ヴィシュヌVSスーリヤ、スケール大きめな神々の戦いと、少年期アルジュナと見えない従者の一幕をお送りします。
(白き王子はアルジュナの名の意味が『白』であるところから取っています)
登場人物
〈デーヴァ〉
◆アディティ
自由、無限、無拘束の女神。
ヴィシュヌ、スーリヤの属するアーディティヤ神群の母神。
子らのみならず、地上の霊長である人間の可能性を信じる博愛の君。
〈アーディティヤ神群(アディティの子どもたち)〉
◆ヴィシュヌ
均衡の神。
輪廻を回すため、時折化身(ラーマなど)を通じて地上に干渉しつつ、世界があるべき形であるように維持している。
母のことは愛しているが、関わると高確率で計画が崩壊するので苦手。
◆スーリヤ
太陽神。
彼の熱は万物を照らすが、一方でその熱量のために誰も近づくことができない。
生後すぐの体験から、母のことを誰よりも敬愛している。
〈地上〉
〈パーンダヴァ〉
◆アルジュナ
バーラタ国の王家のひとつ、パーンダヴァ家の三男。雷神インドラの息子。
まだ幼いながら、武の才を開花させつつある。
彼には見えない従者が物心ついたころからそばにいる。
◆ユディシュティラ
パーンダヴァ家の長兄。法の神ダルマの息子。
公明正大。マイペースだが、観察眼に長ける。
鍛錬に熱心な弟たちのことを誇らしく思っている。
〈その他〉
◆ドローナ
王子たちの武芸師範を務めるバラモン。
・・・・・・ヴァルナ、ミトラの二神を主長として、歓待のアリアマン、幸運のバガ、配当のアンシャ、意力のダクシャの六神。異説としてインドラ、スーリヤ、ヴィヴァスヴァット、サヴィトリ、ヴィシュヌ、プーシャンの六神を加えた十二柱の太陽神────それらからなるアーディティヤ神群の母なるものとされているのが女神アディティだ。
古代インドの神々に捧げられた賛歌集『リグ・ヴェーダ』。
数多くの神々について語られたそれらの中でアディティについて触れられた箇所は僅かしかない。
ヴェーダは彼女の子らを主軸に語られる話であり、アディティは彼らを生み出した者ではあっても主役ではなかったのだ。
『自由、無限』を意味する名の通り彼女は掴みどころのない女神であり、素性の知れぬ神として後世に伝わっている。
確かな事があるとすれば────彼女は血を分けた子らを愛していた。
慈しまれ、愛おしまれ、滅びた文明の忘れ去られた言葉で紡がれる彼女の子守唄を聞いて育った魂。アーディティヤの神々もまた母を愛していた。
特に太陽神スーリヤの向ける情は一際強かったことだろう。
太陽の化身として灼熱を宿して生まれてきた自身を一度は驚いて放り出すも、黒く美しい肌が焼けるのにも関わらずその胸に掻き抱いた母が許しを乞う言葉とともに流していた涙の暖かさを、彼は忘れることはない。
───そして、アディティは己の子らと同じくらい人間を愛していた。
遥かな昔───一万四千年前の第二神代黎明期。アディティは宙から襲来した巨神の侵攻を生き残った一握りの神のうちのひとりである。
まだ生まれて間もなかったが故に力も弱く、巨神に見つかることなく隠れていた彼女はその時閃光を見た。
闇を切り開き、立ちふさがるもの全てを砕く聖剣の光。人の夢が形となった尊き幻想。
神では打ち伏せ得なかったものを止めて見せた光の奔流、それに彼女は人の可能性を見た。
神は生まれながらにして完成された生命である。
外からの強い干渉でもなければ退化することはなく、進化することもない。
対して、人は未完成のまま生まれるもの。成長しても完全には至らず、善悪どちらかに振り切れることはない生命だ。しかし彼らは神々にはない無限の可能性を持っている。
成長し、次代へ繋ぎ、存続していく人間という種を彼女は愛していた。
けれども、その思いは子らとは相容れぬものであった。
人の可能性を信じ、その営みを見守ろうとする女神。
定められた
『人間に対する態度』───それだけが相容れぬだけでお互いを傷付けたいとは思ってもいない彼らはその半目を表に出さずにいままで通り変わらず過ごしていたのだが・・・・・・。
・・・・・・ある時、地上のとある王族の元にひとりの王女が生まれた。
この娘は蝶よ花よと育てられ、愛らしく美しい見目をした気立ての良い乙女に成長した。彼女が仕えていた聖仙には予知の力があり、これから娘が辿るだろう運命を見通していた。苦難の運命を。
しかし、娘が働き者だったために少しでもその運命が良いものになればいいと願った聖仙は彼女に神のマントラを与えることにした。
それは呪文を唱えながら神の名を呼べば、神の子を授かることができるという力のこと。
まだ少女の年齢であった王女は好奇心から太陽神スーリヤを呼び出し、彼との間に子を授かった。しかし、幼い自分に育てられるだろうかと恐ろしくなった王女は、赤子を川に流してしまった。せめて心優しい夫婦が拾ってくれること願っての行動だったが、これが彼の運命を分かつこととなる。
地上から帰ってきたスーリヤ自身からその話を聞いたアディティは赤子の安否を探って無事なことが分かると安堵したが、はたと頭を過ぎったのは天と地上の均衡が崩れるかもしれないという危惧。
マントラの力は五度、まだあと四度残っている。王女はいずれ嫁ぐだろう。力を使わなければ神の血を引く子は生まれないとはいえ、もしもそれを使わざるを得ない状況になってしまったら?
他の神々がどう考えるかは別として、それだけの神の力を持つ半神が一度に地上に現れ、一国に集うような事態になれば辛うじて保たれていた均衡はどうなる事か。
生まれながらにして強大な力を持つ者達が地上にてその力をありのままに振るえば、か弱い人間など容易く千々に裂かれてしまう。
そうなれば───この世は混沌に支配されることとなるだろう。
アディティは昼と夜を統べる神々の母であり、天と地上の秩序を司るとも言われる神である。
避けられぬ時代の流れだとしても、この状況をそのままにしては置けない。
であれば、均衡をとるために人の世に力を貸す必要があろう。
女神は半神への抑止力とするために自らの存在を半分に分かち、人間に限りなく近い
魂を半分に分けて造り出した化身は殆ど自分自身のようなもの。
代わりに女神は長い眠りにつくことになったが、化身は彼女の目論見通り地上に降り立った。
そうして、まずは先の赤子を保護しようと歩きだしたものの……。
女神の行動に誰よりも早く気付いたのが、世界の維持者として常に地上を見ていたヴィシュヌだ。
ヴィシュヌには混沌に陥りつつある世界を次の時代へと安全に移行させるという使命が課されている。
その使命のため、丁度彼は地上に己の化身を降ろそうと考えている所だった。
いずれ訪れる混沌の時代への道を築く『英雄』を正しく導くために。
ここで間に入られては計画に支障が出るやもしれない。けれども、例え化身とはいえ慕う母に逆らいたくはないし、戦乱に巻き込みたくもない。
葛藤の末、ヴィシュヌは女神の化身に天に還す力をかけることにした。アディティ本人であればいざ知らず人間に近い化身ならば簡単に彼女の元へ還すことができる筈だ。
ヴィシュヌは化身に限りなく薄めた呪いをかけようとしたのだが、ここで予想外の事が起きた。
───スーリヤの横槍が入ったのである。
女神の化身にかけようとした力は突如襲ってきた灼熱の炎によって弾かれ、霧散する。
スーリヤの立ち位置はヴィシュヌの方にこそ近いが、誰よりも母を敬愛する彼は女神の邪魔をするものには容赦をしない。例えそれが兄弟であっても。いや、兄弟だからこそ、その怒りは強かった。
円盤を振るうヴィシュヌと背負う光輝を存分に放つスーリヤ。
女神が居れば止めただろうが彼女は眠りについている。その他の兄弟も巻き込まれるのを恐れて逃げ出した。
「フン、手を出すまでもないと判断したのだ!
……訂正、この場は静観に徹した者もいた。
誰も邪魔する者がいないまま、ここに二柱はぶつかり合う。
空は荒れ、海は沸き、大地は鳴動する。
やっと夜が来たかと思えばスーリヤが常に外に出ているため太陽は沈まない。永劫に続くかと思われた戦いであったが、元はと言えばヴィシュヌの円盤はスーリヤの光輝を削って作られた神造兵器であり、彼の炎にとっては雨に次ぐ弱点となる。
彼らは七日七晩の間戦い続け、八日目の黄昏時に遂にヴィシュヌの円盤がスーリヤの張った炎の壁を切り裂いた。
この機を逃すヴィシュヌではない。スーリヤが壁を修復する間もなくヴィシュヌは地上に降りた女神の化身に呪いを投げつけた。
・・・・・・元のアディティの神格が高かったのもあっただろう。ヴィシュヌが渾身の力で投げたのも理由の一つかもしれない。害を与えることなく天に還すための呪いはそこで変化を起こし───言葉通り『呪い』へと変わってしまった。
己の役目を忘却し、無為に。
美しい容姿は、未熟な少女のそれへと。
授けられた祝福は反転し、呪いへ───求めるものには気付かれず、避けるべきものには執心されるようになってしまった。
……そう、つまりすべてのはじまりはヴィシュヌのやらかし。
二柱の戦いで地上が受けた干ばつの被害や、日照り、局所的な嵐から数多の命を守るためにただひとり対抗していた化身は今や哀れな姿となりきょとんとした表情で空を見上げるばかり。
ほとんど人と変わらない姿になってしまった身は、神の目では捉えきれず、すぐにその他大勢に紛れてしまった。
一歩間違えれば存在ごと消滅してしまっていたかもしれない───。
スーリヤは激怒した。必ずやこの愚か者のヴィシュヌに鉄槌をくれてやらんと、己の身に宿した灼熱を一点に集め始める。
「最早言葉は不要・・・・・・覚悟しろ兄弟よ」
「待つんだ兄弟!!これは君が割って入ったせいでもある!!」
哀れヴィシュヌ。今のスーリヤに聞く耳などありはしない。
───
創造神ブラフマーの持つ武具の名を冠した技。英雄としての格を持つ者なら誰でも身に付けている強力な固有の武術、それにスーリヤは自身の持つ太陽の力を纏わせた。
日没寸前の太陽の日差しが数多の光の矢となってヴィシュヌの衣を貫き、天の帳に縫い付ける。
そして、止めとばかりに双眸から放たれた鋭い眼光が彼の胸を穿った。
アムリタの霊薬を飲んで不老不死の身になったヴィシュヌといえどこれには適わず、すぐに復活するとはいえ一度彼は死んだ。
───この時散った髪のひと房が地上で暴虐を働いていたある一族の王の姪の腹に入り、やがてその八番目の息子としてヴィシュヌの生まれ変わりである『クリシュナ』が生まれることになるのだがそれはまた別の話。
かくして───アーディティヤの二柱の争いは終わりを告げ、地上にはただひとり歪な化身が残された。
女神の半身であることを忘れ、目的を失って、膨大な知識を有しながら己が何者であるかも分からない無垢な魂。
それは王宮に仕える侍女に拾われた後、後継を望んでいた賢者に才を見出され養子に迎えられた。
人の営みを学び、己が持つ知識を増やし、研鑽を積み、ほどなくして。
彼女は導師として、そして王家に仕える侍従として宮殿に迎えられた。
化身が地上に降り立ってから、時を経ること十八年。
かつて乙女が授かったマントラによって生まれた子の中では数えて四人目。川に流された長兄を除けば三人目の赤子が森の中で生まれた。
宵闇を丸く切り取って落としたかのような黒曜の瞳の中には数多の星を散りばめたような輝きが宿っている。
櫛を通さねば自然にくるりと内側に入り込んでしまう茶目気のある黒髪。
赤子ならではの滑らかでしっとりした肌は不用意に触ることさえ憚られる。
楽園インドラロカを統べる神々の王、雷神インドラの血を引く子ども───彼はいずれ『英雄』となる存在であった。
「───おはようございます、アルジュナさま」
柔らかな布に包んだ赤子をその腕に抱くのは呪いをかけられたまま姿の変わらない少女である。
元は女神の化身と言うのも烏滸がましいほど力を失い無力になった彼女はそれでも、天にいた頃と同じ穏やかな笑みを浮かべていた。
────時は三千年前、未だ完全なる混沌には突入していない第三の時代ドヴァーパラ・ユガ。
世界は神の力が及ばぬ暗黒のカリ・ユガ期へと少しずつ動き出していた。
アルジュナには精霊がついている。
いや、正確に言えば精霊かどうかは分からないのだが。
ともかくアルジュナには物心付いたころから彼だけには見えない従者のようなものがついていた。
今も三歩ほど間を開けて雑多な道具を載せた盆だけが中空に浮かんで付いてきているように見えるのがその証左だ。
誰かがそこにいるというのは分かるのに視認できた試しがない。
「おや、ドローナの元へ向かうのかい?」
「ええ、久しぶりに手合わせをしてくれるそうなので張り切って来ました」
「あはは、ビーマもそうだけど私の弟は皆熱心だね。鼻が高いよ」
通りがかりの彼の兄、ユディシュティラはにこやかに笑うとふとアルジュナの後ろに目を向けた。
「───やぁ、小さな導師さん。今日もお務めご苦労さま」
ただ『それ』が悪いものではないのだろうと分かるのは兄弟達も宮殿に仕える者も皆揃って『それ』に一定の敬意を払っているように見えるからだ。
ビーマは『それ』の頭のある当たりに手を置いてがしがし撫でているし、双子のナクラとサハデーヴァなどはアルジュナを見かけるが否や走ってきて彼の背後に向かって飛びついている───殆どの場合、自分への挨拶は二の次だ───思い返せば敬意と言うには疑問があるが、親しまれているのは確かである。
ユディシュティラは『それ』に向かって何事か話しているようだがアルジュナにはその内容は聞き取れない。
「・・・・・・『彼女』は何と言っていますか?」
誰もが『それ』を小さいといい、彼女と呼ぶ。ならば精霊はまだ年若い自分よりとそう変わらぬ少女の姿をしているのだろう。彼らに習ってアルジュナは人前で精霊の事を話す時『彼女』と呼ぶことにしている。
「うん?ああ・・・・・・緊張なさらずともアルジュナさまなら大丈夫です、だと言っているようだよ」
「緊張、ですか」
どくりと心臓の音が大きく聞こえる。図星であった。
最近は彼らの武術の師範であるドローナの連れてきた門下生と競うことが多かった。門下の中でも特に武芸に秀でているアルジュナであっても、久しぶりの師範との手合わせに緊張していないと言えば嘘になる。
「私には分からないが、彼女がそう言うならそうなのだろう・・・・・・アルジュナ」
「───はい」
すっくと背を伸ばした兄に自然とアルジュナの背も伸びる。弓の握りが落ち着かないが、無理やり押さえ付けて真っ直ぐ前を見た。
「武芸に関してはビーマやおまえの方が詳しいだろうが、これだけははっきりと言えるぞ───その緊張は悪いものではない。適度な緊張はとっさの行動に結びつける心構えでもある。いざ己が師を目の前にすると恐ろしくもなるが、段々とそれが高揚に変わるだろう・・・・・・私がそうだった。しかし、緊張も度を越せばおまえの枷になる。誰しも段階を踏んで強くなるものだ。おまえは今おまえのできることを頑張ってきなさい」
「・・・・・・はいっ」
「いい返事だね、さぁ行っておいで」
背中を押され、アルジュナは強い足取りでドローナの元へ向かう。その後ろから相も変わらず侍従の鏡のように三歩の距離を開けて付いていく少女を見てくすりとユディシュティラは笑みを零した。
───十本打った矢のうち、六本が的に当たった。対してドローナは九分九厘、十本中九本を当てて見せた。
師範との手合わせは負けに終わったが、彼の反応は悪いものではなかった。
目つきが変わったな、とドローナは言う。迷いがなくなったようだ、と。
何かあったのかと言外に問われたアルジュナは兄が発破をかけてくれたお陰ですと答え、入口の方に目を向けた。
精霊は女性であるため、武芸場には入れない。入口の当たりに何人か門下生が集まっているから、きっといつものように囲まれているのだろうと思う。
・・・・・・自分には分からぬそれ、こういう時アルジュナの胸は軋む音を立てる。
逆であれば良いのにと。───自分だけ見えるならば良いのにと、願ってしまう。
それを知ってか知らずかドローナは快活に笑った。
「あの導師は相変わらず人気者だな。腕前も女にしておくのが勿体ないくらいだというのに」
気難しいドローナにしては珍しい発言だ。しかし、それも無理はないとアルジュナは思う。
一度だけ精霊が暗殺者を目の前で撃退するのを見たことがある。姿が見えない以上彼に分かるのは飛んでいく短剣のみ。その短剣投げの腕前が素晴らしいものだったのだ。
一投、衣を壁に縫い付け固定。
一投、握っていた獲物に当て、落とす。
最後の一投は手首の捻りを効かせたのか眉間を突く寸前で逸れて壁に突き刺さった。暗殺者は間近に迫った死の恐怖に驚いたまま身動きできなくなった。
精霊が使った短剣は僅か三本、その三本で相手を傷付けないまま無力化したのである。
それは奇しくもドローナも見ている前の出来事で、興奮したように賞賛の言葉を送っていたのを覚えている。
その時だ。自分には本当に見えない従者がいると確信したのは。
同時に自分以外にははっきりと見えているのだと分かったのは。
「師範、今日は手合わせしていただきありがとうございました」
「ああ、またおいで」
木でできた訓練用の弓を背負い、外に出る。
武芸場の入口に集まっていた者達はこちらを見るが否や礼をして蜘蛛の子を散らすように去っていった。
あれでは逃げているのか気を遣っているのか分からない。残ったのは宙に浮く盆と自分だけ。
張っていた気が緩んだのを自覚すれば、そっと横から水の入った杯が差し出された。
それを受け取り喉を潤す。慣れた動作、何度も繰り返した事だ。
けれども。
銀の杯は水を注いですぐのように冷たいままで、長く持っていれば移るだろう誰かの体温も彼には分からないままだった。
王子と従者。ふたりの関係が変化したのはそれから彼が十三の歳を迎える少し前の事だ。
丁度ドローナの門下生達で行われる御前試合が開催される数日前・・・・・・アルジュナはその日の鍛錬を終えて自室へと帰還するところだった。
御前試合では自分達五兄弟だけでなく、いとこのカウラヴァ百兄弟も参加することだろう。
自分には確かな実力が備わっていると自負しているが、慢心してはならない。
本番で実力を発揮するためには鍛錬も必要だが、十分な休息も必要である。
寝支度を終え、さて眠ろうかと目を閉じる寸前アルジュナは自室の角にある『それ』を見て驚いたように目を見開いた。
────緩やかに波を立てた美しい黒髪、滑らかな浅黒い肌。目を見張るような輝かしさ華やかしさはなくとも目にしたものの殆どは美しいと称するだろう少女のカタチをした精巧な人形がまるで溶け込むようにして部屋の隅に背を持たせて立っていたのだ。
人形・・・・・・だろう。今見ている間にも目を開ける様子もなくぴくりとも動かずに立っているのだから。
アルジュナは混乱した。
当然自分が持ってきた覚えはない。侍従は基本精霊がいるから許可なく他の者が入ってくることはないし、そもそも許可をしない。こんな事をするのはやけに絡んでくる────自分でなく精霊の方にかもしれないが────ひとつ年上のいとこのドゥリーヨダナか、同じくいとこで愉快犯の気質があるクリシュナ位しか思い浮かばなかった。
特にクリシュナなどは黙っていれば清廉潔白な美男子のように見えるくせににこにこ笑いながら『夜の遊び』に誘ってくるのだから笑えない。
────英雄色を好むって言うだろう?
だなんて言って。
「・・・・・・」
考える彼を他所に人形はじっと佇んでいる。夢うつつではないようだ。
・・・・・・アルジュナの中に少しだけ興味が湧いた。
もちろんクリシュナに影響されたという訳ではない。
静かに佇む人形のその姿に思い出すものがあったからだ。
昔、似たようなものを見たことがあるような。
そっと惹き付けられるようにして人形に近寄って膝をついてしゃがみ、腕に触れる。
────冷たい。
せいぜい十二か十三か、人間で言えばその位に見える幼げな身体は細い。骨張っていて固く、夜気に触れていたからなのかそれは酷く冷たかった。
指に絡んでするりと解けて言った黒髪は作り物とは思えないほど柔らくて、肌触りが良い。
「・・・・・・本当に人形か?」
滑らかなきめの細かい肌は人形のようには思えない。
そして、最後に触れたてのひらは柔らかかった。
待て、柔らかい、だと?
黒肌でもわかるほどアルジュナの顔が青ざめる。
良く良く聞けば、耳に伝わる自分以外の心音。
恐る恐る目線を上に向ければ────瞼の下からゆっくりと覗く黄金の瞳。
硝子のように無機質なそれが彼を見下ろしていた。
初めて見た気は、しなかった