授かりの英雄には精霊の従者がついている   作:修行者‪α‬

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御前試合編、中編です。
試合の軌道修正と、いつか射落とす太陽の話。



アルジュナの後悔は、親指のない青年の形をしている。

登場人物
◆従者/導師アドルシタ
アルジュナの従者にしてアディティ女神の導師。
離れたところからアルジュナの様子を伺いつつ、手助けする機会を探している模様。

〈パーンダヴァ〉
◆アルジュナ
パーンダヴァの三男。ドローナの一番弟子。
御前試合で神技を披露するが、その直後乱入してきたカルナに勝負を挑まれた。
優秀であることに関して強迫的な思いを抱えている。

〈その他〉
◆アシュヴァッターマン
ドローナの息子。
市井の育ちゆえか表面上は粗野な言動が目立つが、父に似ず正義感が強い。バラモンとしての道理や誇りを第一に置く勉学熱心な若者。
王子たちとともに武術を学ぶ兄弟子でもある。

◆カルナ
バラタの領国、アンガの王。
都一番の弓使いアルジュナとの対戦を願い御前試合に飛び入り参加した。
ドゥリーヨダナの手助けにより、アンガ王に任命される。


8.因果のはじまり(中)

 

 ドローナにとってはこの人生は舞台だ。最良の結果を出すためなら、己自身も周囲もすべて駒として目的を果たしてみせる。

 そんな彼の性質が、今回盛大に裏目に出たのであった。

 

「『結果がわかり切った試合というものもつまらんものだろう』……と言っていましたね。今のご感想は?」

「……いや、違うんだよ。俺はあの時の償いのつもりでだな」

 

 高座でドローナは顔を青くしてアドルシタの前を行ったり来たりしていた。彼の頭を悩ませているのは目の前の光景である。

 試合場の真ん中にぽつねんと立つ、愛弟子と秘蔵っ子。

 それを囲む非難轟々の観客たち。

 完全にやらかした。良かれと思って愛弟子アルジュナの対戦相手を用意したのだが、どうにも雲行きが怪しい。

 

 かつて、ドローナはアルジュナに対して恐怖を植え付けたことがある。アルジュナを一番の弓使いにするという王家と交わした約束を守るために、当時の彼よりも素質がありそうだった不可触民の弓使い相手に強硬な手段を取ったのだ。

 その結果、アルジュナにとてつもなく怯えられてしまった。

 なんでもその相手に指を切らせる事態になったらしい。

 あとから詳しい事の顛末を聞いたアドルシタは目を剥いた。

 ──正道による勝利より先に相手を蹴落とす邪道を教える人がありますか。

 

「王子の憂いを晴らすために対等な相手を用意して、やり直しを果たさせる。素晴らしいことだわ、ドローナ。──でもね、それをやるべきは今だったかしら」

「……違ったかもしれん」

 

 後から考えれば、それは御前試合でなくてもよかったのだ。道場内試合だってよかった。

 ドローナの弟子として広く広まっているのはバラタの王子たちとドローナ自身の息子であるアシュヴァッターマンのみ。

 周囲には王子たちが親族に対して修練の成果のほどを披露する戦いと喧伝されている。

 それが、どこぞの者とも分からぬ突然の乱入者である。

 クシャトリヤは貴族階級で、予定調和でない展開を嫌う。この混乱は予想してしかるべきだった。

 

 ……ドローナは世俗に混じって生計を立てるバラモンであり、武芸を修めてはいるもののクシャトリヤではない。

 要は身に付けた価値観が違うのだ。保守的なクシャトリヤたちと、ある意味破戒僧で誇りより目的の成就を優先するドローナなどなおさらである。

 今回告知もなく性急に秘蔵っ子を出したのは、アルジュナを思ってのことでもあるが、半分はドローナ自身の虚栄心のためだった。

 

「あなた、目的のために手段を蔑ろにしがちなのよ。一挙両得もほどほどにね。演出家としては最高かもしれませんが」

「言うな……俺も痛感している。あぁ、どうするかね……」

 

 頭を抱えるドローナはこれからの打開策を考えるので精一杯のようだ。その様子をそばで見ていたアドルシタはふっと眉を下げて仕方なさそうに笑った。

 少しは旧知に手を貸すとしますか。主にとって望まぬ結果になるのも嫌だし。

 

「──課題を分解してみましょう、ドローナ」

 

 クリパは階級が問題だと言った。

 ──それはドゥリーヨダナがカルナを王にしたことで解消された。

 ビーマは民に対して責任を持てるかと言った。

 ──それはカルナ自身の宣言によって担保された。

 

 それでも、なおもビーマは言い募ろうとしている。

 それはなぜか?

 

「……アルジュナの、身の安全。あるいはプライドを守るため、か」

 

 そう、一騎打ちになれば確実にどちらかが負傷する。それが弓ともなれば打撲ではすまない。下手をすれば失血死だ。

 そして、ビーマはまだ成長途中であるアルジュナの心の心配もしている。

 アルジュナには今まで対等な好敵手はいなかった。

 都一番の弓使いの名は彼の常勝を謳うが、逆にそれは今までにその座を脅かすほど強力な相手に出会ったことがないということだ。

 アルジュナは正々堂々とした勝負において負けたことがない。負けたあとの挽回をしたことがない。

 神の子として、王子として生まれてから今に至るまで彼はずっと高みにいる。

 

 ──それはまさに張り詰めた薄氷の美しさ。

 

 ビーマはカルナが云々というより、この公の試合の場でアルジュナを戦わせたくないのだろう。

 

「でも、それじゃあアルジュナさまの今の心身は守れても、これからは分からないわ。ずっとビーマさまが盾になれるわけじゃない。いつかは、自分の足で立つ必要があるのだから」

 

 アドルシタの視線は競技場に立つアルジュナにまっすぐ向けられている。しかし、その金色の瞳は今だけでなく更に未来の姿を見据えているのだった。

 その様子を見て、ドローナは相変わらずだというように苦笑した。

 

「……おまえ、目に入れても痛くないほど溺愛している割には厳しいよな」

「子どもは親の懐からいつかは離れるものよ。猫可愛がりすればいいというものでもないでしょう」

 

 アルジュナは自分自身に厳しい人柄であるので自惚れることはあまり心配はしていないが──むしろ、アドルシタは彼が自省し過ぎることの方が心配だ──周りが彼に訪れる試練を取り組む前に強引に解決してしまうことはいささか問題だと考えている。

 特に実母のクンティーはビーマ以上にアルジュナに甘い。

 夫パーンドゥの選んだ神の子である上二人と違って、クンティー自ら選んで喚んだインドラ神の子どもであるから寄せる思いもひとしおなのであろう。

 

 はぁ、と軽く息を吐いたドローナは高座に座り直した。

 真剣にこれからの方針を考えることにしたらしい。

 

「──ではどうする?身の安全を確保したいのなら、一騎打ちではない競技にでもしてみるか」

「いいんじゃないかしら。それなら怪我をする心配はあまりないですし」

「では、次は保険か」

「接待試合にするのはいかが?」

「ほう?この状況でか?」

「ええ、王になったのであれば改めてその力を示すのは道理でしょう?それを盟主の子息が受けるのもおかしなことではないわ」

「なるほど。優れた臣下がいてこそ王は輝くということだな。それなら勝負に負けたとて、カルナに花を持たせたと言える」

 

 ぽんぽんと会話が進む様子を、彼らの後ろから一対の瞳がぼんやりと眺めていた。

 また親父殿が何かやらかしたらしい、と若干げんなりしながらも彼は黙って控えている。せめて人前くらいバラモンらしくダルマに殉ずる正義感を持っていてほしいものだった。

 

「では、審判はどうする?今の審判は王族に近い根っからのクシャトリヤだ。そのまま任せるのは難しいだろう。首謀者である俺は別の意味で顔を出せん」

「あら、審判を任せられそうな相手なら──すぐそこにいるじゃない。あなたの意図を理解して、それでいてパーンダヴァにも便宜の図れそうな人物が」

 

 ──ねぇ、アシュヴァッターマン。

 

 そう、やわらかい声で呼ばれた名前に部屋の隅に控えていた赤髪の年若い青年はぎょっとした。まさか自分に話が回ってくるとは思っていなかったのだ。

 

「俺がですか!?」

 

 アシュヴァッターマンはカウラヴァとパーンダヴァと共に訓練をしている同門だ。いわば彼らの兄弟子のようなものであり、無下にしにくい立場と言える。

 ドローナに直接文句を言いにくくする分、ずるい人選でもあるかもしれないが。

 

「ああ……確かにおまえなら適任だな。審判の練習だとでも思って行ってくるか!」

 

 いかにも名案というように手を叩く実父にアシュヴァッターマンはこれ以上ないほど狼狽した。

 

「いやいや、導師アドルシタも親父殿も無理をおっしゃる……!俺にあの一触即発の場所に行けと!?」

 

 未熟者が御前試合の審判をやるなど聞いたことがない。それに、親父に至ってはさっき一度に全部解決しようと思うなと釘刺されたばかりだろうが……!

 ……身勝手を怒ればいいのか、我が身の不運を悲しむべきか。アシュヴァッターマンは形容しがたい思いに駆られてうなだれる。

 しかし、その裏では冷静に答えを叩き出していた。

 

 ──もしもここで失態を挽回できなければ、父は王子の指南役という職を失う。我々親子はまた路頭に迷うこととなるだろう。

 

「は……わかった、わかりましたよ。仕方ねぇな。で、審判って言ったって俺は何をやればいいんです」

 

 思考は一瞬。首を振って向き直った彼の瞳には強い光が宿っていた。

 一見粗暴に見えるが、その冷静でまっすぐな在り様にアドルシタは薄く微笑んだ。ドローナは実に子弟に恵まれている。

 

「会場への説明は私がユディシュティラさまにお願いしてきます。ダルマ神に縁のあるあの方なら、公平に判断してくれることでしょう」

「だそうだ。おまえは渦中のあいつらへの伝言と競技の進行。あとは文字通り勝敗を判定してやればいい」

「分かった。準備してくる」

 

 あとは、決まっていないのは肝心の競技内容だけである。

 

「何をするかは私よりドローナの方が適任ね。任せるわ」

 

 ドローナは晴れ渡る空を見た。日が中天から傾きつつある雲一つない青い空は狙いをつけるのにちょうどよい。

 

「──ふむ、さっきは動かない的だったな。ならば、飛ぶ鳥でも……射落とさせてみるか」

 

 

 

 

 

 

 一方、練武場は相変わらず混乱のさなかにあった。

 この場で発言力を持つ者たちはみんな揃って言い合いに参加しており、収拾はつきそうにない。

 

 あとはアルジュナが思いつく中で頼りになりそうなのは現王である叔父辺りだが───。

 

「サンジャヤよ、答えよ。今の状況はどうなっている」

「お答えします、我が王よ。アルジュナ殿下が相対するアンガ王の縁者が現れ・・・・・・」

 

 ───そこからか。盲目王が仲裁に入るのはもうしばらくあとになりそうである。

 

 場、まさに混沌極まる。

 

「ままならないものだな」

 

 ぽつり、とカルナの口から思わずと言った様子でそんな言葉が零れた。

 

「同感ですね。あなたが言っているのが戦士としてこの場に立っているのに、周りに振り回されなければならないこの現状のことであるならば、だが」

 

 返事が返ってくるとは思わなかったのだろう。赤い瞳孔が少しだけ驚いたように小さくなる。

 

「・・・・・・ああ、相違ない」

「何を驚いているのですか」

 

 少し躊躇うように目を伏せて青年は言う。

 

「おまえはクシャトリヤ、それも王族だろう。例えあの男──ドゥリーヨダナがオレを王にしようと、おまえが一言言えば対戦など通らないはずだ」

「なるほど、確かにその通りだ。間違ってはいない。相手が取るに足らないただの男であればそうしたかも知れません。武勇を持たず、ただ名誉を求めて闘技場に立っただけの者ならば」

「・・・・・・」

 

 けれども、とアルジュナは続ける。

 

「あなたは強い。外見はどうあれ、眼差しは真っ直ぐだ。あなたがこの場に現れてから会場の雰囲気が変わりましたね。でも、その目が見ているのはこの私だけだった。相対すべき強者を探していたのでしょう?」

 

 ……アルジュナはカルナよりも先に高潔の精神の体現者に出会っている。

 確かな芯を持って周囲に手を差し伸べるもの。

 周りの状況におもねることなく、自らの誇りのために行動するもの。

 そういう意味で、アドルシタとカルナはよく似ていた。

 

 言ってしまえばアルジュナはその手の人物に対して耐性があった。自分の感情を抑えて、少し話すくらいの余裕はあったのだ。

 

「ここまでの戦士に弓を取らないとなれば、その方がこちらの面目丸潰れだ」

 

 己にとってもあなたにとっても無礼でしかない。

 最後にそう言い放ち、アルジュナはカルナからふいと顔を背けた。

 これ以上は語る気がない。そういう態度だ。

 そんなアルジュナの様子を、カルナはほうと感心したように見つめていた。

 

「──安心しな。この戦いは成立した」

 

 その硬直した空気を破ったのは、頭上からの声。

 ざん、と砂を散らす着地音を立てて飛び降りてきたのは赤い髪の青年だった。

 

「アシュヴァッターマン、あなたでしたか」

「ああ、導師たちに頼まれてな。審判をやることになった。なんとか試合ができるように取り計らってくれたみたいだぜ」 

 

 そういって口角を上げた彼は親指で背後のドローナとアドルシタのいる高座を指さした。

 その向こうでかすかに笑みを浮かべる従者の姿を見て、アルジュナの頬が緩む。例えそばにおらずとも彼女は自分を支えるために尽力してくれているらしい。

 じんわりと染み入るような喜びに、予想外の展開への緊張がほどけていく。

 

「──、あれは」

 

 その時、釣られて同じ高座に目を向けたカルナが独り言を漏らした。声に滲む驚愕の色を訝しんだのもつかの間。

 アシュヴァッターマンが口を開く気配を見せたため、意識がそちらへ戻された。

 

「ああ、ユディシュティラが出てきたか。そろそろ試合の説明があるだろう」

 

 アシュヴァッターマンの言葉通り王族の高座の横からユディシュティラが出てくるところだった。

 鷹揚に手を広げるパーンダヴァの長兄。

 その動きにクシャトリヤ達はしんと静まり返る。

 

「みなのもの、聞いてほしい。この試合をどうするか方針が決まった。その内容をこの私、ユディシュティラからお知らせしよう」

 

 たった一言で衆目を集めてしまった。まさに王の器の風格である。

 

「──パーンダヴァはアンガ王の任命を歓迎する。王位に就くものは、臣下へその力を示さねばなるまい。ここに今一度実力を披露する機会を与えよう。受け手は我が弟、パーンダヴァの誇れる技の体現者アルジュナだ」

 

 挑戦者カルナ、思う存分きみの力を証明するといい。

 

 ユディシュティラの一言を皮切りに練武場の空気が変化した。

 先程の興奮の名残は見定めるような沈黙へと変わる。

 今までは乱入者という異物に挑戦される立場であったクシャトリヤたちだったが、彼らの代表者ユディシュティラの『歓迎する』という言葉によって立場が逆転したのだ。

 これより見定められるのはクシャトリヤの器量でなく、カルナの武勇である。

 

 アルジュナとカルナは視線を交わす。

 

 互いを相対すべき者と認めた彼らの間を邪魔するものは何もない。

 

 ここに試合は成立した。

 

 

 

 

 

「準備はいいか?おふたりさんよ」

 

 そう言葉をかけるアシュヴァッターマンの手には刃を潰した小さなチャクラムが握られている。その太陽を模した円輪には鳥の形をした白い布が結びつけられていた。

 チャクラムを翼とした、作り物の鳥。

 それが今回の的であった。

 

 ドローナは飛ぶ鳥を落とすと言ったが鷹や鳶などの実在の鳥はヴィシュヌ神の乗り物(ヴァーハナ)として信仰の対象であることも多い。

 そのため今回は祭礼用の作り物を用意したのだった。

 また、パーンダヴァの父、パーンドゥのように狩りの際に射た鹿が実は仙人で呪いがかかってしまった!などという事態を繰り返すわけにもいかないので。

 

 兄弟子の声掛けに、弓を番えたままアルジュナとカルナは是と返した。

 

「──それじゃあ、始めるぜ」

 

 足を前後に開き、ざっと砂地を踏みしめる。チャクラムの中央の穴に指を入れ、右腕が胴の前を通って腰の横へ回る。

 少し角度をつけた体と平行になる形で左腕が目指すべき空へと向けられた。

 

「そォ──らよッ!!」

 

 気合いとともに振りかぶった剛腕が鳥を空へと投げ入れる。

 

 チャクラムの円輪に空いた小さな穴が鳴き声のような風切り音を立てる。ぐんぐんと上昇していく鳥はついに、練武場の上を飛び越えた。

 その瞬間、二矢が鳥を狙って放たれた。

 

「引き分け!」

 

 がぁん、と的に当たることなく跳ね返されたのは双方の矢。上空で激突した矢は、鏃だけを残して分解した。鏃はそのまま四方に飛び散ることもなく垂直落下する。

 完全なる相殺である。

 あまりの勢いの凄まじさにクシャトリヤたちの肝は震え上がった。

 

「ハハハハハッ!そうでなくっちゃなァ!!──二投目、行くぜ!!」

 

 再びチャクラムが空に放られたその瞬間──練武場に布を裂くような悲鳴が響き渡った。歓声ではない、恐怖から来る悲鳴だ。

 

「──ッ!」

 

 カルナは瞬時に反応した。空に向けていた弓を下ろし、体ごと悲鳴の聞こえた方向へねじる。そして、再度構え直した。

 考えての行動ではない。条件反射による優先度の切り替えであった。

 敵がいるならばなによりそれを先に穿たねばなるまい。

 

 対して、アルジュナは──……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──アルジュナの後悔は、親指のない青年の形をしている。

 

 かつて、エーカラヴィヤという青年がいた。

 ドローナに師事していたという彼は、卓越した弓の腕を持っていた。

 修練を邪魔した犬の口に向かって一度に複数の矢を放ち、傷付けることなく黙らせた。

 

 それを間近で見たアルジュナはエーカラヴィヤの弓の腕を妬んだ。

 

『あなたは私を一番にすると言いましたね。しかし、エーカラヴィヤの方が弟子に相応しいのではないでしょうか』

 

 それをドローナに伝えると──彼は、エーカラヴィヤに親指を切るように言った。

 切りつけるだけでも十分だったのだが、彼はその身を持ってドローナへの忠を示してみせた。

 

『分かりました、我が師よ。あなたのおっしゃる通りにいたしましょう』

 

 すとん、と一刀のもとに彼の腕からそれが離れていく。

 

『……よくやった、エーカラヴィヤ。これでおまえが一番だ、アルジュナよ』

 

 エーカラヴィヤの腕は永劫に弓を握ることはなくなった。

 

 エーカラヴィヤは躊躇などしなかった。

 エーカラヴィヤは後悔などしなかった。

 

 なにひとつ文句を言うことなく、自らの人生を捧げ果てた。

 

 ──あとから聞いた話だが、青年はドローナの弟子でもなんでもなく。

 彼自身が掘ったドローナの像を師として、ひたすら弓の修練を続けた信念の男であったという。

 

 そのことを思い出すたび、アルジュナは我が身の醜さに気が狂いそうになる。

 

 ……アルジュナは、誰よりも鋭い弓使いであらねばならない。

 

 恨みも嫉みも、我が人生に不要。

 

 そうでなければ、誰かが切り捨てられる。

 あるいは、最後は自分だろうか。

 

 故に、彼は自らが得た勝利や栄光に対して、当然であると微笑んで見せる。

 授かったのなら、期待に応えるのは当たり前のことだからだ。

 

 その裏でどんな本心を抱いているかなど──誰も知る必要は、ない。

 

 

 

 

 

 

 

 ──アルジュナには目の前の的しか見えていなかった。

 

 己を至高の武器とするため、それ以外のすべてを削ぎ落としチャクラムだけを見つめている。

 外部からの干渉を一切受け付けない、極限の集中状態。

 見開かれた黒曜が機会を見定める。

 白い鳥の尾羽根が練武場の縁を飛び越えた瞬間──射た。

 

 そうして、放たれたアルジュナの一矢は(太陽)を射落とした。

 

 砕け散るチャクラム。鉄の翼を失った白い鳥がひらひらと落ちていく。

 

「勝者アルジュナ!!」

 

 アシュヴァッターマンの嘶きのような声が場内にこだまする。叫ばれるまでもなく、分かりきった結果だった。

 

 アルジュナは鳥を落とし、カルナは的に弓すら向けなかった。

 それがこの試合の結末だ。

 

「誰か!クンティーさまがお倒れに!薬師を呼びなさい!!」

 

 侍女たちの悲鳴の理由を呼ばわる声に、カルナは静かに弓を下ろした。アルジュナに背を向けたその後ろ姿は何を考えているのか定かではない。

 

「アルジュナ!アルジュナ!アルジュナ!!」

 

 勝利に湧く歓声と王族のいる高座から伝播する動揺の中で、アルジュナはただ落ちた鳥から目を離せずにその場に立ち尽くしていた。

 

 突如訪れた不測の事態にアルジュナは勝利のために矢を放ち、カルナは人命を優先した。

 彼の前にはその厳然たる事実が横たわっている。

 

 ……果たしてこれはほんとうに、勝利だと言えるのだろうか。

 

 アルジュナの前にぼんやりと浮かび上がる幻影。

 かつての恐怖に追いつかれたらどうなるのか、その答えは目の前にあった。

 破滅や克服ならよかった。もう恐れる必要はないのだから。

 

 しかし、時間は河のように過去から未来へと流れ、過去は常に現在で上書きされていく。

 

 

 ──親指のない青年の姿はいつしか、白い男の背中に変わっていた。

 

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