「ボス、ポルポが亡くなりましたよ」

ドッピオの報告に衝撃を受けたディアボロは何故か、と問う。
何故ポルポの死に衝撃を覚えたのか。ディアボロはポルポを憎んでいたのに。
ディアボロはポルポについて回想する――

ディアボロとポルポの出会いから始まる『組織』の回顧録。
アクション、戦闘要素はほぼありませんのでご容赦を。

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※本作は『ジョジョの奇妙な冒険』第五部『黄金の風』の二次創作です。
 基本的には原作の描写に準拠するように書くように心がけましたが、
 スタンド能力に関して、一部独自解釈が含まれます。その点にご納得
 いただける方のみ、お読みください。


『水底に眠れ』

  きゃつの失った総てが、高潔なマクベスのものになるのだ。

 

              シェイクスピア『マクベス』

                     「第二場 ダンカンの陣営」より抜粋

                     

                     

                     

 

 

【1】

「ボス、ポルポが亡くなりましたよ」

 

 その言葉は振り下ろされた拳でなく、突き立つ刃として伝わった。

 針のように細い刃は心臓を貫いた。

 冷たい刃が心臓に滑り込んだ瞬間、脚は強張り、不細工に接いだ丸木のように、ただを身体を支えるだけの柱になってしまった。

 突き立てられた氷の刃は砕けて心臓の中に散らばり、血に乗って全身に運ばれた。

 冷え切った血が身体を巡り、全身が総毛立った。冷たい水に晒されたときのように、手指、足指の先まで凍えて、痺れた。

 心臓は氷の塊に変わった。血を送り出してくれず、呼吸すらも途絶えた――――

 

 だが、すべての感覚は一瞬のことに過ぎなかった。

 全身を襲った冷たい衝撃が走り去ると、脚は脚に、血は血に、心臓は心臓に戻った。

 ただ、胸に冷たい刃の名残のような冷感が居座っていた。

 それでも言葉を頭が理解すれば……帝王としての台詞が唇から紡がれた。 

 

『誰かに始末されたのか?』

「いえ、そうではないようです。『自殺』です。『拳銃自殺』…………ポルポは看守に言い含めて拳銃を独房の中に持ち込んでいました。その銃口を咥えこんで、自分の頭を吹き飛ばしました。遺書は残っていませんでした。発作的な自殺だったのかもしれません」

『ポルポには自殺する理由があったのか?』

「……正直なところ、解りません。ポルポは仕事を滞りなく回していましたから…………上納金が遅れるだとか、縄張りで抑えきれないトラブルを抱えていたということはありませんでした。前日まで新入りの審査をしていました。その審査も問題なく終わったという報告が来ていました。刑務所内での健康診断も問題はなかったみたいだし、女の看守にフラれただとかそういう話もありませんでした……もう少し詳しく調査させますか?」

『いや……ドッピオ。いまは情報チームの手を割かせるべきではない……ただでさえ行方をくらませた暗殺チームの追跡に手間取っているのだからな……『ポルポは自殺した』。表向きはそれで済ませるがいい。調査は問題が解決してからだ――――』

「了解しました――ボス、最後にひとつだけ確認したいことがあります」

『なんだ?』

「ポルポの『遺言』です。…………あいつが言っていた話……冗談だと思いますか?」

「………………」

 

 ドッピオの問いに、しばし黙った。

 あれを『遺言』をとるべきか。ちょっとした冗談――そう捉えることも出来る話だ。

 だが、ポルポははっきりとこう言っていた。

 

〈ドッピオ……君からボスに伝えておいてくれ。仮にわたしが死んだのなら――〉

 

 ボスに伝えろ。曲がりなりにもドッピオはボス直属の親衛隊の一人……ということになっている。ポルポはうかつな言葉を使う男ではなかった。むしろ、部下のうかつな言葉や行動を厳しく制する人間だった。

 ドッピオを介して、その言葉を確かに聞いた――ならば、相応に受け止めねばならない。

 

『…………』

「…………ボス。どうかしましたか?」

『ドッピオ、『遺言』に従え。葬儀の準備は、すべておまえにまかせる』

 

「了解しました」

 ふつりと『通話』の感覚が途切れ、ディアボロの意識は粘液質の闇に漂った。

 闇に浸りながら、ディアボロはいまさっきの感覚を思い返していた。

 

(ドッピオの言葉を聞いたとき、私が感じたのは―――『恐怖』だ。この、わたしが恐怖する……帝王たるディアボロが……恐怖するだと……?)

 

 ポルポが死んだことに恐怖するなんて、ありえないことだった。

 

 何故ならディアボロは、ポルポを憎んでいたからだ。

 

 

 

【2】

 ポルポはディアボロが選んだ部下ではない。

 選んだのは矢だ。ディアボロ自身を射抜かれた時のように、矢がポルポをほしがった。

 

 その日の深夜、ディアボロはドッピオを街を徘徊させていた。

『組織』の縄張りがちゃんと管理されているか、定期的に監視しなくてはならない。そんな時は、ディアボロはドッピオに確認させていた。

 小型の旅行鞄を片手、もう片手に持った炭酸の缶ジュースを啜りながら、まるで初めて来たように、夜の歓楽街を歩いていた。周囲をきょろきょろと見渡し、誰かに視線を振り向けられればぎこちない笑みを浮かべ、時折何も考えていない体で口を開けてぼーっと突っ立っていた。

 気弱な若者の仮面というのは、ディアボロにはひどく便利だった。

 この世には存在しない人間、というのがいる。

 それは街のベンチに腰掛けて日向ぼっこをしている老人だ。それはファーストフードのチェーン店の店員だ。それはスーパーのレジで並んでいる主婦だ。

 人間ではなく風景の一部。誰も気にも留めないし、記憶にも残らない。

 凡庸で気弱な若者のことも、誰も気にしない。

 人間が真実の顔を覗かせるのは、そんな人間の前でだ。虫けらの前では女が恥じ入ることなく服を脱ぐように。

 ドッピオの眼を介して確認を済ませると、ディアボロは『通話』を行った。

 

「とぉるるるるる…………」

 

 周囲を見渡したドッピオは、公衆電話に走り、受話器を取った。

 

「ボス、お待たせしました」

『わたしのドッピオ……見回りは終わったか……?」

「はい、問題ありません。この区画は大丈夫だと――」

 

 ドッピオが報告するのを、ディアボロは聞いていた――時だった。

 ずる、ずる、ずる……という音。

 不意の物音に、ディアボロはドッピオの眼を借りて、周囲を伺った。

 周囲には誰もいない――聞こえたのは足元からだ。

 

『ドッピオ……わたしのドッピオよ……」

「なんでしょうか、ボス」

『足元を見るのだ……」

「…………これは――――」

 

 ドッピオに持たせていた鞄が動いている。

 舗装された地面の上を擦る音を立てながら、少しずつ這いずっていく。

 

『ドッピオよ……周囲を見ろ。警戒するのだ――」

「はッ、はい……」

 

 ドッピオが周囲を確認するが、近くに人間はいない。

 這いずる鞄はゆっくりとだが進んでいき、路地裏の中に入った。

 

『ドッピオ……鞄を追跡するのだ』

「了解ですボス」

 

 ドッピオは受話器を公衆電話から引きちぎると、路地裏に飛び込んだ。

 

「幸運でしたよ、ボス。偶然ですが公衆電話がコードレスホンでした」

『…………』

 

 ドッピオの肩越しに覗き込むように、ディアボロは路地裏を覗きこんだ。

 高い建物に挟まられた路地裏は細く狭かった。仰ぎ見える夜空はナイフで刻んだ黒い傷跡だった。

 鞄の動きは這う速さから、次第に加速していった。

 スタンドのヴィジョンは見えない。動かす力は強くはないようだが――

 

「ボス、失礼ですが……わたしの見解を聞いてもらえますか?」

『どうした、ドッピオ……』

「あの鞄にはあの『矢』が入っているのを思い出しました」

『…………それがどうした』

 

『矢』はかつてディアボロが発掘したものだ。傷つけられた人間は生き残ることが出来ればスタンド使いとなる――自らの身体でそれを実証したのがディアボロだ。

 厳重に保管しておくことも、破壊することも出来たが――ディアボロは手元に残すことを選んだ。目につくところに置いておきたかったし、破壊すれば二度と手に入らないからだ。しかし、まさか――

 

「ボスが以前言っていたことです――『矢』が勝手に動いて自分を刺した、と」

 確かに、その記憶はがある。その時は矢尻だけだったが――『矢』は自ら動いて、ディアボロの手を傷つけた。そんな記憶がある。

『…………矢で傷ついた後は高熱が出た……だから記憶があやふやだったが、まさかあれは現実だったのか? あの矢にはスタンド使いの素質がある人間を求める性質があるというが……そうなのか……?』

「可能性はあります。もし、新手のスタンド使いの攻撃だったとしたら……下手過ぎます。ヴィジョンも見えないし、鞄を引きずって誘い込むなんて見え見えだ。まだかっぱらいに鞄を盗らせて、追いかけさせたスキを狙うほうが可能性がある。それにわたしがボスの直属の部下っていうのを知っている人間は敵の組織にも居ないはずですしね――」

 

 鞄はさらに加速しようとしているが、その動きはいかにももどかしい。

 時折倒れこみながら、ズルズルと引きずられるように動いている。

 ドッピオの眼差しが尖り、唇が引き締められた。

 

「ボス、この後がどうなるか判りません。念のために『キング・クリムゾン』の腕と――『エピタフ』の使用許可をッ」

『……いいだろう……』

「ありがとうございますッ」

 

 許可を得たドッピオは即座に『キング・クリムゾン』の腕を発現した。

 稲妻のように振り下ろし、鞄の留め具を一撃で破壊する――大きく開いた鞄から『矢』が飛び出した。鞄を引きずる必要がなくなり、矢だけになって地面を滑るように移動し、だんだんと加速していっている。

 ドッピオもまた加速した。石畳を踵が叩く音を響かせて、走る。

 しかし、路地の奥には誰かいる気配がない。鼻先に腐敗臭が漂ってくるが、バケツがあるところから、おそらくゴミだろう。

 

「誰か隠れているのか。それとも眠ってんのか――どっちにしろ、この先にッ」

 

 走って流れる前髪がドッピオの顔の前をよぎり――『エピタフ』が発動。数秒先の未来が映し出された。

 

〈地面を滑るように走る矢は加速度をつけて地面から飛翔して細い路地を突っ切り一条の光となって飛び積み重ねられたゴミの山に突き立ち――〉

 

 ドッピオは予想が外れたことに驚愕した。

 

「…………ゴミの山ァァ~~~ッ? そんなバカな……ネズミでも狙ってんのか! まさか矢を奪おうとする何者かが居たのか? くそ! どういうことだッ」

『ドッピオ……わたしのドッピオ、冷静に観察するのだ』

「りょ、了解です……」

 

 ドッピオとディアボロは先にあるゴミの山を注視した。

 狭い空から射し込むわずかな光を頼りに、眼を凝らす。

 ゴミ山は紙屑や袋が積み重ねって出来ていた。ハンバーガーの包み紙、ピザの入っていた紙のトレイ、チキンの入っていた容器――どれも近くのファーストフード店のそれのようだ。ダストボックスから溢れたのか、それともぶちまけられたのか、人の身の丈ほどの高さにまで積み上げられている。

 

「クソッ! 学生どもが集まってパーティーでもやったのかァァ~~~ッ。それともゴミの業者にカネを払うのを渋ったのかッ! ちゃんと片付けとけよッ!」

 

 路地の地面を走る矢は加速度を増し、今にも飛び出しそうだ。

 あと数秒でゴミ山に向けて突っ込むだろう。

 

「ボス! 今なら矢を回収できるぜッ!」

『落ち着け……落ち着くのだ、ドッピオよ。『エピタフ』の『予知』は絶対。ゴミ山に突き刺さる未来は変わらない……それより、よく観察しろと言ったはずだ」

「ですが、あれはただのゴミ山――」

『違う。よく見るのだ、ドッピオよ……』

 

 その時……ゴミの山が震えた。

 まるで山津波のようにガサガサと丸められた紙屑が落ち、にゅうと腕が伸びた。

 

「ボス、わたしの見間違えでした――あれはゴミの山なんかじゃあない」

『そうだ……ゴミではない。それに埋もれている人間がいるのだ……」

 

 それは巨漢だった。2メートルを超しているかもしれない。だが、それ以上に目を引くのはその太った身体だった。分厚いゴムで出来た風船に目いっぱい粘質の液体を注ぎ込んだような輪郭の男が、路地裏に寝ている。

 

「それなら僕の予想は間違ってなかった。『矢』はやはり最初からあの男を――」

 

 その時だった。

 地面を滑るように走る矢は加速度をつけて地面から飛翔して細い路地を突っ切り一条の光となって飛び積み重ねられたゴミの山に隠れていた男に突き立ち――

 

 

「ぶフぅあああアアアアアアアア――――――ッ」

 

 

 異様な声は歓楽街の通りまで響いた。

 それが産声だと知るものは、まだ誰もいなかった。

 

 

 

【3】

「いやあ、ありがとう……ありがとう」

 男は丸まっちい手が両手でしっかりとポットを支え、カップにコーヒーを注いでいく。

「わざわざ出向いてくれてありがとう、…………ボスはご健勝かね、ドッピオ君……」

「ええ、ボスは元気です。むしろ心配されているのはあなただ。……体調は?」

「ぶふッ、ぶふふッ。……ああ、大丈夫だ。あの頃はやせっぽちだったからねえ」

 

 みっちりと肉で膨れた顔は一種の仮面だった。

 今の嫌味めいた言葉が伝わらぬ男ではないだろう。だが、筋肉の動きが皮膚の表面に現れず、微妙な表情を掻き消している。

 ポットをゆったりとした動きでテーブルに置かれた。カップを載せたソーサーを両手で捧げ持つと、ドッピオに差し出してくる。

 ドッピオはカップを受け取ると、どろりとした黒い液体を眺めた。

 

「いい豆が入ったんだ。君のお気に召すかな……?」

 

 男は微笑んでいた。たとえ膨れ上がった顔でも、不思議と笑みだけは判る。

 この男の名はポルポ。

 かつて矢に射抜かれたホームレスは、今や『組織』の幹部となっていた。

 

 矢に貫かれたポルポは高熱を発して気絶した。ディアボロはドッピオに命じ、組織に伝手のある病院へと急いで運ばせた。

 高熱は数日で引いた。経過は良好。しきりに誰がここまで運ばせたかを尋ねるので、ある組織のボスが偶然に倒れているのを見かけて、運ばせたのだ、と伝えた。

 ディアボロの目下の関心は『矢』のことだった。ポルポを射抜いたあと、矢はどこに行ったか判らなくなっていた。ポルポの身体検査を行ったが、矢はどこにもなかった。尋ねても矢については一切記憶がないようだった。

 ポルポに関する調査もさせたが――彼についても一切判らなかった。

 

「調査をさせましたが、最近現れたホームレス……というところしかわかりませんでした。あのあたり気づくと居ついていた、とのことでした。毎日ファーストフードの店で大量に買い込んではそれを一日かけて食べるということだけを繰り返していたようです。カネだけはあるようですが……」

『……ドッピオよ……なぜ、来歴がわからない……?』

「歯を治療した跡がないので、その記録で追うことは無理でした。警察に指紋の記録もありません。写真でも探してみましたが……それでもやはり無理でした。あの男の顔を知る者は誰もいないんです。おそらくは太ったせいで顔の形や体型が変わったからだと思いますが――」

 

 ドッピオは吐き捨てるように言った。

 

「あの男はいったいどこから来たんだ」

『…………』

 

 ディアボロは、ドッピオに病院に行かせることにした。

 ポルポは二人分の寝台をくっつけて寝かされており、それでもはみ出した足がちんまりとベッドの縁から飛び出ていた。

 ドッピオがボスの代行としてやってきた――と名乗ると、ポルポは跳ね起きた。その反動でベッドのフレームが軋み、マットレスのスプリングが嫌な音を立てた。

 ベッドから降りるとドッピオの手を取り、涙を流した。

 

「あなたのボスには感謝の気持ちしかありません。本当にありがとうございます」

 

 ポルポの丸く大きな手がドッピオの手を包んだ。

 傷やシワがないから労働者の手ではない――と気づいたのは、ふっくらと温かい感触に包れて数秒経ってからだった。

 ポルポはその間も涙を泣きながら話した。

 

「わたしは素晴らしいものを手に入れたのです……素晴らしく美しい力を……あなたのボスには感謝の気持ちしかない。どうか忠誠を誓わせてください。そして、どうか、わたしの力を見ていただきたいのです――」

 

 そういうと、ポルポはドッピオの手を引こうとした。

 

「悪いけどポルポさん……僕はガキじゃあないんだ」

「おお、失礼を……どうかこちらへ」

 

 ポルポが案内したのは病院の休憩スペースだった。

 この病棟には軽い病状の者しかいないのだろう。みなぼんやりと座って、昼下がりの気だるい時間をやり過ごしていた。ポルポが入ってきても、ちらりと一瞥するだけだった。――ただ一人を除いては。

 

「おー、ポルポじゃねえか。どうだい、またやるかい?」

 

 声をかけてきたのは若い男だった。

 男の顔に青黒いアザがあり、右の耳にガーゼで覆っていた。ニッと笑った口から覗けた歯は不揃いで、ヤニに染まって黄色っぽくなっていた。いかにもなチンピラだ。喧嘩で怪我をして入院をした、というところだろう。

 男の手にはカードがあった。随分と使い込まれて、カードの縁がギザギザになり、手あかが染みて黒っぽくなっていた。

 

「ええ、いいですとも」ポルポは言った。

「ヒヒヒ…………そっちのガキは?」

「わたしの見舞客です。さあ、それよりも始めましょう」

 

 二人は丸いテーブルで差し向いになった。若い男はポルポが掛けた椅子が大きく軋む音を立てると、心配げに覗きこんでいた。しかし、気にせずカードのシャッフルを始めた。

 

「あんたも物好きだな。また勝たせてもらうぜェ――ッ」

 

 ポルポはただ微笑んで、シャッフルされるカードを眺めていた。

 カードは四つの山に分けられた。それを重ねると軽くシャッフルする。

 

「カットしなよ。幸運を祈るんだな」

 

 男が一束になったカードを手渡すと、ポルポは差し伸べた両手で受け取った。

 軽くシャッフルしてから、三つの山に分ける。そして重ねながら何気なく呟いた。

 

「この間のようにイカサマはしないでもらいたいですね」

 

 男の表情が一瞬強張った。すぐに陽気な笑みが掻き消した。

 

「冗談言うなよ……あの時はバカヅキだったのさ」

「ぶフフゥ……そうですか。そうでしょうね。確かにあなたは三回続けて勝った。それまでずっと負け通しだったのに……」

「幸運の女神は気まぐれというじゃねーか。それともやめるかい?」

「いや――」

 

 ポルポは懐に手をやると、財布を無造作に放り出した。

 財布は分厚く、詰まった紙幣でピンと張って弾けそうなほどだ。

 

「…………」

 

 若い男は喉を鳴らし、舌なめずりをした。

 ポルポはトントン、とテーブルを叩く。

 

「チップを」

「……あ、ああ。チップのレートは前と同じでいいな?」

 

 男は財布から眼を離さず、ポケットからプラスチックのチップを取り出した。

 ポルポはカットしたカードを、男に手渡そうとし――呟いた。

 

「わたしはね、ゲームで負けたりだとかは気にしない。イカサマをするのも結構だ」

「………………何の話だ? イチャモンつけようってのか? え?」

「単純な話をしているんだ。バレなきゃイカサマじゃあない。……だが、もし、……もしもの話だよ。わたしが気づいているのにイカサマを仕掛けてくる、というのは――わたしを侮辱している行為だ。そう思わないかね?」

「………………へへッ、どうしたんだよ……あんた」

「簡単なことだ。このゲームではイカサマをしない。そう誓ってもらえないか――」

 

 ポルポはそっとカードを差し出した。男はそれを受け取り、うなずいた。

 

「構わねェよォォ~ッ。なんなら神様に誓ってやったっていいぜ」

「……君が君自身に誓ってくれるなら十分。さあ、始めましょうか」

 

 ドッピオはそれから、二人のゲーム――ポーカーを観戦した。

 ワンペア、ツーペア、スリーカード――二人とも勝負師というわけではない。凡庸なゲームが繰り返された。

 しかし、ポーカーというのは引き際を見抜くゲームだ。確実な勝ちを取り、負ける確率が高ければ引く。そういった積み重ねが、互いのチップの高低の差となる。

 ポルポのチップは高く積まれ、男のチップは少しずつ低くなっていた。

 男の口数は減っていた。カードを扱う手並みが雑になり、舌打ちは増えた。

 対するポルポは平静で、時おりドッピオに振り返ると笑みを浮かべた。

 

「退屈かな?」

「いいえ……――すみません。訂正します。見ている分には面白いとは言えないな」

「ブフゥッ! 正直だね……しかし、もう少しだ」

 

 大きく首を振り向け、ポルポは男の方を見ようともしなかった。

 その勝ちを誇るような仕草はあからさまだった――だから、ドッピオもすぐに察した。

 男がカードを配った。ドッピオは背後からポルポの手札を覗きこんだ。

 Qのスリーカード。二枚交換すると――四人の女王が並んだ。

 ポルポが微笑みを浮かべてドッピオを振り返った。

 

「見たまえ、これを。勝ったようなものだ……」

 

 完全に後ろを振り返り、自分の手札を見せつける――ドッピオは手札を見ている振りをした。男はこちらを見ていないと踏んで、手札を素早く入れ替えた。

 

「おいおい、そんなに強い役なのかよ」

「ああ、これなら負けっこないね」

「奇遇だなァ~~ッ、オレもだよ」

 

 男は言いながら、重ねていたチップをすべて押し出した。

 

「オールインだ。どうだ。これで一発勝負といかねえか?」

「…………よほど自信があるようだね?」

 

 ポルポは勝負に応じた。笑ってチップをすべて賭けると、男は吐息を漏らした。

 

「フォーカード」

 

 ポルポがカードを開くと、男は満面の笑みで応じた。

 

「ストレートフラッシュだ……俺の勝ちだなァ~ッ」

 

 男は身を乗り出すと、テーブルのチップを両手で抱え込んだ。

 

「ヒヒヒッ! 悪ィ~なァァ~~~ッ」

「………………」

 

 ポルポは動じなかった。ただ、開かれたカードを眺めて、困ったように首を打ち振った。

 不意に――バラバラと、カードがテーブルから落ちた。風に吹かれたように。

 ドッピオは反射的に窓を探した。窓はあった――しかし、完全に閉ざされている。

 一枚残らずカードは落ちたが――男はそれに眼もくれない。抱え込んだチップを数えるのに対するポルポはじっと床に落ちたカードを眺めていた。自然とドッピオの眼は休憩室の床に向けられた。

 カードは不規則な形で落ちた……と見えた。

 しかし、よくよく眺めると、奇妙なことに気づいた。

 落ちたカードはハートとダイヤのスートが一枚も表になっていない。

 表になっているのはクローバーとスペードだけ。黒のスートのカードだけが表になっている。そして、カードの裏面は黒だ。黒と白のモザイクは、何かの形を思わせた。

 扁平な形に広がったカード……ドッピオが一歩引いたとき、ハッキリと見えた。

 落ちているカードの形は不規則ではなかった。人の身の丈ほどに広がったカードは、そのまま人型を象っている。

 黒いローブをまとった人型のモザイク画。顔は舞踏会の仮面のようだった。

 

「…………なに?」

 

 声を上げたドッピオに、ポルポは指を立てて制止した。

 重なったカードはテーブルの下に一部が潜り込んでいた。

 その重なっていたカードから、何かが這い出た。

 黒く薄べったいは、流れる油のようにテーブルの下の滑り込み、影の中に沈んだ。

 

「………………」

 

 ドッピオは口を抑えて、成り行きを伺った。

 何も知らない男は抱え込んだチップを数えて、ポルポに見せた。

 

「ヘイヘイ、やっぱりよォ――ッ、オレってばツイてるゥ~~~ッ。どうする、もう一戦やるかァァ~~~~ッ…………   あッ がッ」

 

 大口を開けて、汚い歯並びを見せたまま……男が止まった。

 

「……な、なんだ。動けねえ……クソ、病気かな。い、医者呼んでくれよ」

 

 だが、ドッピオとポルポには見えていた。

 男の足元。テーブルの下の影に……それは居た。

 黒いローブと仮面の人型。折り重ねられたカードが象った人型が……そこに形ある像を結んでいた。その像は手を伸ばし、何かを掴んでいる。

 男がもう一人いた。今、テーブルに掛けている男と瓜二つ――いや、アザの形から耳に貼られたガーゼを留めるテープの剥がれかかっているところまで同じだった。

 よく見れば向こう側が透けて見える。スタンドと同じ――エネルギーの形だ。

 

(……これは、魂なのか? この男の……?)

 

 ローブの人型は魂の首を掴み、締め上げている。そして男の魂に向けて囁いた。

 

〈イカサマをしたな! 貴様には『向かうべき二つの道』がある――ひとつは、生きて『選ばれる者』への道。もうひとつは……さもなくば『死への道』……約束を違えたのだ。貴様の魂に懸けて! 受けてもらうぞッ!〉

 仮面の口が、開く。その中には鋭い切っ先が光っていた――

 

「アレは……ボスから預かっていた『矢』……ッ」

 

 口から突き出された矢が男の魂に突き立てられる。男の魂は大きくのけぞったが――ピンと身体を張って、そのまま動かなくなった。

 

〈この魂……『選ばれるべき者』ではなかった〉

 

 黒衣の人型が魂を放り捨てた。捨てた魂は死んだ男に重なり、同時にテーブルに掛けた男も感電したようにのけぞると、ガックリと首を垂らした。

 ドッピオは何も言えなかった。今まで観たことがないスタンドだ。

 

「観ただろう……わたしの力を――」

 

 気づくと、ポルポはドッピオの手を取っていた。

 

「…………力の使い道は、彼が……『ブラック・サバス』が教えてくれた。矢はわたしを選び……そして、この力は『更なる者』を待ち望んでいる――」

 

 ポルポは再び、ドッピオの手を取ると、手の甲に額を押し付けた。

 

「わたしはこれを運命と受け取りました。どうか、君のボスに……この力で仕えさせてください」

 

 ディアボロの許可を得て、ポルポは『組織』に入ることになった。

 最初の仕事は『取り立て人』。

 カジノのディーラーとして、不正を行った者や多額の借金を重ねながら返さない者に『ブラック・サバス』を差し向けて、始末した。それだけでなく、カジノの経営にも才覚を見せたポルポは、ディアボロに重用される幹部となっていった。

 

 

 

【4】

「忌憚なく言わせてもらえば――」

 

 斜視の老人は低い声で言った。

 

「ポルポはやりすぎだ。よくやっているのは認める。だが……際限がない。ボスはどう思っているのか……ドッピオ。君は聞いたことはないかね?」

「いいえ。ボスはポルポについて何も言いませんね」

 

 やれやれと斜視の老人は首を振った。老人の名はペリーコロ……『組織』の重鎮だ。

どこにでもいる好々爺という風体で、どんな格好をしていても相応に見える。今のスーツ姿は紳士らしい威厳を示しているが、掃除夫の格好でもしていれば、馴染めそうだった。しかし、斜視の眼は時おり、ギャングらしい剣呑さで輝く。

 刃を孕んだ眼は中空を睨んでいたが、その切っ先が誰に向けられているのか、ドッピオは察していた。

 

「『組織』は変わった……わたしには彼らが理解できない」

「…………僕のことも理解できませんか?」

 

 ドッピオが言った。ペリーコロは首を振った。

 

「君はいい若者だ。臆病ではあるが……何か眼の奥にキラリと光るものがある。『切り札を持っているぞ』……そんな感じだ。それがスタンドだ、というのなら、解る気がする。だが、他のスタンド使いは別だ……彼らは――彼らは、わたしには悪魔のように思える」

 

 ペリーコロは溜息をついた。その姿は年相応の老人らしいしぐさだった。

 

 

『組織』を立ち上げた当初、ディアボロは部下を集めるのに苦労していた。

 表の社会であろうが、裏社会であろうが、組織と名の付くものが最も必要とするのは人材だ。新興の組織ならば、尚のこと。人材が重要になってくる。

 組織の長として考えるなら、必要な人材は二種類だ。優秀な部下と忠実な部下だ。

 優秀な部下は、その能力を用いて組織を発展させる。

 忠実な部下は、命令に従うことで組織を支える柱となる。

 だが、それをどう集めるのか、というのかが大きな問題だった。

 幹部の一人であるペリーコロはよくやってくれていた。

 ディアボロに心服し、忠実に働いてくれている。だが、組織の部下が付き従うのはペリーコロ自身の人徳に負うところが大きかった。ペリーコロが従うからその下にある自分たちも――そんな部下たちでしかなかった。

 ペリーコロはディアボロの最も忠実な部下だ。彼が裏切ることはあり得ない。しかし、高齢でもある。自分より早く亡くなる男に頼り続けることは安全ではない。そうでなくとも、不慮の事故や病気で亡くなれば、組織はすぐに瓦解してしまう。

 腹心の部下が必要だった――だが、それは大きなジレンマだった。

 ディアボロは何者も信用していないし、信用することが出来ない。帝王である自分の無敵さは、誰にも正体を明かさないところに負うところが大きい。

 ドッピオを使うことで、自分の正体を隠しながら動き、いざという時は『キング・クリムゾン』の無敵の能力で障害物を排除する。

 だが、それは帝王の生き方ではない。

 真の帝王とは、自分自身は一切のリスクを負わず、何もかもが食卓に並べられた料理のように用意され、指先一つを動かすだけですべてを思いのままに、周囲が運んでくれる人間のことだ。

 しかし、誰が自分のことを何一つ明かさない人間を信頼するのか?

 正体を秘めることは、神秘性とカリスマを高める。ペリーコロはそれ故にディアボロに仕えてくれている。だが、それだけでは足りない――――

 ディアボロは自分を理解していた。自分は永遠に腹心の部下を持つことはできない。

 それを可能にするにはどうすればいいのか。ディアボロの思考は袋小路に突き当たっていた――――今までは。

 その解決方法を考えたのは、ポルポだった。

 

「簡単なことです。わたしが試験官をしましょう。わたしのスタンド……『ブラック・サバス』で」

 

『ブラック・サバス』は道具を介して制約を課し、制約が破られたとき『矢』で攻撃をする。この制約それ自体を試験にしてしまえばいい、というのがポルポの発案だった。

 志願者には不条理なまでに厳しい試験を課す。一種の通過儀礼だ。理不尽な試験を達成出来る人間は、それを超えてきた経験から忠実な部下になる。

 達成出来なければ死ぬので秘密が漏れることもない。そして、スタンドに目覚めたのならば――それは他の組織にはいない、得難い才能を持つ人材……優秀な部下となる。

 ディアボロは悩んだ。魅力的な提案だった――理不尽な任務に耐えられる愚直なまでに忠実な部下と、優秀なスタンド使いの部下を選別して引き入れられる。

 スタンド使いが忠実とは限らない……というリスクはある。だが、他の組織にはない、『組織』独自の強みを持つことが出来る。

 何よりディアボロは自分の正体を隠し続けている。反逆を企てる者がいたとしても、この秘密がある限りは、自分を打倒することは容易ではない。

 リスクを鑑みても、十分な利益があると判断したディアボロは、ポルポに『試験官』を行うことを許した。

 ポルポの開いた門扉は広かった。誰であろうと、試験を受けることを許した。

 脱落者も多かった。しかし、理不尽な試験を超えた者は目論見通りに高い忠誠心を示した。そして、スタンド使いの部下は――想定以上の働きを行った。

 真正面から打ち込まれた弾丸を弾き飛ばし、どんな相手も一方的に叩き伏せる近距離パワー型に敵う戦闘力の持ち主はいなかった。遠距離操作型はどんな場所にも入り込み、情報を探し出し、暗殺を行うことが出来た。

 そして、多種多様な能力を使えること。これに勝る武器はなかった。

 当初は部下にしたスタンド使いを抑えきれないこともあった。仕方なく、ディアボロ自身が動いて始末することもあったが、ポルポはすぐに優秀なスタンド使いを選別し、ボスの親衛隊として推薦した。

 ポルポの人選は的確だった。選抜された親衛隊に命じて、スタンド使いの反乱者は始末していった。

 

 

 ポルポはドッピオを介して、さらに提案をしてきた。

 

「わたしにスタンド使いの人事を任せてもらえるように、ボスに言ってもらえるかな? スタンド能力というものはさまざまだ。ボスのような王の能力もあれば、兵士や狩人、密偵の

 

能力もある。チームによって必要な能力もさまざま――わたしなら、適材に適所を選べる」

 その頃のディアボロはポルポを信頼していた。提案を受け入れ、スタンド使いの配置はポルポの仕事となった。これにより、ポルポは古株のペリーコロとほとんど同格の権利を得ることになった。

 思えばこれが『組織』の本当の始まりだった。

『組織』は一気にイタリア国内で勢力を拡大していき……麻薬の権利を得たとき、他の組織を遥かに勝る権勢を得るに至った。

 

 

 ペリーコロは持ってきた新聞をテーブルの上に開いて、記事を示した。

 

「ボスはもうご存じだろうが……見たまえこれを」

 

【 ネアポリスの司祭、自殺―― 】

 

 記事はごく短かった。ネアポリスの教区の司祭が首を吊って亡くなった。検視の結果、自殺と判明したが遺書などは残されていない。警察は自殺の理由を調査している――

 ペリーコロは首を振った。

 

「わたしが記者を抑えた。ここには書かれていないことがある」

「ネアポリス……ポルポと関わりが?」

「その通りだ。ポルポがカジノの管理しているのは君も知っているだろう。そのカジノと一緒に営業している娼館に、ポルポは好んで教会関係者を引き込んでいる――」

 

 司祭は原則として妻帯が許されない。生涯を主に捧げることを誓っているからだ――建前の上では。欲求を満たすために娼婦を買うこともあるが、もちろんこれは聖職者として許されない行為だ。そのために、地元のギャングが仲介をしてやり、秘かに女を運んでやる。代償としてもちろん便宜を図ってもらうのだが――

 

「ポルポはカジノを経営している。結局賭博は神の教えに逆らう行為、悪徳だからな……教会から批判されてはかなわん。そう考えているのだと思っていた」

 

 ペリーコロは苦々しい表情だった。

 

「だが、あの歓待は異常だ。麻薬こそは提供しないが……それ以外は全部くれてやった。女も飛びきりのをよこした。あの教区の連中は残らず骨抜きになった」

「……この司祭もですか?」

「いや、この司祭は例外だったようだ……だから、首を吊った」

 

 この司祭はカジノに対する批判をし続けていた。ポルポが懐柔しようにも糸口はなかった。だから……他の教会関係者の力を借りた。会合だということで集まった際に一服盛り、意識を朦朧とさせたまま娼婦のいる部屋に放り込んだのだという。

 

 ペリーコロはポルポの口調を真似て、こう言った。

 

「〈司祭はひどい荒れ狂いようでしたよ。鬱屈してたんでしょう。娼婦たちは……ひどく噛みつかれましてね。歯形が消えるまで仕事はさせられませんでしたよ〉――あの男はひどく自慢げだった。司祭は誇りある人間だった……だから、自ら命を絶った」

「………………」

「しかし、ポルポは気にもしていない。同情すらしていない。事件に関係した教会の人間はさらにポルポに依存するようになった。罪の意識をごまかすためだ」

 ペリーコロは悪夢を振り払いたいかのように、首を振った。

「わたしは……神を信じている。神に仕える人間を尊敬している。だが、ポルポは違う。あの男は神を信じる人間を憎んでいる。おそらくは神すらも――わたしには彼が悪魔のように思える。ドッピオよ、教えてくれ……彼はスタンド使いだからそうなのか? ボスも同じような人間なのか?」

「………………僕には――」

 

 ドッピオに答えることは出来なかった。

 だが、ペリーコロは放たれる言葉を制止させたいみたいに、手を突き出した。

 

「正直に言おう……わたしは彼らに対して無力だ。わたしは……ポルポが恐ろしい」

 

 言葉した途端……老人に漲っていたモノが消えた。

 古株のギャングらしい侠気は消え、すっかり歳をとったように見えた。

 

 

 

【5】

 ドッピオがポルポの下に赴いたのは昼食の時間だった。

 ポルポは管理するカジノの付近に、自分の持ち家があった。元は貴族の屋敷だったのを借金のカタに安く買い上げたのだ。

 ポルポが仕事場にしている書斎に続く長い廊下は、料理を載せた皿を抱えた人間の長い列が続いていた。並んでいる人間はみな違う格好だ。コック、ウェイター、ウェイトレス――しかし、誰も彼もドーム型の覆いを被せた大皿の料理を両手で抱えて、じりじりと待っていた。

 

「…………これは……」

 

 ドッピオが戸惑っていると、部屋の扉の脇に据えられた椅子に掛けていた少年がドッピオに気づいた。少年はゆっくりと立ち上がると、近づいてくる。

 ドッピオは怯えた笑みを浮かべると、少年は穏やかに微笑んだ。

 

「あの、僕は……」

「ワゴンで運ぶべきなんだ」

 

 少年は言った。

 

「…………なんだって?」

「ワゴンで運ぶべきなんだ……そう思わないかい?」

 

 少年は長く続く列を眺めながら、鼻息を一つ漏らした。

 少年はしなやかな体つきをしていた。まだ若い……十五、六歳といったところだろう。髪を耳にかかる長さに内巻きに切り揃えており、まさしく貴族の屋敷の小姓だった。

 

「ポルポさんは警戒心がなさすぎる……料理に毒を盛られたりしたら、どうするつもりなんだろう」

「…………この料理はこの屋敷の料理人に作らせたんじゃあないのか?」

「まさか、だろ」

 

 少年は肩をすくめた。

 

「ぜんぶ彼のナワバリにある店さ。昼食時になるとそこから運ばせる――忙しい時間帯で稼ぎ時なのに、わざわざだ……そうやって自分の権力を示しているんだ……一人ずつ運ばせるなんて無駄だよ。ワゴンに載せて、一気に運ばせればいい」

「だけど、この量なら……デカいヤツがいるね」

「そうだ。ワゴンはワゴンでも、ワゴン車がいる」

 

 同じ年ごろの少年らしく、二人でクスクス笑っていると……不意に少年が気付いた顔でドッピオを見た。

 

「…………あなたのことは、新しい店の給仕人かと思った……だけど違うんですね。この列のことも知らないのに……屋敷に普通に入れて、直接ポルポさんのところに来るってことは――」

 少年は小姓のような厳格な面持ちを取り戻し、静かに一礼した。

 それからポルポの部屋に入ると、並んでいた列を追い散らした。

 

「…………どうぞお入りください」

 

 深々と一礼すると、少年もその場から下がる。

 ドッピオがポルポは部屋に入ると……ポルポが待ち構えていた。

 

「大変に失礼をした……ドッピオ君。すぐに片付ける」

 

 ポルポの部屋のデスクには、空になった皿が積み重ねられていた。まだ、料理の残っている皿を片手でつまみ上げると、大口を上げて流し込んだ。

 ほとんど噛み砕かずに喉を鳴らして嚥下すると、やけに丁寧な手つきで皿を重ねた。

 それからデスクの向こうにある三人掛けのソファに座ると、不意に大きく口を開けた。

 

「げェッぶゥゥ――――ッ…………失礼。……さて、報告をさせてもらおうか……」

「………………」

 

 ドッピオは勧められた椅子に掛けず、ポルポの眼を睨んでいた。

 

 

 ポルポの『組織』での権勢はさらに拡大していた。

 イタリア全土に大きな影響を持つようになった『組織』も、新しい問題が生じた。

 ディアボロも知らなかった法則――『スタンド使いは惹かれあう』。

 あの『矢』がスタンドの素質のある人間を自ら選んで引かれるように、スタンド使い自身にも『奇妙な引力』を持っている。その引力は意図せずにほかのスタンド使いを引き寄せて、『組織』が勢力を広げる妨げになっていた。

 それは偶然に出会うこともあった。あるいは復讐者として現れた。

 そして、いつしか他のギャングもスタンド使いを抗争に参加させるようになっていった。

 たとえ相手が機関銃を持っていても恐れないスタンド使いの構成員たちも、自分たちを傷つけうるスタンド使いの敵には恐れをなした。

 ここにきて露見したのは、スタンド使いの忠誠心は確実ではない、ということだ。

 スタンド使いはみな独自の精神性からその能力を発現する。誰とでも歩調を合わせられるようなタイプは、スタンド使いとしての資質に欠ける。

 だが、それは組織人としての資質に欠ける、という意味でもある。

 負け知らずの状況なら『組織』に忠実だが、自分がやられるかもしれないリスクがあるのなら、忠誠心は確実なものではなくなる。

『組織』を抜けようとする者、他のギャングの元に寝返る者、あるいは『組織』内で能力を用いて私腹を肥やす者――

 カリスマである謎のボスの下で統率されていたはずの『組織』に綻びが生じ始めた。

 力による統制が必要だった。

 スタンド使いを統制する力は、スタンドでしかありえない。

 それを提案したのも、やはりポルポだった。

 

「内外のスタンド使いを抑えるためには、チームを作るべきです。対スタンド使いのチームを――」

 

 それまでポルポは『組織』の各チームに配置するのみで、親衛隊以外にスタンド使いを一つの集団にすることはなかった。新しいチームはボスの指令のみで動くことに変わりはないが、もっと攻撃的だった。

 そのチームはスタンド使いの敵であろうとも対抗できるだけの強力なスタンド能力を備え、狙った標的を確実に仕留めることが出来る技術が必要だった。

 

「なにぶん実験的な試みですが……一人優れた資質の男がいます」

 

 ポルポのいう男はシチリア生まれだった。

 目覚めたその男のスタンド能力を、ディアボロさえ知ることは出来なかったが……優れた暗殺の技術を備えていることは、困難な暗殺の実行で証明された。

 その男の下にポルポが選抜した暗殺に向いたスタンド使いを集めて、チームを組ませた。

 ポルポとディアボロは、そのチームを『暗殺チーム』と名付けた。

『暗殺チーム』の働きは目覚ましかった。

 彼らはディアボロが命令するだけで、優れた射手の放つ必殺の銃弾のように敵を仕留めていった。チームの面々は性格が極端なものが多かったが、それはリーダーが見事に統制していた。チームは他の『組織』の構成員と交わることなく、あくまでディアボロの命令でのみ動いた。内外でその働きは知られ、特に『組織』内部ではひどく恐れられ、スタンド使いの反逆者も現れなくなった。

『組織』は無敵になった――ディアボロはそんな錯覚さえ覚えた。

 だが、ポルポの様子を見ていると違和感を覚えた。

 ポルポは組織でも尊敬を集める――という人物ではなかった。

 入団試験と人員の配置を一手に引き受けるようになってから、彼に対して反感を持つ者は増えていた。それも仕方がない。理不尽な試験を課してきた男……スタンド使いならば、死ぬかもしれない試験を課した男を尊敬する、というのは無理な話だ。

 何より、ポルポはギャングとしての侠客ぶりに欠けた。

 自分の縄張りをしっかりと管理し、多くの上納金を納める――それだけがギャングの仕事ではない。周囲の人間に慕われるような面倒見の良さや、あるいは敵に回したくはない、という恐怖感、困難なことを成し遂げた英雄的なエピソードをポルポは持たない。

 恐ろしいほどの肥満体は愛嬌と捉えられないこともないが、何もせずに肥え太っているという印象を強めるだけだった。カネ稼ぎが上手く、『組織』の面接官であり、自分は一切の危険を負わない男――ギャングとして尊敬される要素はなかった。

 この反感はディアボロにとっては福音でもあった。

 謎のボスとして存在の一切を秘匿しているディアボロに対する反感や疑念をごまかす効果があった。ポルポはディアボロを守るスケープゴートでもあった。

 しかし、どんなに『組織』内で嫌悪されようともポルポは気にしなかった。

 ディアボロにのみ忠実で、常に仕事を果たしてきた。彼がいなくては『組織』はここまで大きくなることはなかった――

 ディアボロの違和感は、そこにあった。

 

「君もボスと会ったことはない――――そうだったね?」

 

 書類を探しながら、ポルポは言った。

 ドッピオは首を傾げると、呆れた調子で答えた。

 

「…………あなたに同じことを聞かれたのは三度目だ。僕は同じ答えしか返せない……『ボスは電話で命令をしてくる』『一度も会ったことはない』」

 

 つまらなさそうな言い方をするドッピオを意に介さず、ポルポは言った。

 

「……君はボスに会いたいとは思わないか?」

 

 ポルポの表情から笑みが消えていた。丸まっちい手を重ねると、唇の下、顎があるであろうあたりに触れさせて、眼を細めた。

 

「神学者のフラーはこんなことを言っている――『われわれは友なくしても生きていけるが、隣人なくしては生きていけない』」

「………………ポルポ、あんた何が言いたいんだ?」

「ブフーゥ……ボスについての話だ。あの方は隣人ではない。むろん友ではない。姿どころか影すら見せず、しかし組織を支配し、われわれを支配している。……だが、彼にも隣人はいるとは思わないか? それなくしては生きていけない人間が――」

「………………」

 

 ディアボロの意識は、泥のような闇の中をゆっくりと這い上がった。

 無意識の淵に手を掛けてそっと身を乗り出し、ドッピオ越しにポルポを眺めた。

 気づかぬポルポの眼には夢見るような光が宿っていた。歌うような調子で言った。

 

「そんな人間がいるのなら、わたしは是非――――」

「フラーの言葉なら、オレも知っているぜ……『親しくなればなるほど危険が増す』」

 

 冷たい言葉に、ポルポの眼から夢見る光が消えた。ドッピオにしては鋭い口ぶりに、気圧されたようだ。重ねていた手を離し、黙った。

 ドッピオは続けた。

 

「アンタが一番解ってるだろうが……ボスの情報を調べるのは組織が禁じているんだぜ。暖炉に突っ込んである真っ赤に焼けた火掻き棒を素手でつかむみてーにバカげたまねなんだ。……アンタは成功した幹部だ。誰よりも上納金を納めている。アンタの下で働く連中もしっかり統率してる。そんなアンタだってのに……わざわざヤケドするって解る真似をするんじゃねーぜ」

 

 ドッピオ――というより、これはボスの親衛隊、ボスに代わる者としての言葉だった。

 ポルポは道理の解る男だ。ガキとはいえここまでドッピオに言われれば、くだらないことは言わないだろう……そう思っていた。

 だが……ポルポは口を抑えて……笑みを隠すのに必死だった。

 

「ヤケド……ふふ、ヤケドか……ヤケドねえ」

「…………面白い冗談でもないだろう。何がおかしいんだ」

「いや、わたしだけの話さ。すまないねドッピオ君。このことはボスには内密に頼むよ。そうだ、忘れていた。どうかこれをボスの元に――」

 

 ポルポは脇に置いていたファイルを差し出した。

 ドッピオはファイルを開いて確認した。隠し撮りと思しき写真を含めた個人情報が、複数名記載されていた。

 

「この間の試験の合格者たちだ……スタンド能力を得たかの確認は、後日わたしの部下たちにやらせる。どっちにしろ、組織のために有効に活用できるだろう」

 

 ポルポは大儀そうにソファの上で反り返った。

 三人掛けのソファが重みに耐えかねて、大きく軋む音を立てた。

 ドッピオは書類を受け取ってから屋敷から出た。それから公衆電話を探させると、『通話』を開始した。

 

「……ボス、ポルポに会ってきました……わたしには懸念があります……」

『わたしのドッピオ……言わずとも解る。……ヤツは『増長』している――」

「そうです。アイツは権力を得て調子に乗っている。まるで『帝王』の振る舞いだ……」

 

 ディアボロはここで初めて気づいた。

 確かにポルポが射抜いて目覚めさせたスタンド使いの力は、『組織』を大きくした。

 しかし、スタンド使いの力を用いて『組織』を大きくしていったのは自分ではない……ポルポではないのか? 利用されていたのは……自分ではないのか?

 ディアボロがポルポに憎しみを覚えたのは、この時だった。

 

 

 ディアボロはポルポの弱みを探らせることにした。

 どんなに忠実な部下に見えようとも、人間には秘めがたい個人的な欲望というものがある。すべてを組織に捧げつくせる人間などはいない。その欲望が組織に反するモノであるのならば――ヤツにとって致命的なものになるだろう。そう考えていた。

 だが、それに反して……ポルポに個人的な弱みというモノに欠けた。

 女遊びはするが、遊び程度で尻に火が点くほどではない。ギャンブルはあくまで管理するだけで、自分から熱を上げることはない。麻薬は一切手を付けない――食事の味が変わるからだ、と言っていた。

 食事――それがポルポの最大の悪徳だった。

 ポルポの食事は鯨飲馬食では済まなかった。腹の中に牧場と海を抱えて、馬と鯨の群れを腹に飼っているようだった。ナワバリのレストランから食事を毎日大量に運び込ませるだけでは飽き足らず、たまに外出すると出先のレストランで大量の食事をした。ポルポが来ると、店主は青ざめた。他の客をすべて追い出し、ポルポの食事を作るだけでその日の仕入れがぜんぶ空になってしまうからだ。

 だが、それも弱みとは言い難い。支払いだけはきちんと済ませていたからだ。

 こんな調査は無意味ではないか――そんな考えも過った。

 情報チームもポルポの選別したスタンド使いが入っている。すでにあの男が裏から手を回しているのなら、情報が選別されて秘匿されている可能性がある。

 ディアボロはその才能を頼りにするあまり、ポルポに権力を与え過ぎていた。

 その気になれば、あの男は自分のためだけのスタンド使いの配下を持つことだってできるのだ――いや、すでにいる可能性がある。

 そんな時、思わぬ報告が入った。

 報告をしてきたのはペリーコロだった。

 

 

「ある若者から個人的な話を聞かされてね…………彼はポルポから労をねぎらうと言われて、ネアポリスからカプリ島に旅行させられるそうだ。短い旅行だがね……その時は旅行のコースまで決まっていて、持ち物もポルポがすべて用意してくれるらしい」

 ペリーコロはそこで言葉を切った。

「だが、その若者は……持ち物の入った鞄を開けたことが一度もないし、その鞄はいつもカプリ島で捨てて帰る、と言っている。ポルポはそのことを咎めない。逆に「ちゃんと捨ててきたか?」と聞いてくるらしい」

「…………その鞄の中身は? わかりますか?」

 ドッピオが尋ねると、ペリーコロは眼を細めた。剣呑な光を隠すように。

「ここが重要な話なんだが……その若者は鞄の中身を一切見たことがないし、絶対に開ける気もない。だが、カプリ島への旅行の数日前には、かならずポルポの元に宝石商が訪れるそうだ。しかし、彼はポルポが買った宝石を、彼の屋敷で一度も見たことがない、と言っている。宝石商の訪問の記録と、カプリ島へ行く船のチケットは、いつでも出せる……とのことだ」

「…………鞄を捨てた場所も言えるのか?」

「……それは最後まで教えられない、と言っていた」

 

 ディアボロが改めて調査を行わせると、確かにポルポが資産の一部を宝石に換えていることがわかった。裏金作りは幹部連中であれば、誰でもやっていることだ。突くとしても藪蛇になる可能性があった。

 だが、ディアボロは決断した。

 四方八方に手を伸ばしたポルポの影響は大きすぎる。ここで病巣を断つべきだと。

 

 

 

【6】

 その日ディアボロは、ポルポをホテルのレストランに呼び出した。

 あくまで一人――奥の個室に入り、料理が運ばれるのを待っていた。

 その間に、ホテルのスタッフはすべて退去させられた。掃除夫も、ホテルマンも、ベッドメイクをするメイドも、支配人もすべて――最後まで残されたのは料理人と、給仕だけだった。

 ホテルの周辺からはすでにすべての人間が退去させられていた。

 これから起こることを認識したり、あるいは見たりする可能性のある人間はすべて周辺から立ち退かされていた。周囲は親衛隊に監視させ、誰一人入ってこないようにした。

 最後の給仕人が出ていくのを見計らい……ドッピオはホテルに入った。

 人気のない玄関ホールを抜けて、レストランのあるフロアに入った。

 誰もおらず閑散とした雰囲気のレストランに入ると、そのまま調理場へと移動した。調理器具や汚れたままの皿がそのままに置かれ、籠った熱がいまだに残っていた。ドッピオは調理場から更に別の通路に入った。

 ポルポのいる個室には、出入り口が二つあった。

 客が出入りするための出入り口と、給仕人が料理を運ぶための通用口だ。本来なら個人的な密談や交渉を行うために、外部の人間が入ってこれないような仕組みとして作られていた。

 ドッピオは通用口の側から個室の中を覗き込む。

 部屋は八角形をしており、中央に大きな丸いテーブルが置かれていた。

 窓は一つだけ。部屋の照明はついておらず、射し込む陽射しだけが部屋を照らしていた。

 窓に対面する側の壁に両開きのドアがあり――ポルポはそのドアに貼りついていた。

 

「おかしいな……呼んでも誰も来ないとは……」

 

 ドアノブに手を掛けてガタガタと鳴らしているが……すでに外から施錠させていた。

 その無防備な背中に慢心を見て取ったドッピオはゆっくりと通用口から踏み出し――

 

「その位置から動くことは『許可』しない」

 

 ポルポが反射的に振り返ろうとする――のを遮る。

『キング・クリムゾン』が時を吹き飛ばし、認識不可能な一瞬でテーブルを蹴り飛ばした。

 

「……なッにィィ――ッ」

 

 ポルポが絶叫する。一瞬にして眼の前に現れたテーブルが激突した。

 

「ぶげェェ――ッ」

 

 テーブルとドアの間に挟まれたポルポは、そのまま顔をドアに打ち付けた。

 

「…………『許可』しない。そう言ったはずだ。呼吸以外のすべてをだ――」

「…………だ、誰だ……」

「オマエはわたしを知っている……声も、顔も、名前も知らずともだ……」

「…………あなたは……」

 

 鼻血を流しながら、ドアにすがりつくポルポを横目にディアボロは窓を背にした。

 射し込む陽射しがディアボロの影を伸ばし、ポルポにまで達した。

 

「ポルポよ……オマエは優秀な幹部だ。今までよく仕えたが……オマエは力を持ち過ぎた」

「ボス、あなたなのですか――」

「黙っていろ」

「…………ッ」

 

 ポルポは舌でも噛み切りそうな表情で黙ると、顔をドアに押し付けた。

 立ったままでいようとしたが、腰が抜けたのかズルズルとその場にへたり込んだ。膝をついて座り込んでも巨大な体型の印象は変わらず、ドアの前に小山が出来たようだ。

 

「オマエは『隠し資産』を作っている……わたしに上納するべきカネから掠めとってだ……幹部ならば誰もがしていることだ。そのこと自体は咎めはしない。だが『組織』は巨大になり――オマエは力を持ち過ぎた。わずかな反逆の可能性も……見逃せん」

 

 ディアボロはゆっくりと踏み出すと、射程距離内にポルポを収めた。

 

「オマエのスタンド能力は確かに優秀だ……『組織』はオマエが選別した者たちの力でここまで大きくなった。だが、ここまでだ。もうオマエの力は必要ない。多くのスタンド使いを得たいま、オマエを始末して……『矢』を再び我が手にする時期が来たとは思わないか?」

「………………」

「わたしがオマエにこれから行うことの理由を話したのは……オマエへの敬意だ。ポルポよ、貴様は『組織』に貢献した。何も理解しないままに死ぬのは幹部としても不本意だろう――」

『キング・クリムゾン』を構えさせた。分厚い脂肪を貫いて心臓を一撃で貫くために、注意深く狙いを定めた。ポルポは動かない。諦めたのか、小山のような輪郭を保ち、座り込んでいる。呼吸だけは荒いが、恐怖で震えることもない――ディアボロにはそれすら不愉快だった。

 しかし、心を隠して冷たくポルポに尋ねた。

 

「最期に言いたいことはあるか……? 幹部として誇りをもって死ぬのならば、『組織』のボスとして最後の言葉を聞くぐらいのことはしてやろう――」

「………………」

 

 ポルポは荒い呼吸を整えると、その場に膝をついた。それから床に手をついた。

 四肢を張って重い身体を支える――その格好はまるで豚だった。脳天に屠畜のハンマーを叩き込まれるのを待つ姿。

 ディアボロが怪訝に思っていると……ポルポは呟いた。

 

「最上の金属は……なにかご存じですか?」

「……………………なんだと?」

「フラーの言葉です。『最上の金属は鉄、最上の植物は小麦』」

「…………学者にしてはつまらない言葉だな」

「いえ、最後の文句があります。『最上の金属は鉄、最上の植物は小麦――最悪の動物は人間である』。…………わたしは、ずっとこの言葉を信じていた」

「………………」

「わたしは卑しい人間なのです。恥ずべきことをしてきた人間だ。生きるに値しなかった人間だ……かつては違った。神を信じていたし、人間を信じていた――だが、それは間違いだった。この世に神はいないし、人間は信じるに値しない……」

 

 ポルポは地を這う獣の格好のまま、声を張り上げた。

 

「わたしは死んでいた人間です。わたしがあの日、あの歓楽街で『矢』に射抜かれなければ――少しずつ精神も身体も擦り減らして、生きながら死んでいた……そういう人間です。ですが、わたしはあなたによってスタンド能力を与えられた……」

「それがわたしにとって大きな間違いだった、というわけだ――」

「そうかもしれません。だが、わたしはあなたに与えられたスタンド能力を、あなたのためだけに使ってきた。『組織』を大きくしたのは確かにわたしかもしれません……だが、ボス。わたしはあなたのためだけにやってきたのです」

「………………」

「あなたの与えてくれた『矢』は神に拠らぬ力を秘めている……だからこそ、わたしはあなたを信じた。わたしは最悪の動物である人間を信じない。神にだって仕えない。悪魔の力を振るうあなただからこそ、わたしはあなたを信じ、仕えることを選んだ……」

 

 ポルポの首がうたた寝の時のように不意に落ちる――ディアボロは急な動作を受けて、反射的に拳を叩き込もうとした。

 だが、ポルポの取っていた行動はディアボロの予想を超えていた。

 ポルポは床に顔をうずめていた。床には影が落ちている。ディアボロの影だ。背にした窓から射し込む陽が、影を長く伸ばして――ポルポの元にまで達していた。

 ポルポは床に顔をうずめているのではなかった。ディアボロの影に口づけていた。

 

「わたしがボスの友人になることはない。腹心の部下にも――だが、わたしはあなたの隣人になりたかった。いや、隣人などおこがましい。わたしはあなたの道具になりたかった。あなたに与えられた『矢』のような……わたしがあなたに反逆するなんてことはあり得ない。わたしはすべてをあなたに与えられた……そんなあなたにわたしが反逆する理由はありません。あなたがいなければ、わたしはいない……」

 

 顔を上げたポルポは両手を大きく広げて、歌うように言った。

 

「ボス、あなたは無敵の勝利者だ。永遠の幸福を手にする者だ……わたしは所詮そのおこぼれをもらっているだけに過ぎない。あなたが幸福の絶頂にある限り、私もまた幸福でいられる。あなたの絶頂を揺るがすなんて、意味がない。このポルポは……ボス、あなたがいるからこそ、存在していられる。あなたが永遠である限り、わたしもまた永遠だ……あなたの玉座と宮殿が揺らがぬ限り、わたしは永遠に幸福でありつづけられる――」

 

 ポルポは祈る形に手を組むと、膝をついて待ち構えた。

 

「しかし、わたしをどう扱うのは……ボス。あなたが決めることだ……わたしは、あなたが望むならば……与えられたものをお返ししましょう――」

 

 ディアボロは『キング・クリムゾン』に構えさせ続けていた。

 射程距離内――拳を叩き込めば、一瞬で終わる。だが……『キング・クリムゾン』のヴィジョンはいつも以上に頼りなく感じられた。

 戦う意思が形として結ばれたはずのスタンドが、陽炎のごとく消え去る。

 ディアボロはそのまま、しばらくの間、背を向けたポルポの後ろ姿を見下ろしていた。

 その祈る姿は……まるで敬虔な信仰者のごとくディアボロの眼に映った。

 

 

 ポルポは結局殺されることはなかった。

 しかし、その力を削ぐために自ら罪を犯して、独房に入ることを選んだ。

 監獄の中に入れることで自由に動けなくし、容易に襲われないようにした。そして、外部に働きかけるには部下の力を介さなくては出来ないようにした。

 ポルポの影響力は、以前より削がれた。

 それでもその仕事は変わらなかった。組織の面接官として新入りの審査を行い、ナワバリで上げた多くの収益を上納金として納め続けた。

 

 ポルポはディアボロの最も信頼する幹部――そう呼ばれ続けた。死ぬまで。

 

 

 

【7】

 ヴェネツィアはすべてが海へと通じている――だから、どこに撒いたとしても同じだろう。だから、ディアボロは陽の沈む西の海を選んだ。

 ドッピオに小舟を出させて、沖の近くまで移動した。

 遺灰を納めた金属の容器を抱えて、夕陽に目を向けた。

 沈む太陽は最後の力を振り絞って赤々と燃え、残光を見る者の眼に永久に焼き付けようとしていた。

 結局、ディアボロはポルポについて何も知ることはなかった。

 ディアボロとて初心ではない。ポルポが今際のきわに絞り出した言葉を信じてなどいなかった。あの男は最初は博打うちとして名を売ったのだ。最後に命乞いをするより、自分の誠心を示して、それでも殺せるかと賭けてみるのは博打としては悪くない考えだ。

 ポルポを仲間に引き入れた当時の貧弱な情報網ならいざ知らず、今なら確度の高い情報を調査することが出来る……しかし、結局調査は行わなかった。

 有能な部下。他に替えのいない才能の持ち主。組織の基幹となるシステムを作り上げた人物。結局、ポルポはそれだけの人間だった。

 だが、ポルポもまたディアボロについては何も知らなかった。

 それでもポルポはディアボロに仕えた。

 あの時の言葉を信じるのならば、ディアボロはポルポの救いの神――いや、悪魔だった。

(あの男は私を神に背く者であると信じた。ならば、やはり……わたしの本質にいくらかは近づいていたのだろう……)

 ならば、いずれ死んでいた。自殺を選ばずと、遅かれ早かれ同じ結果だっただろう。

 ある意味ではディアボロの手間を減らしたとも言える。ならば、やはりポルポは忠実な部下だったのかもしれない――

 ディアボロは自分の連想に薄く笑うと、遺灰の入った容器を開いた。

 真っ白な遺灰を強く掴むと、ゆっくりと固めた拳を解く。砂時計の中の砂が落ちるように、固めた拳から解放されていった。

 ひとつかみ、ひとつかみ、遺灰を強く握りしめては、海へと落とす。

 遺灰は夕陽を受けて煌めき、海面に落ちて広がっていく。

 

 独房のポルポはドッピオにこう言った。

 

「ドッピオ……君からボスに伝えておいてくれ。仮にわたしが死んだのなら――わたしの遺体は火葬にしてくれ」

「…………あんたが死ぬなんてことがあるんです?」

「ブフゥゥ――ッ……わたしだって不滅というわけじゃあないさ」

 ポルポは上品ぶってくすくすと笑い、それから眼を細めた。

「わたしはボスに仕えた。悪魔の如きボスにだ。ならば土の褥で審判のラッパなど待ちたくはない。どうせ私に甦りはない。ならば、最初からそんな機会は捨てるだけだ。墓もいらない。わたしは憎まれた。墓標など立てても、誰も参る者はいないからな」

「…………あんたを燃やしたって遺灰は残るぜ」

「それならどうかわたしの灰は撒いてくれ。ここは独房だ。どうしたとしても風は吹かない。風に乗って漂うのも楽しめるだろう。悪霊のようにね――――」

 

 一つだけ、ディアボロはポルポの遺言に反した。

 風に乗って漂う。そんなことは許さない。

 最後のひとつかみをゆっくりと海に落とすと、ディアボロは船を操り、船着き場へと戻った。船を係留すると、岸に立った。

 ふと、呟きが漏れた。

 

「わたしは……お前のようにはならない」

 

 結局、ポルポはしくじったのだ。

 ポルポはディアボロを信じた。少なくともその力を。そして与えられたものをただ受け入れた。与えられた幸福に浸り、そこから脱することはなかった。ポルポは寄生虫だった。自分を肥え太らせることにしか興味を持たなかった。

 われわれはみな同じ世界を生きている。へまをやった者は死ぬ。一つ一つのゲームでわずかな勝利を積み上げて、少しずつ幸福の絶頂へのきざはしを昇っていく。しかし、幸福を手にしてもそれは永遠ではない。最後の勝利を得ても、転落は遠くない。天まで届く絶頂に至れば、転落の果てにあるのは死だ。

 だが、ディアボロは違う。ディアボロは帝王だ。

 与えられたものに満足はしない。奪い取り、征服し、支配しなくては、幸福にはなれない。運命はそのための力をディアボロに授けてくれた――だから、当然のごとく、永遠の絶頂を、揺るがない幸福を手にすると決めている。

 ポルポには勝利者たる資格も覚悟もはなかったのだ。だから独房に入っても平気だった。分をわきまえた振る舞いをすれば命を奪われることはないと考えた。そして最後には自ら命を捨てた。豚にも劣る負け犬の振る舞いだ。

 だから、遺灰を海に流したのはボスとしての懲罰でもあった。

 漂うならば海を。その魂も水底に沈み、二度と日の当たるところに上がってこなければいい。二度と這い上がれないほどに、深い水底に。

 

「オマエは水底で眠るのだ、ポルポ……もし、眠ることがないのなら、この世の何よりも深いところから、『絶頂』に在り続けるオレを見届ければいい」

 

 ディアボロは沈む夕陽に背を向けて、ヴェネツィアの街中へと歩み出した。

 沈む陽を受けて足元から影が伸びた。黒々と大きく広がった影は、あの時ポルポが口づけた影の輪郭にひどく似ていた。

 その時、不意にこんな考えがよぎった。

 ポルポはこう言っていた。「あなたの玉座と宮殿が揺らがぬ限り、わたしは永遠に幸福だ」と。ならばポルポが死んだのは、ディアボロの幸福に陰りがさしたからではないのか?

 ディアボロの歩みは不規則なものになり、心臓の音がうるさかった。

 それでも影を追いながら歩いていくと、一瞬――影が、あの仮面の顔――『ブラック・サバス』に変じたと見えた。

 めまいのような一瞬だった。痛む頭を振り切るように首を振ると、ディアボロの顔は気弱な少年の顔に変じていた。

 その変化に気づく者は誰もいなかった。

 

「…………あれえ? おかしいな……ボスの命令で船を出して……それからどうしたっけ? なんかやらなくちゃならないことがあった気もするけど……ああ、そうだ。娘の件だ。僕にはよく解らないけれど、ポルポの部下が命令を代行しているからなら……きっと大丈夫だろうさ。一応確認だけペリーコロさんにボスの命令を伝えたら……そのあとは――」

 

 少年は獲物を狙い定めるときのように眼を細めながら、再び歩き出した。

 どこにでもいそうな少年はそのままヴェネツィアの人込みに紛れ、そして消えた。

 

 

 

【プロローグ】

 エンヤはその少年の顔の相を一瞬で見抜いた。

 傲岸なる王の顔立ち。いまだ座るべき玉座を見出してはいないが、己が王であることは疑ってはいない。勝利せずとも覇者であることを確信している――そんな相貌だった。

 少年が持ってきた矢じりを調べていると、その手に傷があることに気づいた。鋭利な刃物で傷ついたようだが、しかしもうほとんど塞がりかかっている。

 エンヤは矢じりを買い取った。

 

「これで全部かね?」

 

 気のいい老婆の顔を作って見せると、少年の唇が嘲る笑みに一瞬ゆがんだ。

 

「おやおや……なるほど、一つだけ残しておく、というのは賢い」

 

 虚を突かれた少年の胸に指を突き付けると、エンヤは言った。

 

「わしの主は奇運を背負っておる……耳に三つホクロがあってな、凄まじい激動の人生を送る……そういう運命じゃ。坊やにも不思議な運命があるようじゃが……一つ予言をしてやろう」

 

 少年が言い返す間を待たず、エンヤは言った。

 

「その前に、矢についてじゃが……その矢は射抜くものを自ら選び、射抜くじゃろう。そして、射抜いたものの才能を引き出す……おぬしがその『矢』を手元に残したのも運命じゃ。矢は主たるおぬしに忠実に、才能を引き出すじゃろう……じゃが忘れるなよ」

 

 少年の胸元、矢の隠しているあたりに指を突き付けると続けた。

 

「最後に残した矢をゆめゆめ手放してはならぬぞ。その矢がある限り、おまえは王で有り続けられる。矢が失われたなら――おぬしの宮殿もまた失われる」

 

 少年は言い返さなかった。

 ただ、鼻息を漏らすと足早に出ていった。

 

「……フェッフェッフェ、あやつが王になるのは運命…………いつしか、我が主と出会う時もあるかもしれぬ。だが……」

 

 エンヤは己の主の姿を思い浮かべた。

 

「勝利するのは……我が主を措いて他にはおらぬ」

 

 両右手の老婆は神の姿を前にしたときのように、その手を高々と掲げた。

 怜悧な相貌――酷薄な眼――艶やかに絖光る赤い唇――そして、夜目にも鮮やかに輝く黄金の髪。

 老婆の眼には、玉座にある金髪の王の姿がはっきりと幻視えていた。




あとがきという名の愚痴

・二次創作やったことねーよ、と言いつつ書き続けて二回目。
 前回書いた『鏡の中の鼠』がおおむね好評だったので
(感想をくれた方ありがとうございます。あなたたちのおかげで書けました)
 じゃあ、もう一丁やんべと考えて、なんでポルポは土葬じゃあなく
 火葬になったのか、というところをヒントにディアボロがその遺灰を
 海に流して冥福を祈る……という大枠が出来てからが長かった。
 ポルポは五部全体でもトップクラスに描写が少ないキャラだから
 原作を読み込んでも、この人のパーソナリティが全然わからないからです。
 面白いのが、一人称で“わたし”というのは一度だけで、あとは全部
 “われわれ”なんです。組織と自分を完全に一体化している人と考えました。

・なのでポルポに関しては、ディアボロすら解からない怪人物であった、
 ということにし、双方ともに理解しあえないままに、共生関係にあった
 として、あとは死亡後に回顧する話として考えました。
 だが、作者も書いている最中も「なんでディアボロがポルポが死んで恐怖するの?」
 と考えながら書いていたので、かなり迷走しました。

・本作の構成はノワール小説とゴシック小説を意識しています。
 冒頭から結末が明かされ、主要な登場人物の回顧として始まるという構成はノワールのお約束。
 ゴシック小説からの要素は『予言』です。本作では二度予言が繰り返されています。
 ポルポ自身が言っていることが第二、末尾に置いたプロローグが第一。
 共にディアボロが破滅することを予言しています。だからそれを覚えている
 ディアボロは無意識に恐怖した……という話なんだと作者は思っています。

・末尾に置いたプロローグは魔女の如き老婆であるエンヤの予言、ということで
 話の初めに『マクベス』(三人の魔女の予言によって王になるが破滅することを示される)の
 引用を置いています。プロローグを読んでから
 読み直すと、またちょっと印象が変わる……という話に
 したかったんですが失敗してますね。唐突に過ぎた感がある。

・尚、引用した『マクベス』の台詞は素晴らしいアイロニーが表現されていて、
 これから裏切って国を奪う男を、王自らが高潔な男と讃えているところです。
 本作ではこの裏切られるダンカン王をディアボロに重ねたつもりです。
 では、マクベスは誰かといえば……作中に出ています。まあ、彼は
 実際高潔で、マクベスと同じく真の王が現れる前に死んでしまいますしね。

・あと、とにかく長い。長すぎる。もっとこうストレートな構成にしたらよかったと
 自分で再読して思いました。そんなのでもしおりを入れている方がいて
 申し訳なくなってしまいました。

・まだまだジョジョ二次は書く予定です。短編ならミスタ対サーレーの再戦か、
 若ブチャラティのスタンド覚醒と『ブラック・サバス』とのバトルというのが
 なんとなく案だけあります。長編もネタがあるんですが日常要素が高そうで、
 どうやって引きを持たせたらいいのか解らないので放置中です。
 たぶん仗助とジョルノが出会ったりバトルしたりします。

・グダグダと言い訳を書き連ねましたが、少しでも楽しんでいただけたのなら幸いです。
 最後まで読んでいただいた方に幸福と辛いときに吹いてくれる
 黄金の風が共にあらんことを祈ります。グラッツェ!


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