「聖杯にかける願い、ですか?……そうですね、願うべきことも願うことも沢山ありますが、ここで話すべきは私個人の望みなのでしょうね」
「……叶うならば。私の小さな星が愛によって迎えられる、そんな未来がありますように」
さらさらと赤い髪が風になびく。
気恥ずかしそうに微笑みながら、立香はアドルシタの前でくるりと回って見せる。
丁寧に編み込まれた横髪であらわになった額。それは、少し背伸びしたような、いつもの彼女の活発な様子とは異なる雰囲気にしていた。
「アドルシタ、ありがとうね!」
「よくお似合いです、マスター。せっかくなので写真も撮りましょう。マシュさんも是非是非、一緒に入ってください」
パシャリ。草原にシャッター音が鳴り響く。
旧式のインスタントカメラはジィーという音を立てて、あどけない少女たちの姿を留めたフィルムを吐き出した。
微小特異点の修復を終えたのち、帰還までのわずかな間。
広げる暇がなくて忘れられていたお弁当をお供に、マスターとその他数人のサーヴァントは人里離れた草原でピクニックと洒落込むことにしたのだった。
カルデアのサーヴァントはまだ少ない。今回のレイシフトは諜報が必要ということで、戦闘に向かないアドルシタもメンバーとして加えられていた。
敵の脅威度が低かったためかその他の理由か、幸い彼女の保有スキル『認識阻害(呪)』による気配遮断の低下は発動することなく、こうして無事修復を終えている。
「写真というものは良いものですね。こうして、思い出を切り取って留めておくことができる」
ゲオルギウスの趣味を見てからというもの、カメラが気になっていたという。彼女が撮るのはマスターを初めとしたカルデアの職員たちが多かった。
なんでも、人々の日常の様子を撮るのが好きなんだそう。
私は数枚あればよいので、こちらはどうかマスターが持っていてください。
そう言って貰った写真たちで埋められた記念すべき一冊目のアルバムは、立香のマイルームの本棚に飾られている。
腹ごなしも終わり、のんびりと過ごしていたが────ふと、立香は現像されたばかりの自分とマシュの写る写真を空にかざすようにして覗き込んだ。
…………綺麗に髪を編まれた己はなんだかまるで自分ではないようだ。
「そういえば、アドルシタってカルデアでもちょくちょく髪を結んであげてるよね」
そう言うと、同じ事を考えていたらしいマシュが問いを引き継ぐ。
「ナーサリーさんやジャックさんたちですね!アドルシタさんは髪を扱うのに慣れていらっしゃるんですか?」
マシュの言う通り、アドルシタがたまに子どもの心をしたサーヴァントたちに集われてアレンジを施しているのはカルデアでよく見る光景となっている。
お団子からコーンロウまで多種多様。この前など、アステリオスが三つ編みにされてそれを見た弓の女神が満足そうに笑っていた。
外見だけ見れば集ったサーヴァントと同じような年齢に見えるアドルシタだが、きゃらきゃらと感情のままにある彼らの中ではやはりいくらも大人びて見えた。
だが、そのアレンジ技術はどこで得たのだろう。
「私も気になる!キリーティは短髪だよね。どこで身に着けたの?」
そう立香が問えば、ふむと少し上を向いて考えるような仕草をした。
「ええ……そうですね。娘がいたのです。頼まれてよく髪を結っていました」
「え、娘さんがいたの!?」
初耳である。
「はい。誰に似たのかお転婆で。ドゥリーヨダナさまをはじめとするカウラヴァのみなさまやドゥフシャラーさまに、それはもうよく可愛がっていただきました」
立香はふぅん?と首をかしげる。
そこで出てくるのがパーンダヴァの名前ではないのが意外だった。
「……パーンダヴァの王子たちが王都から追放された時、アドルシタさんは王宮に残られたのでしたね」
「はい、色々ありまして」
遠い昔を思い出すように遠くを見たアドルシタは、そのまま言葉を重ね始めた。
「それで、髪結いの技術の話でしたね。……娘は、シターラーと言うのですが、色の見えない子でしてね」
「少しでも慰めになるようにと、香を焚きしめた花飾りでよく彼女の髪を飾ったものでした。香ならば鼻で感じられますし、髪は触れることができますから」
「あの子の父は見えすぎる方だったので、今度こそそうはならぬようにと神々があの子の光を奪ってしまったのかもしれません。なんにせよ、そんな不安を感じさせないくらい健気な娘でした。……私には勿体のないくらい。あの子自身がその名のごとく、輝く星のような娘でした」
「父って……さっき言ってたドゥリーヨダナのこと?」
彼女はゆるりと首を振る。
「いいえ、彼は娘の養父です。私にとっては恩人ですが、夫ではありません」
緩やかに笑みを形作る口は、その先を語るつもりはないらしい。
ぽつり、と会話の途切れたころ背後からマシュを呼ぶ声がした。
「あ、そろそろ退却の準備をされるみたいです。わたしもお手伝いしてきますね!」
マシュはそうにこやかに笑って去っていった。
残されたのは立香とアドルシタのふたりだけ。
楽しいひとときの終わりを惜しむように、草原も夕暮れの日差しを受けて輝いている。
「よーし……と、私たちもいこっか!」
「そうですね」
と、立ち上がろうとしたところ。
──ねぇ、立香。
少しだけ、砕けたやわらかな口調でアドルシタが呼ぶ。
振り向けば、その黄金の眼差しは言葉と同じようにやわらかく細められている。
いつもの感情の読みにくい薄い微笑みではなく、今だけはそれこそ──母のようだった。
「わたしは、あなたがこの戦禍を抜けて無事に帰れるように願っているわ。だから……一緒に頑張りましょうね」
……立香の手の中、白く四角い枠の中で何も知らないような顔をして赤毛の少女は笑っている。
人理を守る戦いの中、無知ではいられなくなったことは立香自身がよく知っている。
そして、ただの少女であった自分がいつか日常に帰れるようにと願って動いてくれる人たちがいることも知っている。
子を持つ親であったというアドルシタもきっとそうなのだろう。
何も知らない童女のようにあるべきだ、ではなく。
かつての日常を忘れぬように、そこに確かにあったことを忘れぬように。
例え傷を負っても、今を生きるアナタがアナタらしくあれるように。
遥かな日々、責任と感情の間で苦悩する王子の側でただその心を守るため寄り添っていたころと同じく。
彼女は今もまた、そのように願うのである。
──愛し子たちよ。どうか幸いなれ、と。
「ふーんふん、ふふ〜ん!」
写真を片手に上機嫌にカルデアの廊下を歩く。
特異点も修正できたし、とても楽しいピクニックだった。アドルシタのことも少し知ることができた。
マスターとしてちょっとは成長できたかもしれない!
そんな風に浮かれて歩いていると。
「ウワー!」
つるりと手から薄いフィルムがすり抜けた。慌てて手を伸ばすも、届かない。
しかし、人間を超越した反射神経でもって、その写真を代わりに手に取った者がいる。
「あわわ……」
──通りすがりのキリーティである。
流石、アーチャーの適性を持つサーヴァント。
神技の一矢をもって花嫁を射止めた逸話通り、狙いを外すことはなかった。
「危ないところでしたね」
「浮かれてました……。ありがとう……」
はじめての召喚ショックで立香は少しだけ、この英雄が苦手である。
とはいえ、本当に怖かったのはあの一瞬だけだった。
いつもは部屋に籠もっているが用があると呼べば来るし、マスターを第一に考え指示を実行してくれる。助けを求められれば将としての考えを述べる。
これぞサーヴァントの鑑。主従として関わる分は何の問題もなかった。本当に。
立香個人としてはアドルシタのこともあって、もうちょっと近づきたいところだが、多分今はまだその時期ではない。
そう思って、必要以上は自ら関わらないようにしている。
宝具のこととか好きな食べものとか、色々聞いてみたいけど我慢である。
恐らく彼女が動くとすればキリーティとアドルシタ、ふたりの間に横たわる課題が解決してからのことだろう。
すぅ、と深呼吸して顔をあげる。よし、大丈夫だ。
意を決して見上げたが──そこに普段の冷えた黒曜はなく、彼の眼差しは写真に向けられていた。
「この写真は……」
虚を突かれたような表情だ。
……かつて、アドルシタが存在する証拠を見せるため、彼女の写った写真をキリーティに見せようとしたことがある。
しかし、どれも渡す前に燃えたり……。水に落ちたり……。風に飛んでいったり……。
散々だった。
神代の呪い、執念深すぎる。
キリーティにだけは絶対会わせまいという強い意志を感じる。
神話で語られる内容より、呪いの発動タイミング偏ってない?気の所為?
だが、今彼の手に取ったそれはあくまで立香とマシュが写ったものであり、アドルシタのものではない。
そこから得られる情報は特にないだろうと思うのだけれど、どうやら彼には思うところが多少あったらしい。
「なにか気になることでもあった?」
「いえ、昔のことを思い出しまして。……不躾に見てしまい申し訳ありません。こちらはお返しします」
そっと立香に写真を手渡し、キリーティは去っていく。
いつもと異なる反応にぱちぱちとまばたきしながら立香はその背中を見送った。
──脳裏に浮かぶは在りし日のこと。
戦争が終わった日の明け方。
からっぽになった王宮の、庭の東屋に座っていた黒い瞳の乙女のこと。
几帳面に網目を揃えた三つ編みは、あのむすめによく似ていた。
『──そして、十八日目の戦いが終わります。
クリパ、サーティヤキ、アシュヴァッターマン。
カウラヴァの陣営で生き残ったのは三者のみ。
大将ドゥリーヨダナから連なる縁者は、すでに家を離れたものを除いて、ただのひとりとて。
残ることはありませんでした』