バレンタインデー。杏と桃の話。

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チョコレート/シンドローム

「お前たち! 練習ご苦労。差し入れだ」

「………………」

「わあい。河嶋先輩ありがとうございます」

「その、なんだ……。この前は世話になってしまったからな……」

 

 久々に訪れた戦車のハンガーでは、桃がチョコレートを配っていた。

 それを受け取って彼女たちも用意していたのであろうチョコレートを桃に渡していく。

 こんな光景を教室でも散々目にしていた。

 別に最近学校でチョコレートの交換が流行っているというわけではない。

 

 今日は特別な日。

 

 2月14日。

 

 バレンタインデーだからだ。

 

 和気藹々とはしゃぐ彼女たちを遠目で見つつ、今日も私は干し芋を頬張る。

 

「角谷先輩。どうしたんですか?」

 

 駆け寄ってきたのは西住みほ。

 それとセットであんこうチームの他4人。

 

「いんや別にい」

「……チョコ、食べますか?」

「食べる」

 

 別にチョコレートを誰からももらえないから拗ねていたわけじゃないのだけれど。

 もらえるものはもらっておく主義だ。

 増えたチョコレートを中身の透けない手提げのバッグに私は重ねていく。

 

●○●○●

 

 ハンガーを出て校舎に引き返したところ、廊下で柚子と擦れ違った。

 彼女も桃からチョコレートを受け取ったようで、丁度それを口に含んでいた。

 

「杏。はい、チョコレート」

 

 口の中にあるものを飲みこんでから、配り歩いていたであろうチョコを渡してくる柚子。

 彼女のチョコも手作りだった。

 マカロンにチョコを挟んだ可愛らしいやつで、売り物のように形が整っている。しかも透明な袋に綺麗にラッピングまでされていた。

 こいつは手先が器用だからなあ。

 私だったら手作りとか無理なので、お店で買って済ませるだろう。

 

「あんがと」

「お返しは?」

「私はもらう専門だからねえ」

「まあいいけどね……」

 

 呆れているようだったが、柚子ならきっと来年もくれるはずだ。

 

●○●○●

 

 船底の方なんて今まで来ることがなかったし、妙に入り組んでるせいで迷ってしまった。

 暗いしジメジメしてるし、道行く生徒がこっちを見てきて鬱陶しい……。

 適当に歩いてればなんとかなるかの気持ちで進んでいると、私はバーみたいな部屋にたどり着き、知っている顔を見つけた。

 サメチーム――船舶科の連中だ。

 彼女たちはハンガーで西住たちが食べていたものと同じチョコレートを食べていた。

 

「珍しい客だね」

「出口ってどっち?」

「せっかくここまで来たんだ。1杯くらい飲んでいきな」

「……1杯だけな」

 

 ショットグラスに注がれたのは、見るからに怪しい真っ赤な液体。

 匂いを嗅ぐだけで辛さを感じ、咳き込みそうになる。

 

「これ飲み物?」

「どん底名物、ノンアルコールラム酒ハバネロクラブ。お子ちゃまには早かったかな」

 

 引き下がるのはなんとなく癪だ。

 私は一息にそれを喉に流し込むと、グラスをバーカウンターに叩きつけた。

 

「ヒュウー! やるじゃないか。こいつはあたしたちからの餞別だ」

 

 安物のチョコレートが1つ増えた。

 

●○●○●

 

「辛っ……」

 

 自販機で買ったお茶で舌を冷やすが、痺れはなかなか治らない。

 船底から今度は甲板へ。

 出てきたときにはもう、すっかり空は暗くなっていた。

 冬の潮風が刺すように頬を撫でる。

 その割には人がいる。それもそのはずで、ライトアップされた甲板はどこを見渡してもカップルばかりだった。

 お熱い彼らにとっては丁度いい気温なのだろう。

 

「なにやってんだろ……」

 

 今日一日でだいぶ集まったチョコレートバックの底から、長方形の箱を取り出す。

 商店街で買った、ちょっと高いチョコレート。

 どうせ来年も渡せると自分に言い訳をして、その包装紙を手頭から雑に破く。

 想いを包んだ紙もこうしてしまえばただのゴミ。

 変わり果てた紙は風に煽られ、夜闇に消えた。

 

 ……でも食べ物に罪はない。

 このまま捨ててしまうのが勿体なくなって、私は箱の中身を1つ口に運んだ。

 ハバネロとは違う芳醇な辛さが口の中に広がる。アルコールの辛さだ。それが砂糖の甘さと混ざって、大人びた――切ない味がした。

 

「おーい」

 

 最悪のタイミング。

 振り返らなくてたってわかる。

 その声は桃のものだった。

 

「なにしてるんだ?」

「どこでなにやってようと私の勝手でしょ」

「そうだが……」

 

 彼女の前で、意味を失った残骸を広げる行為に怒りが滲んだ。

 消し去りたい一心で残りのチョコを咀嚼する。

 

「なあ、その……。1個くれないか?」

「………………」

 

 本当に、最悪だ……。

 

「お返しはあんの?」

「うえっ!?」

「まさか私の分だけないなんて言わないよな」

「あ、あるぞ! もちろんある……」

「それなら、ま、いっか」

 

 蓋を開けたままのケースを彼女に突きつける。

 チョコレートは最後の1粒。

 細い指先で摘ままれたそれは、彼女の名前と同じ色をした唇の中に消えていく。

 噛み砕いた音が聞こえてくるかのような錯覚。

 中に入ったウィスキーが彼女の喉を伝って身体の一部に溶けていく……。

 この程度のアルコールで酔いが回るなんてことはないはずなのに、頬が上気しているようで、私は顔を背けた。

 

「どう?」

「美味しい、です……」

「あそ。良かった。じゃ、3倍返しね」

「ま、待ってくれ」

 

 桃は手にしていた箱を開いて食べやすいように向けてくる。

 中身は配っていた物と同じ生チョコ。やや不格好な形は一目で手作りだとわかる。

 それが4×8の36個。

 戦車道のメンバーから桃を引いたのと同数ある。律儀なやつだ。まあ、先日の無限軌道杯のことを考えれば当然かもしれない。

 

「味は……、期待しないでほしい」

「食べさせて」

「え、いや、そのっ」

「手が汚れるでしょ。ほら」

 

 ココアパウダーが振りかけられているのを理由に、私は餌を強請る小鳥のように口を開いた。

 

「ん……。まあまあ」

「そうか」

 

 甘い。それしかわからなかった。

 

「もう1個」

 

 口に新たなチョコが放り込まれる。

 

「もっと」「ほら」「へいへい……」

「食べ過ぎじゃないか?」

「いいんだよ」

 

 次々に私はチョコを求めた。

 他の人に配る分を食べつくすつもりで。

 口がひりひりしてきても止めない。

 途中お茶を飲むという選択肢があったにも関わらず、私はそうはしなかった。

 

「……河嶋はさ。好きな人とかいんの?」

「いない! いないぞ!」

「ふうん」

 

 挙動不審な態度。

 でも、桃はこういう話苦手だっけか。

 じゃあいるとかいないとか、そういうのは関係なさそう。

 ちょっと安心したけど、不安の棘が胸に残る。

 

「角谷は、どうなんだ?」

「どうだろねえ」

「………………」

「………………」

 

 甲板の手摺りに体重を預けて身体ごと振り返り、私は桃の瞳を見上げる。

 ――桃も、私の瞳を見つめていた。

 

「ほい」

 

 私は瞼を閉じて、またチョコレートを催促する。

 

「ほら早く」

「………………」

 

 口を開けて待ってると馬鹿みたいに思えて、私は桃を急かした。

 

 

 

 やってきたのは人肌の温もり。

 

 

 

 手摺りの軋む音。

 

 

 

 柔らかい感触。

 

 

 

 背に手を回され抱き寄せられる。

 

 

 

 彼女の顔がすぐそこにあって……。

 

 

 

「ん……。あ…………」

 

 

 

 

 

 

 ファーストキスは、チョコレートの味がした。



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