ボコられグマのボコ、午後四時半にお茶の間で放映されているアニメ作品だ。
幼い頃に観続けた記憶があるけども、正直なところ、なにが面白いのかわからない。だけど姉武子はボコの何に感銘を受けたのかわからないが、必死になりながら応援を続けていた記憶がある。何処かのデパート屋上のヒーロー(?)ショーでも席から立ち上がって声援を送っていたことを鮮明に覚えている。でも、負ける。ボコボコにされて負ける。負けちゃったね、と云うと、それがボコだから、と姉は困ったように笑った。あとで知ったことだけども、アニメの視聴率が4%で安定しており、5%を上回ることはないが、3%を下回ることもないという絶妙な立ち位置を確立しているようだ。今ではコアなファンが多いというか、コアなファンしかいないカルトアニメとして認識している。*1
そんなボコられイキりグマのボコをテーマに置いたのが、このボコミュージアムである。
閑古鳥が鳴いている。
整備するだけの収益も確保できていないのか、何処も彼処も荒れている。とはいえ人が居ない訳ではなくて、ちらほらと着ぐるみ被った従業員が見受けられる。というか他に誰もいない。自販機にはボコ以外のキャラクター飲料は全て売り切れており、試しに買ってみると缶ジュースなのに賞味期限があと二週間とかになっていた。フードコーナーでは、ボコキャラクターをモチーフにしたものは全て、売り切れている。スーパーで六十円程度で買えそうな菓子パンが百円で売られていた。お土産コーナーでは日焼けした商品が過半数、そして、半分以上が割引キャンペーンを行われている。お買い得、と喜ぶ小さな御姫様。一個買うともう一個ついてくる! と書かれた札を見て、在庫処理だろ、と心の内側だけでツッコミを入れる。
意外にもアトラクションは全て稼働していた。時折あるホラー要素よりも、不協和音を立てる乗り物の方が怖かった。
正直、退屈で仕方なかったけども、嬉しそうにボコミュージアムの中を解説してくれる御嬢様を見ているのは飽きない。なんだか、ちょっとした妹ができた気分だ。姉は過保護かってくらいに私の世話を焼こうとしてくるけども、今の私の心境と似ているのかも知れない。
くうっとお腹が鳴いたから、頰を赤らめる御嬢様の為に菓子パンを買いにフードコーナーに立ち寄った。
賞味期限切れ間近の菓子パン四つ、おまけとしてボコシールを貰ったので御嬢様に手渡してやると「ありがとう、お姉さん!」と満面笑顔で胸に抱いた。やばい、私の意地悪い性根が浄化されそうだ。そんなこんなで夕暮れ時、御嬢様のスマホに連絡が入ったからボコミュージアムを出た。すると出入り口の先には、何処かで見たことある大人の女性が一人で突っ立っている。
「お母様!」と繋いでいた私の手を振りほどいて、御嬢様は母親に飛びついた。
私は作った笑顔で親子の感動の再会を見守りながら思考を展開する。
(あれって島田流家元の島田千代だよね? ということは彼女は来年、大学生に飛び級するとかいう愛里寿?)
私は仮にも井手上家の人間、西住流に所属する存在だ。
このまま距離を置こうかと考えていると「そこのあなた」と千代が目敏く声を掛けてきた。さて、どうしたものか。と考えた後に、自分は九州から出たことがないので顔を知っているはずもないか。と開き直り、千代と視線を合わせる。
此処で下手に恐縮したら逆に怪しまれる。だから、「なんでしょう?」と私は臆せずに問い返した。
「娘をありがとうございます。ここは山の中で夕暮れ時、夜に一人で歩き回るのは大変ですよ」
もし良ければ、と千代は愛里寿を抱きしめながら私に問いかける。
「街まで送りましょうか?」
「いえ、お構いなく、私は――」
言いながら私がバス停に視線を向けると「三十分前に来たバスで最後だったはずですよ」と微笑まれた。
「大人として、ここに一人、置いていくわけにはいきません。どうか好意を受け取ってください」
知らない人について行ってはいけないと言われているので――そんな言い訳を考えていると愛里寿が私の服の裾を引っ張った。
「一緒に来て欲しい」
それでも断ろうとすると、しゅんと愛里寿が気落ちする。
子供は卑怯だ。そんなことを思いながら私は千代の好意を受け取った。
†
朝、目覚めると下手なホテルよりも豪華な部屋に居た。
此処は何処か、昨日のことを思い返し――ああ、そうだった。と一人で納得する。
此処は島田家の屋敷だ。昨日、あの後に私が漫画喫茶に泊まる予定だと言ったら、千代が家に泊めると言い出して話を聞いてくれなくなったのだ。そのまま島田家の屋敷まで連行された私は風呂と夕食を頂き、そのまま就寝した。今、着ているパジャマは愛里寿に貸して貰ったものだ。荷物になるだけだと思って、家にパジャマは置いてきた。私服でも良いって言ったんだけども、愛里寿が「遠慮しないで!」ってぐいぐいと来るので受け取ったら、ボコの着ぐるみパジャマだった。つまり今の私はボコられグマの弓子である。ボコられるよりもボコりたい。愛里寿にボコぐるみな私の姿を見せた時、「似合ってない」と露骨にがっかりした顔で言われた。ボコって良いかな? こう、ぎゅっと握りしめた拳を側頭部に添えて、ぐりぐりって感じで。
さておき、私は島田家の厄介になっている。
部屋を出るとベーコンを焼いた美味しそうな匂いが鼻先を擽り、それに釣られるようにトンタントンと階段を降りた。するとカッターシャツにエプロンを着た千代が台所で料理を作っていた。
「あら、丁度良いところ起きてきたわ」
私の姿に気づいた千代は「悪いけども愛里寿を起こしてくれるかしら?」と卵焼きを転がしながら問いかける。
それを了承した私は、二階へと足を運んだ。トンテントン、ボコぐるみ弓子さんはノックを数回、反応がないことを確認してから「悪い子はいねがーっ!?」と部屋に突撃した。すると天使がベッドで布団に包まっていた。やっばい、可愛すぎるなあ。と私はスマホを取り出して、パシャリと寝顔を撮り、とりあえずネット上にバックアップを取ってから、もう数枚、パシャパシャッと別角度から写真を撮っておいた。それらもネット上にバックアップを取ってから悠々と愛里寿を起こしに掛かる。
ゆさゆさと体を揺らすと愛里寿は重そうな瞼を半目に開き、「……ボコ?」と問われた後、「違う、偽物」と言われて不貞腐れるように瞼を閉じた。とりあえず拳二つを側頭部にぐりぐりと押し付けてやる。
「……違う、こんなのボコじゃない」
愛里寿は涙目になりながら身支度を整える。
長い髪は整えるのが煩わしかろうとボサボサになった髪に櫛を通して、あざとく可愛くツインテイルに纏め上げる。「こんな甲斐性があるボコなんてボコじゃない」とか言われたので、手をワキワキさせながら彼女の服を剥ぎ取り、そのまま着付けまでを完璧に熟した。これぞ、井手上流奉仕術。家事が下手な次期家元の代わりに屋敷の掃除に洗濯、炊事といった家事全般を一手に引き受ける井手上菊代をして、教えることはない、と免許皆伝を授けられた腕前だ。僅か三ヶ月で姉武子を超えた才能を聞いて驚け、見て驚け、着付けの際に触れた肌触りで肌年齢からスリーサイズまでも掌握する。その精度の高さは、母が二度と私に着付けをさせてくれなくなった程だ。
フゥーハッハァーッ! 偏食が過ぎる、栄養の偏りが肌に現れているぞ、島田愛里寿ゥーっ!!
四十歳近い母の肌よりも十代の小娘の肌を触っている方が良いな、とか、そんなことを思いながら、調子に乗った私、ボコぐるみ弓子さんは軽くメイクまで施して完璧に仕立て上げた。どうにも私は、自身が着替えるタイミングを逸したようだ。愛里寿に手を引かれながら、とっとこボコ太郎と階段を降りる。
いつも以上に可愛く仕立てあげた愛里寿の姿を千代にお披露目する。天使的可愛さを誇る愛娘の姿を目に収めた千代はビクンと身を強張らせて、そして胸元を強く握りしめながらその場に崩れ落ちた。「私の娘が尊すぎて、辛い……」と歯を食いしばる姿に私は勝利を確信する。娘が来た、そして母は見た。故に私は勝った。真の天才は対峙した瞬間に勝利する、戦う前に勝つというのはこういう事だ。戦車道の生ける伝説、島田流家元の島田千代を相手に天才の私は労せずして勝利した。どうやら私はまた自分が天才であるということを証明してしまったようである、天才で本当に申し訳ない。
高らかに拳を上げるボコぐるみ弓子さん。それはボコじゃない、と冷ややかな目で私を見つめる愛里寿。震える手でスマホの誤動作を連発する島田千代。
そして食パンは焦げた、まるで写真のフィルムが真っ黒に感光したようにッ!
朝食はトーストに卵焼きとベーコン、それに野菜サラダが添えられる。
御嬢様に今すぐに着替えるように催促された私は私服に着替えて席に着き、トーストにバターを塗りたくる。隣には愛里寿が座っており、いそいそとトマトを私の皿に移そうとしてきたのでデコピンをかました。うーっと額を抑えながら涙目で睨みつけてくるけども、私の知ったことではない。食べると胃がムカムカして気持ち悪くなるほど嫌いという訳ではないのだ、食べられない方が悪い。炭化した食パンをもそもそと頬張っている千代が微笑ましげに私達を見つめているから、この選択は間違っていないはずだ。
まあ、どうせ今日までの付き合いだ。西住流と島田流は相容れない、今日も昼までには家を出る予定だ。
「お味はどうかしら? 井手上さん」
「美味しいです。この卵とかなんだかケーキみたいにふわっふわで甘くて……ん?」
「どうかしましたか、井手上弓子さん」
私の手が止まる、きっと私は間抜け顔を晒していたに違いない。
呆然と目の前に座る千代が微笑む顔を見つめる。シュババッと忍者の如き身のこなしで、愛里寿がトマトを私の皿に移そうとしたのでデコピンで撃退しておいた。今、彼女はなんと言っただろうか。愛里寿が半泣きで今にも泣きべそをかきそうだったので、とりあえず頭を撫でて、油断した隙に口の中に私のトマトを突っ込んでおいた。
井手上弓子、確かにそう言った。悶絶する愛里寿に牛乳を差し出しながら、私は思考を回転させる。
「警戒しなくても良いわ、別に取って食おうとか思ってないわよ」
ただちょっと気になっただけ、と千代が薄目で私を見つめる。隣で愛里寿が恨みがましい目で私を見つめる。なんとなしに鼻を摘んで、もう一度、トマトを突っ込んでおいた。
「井手上家の人間が黒森峰女学園に行かなければ、戦車道のない高校である大洗女子学園の入試を受けている」
「……それってそんなに変なことですかね?」
「いいえ、家の決まり事なんて、つまらないものよ」
千代は一生懸命に牛乳を飲んでいる愛里寿を愛おしく見つめる。
「ただ、貴方は違うわよね?」
私は甘ったるい卵焼きを口にしながら千代の言葉に注意深く耳を傾ける。
「西住まほは“九州には、一人だけ、負け越す相手がいる”と言ったわ。それって、貴方のことじゃないかしら?」
「それは私ではありませんよ。当時でも、私が負け越してますし、今となっては相手にもなりませんね」
ふぅん? と千代が訝しげに眉を顰める。
「あれ、弓子って戦車道やってるんだ」
「嗜む程度には、愛里寿の期待する程ではありませんよ」
もそもそとトーストを頬張った。
懲りずにトマトを移そうとしてくる愛里寿の鼻を摘もうとして、躱されて、そのままカウンターでトマトを口の中に突っ込まれた。うん、美味しい。もっしゃもっしゃと満面の笑顔で頬張ってやると、愛里寿は釈然としない様子で、じぃっと私のことを見つめてきた。
いや、私、嫌いなものとかないですし、トマトの美味しさがわからないとは哀れなものよ。
「まあ貴方の御家事情はどうでも良いわ」
千代は小さく息を零してみせる。
「貴方、時間があるのならちょっとしたアルバイトを頼まれてくれないかしら?」
「……アルバイト? いや、私はまだ入試の予定が他にも詰まっているので……」
「その時は私がヘリでも飛ばしてあげる」
大したことじゃないわ、と千代は立てた人差し指を指揮棒のように振るってみせた。
「私、仕事で家に帰れることが少なくて、それで何時も愛里寿には寂しい思いをさせているから一緒に居て欲しいのよ」
「昨日の今日に出会ったばかりの小娘に頼むことですか、それ?」
「人を見る目はあるつもりよ、それに――」
またしてもトマトを私の皿に移そうとした愛里寿がデコピンで迎撃される姿を指で差しながら告げる。
「――この子にそこまでトマトを食べさせられる者は今まで居なかったわ」
「自棄になって吐き出しませんからね。嫌いなものでも食べ物を大事にしているのは良いことです」
「ええ、自慢の娘よ。今まで雇った使用人はみんな、迎撃も反撃もできなかったのよ」
困ったものね、と千代が頰に手を添えるが本気で困っているようには見えなかった。
とはいえだ。私自身は気にしないとはいえ親には親の面子がある。西住流と島田流という軋轢がある以上、私が島田流と仲良くすることは母の立場を悪くし兼ねない。しかし、と隣に座る愛里寿を見やると私を敵視するように睨みつけていた。
さっさと出て行け、とか、そんな感じで。
「是非とも、受けさせて貰いましょう」
私が満面の笑顔で快諾する。
「良かったわ」
千代も私に負けず劣らずの笑顔で頷き返した。
「なんで!?」と愛里寿だけが驚愕に声を上げる。ああ、うん、その顔が見たかっただけです。
クククと私が笑って、フフフと千代が笑い返す。
「とりあえず掃除道具の場所とか教えて頂きましょうか」
「あらまあ、家事までしてくれるのかしら?」
「これでも井手上流奉仕術の免許皆伝です。予め触れてはいけない場所とか、使って欲しくない食材とか教えて頂けると動きやすいですね」
「それも含めて、一度、共に家を回りましょう。あとで入試のスケジュールも教えてくれないかしら?」
「本日中に纏めておきましょう」
トントン拍子に話は進み、千代との間で契約が交わされる。
終始、愛里寿は会話から置いていかれたままであり、彼女が気付いた時には話は纏まっていた。
こうして私は島田家の臨時使用人になったのである。