ア、ハイ。ごめんなさい、修正します。
優勝記念杯、その会場の観客席には多くの人が集まっている。
黒森峰女学園の全国行脚は、民衆に戦車道という存在を広く認知させることになった。そこに国家主導の広報活動も加わり、メディア全般が喧伝したことで、今や民衆は戦車道に強い関心を示すまでになった。今は昔、私達の時代で、ここまでの注目を浴びることはなかった。これが戦車道にとって良い流れということはわかるのだけど――なんだか私達の知っていたものが寂れていくようで、少し寂しい気持ちにもなる。
こんなことは思ってもいけない、と私は両頬を叩いて気合いを入れる。
今日は戦車道の歴史において、初めてテレビでの生放送が実現する日だ。有料とはいえ全国区での放送であり、今日の成否が今後の戦車道人気の行く末を占うといっても過言ではない。ただ少しの気がかりは優勝記念杯、その初戦が弱小と呼ばれるボンプル高校とアンツィオ高校の試合ということだ。豆戦車と軽戦車が多い二校では、戦車道の醍醐味を知らせるのは難しいか――いいや、そんなことを私が気にしてはならない。この試合を取り仕切る名誉を胸に抱き、公正な判定に努めることこそが我が使命!
私、蝶野一尉は審判役を全うします!
†
試合開始前、初期配置に移動中のM41型セモヴェンテ自走砲。
その車内では私、結月ゆかりが操縦桿を握り、後ろでアンチョビとカルパッチョ、ペパロニの三人で情報を整理する。
先ず私達、アンツィオ高校の戦力は、CV33型快速戦車が五輌とM41型セモヴェンテ自走砲二輌。CV33型の一輌にはペパロニが搭乗し、
対してボンプル高校の戦力は、7TP単砲塔型が六輌、7TP双砲塔型が二輌、TKS豆戦車が二輌という全十輌の内訳だ。ヤイカとウシュカは、それぞれ別の7TP単砲塔型に搭乗しており、ヤイカの乗る7TP単砲塔型がフラッグ車となる。
こうやって戦力だけを見ると劣勢だが――火力不足が目立つ私達の戦車を思えば、CV33型の機関銃でも装甲を破れる戦車が多いだけでも嬉しいくらいだ。勝機は充分にある。
アンチョビとカルパッチョ、ペパロニの三人で意見を出し合っているのを耳に入れる。
「突撃で乱戦に持ち込むっていうのはどうっすか?」
「突撃はボンプル高校の十八番、逆に踏み潰されるのは私達だ」
「それじゃあ最初にぶち当たって、その隙に側面攻撃を仕掛けるっていうのはどうすか?」
「さっきよりも悪くはないが……それだと正面戦力が持ち堪えられないな」
「では突撃を誘引してからの側面攻撃というのは如何でしょう?」
「島津の釣り野伏せか……囮はどうする?」
「私とペパロニ、でしょうか?」
戦術の基本とは、如何にして自分達にとって優位な戦場を作るかにかかっている。
どうやって敵を分断して、どうやって敵の戦力を削るのか。全体の戦力で負けていようとも局地的に優位な状況を作り続けていれば、いつか敵を削りきることができる。それに加えて、フラッグ戦というのは実に古風だと私は思った。あのうつけの桶狭間の戦いを思い出す、戦力差で劣っていようとも敵の首元に一撃を加えるだけで致命傷を与えることができる。
総大将が戦場に立たなくてはならなかった時代、つまるところフラッグ戦というのは私の思考とマッチしていた。
「先輩ならどうしますか?」
不意にカルパッチョに話を投げられる。
私ならどうするか――敵の中で強い発言力を持つ者は二人、ヤイカとマイコだ。ヤイカ一人が相手であれば、勝ち負けまで持っていける自信はあるが、そこにマイコが加わると少し厄介なことになる。というのもヤイカ一人、マイコ一人の場合だと思考を読みやすいが、ヤイカとマイコが協力している場合だと思考を読むのが難しい。ヤイカがどこまでマイコのことを信用しているのか、どこまで戦術に寄与しているのか、その辺りが知りたい。これが戦国の世であれば、とりあえず文を送って、反応を窺っているところだ。
ならしますか? とカルパッチョは通信機を弄り、オープン回線にチャンネルを合わせる。
「はい、どうぞ。今ならたぶん、あちらと繋がりますよ?」
「なんと開放的な調略工作――ただの挑発行為になりませんか?」
「反応を見るだけ、ですよね?」
「……しませんよ。するのであれば、もっと前の段階からしています」
横目にオープン回線のチャンネルを記憶して、カルパッチョに元の回線に戻させる。この時代に、そこまで容赦ない作戦を使う奴はいないはずだ。
「私なら、そうですね。隘路に誘き寄せて、正面から迎え撃つ――できれば隘路の両側に戦車を伏せておきたいですね。それで全員が隘路に突入したところで最後尾の戦車を仕留めれば、あとは鴨撃ち……とはならないでしょうねえ、あれが敵大将だと。寝る虎を起こしますよ、きっと」
千代美が地図を動かす音が聞こえる、丁度いい場所があることは確認済みだ。
ですが、とカルパッチョが口を開いた。
「両側に戦車を配置しては――ヤイカなら、正面戦力の少なさで必ず見破ってきますね」
「なら私が用意してきたデコイが役に立ちそうだな」
「デコイ? ああ、あの私の戦車に乗っけている荷物っすか?」
そういえば最近、千代美は夜な夜な何か作業をしていたな、と思い出す。
「それでも弾幕の薄さで見破られそうですね。恐らく正面突破、少ない戦車でボンプル高校の突撃を止められる気は……」
「なら逆に、こう考えちゃえば良いんですよ――」
――破られちゃっても良い、とね。
フラッグ戦は戦力の削り合いではない、ただ一輌の敵を打倒するために如何に戦力を用いるかの戦いだ。極論を言ってしまえば、二十輌同士の試合で十九輌を討ち取られたとしても、敵を一輌撃破するだけで勝てるのがフラッグ戦なのだ。その一輌を倒す為に凌ぎを削る、その一輌を倒す為に知略を尽くす。
それにしても実際に命を捨てさせるわけではないのは気楽だ。死兵を気楽に戦略に組み込めるのは、作戦を立てる者としてもありがたい。むしろ実際の戦の方が不自由で仕方ないくらいだ。街一つを焼く、なんていう策も有りなのだろうか。そんな民衆を敵に回す真似、実際の戦争では絶対にできない。焦土作戦でもする気であれば別だが、自分の領土を焼くとか正気ではできない。勝利だけに拘れないのが戦争だ。
なにはともあれ私達の作戦は定まり、初期配置で試合開始を待ち続けることになった。
†
ボンプル高校の初期配置地点には四人の人間が集まっていた。
隊長のヤイカ、その懐刀のウシュカ、無口なピエロギ――そして名目だけは副隊長の私、マイコだ。
アンツィオ高校の情報は少ない。全国大会一回戦の時は素人同然の行進を見せていたし、サンダース大学付属高校には手も足も出ないままに蹂躙されてしまっていた。流石に練習試合の情報までは確認できていないが、練度という点においては我らボンプル高校には遠く及ばない。全国大会の時と比べると、多少は改善されているが、それでも私達とは比べるまでもない。
とはいえ隊長のアンチョビについての情報は知っている。中学生時代の彼女は西住まほ、ダージリン、ケイと並び称される程の人物であり、他三人とは少し変わった経歴を持つ人物でもあった。西住まほ、ダージリン、ケイの三人には源流と呼べるものがある。西住まほは言うまでもなく西住流、ダージリンは聖グロリアーナ女学院の伝統、そしてケイはサンダース大学付属高校が誇る最先端の戦術。しかしアンチョビには源流と呼べるものが一つもない。独学で学び、発案し、試行錯誤を繰り返すことで西住まほ、ダージリン、ケイの三人と肩を並べ続けてきたのだ。その戦車道に対する才覚は、三人に勝ることも有り得る――かも知れない。
つまり油断してはならない相手、ということだ。
「警戒すべきは結月ゆかりよ」
ヤイカは断言する。
「あいつは何者なんですか?」
「……分からない」
私が問いかけると、彼女は魚の骨が喉に引っかかったような苦渋を顔に浮かべながら告げる。
「藪を突けば蛇が出るのは確実、もしかすると龍が出てくることもありえるかも知れないわ」
「……ならいっそ眠らせたまま勝つ方針で良いのでは?」
再度問いかけると少し悩んだ後、そうね、とヤイカは口を開いた。
「勝負は勝たなくては意味がない……戦車の性能に差がなければ、ボンプル高校こそが最強ッ!」
ゾクリと背筋が震えた。ヤイカから発せられる気迫に気圧された。
木々から鳥の群れが羽ばたいていった。
「淡々と、粛々と、フラッグ車を撃破する! それでいい、それが全てよ!」
そう言いながら親の仇のようにアンツィオ高校が布陣する先を睨みつけた。
「もうヤイカ、冷静になって!」
「冷静よ、冷静に対処すれば勝てる試合よ」
「……それに気にするのであれば、その結月って奴じゃなくってアンチョビじゃない?」
「アンチョビ……ええ、そうね、アンチョビ。彼女は厄介よ――たぶん公式戦車道を主戦場とする者達の中で、最も戦いというものがわかっている、はず……」
結月という人物に会ってから、ずっとこの調子だ。
こんな調子で勝てるのだろうか。ウシュカはヤイカを盲信しているし、ピエロギは喋らないし、あれ? 私が居なかったらヤイカのワンマンチームになっているのでは? そうなるとボンプル高校って
とりあえず今は目の前の試合、フラッグ戦は油断をすれば負ける。ヤイカは突破力はあるし、思い切りも良いが、少々自分本位で作戦を立てるところがある。えっと、ヤイカの作戦を主軸におき、私は脇を固めるように動けば良いのよね? ああでもヤイカの周りはイエスマンばっかりだし、勝手に飛び出さないように私はすぐ近くにいるべきだろうか。戦車の指揮は私やヤイカでなくともピエロギに任せても良いし、ああでもウシュカがいると多数決で負けるのよね。あらやだ、これ、実質権限ないじゃない。わかってたけど、わかっていて見えないふりしてたけど。小さい声にもっと耳を傾けてください、民主主義は大衆による少数派の弾圧ではないんですよ!?
ある程度は勝手に動くしかない。どうせあいつは私が勝手に動くことを知って、この立場に置いているのだ。
溜め息一つ、苦労人というのは何時だって、最も常識的な奴が収まるポジションなのだ。
今回はあっさりと終わらせる予定です。