隻脚少女のやりなおし   作:にゃあたいぷ。

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番外編:井手上家御令嬢は挫けない。④

 白旗が上がっている、黒煙が空高く立ち昇る。

 目の前ではケイが仲間達に囲まれながら号泣しており、それを私は呆然と見つめていた。

 彼女の愛車であるM4中戦車は無傷で、私の相棒であるⅣ号戦車H型は見るも無残な姿で白旗を上げていた。

 十三歳の初夏、非公式中学戦車道九州大会決勝戦。私は初めて、まほ以外の人間に負けた。それも完膚なきまでに、手も足も出なかった。運ではない、失敗らしい失敗もなかった。言い訳のしようもない、実力で完全に上回られた。

 ケイは真っ赤に腫らした目で私の前まで歩み寄ると、自分の胸に手を当てて告げる。

 

「私はケイ、サンダース大付属中等部戦車道チームのエース! マイネームを覚えて貰うわ!」

 

 ああ、うん。と私は気のない返事で返した。

 この時、私の中で張り詰めていた何かが、プツンと切れた気がしたのだ。

 

 

 これは私が初等部から中等部に上がる頃の話だ。

 九州にはラスボスがいる――コアな学生戦車道ファンの間で、まことしやかに囁かれていた噂話だ。

 拠点を九州に置いていた私にも噂の真偽を確かめに来る仲間達は多かった。この噂は本当だ。「九州には、負け越している相手がいる」と西住まほが述べた相手として、該当する人物は一人しか居ない。

 井手上弓子。九州から外には出ず、公式戦にも出ない変わり者だ。そして私、ケイが唯一勝ち星を上げられない相手でもあった。

 彼女はとにかく口が悪い。先輩を敬う気持ちは欠片ほども持ち合わせておらず、有り余る才能を自分勝手で気儘に振るい続ける傍若無人の類でもある。でも、そんな彼女のことが私は大嫌いではなかった。好きか嫌いかと訊かれれば、迷いなく嫌いと断言できる。しかし生涯拒絶し続けようと思うほどでもない。彼女は忌むべき敵であると同時に、憧れでもあったのだ。西住まほの戦車道は他者を圧倒して寄せ付けない戦い方をするが、井手上弓子の戦車道は――彼女の性格の悪さとは裏腹に理路整然とした戦い方をする。彼女の行動には全て、経験と知識によって裏打ちされた理由がある。公式戦の合間を縫ってわざわざ九州の非公式戦に参加し続けたのは、私が彼女のファンだからという他に言いようがない。

 それに徹底的な(ヒール)役と考えれば、あれはあれで好ましいのかも知れない。

 私は嫌いだけど。彼女の戦車道は好きだ。

 

 サンダース大学付属高校中等部に進学した私は、来年、中等部に上がってくる弓子の為に丸一年を戦車道の研究に費やした。

 初めて非公式戦で負けた次の試合からビデオで撮影し続けてきた映像を使って、彼女の戦術や動きの癖を徹底的に分析する。戦車を動かす腕を磨くべきだという思いもあったが、弓子に勝てない内は九州の大会で優勝することはできない。それに彼女を研究することは、それだけで戦車道の研究にも繋がった。何故なら彼女の戦車道は西住まほのように異次元の感性に頼ったものではなく、常に最適解を選び続ける合理性の塊だったからだ。元より弓子の実力は全国トップクラス、今すぐに中学校の戦車道に紛れても充分に通用する実力があった。

 しかし、こうしてビデオを再生していると弓子の存在が末恐ろしく感じられる。

 私は初等部の頃も戦車道に時間を費やし、腕を磨き続けていた。日に日に実力を高めていた自覚はあるが、弓子と対決する度に才能の違いを思い知らされた。どれだけ手を伸ばしても縮まらない絶望的な差を感じたものだが――その感覚は間違いだった、とテレビに流れる映像を見続ける内に感じ取った。彼女の動きは試合をする度に良くなっていた。私と同じか、それ以上の速度で戦車の動かし方が上手くなっていた。差が縮まらないと感じたのは絶望的な隔たりがあり、腕を多少あげた程度では差を感じなかったからではない。彼女もまた努力していた、彼女が強いのは努力し続けているからだ。だから何時まで経っても差が縮まらない、私が続けてきた努力は彼女も当たり前に熟していたことを私は今知った。

 やっぱり井手上弓子は尊敬に値する、為人はさておき。年齢は関係ない、彼女は結果に見合うだけの努力を重ねていた。そのことが何故だか、とても嬉しく思えたのだ。才能ばかりがもて囃される荒廃した世界に一筋の光明が降り注ぐような、そんな心持ちだった。

 今すぐに戦車道の特訓を始めたい衝動を抑え込んで、映像内の弓子を睨みつける。

 次は負けない、と強い決意を持って、彼女の対策を考える。

 

 井手上弓子が優れているのは、判断の早さだった。

 兎にも角にもなにをするにしても反応が早く、敵が動いてから対応するまでの判断が尋常ではなかった。時折、相手が行動するよりも早くに行動を起こすこともあるが、それは決して勘ではなく、読みであることに気付くのは難しいことではない。彼女の行動は常に最善による最適解、読みが外れた時のことも考慮して動いている。

 だから彼女を倒すには、先ず、彼女の読みを外すことが重要だと考えた。

 

 中等部二年生になった時、必勝を掲げて臨んだ非公式の九州大会決勝戦。

 目の前には白旗を上げたⅣ号戦車H型、私が乗る愛車には傷一つないという完璧な勝利を弓子相手に収めた。天敵とも呼べる相手に私は四年目にして、漸く白星をもぎ取ることができた。本当に勝ったのだろうか、今ひとつ実感がない。なんせ初等部の頃から四年間、一度も勝てなかった相手である。初等部の頃は手も足も出なかった。これで勝てなかったら私は二度と彼女に勝つことはできない、という思いもあった。仕方ない、という諦観もあった。

 だからこそ、ここまで完璧な結果を出せたことに自分自身が疑心暗鬼になっていた。本当に勝てたのだろうか、これは夢じゃないだろうか。風が吹いた、髪が揺れる。風に乗せられた葉が頰に当たる。そして、通信機越しに私達の勝利が宣言された。

 ああ、勝ったんだ。と私は目元が熱くなるのを感じた。心の器から感情が溢れるように、熱いものが頰を伝った。

 

 誰よりも倒したいと思っていた、西住まほよりも倒したいと思っていた。

 認めて欲しいと思った、認めさせてやりたいと思った。伝えたいとも思っていた、私は貴方の戦車道が好きだと、貴方がいたから私は強くなることができたと、それでいて、やっぱりスカッとした気持ちもある。歳上に敬意一つも払わない生意気な糞餓鬼に、一泡吹かせられたことが気持ちよかった。よく分からない、色んな感情がごちゃまぜになって溢れ出し、涙が止まらなくなった。

 それでも一言、伝えなくちゃいけない。そう思ったから涙を拭って、彼女の側まで歩み寄る。

 

 呆然とキューポラから身を乗り出していた弓子に向けて、胸を張る。

 そして立てた親指で自分を示しながら告げた。

 

「私はケイ、サンダース大付属中等部戦車道チームのエース! マイネームを覚えて貰うわ!」

 

 漸く貴方と同じ舞台に立つことができた。

 伸ばし続けてきた手が届いた。私は貴方のことが嫌いだけど、貴方の戦車道は好きだから、これからもずっと一緒に切磋琢磨し続けたいと願っている。だから彼女に先ずは名前を覚えて貰うことから始める。そして何時からは全国を舞台に競い合いたい。九州には、こんなに凄い奴がいるんだぞ、と全国の戦車道関係者に見せてやりたかった。彼女に負けない為の努力を続けた四年間、それは屈辱に塗れたものだったが――彼女に勝利した今となっては、その過去は誇りに変わっていた。

 しかし、私の望みが叶うことはない。その翌日から弓子の名前は忽然と聞こえなくなった。

 

 

 中学生時代の三年間、進学してから最初となる九州大会。

 その決勝戦でケイに負けてから、私は一度も勝利することができなくなっていた。

 何かが変わってしまった気はする。でも何が変わってしまってしまったのか、よく分からない。私が取る行動の全てが裏目に出る。じっくりと落ち着いて攻めれば勝てるはずの相手にも、勝てなかった。逆に感覚を研ぎ澄ませようとしても、簡単に砲撃を受けてしまった。最初は運の悪さが重なっただけだと思った。でも、私の中で歯車が噛み合わない。頭の中で想定していた動きと、実際の敵と味方の動きに生じる齟齬が増えた。私の感覚通りに現実が動いてくれなくなった。原因が分からないまま、負けて負けて負け続けて、まほにも勝てず、そのまま中学生時代を終えてしまった。

 初等部の頃から共に戦車を乗っていた面子は、他のチームに引き抜かれて私一人が残る。Ⅳ号戦車H型の中に私一人きりだ。

 

「十五で私はただの人か……」

 

 鉄と油、それに埃の臭いが篭る車内で私は独り、溜息交じりに呟いた。

 

 

 


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