雷ちゃんに慰められたいだけの人生だった。
タン、タン、と判子が小気味好く一定のリズムを刻むように紙面の上に落とされている。
部屋の主の物であろう立派な構えの机の横にはこれまた作りの良いデスクがあり、そちらはペラリ、はらりと書類の山を整理する紙の音を奏でていた。
此処は司令室。
提督の仕事場だ。
ふと、メトロノームのように鳴り続けていた音が止まる。
「……雷」
「何かしら? あっ、喉が渇いたの? 待ってて、今お茶を淹れるわね!」
立ち上がった小さな少女のような艦娘、雷が急須と湯飲みをお盆に乗せ提督の元へ。
耳を癒すお茶が注がれる音。立ち上る湯気と茶の芳しい香りが鼻腔を擽る。
「ありがとう……あちっ」
「あ、提督、ちゃんと冷まさないと危ないわ! 私がやってあげる! ふぅー、ふぅー」
提督の湯飲みを両手で包むように持った雷が飲み口に顔を近づけ、熱を冷ますように息を吹きかける。
ゆらゆらと上に上にと上っていた湯気がぐにゃりと形を変え、直ぐに空気に溶け込んでいった。
「これで大丈夫! ほら、提督、どうぞ!」
程よく冷ました湯飲みを差し出す満面の笑みを浮かべた雷。
その手に重ねるようにして湯飲みを受け取った提督はお茶に口をつける。
心地のよい熱だった。
喉を通ったお茶が胃へ流れ、そこからじんわりとお茶の熱と、雷の真心の温かさが身体へ染み渡るようだった。
それでもう、なんか色々とダメだった。
「……ぅ」
「う?」
「うわあああああん! 雷いいいいいっ!!!」
「きゃっ!? きゅ、急にどうしたの提督、擽ったいわ!」
「うおおおおん! 雷ぃ、雷ぃ!! うおおおおんおんおん!」
ふるふると小刻みに震えた提督は次の瞬間、側にいた雷を抱き寄せた。
両の目から溢れるのは涙。
大人の男が、みっともなく泣き喚いて見た目は小さな少女である雷に縋り付いている。
地獄のような絵面だった。
しかし、雷は聖母のような笑みを浮かべ涙を流す提督の頭に両手を回し、自分の胸元で優しく抱き竦めた。
「なんだか良く分からないけど、泣かないで提督。何か辛い事があったのね? 私を頼ってくれて嬉しいわ。ほら、よしよし」
慈愛が込められた言葉が提督の耳朶を打つ。
小さな手が慰めるように、励ますように提督の頭を撫でた。
提督の膝にお互いに向き合うように跨った雷から伝わる体温と、漂う雷の匂い。とくとく律動する心臓の鼓動。
ママみ溢れる雷の献身に激しい情動に襲われていた提督の心が波のように引いていく。
「落ち着いてきた? 何があったの、とは聞かないわ。泣いちゃうぐらい辛い事があったんだって分かるもの。だから、今はいーっぱい、私に甘えてね、提督」
声はなく、こくりと頷いた提督に雷は満足だと言うように微笑む。
提督の手を引いてソファーまで移動し、膝枕をして優しく頭を撫でていれば、次第に提督は寝息を立て始めた。
「こんなに泣いちゃって……雷がいないとダメね」
頰に描かれた涙の跡を指の腹で軽く拭う。
擽ったそうに身動ぎをした提督を見てくすくすとした笑みがこぼれ落ちた。
「本当は泣いちゃう前に、言って欲しいのよ? もっともーっと、雷を頼ってくれてもいいんだから」
なでり、なでり。
提督の前髪を撫で続ける雷はまるで母親のよう。
「でも、今はゆっくり休んで……元気になってね、提督」
静かな息遣いに満たされる司令室。
二人だけの優しい世界がそこにはあった。
☆☆☆
「で、今度の理由はなんなのです?」
「ああ、どうやら幼馴染の結婚報告を聞いたみたいだね」
「けっ、ケッコンッ!?」
「暁ちゃんが赤くなって固まったのです」
「いつもの事だね」
僅かに空いた扉。
その隙間から覗く三対の視線に雷が気がつくのはもう少し先のお話。
六駆が可愛すぎて辛い。