他者から見た主人公とパーンダヴァの武勇。
そして、宿敵の訪れ。
前編は陣営が錯綜してますが、中編はクローズアップします。
登場人物
◆従者/精霊/アドルシタ
アルジュナの従者。
今まで影のように尽くしていた王子から返される厚意の熱量に戸惑い気味。今回は導師としての立場で登場。
〈パーンダヴァ〉
◆アルジュナ
パーンダヴァの三男。ドローナの一番弟子。
御前試合の目玉として期待されている。
従者への接し方に付いて迷うこともあるが、まずは彼女にとって相応しい主であろうと決意した。
◆ビーマ
パーンダヴァの次男。
ドゥリーヨダナから受けた屈辱を晴らすため、御前試合での勝利を誓う。
〈カウラヴァ〉
◆ドゥリーヨダナ
カウラヴァの長兄。
御前試合でパーンダヴァを負かし、カウラヴァの勢力を増強させようとしている。
〈その他〉
◆ドローナ
王子たちの武芸師範を務めるバラモン。
元は貧しかったが、武芸の達人パラシュラーマから天下に並ぶもののない武術の才を授かった。所属階級の割に俗っぽいところがある。
従者とは宮殿に来て以来の旧知の仲。
◆カルナ
ドローナの秘蔵の弟子。
義を重んじる高潔な武人。本質を見抜く目を持ち、周囲の是非に関わらず実直に行動する。
従者に対して何か思うところがある様子。
──その瞳は澄み切った湖面のようだった。
白皙の肌、色素の薄い頭髪。
すっくと直立したその武人は、少女の姿をした女を前にして、ただ静かに涙していた。
「……──ああ、そうか。ああ……そうか……」
透明が、こぼれる。
びゅうと吹いた風が、零れた雫を攫っていった。
「もういないのだな。オレが待っていた、おまえは」
希望がついえたような諦めと、それでいて熱くあふれる血潮のような涙。
迷い子のようなそれを拭う手を、彼女は持っていない。
御前試合、当日。
「ひー!ひぃー!あっはっはっは!!」
アドルシタは考える。
この大笑いする同僚をさてどうしてやるべきかと。
高座から落ちそうな勢いで呵々大笑も呵々大笑。もはや引き付けすら起こしそうだ。
「……笑い過ぎですよ、ドローナ」
はぁ、とそれを横目に彼女は──―導師は重い溜め息をついた。
眼前にはハスティナープラの宮殿の広い中庭に用意された競技場。
常ならばこうした公的な行事の場合王子の近くに控えているものだが、今日は違う。
アルジュナが試合に出るため、側付きを一時お役御免となった彼女は渋々本来の職務を果たしていた。
纏うのはいつもの動きやすいサリーではなく、重たい法衣である。
久しぶりに養父に会い、彼の説法の支援をし、各所に挨拶を行い……実に忙しい半日だった。
好奇の目。猜疑の目。卑しい目。そういう感情を向けられるのは慣れているが、やはり疲れるものは疲れるのだ。
古代インドにおいて、何らかの悔恨があって苦行に勤しむため出家して尼になる女性はいるものの、現役の導師というのは珍しい存在だ。
バラモン・クシャトリヤ等々どの階級においても、大体は家同士の縁を繋ぐための道具として使われ、家の中でその生を終える。
アドルシタが導師であることを認められているのは、彼女自身が恐らく人ならざる何かであることと、養父が高名かつ奇特な男であったからだろう。
──その
彼は自由・無拘束を表す神の信者であるならば、己もまたそうであらねばならないと考えていた。
そのため、自ら名を捨て、ただの導師として自らを呼称している。
そんなグルは才覚を表しながらも不遇の身であったアドルシタを引き取り、己の教義の象徴として据えた。
かといって、彼女を利用するでもなく。
たまにふらりと表れて手伝えと言う他は、『君はただ思うようにあるがいい』と笑うばかり。
君が自然に誰かを思い、その心を守ろうとする様を見て、勝手に人は救われていくのだから、とも。
もしかすると、グルには何かアドルシタには見えないものをみているのかもしれぬ。
なんにせよ、今日は高座で馴染みのドローナとともに試合を観戦することが彼女の仕事であった。
ぼんやりと考えていると、ぱしんと破裂音が耳に響く。
「は、はは…………はーっ」
ようやく興奮が落ち着いたドローナが己の膝を叩いた音だったようだ。疲れたように後ろに回した片腕に重心を預けて、こちらに向き直った顔はまだ馬鹿笑いの余韻が残っている。
「そんなに面白かったのかしら、昨日の私の痴態が」
「痴態、痴態ね。……いや、真面目が服着て歩いているおまえがあんなに着飾ってくるなんぞ思いもしなかったよ。よく似合っていたじゃないか」
「はぁ」
「まるで、新妻のお披露目だったな!クシャトリヤたちの噂を聞いたか?あのパーンダヴァの三男が連れた女は何者かと話していたのを」
からかうような軽口にアドルシタはあきれ顔になった。自分が新妻などありえない。一体いくつ年が離れていると思っているのだこの男は。侍従が主に対して懸想するなど不敬である。
「滅多なことを……。ドローナ、確かに昨日の私は年頃の娘のような格好をしていたかもしれませんが、あくまで侍従として振る舞っていたでしょう?」
「いや……おまえは確かにそのつもりだろうが……」
──どちらかというと、新妻のように見せていたのは三男の振る舞いのせいだろう、とはドローナは続けなかった。
女に話しかけるときの瞳の甘やかなこと!
まるで、彼女が天上の星であるように扱う仕草。
知己のあれそれを見るのは面白いが、わざわざ藪をつついて蛇を出す趣味はないのでドローナは黙っている。
あの一番弟子はまだ無自覚だろうし。
──誰が言ったか、
身なりこそみすぼらしいが、その在り方は唯一無二。
数多の男が彼女の献身に惹かれて、己こそはと望みながら、我が身の醜さに耐えられず去っていく。
果たして王子はどうだろうか。
旧知のドローナとしてはそろそろいい感じに腰を落ち着けてほしいところである。
あの女は何が好きかなどの益体もなく軟派な質問を躱すのも、ちょっと面倒くさくなってきたので。
知りたいのなら直接聞いてストレートに想いを伝えるくらいの正攻法でなければ、恐らくコレは攻略できまいとも思っている。
彼女自身が、自らが女性として求められるような存在ではないと認識しているからだ。
だが、何に魅力を感じるかは人それぞれ。いずれ失われるひと時の美貌より、不変の気高さに焦がれる者もいるだろう
彼女の自認は少し世間から外れているのだ。
その点、昨日の前夜祭は虫退治の良い機会だったかもしれない。
主に見えないという欠陥から不良ではないかと囁かれていた従者アドルシタがその主の誂えた姿で公の場に現れ、仲の良好な様子を衆目に見せつけたのだから。隙を見て近付く機会を狙っていた者は大体脱落するだろう。
中には、パーンダヴァに対するグルの後ろ盾が増したのでは、と邪推するものもいるかもしれない。
ドローナはそうではないと知っているけれど。
だって、あの御仁は気ままで俗世の権力には我関せず。
関わるとしたら、義娘に何かあった時くらいだろう。
ドローナはにわかに賑わい始めてきた競技場を見据え、ゆらりと手に持った杯を揺らした。
なにはともあれ、今日は王子たちの鍛錬の成果を王に見せる良い機会。より手汗握る試合になるようにと望むばかりだ。
まぁ、その実現のために少しだけ手を入れているが。
「……そういえば、今日の試合は秘蔵っ子を連れてきていてな」
「あら、そのような方がいるとは初めて聞いたわね。その言い方ではアシュヴァッターマンさまではないのでしょう?」
「ああ、あいつは今日は俺の手伝いだ。次回は出すつもりだが」
それを聞いてアドルシタは目を丸くした。
「誰も知らない者を王子たちの試合に飛び入りさせるつもり?……揉めませんか?」
どうやら御前試合は予定調和でない展開になりそうだ。そう彼女が危惧した時、後ろからドローナを呼ぶ声がした。
主催として開会の挨拶をする時間が来たのだ。
使いに手を挙げて席を立ったドローナは、去り際ににやと楽しそうに口角をあげた。
「なに、あの男を見れば誰もが認めるだろうさ。──それに結果がわかり切った試合というものもつまらんものだろう」
──競技場の真ん中で両雄は向かい合っている。
背丈ほどの棍棒を手に、対戦相手の隙を伺う男たち。
方や、どっしりと腰を落として中段で構えるパーンダヴァの次男・ビーマ。
方や、歩みこそは軽やかなれど上段に構えたまま相手から目をそらすことはないカウラヴァの長兄、ドゥリーヨダナ。
じりじりと包囲網を狭めていく彼らの前に一陣の風が吹いた。
濃淡の異なる紫の頭髪が煽られる。
それが、元の場所に落ち着く前に彼らは動いていた。
どん、と地面の弾ける音。
互いに飛びかかったビーマとドゥリーヨダナの棍棒が中空でぶつかり合う。
「いい風だなドゥリーヨダナ!!」
「うっとうしい風の間違いだろう!!」
そのままの状態で、後ろに引いたかと思うと再度突き込む。
鎬の削り合いがはじまった。
一合、ビーマの横薙ぎの一撃が受け止められる。
二合、ドゥリーヨダナの棍棒が防がれる。
三合、ビーマの返す刀の一撃がドゥリーヨダナの足元をすり抜ける。
どこだ、と見上げた先は上空。
「わはは!上空不注意だなビーマ!!」
そのままドゥリーヨダナはビーマの棍棒にひらりと飛び乗った。
曲芸のような難易度の高い振る舞いに、わぁ、と場内が歓声で沸いた。
「コレで、終わりよ!!」
勝った。勝利を確信した微笑みを浮かべ、そのまま突貫しようとする彼だが──ビーマはその上を行く。
「──そいつは、どうかな?」
ビーマは棍棒をぐっと引く。
足場をなくしたドゥリーヨダナは中空で体勢を崩した。
「おっ、おお!?」
ビーマはそれを見届けた。そして、引いた棍棒を両の手で握りしめる。
──これは昨日の仕返しで、ユディシュティラへの誓いの証明だ。必ず勝つというその言葉を、この一撃で証明しよう。
ふ、と短い吐息とともに、腰の高さから槍のように突き出された棍棒がドゥリーヨダナの胴体に叩きつけられる。
歓声が一瞬で悲鳴に変わった。
「ぬわぁぁぁぁ!!」
哀れ、ドゥリーヨダナは顔に半笑いを貼り付けたまま競技場の向こうに消えていった。
対して、肩に棍棒を預けたビーマは晴れやかに笑う。
「──俺の勝ち、だぜ。やはり吠え面をかくのはおまえの方だったようだなドゥリーヨダナ」
ビーマの圧勝である。
わぁぁ、と賑わう競技場。
「流石剛力のビーマだ!」
「恐ろしいほどの怪力だな……!」
「ドゥリーヨダナ王子も身軽だったが、やはり棍棒を持たせたらビーマ王子に敵うものはいない!!」
「ビーマ!ビーマ!ビーマ!」
パーンダヴァの勝利に連呼される名前。
中心で勝利を味わう神の子と、誰にも顧みられることなく地に伏せた己。
幼い頃から変わらない距離、変わらない光景。
それにドゥリーヨダナは悔しげに顔をゆがめ、背を向けて去っていった。
──その横を、涼やかな目元をした白い肌の男が通り過ぎていく。
二番手は弓の試合だが、試合場に立つのはアルジュナただひとり。
都一番の弓の名手と称えられる彼に敵う弓の名手はカウラヴァにはいない。
故に、こうして彼はひとりで立っている。
しかし、相手がいないからといって実力の披露ができないという訳では無い。
「これより、我が絶技をお見せいたしましょう」
王と観客に向かって手を広げ悠然と微笑む若き王子。その目元には白い帯が巻かれており、黒曜のまなざしは隠れていた。
弓を握るのは定石通りの左ではなく、右手。
そのままの状態で弓を目線の高さに構え、両の腕で静かに弦を引き絞る。
狙うは
「ふ、──……」
ぎりぎりと耳の横で音がする。
歓声は遥か遠くへ、ただ見えぬ的にのみ意識を向ける。
一秒、二秒、三秒。
一瞬、脳裏にいつかの残像が過ぎる。それを切り捨てて、目の前だけに集中した。
そして──暗闇の中で、光を見た。
次の瞬間、矢が彼の弓から飛び出した。
たぁん、という高い快音。アルジュナの一矢は数分違わず的の中心を射てみせた。
彼こそは、誇り高き
暗中にあっても的を過たぬもの。
神より授かった両利きの才と、師の教えと努力によって培った千里眼がこの技を可能にした。
今しがた放った奇跡のような一矢に、あたりまえのように微笑んで弓を握った腕を高く掲げる。
「アルジュナさま〜!」
「流石、都一の弓の名手!」
「目を隠してどうやって的が見えるというんだ。人間業じゃないよ……!」
歓声に高揚する心の裏に、どうしようもなく冷めた実感がある。
──ああ、これで期待に応えられたと。
アルジュナには負けられない理由がある。
そう、どうしてもだ。
それは家族や臣民たちの期待を裏切らぬためでもあるし──この心に巣食い続ける後悔の影のためでもあろう。
「アルジュナ!アルジュナ!!」
彼の名を呼び続ける観客の声が、次第に王家を表す言葉へと変わる。
「パーンダヴァ!パーンダヴァ!!」
武力のビーマ、技量のアルジュナ。他三人もそれに劣らぬ徳を持っている。
神の子たるパーンダヴァに勝てるものなど存在しない。
しかして、最初からこの試合はわかりきった結末で、筋書き通りの茶番で終わる。
……そのはずだったのだが。
──ざり、と砂を踏みしめる音がする。
「……」
歓声が止む。
無言のまま近付いてきたそれの姿をアルジュナが見ることはない。まだ彼のまなこを帯が覆っているからだ。
ただ、暗闇の中に強烈な光が灯ったのを感じた。
小さいが眩い光。燦々と輝く炎をうちに秘めたそれは堂々たる歩みでもって、アルジュナに近付いてきた。
「──その技を、オレもできるぞ」
居丈高でなく、卑屈でもなく、淡々と男は言う。
「……」
アルジュナは黙って矢を差し伸べた。矢が手から離れ、男が数歩遠ざかる気配がする。
衣擦れの音。そしてしばしののち、再びの快音。
静まり返っていた会場にどよめきの声が広がる。
「なんだあの白い肌の男は!まるで幽鬼のようではないか!」
「あんな男は見たことがない……」
「しかし、あの神業を再現してみせたぞ……。名のある武芸者の弟子なのではないか」
貫通音と周りの声からアルジュナは判断する。確かに男は彼の言う通り的に当てて見せたらしい。
まさか、弓で彼に敵うものがいようとは思いもしなかった。
……少しだけ頭をもたげた仄暗い気持ちを押さえつける。
内心をおくびにも出さず微動だにもしない状態でいた彼は、帯に手をかけた。
同じく、その男もまた帯を取ったところだった。外された布の下から冷たい水面のような瞳が現れる。
白皙の肌を覆う質素な服。胸に付けた金色の鎧と耳飾りばかりが陽の光を受けてきらきらと輝いている。
最初に聞いた声から分かっていたが初めて見る人間だ。
「あなたは?」
「カルナ。都一番の弓使い、パーンダヴァの三男に勝負を申し込みに来た」
勝負を乞うカルナに、会場がざわめく。
御前試合に乱入者が入ってくるなどそうあることではないからだ。
ふむ、と頷いたアルジュナはひとまず名乗ろうとしたのだが、その言葉は轟くような大声にかき消された。
「決闘は同じ立場のものでしか成立しない!そなたの階級を述べよ!!」
パーンダヴァの元師範クリパの発言だった。場を収めるため声を上げたのだろう。
「……」
しかし、彼の問いにカルナは少し考え込み沈黙で応じた。カルナには胸を張ってこれと言える階級がなかったからだ。カルナは拾い子であり、彼の両親とは血の繋がりがない。だから、カナは自分の本当の階級を知らなかった。
「答えられないか。ならば、その程度の身分だということだ。クシャトリヤ以上でなければ王子との決闘は認められない。ここより去るがいい」
にべもない言葉にカルナは俯く。実力を見せる折角の機会だと思っての参戦だったが、生まれはどうしようもないことだ。愛情を持って育ててくれた父母のことを恨むことは決してないが、やはりそびえ立つ身分の壁は遠かった。
「出てけ!出てけ!出てけ!!」
そうして退場のコールで会場が一杯になったとき、その男は現れた。
「──身分が問題だと言ったか?であれば、おれ様が後ろ盾になってやろう」
ドゥリーヨダナである。砂塵を巻き上げながら大股でカルナの方へ向かってくる。その口元には先ほど大敗北を喫したのが幻のようにあくどい笑みを浮かべていた。
彼はずっと機会を伺っていた。パーンダヴァ一色に染まった会場を塗り替えてやるこの機会を。
そうして、訪れたアルジュナと並び立てるほどの武人!
今こそパーンダヴァに泡を吹かせるチャーンス!!……とばかりに、飛び込んできたのである。
カルナの幽鬼のような身なりに構うことなく、彼の肩に腕を回したドゥリーヨダナはそのままぐっと顔を寄せた。
「カルナと言ったな。おまえに国をやる。だから、おれ様の味方をしてくれるな?」
単刀直入な申し出に、ふ、と僅かに笑みを浮かべてカルナは答えた。
「数奇者だな。いいだろう、オレはこれよりおまえの友となろう」
よしきたとばかりに頷いたドゥリーヨダナは高座の王を振り仰ぎ、カルナの成した偉業を理由に領地の授与を願った。
盲目王ドゥリタラーシュタラは王位の第一継承権こそ年長のユディシュティラに渡したものの、実の息子に甘かった。
「よかろう、その男カルナをアンガの国の王としよう」
王の言葉にクシャトリヤたちがざわめく。どこの馬の骨とも知れぬ男を領国の王にするなど前代未聞。身分制度などあったものではない。
しかし、王の言葉は絶対である。
──こうして、カルナは王位を得てアルジュナと対等の立場となった。
試合はここに成立すると思われたのだが。
しかし、ここでカルナの父である御者のアディラタが現れた。王となった息子の幸いを祝いにやってきたのだ。カルナは彼の前に跪いて父を迎えた。
第二の乱入者により、さらに事態は一転する。
パーンダヴァの不満が爆発したのだ。
「御者の息子は王子と戦うには値しない!」
ビーマの叫びによって民衆も湧く。そうだそうだと賛同する声、カルナを糾弾する声。場は混沌へと飲み込まれていく。
「なにィ?身分は今与えただろうが!それでも足りんというのか」
「ハッ、王位についたとしても縁は裏切れねぇだろう!」
飛び交う言い争いの中、所在なさげにアルジュナはカルナを見つめていた。
諍いをまるで気にすることはないというように、男は御者の父の前に跪いている。
立ち振舞いのどれをとっても常人ではないのに、その眼差しは万人に対して平等だ。
その姿に、アルジュナは従者の姿を幻視した。
──高潔で博愛。ただ人では到達し得ない美徳の極みであろう。
「地位だけあればいいってもんじゃねぇ。大事なのは責を追う覚悟があるかだ。その男は、父親の危機と臣民の危機が同時に訪れた時、どちらかを選べるのか!?」
カルナが立ち上がる。
彼は言い争う内容を聞いていなかったわけではないらしい。ビーマに正面を向け、淡々と告げる。
「父か民かいずれしか救えないというのなら、オレは選べん」
「だろうな。それが当たり前だ。悪いことは言わん、ここは──」
予想された答えにビーマが退場を勧めようとしたとき。
「──しかし、諦めることはしない。オレはこの命を賭して、父を、民を、すべてを救うために働こう。──それで叶わなかったのならば潔く死を迎えるまで」
束の間、時が止まった気がした。
朗々と言い放たれた答えに、誰も身動きができなかった。
口先だけならば何とでも言えるだろう。
しかし、その男カルナはそれが建前でないと思わせるだけの覇気を持っていた。
その様を横から見ていたアルジュナは、今の光景が恐らく生涯忘れ得ない景色のひとつになるであろうことを悟った。
それほど鮮烈で、圧倒的で、まるで太陽に焼かれるような……。
誰もが彼を否定し、誰もが彼を歓迎しない。
ただ己が信ずる美徳のみを柱として、ここに立っている。
──きっと聖人というのなら、この男のような者をいうのだろう。
周りばかりが過熱していく混乱とは裏腹に、アルジュナとカルナ。ふたりの間には静かな緊張が漂っている。
盲目王はこの状況に追いついていない。
試合を執り行なうか、行なわないか。
──選択は主催の身に委ねられた。