その電話が掛かって来たのは、本当に唐突だった。
何時も使っているスマートホンには仲間達から毎日のように連絡が送られてくる。そんなメールやコメントといった情報の山に紛れて、一件の電話が掛かってきた。画面に浮かび上がるのは懐かしい名前だ。高校に入学して以来、その人物とは連絡を取り合う頻度が徐々に薄れて、今は疎遠となってしまった。未だに友達と呼び続けるには憚られる、でも、知人と呼ぶ程に軽い関係性でもなかった。だから私と彼女の関係性を示す単語は、旧友、が最もしっくりと来るような気がする。
ヴヴヴ、と振動音を鳴らし続けるスマートホンの液晶には、角谷杏、と大きなゴシック体で書かれていた。
小さく息を吸って、吐いた。それから通話ボタンを親指でフリックする。
「珍しい相手から電話がかかってきたな、どうしたんだ?」
仲良くしていたのは、もう何年も前のことだ。そんな相手に今更になって電話を掛けてくる。
そんなのはもう十中八九で面倒な用件に決まっている。
『相談があるんだよね〜。今、大丈夫?』
私の知る彼女は挨拶代わりに軽口の一つや二つは交えてくる、それは話術というよりも彼女自身が軽口を口にするのが好きな為だ。だから軽口を口にしない彼女には違和感があり、私が思っている以上に深刻な話を持って来たのかも知れないと勘繰った。
「……ちょっと待ってろ。落ち着いたら、折り返し電話する」
これは本腰を入れなければならないかも知れない。
そう思ったからこそ片手間に聞くことではできないと思って、一度、電話を切った。
後で、じっくりと話せる時間になってから電話を掛け直そう。
話というのは、大洗女子学園で戦車道の指導をして欲しい。という事だった。
なんでも大洗には戦車道の経験者が居らず、右も左も分からない状態という話だ。全国大会を控えたこの時期に、他校に出向いて戦車道の指導をするなんて馬鹿げた話だとも考えはするも、どうして急に戦車道を復活させたのか。何故あえて戦車道なのか。を読み解けば、自ずと答えは見えてくる。少なくとも数年前の旧友に縋る程に彼女は追い詰められているらしかった。
詳細を聞き出すことは叶わなかったが、しかし、わざわざ私を頼ってくれたのだ。知らない仲でもない。放っておくことなんて、できるはずもなかった。損得勘定を抜きに力を貸すことに決めた、そう決めたから助けることを前提に予定を組み直す。新入生が入って来たばかりの大切な時期に戦車道部を抜けることは、大きな痛手になるだろうが、それでも旧友を見捨てるような真似をしたくはない。
これは私の我が儘だ、だから私一人で完結させようとした。
「千代美。最近、忙しなくしているようですが――ひとつ、言っておきますよ」
大洗女子学園に向かう一週間前、仲間内には野暮用と伝えて準備を進めている時だ。私のベッドでゆかりが少女漫画を読みながら告げる。
「貴女の事は、例え御天道様が見逃したとしても毘沙門天の目を欺く事はできません」
もっと頼っても良いと思うんですけどね。と、ゆかりは拗ねるように呟いた。
その翌日、戦車道部の後輩一同が戦車倉庫前に並んで私を待ち構えていた。
†
我がアンツィオ高校が大洗女子学園に戦車道教習の要請を受けたのは数週間前のことだ。
話を受けた千代美は、最初は一人で大洗女子学園の学園艦に向かうつもりだったようだけど、それに待ったを掛けたのが何処かの毘沙門天さんから情報のリークを受けたアンツィオ高校戦車道部の後輩達だ。旧友の助けになりたい、と告げた後で千代美は「これは私の勝手だ、お前達まで付き合わせるつもりはない」と後輩達を突き放した。しかしペパロニは照れ臭そうに「へへっ、水臭いっスね」と人差し指で鼻下を擦ってみせた。
「私達は皆、
「お、お前達……!」
「あとあんこう鍋食べたいっス!」
「大洗ってご飯美味しいって聞くし!」
「あ、私も行きたいでーす!」
「お前達……」
そんな一幕もあり、居残り組は練習を続けることにして、選抜した少数で大洗女子学園に乗り込んだ。
持ってきた戦車も資金面の問題から
さて、私はどうしようか。とりあえず近場にあった
「そう、先ずはエンジンを入れるところから……」
「此処には経験者がいましたか」
丁度、小学生のように幼い見た目の子が操縦手に操作を教えているところだった。教えられる人が居るなら他の戦車に行きましょうか。そう思うと「ゆ、結月ゆかりさん!」と癖っ毛の強い砲手の子が目を輝かせた。
「昨年の優勝記念杯、見ていました! ボンプル高校のヤイカ隊長との一騎討ち! あの胸が躍る感動を私は今も忘れられません! ああ、どうしましょう! あ、握手を……いえ、サインなんて……?」
「名前を覚えて貰って嬉しいですが、そういうのは練習が終わった後にしましょう」
がっくしと肩を落とす癖っ毛の娘はさておき、通信席に乗り、操縦手に指示を出していた子に問いかける。
「大丈夫そうですか?」
「動かすだけならなんとかなると思うよ」
「それじゃあ此処はお任せします。私はもう一輌、残っている戦車の方に向かいますね」
会話も程々に、未だに戸惑っている
「……先ずは服を脱ぎますぅ?」
「え、脱ぐんですか?」
スマートフォンを弄る眼鏡っ娘に問いかける。
まあ戦車の中は暑いですし、慣れていないと辛いものがあるかも知れない。しかし幾ら同性とはいえ肌を晒すのは流石にどうかと思います。「いや、違うから!」と眼鏡っ娘が否定する横で「えっ、この人、膨らみがない……」と気の毒そうに呟く少女が一人――後で名前を教えて貰ったが、宇津木優季――、とりあえず後ろから抱き締めて頭をわしゃわしゃしてやった。
ふむ、どうやら、この戦車の子は皆、一年生のようだ。ちんまくてめんこい子ばかり、極楽は此処にあったのだ。一人くらいアンツィオ高校に連れ帰っても大丈夫かな、バレないかな。もし選んでも良いなら、今抱き締めているこの子を連れて帰りたい。良い感じに手を焼かせてくれそうだ。
閑話休題、
優季ちゃんを抱き締めるのも程々に戦車内に足を踏み入れる。役割はもう決まっているようで皆、テキパキと自分の席に座っていった。
そんな中で一人、眼鏡っ娘が困りきった顔で私のことを見下ろしている。
「えっと、そこ、私の……」
「そうですね。でも、私も座る場所がないので申し訳ありませんが――」
私は澄まし顔で自分の膝上をポンと叩いた。
「ゆかりさんの此処、空いてますよ」
「えぇ……」
「操縦席の隣ですし、通信手さんは装填で忙しくなりますからね。最も影響の少ない場所が此処なんです」
眼鏡っ娘は助けを求めるように周りを見たが、顔を背けられるか黙って首を横に振られるだけだった。
「大丈夫です、変なことはしませんよ」
「信用できない〜」
「そういう意味で手を出したりしませんって、ほら、さっさと座ってください」
うー、と葛藤した後で意を決するように私の膝上に腰を落とす。やっぱり小さくて可愛い、ぎゅうっと後ろから抱き寄せる。
「ひうっ! な、なんですか!?」
「いや、姿勢を崩したら危ないので。それと身動ぎされると擽ったいので控えて頂けると……」
「えっ、私が悪いのこれ!? えっ!?」
そんな彼女の言葉に答える者は存在しなかった。
操縦手の桂利奈ちゃんに手取り足取り丁寧に戦車の動かし方を教えてあげると「分かりやすい!」とめっちゃ嬉しそうに叫んだ。頭よりも先に体が動くタイプの子には慣れてますし、無事に指定された地点まで辿り着いた頃にはみんなの私を見る目が変わっていた。
その中で、ただ一人、眼鏡っ娘のあやちゃんだけは釈然としない様子だった。