幼馴染のレッドとグリーンが旅を始めて二週間、ブルーは未だにマサラタウンにいた。
旅に出たいけど、旅が怖い。そんな矛盾を抱えながら。
そんなある日、ブルーは一匹の名前も知らない桃色のポケモンと出会った。

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私たちの旅は

 ポッポのものと思わしき鳴き声で目が覚めた。ぼんやりとした視界でカーテンの隙間から差し込む光を前に、また今日が来たことに憂鬱になる。

 

 これは別に自殺願望のようなものではない。実際に私は死にたいだとか考えていないし、むしろ死にたくないと思っている。ではなぜ憂鬱になるのかといえば、今日も一日無駄な時間を過ごしてしまうのだろうかと恐怖しているからだ。

 

 私ことブルーはカントー地方のマサラタウンに暮らす10歳の少女だ。つまりポケモンを連れて旅をすることを許される年代といえる。だけれども私は旅に出ることもなく、実家で朝を迎えていた。

 

 別にこれ事態は珍しい話ではない。なにも全員が10歳を機に家から放り出され、旅をするわけではないからだ。マサラタウンのような田舎町だと旅に出る者の比率が多いが、全体で見れば話は変わる。

 ただそれでも最近はポケモンバトルがブームであり、それに伴い最も強い者を決めるポケモンリーグがいわゆる熱いと言える。このポケモンリーグに挑戦するためには、地方に何人かいるポケモンのエキスパートであるジムリーダーにポケモンバトルを挑み、その実力を認められた証であるジムバッジを8つ集める必要がある。そして基本的にジムリーダーは各々が拠点と決めた街にジムを建て、挑戦者を待っているため、彼らに挑み、ジムバッジを集めるには必然的に旅をしなければならないのだ。

 

 そういうわけで珍しくはないが、時勢を考えれば「ああ、旅に出なかったんだ」と言われてしまう。

 でもそれは別に構わない。私は別に周りの視線が嫌で憂鬱になっているわけではない。

 

 私は旅に出たくて、でも旅に出なかった。

 

 ポケモンリーグには興味はない。それでも未知に憧れを抱いていた。

 だけれどもそれと同じように、いやそれ以上に、外の世界が怖かった。言葉にすればそれだけの話。

 

 勇気が足りなかった。

 

 幼馴染のレッドもグリーンもポケモンリーグの制覇を目指して旅に出たというのに。それから二週間、私は未だに足踏みをしていた。

 

 彼らとはずっと一緒だった。

 実力に裏打ちされた自信を持つグリーンと、寡黙ながらも内に熱い心を持つレッド。二人は一見するとグリーンにレッドが苛められているような歪な関係に見えるが、実際は互いに負けず嫌いなライバルだ。私はそんな二人にとっての潤滑剤だったり、起爆剤だったり、そんな立ち位置だったと思う。

 

 三人で一緒に学び、遊び、怒られ、そして育った。

 

 そして今は二人に置いて行かれていることを知りながら、それが自分の中で嫌なことだと理解しながら、何も出来ない臆病な自分が、酷く惨めで嫌いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝食中、母は何かを言いたそうに口を何度か開きかけるが、結局は何も言わなかった。私がギリギリまでそういう態度だったので仕方ないのだが、母は私が旅に出ると思っていたのだ。それなのに直前になって止めたことに対して未だに理由を聞かないでくれることに、私は感謝よりも申し訳ないと思っている。

 

 ただ私がご馳走様と言うと、

 

「オーキド博士があなたに話したいことがあるって昨日言われたの」

 

 私の反応を伺うようにおずおずと切り出した。

 オーキド博士はグリーンの祖父だ。しかもポケモンについての知識はカントー一と言っても過言でない人で、世界的にも有名なポケモン博士だ。その研究所はこのマサラタウンにあり、グリーンの友達であった私とレッドも博士にかなり可愛がられてきた。

 それでも私はつい気まずくて、空になった皿を見つめてしまう。

 

「……話って?」

「詳しいことは聞いてないけど、研究所のことで頼みたいことがあるらしいわ」

 

 マサラタウン近辺の特権に近いが、オーキド博士は旅に出る少年少女に初めてとなるポケモンをあげている。そして私たち三人もそれぞれ既にポケモンを持っていたが、それでも旅立ちの時には新しいポケモンを貰えることになっていた。

 それに博士のことだから、きっと私たちの旅のことを考えて他にも準備していてくれただろう。

 

 だけれども私は直前になって旅を諦めた。きっとかなりの迷惑をかけた。

 そんな負い目があるから、正直に言えば今は博士には会いたくない。

 

 でも、そういうわけにはいかないだろう。罪滅ぼしのように、手伝えることは手伝った方がいい。

 

「わかった」

 

 母がほっと息を吐いた。

 

「ミラもついてくる?」

「ピィ!」

 

 テーブルの脇で一緒に食事していたピンク色のポケモンが可愛らしく返事した。ブルーの最初のポケモン、ピッピのミラだ。

 

 このピッピとの出会いはかなり変わったもので、いきなり空に現れたピッピを咄嗟にキャッチしたことが始まりだった。

 落ちて来たというのも変なことだが、ピッピはオツキミ山が生息地で、マサラタウンにいることは不思議な話だった。

 オーキド博士が言うには、何が起きるかわからない技の『ゆびをふる』が原因で、『そらをとぶ』や『テレポート』をしてしまった可能性が高いらしい。果たして確率にしてどの程度になるのかはわからないが、運命的な出会いをしたといえるかもしれない。

 

 ミラの頭を軽く撫でてあげると、気持ちよさそうに目を細めた。

 

「それじゃあ行きましょうか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 マサラタウンは自然豊かな田舎町だ。そんな町の唯一世界中に誇れるモノこそ、オーキド研究所だ。マサラタウンの広大な敷地、自然豊かな立地を活かし、日夜ポケモンについての研究をしている。

 

 研究所に入ると、この町には馴染みのないハイテクな機材が至る所に見受けられる。一体何に使うものなのか昔聞いたことがあるはずなのだが、難しいことをしているとしか記憶にない。

 研究所で働く人々に会釈で挨拶しつつ、足早に奥に進む。呑気に歩いていたミラも慌てて後に続く。全員が顔見知りであるため、気をつかわれていることを思うと胸のあたりが重くなる。

 

 研究室の奥まで行くと、何やら資料を睨んでいる白衣を着た初老の男性が見えてくる。茶髪のグリーンを考えれば地毛ではないであろう白髪や皺の刻まれた顔など、年を感じさせる要素こそ多いが、弱弱しくは見えず、どちらかといえばダンディだ。

 

「オーキド博士」

「うん? おぉ! ブルー、よく来たね」

 

 ためらいがちに呼びかけるも、そんなこと気にする様子もなく、オーキド博士は微笑んだ。

 

 ポケモンのタイプによる分類法の提唱や、カントー地方に主に生息するポケモンが少なくとも150種はいることを発見したりなど、様々な偉業を成し遂げたオーキド博士を尊敬するものはカントー地方の内外問わずに多い。マサラタウンに外部の人間が来たとしたら、10人中10人がオーキド研究所に用があると言えるだろう。

 

 とはいえブルーにとっては、我の強い孫に手を焼くおじいちゃんといった印象の方が強い。オーキド博士自体が温和で気さくな人であるためかもしれない。

 

「ピッピ!」

「ミラも元気そうじゃな」

「ピィ!」

「うむうむ。おっとそうだいいものがあるぞ? えっと確かここに……あったあった! ほれ、ポフィンじゃ。これはきのみを煮詰めて作ったもので、中々にうまい。シンオウ地方ではメジャーなお菓子でな、つい最近あちらに出張にいったうちの研究員がおみやげに買ってきてくれてのぅ」

 

 ミラにピンク色のポフィンが差し出された。きのみが原材料だとすると、ピンク色から一番に思い浮かぶのはモモンの実だ。これはポケモンバトルにおいては実が持つ解毒作用に注目されているのだが、それ以上にとても甘いことで有名で、一般にもよく知られている実だ。

 

 ポフィンを受け取ったミラが美味しそうに食べているのを微笑ましく眺めていると、そっとオーキド博士がもう一つを私に差し出した。

 

「ブルーもどうかね?」

「ありがとうございます。……甘くて美味しいですね。やっぱりモモンですか?」

「大正解! ナナシのあのすっぱさも捨てがたいが、研究しているときはモモンのような甘いものが食べたくなるんじゃよ。どれ、わしも一つ……うむ、甘い!」

 

 本当に甘くて美味しかった。砂糖をふんだんに使ったお菓子と違って、きのみの甘味を利用しているからか、くどくなく、いくらでも食べれそうだ。

 

「ピッピピィ!」

 

 ミラも気にいったのだろう。オーキド博士の白衣の裾を掴んでお代わりを催促している。それを嗜める意味合いも込めて、後ろから持ち上げ、抱きかかえた。

 

「ミラ、はしたない真似しない」

「ぴぃ……」

 

 しょぼんとしている姿にぐらりと来るが、ここはひかない。オーキド博士は人がいいからこのまま催促すればおかわりをくれるだろう。だけれどもそれを許せば私はミラの親失格となってしまう。親しき相手にも礼儀ありだ。

 

「ぴぃ」

 

 心を鬼にするのだ。 

 

「駄目ったら駄目」

 

 うなだれたミラを床に下ろすと、不貞腐れたように座り込んだ。

 

「……すいませんオーキド博士」

「いやいや構わないよ。わしとしてはあげてもよかったのじゃが、ここはブルーの頑張りを無駄にしないようにしようかのぅ」

「あはは……」

 

 ミラをゲットしたばかりの頃に甘やかし過ぎた経験があることをオーキド博士も知っている。見透かされたようでちょっと恥ずかしい。

 

 おっほんと咳払いを一つすると、オーキド博士は穏やかに口を開いた。

 

「それで今日来てもらったわけなんじゃがな」

「はい」

 

 ちょっと緩んでいた体が固くなるのを感じた。

 

「実はフシギダネのことなんじゃ」

「フシギダネ……ですか?」

 

 てっきり旅に出なかった理由について聞かれると思っていたので、予想もついていなかったことに戸惑ってしまう。

 

「うむ、実はな? グリーンとレッドとブルーの三人のためにポケモンを用意していたのじゃ。ヒトカゲにゼニガメ、そしてフシギダネの三匹じゃな」

 

 旅に出る時に貰える予定だったのはその三匹のどれかだったようだ。

 

「二週間前、あの二人がそれぞれ一匹ずつ連れて行った。グリーンはゼニガメを、レッドはヒトカゲをじゃ。それでだな、もしもブルーさえよければ、フシギダネを貰ってはくれぬかの?」

「……」

 

 やはり迷惑をかけていた。

 私が旅に出なかったせいだ。そのせいでオーキド博士は研究とは関係のないポケモンを用意してしまい、困っている。

 

 オーキド博士だけじゃない。そのフシギダネもだ。

 私のせいで、その子はただ一人選ばれなかったという恥を負った。自分だけが置いてかれてしまった。

 悔しくないはずがない。悲しくないはずがない。

 

 だけれどもそんな残酷なことになってしまったのは、全て私の責任だ。

 

「───気にするでない」

「えっ?」

 

 オーキド博士はどこか諭すように、宥めるように、穏やかな声音で言った。

 

「わしはブルーたちが旅に出るからあの子たちを用意したわけじゃない。君たちが立派なトレーナーになるとは思っているが、それを押し付けるつもりもない」

「……」

「なら何故既にポケモンを持っている君たちにあの子たちを用意したかわかるかな?」

「……」

 

 私にはミラが、レッドにはピカチュウのボルトが、グリーンにはイーブイのベルデがいる。三人でポケモンバトルだってしたこともある。

 

 つまり私たちは空のモンスターボールさえあれば、自分たちでポケモンを捕まえられる。

 

 これが他の初心者だとそうはいかない。

 なぜなら彼らはポケモンを持っていないからだ。

 

 ポケモンを捕まえる最も一般的な方法は、ポケモンバトルで相手を弱らせた上でモンスターボールを投げることだ。これはいわばトレーナーとしての実力を見せ、この人になら従ってもいいと認めさせることと言えるだろう。

 

 だがそもそもポケモンバトルにはポケモンが必要で、初心者はポケモンを持っていない。

 

 だからオーキド博士は彼らを応援する意味合いも込めて、ポケモンをプレゼントするのだ。

 

 となると、私たちはその趣旨からは外れている。私たちを支援するならばただモンスターボールを渡すだけでいい。それだけで私たちはもうポケモンを捕まえることが出来るのだから。

 

 ならばどうしてオーキド博士は私たちにポケモンを用意したのだろうか? かつては貰えることに喜んだだけで深く理由については考えていなかった。

 

 私たちにポケモンを用意した理由……特別な、理由……。

 

「私たちが……グリーンの友達だから?」

 

 自分で言っていて嫌になる。これではまるでオーキド博士との関わりがあることを考えてグリーンと接しているみたいではないか。私もレッドもそんなことは考えず、ただ純粋に彼とは友達なのに。

 

 けれどもオーキド博士はきちんと私の言いたいことを理解してくれたらしく、気分を害した様子もなく笑った。

 

「全く関係ないわけではないが……外れじゃ。それだけで渡すほどわしは孫馬鹿ではない。もっと単純なことで、最も重要な理由がある」

 

 オーキド博士はちょっと得意げだった。

 

「それはな、君たちなら安心して任せられるという信頼じゃよ」

「信頼、ですか?」

「うむ。これは本当に重要でな、わしは多くのトレーナーにポケモンを渡している。もちろんある程度の素行調査はしているが、それでも時折心配になるのじゃ。わしがその子にポケモンを渡したばかりに、そのポケモンが不幸な目に合わないか、とね。幸い今の所はそのような話はないが、それでも不安が完全に消えることはない」

 

 だが、と話は続く。

 

「君たちは違う。君たちのことは本当に幼い頃から知っているからのぅ。ブルーたちにあの子たちを渡せば、あの子たちは間違いなく幸せになる。それだけではない。あの子たちが影響を受けるように、君たちもまたあの子たちと共に成長し、影響を受け、そして立派になる。そうなるとわしは確信したんじゃよ。

 ……まあそもそもそこまでブルーたちのことを知っているのはグリーンの友達だからというのも否定できないからな、結局はこれもまた特別扱いなのかもしれないのぅ」

「でも! でも私は───」

 

 ───その信頼を裏切った。

 

 そう告げようとした私を遮るように、頭をちょっと強引にオーキド博士は撫でてきた。痛くはないが、髪の毛が乱れるくらいにはわしゃわしゃといきなり撫でて来て、混乱する私をしり目にオーキド博士は微笑んだ。

 

「ブルーが何を思って旅に出るのを止めたのかはわしは知らない。けれどもな、わしはブルーが悩みに悩んで、もしかすると今この時だって悩み続けながら今の選択をしているのだと思っている。だとすればそれは尊重されてしかるべきものじゃ。

 そもそもまだ十歳の癖に躊躇いなく飛び出せるあの二人が馬鹿なんじゃ。知っておるか? レッドの奴は1500円だけ持って旅に出て、その金をモンスターボールときずぐすりにほとんど使ったそうじゃ。そのせいで金欠になっておったとグリーンが馬鹿みたいに笑って報告してきたよ」

「……レッド……」

 

 初日から天然を炸裂していたことに呆れてしまう。レッドらしいといえばらしいが……。

 

「そのグリーンもいきなりチャンピオンロードに入ろうとしたという報告が来ておる。最近ではニビシティのジムリーダーに癖のあるお孫さんですねと苦笑されたり、レッドが500円でコイキングを買ったなんて話もあって……二人とも旅に出て早々に問題ばかりじゃよ」

「……ふふっ」

 

 でも二人が大人しく順風満帆な旅を送るようにはどうしても思えない。むしろ問題を起こしていると聞いて元気そうだな、とちょっと安心した。オーキド博士もどこか楽しそうだ。

 

「だからブルーも負い目を感じる必要は全くない。これくらいのことならわしら大人は迷惑とは思わんからな」

「……はい」

「よしよし。では話を戻そうかの。

 おっほん。ブルー、わしは君を見込んでフシギダネを渡したいと思っている。受け取ってくれるか?」

「───はい」

 

 まだまだ未熟な私だけど、そんな私を見込んでくれているオーキド博士の期待は裏切りたくなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 街灯のない道を、星と月が照らしている。あたりを包む静けさを壊さないよう、ゆっくりと踏みしめるように歩いていく。

 空を見上げれば満月が夜空に浮かび、その光を浴びてミラは軽快なスキップをして私の前を進んでいる。私の隣ではまだちょっと雰囲気が固いフシギダネがちょこちょこと歩いている。時折私の顔を伺って、次にミラを見て、背中の大きな種を揺らす。

 

 オーキド博士から受け取ったフシギダネと打ち解ける時間を作るため、こうして夜の散歩に出たが、ミラほど積極的な子ではないようだ。ここはこの子の親として、ささやかな手助けをしよう。

 

 ルルディ、と彼につけた名前を呼ぶ。

 

「別にミラと一緒に遊んでもいいんだよ?」

「ダネ?」

「うんうん。私は後ろからついていくから大丈夫だよ。それに───ミラ、ルルディと遊ぶのはどう?」

「ピィ? ピッピ!」

 

 ミラはついてこいとばかりにルルディの頭をポンポンと叩き、駆け出した。それでもルルディは戸惑いがちにこちらを見上げる。

 

「これから長い付き合いになるんだから今から仲良くなっておいて損はないよ。それにミラはいい子だから、ルルディもすぐに友達になれるよ」

「ピピィー!」

「ほら呼んでるよ」

「……ダ」

 

 始めは恐る恐るとばかりにミラについていき、少し話し込んだかと思えば、跳ねるミラを追いかけ始めた。どうやら追いかけっこをすることにしたらしい。

 段々と楽しそうな顔に変わっていくのを見て、ほっと息を吐く。この様子なら馴染むのもすぐだろう。

 

 追いかけっこはミラがペースを握っている。

 ミラの方が素早いようで、ルルディをおちょくるようにギリギリで避けている。だけどルルディもすぐにただ追いかけるだけでは捕まえられないことに気づいたのだろう。わざとスピードを落とし───

 

「フシャー!」

 

 ミラがギリギリで避けたタイミングを見計らって一気に飛び出した。二匹の距離が一気に狭まる。このままでは慢心したミラが捕まるように見えるだろう。

 だけどミラもルルディの考えを読んでいた。

 

「ピィ!」

「ダネ!?」

 

 余力を残していたミラは、ぐっと力をこめて地面を蹴って跳躍し、飛び込んできたルルディの頭を踏み台にして躱した。踏まれたことで雑に地面に顔から着地したルルディの後ろで、軽やかに地に足をつける。

 

「ピッピッピ」

「ダネェ……」

 

 悔しそうなルルディに対し楽しそうに笑うミラ。後輩に容赦のないピンクの悪魔である。

 

 レッドとグリーンのポケモンと毎日のように遊んでいたミラだ。『でんこうせっか』を覚えるピカチュウとイーブイを相手にしていたミラにとって、ルルディの素早さは御しやすいのだろう。

 

「ルルディ、ただ追いかけるだけじゃ捕まえられないわ。ここは『つるのムチ』を使おう」

「ダァ!」

「ピィ!?」

 

 ルルディの背から一本の蔓が飛び出す。ルルディが走るよりもその動きは速い。それにミラが慌てて『つるのムチ』を躱すも、続けて飛び出した二本目の蔓がミラの足を捉えて巻き付いた。そのまま宙ぶらりんに持ち上げられる。

 逆さのままミラが恨めしそうに見てくる。だけれどもトレーナーの指示くらいのハンデが最初にあってもいいと思う。

 

「もう指示しないよ」

 

 仕方なしにそう告げれば、ミラはため息をつき、そして体を縮めてするりと抜け出した。技の『ちいさくなる』だ。

 

 仕切り直して追いかけっこをする二匹。今度は互いに技を駆使している。予め相手を怪我させるような技の使用は禁止しておいた方がいいかな。

 

「怪我しないようにね? 『ゆびをふる』とか『はっぱカッター』あたりは使っちゃ駄目だよ?」

「ピッピ!」

「ダネ!」

 

 元気に遊ぶ二匹から視線を逸らし、満月をぼんやりと眺める。いつも当たり前のようにあるから意識していないが、今日のような満月の夜はいつもより明るいので、旅をしていたら有難いモノなのだろうか。いや夜は基本的に動かないからそこまで変わらないかもしれない。

 

 レッドとグリーンならどうするだろうか。痛い目に合うまでは夜も寝ずに移動とかしているかもしれない。いやポケモンたちもいるし、さすがに夜は休んでいるかな。

 そもそもあの二人は今どこにいるのだろうか。オーキド博士の話から少なくともニビシティには辿りついていることはわかるが……ミラの故郷のおつきみ山にはもう行っただろうか。あそこでは中々手に入らない月の石が見つかるというが、二人は見つけてたりするのかな? グリーンあたりは見つかるまで探索してそうだし、レッドは苦労せずにたまたまとか言ってちゃっかりと手に入れてそうだ。

 

 月の石は夜空のように黒い石で、特定のポケモンを進化させる不思議な力が込められている。ピッピも月の石で進化する一匹だ。だからか今日のような夜はあの子のテンションは普段よりも高くなる。おつきみ山はここよりも月に近いし、月の石には本当に月の力が宿っているのかもしれない。

 

 そこでふと思う。ここで見る月の姿も、旅先で見ればまた変わるのかな、と。

 

 レッドとグリーンも空を見上げていれば、同じ月を私たちは見ていることになるだろう。だけれども同じ場所にいないのだからその見え方も変わってくるのではないだろうか。例えばおつきみ山で見る月は、ここで見るよりも大きく見え、美しく思えるのだろうか。

 

 もしかしたら私にはその違いはわからないかもしれない。だけどミラならその違いに気づき、喜ぶかも。月光を浴びて踊るくらいだし、月には一家言とか持ってそうだ。今だって元気に遊んでるし。

 

 視線を下げてミラたちの様子を伺おうとすると、

 宙に浮く桃色のポケモンに、二匹は頭に青いボールのようなものをぶつけられていた。

 

「……ピィ」

「……ダネ」

「ミュミュミュ!」

「……え?」

 

 思考が一瞬固まった。

 

 気づけば何か見覚えのないポケモンがいる。

 

 その桃色のポケモンは、ピッピよりも小さいが、ずんぐり体系のピッピよりもスマートな体形をしていて、全体的なバランスと比較して足と尻尾が長い。ポケモンはタイプが素直に見た目に現れることの多いことから推測すると、ノーマル、フェアリー、エスパーあたりか。翼は見当たらないが、もしかしたら飛行もありえるかもしれない。

 私はこれでもカントー地方を中心に、ポケモンについてはよく勉強していた。それだけどこのポケモンについては図鑑に載っていたようには思えない。

 

 とにかく私の知らないポケモンがそこにいた。全くの未知がそこにはあった。

 

 ───ドクンと心臓が跳ねる。

 

 二匹にぶつけられていた青いボールのようなものは、よくよく見ればオレンの実だ。プレゼント……なのだろうか? あの楽し気な様子からするとイタズラかもしれない。

 

 私の視線に気づいてか、重力を感じない動きで泳ぐように近づいてくる。咄嗟に距離をとろうと後ずさりするも、そんなことお構いなく目の前まで飛んできた。その海のように青い瞳が茫然としている私の顔を映していた。

 

「ミューミュ?」

「……えっ、あ、うん、大丈夫……あなたはどこから来たの?」

 

 つい気になったことを口走ってしまう。例えこのポケモンが答えようとしても、私にはその言葉を理解することは出来ないと言うのに。

 桃色のポケモンはその小さな手である方向を指差す。そっちから来たということだろうか。ここから真っ直ぐ行けばトキワの森がある方向だ。

 

「トキワの森に暮らしてるの?」

「ミュウ?」

 

 なにそれ、とばかりに首を傾げられた。

 

「えーと、あっちの方へ真っ直ぐ進むとある大きな森から来たの? ピカチュウとか虫ポケモンが多く暮らしている森なんだけど」

「ミュウ?」

「……駄目だこりゃ」

 

 これは通じていないのか、はたまた全く別の場所から来たのか。

 ……たぶん後者だ。このポケモンは見たところ身軽だし、そこらの鳥ポケモンなんかより長距離移動も簡単にこなしそうだ。たまたま通りがかっただけで、特定の生息地はないのかもしれない。それこそ自由気ままに、旅のような生活を。

 

 だとすればこの出会いは本当に運がよかった。

 

 恐る恐る手を上げ、頭に近づけていく。途中で逃げられるかとも思ったが、警戒心が薄いのかこちらのことを舐めているのか、普通に撫でることが出来た。柔らかく滑らかな毛で、撫でているこちらが幸せな気分になってくる。

 

 怖い存在ではなかった。安心したからか口元が綻んだ。

 そんな私を桃色のポケモンは不思議そうに眺めている。

 

「ねぇ」

「ミュ?」

「旅をすれば……あなたのような未知はたくさんあるのかな?」

 

 こんなこと突然言われても困るだけだろう。そんなことはわかっていても、私は語り掛けるのを止めなかった。

 

「ここでただじっとしているだけじゃなくて、私から動き出せばもっとたくさん見つけることが出来るのかな? ソレは私が未知に憧れと一緒に抱いている恐怖さえも上回るものなのかな?」

 

 旅というのはもっと気楽に始めていいものだとわかっていても、怖かった。今まで信じていた常識が通用しなくなることに怯えていた。

 旅に出るというのは楽しいだけでは終わらない。悲しいことだって、辛いことだって、怖いことだってたくさんあるに違いない。

 旅先で頼れるのは自分だけだ。そして自分の能力を超える問題が発生したとしたら、私はどうすればいいのか。どうなってしまうのか。少なくともこのマサラタウンには頼れる大人がたくさんいる。けれども旅に出ればいないのだ。

 

 全く知らない世界を見てみたい。未知との出会いに感動したい。

 でも。

 それでも。

 それらがこの旅への不安を上回ることはなく、私はどこにも進めなくなってしまった。

 

「……私はいつになったら……」

 

 気づけばミラとルルディが心配そうに私を見上げている。

 

「ミュ」

「えっ?」

 

 桃色のポケモンがそっと私の目元を拭った。その時初めて私は涙を流していることに気づいた。何だか恥ずかしくてすぐに指先で涙をぬぐう。

 

「ごめんねいきなり変なこと言っちゃって。あなたには関係のないことなのに」

 

 誤魔化すように笑ってみるも、上手く笑えなかった。

 

「ミュウ!」

 

 桃色のポケモンはひらりと後ろに下がって私から離れた。そしてある程度離れると、こちらに何かを期待するような視線を送ってきた。

 しかし何を考えているのかわからない。首を傾げてみせると、今度はバチバチと帯電し始めた。

 電気タイプには見えないが、電気タイプの技も覚えるのか? いやそもそもここでどうして電気技を使う必要があるのだろうか? とにかくその様子を見守っていると、

 

「きゃっ!? イタッ!?」

 

 驚きのあまり尻もちをついてしまった。私の足元が鋭い電撃で撃ち抜かれたのだ。『でんげきは』もしくは『十万ボルト』だろうか。地面に焼き跡が残り、煙を立てているのを見て背筋が凍る。あれが直撃していたらどうなっていたのだろうか?

 

「ミュミュミュミュ!」

 

 無邪気な笑い声に意識が桃色のポケモンに戻される。少しも悪びれた様子もなく、先ほどのように帯電していく姿が見えた。

 

 もう一度来る!

 

「ミラ、『まもる』!」

 

 私が指示してすぐに、電撃が放たれた。電撃は今度は真っ直ぐに私へ向かい、そのまま貫く直前、ぎりぎりで反応したミラが間に入って緑色の光のバリアを放って受け止めた。バチチ! と派手な音が鳴り響くも、ミラのバリアは揺らぐことはなく、やがて電撃は消失していった。

 

 だけど安心はしていられない。どういうわけかはわからないが、桃色のポケモンは私を攻撃してきている。

 事実、ミラが電撃を受け止めている間に、桃色のポケモンが今度は刃のように鋭い石をいくつも周囲に浮かべている。岩タイプの技、『ストーンエッジ』だ。

 電気に引き続き岩タイプまで扱うとは、もしかすると先ほど予想したタイプは検討違いだったかもしれない。いやただ単にニドキングのように多彩な技を覚えるタイプか? 全く知識のないポケモンだからこそ、さっぱりわからない。

 

 それに先ほどの電撃。レッドのボルトの放つ十万ボルトを何回も見たからわかるが、相当な威力だ。相手は格上だと考えていい。

 

 格上かつ情報なし……私にどうにかできるのだろうか?

 

「っ!! ルルディ、『はっぱカッター』で迎撃! ミラは『なきごえ』で威力を落として!」

 

 嫌な想像を振り払うように叫んだ。

 

 

「ピィィィ!」

 

 ミラの可愛らしい『なきごえ』が響く。もちろん可愛いだけじゃない。これは相手の気をそいで技の威力を下げる立派なポケモンの技だ。

 ルルディだけでは威力で押し負けたとしても、これなら戦えるだろう。

 

 本当にそうだろうか? という悪い予感がした。

 

 相手の『ストーンエッジ』が放たれ、石の弾丸が迫る。それをルルディが葉で出来た刃を飛ばして撃ち落としていくも、数が違い過ぎて、いくつもの『ストーンエッジ』が地面を抉っていく。幸いに一つも当たらなかったが、その衝撃だけで心臓がばくばくと音を立てている。

 

 『なきごえ』で威力を下げてこの結果だ。差がありすぎる。

 

 ───勝てない。

 

 自覚したら行動は早かった。今度は手元に火の玉を作り始めている相手に視線を向けたまま重心を動かし、

 

「ミラ、あっちに『スポットライト』!」

 

 指さした木が唐突に光ったのを合図に、桃色のポケモンに背を向け、全速力で走り出した。

 

「逃げるよ!」

 

 もしも出会ったのが森の奥とかだったら逃げきれないだろう。それはマサラタウンでも同じだが、ここなら助けを呼べる。

 先ほどの『なきごえ』を始めとした騒ぎに誰かが気づいて、様子を見に来てくれていることを願いつつ、ちらりと背後を見る。桃色のポケモンは火の玉をこちらに向け、撃ちだすところだった。

 

「『まもる』!」

「ピィ!」

 

 ミラが飛び上がり、もう一度桃色のポケモンの攻撃を受け止める。広範囲に飛び散っていく火花を見て、『まもる』以外の技では防ぎようがないと確信した。

 

「ルルディ、『どくのこな』で視界を塞いで」

「ダネ!」

 

 ルルディの背から紫色の禍々しい粉がまき散らされていく。それは瞬く間に視界を覆い、毒のカーテンを作り出した。

 これで時間を稼げれば。そう考え、再び前を向いて走ろうとした───その時。

 

 ドーン! という轟音と共に地面が盛大に揺れた。

 

「キャー!?」

「ピィィィ!?」

「ダァーネェ!?」

 

 悲鳴。それに揺れに足がもつれて地面に倒れこんでしまった。すぐに立ち上がろうとするも、グラグラと視界が揺れていてすぐには立てそうにない。

 

 やっとの思いで立ち上がり、すぐに後ろを振り向いた。今の揺れは明らかに狙われたものだった。つまり地面タイプの技である『じしん』や『マグニチュード』、もしくは『じならし』か。どの技にしろこの場でそれらの技を使えそうなのは一匹だけだ。

 『どくのこな』による紫色のカーテンは既になく、視界は良好。しかし振り向いた先にあの桃色のポケモンはいなかった。

 

 どこに行った?

 

 正面、左右、後ろ、そして上、どこにも見当たらない。まさか見逃してくれたのだろうか? いやそんな楽観的なことは考えられない。

 

「どこに……」

 

 油断なく周囲を伺う。喉がひりつき、額からは汗が流れ落ちた。

 もう一度見渡す。

 正面、左右、そして後ろに上。やはりどこにもいない───

 

「ミュウ!」

「───!?」

 

 と思ったその眼前に、ぬるりと何の前触れもなく、いきなり桃色のポケモンが現れた。

 

 声を出せずに、後ろに飛び跳ねた。『テレポート』か? それとも姿を消す力でもあるのか? それすらもわからない。

 

 私と入れ替わるように緑の影が飛び出す。ルルディの『たいあたり』だ。だがルルディの体は相手に当たる瞬間、ピタリと空中で静止した。この不自然な現象はエスパータイプの技だ!

 

 それに気づいたときには、強い不可視の力で全身を押さえつけられ、体を全く動かせなくなっていた。視界の端にいるミラも苦しそうに地面に押し付けられているのが見えた。どうやら全員エスパータイプの技に捕まってしまったようだ。

 

「うっ……うう! ……」

 

 しばらく抵抗しようともがくも、身動きが一切とれない。それはミラもルルディも同じだった。

 だけど口はかろうじて動く。指示は飛ばせる。これならもしかすれば出せる技があるのではないか? 思考を回し、必死にこの状況を打破できそうな技を二匹が覚えていないか考える。

 

 だけど、ふと考えてしまった。

 

 これ以上抵抗しても、私たちではどうしようもない、と。

 

 先程は振り払えた嫌な思考が今度は振り払えない。濡れた布のようにべたりと張り付き、無視させてくれない。

 

 目前の存在はまさしく恐れていた私たちには対処出来ない問題だ。ほらみたことか、やっぱり駄目じゃないか。

 視界が霞む。冬でもないのに、体の内が冷たい。

 怖い。

 誰か助けて。

 

 だけど誰も来ない。来る気配もない。

 

 あれだけ騒がしかったのに、と絶望するも、私は何となく理由がわかっていた。

 マサラタウンは田舎町だ。それこそ野生のポケモンとは隣人だ。だから多分、野生のポケモンの喧嘩だとでも思われたのだろう。私自身そう判断した経験がある。

 

 つまり助けは来ない。

 

 ああ、もう駄目だ。諦めるしかない。心は折れ、気力を失った私はそっと目を閉じて何もかもから逃げようとした。

 

「ピィー!」「ダァー!」

「───!?」

 

 だけど二匹の声に、私は驚いた。だってその声は全然諦めた者の声じゃなくて。それどころか私に喝を入れるような力強いもので。

 彼らはまだ戦えると、まだ諦める時ではないと、そう主張していた。

 

 彼らのトレーナーである私はもう無理だと投げ捨てようとしているのに、彼らは違うというのか。まだ立ち向かおうとしているのか。

 

 長い付き合いのミラも、まだまだ互いを知らないルルディも。

 私たちの力はこの程度じゃないと、信じてくれているのか。

 

 それはなんて嬉しいことなのだろう。

 そしてそこに喜びを感じるならば。

 私が、彼らのトレーナーである私が、先に諦めてしまっていいわけがない。

 

 体中に力が入る。不思議と体の内が熱い。

 

 目前のポケモンは未だに動きを見せない。ここまで出来るこのポケモンが私たちを拘束するだけで手一杯なはずはないと思うが、一体何を考えているのか。だけどその慢心は高くつくぞと、そんな思いを込めて睨みつける。

 

「ミュミュ」

 

 桃色のポケモンは微かに笑った。

 

「ルルディ、『あまいかおり』」

 

 この技なら動く必要はない。場を脳が蕩けるような甘い香りが包み込む。これ自体に攻撃性能はない。

 だが、戦意を削ぐほどのこの香りを前に、念力の拘束が微かに緩んだのを感じた。そしてそれで充分だ。

 

「ミラ、『チャームボイス』!」

「ピッピィー!」

「ミュ!?」

 

 ミラの魅惑的な鳴き声に精神を揺さぶられたのだろう。念力が解ける。素早く立ち上がって距離をとり、体制を整える。

 

 実力に差があるからか、あまり『チャームボイス』によるダメージが入っているようには見えない。この程度の技では牽制にはなるかもしれないが、決定打にはならないということがわかる。

 やはり正面からではどうしようもない。

 

 だけど。

 

「ミラ、ルルディ、いける?」

「ピィ!」「ダネ!」

「それじゃあ……力を貸して!」

 

 彼らの期待に沿えるように、あともう少しだけ頑張ってみよう。

 

 相手は格上。正面からぶつかっても勝ち目はないほどの巨大な壁。

 これを打ち破るにはやはり、こちらも分の悪い賭けに出るしかない。

 

「ルルディ、『はっぱカッター』! ミラは『チャームボイス』!」

 

 葉の弾幕だけなら相手も余裕で対処できるだろう。だがそこに必中すると言われる技である『チャームボイス』が加われば意識は変わる。実力に差があるのであまりダメージは与えられなくとも、ダメージはやはりあるのだ。煩わしく、無視はできない。それに嫌そうなあの顔を見るに、もしかするとフェアリータイプの技は苦手なのかもしれない。

 

 桃色のポケモンは先ほどよりかはぎくしゃくした動きで『はっぱカッター』を躱すと、信じられないほどの急加速でミラへと突撃した。あの動きにはレッドとグリーンのポケモンのおかげで見覚えがある。『でんこうせっか』だ。

 

「ピィ」

「ミュミ!?」

 

 そして見覚えがあるのは私だけではない。実際に戦っていたミラも同じだ。ミラは勢いそのままに振り下ろされた尻尾の一撃を『ちいさくなる』で躱し、返しの『はたく』をお見舞いしようとするも、その前に素早い身のこなしで躱された。

  

「『やどりぎのタネ』!」

 

 そしてその一連の攻防の隙をつくように、ルルディから種が射出。それも一発では終わらず連射だ。

 相手はミラの『はたく』を次々と躱しつつも、同時にルルディの『やどりぎのタネ』も躱していく。遊んでいるつもりなのか笑いながらだ。

 厳しい目でそれを見ていると、ほんの一瞬ミラと目が合った。

 

 わかっている。仕掛けるならここだ。親指を立てて合図を送る。

 

「ミラ、ルルディごと『このゆびとまれ』!」

「ピッピピー!」

「ミュ!?」

 

 桃色のポケモンもさすがに空中でいきなり、それこそ直角近く軌道を変えた理不尽な『やどりぎのタネ』には対処できず、直撃した。全ての技の対象を自分にするこの技による変則的な不意打ちだ。もちろん他の種はミラに次々直撃していき、その体を宿り木が拘束していく。

 これでもうミラはほとんど動けないだろう。だけどその代わりに桃色のポケモンの動きも止まった。

 

 ───これが最初にして最後のチャンスだ。

 

「『ねむりごな』!」

「フシャー!」

 

 薄緑の粉が桃色のポケモンに迫る。この技は相手を問答無用に『ねむり』状態にする変化技だ。その強力さと引き換えに命中率こそ低いが、宿り木で動きの鈍った今なら躱せないだろう!

 

「ミューウ!」

 

 だけどそれすらも桃色のポケモンが引き押こした突風を前に吹き飛ばされた。本当に多彩な技を使いこなす厄介なポケモンだ。

 

 だからこそ対処できるだろうと踏んでいた。そして対処できると考えているからには次の一手だってある。

 

「いっけぇ!」

 

 この戦いは一対二ではない。私を含んで一対三だ。

 

 私は右手に構えた赤と白のツーカラーのボール、通称モンスターボールを投げつけた。それは真っ直ぐに相手へ向かい、技を出した直後で動けない桃色のポケモンにぶつかった。

 

「ミュ?」

 

 するとボールはパカリと開き、そこから飛び出した光が相手を包み込む。ポケモンは瀕死に陥ると体を縮めて狭いところに隠れるという本能がある。それを利用してポケモンを捕まえるというのがモンスターボールの特性である以上、ポケモンである限りは例え強力なポケモンであっても逃れられない。

 

 光に包まれた桃色のポケモンが吸い込まれるようにボールに消えていく。そして光と共に桃色のポケモンがボール内に入ると、ボールは閉じ、その開閉スイッチが点滅を始め、ボールがプルプル震える。この点滅が終えても尚、ボール内にポケモンがいれば、それはポケモンが何らかの形でトレーナーを認めたことを、つまりゲットを意味する。

 

 固唾を呑んで見守る中、ボールはゆっくりとその動きを止め、

 

───パカリと開いて、桃色のポケモンが飛び出した。

 

 捕獲失敗だ。

 

「ミュッミュッミュ」

 

 甘い甘いとばかりに笑うポケモンを前に、

 

「まあ知ってた」

 

 私は最後の策の、本命にして本当の大博打の準備が整うのを見た。『ねむりごな』もモンスターボールによる捕獲も、成功すれば儲けものでしかない。全てはこの一撃を確実に当てるための囮にして、発動までの時間稼ぎに過ぎない。

 

「ピッピッピッピッピッピ」

 

 宿り木で拘束され、その場を動けないミラがその指をひたすら左右にふっている。その指は白く淡い光を纏い、ただの余興ではないことがわかるだろう。

 桃色のポケモンがそれに気づいた時にはもう遅い。ありとあらゆる技をランダムで一つ繰り出す技、『ゆびをふる』はもう発動する。

 『はねる』や『なきごえ』から『はかいこうせん』まで、本当に何が出てくるかわからないこの技を切り札にするのは、本来正気を疑われるだろう。だけど私たちの実力だと運も持ち込まなければ勝ち目はない。そもそも高威力の技を誰もまだ覚えていないのだ。

 

 それに、おつきみ山に住むミラとマサラタウンに住む私、本来は出会えるはずがないのに運命的な出会いをした私たちの豪運を舐めてはいけない。

 

「ピィー!!」

 

 ミラの指に灯っていた光が弾けて消える。さあ何が起きるのか。

 

「これは!?」

 

 ミラを中心に白い光が爆発した。肌をこれまで感じたことの無いほどの冷気が撫でていく。一瞬にして辺り一面の気温が下がり、白い吐息が漏れる。

 二匹の姿は霧のように冷気に包まれていて見えない。

 

 この異常な現象は『ゆびをふる』が引き起こしたものだろう。この絶対なまでの冷気の一撃。その技名はすぐに思いあたった。

 

「これが……『ぜったいれいど』」

 

 一撃必殺と呼ばれるほど強力な技だ。

 

「ダァネ……」

「ルルディ? ……そうか、草タイプだもんね。寒いのは苦手か」

 

 体を震わせているルルディを今すぐボールに戻してあげたいが、

 

「ごめん。もう少し頑張って」

「……フッシィ」

「本当にごめん」

 

 この場を切り抜けられたらホットミルクでもご馳走してあげよう。

 さてあの冷気の向こうはどうなっているのか。

 

「ミラ! 聞こえる?」

「ピッピ!」

「よし!」

 

 ミラの声には焦った様子はない。それどころか跳ねるようにご機嫌だ。

 ドキドキしながら見守っていると、次第に冷気は消えていき、二つの影が見えてくる。

 

 一つは未だに宿り木に拘束されているミラだ。ただ宿り木も凍り付いており、ミラから力を奪う能力は既に失われているようだ。

 

 そしてもう一つ。桃色のポケモンは分厚い氷に閉じ込められ、ある種のオブジェと化していた。その顔は驚きで目を見開いている。

 動きそうには見えない。

 

「……勝った?」

 

 未だに信じられず、口に出してみるも現実感がない。それほどまでに強大な相手だった。全てを出し切り、意表を突き、最後には運すらも味方にしてやっとこさ手にしたというのに、私には実感が湧かなかった。

 

「ピィ!」

「ダァ!」

 

 ただ二匹が応えてくれた。

 

「そっか……私、私たちは乗り越えられたんだ」

 

 すぅーと、染み渡るように、じわじわと達成感が満ちていく。溢れていく。

 

 どうしようもないと諦めかけていた。だけど二匹を信じ、信じられ、立ち向かい、そして勝ったのだ。

 

「あぁ、そっか。だから皆怖くないんだ」

 

 ストンと驚くほどすんなりと納得した。

 旅に出ても、私は一人で問題に対処するのではない。頼れる仲間であり友であり家族でもある彼らポケモンたちと一緒に、互いに支え合うことで障害だって乗り越えていくのだ。

 

 そんな当たり前のことに、今さら気づいた。そして気づくと何だかぽかぽかと暖かい気持ちになる。

 

「えへへ、ミラもルルディもお疲れ様。それにありがとう」

「ピッピピィ」「ダネ」

「ふふ……それにしても」

 

 ミラが作り出した氷像をこつんと叩く。

 

「『ゆびをふる』でとんでもないもの引き当てたね。でもこれくらいじゃないとやっぱり勝てなかったかな?」

 

 これ中にいる桃色のポケモンは無事なのだろうか?

 いきなり襲われたとはいえ、ここまでしてしまうと逆に心配になってくる。

 

「だけど『ぜったいれいど』もれっきとした公式戦で使われてた技だし……もしかして素人が手を出しちゃいけない系の技だったりする? いやそんなはずは……でもそんなにこの技について調べたわけでもないし……うわっ!? それだったらどうしよう!? えーとえーと……そうだ! オーキド研究所なら! あれ? 待って。それよりもポケモンセンター? いやマサラタウンにはポケモンセンターはないし研究所で問題ない……はず!」

 

 あわあわと慌てふためきながら空のモンスターボールを取り出す。先ほどはゲットできなかったが、ここまで弱らせればゲットできるだろう。本当ならこんな不意打ちみたいな方法でゲットはしたくないが、背に腹は代えられない。

 ポケモンが瀕死に陥ると小さくなる本能を利用したのがモンスターボールなのだから、モンスターボールに入れた方が体への負担も少ないはずだ。

 

「と、とにかく! ごめんね!」

 

 モンスターボールで桃色のポケモンを覆う氷に触れようとする。その時、

 

───ピシリと氷にひびが入った。

 

「えっ」

 

 呆ける私の目の前でひびは次第に大きくなり、やがてバリン! と盛大に音を立てて崩れ落ちた。

 中からゆらりと、桃色のポケモンが浮かび上がる。

 

 まさか『ぜったいれいど』すらも耐えたのか!?

 

 私は戦慄しながらも、手に持つボールをギュっと握りしめた。だったら倒れるまで戦うだけだ。ミラとルルディにそれぞれ技の指示をしようとした時、違和感に気づく。

 

 桃色のポケモンは荒い息をつき、ふらふらとおぼつかない様子だ。体中に凍傷が出来ており、今にも落ちてしまいそうなくらい弱っていた。

 『ぜったいれいど』は確かに致命的な一撃だったようだ。

 

 だがそれでもどうやって瀕死を回避したのか? 一撃必殺への対策を思い出していく。

 

「そうだ。『こらえる』」

 

 思い当たった技は、瀕死になるほどの一撃でもギリギリで耐えるための技だ。今の桃色のポケモンの様子とも合致する。

 

「……」

 

 じゃあどうするか。今の相手はミラの『はたく』一撃で瀕死になるだろうし、この手に持つモンスターボールでも捕まえることだって出来るだろう。

 

 だけどそれは何だか嫌だった。

 

「……回復できるんでしょ? 何もしないから早く回復した方がいいよ」

「ミ、ミュ」

「うん、邪魔しない。あっ、でも私たちの勝ちだからね!? 回復したらリベンジ! とか駄目だから!」

 

 重要な条件を付けたすと、桃色のポケモンは明らかに小馬鹿にするように鼻で笑い、その身に光を纏い始めた。みるみるとその身に受けた凍傷が直っていき、苦しそうな顔も消えていく。

 

「『じこさいせい』……いや『つきのひかり』か」

 

 予想はしていたが呆れるほどの技のレパートリーだ。逆に何なら覚えないのかわからなくなってくる。

 

 やがて回復を終えた桃色のポケモンは私をじっと見つめ、

 

「ミュ」

「あ、イタッ!?」

 

 ポコンと軽くはたいてきた。

 

「何するの!? あ! ははん、わかった! 負けたことが悔しいんでしょう?」

「ム」

「元はと言えばあなたが私たちに攻撃してきたのがいけないんだし、それに慢心して舐めてかかってきたあなたがいけないんだからね?」

「ミムゥ」

「ふっふっふ! そんなにほっぺた膨らましても可愛いだけだぞこいつめ! ……柔らかい」

 

 不満がありますとばかりに膨らませた頬をツンツンと突く。その心地よい感触に思わず感動する。

 こうして見れば、本当に愛くるしい見た目のポケモンだ。

 

「ねぇ、私のポケモンにならない?」

「ミュウ」

「駄目かぁ」

 

 試しに提案してみるも、すぐに首を振って断られた。残念だ。

 

 しばらくなすがままにされていた桃色のポケモンだったが、ひらりと空に浮かび上がっていく。

 

「行っちゃうんだね?」

「ミュウ」

「そっか。……結局なんで攻撃してきたの?」

「ミュッミュミュムミーミュウ。ミュミュ、ミューウミュミュ」

「うーん、わからん」

 

 ポケモンの言葉はわからないというのが不便極まりない。

 何から何まで謎のポケモンだ。結局わかったのはとんでもなく強いということと、可愛いということくらいだ。うん、全然わかっていない。

 

「ピッピィ!」

「ダネダーネ!」

 

 だけど二匹が仲の良い相手を見送るようにしているということは、そんなに悪いことは言っていなかったのだろう。案外うじうじしてた私に発破をかけようとしてたのかもしれないと考えるも、戦っている間、楽しそうに笑ってたのを考えるとそれはないように思える。

 でもだとすると単純な気まぐれで襲い掛かって来る辻斬りポケモンになってしまうような……。

 

 考えても意味がないと思考を切り替える。

 今は見送りの時間だ。

 

「じゃあね」

「ピィー!」「ダネー!」

「ミュウ!」

 

 桃色のポケモンはその場でくるりと一回転してみせてから、空高く飛んでいき、やがて見えなくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「忘れ物ない?」

「大丈夫だよ。タウンマップもポケモン図鑑もモンスターボールもきずぐすりだって持ってるの確認したし、旅用の道具もちゃんと指差し確認したんだから」

 

 それでも心配そうに服のしわを伸ばしてくる母から私は大丈夫だと言いながら離れた。いきなり旅に出ると言ったせいなのか、あまり信じて貰えていない。レッドと違って私はこういった準備はきちんとするタイプだというのに。この腰元の黄色い鞄にきちんと仕舞ってあるのだ。

 とはいえついこの間まで旅から逃げていた私がいきなり旅に出ると意見を変えたのだから仕方ないのかもしれない。私にとってはあの夜に大切なことに気づいたから行けると決断したのだが、周囲からはわからないこともあるのだろう。でもやっぱりもう少し信用してほしい。

 

「フシギダネを渡した時とは目の輝きが違う。子供の成長は早いのぅ」

「オーキド博士もぶつぶつしてないで言ってください。ブルーは立派だから大丈夫だって」

「はっはっは。ブルーのママさんも愛娘の旅が心配なのじゃろう。旅先でも定期的に連絡はするんじゃよ?」

「はーい」

「こらっ、返事はしゃきっと!」

「はい!」

「まったくこの子は……」

 

 ぎゅっと手で頭を母の胸に押し付けられる。突然のことに驚くも、恐る恐る私も手を後ろに回した。母は何も言わず、ただ私を抱きしめていた。オーキド博士の目の前で気恥ずかしかったけど、今は暖かい気持ちに素直になって私も母を抱きしめた。

 

 やがて母がそっと手を離したので、それに合わせて私も手を離した。互いに見つめ合い、にへらと笑うと、母もまた笑いかけてくれた。

 

 感傷に浸りながらゆっくりと離れると、視界の端で微笑んでいるオーキド博士の姿が見えた。いつもは安心するその微笑みが、今はちょっと恨めしい。お気に入りの白い帽子を被り直し、腰から二つのボールを取り出した。

 

「ミラ、ルルディ」

「ピィ」「ダネ」

 

 ボールから飛び出した二匹と横一列に並ぶ。そして一呼吸入れてから、

 

「それじゃあ! 行ってきます!」

「ピッピィー!」

「ダネダーネ!」

「うむ、気をつけるのじゃよ」

「いってらっしゃい」

 

 二人に見送られ、私たちは歩き出した。

 

「レッドとグリーンにも追いつけるかな?」

「ピッピ」

「うーん、やっぱり自転車が必要だよね。あと『そらをとぶ』を覚えるポケモンも」

 

 これからのことを話しつつ、さりげなく周囲を見渡す。だけどやはりあの桃色のポケモンの姿は見当たらない。『ミュウ』というらしいあのポケモンは今はどこにいるのだろうか。

 

 オーキド博士が言うには、『ミュウ』という名こそつけられているが、発見報告が少なく、未だに謎の多い幻のポケモンらしい。私たちが出会ったと聞いた時の驚いた顔を思い出すだけで、今でも笑いが込み上げてくる。

 

 あの出会いは、まさしく望んでいた未知との遭遇だったのだ。

 

「『ミュウ』とももう一度会いたいね」

「ピィ!」

「ダネ!」

 

 まあ何はともあれ、だ。

 

 私たちの旅はようやく始まったのだ。




[蛇足]



「よし書けた」

 伸びをすると骨がバキバキと音を立てた。冒険の記録を本にしようと思いついた時はいい考えだと思ったが、ちょっとこれは疲れる。始まりを書くだけでこれだと、最後まで書ききれるか既に心配だ。
 机の上に大量に置かれた私の冒険レポートの量にげんなりしてくるぞ。

 とにかく休憩しようと思い、席を立とうとして、

「そうだ忘れてた。名前どうしようかな? 本名使うのも恥ずかしいし……よし!」

 『ブルー』だからと青ペンを手に持ち、さらさらと『リーフ』とペンネームを書いた。

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