さんの身体能力ないし運動神経が交換された」なんて非常識なことが。

 

 

【仕着せの土曜日】

 

 その日の夜、奇妙な夢を見た……気がする。

 

 ──ねぇ、どうしてこんなコトを?

 「わからないの?」

 それは……。

 「ふぅん、答えられないんだ。だったら続けるしかないよね」

 続けるって……いったい何をする気?

 「もちろん、アンタに実感してもらうのよ。アタシの──“ガサツで可愛くない体育会系女子”の立場と気持ちを」

 !!

 

 * * * 

 

 「……それはっ!?」

 翌朝目が覚めた時、僕はベッドの上にガバッと半身を起こして何かを言おうとしていた。

 してたんだけど……言いかけた言葉は目が覚めると同時に脳裏からスルリとこぼれ落ちてしまった。

 「はぁ、はぁ……何だったんだろ?」

 何か不思議な夢を見たような気がするんだけど。

 「まぁ、くよくよしてても仕方ないよね。そろそろ起きなきゃ」

 「花柄模様のベッドカバー」のかかった布団から出て、「オレンジ色のナイティ」──太腿の半ばくらいまでの長さの上着(チュニック)の下にふくらはぎまでの七分丈ズボンを着た格好のまま、軽く伸びをする。

 「ん~、ヘンな夢を見たけど、身体は快調かな。あ、でも、寝汗でベトベト……シャワー浴びなくちゃ」

 「ロココっぽい装飾のある(もちろん本物じゃないけど)クリーム色の洋服ダンス」から、替えの下着──「シンプルなサーモンピンクのショーツとハーフトップブラ」を取り出して、お風呂場に向かう。

 

 「お母さん、ちょっと寝汗かいたから、シャワー浴びるね」

 「そう。でもそろそろ、ご飯ができるから、なるべく早くしなさい」

 「はーい」

 台所で朝食の支度をしている母さんとそんなやり取りしてから、脱衣場に入り、ナイティを脱ごう──として、はたと気づいた。

 「え!? なんで、こんな格好してんの?」

 鏡の中には、どこかで見たような女の子……じゃなく、女物の寝間着を着た、自分の姿が映っている。

 元々あまり体格のいい方じゃないのと、いつの間にか襟が完全に隠れるくらいの長さに髪が伸びているせいで「ショートカットのボーイッシュな女の子」に見えないこともないけど……。

 「ね、寝てる間に、悪戯で誰かにこんな寝間着に着替えさせられたのかな?」

 念のため、昨晩寝る前のことを思い出してみる。

 (えーと、昨日は……急ぎの宿題とかなかったから10時までテレビ見てて、それからお風呂に入って、ダッツのアイス食べたあと、ベッドの上でマンガ読んでて……11時半過ぎに眠くなってそのまま寝ちゃったんだっけ)

 風呂から出た時に、寝間着に着替えたはずで……。

 「その時、このお気に入りのナイティに着替えたんだから──うん、何も問題はない……わけないじゃない!」

 絶対におかしい。

 そもそも、僕は普段、家ではTシャツとショートパンツを部屋着にしてて、寝るときもその格好で布団に入ってた──はずだ。なぜか、その辺りの記憶があやふやであまり自信はないけど。

 

 「ともきーー、何騒いでるの? シャワー浴びるならさっさとしなさい」

 「! は、はーい」

 母さんから、そんな風に急かされたので、とりあえずパパッと寝間着を脱いで風呂場に飛び込む。

 「良かった……ちゃんと“ある”」

 下着まで女物だったから、もしやと危惧してたんだけど、裸になってみると股間(ソコ)にキチンと長年の“相棒”が鎮座ましましていてくれたのは不幸中の幸いと言うべきか。

 ただ、風呂場の鏡に映る自分は、髪の毛が幾分長くなっただけじゃなく、肌の色もなんだか白くなってるような気がする──まぁ、元々インドア派だから、そんなに日焼けはしてなかったんだけど。

 「オッパイは──うん、全然ないな」

 シャワーを浴びながらペタペタと自分の胸に触ってみたところ、こちらは特にいつもと変わりなく真っ平らなままだった──腹立たしいことに。 

 (中学2年生になったんだし、そろそろちょっとくらいは膨らんできても……って、なんでだよ!)

 下手な小学生以下の、貧乳を通り越して無乳なことに、落胆を覚え……かけて、慌ててブンブンッと首を振る。

 (しっかりしろ! 何歳になったって、僕の胸が膨らむはずがないじゃないか)

 「だいたい、私は女の子なのよ……って、えっ!?」

 自分では「僕は男の子なんだから」って言ったつもりなのに、なぜか口からはそんな言葉が飛び出していた。

 「私(僕)は……女の子(男の子)、だよね?」

 何度か試してみても、やはりそうなってしまう。思った通りの言葉が口に出せないというのは地味に恐ろしく、背筋に震えがくる。

 

──ガチャ!

 「ともき、いつまでもグズグスしてると遅刻するわよ。制服もここに置いておくから、早く上がってご飯食べなさい!!」

 けれど、ちょうどその時、風呂場の向こうの脱衣場に母さんが入って来て、声をかけてくれたので、何とか立ち直ることができた。

 「あ、うん、わかったー」

 とりあえず考えるのはあとにしよう。

 手早くシャワーを浴びて汗を流し、タオルで身体を丁寧に拭いてから、脱衣籠に用意された(というか自分で持ってきた)ショーツとブラを手に取る。

 心の戸惑いとは別に身体は自然に動き、形状的にブリーフと大差ないショーツはともかく、これまで一度も着たことも手にしたことすらないはずのブラジャーも、ごく自然に身に着けることができた。

 綺麗にアイロン掛けされた制服のブラウスを羽織り、男物とは逆についたボタンも手間取ることなく上からはめていく。ネクタイとは異なるリボンタイの結び方も指が覚えているようだ。

 ワインレッドのフレアスカートと学校指定の白いスクールハイソックスを履き、スカートと同じ色の上着(ボレロ)を着れば、少なくとも見かけだけは立派に私立咲良学院に通う“女生徒”ができあがった。

 (こんなの、おかしい、はずなのに……)

 鏡に映る自分の姿を見て、僕は困惑する。

 違和感があるからじゃない──逆に違和感がなさ過ぎるのが問題だった。

 女装、それも女子の制服を着るなんて、生まれて初めての経験のはずなのに、なぜか鏡の中の姿を当たり前のように感じてしまうんだ。

 

 そして、それは自分だけの話じゃなかった。

 

 リビングにいた母さんも父さんも、女子の制服を着た僕の姿を見ても何も言わなかった。通学カバンを手に玄関から出た時、偶然顔を合わせた隣家のオバさんもそうだ。

 学校に着いても、クラスメイトのみんなも、女装してる僕を見ても囃子立てたりしない──それどころか、周囲は皆、僕のことをナチュラルに女子生徒として扱ってるみたいだった。

 そのおかげか、最近僕を敵視していたはずの山田さんや有方さん(どちらも東雲さんと親しい女子生徒だ)達の態度が、普通の反応に戻ったのは有り難かったけど、逆に大鳳くんや更科くんとは微妙に距離が空いちゃった気がする。

 

 そして、問題の東雲さんだけど……。

 東雲さん──昨日までは“東雲市歌”という女生徒だったはずの存在は、当たり前のように男子制服のブレザーを着て、教室の一番前の席に座っていた。

 クラスの男子とも、ごく自然に「男子中学生らしく」会話をしてる。

 「(ニヤッ)」

 ほんの一瞬だけこちらの方を見て、東雲さん(それとも東雲くん?)が笑ったような気がした。それも、「明るく笑いかけた」とかじゃなくて、「馬鹿にしたように嘲笑う」って感じで。

 

 (嗚呼、やっぱり……)

 それを見た時、僕は確信したんだ。

 この奇妙な現象には、間違いなく彼女(彼?)が関わっているのだと。

 

 * * * 

 

 その日は土曜日だから授業は午前中で終わりだったけど、午後からの半休をとても素直に喜べるような心境じゃなかった。

 心ここにあらずという状況なのが自分でもわかるけど、頭でわかっていてもこればかりは、どうにもならない。

 

 「なぁ、なんか調子悪そうだけど、大丈夫か?」

 そんな僕のことを心配して、わざわざ声をかけてくれる大鳳くんは、とてもいい人なんだなと思う。

 「今日は部活休みなんだろ? 更科と駅前のカカロットシティに行くつもりなんだけど、よかったら気分転換に折原もどうだ?」

 「えっと……」

 本当は家に帰ってじっくり考えたかったけど、こんな状態で帰ったら、母さんたちを心配させるかもしれない。それなら……。

 「うん、ありがと。じゃあ、私もご一緒するね(僕も一緒に行くよ)」

 口から出る言葉が自動的に女の子っぽいものに変換されるのは、この半日でもうあきらめた。

 「おりょりょ、鈴太郎くぅ~ん、もしかして俺ってばお邪魔かな?」

 更科くんがニヤニヤしながら大鳳くんの肩に手を回して何かを囁いている。

 「ば、バカ、そんなんじゃないって、寛治。俺は、ただ小学校時代からの友人としてだな……」

 「HAHAHA! わかってるって、イッツ・ジョーク、イタリアン・ジョークあるネ!」

 そんな他愛もない彼らのやりとりを見てると、沈んでいた僕の気持ちも「クスッ」と笑うくらいの余裕は取り戻せたんだ。

 

 その日の午後は、ホントに楽しかった。

 ファーストフード店でランチを摂ってから、ゲームセンターで対戦ゲームやメダルゲームに興じて、そのあとはCD&DVDショップで試聴したり、大画面で流れる映画のPVを見ながらあーだこーだ言ってみたり……。

 たぶん、大半の中学生にとっては、ごくありふれた日常なんだと思う。

 それでも、親しい友達が数えるほどしてかいない僕は、放課後こんな風に誰かと遊びに行くなんてことは殆どなかったから、とても新鮮てせワクワクする時間を過ごせたんだ。

 たぶん、大鳳くんと更科くんのふたりが気を使ってくれてたおかげってのもあるんだろうけど、それでも、ここ数日で久しぶりに嫌なことを忘れてリラックスできたんだ。

 

 けれど、5時ごろふたりと別れて家に帰ると、僕は嫌でも今の“現実”を認識させられることになった。

 「ともき! 連絡も寄越さずにどこ行ってたのよ!」

 まずはいきなり母さんから叱られてしまう。

 (え、なんで? まだこんな時間だよ!?)

 確かに僕は土曜日は家に帰ってお昼を食べることが多いけど、外食したり寄り道したりすることもたまにはあったし、これまでは別に何も言われなかったのに……。

 母さんのお小言の内容を聞く限り、どうやら僕が「女の子」だから、そのあたりの基準が厳しくなってるみたい。

 「ごめんなさい、お母さん(ごめん、母さん)」

 内心「今どきはウチのクラスの女子だって6時ごろまでは平気で遊んでるけど」と思いつつも、反論すると自分がその“女子”の範疇であることを認めるみたいな気がしたから、僕は素直に謝った。

 

 せっかくの楽しい気分に水を差されたような心境で、自分の部屋に戻った僕は──だけど、そこでもあまり楽しくない“現実”を突き付けられることになる。

 今朝は急いでたから気づかなかったけど、ベッドカバーやタンスに加えて、壁紙やカーテンも、昨日までの僕の部屋とは全然違っていて、なんだか落ち着かない。

 制服を脱いで着替えようと思っても、洋服ダンスの中には(予想はしてたけど)女の子向けの服しか入ってないし。

 それでも、何とか無難にシンプルなトレーナーとジーンズを捜し出して着替えられたから、ようやくひと心地ついたかと思ったんだけど……。

 「あ、あれ? 本棚の中身が全然違う」

 本棚そのものは昨日までと同じ木目調のシンプルなデザインの代物だったけど、並べられているのは、『華と梅』や『マルガリータ』といった少女マンガ系コミックが7割で、『ウラン文庫』なんかの少女小説系が2割。

 残る1割はティーンの女の子向けの雑誌類で、参考書なんかの類いはどこにもなかった。

 「もしかして、これが東雲さんの本棚の傾向なの?」

 勉強が苦手そうな東雲さんらしいって言えば言えるけど──いや、今はそれが僕のものになってることが問題だよね。

 ほかにも部屋の中を色々探ってみたんだけど、ゲーム機は携帯用の3BSだけで、ソフトも4、5本しか見つからない。

 ケータイがjPhoneなのは変わってないけど、ダウンロードされてるアプリは女の子が喜びそうな恋愛系ゲームばっかりだ。

 (困ったなぁ、これじゃあ、暇がつぶせそうにないや……)

 「仕方ない。宿題でもやろっと」

 皮肉なことに、気を取られる娯楽になりそうなモノがないおかげか、忘れかけていた「学校の宿題をする」という選択肢が僕の脳裏に浮かんできたので、悪銭苦闘しつつプリントの空欄を埋める作業に専念する。

 

 「──で、できた!」

 普段なら軽く1時間程度で終わる量なのに、晩ご飯を食べたあともしばらく終わらず、結局宿題は夜10時くらいまでかかってしまった。

 「ともきーー、お風呂入りなさい!」

 「はーい」

 タイミングよく、階下から母さんが声をかけてきたので、僕は替えの下着とパジャマを持って、お風呂場に急いだ。

 「はぁ、気持ちい~」

 いつもはカラスの行水で済ますんだけど、今日は色々あって精神的に疲れてるせいか、湯船につかるのが妙に心地よく感じる。おかげで、次に入る番の母さんに急かされるまで、お風呂でのんびりしちゃった。

 

 で、お風呂から上がったあとは、アイス食べて居間でテレビ見てたら、あっと言う間に寝る時間になったので、そのまま歯を磨いて寝る準備をする。

 (ふぅ……このまま寝たら、また何かが変化してるのかな?)

 これまでの数日間の状況から考えると、その線が濃厚だろう。

 (でも──どうしたらいいかわかんないし、仕方ないよね)

 どの道、「寝ない」という選択肢はない。もしかしたら睡眠ではなく、日付が変わることを契機に「変化」が起こるという可能性もある以上、仮に徹夜しても無駄骨に終わるかもしれないからね。

 東雲さんがアヤしいとは言え、まさかこかんな時間に押しかけて行って問い詰めるわけにもいかないし。

 

 (それに……なんだか、すごく眠い、んだ……)

 精神的なアップダウンに翻弄されたのに加えて、昼間、大鳳くんたちとはしゃいだ反動か、どうにも睡魔の誘いに抗えない。

 結局、僕は、ベッドに入ってすぐに、思い悩む間もなく眠りに落ちていくことになったんだ。

 

 

【安息なき日曜日】

 

 土曜の夜から日曜の朝にかけては、前日心身共に疲れ果てていたせいか、夢も見ない爽快な睡眠を心ゆくまで堪能することができた。

 8時半ごろに目が覚めて、部屋を見まわしてみたんだけど、昨日のままでとりたてて変化している様子は見受けられなかった。

 階下に降りて挨拶した父さんと母さんの様子も昨日と変わりはなさそうだ。

 それですっかり油断してたんだけど……。

 やっぱり「変化」は発生してたんだ。

 

 朝ごはんを食べたあと、僕は近所の本屋に行ってみることにした。

 本棚の娯楽本の類いはともかく、せめて参考書くらいは買い直そうと思ったんだ。

 「あ、この服可愛い♪ コッチのポーチもいいけど、自分で買うと高いんだろうなぁ……って、あれ?」

 けれど──気が付くと僕は、書店の片隅の女性向け雑誌のコーナーでファッション誌を立ち読みしてた。

 「駄目ダメ、今日は参考書を買いに来たんだから……」

 何とか当初の目的を思い出すと、後ろ髪を引かれる思いを振り切って、数学と英語の基礎向け参考書は選んで、レジに持っていく。

 でも、レジの前に『華と梅』の最新号が置いてあったのを見た途端、反射的にそれも手に取って、一緒に購入しちゃったんだ。

 

 その後も、真っすぐ家に帰るつもりだったのに、なぜか繁華街を歩いているうちに、ブティックやファンシーショップについつい興味を惹かれて、買う気もないのに色々見て回っちゃうし……。

 ようやく家に戻っても、お昼を食べる段になって、気が付いたら食パンに思い切りた~っぷりジャムを塗ってた。しかも、なぜかそれを美味しく感じちゃうんだ!

 (あんまり僕、甘過ぎるものって好きじゃなかったはずなのに……)

 逆に、コーヒーは妙に苦く感じて、ミルクを大量に入れてカフェオレにしないと飲めなかったんだよね。

 

 「もしかして……」

 部屋に戻ると、僕は意を決して買ってきた『華と梅』最新号を手に取り、ページをめくる。

 

 ──おもしろい!

 昨日、本棚の少女マンガを試しに何冊かパラパラ開いてみたときは、まるで興味を惹かれなかったはずなのに、今日は全然感じ方が違うんだ。

 夢中になって最後まで読み終わってから、僕は独り言をつぶやいた。

 「ふぅ……つまり、今日は私(僕)の“趣味嗜好”が変わったのね(変わったんだな)」

 念のため、本棚にある他の女の子向けラノベを見たり、スマホにダウンロードされてたアプリをプレイしてみたりしたんだけど、そのどれも十二分に楽しむことができたから、たぶんこの推測は間違いないだろう。

 

 「まぁ、これで部屋で暇がつぶせるのは助かったけど……」

 でも、逆に言うと、今の僕は少年誌やギャルゲーを見てもつまらないと思ってしまうのかもしれない。

 さらに言えば、男性向けのグラビアやH本を目にしても……。

 

 それ以上考えるのは男としてのアイデンティが揺るがされるようで怖かったので、僕はあえて気づかないフリをして、3BSのソフト──ファンシーな擬人化どうぶつたちに向けて色々な服をデザインするゲームに熱中していったんだ。

 

 

【縁変える月曜日】

 

 明くる月曜日。

 毎日自分を襲う“異変”に怯えつつも、さすがにそろそろ打ち止めじゃないか──と、淡い期待を抱きつつ登校したんだけど、甘かった。

 学校の最寄り駅まで電車に乗り、そこからは10分ばかり歩いて通うというのが、いつもの僕の通学路なんだけど……。

 「おっはよー、トモキ」

 駅から降りて改札口を出たとたん、見覚えのある女の子に妙に親し気に声をかけられたんだ。確か、隣のクラスの湯出(ゆで)さん、だったかな?

 「あ、うん、おはよう、乃亜(のあ)

 あれ、僕、この子の苗字はともかく名前なんて知ってたっけ。それに、ごく自然に名前で呼びかけちゃったけど……。

 「トモキさぁ、昨日ジパングテレビでやってたアレ観た?」

 けれど、湯出さん──乃亜の方も、別段気にしてない様子で、平然と話をフッてくる。

 「あ、もしかして10時からやってたアレ? うん、途中からだけど……」

 しかも、僕もなんとなく普通に会話につきあっちゃってるし。

 「やっふ~、ノア、トモキ!」

 今度は学校近くで同じクラスの山田さんが会話に入って来た!?

 「お、マーヤ、おっはー」

 「おはよう、真綾(まあや)

 山田さん──真綾の名前は、クラス名簿で見たことくらいはあったかもしれないけど、それでもハッキリ覚えてた自信はないのに、今ごく自然にするりと口から出ていた。

 その後も、心の中に「?」マークを目いっぱい抱えつつも、結果的に僕はふたりと楽しく会話しつつ、学校までの道のりを歩くことができちゃったんだ。

 

 そして、「それ」は登校途中だけじゃなかった。

 いざ教室に着いても、僕の席の周りにいつの間にか真綾や瀬理(有方さん)が寄って来て、とりとめもない雑談をしていく。

 ううん、正確には、僕もその中に混ざって、普通に受け答えしてるんだ。

 元々僕は、同性の男子とさえ会話を続けるのがあまり得意じゃなかったはずなのに、クラスメイトというだけで今までロクに話したことがないはずの彼女たちとのおしゃべりを、当たり前のように楽しんでいた。

 そう──楽しいんだ。たいして内容も意味もない、まさに「駄弁る」としか言いようのない会話を続けることが。

 

 そう自覚した途端、僕はこれが今日もたらされた“異変”なんだと気づいた。

 反射的に教室の前の方に視線を向けると、そこでは東雲くん(さん?)が、見覚えのある男友達ふたりと、ゲラゲラ笑いながら何か馬鹿話をしてるみたいだった。

 (あれ、あのふたりって……)

 とっさに名前が出てこない。

 (えーと、確か、同じクラスの、大鳳くんと、更科くん?)

 苗字は覚えていたけど、名前まではわからないなぁ……って!

 (! な、なんで!? クラスで一番親しい男子だったはずなのに)

 その時、かろうじて土曜日にふたりと遊んだ記憶を思い出して、蒼白になる。

 (もしかして、今日入れ替わったのは「交友関係」ってこと?)

 そう思い至ったとたん、僕の中に土曜日に「真綾や瀬理、乃愛たちとカラオケに行った時の記憶」が「甦って」きた。

 

 行きつけのカラオケボックスを4人で2時間借りたこと。

 自分は2番目にパフュの『ベビィ・クライ・ラブ』を原曲のキーで巧く歌えたこと。

 途中でオレンジジュースと間違って届いたカクテルを瀬理がひと口飲んでしまい、妙にハイテンションになってしまったこと。

 最後はTKBの『ハッピーローテーション』を4人でいっしょに踊ってみたら、思いのほか綺麗に揃って、なんだか嬉しかったこと。

 

 ──それらの「記憶」が確かな実感を伴って“思い出せ”てしまう。

 そしてそれと引き換えに、大鳳くんたちと遊んだという記憶が、ひどく曖昧になっていったんだ。

 (そ、そんな……嘘でしょ……)

 

 「え!? ちょっとどうしたのよ、トモキ??」

 「トモ、アンタ真っ青な顔してるけど、大丈夫?」

 急に蒼白になった僕の様子を心配して、真綾たちが色々気遣う言葉をかけてくれたけど、僕には「だ、大丈夫、ちょっと目まいがしただけだから。貧血かな?」と言い訳するのがやっとだった。

 

 

【そして再びの火曜日】

 

 僕が東雲さんとケンカ(というか一方的に罵倒)した日から1週間が過ぎ、再び火曜日が巡ってきた。

 

 その日の朝から、僕はヒドく憂鬱だった。

 (今日はいったい何が起こるんだろう)

 普通なら不思議な未知なる現象に遭遇するという経験は、大なり小なりワクワクするものなのかもしれないけど、この件に限っては僕はまったくそんな気になれなかった。

 (次は何を奪われるのか……)

 正確には、「奪われ」ているわけじゃなく、「交換」されているんだろう。

 でも、僕の意思も都合もお構いなしに一方的に実行されるそれは、まさに略奪されているとしか思えなかった。

 正直、無遅刻無欠席のポリシーを曲げて学校をズル休みしようかとも考えたんだけど、昨日の「交友関係」みたく学校に行かないと気づかないことがあって、それを知らないままでいるというのも、それはそれでイヤだった。

 

 そんな状態だから、当然ながら学校に着いてもテンションは低いままで、真綾や瀬理の話相手をするのも億劫だったけど、昨日の不調が長引いてると解釈してくれたのか、彼女達はむしろ同情的な目で見てくれてるようだった。

 「もしかしてトモキ、“アレ”?」

 「そういえばアンタ、そろそろだったよね」

 「う、うん、まぁ……」

 よくわからないけど曖昧に頷いておく。

 「そっか~。じゃあ、今日の部活の練習は休んだ方がいいよね」

 「部長にはわたしたちの方から言っといてあげるよ」

 「あ、ありがと」

 短く感謝の言葉を伝えつつも、頭の中で今のやりとりを検証する。

 (確か、真綾や瀬理は東雲くんと同じ女子バレー部だったから──もしかすると、今の私もバレー部に所属してることになってる?)

 コレが今日の“異変”なのだろうか?

 いや、月曜は部活がなかったから発覚しなかったけど、僕の交友関係が変化している以上、昨日の時点ですでに僕はバレー部員ということになっていたのかもしれない。

 だからこそ、隣のクラスだけど同じバレー部員である乃愛が親しげに話しかけてきたのだろうし……。

 

 無意識にチラッと前の方の席の東雲さんを見ると、“彼”は眼鏡をかけて何か文庫本らしきものを読んでいるようだった。

 (! そういえば、私、いつの間にか眼鏡をかけなくなってる)

 いったいいつからだろう?

 少なくとも、日曜に部屋でゴロゴロしている時には、裸眼でも問題なく本やマンガを読めたのは確かだ。

 (そりゃ、この席からでも黒板がよく見えるのは、一応メリットだけどさぁ)

 でも、たとえ視力が悪いままでもいいから、できれば元の状態に戻りたい。

 僕は切実にそう願わずにはいられなかった。

 

 * * * 

 

 僕たち──僕と東雲さんに起きた“異変”を除いて、今日も退屈なくらい平穏に授業時間は過ぎていく。

 真綾たちにああ答えた手前、さすがに今日明日くらいはおとなしくしているべきだろうし、第一はしゃぐ気には到底なれなかったけど、それでもありふれた“日常”に流されている間は、自分の“現状”を意識せせずに済む。

 

 授業中、僕は──ややもすると居眠りしたくなる春の陽の誘惑に抵抗しつつ──懸命にノートをとっていた。書いてる字が、いつの間にか丸っこい女の子文字になってるのは、気にしたら負けだと割り切る。

 あいかわらず先生の言うことは難しく感じたたけど、それでも先週の木曜日のようにチンプンカンプンってことはなく、落ち着いて考えれば半分以上はちゃんと理解できる。

 (つまり、東雲くんの学力だって、真面目に勉強してれば十分ついていけるってことよね)

 コレは数少ない朗報(?)と言えるかもしれない。

 

 そして迎えた放課後、部活に行く真綾と瀬理を見送ったあと、スケッチブックと画材の入ったバッグを持って教室を出ようとしている(たぶん美術部の部活に行くのだろう)東雲さんに、勇気を出して声をかける。

 「待って、東雲くん!」

 ピタリと足を止めて振り返る東雲さん。

 僕とほとんど変わらない背丈や肩幅で、短めの髪もメンズモデルっぽいヘアスタイルにまとめているせいか、男子のブレザーを着た東雲さんは、まるっきり普通の(あるいはちょっとカッコいい)男子生徒に見えた。

 「──何か用、折原さん?」

 身長的にはほぼ対等なはずなのに、なぜか見下ろされているような気になって落ち着かない。それでも、再度勇気を奮い起こして、僕は“彼”に言った。

 「その……相談したいことがあるの。少しだけでいいから、時間もらえないかな?」

 「相談──相談ねぇ。ま、部活が終わったあとならいいぜ」

 少なからず含みのありそうな視線を僕に向ける東雲さんだったけど、意外にあっさり了解の返事をくれた。

 「美術部は5時半頃に終わるから、その時間、この教室で落ち合うってのでいいか?」

 「う、うん、それでいいわ。ありがとう」

 お礼を言う僕を面食らったような目で見つめる東雲さんだったけど、フイと視線を逸らして、そのまま教室を出て行った。

 (これで第一段階はなんとかクリアーかな。あとは何とかして東雲くんを説得しなきゃ)

 そう心の中で堅く決意した僕だったんだけど……。

 

 * * * 

 

 そして、ここで物語は冒頭の時間へと巻き戻る。

 最後のアイデンティティの砦ともいえる“名前”さえも奪われ(交換され)てしまった“少女”は、力なく肩を落としつつ校舎の昇降口へと向かい、「東雲」と書かれた下駄箱からスクールローファーを取り出して履き替えた。

 そのまま、無意識に校舎の裏手にある自転車置き場へと向かいかけて、ハッと気が付いて足を止める。

 「え? 私、自転車通学だったっけ?」

 そんなはずはない。折原邦樹の家は、ここから電車で数駅離れて場所にあるため、「女の子の足で」自転車通学するのはかなり難しいはず……。

 

 (──でも、“東雲市歌”の家ならば?)

 唐突に沸き上がってきた疑問に、心の中の誰かが答えた。

 (問題ないよね。自転車で10分弱、歩いたって20分くらいしかかからない距離なんだから)

 「そんな、そんなことって……」

 懸命に、隣の区にあるはずの折原家の場所を思い出そうとしても、具体的なビジョンが何も浮かんでこない。それどころか、どの駅で降りるのかさえ、わからなくなっていた。

 「まさか……私、これからは東雲家に帰るしかないの!?」

 試しに自転車置き場を覗いて見れば、「自分がいつも通学に使っている自転車」がどれなのかすぐわかったし、スカートのポケットから取り出した鍵であっさりロックを外すこともできた。

 おそるおそるまたがると、サドルの高さもハンドルの位置もあつらえたように自分にピッタリだ。

 

 意を決し、ペダルに足をかけて漕ぎ出そう──としてみたものの、それでもやはり少なからぬ迷いはあった。

 このまま“東雲市歌”の自転車で漕ぎ出せば、今の自分が“市歌”だと自分で認めることになるのではないか。そんな気がしたのだ。

 しかし……。

 「おーい、そろそろ下校時刻だぞー、寄り道せずに気をつけて帰れよ~」

 「は、はいっ」

 下校見回りの教師にそう声をかけられ、反射的に返事をした“少女”は、そのままペダルを踏み込んでしまう。

 あっけないほど軽快に自転車は動き出し、ほとんど意識していないのに、そのまま“少女”は「初めてのはずなのになぜか見慣れた街並み」を通って、ほどなく東雲家に着いて──いや、“帰って来て”しまった。

 

 駅からは少し離れた住宅街の外れ近くに祖父の代に建てられ、何度かの細かい改装を経た、やや古めの日本家屋。それが東雲家だった。

 建売ながらモダンな洋風建築の折原家とはまるで趣きが異なるが、それでもなぜか「ここが自分の家だ」という安堵感が“彼女”の中に湧き上がってくる。

 庭の隅のガレージの一角に自転車を押し込むと、意を決して“彼女”──“東雲市歌”となった“少女”は、玄関のドアを開けて中へと入っていく。

 このままでいいのかという躊躇いも、他人の家に勝手に入るという罪悪感も等分にあったが、“少女”はそれに気付かないフリをする。

 

 (だって、ここが私の家なんだもん! ここに帰るしかないんだもん──私は東雲市歌だから)

 ツツーッとひと筋の涙がこぼれたが、それを見られないようこっそりハンカチでぬぐうと、“市歌”はワザと明るい声で台所にいる“母親”に挨拶をする。

 

 「ただいま~、ママ、今日の晩ご飯はなーに? 私、お腹ペコペコだよ~!」

 

 

【転・東雲市歌の日記】

 

[5月13日(月)]

 いよいよ明日が決行の日。マーヤたちにノせられた気もするけど、でも告白しようと決心したのはアタシ自身だもんね。学校だからおめかしして行くってワケにもいかないけど、せっかくなんだし明日くらいは、ふだんはずしてるリボンタイもきちんと結んで、こないだセリにススメめられて買ったカチューシャをしていこう。

 センパイ……たぶんムリだろうけど、OKしてくれるといいなぁ。

 

 

[5月14日(火)]

 サイアク&サイテイの一日だった。

 遠野センパイへの告白は……告白することさえできなかった。それもこれも、みんなあのガリ勉メガネのせいよ!

 ──うん、半分八つ当たりだってこともわかってる。アイツにあんなこと言われて逃げ出したのは図星だったからだってことも。そもそも遠野センパイはモテる人で競争率も高いから、アタシなんかじゃ告白してもダメだったとは思う。

 でも! それとこれとは別問題。乙女心を踏みにじった罪は重いのよ!!

 自転車にも乗らず、学校を飛び出してフラフラしている時、いつの間にか見たことのない小さな神社(おやしろって言うんだっけ?)に来てた。何となくお参りしたら願い事がかないそうな“穴場”っぽい感じ。

 本当なら、ここで「センパイとうまくいきますように」とか「もっと美少女になれますように」とかお願いするのがスジなんだろうけど、頭に血が上っていたアタシは、お賽銭箱に5円を放り込み、ガラガラと鈴を鳴らしたあと、勢いに任せてこんなコトをお願いしてた。

 「どうか、無神経な折原のヤツをアタシと同じ立場にして、アイツの言う「ガサツな体育会系男女」の気持ちを折原自身にも思い知らせてやってください」

 冷静になってみると、我ながら「ないわ~」と思うけど、その時のアタシは絶賛ハートブレイク中だったから仕方ないの!

 でも……。

 『──その願い、叶えてしんぜよう』

 頭の中でそんな声がしたかと思うと、気が付いたらアタシはいつもの通学路に立っていた。

 ちょ、まさか、リアルでホラー体験!?

 怖くなったアタシはそのままダッシュで家に帰った。

 はぁ~、何だったのよ、アレ。

 

 

[5月15日(水)]

 昨日はサイアクだったけど、今日はサイコーの日かもしんない。

 昨日のユーウツな気分を引きずったまま、朝、目が覚めたとき、アタシは机の上に7枚の短冊みたいなものが置かれているのに気が付いた。

 「え、何、これ」

 古い和紙で作られたその短冊を何気なく手に取ったとき、直感的にアタシにはその使い方を理解できた。

 「──あはっ、スゴい! 神様ってホントにいるんだ♪」

 コレは、アタシの願い事を叶えるために神様がくれた不思議なお札。

 とりあえず、初日は様子見ってことで、アタシは1枚目のお札にボールペンで「教室の席」と書くと、ふたつに折ってビリッと破る。

 特に霊感とかがないアタシにも、魔力というか霊力?みたいなモノが破れたお札から立ち昇って、どこかに飛んで行ったのがわかった。

 そして登校した時、予想通り折原とアタシの席が入れ替わっていた。

 そう、このお札を使えば、アタシと折原の間限定で色々なモノを入れ替えることができるんだ♪

 一日につき一枚しか使えないけど、アイツをじわじわ苦しめるのには、むしろ好都合かも?

 あはっ、アタシって意外にサドっけがあったみたい。

 

 

[5月16日(木)]

 今日は、アイツがいつも自慢しているモノをアタシがもらっちゃおう。

 朝、自分の部屋で制服に着替えたアタシは、2枚目のお札に「学力」と書いて破る。

 立ち昇った“霊力”の一部がアタシの身体に吸い込まれ、残りがどこか(たぶんアイツのところ)に飛んで行った。

 試しにカバンを開けて英語の教科書に目を通してみると、斜め読みなのに簡単に理解できる。

 「くふふ……ご自慢のおツムがおバカになったアイツは、どういう反応を示すのかしらね」

 登校すると、予想通り先生に当てられても答えられない無様なアイツの姿を見ることができた。

 一方、アタシは華麗にその問題を解いて、先生を含めた皆の称賛の視線を浴びる。あぁ、とってもいい気分……。

 

 

[5月17日(金)]

 昨日、あんなコトがあったから、アタシはとっても寛大な気分になっていた。

 「アタシだけがいいメをみるのは不公平よね。だから、今日はイイモノあげるわよ、折原♪」

 3枚目のお札に「運動能力」と書いて破ると、お馴染みの現象が発生。

 霊気を吸い込んだあとは、なんとなく身体の動きが鈍い気がする。

 「やれやれ、今日からアタシもガリ勉モヤシの仲間入りか」

 普通なら後悔しそうなものだけど、アタシはむしろゾクゾクするような心地よさを感じていた。

 (アイツに元のアタシの立場を思い知らせてやりたい──ううん、アタシ色に染めてしまいたい)

 普通は「自分色に染める」と言うと恋人とかを自分好みに教育(ちょうきょう)することを指すんだろうけど、アタシたちの場合(これ)はちょっと違うんだよね。でも、“征服欲”とでもいうべきものが満たされているのは、ちょっと似ているかも?

 今日の学校では、「体育の時間に大活躍する折原」という前代未聞のイキモノが見られて、内心アタシは無茶苦茶興奮していた。

 嗚呼、早く明日にならないかなぁ……。

 

 

[5月18日(土)]

 目覚ましを朝6時にセットして目を覚ますと、アタシは昨晩考えていた計画を実行に移した。

 4枚目のお札に「男女」と書いて破る。

 いつもより立ち昇る霊気が大きめで、吹き付けてくる風(のようなもの)に溜まらず目を閉じたアタシが、再び目を開けると……。

 部屋の様子が一変していた。

 中学に入った時に買ってもらったドレッサーがなくなってるし、部屋の家具とかベッドカバーの色も黒とか青とかが多くなっている。

 何より、壁にかかっている制服は、青いブレザーとベージュ色のスラックスという咲良学院男子生徒用のものに変わっていた。

 「やった! 成功したんだ……って、アレ?」

 声がさっきまでと変わってない。

 慌ててワイシャツタイプの男物のパジャマを脱いでみたところ、胸は(これまで同様、腹立たしいほど)無いに等しかったけど、股間にも男のチ●コは存在してなかった。さっきまでの自分と同様、女の身体のままだ。

 色々考えてみた結果、お札は字義通り、アタシを男の、(確認してないけど)アイツを女の、「立場」にしただけなんだろう。身体まで変えたいなら「性別」とでも書けば良かったのかもしれない。

 (でも……こういうのもアリかも)

 アタシ自身はともかく、アイツが男の身体のまま女子の制服を着て女の子として振る舞わなければならないと考えると、テンション上がってきた!

 ──実際、登校したのち、赤いボレロとスカート姿で真綾たちに話しかけられてオタオタしているアイツを見るのは、すごく楽しかった。

 男子の大鳳や更科と話すのも意外におもしろいし、アタシ──いや、オレって案外、男子の方が向いてるのかも。

 

 

[5月19日(日)]

 昨日はなかなか楽しめたけど、今日は休みだからアイツと顔を合わせることがないのが残念だ。

 朝ごはん済ませたけど、今日は何を“替え”ようか……そうだ!

 「昨日、本棚とかゲーム機かと見て、ちょっと気になってたんだよね」

 おそらく、これは男子中学生としてはごく普通(いや、ちょっとインドア寄りかも)のチョイスなんだろうけど、昨日まで“アタシ”だったオレとしてはあまり興味が持てそうにない。コッチを取り替えるのもアリっちゃアリなんだけど……。

 「せっかくだから、心の方を取り替えちゃおう」

 5枚目のお札に「趣味・嗜好」と書いて破る。

 途端に、「この間買ってきたばかりの大作ロープレの続き」がやりたくて仕方なくなってきた。

 オレは、初めて触るはずのTS(トライステーション)4を苦も無く操作し、本棚の一番上に並べてあるケースのひとつから取り出したBDを挿入してゲームを始める。

 「ははっ、やっぱり!」

 最新のセーブデータを選んでロードすると、操作方法やこれまでのストーリーその他を、簡単に“思い出す”ことができた。

 それだけじゃなく、少年ヂャムプで愛読しているマンガや、来月刊行されるのを楽しみにしているラノベの最新刊、さらには机の引き出しの奥にコッソリ隠してある、ちょっとHなグラビアの在り処まで、バッチリ“記憶”があった。

 「うひゃひゃ、男子ってこういうの見てコーフンするんだ……って、今はオレもその男子なんだよな」

 確かに、ボン・キュッ・ボーンなゴージャスプロポーションのグラドルが、マイクロビキニに身を包んで微笑みかけてくる写真は、こう、クるものがある。

 身体自体は──貧乳(ペチャパイ)だけど一応──生物学的には女のはずなんだけど、自意識というか性認識(ジェンダー)? そういうのが完全に男側になってるのがわかる。

 だからこそ、かつての“アタシ”──背が高くて胸が皆無で髪も短くてロクにオシャレもしない体育会系のガサツ女が、男子からロクに女の子扱いされなかったのも、実感を伴ってうなずけてしまうのだ。

 「まぁ、今そのガサツ女の立場になってるのはアイツなんだけどな、フヒヒッ」

 今頃、アイツ、自分の趣味嗜好が変化したことに気付いて慌てふためいてるのか……それとも変わってしまったことにすら気づかず、女の子としての暮らしに溶け込んでいるのか……。

 どちらに転んでも、それはそれでおもしろそうだ。

 「おふくろ、お代わり!」

 昼食の場で育ち盛りの男子中学生らしい旺盛な食欲を見せながら、オレは心の中でニヤニヤしていた。

 

 

[5月19日(月)]

 さて、新たな一週間の始まりだ。

 今日は替えるモノは、昨日のうちに考えておいた。

 「交友関係」と書いた6枚目のお札を破る。

 その後、家にいる間は特に変化は見られなかったけど、学校に着くとすぐに違いがわかった。

 「おーッす、イチカ」

 「ああ、大鳳か。おはよ」

 「お、どうやら体調は直ったようだな」

 「おかげさまでな」

 土曜日はあくまで「同じクラスの男子」へのそこそこの距離感で話しかけていた大鳳が、明らかに親しい友達に対するなれなれしい態度になってたからだ。

 「東雲、こないだ貸してくれた『真ドラゴンライダー7』おもしろかったぞ! 続編は持ってないのか?」

 「ん、あるぞ。どうせなら、8より先に7の外伝の方がオススメだけど。今度持って来てやるよ」

 そんな風に、いかにも男子中学生らしい会話をしながら、チラリと教室の後ろの方──“今の”折原の席の方に目を向けると、そこでは山田と有方に囲まれ、笑顔でおしゃべりしているアイツの姿が目に入った。

 (ふーん、結構楽しそうじゃん)

 気づいてるのかいないのか知らないけど、あの様子なら、アイツもこの状態に馴染めているというのは確かだろう。

 ──じゃあ、明日、最後の一枚も使っちゃっていいよな。

 

 

[5月20日(火)]

 普段、日記は夜寝る前に書いてるんだけど、今日は特別に昼休みに美術部部室で筆を執っている。

 

 神様(?)にもらったお札も、あと残り一枚。

 これに「元に戻る」と書いて破れば、たぶん一週間前の状態に戻れるだろう。そんな奇妙な確信がある。そして、“アタシ”なら、たぶんそうしたに違いない。

 でも──生憎、オレは違う。アイツのものだった頭の良さや男としての気楽な暮らしを手にしてしまった以上、おバカで可愛くもない(そのクセ、女だからというだけで色々ウルサいこと言われる)あんな“脳筋ガサツ女”としての自分(たちば)に戻るのはまっぴらごめんだ。

 だから、オレは、朝目が覚めると、最後のお札にこう書いた。

 「名前」

 これを破れば、アイツは「東雲市歌」という女子中学生になり、オレが「折原邦樹」という男子中学生になる。

 そうなれば、帰るべき家も変わるから、この部屋に戻ってくることは多分ないだろう。

 流石に少しだけ感傷的になったオレは、お札を制服のズボンのポケットに入れ、部屋の中をゆっくり見渡してから階下へ降りた。

 ゆっくりと味わうようにして、おふくろの作った朝飯を食べ、「ごちそうさん、美味かった」と言ってから、カバンを持って玄関を出る。

 最後にもう一度、振り返って自分の生まれ育った家を目に焼き付ける。

 30年以上前に爺さんが建てて、それからも何回か修理や改築してるけど、それでもやっぱり古くて、綺麗とも便利とも言えない東雲家。

 (今までありがとう、そしてさよなら)

 心の中でそう呟くと、オレは学校に向かって自転車を走らせた。

 

 お札を破るのは、放課後になってからにしよう。

 今日一日は「東雲市歌」としての最後の学校生活を堪能して、明日から──ううん、放課後、学校を出た瞬間から「折原邦樹」としての新たな人生を歩むんだ。

 

  * * * 

 

 「そ、そんなコトがあったなんて……」

 自室で「なぜか学校のカバンの奥に入っていた」日記を見つけて読みながら、“彼女”──東雲市歌と呼ばれる“少女”は、瞳に複雑な感情を浮かべている。

 自分の日記のはずなのに、なぜに他人事のような感想なのかは、日記の内容を知っている人なら理解できるだろう。

 そう、この市歌は、元は“折原邦樹”と呼ばれていた少年なのだ。

 「でも、それなら、私も、この日記に書かれていたおやしろを見つけてお参りすれば、元に戻れるかも」

 名前も立場も交換されて、仕方なくこの家──東雲家に帰ってきたものの、自業自得とは言え心の底から納得はしていなかった“彼女”は、戻れる可能性があると知って、少しだけ元気を取り戻したようだ。

 

 しかしながら、実の所、それは難しいと言わざるを得ない。

 かのお(やしろ)の神は、確かにお参りした者の真摯な願い事を、「一度だけ」叶えてくれる。

 本来の市歌の願い事は7回叶えているじゃないかと言われそうだが、アレは総体として「邦樹に自分と同じ立場を実感させてやりたい」という願い事に基づいており、かつ途中で引き返せるようにと配慮がされていたのだ(その証拠に、市歌は元に戻る方法に気付いていた)。

 しかし、その「一度だけ」と言う性質上、ある人の「Aということをしてくれ」という願いのあと、ほかの誰かが「Aをなかったことにしてくれ」という願い事は却下される仕組みになっている。そうでないと、最初の願い事が「叶わなかった」ことになってしまうからだ。不公平なようだが、こればかりは致し方ない。

 そして、さらにもうひとつ、色々工夫して願いの内容をクリアできるとしても、そもそもかのお社には、善悪問わず「心からの切実な願い事」がないとたどり着けないようになっているのだ。市歌[真]が、あの日、あの場所に足を運んだのも、単なる偶然ではなく、(少なくともあの瞬間は)本気で邦樹のことを恨んでいたからだ。

 それに対してこの市歌[偽]はどうかと言えば、元が草食系男子だった影響だろうか、確かに「戻れるものなら元の立場に戻りたい」とは願っているものの、今の立場にもそれなり以上に順応しており、「何がなんでも戻りたい、いや戻る!」という切迫感や執念というものとはおよそ無縁だ。

 あるいは、最後のアイデンティティである「名前」を取られた直後であれば、それなりに強い危機感を抱いていたから可能だったかもしれないが……。

 

 「いちか~、お風呂が沸いたから入りなさーい!」

 「あ、はーーい」

 階下からの“母”の呼び声にごく当たり前のように応え、タンスから替えの下着とパジャマを用意して、いそいそと風呂場に向かう様子を見ていると、望み薄と言わざるを得まい。

 

 結局のところ、東雲市歌[偽]は“お社”を見つけることはできず、当然、元の“折原邦樹”の立場に戻ることもできないまま2年の時が過ぎ、“彼女”──そして“彼”は高校生になった。

 

 

【間:邂逅】

 

 それは、まさに奇跡的偶然だった──あるいは神が仕組んだ本物の奇跡なのかもしれないが。

 

 「ふぅ……もう、あきらめた方がいいのかなぁ」

 三年の夏の大会が終わったのを機にバレー部を引退した東雲市歌(の名前と立場を与えられた折原邦樹)は、9月のとある休日に家の近くを特に目的もなくブラブラ散歩していた。

 ──いや、目的はある。あの日記に書かれていた“お社”を見つけることだ。

 とは言え、彼が“彼女”になってからすでに1年以上が経過して、今の暮らしにも十分馴染んでおり、ともすれば以前の「コミュ障気味なガリ勉根暗少年」だった頃より毎日が快適だと感じることも少なくない。

 「元に戻る」ことへの執着はそれほどないため、既述のような理由で、そのままなら“彼女”には見つけられるはずがなかったのだが……。

 

 「なぁ、もう此処に来るの止めにしないか? 別段、舞だって元に戻りたいと思ってるワケじゃないんだろ?」

 「それはそれ、これはこれです。むしろ、私と空くんが“こう”なれたことへの感謝の気持ちを込めてお参りしてるんですから」

 そんな会話を交わしながら、市歌と同年代の少年と少女が「一見何もないところ」から姿を現したのだ。

 「!」

 直感的に、市歌にはあのふたりが自分の捜しているお社を知っているのだと確信した。

 「あ、あの……すみません!」

 

 * * * 

 

 突然呼び止めた市歌の切迫した様子に何か思うところがあったのか、少年と少女──星崎空と桜合舞は、彼女の「願い事が叶うお社を知っているなら教えてほしい」という言葉に応えて、市歌を問題の場所へと連れて行ってくれた。

 社の前で、詳しい話を聞かせてほしいというふたりに、此処へ連れてきてくれたお礼として、市歌は自分の抱える“事情”を話した。

 「なるほど、限定的な効果のあるお札ですか」

 「オレ達の場合は、もっといきなりだったからなぁ」

 興味深げに頷く舞と空。

 「あの……トンデモないことを言ってるって疑わないの?」

 「え? ああ……空くん、この人に話しちゃっていいですよね」

 「舞が信用できると思うんならいいぜ」

 それから舞が語ったのは、自分──自分達の身に起こったのとよく似た椿事だった。

 違いと言えば、このふたりが(意図的にではないにしろ)自らソレを望み、そしてそのことに戸惑いつつも好意的に受け入れている、ということだろうか。

 「今となっては、女の子ライフも楽しいし、別にこのままでいいかなって」

 「オレとしても、こんな可愛いカノジョができてハッピーだし、今更ムサくるしい男に戻ってほしくないなぁ」

 どうやらふたりは「幼馴染で恋人」というラブコメの王道を地でいくカップルらしい。

 「市歌さんはどう? どうしても元の自分の立場に戻りたいですか?」

 そう聞かれると、確かに返答に窮する。

 市歌とて今の生活にとりたてて大きな不満があるワケではないのだ。

 敢えて言えば、自分の現状を理解している友人がいないことだが、それとて今このふたりに打ち明けたことで、そのストレスはかなり緩和されたことだし……。

 「でも、私なんかがこの先も女の子としてやっていけるのかなぁ。私、舞ちゃんみたいに可愛くないし、胸だって……」

 「あはは、そんなぁ、買い被りですよ。市歌さんだって十分魅力的ですし」

 褒められて照れくさいのかクネクネしつつも、形よく膨らんだ胸を突き出すようなポーズをとる舞。

 「な~に、上から目線で語ってんだ。舞だって、ついこないだまでは東雲さんとドッコイドッコイのツルペタだったじゃないか」

 「あぁっ、空くん、ソレは言わない約束ですよぉ!」

 「! そこの事情(ところ)を詳しく!!」

 何か“乙女”として聞き捨てならないことを耳にした市歌は、それまでの遠慮をかなぐり捨てて、舞たちに迫る。

 先ほどまでの3倍増しで真剣になった市歌の様子に若干ヒキ気味になったふたりだが、それでも照れながら舞が語ったところによると……。

 「なるほど、おふたりが、その…結ばれたことで舞さんが身体も完全に女の子になって、それ以降、胸も急成長中と」

 「改めてハッキリ他人に言われると恥ずかしいなぁ、おい」

 「同感です。まぁ、私の場合は、これでやっと人並みってところですから」

 その人並どころか貧乳にすら届いていない無乳の“乙女”にとっては、身震いするほど羨ましい話だった。

 「んー、市歌さん、気になる男の子とかいないんですか?」

 「え……いや、その……えっと……」

 正直に言うなら、いることはいる。

 無論、自分をこんなメに遭わせた折原邦樹[偽]ではなく、小学校時代からの友人であった──そして今も席が隣のクラスメイトとして話すことが多い大鳳鈴太郎だ。

 最初は、邦樹時代の名残りかと思ったのだが、最近は自分が「異性として」の彼を意識していることも、市歌は気づいてはいた。

 

 「でも、私、身体自体は男のコのままだし、恋人でもない男性にそういうコトしてもらうのは、さすがに無理があるかと」

 「ふーむ、話を聞く限りでは、その大鳳ってヤツも絶対東雲さんに気があると思うけどなぁ」

 仮に空の勘が正しくても、彼に今の自分の身体を見せて幻滅されたくない──と思う微妙な乙女心は市歌も持ち合わせていた。

 「あは、恋する女の子ですねぇ。だったら、せっかくこのお社に来たんですから、ソレを願い事にしてみたら如何です?」

 「「! それだぁ!!」」

 

 * * * 

 

 「現在の立場にふさわしい身体になりたい」という願い事は、呆気なく受理され、その日、社のある場所から出た時は、すでに東雲市歌は完全な女の子になっていた──と言っても、着衣のままでは特に変わったようには見えないが。

 「ねぇ、ご自宅に帰る前に、よければこれからウチに寄っていかれませんか? いきなり女の子の身体になって戸惑うこともあるでしょうから、“先輩”として教えられることもあると思いますし」

 「えっと……ご迷惑でないならお願いしようかな」

 「はい♪」

 というやりとりが舞と市歌の間であったり、それを見て「これは百合、それとも精神的BL? どちらにしても萌えるゼ!」と空が密かにコーフンしたりと、色々あったのは余談である。

 ともかく、そんな経緯で、市歌は学校は違うものの星崎空&桜合舞と友人になり、舞のアドバイスを受けつつ鈴太郎のハートを射止めるべく“女子力”を磨くことに熱意を傾け──10月頭の学院祭のファイヤーストームで彼をダンスに誘うことに見事に成功するのだった。

 

 

【結:誤算】

 

 「あーちきしょー、だりぃ」

 改札を出た途端、容赦なく照りつけてくる8月の日差しに、少年は呻く。

 咲良学院の男子の夏服は半袖のワイシャツに薄手のスラックスというありふれた意匠だが、この少年は、ズボンの裾をニッカーボッカーズの如くふくらはぎ辺りまで折り返し、ワイシャツの襟をマオカラー風にプチ改造しているので、あまり学生服という気がしない。

 「あれ、折原じゃんか。ちぃーす!」

 「んん……更科か。おぃーっす」

 学院への途上で友人と出会ったので、駄弁りながら向かうことにする。

 「折原が休暇中の部活に出るのって珍しいな」

 「あ! 漫研の活動日、今日だっけか? やっべ、忘れてた~」

 高等部に進級した少年は、美術部から目の前の友人・更科寛治も所属する漫画研究会へと籍を移し、そちらで主にイラストや掌編マンガを書くことを主な活動内容にしている。

 とは言え、あまり真面目な部員とは言い難かったが……。

 「ヲイヲイ、忘れてたのかよ……って、じゃあ何で夏休みの真っ最中に登校してんだ?」

 「はっはっはっ、数学の相沢女史にプライベートレッスンに呼ばれててな。手取り足取りいろいろ教えてくれるそうだ」

 「つまりは──補習か」

 「…………はい」

 少年はがっくりと肩を落とす。

 「うわぁ、ご愁傷さま。それにしても、2年前は学年で五本の指に入る成績だったお前が、まさか補習を受けるようになるなんてなぁ」

 「ぅぅ……コレは何かの陰謀じゃよー!」

 ダバダバと滝のような涙を流す少年──折原邦樹[偽]。

 (こんな事になるなんて……)

 大げさにジョークっぽいリアクションを返してはいるものの、実は本人もそれなりにショックを受けてはいるのだ。

 あの時、“彼女”だった彼は、学力を本物の邦樹と交換しようとして、それは確かに実現されたのだが……ここに落とし穴があった。その時点の「学力」が入れ替わったとしても、その後、キチンと継続的に勉強しなければ、徐々に成績が下がるのは自明の理であろう。

 逆に、“彼”だった彼女──東雲市歌[偽]の方は真面目な性格も相まって、地道な努力を続けた結果、高校一年の一学期末の試験では、何とか中の上と言える域まで盛り返している。今では、下手したら邦樹の方が低いかもしれない。

 

 一方、部活に関しては、邦樹は確かに絵を描く技術や技巧はあったものの、美術部のクソ真面目な絵を描く活動が性に合わず、前述の通り高等部に入った際、漫研に鞍替えしている。

 対して、市歌の方は……。

 

 「ん? グランドの方が騒がしいな」

 寛治の言葉に釣られて目を向けると、そこではどうやら野球部が他校と練習試合をしているようだった。

 「お、アレ、大鳳じゃね?」

 「ホントだ!」

 咲良学院高等部の野球部はこの学校運動部の中では比較的強い方だが、それでも地区大会ではベスト16~8が定位置だ。

 しかし、一年生に有望な新人がふたり入ったため今後3年間はベスト4、もしかした優勝も狙えるのでは、と噂されている。

 そのうちのひとりは高等部からの編入組で、中学時代に某有名野球高からのスカウトも来たという噂の有名人、星崎 空。

 そして、もうひとりが、中等部からの内部進学組で、彼らふたりの友人である大鳳鈴太郎だった。

 俊足巧打で出塁率・盗塁率が非常に高い空と、長打力とここ一番の勝負強さが持ち味の鈴太郎、ふたりがいれば得点源には困ることがないだろうと言われている。無論、投手陣がヘボで打たれまくれば意味はないのだが……。

 ともあれ、そんなワケでこのふたりは一年のうちから例外的にレギュラー入りしており、今ちょうど鈴太郎が打席に立っているところだった。

 「あ~、いいなぁ、アレ」

 寛治が羨ましそうに見ている視線の先には、紅のノースリーブと白いプリーツミニスカートに身を包んだ一団──チアリーディング部の姿があった。

 黄色いポンポンを手に息の合った演技(うごき)で、野球部を応援している。

 普段は公式試合でもない練習試合に出張ることはないのだが、たまたま自校で試合があったので部活も兼ねて応援しているのだろう。

 その中のひとり、セミロングの髪をカチューシャでまとめた少女に邦樹の視線は吸い寄せられる。

 身長165センチ強と女子にしてはやや長身で、見惚れるほどの美人というわけではないが、均整のとれた健康的な肢体と屈託のない明るい笑顔が魅力的だ。

 さらにいえば……。

 (何だよ、あの胸、オレが“アタシ”だった頃と大違いじゃんか)

 彼女の胸は16歳にしてはなかなか豊満で、チアの演技で跳ね回るたびにブルンブルン揺れているのがわかるくらいだ。

 「邦樹ク~ン、いけないなぁ、友達の彼女……のオッパイに見とれてちゃあ。ま、同じ男として気持ちはわかるけど」

 そう、“今の”東雲市歌は、大鳳鈴太郎とつき合っているのだ。

 「そ、そんなんじゃねーよ! 誰があんなガサツな体育会系男女に」

 「ああ、そう言えば、中等部の頃、お前らいつもケンカしてたよな。でも、それは言い過ぎだろ。東雲さん、確かに中等部ではバレー部所属だったけど、礼儀正しいし、成績も悪くないし、身だしなみにも気を使ってるじゃん」

 寛治の言う通りだった。

 “あの日”、「東雲市歌」の名前と立場を押し付けられた彼女は、しばらくは教室で見た時も精彩がなかったが、一週間もすると吹っ切れたのか、積極的に市歌としての暮らしに馴染むよう努力を始めた。

 しかも、元の市歌が客観的に見て「ガサツ」「脳筋」と言われても仕方ない娘だったのに対して、市歌[偽]は良識派で部活以外のことにもそれなりに力を入れるようになっていたのだ。

 それは、勉学しかり、年頃の女の子としてのたしなみ然りで、また元の邦樹だった頃はコミュ障気味だったのが嘘のように、対人関係にも気を使うようになっていたため、男女どちらの受けも悪くはなかった。

 そういう意味では、市歌[真]の「邦樹(アイツ)にもガサツな体育会系男女の気持ちを味わせてやりたい」という願いは十全に叶ったとは言えないのかもしれない。

 そして中等部のうちは女子バレー部で特に可もなく不可もない一部員として過ごした市歌は、高等部に進んだ後、クラスメイトになった外部生の友人に誘われてチアリーディング部に入部し、今に至る──というワケだ。

 これは、バレー部時代に、対戦相手と勝敗を争う競技が性格上自分にあまり向いていないことを、彼女が痛感したからでもあるのだが。

 そんな市歌だが、もともとの折原邦樹時代に鈴太郎と親しかった影響か、クラスメイトである彼と親しく言葉を交わすようになり、やがて中学三年の秋頃には正式に交際するようになっていた。

 

 「──オレ、そろそろ補習に行くよ」

 今の「女の子として輝いている東雲市歌」を見ていると、なんとも言えない気分になる邦樹は、無理やり視線を逸らし、寛治にそう告げた。

 「? あ、ああ、まぁ、ボチボチがんばれ。あと、終わったら部室に顔出せよ」

 「らじゃー」

 重い足取りを引きずりつつ、少年は教室へと向かう。

 (どうしてこうなった……)

 心の中で自問自答している邦樹には、『兎と亀』あるいは『アリとキリギリス』の逸話を教えてやるのが最適解だろうか。

 「あっれ~、折原くん、どしたの?」

 「──夏休みの教室に来る用事が補習以外に普通あるか?」

 「それもそっか」

 ケラケラと笑う(かつての親友のひとりである)有方瀬理の様子に、少しだけ毒気を抜かれる。

 「怒んないでよ。あたしも補習組なんだし、一緒にがんばろ」

 間近でニコッと微笑みかけれられてドキリとする邦樹。

 「あ、ああ……よろしくな」

 (ちょ、なんで、セリ相手にこんな気分に……)

 まぁ、それだけ“彼”が男としての立場に心身共に馴染んだということなのだろう。

 

 この補習をキッカケに、邦樹は(再び)瀬理と親しくなり、夏休みが終わるころにはつきあい始める。

 そして秋の学院祭を迎える頃には、鈴太郎&市歌と並ぶ立派(?)な“イチャイチャかっぷる”として、周囲に羨望半分腹立ち半分の溜息をつかせる存在になるのだった。

 

 当初の(「アイツにガサツな体育会系男女の気持ちを味わせてやりたい」という)目論見は成功したとは言えないものの、折原邦樹は(そして東雲市歌も)それなりに満足のいく学生生活を送り、そのまま伴侶と結ばれてごくごく普通の幸せを手に入れたという。

 

-おしまい-

 




 なお、「輝く星空」のソラ&マイと同様、“市歌”と鈴太郎も、中三の年末に「ファイナルフュージョン」を果たした模様。
 ちなみに、私立咲良学院の制服は某『下〇生』の卯月学園のそれをイメージしています。


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