遥か昔。この地球上には驚くべき動物たちが生きていました。既に滅びたその動物を、現代に連れてくることができたとしたら。

──『プレヒストリック・パーク』より

歴史に"もしも"は許されない。我々には、先人が遺したこの歴史を維持する以外の道はない。我々の戦いは既に始まっているのだ。諸君。勝利せよ。

Title: SCP-1941-JP - その時歴史が動かなかったら
Author: triplet_pp
Source: http://scp-jp.wikidot.com/scp-1941-jp
@ 2016

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エージェント・ボブの報告書

「変わったティラノサウルスだな!」

青白く光るタイムポータルから悠久の時空を超えて、3本の角を顔に持つ“ティラノサウルス”が現代にやってきた。まだ子どもだが、その荘厳な角と力強い足取りには、ゆくゆくはゾウを超えるほどの巨体に育ってゆく未来を感じられる。まあ、目当てのものではなかったのだが、“彼”のことだ。前向きに捉えるだろう。

遅れて、タイムポータルから薄い色をした半ズボンの男が駆け出してきた。このパークの主力とも呼べる男、ナイジェル・マーヴェン。パークとしては今回が初めての時間旅行であり、白亜紀末期──巨大隕石がユカタン半島へ落下する直前の北アメリカで、ティラノサウルスを追いかけていたのだった。

「ボブ、ティラノサウルスが来るはずだ。トリケラトプスの誘導先は──」

ナイジェルは後ろを振り返りつつ叫んだ。しかし、数秒が経ってもティラノサウルスは現れない。大人のティラノサウルスほどの巨体であれば、その大きな足取りゆえに、人に追いつくなどわけのないことだろうに。タイムゲートの向こうのティラノサウルスは、どうやら現代へ渡るのを躊躇したらしい。

「……来ないな」

ナイジェルの顔には落胆の色が表れたが、すぐに明るくなった。ワシたちはパークの運営が始まって最初の恐竜、トリケラトプスを手に入れたのだ。

「上出来じゃないか、ナイジェル。確か今のは、ティラノサウルスのライバルの恐竜だろう?」

「ああ、その通りさボブ。トリケラトプス・ホリドゥスだ。いやあ、ついさっきはティラノサウルスとトリケラトプスの群れに挟まれて大変だったよ。凄まじいパワーとパワーの激突だった。ティラノサウルスを連れて来られなかったのは残念だけど、すぐに計画を立てて再出発だ。これから忙しくなるだろうけど、よろしく頼むよ!」

「任せろ!」

見張り台に向かって手を振るナイジェルに対し、勇気づけるように声をかける。一方で、心の内は感慨に浸っていた。そう、ワシとナイジェル、そして多くのスタッフたちが築き上げたこの楽園に、ようやくお客がやって来たのだ。嗚呼、何もかもがこの日のためにあったのだ。

 

「『先史時代の公園』……ですか?初めて耳にする名前ですね」

白いデスクの上に置かれたラップトップには、時空間異常に関する別件のオブジェクトについて執筆中のドキュメントが表示されていた。堅苦しい黒い文字列をタイプしていたキーボードから手を離す。私の横には白衣を纏った博士がいた。突然何の用だろう、と考えていると、要注意団体の情報を持ちかけてきたのだ。博士は先ほどまで鳴らしていた煩わしいウクレレをデスクに置くと、詳細な説明を始めた。

「そう。ついさっき報道されていた。大昔に絶滅した動物を南アフリカにかき集めて、究極の野生動物保護区を組織する、だとか」

「報道されていた?もう民衆には知られていると?」

絶滅動物の保護とあっては、その手法は限られている。1つは、化石に保存されたゲノムDNAやアミノ酸の配列を解読し、現代の生物の卵に情報を注入して復活させる方法。10年ほど前にコスタリカで同様のテーマパークを開こうとした大企業が取った手法だ。性別をメスだけにし、リジンと呼ばれる必須アミノ酸の体内での合成を遺伝子レベルで阻害するという安全策を張ったにも関わらず、一夜で崩壊してしまった。全くどうしようもない連中だ。もう1つは、実際に過去と現在を繋ぎ、過去から生物を連れてくるという手法だが──そんなものが実現されてしまっては──。そして、それが既に社会に知られているなら──

「残念ながら、そうだ。計画段階では外部に露呈していなかったのさ。BBCをはじめ、今や世界中の放送局が飛びついてネタにしている。今から彼ら全てに財団が圧力をかけて揉み消すにしても、GOCや他の団体が黙っちゃあいないだろう」

「既に絶滅した動物の保護……歴史に干渉する集団ですか」

「その可能性がある。だから君に声をかけた。時空間異常に関するオブジェクトに精通したエージェント、ボブ」

「……」

「君は過去にいくつもの要注意団体の情報を掴んでくれた。それに、財団内での仕事も申し分ない。君の優れた手腕を見込んでのことだ」

博士は書類の束を懐から取り出し、デスクにバサリと置いた。その厚さはざっと3,40枚分といったところか。

「これがその場所と、上からの依頼だ。正式な伝達ルートでなくて済まないが、向かってくれ」

博士がポケットから行きの航空券を取り出す。急な仕事を押し付けられて内心不本意ではあるが、財団に所属して勤務している以上、上からの命令は絶対だ。その上、この口ぶりから察するに、おそらくは博士のさらに上からの指示なのだろう。ここは承諾するほかない。

「……承知しました。クレフ博士」

 世間から逸脱した白い研究室を、私は怠惰そうに退出した。

 

こうして私は、『先史時代の公園』へ赴いた。その目的は、組織の調査。収集する絶滅動物とは何で、その収集手段は何で、組織の構成人数、敷地面積、セキュリティ、技術、他団体との関連性など、『先史時代の公園』に関する可能な限り全ての情報を引き出す。それが私の任務だった。座席の背もたれを倒した飛行機を乗り継ぎ、代り映えのしない青い海と青い空と白い雲を延々と網膜に映すこと数時間、ついにアジトへ到達した。

他の大抵の要注意団体と違い、情報が公開されているのが仕事を楽にしてくれた。普通ならまず、要注意団体の本拠地を特定しなくてはならない。蛇の手などといった団体には、特定しては雲隠れされ、特定しては逃げられといういたちごっこを繰り返されてきた。それに比べると良心的だ。さっさと情報収集を終えて財団のサイトへ引き上げたいところだが、指定された調査計画書には随分と面倒なことが書いてあった。パークのスタッフとして実際に勤務して内情を探らなくてはならないのだ。ああ、一体何ヶ月かかるのだろう。ひょっとすると、何年にも渡るかもしれない──

周囲を見回しても、退屈な山と海だけだ。ここ数万年数千年で人類が築いてきた文明など、パークの施設以外にありゃあしない。全く、こりゃあとんだ外れクジを引かされてしまったようだ。規模の大きな自然というものは良いものに違いないが、今の心境ではかえってマイナスに働くものだ。

まあ、財団の職務に半ば飽きていた私にとっては、どのみち良い方へは向かわないか。ため息をつきながら、森に覆われた木造の施設に向かって歩を進める。

拠点には、外部と内部の明瞭な境界線というものはなさそうだった。近いうちに生物が収容されるであろう木の檻の間を通り、責任者と思われる人物が鎮座しているであろう建物へ向かう。しかし、古代生物を飼育するのに木で持ちこたえられるのだろうか?どうにも不用心だ。途中で緑色の半袖シャツを着たスタッフに声をかけられ、事情(もちろん、財団が用意した嘘の事情だ)を説明して彼らの誘導に従っていく。マスコミに存在を公開するような組織だ、就職希望者に危害を加えるようなことはしないだろう。

案内された部屋には木の椅子が置かれていた。ここでお待ちください、という支持が出され、はいとそれに従う。ものの数分も経たないうちに、いかにもフィールドワークを行っています、という風貌の男が顔を見せた。この男が書類にも名前が記載されていた、ナイジェル・マーヴェンだな。きちんと目を通したので当然把握済みだ。ペコリ、と彼は頭を下げ、彼が普段愛用していると思われる椅子に腰かけた。彼の前の木の机には無数の文献や写真が煩雑に積み重ねられ、壁にも現在とは大陸の配置の異なる地図や何かの化石の写真が貼られていた。その上には生きたヘビが横たわっているし、よく見ると男の肩にはインコが止まっているではないか。随分と自然の好きな男なのだろうな。

「さて、就職希望ということだね?」

「ええ、そうです」

随分とフランクな男だ。

「ああ、丁寧語じゃなくていいよ。見ればわかる、君はなかなかの逸材だろうね。数々の動物を相手にした経験があるだろう?」

返答に詰まる。動物といえば動物のときもあったが、私が対処しているのは異常存在だ。あなたが知らない物も私は数多く見てきているのだ。私だって、あなたのように動物を追いかけて人生を過ごしてみたかったさ。

「……いえ、動物といえば、以前飼っていた犬くらいのものですが」

「だから、丁寧語じゃなくて良いって。そうなの。じゃあ、何か大変な仕事をこなしたんだね。仕事熱心で優秀そうだ、管理職につけてあげよう」

なかなかの観察眼だ。まさか財団のことを知って──

いや待て。

何と言った?この男は。

「失礼、今、管理職と……?」

「ああそうさ。園長は私だが、正直私だけじゃあこのパークは経営していけないよ。君のように優秀な人材がいると、心強い」

「な──」

願ったり叶ったり──いや、むしろ、願ってすらいなかった。まさか、全ての情報を一望できるポストに就けるとは。しかし、信頼してよいものか。いきなり外部からやって来た人間に、そんな大役を任せるわけがない。普通の組織であれば。何か裏があるのではないか、いや、むしろ確実にあるだろう。財団に勤務する私の経験から、間違いなくそう断定できる。

「そうそう、一応だけど、履歴書を見せてもらえるかな?」

「ええ──いや、ああ」

つい出てしまう丁寧語を訂正し、財団が用意した偽の履歴書を取り出す。人の過去を全くの0から創造し、数十年分の説得力を持たせられる。それが財団の力である。財団エージェントという事実を抹消し、名前もファミリーネームとミドルネームを無関係で自然なものに変え、国籍や出身校も改竄したが、本来の能力や資格と遜色ないだけの虚偽がそこには並んでいた。彼はそれを手に取り、しげしげと眺める。

「なるほど、植林活動。それにライフセイバーの経験もあると……」

「随分昔のことなので、今となってはこの体で──だがな」

「ふふ、ようやく対等に自然に喋れるようになったね」

ナイジェルがニコリと笑みを浮かべ、私も釣られるようにして笑い返した。あの履歴書に書かれている経歴の大半は真っ赤な嘘だ。しかし、財団が把握している私の過去から、事実もある程度は抽出してある。私も生き物は好きだ。SCiPオブジェクトに触れるようになってまともな生き物に関わる頻度は減りこそすれ、それなりの関心はある。

スタッフがやってきた。トレーの上に置かれた白い湯気を立てる2人分のティーカップには、いかにもイギリスという雰囲気の紅茶が注がれていた。

「君もイギリス人なんだってね。弱いけど、確かにイギリスのアクセントを感じるよ」

「ああ、いろいろと国を転々としていたから少し抜けているけどな。うん、祖国の味だ」

紅茶をすすり、海外を転々としたイギリス人じみた一言を模索してみる。全くの出まかせで、クイーンズイングリッシュも財団に就職してから練習したものだが、何とか誤魔化しは効いたようだ。彼は満足そうに紅茶をすすっている。

しかし、何とも計りきることができない。どのような人間なのだろうか、このナイジェル・マーヴェンという男は。財団の報告書を読みはしたが、自然を愛する男ということしか掴めなかった。一体この男は何を考えて私に管理職などという甘い言葉を告げたのか。私の中で、疑念がブラックホールに吸い込まれる星間ガスのように渦を巻いてゆく。コトリ、とカップを置く音が鼓膜を震わせ、ハッと我に帰った。

「私はね。この場に究極の野生動物保護区を建てたいのさ」

クレフ博士から聞き、そして書類にも記載されていた内容だ。もう既に頭に入っている情報ではあるが、本人の口から聞いておいて損はないだろう。

「ここは理想的だよ。四方を山脈と海に囲まれていて、人の文明もなかなか入っては来ない。研究者やテレビの取材は来たけどね」

「そして、脱走も防げるわけか」

もし生物兵器として古代生物を収容するのなら、当然懸念の1つだ。

野生動物というものは人智を超越した力を持つ。野生のアフリカゾウが1頭暴れるだけで、家屋は倒壊し、何十人という死傷者が出ることだろう。サイやカバでも十分だろうし、クマやライオンも相当の脅威だ。人間は剣を手に取らなければイエネコにさえ敗北を喫するとも耳にする。恐竜をはじめとする古代生物であれば、それがどうなるか。仮にその力を人類が完璧に制御できるのであれば、どこかで役に立つ兵器となりうる。人間が銃火器の力を最大限に発揮できない環境で、彼らは人類を圧倒的な力でねじ伏せられる。人類の使うハイテクノロジーからジャミングを受けず行動できる兵器。その万一の暴走にも耐えられる収容というものが求められる。兵器運用を行っているわけではないが、財団としてもSCiPオブジェクトを収容違反させないことは必須だ。

「そう、その通り」

ナイジェルはそう言ってまた茶をすする。これだけの返答では判断しかねる。お前が古代生物の兵器運用を考えているのか、それとも純粋に研究するためか。絶滅動物を収集すると聞いて真っ先に浮かんだのは兵器運用の恐れだ。未知の病原体を抽出してバイオテロに用いることも可能だろう。さあ、お前は何を考えている?

そしてもう1つの懸念は──

「絶滅動物をもう一度見たいというのは、私のかねてからの夢でね」

おっと、思考を中断してくるか。まあ良い。聞くとしよう。

「素敵だとは思わないか?何千万年、何億年と過去の生物が、今生きている私たちの目の前で動くんだ。例えばそう、恐竜だ。6500万年前に恐竜は絶滅したが、それから今に至るまでに、人類の文明がいくらできる計算になると思う?あの非常識的なまでに巨大なピラミッドがそびえる古代エジプト文明だって5000年前のものに過ぎない。古代エジプトから今までの長い長い人々の歴史。何度も戦争があり、革命があり、技術革新があり、何十万回も月と太陽は地球を回った。それが5000年という時間なのさ。そんな歴史を1万3000回繰り返しても、恐竜がこの地球上にいた最期の瞬間を見ることしかできない」

「ふむ……」

「そんな無限とも思えるほど長い時間を、彼らは土の中で石になって過ごしていた。我々が今見ることができるのはその石だけさ。でも、この歴史を飛び越えて彼らに出会うことができるかもしれない。いや、できる。そして彼らを保護し、この時代に再び地上を歩いてもらう。壮大な僕の夢なんだ」

「つまり、過去から連れてくると?」

「そういうことさ。遺伝子改変なんかじゃあない、本物の動物たちを保護して、復活させるんだ。99.9%の生命は既に絶滅したけれど、絶滅は生命の絶対的な終わりを意味しない」

もう1つの懸念が当たってしまった。過去との接触。

例え善意に由来する行為であれ、過去の改変行為はその後の歴史を大きく乱しかねない。おそらく、『先史時代の公園』の行動範囲では世界の崩壊が起こるような深刻な改変は起こらないだろう。世界は壊れない、ただ変わるだけ。しかし、世界が壊れなくとも、変わるだけでそこに住む人類には死活問題である。過去の生物を連れ帰り、その生物が本来過去でするはずだった行為が行われなかったら?本来獲るはずの獲物が生き延びたら?本来横たわるはずの死体がなくなったら?逆に、現代の動物が1匹でも、植物の種子が1粒でも紛れ込んだら?その後の生態系にどのようなバタフライエフェクトがもたらされるか、それを知る人間はこの世にいない。財団でも、どのような組織でも、知る由もない。

根拠がないという者もいるだろう。だが、我々の生きてきた歴史というものは全て偶然の積み重ねの末にある結果に過ぎない。偶然により選ばれてきた事象をもう一度選び直すなら、その先にある結果は分からない。私はSCP財団の職員としてここにいる。我々の職務は、異常存在を確保・収容・保護し、人類を守ること。人類が滅亡していない歴史を、人類が誕生している歴史を、守らなくてはならない。地球が誕生してからの46億年、いや、宇宙が誕生してからの137億年を守らなくてはならないのだ。

しかし、私の中には別の感情が芽生えているのも感じられた。財団に対して長らく抱いていた未知の感情が、なぜかここで言語化できそうだった。

 

あの後、すぐさま財団に報告するはずだった。しかし彼は私を引き留めて長く喋りすぎた。バシロサウルスのスケッチと頭骨の写真を見せて、やれ哺乳類だの爬虫類だのと語り、次々に現生動物や化石動物の話を展開した。それはまるで、数十年間を折り紙に費やした熟練の者が次々に止め処なく千羽鶴を折るかのごとき勢いだった。私はそれに圧倒され、財団への報告もろくにできないまま就寝してしまった。

翌日の朝も似たようなものだった。ナイジェルは熱心に私に生物学を語り、拠点の構造を隅々まで見せてくれた。木でできた杭が無数に並び、ここに恐竜が走り回るのだという。池のある敷地もあった。そこではナイルワニの群れが口を開けて日向ぼっこをし、アフリカクロトキの群れがパタパタと水しぶきを上げて飛び立った。やがてここにも別の古生物が入り、彼らと共存していくのだろう。獣医師のスザンヌは医療キットを見せてくれた。当然ながら現生の哺乳類・鳥類・爬虫類・両生類に対応したもので、古生物にこれを適用するには難があるかもしれないが、それでも財団以外では最新鋭と呼べる機材が揃えられていた。

そして、施設を全て見渡しても兵器運用の動きは全く見られない。設備が見られないばかりか、ナイジェルにもその気は毛頭ないようだ。やはりこの男、純粋に生物と自然を楽しんでいる。害意はない。悪意もない。何の抵抗もなくヘビや鳥と戯れるその姿には、ある種の絵画のような美しささえ感じられるではないか。ボッティチェリの「春」のような自然との親しみが、彼を取り巻いていた。

彼とともに杭を打ち、土を掘り、土砂を運ぶ。そんな作業を繰り返しているうちに、彼と一緒に居るのを心地よく感じてしまう。躍動に満ちた冒険と、そして平穏でのどかな日常が同居する不思議な男。その男こそが彼である。私は何を求めて財団に入ったか。あの財団に欠けたピースが何なのか、彼と共に居ると何となくそれが充足していく感覚がする。彼は財団に欠けた冒険心と平穏の象徴だ。そして、そんな彼の夢を応援したいと思ってしまっている。

彼の周囲には、我々の知識を超越した異形はいない。視界の片隅に潜む者はいないし、首を折ろうとする彫像も、周囲の人間を狂気に陥れる女もいない。生と死の狭間で日夜調査研究をする摩耗した財団に抱いていた負の感情が、ここでは受容されてゆく。

嗚呼、しかし私は財団エージェントとしてここに居る。残酷ではないが冷酷な財団の使者として、世界を守るためにここに立っている。現実を見なくてはいけない。一個人の理想のためだけに、人類の存亡を天秤にかけてはいけないのだ。嗚呼、しかし、私の心は揺れている。彼の話によると、もうじき最初のタイムトラベルが行われる。それまでに財団に報告し、機動部隊を派遣しなくてはならない。決断の時は迫っている。

「ナイジェル、ちょっと良いか?」

手押し車で土砂を運びながらだったので額に汗が浮かんでいた。それを拭いながら、不思議そうな顔で近づくナイジェルを迎える。

嗚呼、これを口にするわけにはいかない。だが、口にしないわけにもいかない。もししなければ、私は自責の念に押し潰されてしまうことだろう。私に財団は向いていなかった。純粋に神秘を追う男を前にして、冷徹な存在でいることができなかった。本来の財団職員であれば、利己的な目的で世界を搔き乱す危険因子としてナイジェルを排除しなくてはならない。重圧と緊張のあまり破裂しそうになる喉を必死に抑え込む。

「実は──」

ワシは、財団の存在を打ち明けた。

 

後は、ワシが最初に語った通りだ。変わったティラノサウルスを仲間に迎え、パークはこれから活気づいていくことだろう。財団の存在を漏らしたことで、最悪ワシは消されることになるかもしれん。良くても記憶処理を受けることだろうな。だが、そんなリスクよりも、そして人類の存亡よりも、彼とともに彼の夢を見届けたいという思いが打ち勝ってしまった。ワシはつくづく、財団には向いていなかった。財団の職員として働いていた頃──厳密には今も財団には所属している形なのだが──には、空や海を見ても退屈なものにしか感じていなかった。周囲を取り巻く異常な存在に精神がすり減り、人間として大切な感覚を失っていたのかもしれない。今は、このパークで山や海の美しさを楽しみながら、動物の世話をしている。この楽しみを享受できるのは素晴らしいことだ。

万一財団の視察が入っても良いように、スザンヌが古生物のDNA施設を偽造してくれた。タイムポータルさえ隠してしまえば、財団のチームが来てもDNAによる古生物の再生プロジェクトとみなしてくれることだろう。仮に財団がワシらの敵になったとして──

 

 

私はそのときに、どうにかやっていくさ。

 

 

 

 

 

 

 

補遺:████年█月██日、イギリスの██████空港で時空間異常領域が出現しました。異常領域から出現したギガノトサウルス・カロリニイ1頭がその場に居合わせた報道局イブニングニュース社のクルーを襲撃し、社員4名の死亡が確認されました。この4名に要注意団体『先史時代の公園』の園長ナイジェル・マーヴェンが同行していたことが回収された映像から判明しており、それ以降の行方は不明です。また、同時に『先史時代の公園』の所在も確認不能になりました。なお、本件の時空間異常領域は要注意団体『亀裂調査センター』と財団の連携により対処され、サイト-3409が建設されました。




本作はクリエイティブ・コモンズ 表示-継承3.0に基づきます。


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