隻脚少女のやりなおし   作:にゃあたいぷ。

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番外編:井手上家御令嬢は挫けない。⑧

 おかしなことになったな。

 長らく間を空けての戦車道、鉄と油の臭いを嗅ぐのも久しぶりな気がする。

 でも慣れた臭いではないので懐かしいとかはあまり感じない。これまでずっとドイツ戦車ばかり使ってきたので、それ以外の戦車が目の前にあることに違和感を覚える。特にこのM4中戦車(シャーマン)、今はサンダース大学付属高校の戦車道チームに所属しているケイが好んで乗っていた車輌だ。私にとっては味方というよりも敵の印象の方が強い。

 とはいえ九州大会の決勝戦で幾度も戦ってきた戦車だ。その運用方法はケイより、強みと弱みは経験から熟知している。

 今回、私の手足となってくれる戦車のメンバーは、島田流の門下生から選ばれている。私は彼女達が普段、使用している指示やサインを聞き取り、確認を行っているところだ。今、新しく決めるよりも、馴染みのある合図の方が反応が早いのは自明の理。それに、彼女達に合わせて貰うよりも私一人が合わせる方が効率が良い。なんとなしに浮ついているのが少し気になるところだ。

 敵となるのは島田愛里寿、車輌は同じM4中戦車(シャーマン)。その戦車チームの練度の高さは以心伝心と評して良い。島田千代が現役を退いた今、社会人を含めても日本最強の一角を担う戦車チームが今回、私が戦う相手だ。私は自分のことを天才だと自負しているが、彼女は同じ天才でも天才としての格が違っている。

 天才が認める天才、それが島田愛里寿という存在だ。

 勝てるだろうか? と胸の内に沸いた疑問に、やりようはある。と結論を付ける。

 憧れの愛里寿と戦えるなんて、と目を輝かせながら語り合うメンバーに、どうせなら勝ってみようよ、と私は端的に告げた。この言葉に操縦手と砲手、それに装填手の三人がキョトンとした顔で私を見つめた。通信手はいない。まるで勝つなんてこれっぽっちも考えていなかったかのような反応に、思わず苦笑してしまった――しかし、この反応は最悪ではない。これで失笑でもされようものなら戦う前から負けている。えっ、嘘? どうやって? と困惑し始める彼女達を前に、聞く耳は持ったな、と笑みを深めた。

 流石にカエサル式の三段活用を使うことは難しいが、勝負の場に立つことはできそうだ。

 

 

 ちょっとした仕返しのつもりだった。

 最近の弓子は私のことを舐めている節があったので、少し懲らしめてやろうとかそんな軽い気持ちだった。

 戦車道なら万に一つも負けはない、少なくとも中学生までが相手なら私の敵になる者は誰もいない。高校生であっても私の相手を務めることは難しい、大学生や社会人で漸く私と戦いになる者がちらほらと現れる。それは自らの実力に対する自負や自尊心、自信から言っている訳ではない。客観的に分析した上での結論だった。

 正直な話、世界を相手にしても同年代で私と肩を並べられる存在は片手で数え切れる程度だと思っている。海外のプロリーグも練度は高いと思うけども、今の私が全く通用しない訳ではないと感じていた。

 つまるところ、私は天才だった。

 世界大会で数々の伝説を打ち立てた母を一騎討ちで倒してしまった時、母は自らが一線を退く決断を下した。謙遜すれば嫌味になる程に、私は才能に満ち溢れていた。慢心している自覚はある。だけど、今、私の置かれている環境で、どうすれば慢心せずにいられるのか教えて欲しいくらいだった。戦車道は退屈だ、当たり前に勝利する。ただの確認作業に過ぎない。

 それでも私が戦車道を続けているのは、お母様が喜んでくれるからだった。

 

 だから、最近調子に乗ることが多い井手上弓子をぎゃふんと言わせるなんて朝飯前だと、そう思っていた。

 

 試合開始直前、M4中戦車(シャーマン)の砲口が私達の戦車に狙いすまされていた。

 開始直後に発砲するつもりだろうか。こんな距離(2km程度)では当てるのは至難の技、軽く車体を左右に振るだけで充分だと判断した。そして通信機越しに「開始!」と云うお母様の声が聞こえる。右にフェイントを入れてから左に車体を動かさせた。発砲炎が見える――その直前、私は背筋に嫌な予感を感じ取り、キューポラから乗り出していた体を車内に戻した。

 直後、装甲が砲弾を弾く、甲高い音が車内に響き渡る。

 ありえない、と心が困惑する。頭脳は現状の分析を開始していた。

 不意を打たれた訳ではない、動きを読まれていたとしても当てられるはずがない。直進していた訳ではなく、フェイントを入れてから左に曲がるタイミングも秒で刻んでいた訳でもない。偏差射撃の領域を超えている。改めてキューポラから頭を出し、仕返しの砲撃を撃とうとすると車体が静止する数秒前に弓子は回避行動を始めていた。

 動くのが早過ぎる。なんだ、あの動きは。普通だとあり得ない。

 

「近付いて」

 

 端的に指示を送る。躍進射撃を繰り返しながらの前進だ。

 砲撃の気配を見せるだけだと身動きしない癖に、しっかりと狙いを定めようとすれば、行動に移すよりも早くに弓子は回避行動を取った。歪だと感じる。正直、気持ち悪い。まるで数秒先の未来が見透かされているかのようだった。メンバーに指示だけ送り、体内時計を頼りに時間を測る。

 大体、二秒先の動きが見えているようだ。

 接近戦。未来を先取りさせてから撃てばいいと思って、指示を出し、相手が動き出したのを見てから指示を変える。早過ぎる行動は大きな隙を生むだけだ。無防備に開いた横っ腹に砲撃させる。

 それだけであっさりと弓子を撃破することができた。

 

「状況終了」

 

 端的に告げる、なんだかあまり勝った気がしない。

 

 

 試合開始直後。

 装甲で弾かれたとはいえ、早速、愛里寿が乗る戦車に砲弾を当てるとは思わなかった。

 それだけなら驚嘆するだけで済む話。問題なのは、その後の流れだ。私、島田千代は自らの体を抱きしめる様に腕を組む――薄気味悪い、と。まるで愛娘が取る次の行動を見透かすような動きに不気味さを感じる。彼女には何が視えているのだろうか。勘とか、そういう次元の話ではない。彼女の瞳には明確にナニカが視えていた。しかし、視えている自覚はないようだ。もし自覚があるのであれば、あそこまで早く動き出したりはしない。あれでは自ら隙を晒しているようなものだ、あれでは勝つことができない。

 その違和感は愛娘にも伝わっていたようで、試合に勝ったというのに大人しかった。

 

 

「やっぱり動きが噛み合わない」

 

 あの時、ケイに負けてから私の感性は壊れていた。

 確かに動きは視えたはずなのに――実際に避けられるタイミングで回避行動に移っても、結果は数秒前に巻き戻されたかのように砲撃を受ける。かといって動き出すタイミングを数秒遅らせると、今度は動き出すのが遅過ぎて砲撃を避けられなくなる。流れる時間に現実と感覚でズレが生じていた。原因はわからない。当たるはずの砲撃が当たらない、避けたはずの砲撃を受ける。そんなことを繰り返し、今日もまた同じことを繰り返す。

「あの愛里寿に当てたわ!」と砲手が諸手を挙げて喜び、「ええ、一生の自慢にできちゃう!」と操縦手の子が両手をぎゅっと握り締めて体を捩った。そして、装填手の子が「貴方やるじゃない!」と私の背中を何度も叩いてみせる。実は最初の砲撃は、私が砲手席に座って撃ったものだったりする。またサシで愛里寿が搭乗する戦車に当てられるチームはほとんどないそうだ。

 褒められているけども、なんだかな。という気持ちが強い。

 

 でも、これが無名の私と愛里寿との格の差と呼ばれるものなのだろうと思った。

 

 試合後、愛里寿は私と顔を合わせようともせず、不貞腐れるように何処かへと走り去った。

 戦車用の輸送トラックが撃破されたM4中戦車(シャーマン)を回収する横で、難しい顔付きの千代さんが歩み寄ってくる。視線は私を捉えている。ひえっ……とメンバーの三人がわたしから距離を取り、戦車と一緒にトラックに乗車しようとしていた。

 無様な試合を見せた。島田流家元からすれば、見るに耐えないものだったに違いない。

 

「深刻ですね」

 

 端的に告げられる。西住流と島田流の家元関係者は端的で抑揚のない声で指示を飛ばすので味方が萎縮する時があった。私はまあ、大丈夫だけど。それでもこう至近距離で私一人を標的にされると威厳のようなものに気圧されそうになる。愛里寿も指揮を執っている時は端的で分かりやすく、感情を表に出さないように心掛けていた気がする。怖い顔をしたままの千代さんは私に車へと乗るように促し、補助席に腰を下ろす。

 

「何処まで自覚がありますか?」

 

 その唐突な質問に、私は苦笑いを浮かべてみせる。

 

「言い訳にしかなりませんよ」

「澄ました面を見たくて聞いたわけじゃないわよ、言ってみなさい」

 

 溜息交じり、車のエンジンが吹かされる。車は走り出し、暫し悩んでから口を開いた。

 

「読みを外すようになりました」

「読み?」

「はい。動いた、と思った時に戦車を動かすと敵が動いてなかったり、撃たれた、と思った時に回避行動を取ると砲撃がまだ撃たれてなかったり……そんなことばかりですね」

 

 常識的に考えると私が読みを外して、勝手に隙を晒しているだけの話になる。

 

「やっぱり矯正が必要のようね」

「矯正?」

「視力も片方だけが視え過ぎると矯正眼鏡するでしょう?」

 

 貴方は視え過ぎているだけよ、と千代は言った後で、そうね、と車の運転をしながら片手で顎を撫でる。

 

「貴方、島田流に鞍替えするのはどうかしら?」

「……西住流は学んでいますが、別に門下生っていう訳ではありませんよ」

「なら丁度いいわね」

 

 まあ、うん。と私は言葉を濁しながら控えめに頷いた。

 西住流で得られる知識は全て、実践できるかはさておき頭の中に詰め込んである。

 だから少しばつが悪く感じられた。

 

「西住流にできなかったことを島田流が果たすというのも悪くないわね」

 

 ふふっ、と千代さんが浮かべた黒い笑みを私は見なかったことにする。

 車の窓から外を見ると知らない景色、前から後ろへと流れていった。じぃっと目を凝らすと看板にある文字を読むことができる。少し前までは、こんなことはなかった。ケイに負けてから感覚がおかしくなっている。日常生活には不都合のない範囲で――いや、と首を横に振る。昔の私は、あれだけ警戒をしている愛里寿にトマトを食べさせることができただろうか。思い返すと、少し視え過ぎていたような気がしないでもない。

 前のように戦車の指揮を執ることができるようになれば、その思いを抱いてなかった訳ではない。もしかすると私は、私が思っていた以上に――2hours4600yen、そんな文字が流れるのをぼんやりと見つめながら私は思考を続ける。

 じっくりと思い悩んだ翌日、私は島田流の門下生になった。

 

 

 




世界から見た島田千代のポジションはイチロー。
世界から見た西住しほのポジションは松井秀喜。

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