蒼の彼方のフォーリズム EXTRA0   作:蒼崎れい

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第2話:飛翔姫のサーカス
Chapter 1


 俺が葵さんにフライングサーカスを習い始めて早くも一週間が経った。小学校の終業式は3日前に終わっている。つまり、待ちに待った夏休みの始まりだ。

 もちろん、宿題の方も順調に終わらせている。というよりも、毎日宿題をちゃんとするというのも、葵さんがフライングサーカスを教えてくれる条件に含まれていたからである。じゃないと多分、一日中飛んでいたかもしれない。いや、間違いなく飛んでいただろう。

 まあそんなこともあって、夏休みの宿題は今までで一番順調に消化中。そっちはいいんだよ、うん。問題は、本題のフライングサーカスの方。

「とぉりゃぁぁぁあああああああっ!」

 なぜか俺はグラシュを履いたまま、久奈浜の海岸を全力でダッシュしていた。

「ふんがぁぁぁああああああああっ!」

 葵さんがホイッスルを吹いたら止まって休憩、でも10秒ほどしたら一度吹かれてまたダッシュを10秒、それからまた休憩を10秒……。

「んんにゃぁあああああああああっ!」

 辛くてちょっとでも速度を落とそうとしたら、

「昌也―! それがお前の全力かー! そんなんだとあと5本追加するぞー!」

「葵さんのおにぃいいいいいいいっ!」

 俺は最後の力を振り絞って足を上げ、腕を振り、思いっきり砂浜を踏みしめて走った。

「よぅし、休憩にしよう」

 ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ、よ、ようやく……終わった。肩で息をしながら、俺はいったん葵さんのところまで戻る。防波堤の日陰で一息ついていると、冷たいスポーツドリンクを渡してくれた。

「んん、ん、っぷはぁああ」

 カラカラに乾いた体に、冷たい水分が染み込んでゆく。スポーツドリンクって、こんなにうまかったんだ。それにしても、納得いかないことがある。

「ねぇ、葵さん」

「なんだ昌也。もしかして、宿題でわからないところでもあったのか?」

「違う、別にわかんないとことかないし。って、そうじゃなくて!」

 と、俺は葵さんの前に回り込んで声を大にして抗議した。

「俺、フライングサーカスを教えて欲しいって言ったよね! なのにどうして空を飛ばずに、走らなきゃいけないんだよ!」

 そう、夏休みに入ってから時間に余裕ができたのはいい。でも、俺はフライングサーカスを教わりたいのであって、陸上選手になりたいわけじゃない。準備運動のあとは、だいたい5分~10分くらいだとうか。一度へとへとになるまで、短距離ダッシュを繰り返すという練習をしているのだ。

「そのことなら、昨日も説明したと思うんだが?」

「うん、聞いた……。聞いたけど、なんか思ってたのと違う」

「そうは言っても、これは基礎の基礎みたいなものだぞ?」

 っと、葵さんはこの数日で耳にタコができるくらい聞いた説明をまた繰り返す。

「スポーツ全般に言えることだが、体力がないと最後まで力を出しきれない。そうは言っても、フライングサーカスはマラソンみたいな持久力が必要なスポーツじゃない、瞬間的な力を継続的に出す類の体力が必要になる。例えば、昌也が文句を言ってる短距離ダッシュみたいな、な?」

 『な?』じゃないんだよ、『な?』じゃ。それくらい、俺だって頭ではわかってるんだっての……。

「それに、スタートも重要な要素だ。ホーンの音にどれだけ早く反応できるか。この2つを同時に鍛えるのに、この練習はちょうどいいんだよ」

 うん、それも聞いた。もちろん、理屈ではわかってる。動画サイトで葵さんの試合を何度も見てきたけど、どれもホーンが先なのか葵さんが先なのかわからないくらい完璧なスタートだっていつも思ってた。

「この2つを重点的にやっとくと、もっと実践的な練習になった時に役に立つ。簡単にへばらなくなったり、相手の動きに反応したり」

 でも、だから思う。こんなダッシュを繰り返すだけの練習で、本当に葵さんみたいに飛べるようになるのかなって。なんかもっとこう、誰にも秘密のすごいトレーニングがあるんじゃないかって思ってた。

 それが蓋を開けてみたらなんか陸上部みたいな練習を毎日繰り返して。すげー地味だし、期待してたのと違ったと思っても仕方のないことだろう。

「でもまぁ、地味でつまらないのは、私も昌也の言う通りだと思うけどな」

 でも、今日はいつもとちょっとだけ違った。肩に置かれた葵さんの手が、ぷにぷにと俺の頬を突っついた。

「よっし。じゃあ休憩が終わったら、今度は空だ。希望通り、たっぷり指導してやるから覚悟しろよ?」

「よっしゃあっ! やっと飛べる!」

 今すぐにでも飛び出そうとする俺の首根っこを掴まえて、その場に座らせる葵さん。休憩も練習の内だから今はしっかり休むようにと、きつくお叱りを受けるのであった。

 

 

 

 たっぷり水分と塩分と休憩をとったあと、俺と葵さんは空へ上がった。今はファーストブイの横で葵さんから説明を受けている。しかもなんと、今回は基本とはいえ、ついにフライングサーカスの技を教えてくれるそうだ。

「昌也もかなり飛ぶのに慣れてきたようだし、そろそろ教えてもいいタイミングだと思ってな」

「それで、何を教えてくれるの?」

「基本的な加速技術、ローヨーヨーだ」

「ローヨーヨー?」

 英語なんだろうけど…………全然意味がわからん。

「スーパーヨーヨーなら、父さんが持ってるけど?」

「いや、そのヨーヨーは違うな」

 てかよくそんなオモチャ知ってるな、と葵さんは苦笑している。

 まあ、俺も遊んだことはないんだけど。父さんが言うには、紐で引っ張ってくるくる回すオモチャらしい。

「ローヨーヨーは、重力の力を使った加速技術の1つ。斜め下に飛ぶことで重力の力を使って加速して、十分に速度が乗ったところで上昇する。ただ単にまっすぐ飛ぶより、この方が速く飛べるんだ。遠回りのような気もするが、グラシュの力だけだで加速するよりずっと早く最高速まで持っていける」

「へぇぇ。なんか真っ直ぐ飛ぶほうが短いから速い気がするけど、そうじゃないんだ」

「まあ、グラシュを履いてないんだったら違うのかもしれないが、フライングサーカスに関して言えば、重力を利用したほうが加速しやすいのは確かだ。じゃあ、私の姿勢を真似しながら飛んでみよう」

 説明もそこそこに、俺は葵さんに倣って飛行準備に入る。陸上のクラウチングスタートの要領で構え、隣の葵さんの一挙手一投足を見逃さないよ目を凝らす。

「じゃあ、いくぞ……!」

 まるで呼吸でもするような自然な所作で葵さんは飛び出した。あまりに自然すぎる動きに、思わず見入ってしまう。それに少し遅れて、俺もスタートした。

 安定してきたとはいえ、それはただ空を飛ぶだけに関して。フライングサーカスという競技レベルで見ればまだまだ。特にスタート直後のスピードが乗り切ってない状態は、バランスをとるのが難しいのである。

「大丈夫だ昌也、ゆっくりついてこい。姿勢に注意してな」

「は、はい!」

 葵さんは最高速を出さず、あくまで俺がついていけるギリギリの速度で少し前を飛んでいる。とはいえ、普段の移動中に比べたら倍以上の速さだ。

 胸をやや下に向け、葵さんを追って緩やかな下降曲戦を描く。身体はほとんど一直線、まるで頭から落下しているみたいな速度で顔の横を風が通り過ぎてゆく。この速度で下に向かって飛ぶのは、まだちょっと怖い。

 でも、ちょっとでも加減すれば葵さんに置いていかれる。せっかく新しいことを教えてくれてるんだ、置いていかれてたまるか!

 少しでも追いつけるように、必死になって葵さんを凝視する。腕の角度は? 指先はどこにある? 足の向きは? 視線の位置は?

 少しでも違うところがあれば、自分でも分かる範囲で少しずつ修正。そうする内に、ほんのちょっとだけど葵さんとの距離が近づいてゆく。

「よし昌也、スピードが乗ってきたところで、次は上昇だ。姿勢を崩さないように注意しろ」

「は、はいッ!」

 確かにこれは、今まで経験したことのない速度だ。重力を利用した加速って、ここまですごいのか。

 葵さんが声を張ってくれているおかげで、辛うじて指示が聞き取れる。今は進行方向──頭の方のメンブレンが薄い影響で、これまで経験したことのないレベルで風が通り過ぎていく。車の窓を開けて走ったって、ここまでの音はしない。

 そんな中、自分の姿勢を把握するのは思っていた以上に難しい。胸を少しそらし、下向きから水平に、そして上向きへとゆっくり姿勢を変えてゆく……つもりだったのだけれど。

「ん、んんぁああッ!!」

 下降から水平飛行へ移る途中、葵さんとの距離がまた開き始めた。理由は簡単で、俺が飛行姿勢を保てなかったから。堪え切れずにいきなり水平飛行の姿勢に移ったせいでメンブレンが乱れ、減速してしまったのである。

 でも、速度はまだ十分に残っている。ここから取り返してやるぞ。水平飛行に入ったところで、今度はゆっくりと胸を上側へとわずかにそらす。よしよし、今度はスムーズに姿勢が変更できた。目に見えた減速をすることなく、頭は斜め上の方向へ。視線の先には、既に上昇を始めた葵さんの姿があった。

「おぉぉ……」

 これがローヨーヨーか。その効果を、俺はしっかりと肌で感じとっていた。下降速度もそうだったが、上昇速度も今までに経験したことのないレベルだ。というより、真っ直ぐ飛ぶより断然速い。後ろに流れていく浜辺の景色が、いつもと全然違う。

 重力の力、恐るべし。といったところかな。そして、

「まぁ、初めてにしては……まずまずってとこかな」

「はぁ、はぁ、あ……ありがとう、ございます」

 上昇仕切ったところでセカンドブイにタッチ、ゆっくり減速しながらサードブイで待っている葵さんの元へと向かう。

「まだ始めたばかりってのもあるが、姿勢を維持し続ける体力が足りないな。まあ、筋トレをするほどでもないから、繰り返し練習していけばその内できるようになるさ」

「お、思ってたより、体力、使いますね……」

「そのためのダッシュの練習なのさ。腕と足をしっかりと振ってやれば、飛行に必要な筋肉もついてくる。とまぁ、練習の意義がこれできっちりわかっただろうから、これからは文句を言わずしっかり励むように」

「わ、わかりました」

 今以上に腕や足をしっかり振ってダッシュか……。俺、死ぬかもしれない。いや、ホントに死んだりするわけじゃないけどさ、それ終わったら手と足が棒になってそう。そんなんで本当に飛べるの、俺?

「じゃあ、さっきの要領でローヨーヨーをあと10本。さっきよりちょっと速度を落とすから、私の姿勢を見ながらキッチリ着いて来いよ?」

「ぜ、善処します」

 結局10本以上ローヨーヨーを繰り返した俺は、へとへとになって家へと帰る。

 ちなみに練習後に真っ直ぐ飛んだ時間とローヨーヨーで飛んだ時間を測ったら、疲れ過ぎたせいで真っすぐ飛んだほうが速いタイムになってしまい、葵さんがちょっと焦ってたりした。


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