蒼の彼方のフォーリズム EXTRA0   作:蒼崎れい

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Chapter 2

 宿題とフライングサーカス三昧の夏休みも、気付けば半分が過ぎようとしていた。つまり、もうすぐお盆がやってくる。朝起きれば小学校へ行ってラジオ体操、朝ごはんを食べたらお昼まで宿題、それからフライングサーカスの練習というサイクルにもすっかり慣れた。

 なんというか、うん、間違いなく俺は今までで一番充実した夏休みを過ごしていた。文武両道的な意味で。

 そして今日も……、

「ッタッチィ!」

 俺はフライングサーカスの練習に打ち込んでいた。

「はぁぁ、はぁぁ、葵さん、ローヨーヨーとハイヨーヨー、4本ずつ、終わったよ」

「おつかれ、昌也。まぁ、ちょっとは様になってきたかな」

 ダッシュ練習の割合は少しずつ減っていって、今は練習の開始5分弱で終わり。それからフライングサーカスのブイに沿って飛ぶフィールドフライを、葵さんが良いと言うまで続ける。それもブイを1周する時間が決まっていて時間経過と共にだんだん短くなるという、シャトルランのフライングサーカス版的なもの。

 体力のきつくなる後半ほど1周の時間が短くなり、焦って無理な加速をしようとして姿勢が崩れて、その度に葵さんに注意されて姿勢を直す。それが終わればローヨーヨーとハイヨーヨーを4本ずつ、つまりフィールド2周分。それから休憩を挟んでまたフィールドフライにローヨーヨーとハイヨーヨーのセットを俺がくたびれるまで繰り返す。

 まさに、地獄の特訓メニューだ。

「も、もう無理……」

「ははは、これだけ飛べばそうなっても仕方ないか。じゃあ、今日はこれで終わりにしよう。クールダウンに、ゆっくりフィールドを飛んできな」

「はーい」

 フライングサーカスは、四方のブイにタッチして獲得する得点以外にも、相手選手の背中をタッチして獲得する得点もある。その背中を取り合って飛行するのを戦闘機になぞらえてドッグファイトっていうんだけど、今の所そっちの練習はさっぱり。

 今はとにかく飛行姿勢を徹底することと、加速の基本技術であるローヨーヨーとハイヨーヨーの練習をひたすら繰り返している。まあ、それも嫌ってわけではない。

 フィールドフライは1周の時間が決まっていてその時間内に周回しているわけだけど、1周するのにかかる時間は少しずつ短くなってきている。これも葵さんのご指導の賜物だ。

 まあ、あれだけ飛行姿勢を矯正されてタイムが良くならなかったら、静かなお顔して雷が10発くらい落ちてきてもおかしくはないんだけどさ。

「ふぅぅ、これくらいかな」

 ゆったりとしたフィールドフライで乱れた息も整ってきたし、そろそろ降りよう。葵さんは既に降りていて防波堤の影で一息ついている。

「あ、白瀬さんだ」

 葵さんの隣に、よく一緒にいる久奈浜FC部の男子選手──白瀬さんがいた。最近は俺と葵さんの練習もちょくちょく見に来ている。

「こんにちは、白瀬さん」

「やぁ、昌也くん。今日も頑張ってるね。はい、これ差し入れ」

「ありがとうございます」

 解除キーを口にして砂浜に降りると、白瀬さんからマグボトルを受け取って一口飲む。

「マスカット味だ、さっぱりしてて飲みやすい」

「この炎天下で、ココア味はちょっときついと思ってね。今日はマスカット味のプロテインを作ってきたんだけど、どうかな?」

「ココア味もいいですけど、練習の後はこっちのほうが飲みやすいです。ん?」

 するとそこで俺は、白瀬さんの後ろにもうひとり誰かが隠れているのに気付いた。

「ほら、みなも」

 白瀬さんに背中を押されて出てきたのは、白いワンピースの女の子だった。背は俺より一回り小さいくらいかな、大きなトートバッグを両手でぎゅっと抱えている。麦わら帽子を目深にかぶっているから顔はよく見えないけど、この子はいったい?

「あ、あの……。白瀬、みなも…です」

 緊張のせいで声はひどく震えていた。自己紹介の時は頑張ってこっちをみてくれたけど、終わった途端にトートバッグに顔をうずめてしまった。それでも耳まで真っ赤になっているのがわかる。

「ちょっと歳は離れてるかもしれないけど、俺の妹。たぶん、昌也くんの1つ下になるかな。まぁ、仲良くしてやってくれると、嬉しいかな」

 頭をわしゃわしゃされてる? みなもちゃんは、『もぉ、お兄ちゃん……』と口をとがらせながら白瀬さんを見上げて抗議。でも俺に視線を戻すと……そのまま白瀬さんの背後に。

 ものすごい恥ずかしがり屋さんみたいだ。さっき白瀬さんが心配そうにしてたのはこれが理由か。

「えっと、みなも……ちゃん?」

「ッ!?」

 白瀬さんの後ろで、ビクってみなもちゃんの肩がはねた。

 それから、じぃぃぃぃ……白瀬さんの横からちょこんと顔をのぞかせてこっちの様子をうかがっている。

「俺は、久奈島小4年生の日向昌也。よろしく」

「よ、よろしく……お願いしま、す」

 みなもちゃんと仲良くするには、まだまだ時間が必要そうだ。

「隼人、みなもちゃんが持ってるのは例の?」

「あぁ、昨日やっと届いたんだ。はやく見せてやりたいだろ?」

 俺とみなもちゃんが異種接近遭遇的なコミュニケーションの手段を模索している最中、頭の上の方では葵さんと白瀬さんがなにやら不穏な会話をしている。見せてやりたいって、一体何のことだ?

 そう思っていると、白瀬さんはみなもちゃんの手を引いて、防波堤の向こう側へ行ってしまう。そして何か耳打ちをしているようだが。

 ちょっと気になって葵さんを見上げてみると、ちょっと待ってなさいとウィンクしてきた。まあ、俺も日陰でもうちょっと涼みたいし、終わるまで静かに待ってよっと。

 それにしても、このプロテイン飲みやすいな。今度、白瀬さんのところに行ってみようかな。お父さんがスポーツショップをしているみたいだし。

「そうだ昌也。次の練習なんだが、盆明けまで休みだから再来週の月曜になる。もし明日間違って来ても、私はいないからな?」

 そうそう、夏休みも半分ということは、もうすぐお盆の時期だ。うちは父さんも母さんも四島の出身だから自宅でゆっくりしてるけど、クラスの半分くらいは親戚の集まりとかで本土の方へ出かるらしい。

 葵さんも四島の出身だからお盆も島にはいるけど、親戚が帰ってくるってので家の手伝いで忙しいのだそうだ。

「わかってるよそれくらい。葵さんこそ、再来週の月曜日にはちゃんと来てよ?」

「もちろん、この私が忘れるわけ無いだろ。もっとも、昌也がちゃんと夏休みの宿題を済ませなかったら、どうなるかわかったもんじゃないんだが?」

「へっ、それこそ問題ないもんね。もうほとんど終わってるしぃ」

 ほんと、葵さんとの約束がなかったらどうなっていたことか。去年までのことを思い出して、ちょっと寒気が……。今までは夏休みのはじめにちょこっと手を付けたら、お盆が開けるまでずっと遊んでたもんなぁ。

「そうかそうか、それなら安心だな。いやー、昌也のご両親からも色々頼まれてるからなぁ。フライングサーカスをやるのはいいが、勉強のほうが疎かになったりしないかって」

 い、いつの間にそんな密約を……。そ、それでか! 葵さんがフライングサーカスを教える条件に夏休みの宿題をやるように言ってきたのは! は、ハメられた……。これが大人のやり方か! 汚い! 大人って汚い!

「新学期に入ってからはともかく、夏休み中はその手の心配はしなくても良さそうで、私もホッとしたよ」

「それに関しては……俺もホッとしてます」

 と、一言ぼそり。今までの俺の夏休みの宿題事情を聞かされたのか、葵さん苦笑いしている。うぅぅ 、なんかわからんけど、葵さんには知られたくなかった。

「お待たせ、二人共」

 と、次の練習日の話をしてたら防波堤の向こうから白瀬さんとみなもちゃんが戻ってきた。

「ほら、みなも。大丈夫だから」

 頑張ってきな、と白瀬さんはみなもちゃんの頭を優しく撫でた。それに勇気をもらったのか、みなもちゃんも大きくうなずいて白瀬さんの後ろから出て俺の目の前までとことこと歩いてきた。

「あ、あの!」

「はい」

 力強い声に、思わず敬語になってしまった。

 さっきと違って、うるませた目でじぃぃっとこっちを見上げている。

「これ、受け取って……ください!」

 ありったけの勇気を振り絞って、抱いていたトートバックを俺へと差し出す。

 あ、これ俺にだったんだ。

「あ、ありがと。えっと、これって?」

 持った感触は、大きさの割にかなり軽い。普段背負っているランドセルのほうが重いくらいである。

「ふ……ふらいんぐ、すーつ」

「ふらいんぐ、すーつ………………フライングスーツッ!?」

 みなもちゃんの言葉がちゃんとした意味になるまでしばらく時間がかかってしまったが、え? マジで? マジマジのマジでそうなの?

 慌ててトートバッグの中に手を突っ込み、中の物を取り出す。

「うおぉぉ……」

 言葉が出なくなるって、こういうことを言うんだな。

 黒のインナー、白地にグラシュと同じわずかに緑がかったライトブルーの縁取りが鮮やかなフライングスーツが入っていた。

「昌也のお父さんから頼まれてな。その内、試合もやることになるだろうから、ユニフォームは必要だろ?」

「ははは。これじゃあ昌也くん、今からお盆明けの練習が待ち遠しくなっちゃうかな」

 もう、父さんもわざわざ秘密にすることなんてないのに。豪快に笑う白瀬さんの声を聞きながら、ここ最近の父さんの様子を思い出す。

 そういえば、最近口数が少なかったような気がする。きっと話始めちゃうと口が滑っちゃうと思ったんだろうな。葵さんに教えてもらい始めてから、フライングサーカスの話しかしてないし。

「でも、こういうのは早く着てみたいと思ってね」

「ありがとう、白瀬さん! それに、みなもちゃんも!」

 あぁもう、嬉しい気持ちが抑えられない。改めて白瀬さんとみなもちゃんの方に向き直ってお礼を言った。

「わ、わたしは持ってきただけ、だから……」

 でも、直接渡してくれたのはやっぱりみなもちゃんなんだから、ちゃんとお礼は言わないとね。くそ、ここに更衣室があれば今すぐ着替えられるのに。

 とりあえず、帰ったらすぐ着てみよう、必ず着よう、絶対着ようそうしよう。

「おっとすまん。親父から電話だ」

 白瀬さんのポケットから軽快な着信音が。急用らしく、白瀬さん電話のためにこの場を離れる。すると当然、みなもちゃんが隠れる場所もなくなってしまうわけで。

 唯一の防御手段だったトートバッグも今は俺の手の中なので、見ているこっちが心配になるくらい、みなもちゃんはオロオロとし始めてしまった。

 葵さんもどうすればいいかわからないようで、珍しく困っているようである。

 と、とにかくなにか話をしないと。話題、何か話題は……、そうだ。

「そ、そういえば、みなもちゃんは空って飛んだことあるの?」

 俺的な無難な質問を1つしてみる。しかし、これが最初から破綻していることに気付けなかった。

「えっと、まだ……年齢制限、が」

 開幕でいきなりつまづいた。って、そうだよ俺! 俺だって今年ようやく年齢制限が解除されたばかりなんだから、学年が下のみなもちゃんが飛んだことあるわけ無いじゃん!

「で、でも……」

 俺と葵さんが頭を抱えないように悩みながらなにか話題をひねり出そうとしていると、以外にもみなもちゃんの方から声をかけてくれた。

「興味は、ある。あります」

 それっきりまた下を向いてうつむいちゃったけど、うん。そうか、興味はあるのか。

 だったら、こんなのはどうかな。

「ねぇねぇ、葵さん」

「ん? どうした昌也」

「あのね……」

 ちょいちょいと葵さんを手招きすると、中腰になってもらって耳元でごにょごにょと内緒話。とっさに浮かんだ考えを葵さんに相談する。

 いい考えだと思うんだけど、ルール的にはグレーというかブラックな気もしちゃうし。でも、できれば賛成してくれると嬉しいんだけど。

「まあ、いざとなったら私がいるし、大丈夫だろ」

「じゃあ……」

「あぁ、行ってきな」

 よっしゃ、葵さんからOKが出た。

「こんなに大きいんだ。私達だけじゃ、もったいないもんな」

「ありがとう! 葵さん!」

 フライングスーツをトートバッグに戻して葵さんに渡すと、俺はみなもちゃんの近くまで駆け寄って手をのばした。

「じゃあさ、行こう」

「行くって、どこに……?」

「空に!」

 言うが早いか、俺はみなもちゃんの手を取る。

「え? あの、ま、まさや…さん!?」

「絶対に離さないでね。『FLY』!」

 強く手を握ったまま、俺は『起動キー』を口にする。グラシュから発生した反重力子がメンブレンを形成し、二人の体を重力から解き放った。速すぎず、しかし遅すぎず。浮遊感と潮風を全身で感じながら、俺達は徐々に高度を上げてゆく。

 初めて空を飛んだ時、どんな気持ちだったっけ。ワクワクしていて、ドキドキしていて、グラシュを履いた瞬間から待ち遠しくて仕方なくて、そして期待を遥かに超えていった。

 初めて味わった浮遊感も、そして葵さんに導かれて飛んだ空も、忘れられない大事な思い出だ。ちょっと強引すぎたかもしれないけど、興味があるって知っちゃったからには、連れてこずにいれなかった。

 なぜなら、

 

 

 

──────────空はこんなにも大きいんだから──────。

 

 

 

 俺は視線を空から誰かを導く手に、そしてみなもちゃんへと移す。そして、やっぱりよかったと確信した。なぜならその目は、星を散りばめたみたいにキラキラと輝いていたんだから。

 真夏の風が運ぶ潮の香り、その向こうには四島列島を形成する島々の作る美しい景色が広がっている。遮るものはなにもない、蒼と白のキャンバスいっぱいに描かれたこの景色は、この場所(蒼い空)からしか見ることができない絶景だ。

「…………きれい」

 その一言が聞けただけでも連れてきた甲斐があったというもの。でも、空の楽しさは景色だけじゃない。

 もっと色んなものを見せてあげたい、風を感じてもらいたい。

 そのための翼だって、今の俺にはあるんだから。

「じゃあ、ちょっと飛ぶよ」

「うん!」

 俺の問いかけに、みなもちゃんは元気に答えてくれた。それに合わせて、俺も再び体を傾けて加速する。まるで風そのものになったかのように、コントレイルを引きながら俺達は縦横無尽に空を駆け抜ける。

 電話を終えて戻ってきた白瀬さんが葵さんと言い争いを始めるまで、俺はみなもちゃと空を飛び続けていた。


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