隻脚少女のやりなおし   作:にゃあたいぷ。

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番外編:井手上家御令嬢は挫けない。②

 十歳で神童、十五歳で才子、二十歳過ぎればただの人。

 そんな諺があることを私は十歳の時に知った。その頃の私は自分が天才だと疑っていなくて、周りに存在する人物の全てが凡愚と嘲り哀れんでいた。特に私の姉、一卵性の双生児である武子(たけこ)は気の毒に思えてしまうほどに凡庸で、何をするにも一生懸命な癖に、欠伸混じりで適当に生きる私よりも事を上手く運べた試しがない。お母様に褒められるのは私の役目で、お母様に叱られるのは姉の役目だった。努力そのものには意味がないと私が理解したのはこの時で、もっと要領良く生きられないのかな? と鈍臭い姉を見ながら私は何時も思っていたのを覚えている。

 私は幼い頃、御母様が嗜んでいた影響で戦車道を始めた。その時からずっと戦車道を続けているが、当時の私は退屈凌ぎ以上の認識を持てていなかったように思える。少なくとも同年代で私よりも優れた子を見たことがなく、私は欠伸をするように事を熟すだけで皆が皆、私のことを羨望の眼差しで見つめてきた。涙ぐましい努力を続ける姉を余所に御母様から頭を撫でられながら褒められるのは当然の権利だと思っていた。ちやほやされるのは大好きだったから、ちょっとした勉強もしたし、それなりの努力をした自覚はある。でも、私の練習量や勉強量なんてものは、本気で戦車道をやっている奴らに比べると遥かに少なかったに違いない。

 私は才能がない奴らの努力を踏み躙ることに快感を覚えていた、退屈凌ぎになる程度には楽しかった。だから私はがむしゃらな努力なんかしなかった、それなりの練習と勉強で相手を叩き伏せるからこそ楽しいのだ。そして、それを止める人は誰も居なかった。私には大した道徳心はないけども、道徳心が如何なるものか理解していたから表に出さなかっただけでもある。そうであったから、私の世に対するなめくさり具合は相当なものだったに違いない。

 私が御母様に連れられて、御母様が仕える西住家に赴いたのはそんな時の話だ。

 

 その日は空が透き通るように綺麗だったことを覚えている。

 思わず、大きく息を吸い込んで深呼吸してしまう程で、いつもよりも空気が美味しく感じられた。太陽の光は暖かくて、吹き抜ける風は涼しくて心地良い。姉と一緒に連れてこられた西住家の御屋敷は私が思っていた以上に大きくて、敷居が広くって、そしてなによりも綺麗だった。こういった日本家屋は古めかしい印象があっただけに、床や柱、障子などが新しいというのは、なんというか新鮮な感じがする。太陽を浴びて艶めく床は思ってたよりも滑らない、何かが透明なものが薄く塗られているようだ。御母様が云うには、定期的に補修を兼ねた改築工事が行われているんだとか。大体、十年に一度とか、それくらいの頻度で。私がウキウキ気分で屋敷の中を見渡している時、姉は緊張で体を強張らせていた。今から会いに行くのは西住流家元の後継者だ。生真面目な姉には少し荷が重いようで、先程からずっと手の平に人を書いては飲み込んでいる。対して私は後継者様に大して興味はなくて、大きな欠伸をしながら先導する母の後ろを歩いた。井手上家を継ぐのは真面目くさった姉が良い、私のような自分勝手で自由気ままな人間が誰かに仕えるなんて、絶対無理ムリかたつむりだ。そこでふと思ったのだが、まるで周りが見えていない姉と前ばかりを見つめながら御託を並べる御母様、あっこれ簡単に抜け出せるなって思った私は、ヒョイッと脇道に逸れてから屋敷の外へと飛び出した。興味があるのは物置とか蔵とかで、こんな由緒正しそうな家柄なら、きっと面白いものがあるに違いない。後ろから姉の叫び声が聞こえたけど、聞こえなかったことにした。

 庭も大きくて、敷地内の道幅も広い。どうして、こんなにも広い作りにする必要があるのか、その答えは探検気分で立ち寄った納屋にあった。

 Ⅲ号突撃砲、第二次世界大戦中にドイツ軍が一万を超える数を量産したベストセラー戦車だ*1。日本では三凸の愛称でよく知られるそれが納屋に置かれていた。戦車はよく見慣れている。でも、家に戦車が置いてあるというのは流石に珍しかった。油と鉄、それに埃の臭いがする。指先で装甲を擦ってみれば、案の定、埃が溜まっているのがわかった。酷い、という程ではないが、所々が錆び付いている。私はⅢ号突撃砲によじ登ると、キューポラから中を覗き込んだ。車内は思っていたのと違って綺麗だった。こんなところで放置されているくらいだから廃車なのかなって思ったりもしたけども、パッと見では壊れた様子はない。水没した形跡も見当たらなかった。

 私は車内に潜り込むと砲身を手に取ってみたり、操縦桿を握って感触を確かめたりする。良い戦車だね、となんとなしに思った私はもう少しだけ此処に居たくなって、少しの間、車長席に腰を下ろした。そうこうしている内に納屋の扉が開けられる。話し声がする、二人で片方は姉の武子だ。もう一人も声色からして自分と同年代程度のようだ。これなら姿を現しても大丈夫そうだ、と判断した私はキューポラから身を乗り出す。

 私の顔を確認するや否や、「ゆっこ!」という真面目くさった姉の怒声が納屋に響き渡った。

 

「ん、こんなところにどうしたの、姉さん?」

「姉さんじゃない、お姉様! それはこっちの台詞よ!」

「それを言うなら私もゆっこじゃなくて弓子(ゆみこ)って呼ばないといけないよね?」

 

 いつも通りの反応に加えて、いつも通りのやり取りだ。

「あーもう、こんなに着物を汚しちゃって!」と指摘されるのもいつも通りのことだったので「あーもう、うるさいなあ」と面倒くさがりながら答えるのもいつも通りの対応になる。そして、姉の叱責から逃れる為に話を切り替えるのもまたいつも通りだった。ちらりと横目に覗き見るのは姉の隣にいる女性、私達よりも年上っぽい感じがする。そして、この屋敷にいる子供と云えば、二人しか存在していない。西住まほと西住みほ、そして恐らく、目の前にいる少女はまほで間違いないはずだ。

「貴方がまほお嬢様だね。私は弓子よ、よろしく」と煤汚れた手を差し伸べると彼女は小さく笑みを浮かべて、「私は西住まほ、よろしく頼む」と手を受け取ってくれた。あら意外、育ちのなっていない子供とか言って、嫌悪感を示すと思ったのにね。

 

「おぉ、なるほど。君とは良い関係を築けそうだ」

 

 嫌味とも取られ兼ねない戯けた調子で答えると「そうだな」と含みを持たせない実直な態度で同意される。

 なんだか調子が狂うな。そんなことを思いながら西住まほとの初めて顔合わせを終える。

 

 当時の私にとって戦車道での勝利は当然で、大事なのは勝ち方だった。

 最後に勝つのは決まっているけど、どのようなストーリーで勝利するのか、ということだ。遊びに興じることもなく一思いに倒してしまうのも、希望を持たせてから絶望に叩き伏せるのも、自尊心を搾取するように徹底的に倒しきるのも、好きなように私の思うがままに、相手を私の手のひらで踊らせることが私にとっての戦車道であった。

 もちろん相手には悟られないように遊んでいる。特に御母様に気付かれると面倒なので、慎重に事を運んでいる。圧倒できる相手を圧倒せず、そうあっても不思議ではないように常日頃から適度に手を抜いていたりもする。

 それが私の戦車道での楽しみ方だった。

 

「……っざけんなッ!!」

 

 親交を深める為の一対一の練習試合、私は西住家から貸し与えられたⅣ号戦車H型を相方に指揮を執っていた。

 当時の私は、天才と勘違いする程度には何でもできた。砲手、装填手、操縦手、通信手、中でも最も私の才覚を発揮できるのは戦車長だと自覚していた。誰かの上に立ちながら指揮を執る存在は、配下の能力は勿論、その仕事内容も把握している者こそが相応しい。車内のことであれば、秒単位で管理してみせる。私が誰よりも戦車を動かせるのだと信じて疑っていなかった。

 しかし今、同型の車輌を相手に劣勢を強いられている。

 

「……クッソめえ! 推測、四秒後に敵戦車の装填完了するわッ! 装填直後に気を付けて――3、2、1……来るッ!!」

 

 敵戦車の発砲炎が目に入ると同時に砲煙が吹いて、その一瞬の後、擦過音と砲声が耳に飛び込んできた。砲弾は装甲を掠めて、車体を揺らし、後方の何処ぞに着弾する。回避行動を取っていなければ、直撃か。良い腕をしている。装填手も操縦手も、本当に良い腕で嫌気が差す。そして何よりもうざったいのは敵車輌の戦車長、西住まほだ。彼女の存在が、私に苦戦を強いている。しかし今、相手は砲を撃った。これから少なくとも八秒近くの装填時間がある、相手が動いていれば更に時間は伸びる。反撃する時間は充分にある、だが、しかしだ。私達の戦車から砲撃音が鳴り響かない。

 

「照準の中心に入って来ないって!?」

 

 相手が三発も撃っている間に私達は一発しか撃てていなかった。

 しかも砲手は半ば戦意喪失してしまっている。話を聞けば、照準に捉えることができないのだとか。操縦手は行動の一手先を読まれてしまっているとかで、私の指示なしでは動くことができなくなっていた。装填手もなにか異変に勘付いているのか、顔色が悪い。私達には見えないなにかが見えている、とか呟いている。

 ――そんなオカルト的な話とか信じてたまるか。

 相手の読みが鋭いのであれば、その読んだ先の行動を読み切れば良い。更に先を読まれるのであれば、その先を。読み合いになってくれば、逆に初手で読まれた行動を取って裏を取れば良いだけの話だ。砲身の向きで弾道が分かるのだとすれば、相手の次の行動を誘発する為の砲撃に切り替えれば良い。当てるだけが戦車道ではない。砲手には何処を狙うべきか逐一で指示を出し、操縦手の背中を頻繁に蹴り付けた。装填手の動きが鈍くなれば、声をかける。それらを並列しながらキューポラから敵の動きを把握した。そこまでして、漸く、食らいついている。この私が振り落とされまいと食らいついている。

 ――ふざけるな。こんな、ふざけたことがあるか。

 私は天才だ、勝利は当然の権利。私が拘るのは勝ち方だけだ。そうあるべきだと思っていた。

 見下ろせば、砲手が泣きながら照準器を覗いている。もう責任感だけで動いている状態だ。異変には気付いている。あの戦車は今まで私達が戦ってきた相手ではない。その重圧は対戦相手の戦意を根こそぎ奪い取るものだ。もう彼女は使いものにならない、彼女を立ち直らせるには時間が足りない。彼女のままでは勝てない。当たり前に勝利する、それが許されないのは私にとっての屈辱だった。

 これは一度きりの奇襲になる。

 

「私の自己紹介。名前を告げるよりも、もっと分かりやすい名乗りがあるんだ」

 

 砲撃する。外れる、と確信を以て放った砲弾は吸い込まれるように敵戦車の砲塔を貫いた。

 

「私は……天才なんだよ」

 

 砲手席に座りながら歯を食いしばって、笑みを浮かべる。

 車内の隅では砲手の子が泣き続けていた。読み合いを放棄する形での勝利、こんな形での勝利なんて望んでいない。

 勝つ為に、ただ勝つ為に、その意思を持ったことが許し難かった。

 

「良い勝負だった」

 

 試合後、まほが嬉しそうな笑みを浮かべて手を差し伸べてくる。

 

「ええ、まあ、こんな結果は当然ですし?」

 

 気に病む必要はないですよ、と言いながら彼女の手を取る。

 

「何故なら、私は天才なので」

 

 そうだな、とまほは嫌味のない笑顔で頷き返した。

 それがまた癪に触り、怒鳴り散らしそうになる想いを飲み込んで、彼女に背を向ける。

 表向きにはメンバーを労う為に、本音は悔しさを隠す為だ。

 

 この日、私は本気で戦車道をやろうと心に決める。

 西住まほに勝つ為に、それも当たり前に。

*1
区別するのが面倒なので、当作品では、無限軌道に装甲があって砲身が付いていれば、戦車として扱っています。履帯はなくても良い(クリスティー式感)


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