ボカージュに防御陣を築いたのはマジノ女学院の隊長、マドレーヌ。
マジノ女学院が重んじる伝統の陣地防御戦術は、たった一度の攻勢では打ち崩せない頑強さがある。相手からすれば攻め返されることはないため、玉葱の皮を剥くように少しずつ削っていけばいずれ勝つことはできるが――これが後方支援を受けられる状態であれば、相手が補充する数以上の損害を与えることは難しい。まあ残念ながら、これは戦車道。投入できる戦車の数は決まっている。
そして戦車道は敵戦車を打破せずには勝てない、耐えるだけでは決して勝つことはない。
このことをマドレーヌは理解していた。
マドレーヌは味方の戦術教義の弱点を熟知している。ソミュアS35を導入する時、本来、用意できた六輌は全てBC自由学園に配備される予定だったのだ。それにマドレーヌが横から茶々を入れたことで、S35のBC自由学園への導入は四輌に減らされた。S35の導入に腐心していた前隊長はマドレーヌのことを敵視しており、それがそのまま現隊長に受け継がれている。
そのS35を外部生に使わせている辺り、当時の経緯を知っているかは怪しいところなのだけど。
さておき、マドレーヌは歩兵隊気質の強いマジノ女学院にあって、機動力を重要視していたのは確かだ。諸々の事情から結局、機動戦は諦めてしまったようだが、彼女が目指した理想は、その意志は決して途絶えた訳ではない。
ボガージュの外に置かれた二輌、敵S35。率いるのは確か、エクレール。
彼女こそがマドレーヌの理想の形、もしくは意思を受け継いだ人物に違いない。戦力分散の愚を冒してまで行う価値があると感じたからこそ、あそこに今、遊撃としてS35が存在している。それは「戦車を二輌減らした程度で私の防御陣は揺るがない」という自信、もしくは慢心があるからできることでもある。去年までのマジノ女学院を相手にするのは、マジノ線を前にしたドイツ軍のようなものだったが……今回は簡単に迂回をさせてくれなさそうね? どうするつもりなのかしら、とケーキを口に付ける。
今、五輌のARL44と一輌のソミュアS35がボカージュに向かっている。それを私、マリーは森の中でお茶会を楽しみながら観察する。
ケーキは作る人や材料によって美味しさは変わる。
でも美味しいケーキはどんな時でも美味しい、それは当たり前のことだった。
†
ARL44の装甲は硬い。
短身砲のSA18*1では正面装甲が120mmもあるARL44を撃ち抜くことはできない。かといって車体の側面や背後を狙っても弾かれる。砲塔の正面も110mmと容赦がない。そんなARL44にも弱点はある、戦後の50t級戦車としては最も遅い速度だ。その速度はなんと時速35.75km、つまりルノーR35の約1.75倍である。突けない弱点は、弱点たり得ませんわ! ちなみに砲の威力は大雑把にルノーR35の四倍以上、凄いね、ARL44を撃ち抜けるね。ルノーR35の装甲なんて紙屑同然、B1bisの装甲だって簡単に撃ち抜ける。
試合前、このカタログスペックの差を知ったマジノ女学院戦車道履修生には激震が走り、「もう駄目です、おしまいですわ!」と恐慌状態に陥る者もいた。
しかし今の私達には魔法の言葉がある。
「皆様、覚えていますわね?」
襲い来る五輌の重戦車、
動く要塞を目の前に緊張で生唾を飲み込む者も多い中で、
私は首を手で抑えながら告げる。
「砲塔側部と背面はR35よりも柔らかい!*2」
『砲塔側部と背面はR35よりも柔らかい!』
通信機越しに皆が一斉に応えてくれる、それに私は満足げに頷き返した。
「よろしい、では迎え撃ちますわよ!」
『
正直な話、勝てる見込みは薄い。
性能的にARL44の下位互換であるB1bisを前面に出す訳にも行かず、どうしても消極的にならざる得ない。一輌や二輌が相手ならまだしも、五輌もあるとなれば、その戦力差は絶望的だった。だけどまだ可能性が潰えた訳ではない。
私が伊達に何度も包囲されてきた訳ではないことを教えてやる。
†
「ねえ、こんな格言を知ってる? 危機に直面すると、気骨のある人物は自分自身を頼りにする。彼の者は作戦命令を自分で発し、自ら指揮を執る」
†
敵の火力で警戒すべきはB1bisのみ。
ルノーR35なんて骨董品は恐るるに足らず、真正面から踏み潰して蹴散らせば良い。
そんな理屈の下に立てられた作戦が、先ずARL44一輌でボカージュ入り口に配置し、その反対側から顔を出すB1bisを足止めする。その隙に左右の隘路から二輌ずつのARL44でボカージュ深くまで突き進むと云うものだ。こういう狭い道は正面装甲に優れたARL44の得意とするところ。左右からの攻撃がない分、より勢いよく突き進むことができた。隘路の奥からルノーR35が顔を出しても気にも止めずに前進する。砲撃する時だけ足を止めて、R35の豆鉄砲を自慢の装甲で弾き返した。ああ、なるほど、これがドアノッカーと、ARL44の搭乗員は笑みを浮かべていたに違いない。
この時、私、押田はB1bisと対峙している。味方S35が援護するように私のARL44の後ろに着いた。
先程の状況は通信機越しに聞いた情報から推測したものであり、これから起こることについては詳しい情報は得られなかった。だから、私は細かい状況については何も知らない。ただ、とんでもないことが起きたということだけは分かる。
それはARL44一輌の撃破から始まった。
†
BC自由学園、ARL44の操縦手は苛立っていた。
全長が10m以上にもなるARL44でボカージュ内は走り難い、隘路だと尚更だ。直角の曲がり角は一度で曲がり切ることはできず、丁寧に切り返しながら進まなくてはならなかった。これをまたボカージュの外に出る時も同じことを繰り返す必要があると考えると今から憂鬱になる。曲がり切った先にはまた直角の曲がり角があり、思わず溜息を零す。
しかし、その角から敵のルノーR35が顔を出したのだ。
曲がり切った後、後ろから付いて来ていたARL44が曲がり角に迫っていた。戦車長が『敵戦車発見、戻れ!』と指示を出すが、上手く動けてない様子、敵から撃たれた砲弾が装甲に当たって車体が揺れる。こちらから砲撃をし返すも当てられなかった。
焦れる。とその時、背後から砲撃音が聞こえる。
どうやら角で詰まっているARL44に対して、横を砲撃でぶち抜いて、横から隘路に飛び込んできたようだ。これで完全に後ろへと戻ることはできない。「前進してください」と戦車長から指示が飛んで、操縦手がアクセルを踏んだ。
走りながら砲撃する。その全てが敵戦車を捉えることはなかったが、その内の一撃が曲がり角の奥の壁をぶち抜いた。止める為か、R35が角から飛び出してくる。が、そのままARL44の巨体を生かして轢き飛ばしてやった。それだけでR35は大きく回転し、そのまま隘路からの脱出を図る。
ARL44の一輌から撃破された、と通信が入る。代わりにR35を一輌だけ道連れにしたようだ。
幾度も砲撃音が鳴り響く、履帯が地面を削る音がする。ボカージュ内を敵戦車が目まぐるしく移動した。この狭いボカージュ内ではARL44は動かし難い。壁も破れるとなれば、此処に留まるのは不利か……いや、孤立してしまっていることがいけない。先ずはボカージュから出ることだ。
丁度、横からボカージュを出られる道があったので、一旦、ボカージュを出てから入り口のARL44と合流しようと考える。
そして出口に向かおうとした時、外から二輌のソミュアS35が向かってくるのが見えた。
†
右手から攻め込んでいたARL44が二輌共に撃破された。
代わりにルノーR35を一輌撃破したようだが、割に合わない。逆に隊長機を含めた左手から攻め込んだ分隊はR35を二輌撃破、その後、二輌のR35と追いかけっこを始めたとのことだ。私、押田はまだ目の前にいるB1bisとルノーFT-17と対峙している。
少し無理攻めすべきか、いや、ARL44が二輌も破壊されている今、それは軽率過ぎるか。
敵S35もボカージュ内に入ったという情報も聞いている。そして『あの蚊トンボがっ!』と隊長の怒声が通信に混じり、敵S35と交戦中ということがわかった。救援に向かうべきか、どうするべきか、判断に迷う。指示を出してくれる人間はいない。
そんな時だ、敵の誘導で引き離されていた味方S35がボカージュ内に入ろうと速度を上げているのが見えた。
『こちらS35三輌、ボカージュに到着』
受験生らしい淡々とした言葉遣い、これで形成は逆転すると安堵の息を零す。
『これから合流……きゃあっ!!』
悲鳴が上がった、突入直後を狙われたのだろうか。
『S35一輌、撃破されました! 相手は……ARL44!?』
『急に目の前に現れる方が悪いのだっ!!』
『ぐっ……このまま敵S35と交せ……うわっ! いい加減にしろぉッ!!』
『校章も見えないのに砲塔だけで見分けが付けられるかぁッ! どちらでも良い、撃破しろ! S35を全て撃破すれば、こちらの優位だッ!!』
『エスカレーター組ィィィィッ!! 外部生はボカージュ内にいる全員を撃破しろッ!! 全員、叩きのめしてやるッ!!』
『いいだろう、敵はボカージュ内にいる全員だ。外部生諸共、叩きのめしてやれッ!!』
直後、先程よりも激しい砲撃戦が繰り広げられた。
思わず砲塔後部のハッチを開けて、外からボカージュ内を見渡すと、至るところで土が舞い上がっている。まさか身内で仲間割れをしているのだろうか。まさか、いやいや……本当に? 当事者ではない分、置いてかれてしまった気になる。
そこで背筋にヒヤリとした感触を感じた――今、私の後ろに居るのは誰だったか。
恐る恐る後ろを振り返れば、ソミュアS35の砲口が私達に向けられている。そして砲塔後部のハッチから身を乗り出した安藤がじっとりとした目で私のことを見つめていた。此処で味方に倒されるのか、いや、安藤は最初から敵だったのか。分からない、分からないが、ここで倒されることを無意識の内に覚悟し、そして苦汁を飲み込むように目を閉じる。
砲撃音、そして砲弾が当たる衝撃音が遠くから聞こえた。
覚悟していた衝撃は来なかった、ゆっくりと目を開けると、口の端を歪めた安藤が鼻で笑った。
「私が受けた命令はボカージュ内にいる奴等を全員、叩きのめすこと。残念だが、お前は含まれてないな」
そうしてS35がボカージュ内に向けて、砲撃を開始する。
前に向き直るとB1bisの後ろに隠れていたFT-17が破壊されており、B1bisが
改めて安藤を見つめる、すると呆れたように溜息を零す。
「なんだ、エスカレーター組は敵よりも身内に銃口を向ける方が得意なのか?」
「そんなわけあるかッ! B1bisを砲撃しろ、外部生に遅れを取るなッ!!」
そう言って、B1bisへの砲撃を再開させる。
S35と交互に放つ砲撃にB1bisは壁から出て来られなくなっていった。
†
『あっはっはっはっはっはっ!』
通信機越しにマドレーヌの軽快な笑い声が響き渡る。尚、味方全体に伝わる回線のことであり、マドレーヌ様が楽しそうでなによりです、と私、エクレールは痛む胃を手で抑えるしかなかった。
『奴等は勝手に仲間割れを始めましたわ、エクレール。ぷふふ、訳がわからない相手だと思っていたけども、ここまで愉快な相手だったなんて! 賭けをしましょう、私はARLが勝つ方に賭けますわ』
「マドレーヌ様……とりあえず、私達は仲間割れに巻き込まれないように距離を取りますわ」
遂に悪ふざけまで始める隊長を無視して、フォンデュに敵戦車から距離を取るように指示を送った。
敵S35とARL44の実力は拮抗しており、片や一輌やられると、もう一方も一輌やられるという激戦を繰り広げる。あまりに苛烈な戦いにマジノ女学院の方が手を出せない有様だ。これ、どうするの? とメンバーに問いかけるとみんな、苦笑を浮かべるばかりで何も答えてはくれなかった。
嗚呼、胃が痛む。なんで敵の不合理な行動でまで胃を痛めなくてはならないのか。
『あら、残ったARL44が一輌でボカージュ内から逃げ出しますわ。さあ、近くのR35で追いかけますわ!』
『駄目です! 速度が違いすぎて、追いつけません!』
『くぅ〜〜〜〜っ! なら砲撃ですわっ!!』
『駄目です! 砲弾が装甲に弾かれますっ!』
『なんですって!? 魔法の言葉、砲塔側部と背面はR35よりも柔らかい!』
『そもそもSA18だとR35の装甲も至近距離じゃないと撃ち抜けないよね?』
『むきゃーっ!!』
どうやらARL44を一輌、逃してしまったようだ。
貫通力って大事です、ええ、とっても。
†
ボカージュ入り口、私、安藤は少し困惑している。
のろのろと散歩でもするかのように呑気に姿を見せたのはFT-17、校章はBC自由学園のものだった。そして砲塔のハッチに腰を下ろすのは如何にもお嬢様然とした女性であり、少し不機嫌そうな顔色でファー付きの扇子を優雅に扇いでいる。隣の押田も姫の突然の登場に驚いているご様子、誰も口を開かない微妙な空気に包まれる。
このまま待っていても埒が明かないと思って、とりあえず声をかけて見ることにした。
「……
問いかけるとマリーは私を半目で睨みつけてきた。
「ケーキがなくなってもまだ試合を続けているようだから終わらせに来たのよ」
「左様ですか」
「安藤、状況を教えなさい。そして、そっちは……」
「……押田です」
「押田ね、安藤よりも礼儀がなってるわ」
そう言って彼女は口元を綻ばせる。
「私はマリー、今から貴方達は私の命令に従うのよ」
急な来訪に続き、急な傲慢な指示。
これには押田も呆気に取られており、言葉を返せない様子だ。
まあ私は命令に従うだけだ、と淡々と答える。
「ボカージュに入ったARL44が三輌、S35が三輌が沈黙。内半数以上が仲間割れで撃破されたようです」
「また仲間割れなのね」
これでは嵌められて失脚したアスパラガス達も浮かばれないわ、とマリーは退屈そうに呟いてから私を見つめる。
「それで、相手の被害は?」
「通信ではFT-17を一輌、R35を三輌、撃破しているようです。残りはB1bisが一輌、R35が三輌、S35が二輌」
「まだ四輌しか倒してないじゃない、貴方達は何をしていたのよ」
マリーが肩を落として呆れ果てる。
仲間割れをしていました。以外に答えられず、二人して押し黙った。
そんな私達に、まあいいわ、とマリーが溜息混じりに告げる。
「押田は前に、安藤は後ろよ。お姫様を守る騎士のように私をエスコートしなさい」
まるで服従することが当たり前かのように命令する。
そのことに苛立ちを覚えないのは、やはり彼女はある意味で公正だったからに違いない。何故なら、同じエスカレーター組の押田にも同じように傲慢な態度を取り続けているのだ。
ここまでされるといっそ清々しかった。
「仰せのままに、
大袈裟に頭を垂れると姫は上機嫌に目を細める。
「良くってよ」
この二度目のやり取りに困惑しているのは押田だった。
何故、どうしてお前が従うんだ、という疑問が聞こえてくるかのような狼狽えっぷりだ。
特に理由はない。強いてあげるとすれば、相手がマリーだから、この一点に尽きる。
「おい、お前ら! そんなところで何をしている!」
外周を回ってきたのか、遠くから大きな声が張り上げられた。どうやら一輌残っていたARL44は隊長殿だったようだ。
「お前は、押田か! どうして、そこにいる外部生を撃たない!?」
「えっと……」
突然の言葉に押田が押し黙る。
「それにマリーだな、今まで何をしていた!?」
続いて矛先を向けられたマリーは澄まし顔で「勝手を」と相手に聞こえない程度の小さな声で答える。
「……まあいい、押田、マリー! そこの外部生を片付けてから中の連中を片付けるぞッ!!」
私は大きく息を吐いて、横目でマリーと押田を見つめる。
押田は相変わらず困惑したままで判断に困っているようだ。マリーは冷めた目で隊長を見据えている。
貴方達、と不意にマリーが口を開いた。
「パンの中にも不味くて食べられないものはあるわ、ドイツの黒いパンのように*3」
そう云うと開いた扇子で口元を隠して、静かに目を細める。そして続く言葉を口にした。
「そして偉い人は言ったわ。パンがなければ、ケーキを食べれば良いじゃない」
私は無言で砲口を隊長殿に向ける、それに続くように押田も照準を隊長に合わせる。
横目で押田を見ると、押田は無言で頷き返してきた。
マリーは開いたままの扇子を隊長に向けて、にっこりとした笑顔を浮かべてみせる。
「やっぱりケーキよね♪」
直後、三つの砲撃音が鳴り響いた。