隻脚少女のやりなおし   作:にゃあたいぷ。

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番外編:井手上家御令嬢は挫けない。⑨

 雑踏と喧騒、様々な音楽が不協和音を奏でるゲームセンターに私は訪れていた。

 適当に選んだガンシューティングゲームをプレイする為に百円玉を四枚、投入する。緩くカーブがかった画面スクリーンを前に、私はゆっくりと息を吸い込んで胸を膨らませる。若干残る緊張を振りほどくように、細い息を長い時間をかけて吐き捨てた。画面の中心を見据える。視界には周辺視野と呼ばれる領域がある、この領域のことを私は視覚の中で意識していない視野だと認識する。視えているのに認識していない領域、意識することで普段、視えていない視野を認識することができる。

 何度も繰り返し言ってきたことであるが、私の双子の姉である武子は鈍感で鈍間で、その上、愚かでもあった。才能なんて欠片ほどもない凡夫である癖に、自分は姉だからと意気込んで、危険を承知で私を庇うように前に一歩進み出る。まさに力無き正義を体現する姉は、横断歩道で困っている老人がいれば手を差し伸べて、虐められている猫を見れば自ら進んで割って入る。向こう見ずな姉の為に私がどれだけ苦労を強いられてきたのか、果たして姉は知っているのだろうか。目の前だけを意識するのが姉であり、それ以外を警戒するのが私の役割だった。

 顔を上げる、緩くカーブがかった画面スクリーンは私の前方120度を覆っている。真正面だけを向いていればいい、そうすれば巨大な画面スクリーンを八割方を掌握することができる。1プレイ二百円、二人分の拳銃を両手に構えて、前を見据えたまま、襲い来るゾンビの頭部を正確に撃ち抜いた。二人分の弾数、ボム数、装備を掌握する。遠距離からの攻撃をシールドで弾き飛ばして、雪崩のように押し寄せてくるゾンビ達を銃を振り回すようにして、討ち滅ぼしてやる。肩幅ほどに開いた立ち位置からは一歩も動かず、視線は真正面から一度も動かさず、背後にギャラリーが集まり始めるのを感じながらハイスコアを叩き出していった。ミスは一度もなく、処理を続けるように淡々とステージをクリアする。そして最後のスコア画面を前に、私はYMKと打ち込んで二丁の拳銃を指定の場所に差し込んだ。

 きっと私は天才だ、そうでなくては凡夫の皆様に申し訳ない。貴方達とは違うんです、と私は集まったギャラリーを掻き分けて、同行していた島田千代と共に次のゲームへと移る。

 粗方、ゲームセンターにある筐体のスコアを荒らしまくった後で、どうよ? と口には出さずに胸を張り、千代さんに向けてドヤ顔を見せつけた。

 隣接するバッティングセンターでは向かってくる球をほぼ真芯で捉え続ける。来る球全てが同じ球速、同じリズムで、ほぼほぼストライクゾーンに来るから打ち返すのは難しくない。センター返しを心掛けて、ホームラン用の的を掠めたところでピッチングマシンのランプが消える。それとバッセンの隅の方にストラックアウトがあったから、ついでにやってみると的を四つしか仕留められなかった。四隅の的を狙うのは、そう難しいことではない。外角低めだけを狙えと言われたら、一球投げた後に微調整を加えると、大体、三球目辺りからはストライクゾーンを掠めるような球を投げることができる。難しいのは外角低めから内角高め、といった投げる箇所を大きく変える場合だ。急に投げる感覚が変わるので、狙った箇所から球が大きく逸れる。この辺りがアマチュアとプロとの違いだな、とか思いながら振りかぶり、胸を張り、腕を大きく開きながら力強く踏み込んで引き絞った腕を振り抜いた。縫い目に合わせた指先から押し出すように、綺麗な回転を掛けた球は外角低めギリギリいっぱいに突き刺さる。野球で最高に格好いいボールはアウトローへのストレート。十二球投げて、球速は最高で時速119kmだった。昨今の甲子園では時速150kmとかバンバン出すので、若干見劣りするかもしれない。「ソフトボールをしていれば、日本選抜に選ばれていたんじゃないかしら?」と感心する千代さんに「無理ですよ」と私は首を横に振る。だって私、練習嫌いですし、肉体を酷使するの嫌いですし、足腰を鍛える為だけにクッソつまらない走り込みを何十キロと続けるとか絶対に無理だ。

 余談だけど千代さんはバッティングセンターでホームランをかっ飛ばしていた。

 

 充分に遊び終えた後、

 近くの喫茶店に誘われた私は千代さんに、なんでも頼んでいい、と言われたから大きめのパフェを頼んだ。

 昔から甘いものはよく食べる。それは甘味が好きっていうよりも定期的に摂取しておかないと頭が痛くなってくる為だ。中学生の頃はポケットにラムネを常備しており、苛々したことがあると噛み砕いたりしていた。今回も四時間近くゲームで遊んだので、少し脳が疲弊してしまっている。

 千代さんは珈琲を一杯だけ注文し、白い湯気の立つそれを啜った。

 

「正直な話、想像以上でしたね」

 

 さりげなく口元を拭いながら千代さんが告げる。でしょ? と口には出さず、態度だけで返事をした。

 

「状況認識と判断力、物覚えも良く、しっかりとした知識と理論を持っている。ほぼ全ての分野において、貴方は高い次元にある能力を有しているようですね」

 

 世界に名を轟かせた日本戦車道の生きる伝説に、ここまでべた褒めな評価を貰えるとは思っていなかった。これはもう天狗になっても良いのでは? 慢心しても良いのでは? でれっでれに口元が緩むのが自分でも分かった。

 

「しかし貴方には私や愛里寿と同じ道を歩むのは難しい」

「でしょうね」

 

 千代さんの続く言葉に私はさらりと答えて、パフェに細長いスプーンを突き立てる。甘ったるいクリームを頬張る前で、千代さんが少し意外そうな顔をしていた。私は口からスプーンを外して、それを指先で軽く振ってみせる。

 

「私には勘が備わっていませんからね」

 

 卑怯ですよね、あれ。と私は苦笑を浮かべながら言葉を続ける。

 

「見た、聞いた、触れた、味わった、嗅ぎ取った。実際に得た五感の情報を頼りに推測して、予測を立てるのが私のやり方です」

 

 でもまあ、と私はクリームを口に含んでから続く言葉を発する。

 

「身近にまほが居ましたからね。そういう理屈だけでは説明が付けられないオカルト的な能力を持つ連中がいることも知っていますよ」

 

 通常、人間では知覚できない微細な違和感。

 よくある話で云えば、殺気を感じた。視線を感じた。と云った類の五感だけでは説明を付けられない能力の持ち主が世の中には存在している。西住まほは死角からの砲撃に対しても悠々と対応してくるし、島田千代と愛里寿も似たような勘を備えていた。簡潔に云ってしまえば、天賦の才。持って生まれた者だけが共有できる能力、努力では決して手に入れることができない才能だ。

 私にはそういった分かりやすい才能を持っていない。

 今代と次代の島田流と西住流は天賦の才を有していたが、歴代家元の全員が同じ能力を持っていたとは考え難い。それに個人ではなくて流派としても評価されている以上、彼女達のような特別な才能を必要としない戦い方も研究されていて然るべきだ。少なくとも私のお母様はオカルト的な能力を持っていなかった。

 それでも、お母様は西住流免許皆伝の資格を得ており、師範代の役割を担っていた時期もある。

 

「それで真っ当な島田流でも教えてくれるのでしょうか?」

 

 勿論、と千代は口にした後に続けて、言葉を連ねた。

 

「島田流は西住流と比べて集の強さに劣る」

 

 言った後で千代は肩を竦めてみせる。

 海外ではニンジャ戦法と呼ばれ讃えられた島田流。

 その内容は孤軍奮闘、寡兵よく大軍を破る。そんな言葉がよく似合う。

 しかし、そうではない。と千代は告げる。

 状況と環境に応じた変幻自在の戦術こそが島田流の本質であると彼女は断じる。

 あの時は偶々、それが最適解だっただけの話である。

 

「貴方には、まず、島田流に対する間違った認識を正して差しあげます」

 

 島田流の本領は戦車道にある。決して戦車強襲競技(タンカスロン)を想定した流派ではない。

 

「島田流の教えはきっと貴方の力になるでしょう」

 

 そんな千代の誘いに、ふと思い浮かんだのは西住流の理念だった。

 撃てば必中、守りは固く、進む姿は乱れなし。鉄の掟、鋼の心。それでは西住まほに勝つことはできない、と私は最後の未練を振り切るように彼女の瞳を見つめ返した。千代が満足げに笑みを浮かべる。先ずは感覚を取り戻すところから始めましょう。そう言って珈琲を啜る彼女に急かされるように私はパフェを食べる速度を早める。

 時間にすると二秒先、私の感覚がズレていると愛里寿が言っていた。

 

 

 刻が進み始めた、と感じた瞬間、あっという間に時間は過ぎ去る。

 直接千代さんから島田流の教えを受けたのは僅か数日のことであり、残りのほとんどは愛里寿に教えを請うた。九州に戻った後も千代さんに頂いた書籍を読み耽り、連絡先を交換した愛里寿とボイスチャットで数日に一度、暴言混じりの会話を続けている。戦車に乗ることはまだない。丘の上で花薫る風が吹き抜ける。もう初春だろうか、戦場全体を見渡せる好立地からは隊列を組んで行進している戦車が見える。砲塔に刻まれた黒十字、黒森峰女学園の校章、あそこには私よりも一年先に高校へと進学した西住まほがいる。私は折りたたみ式の椅子と机に腰を下ろし、モバイルWi-Fiに繋げたノートパソコンを広げる。画面に映るのは今やってる試合の生放送、有志による動画配信で巨大スクリーンの様子を確認できる。

 手には自前のスコアボード、戦術図と出場戦車、それにコメント欄の項目を作っただけの簡単なものだ。自分だけが分かればいい、といった様子で真っ黒に書き綴られた怪文書。試合が終わると同時に筆を置いた。独自の速記言語すらも用いたスコアボードは最早、誰にも解読することはできない。それを精読して、ただただ西住まほの特異性を理解させられる。

 ヴヴヴとスマートフォンが振動する。画面を見ると、どうやら姉からのメッセージのようだ。

 内容は黒森峰の勝利を讃えるものだ。文面に顔文字も交えた妙にテンションの高い姉の様子に苦笑しながら、おめでとう、と端的に返信を返す。会場では、試合を終えた選手達が戦車から出てきているところだ。その中に西住まほの姿もあるはずだ。相変わらず、凄い奴。と妬み僻みを交えて、口に零すと、ふと西住まほが私の方を振り返った。この距離だ、視認できるはずがない。私からも誰が誰なんてわからない。しかし、確実にまほは私を見つめて、私はまほの存在を感じ取った。その事実に少し驚き、しかし、まあ、あいつならあり得るか、とくすりと笑った。

 強い、風が吹いた。花弁が舞い上がる。なんとなしに手を伸ばして、その中の一枚を掴み取った。

 姉は黒森峰女学院に進学する。私の不合格通知を見た時、姉が酷く狼狽えていたのを今でも思い出せる。母はなにも言わなかったけども、酷く顔を顰めていた。怒りが大半で、しかし、それとは違う感情が私に怒鳴り散らすことを抑えているようだった。少し申し訳なさもある。母は西住流で、姉も西住流。友人関係もほぼ全てが西住流で固められている。後ろ髪を引かれる思いはあった。

 でも、と私は握る拳を開く。手のひらに収まっていた花弁が風に吹かれて、何処か遠くへと飛ばされて行った。

 私は戦車道を続ける、だから私は黒森峰には居られない。

 

 なぜかって? そんなの決まっている。

 

 私は西住まほと戦いたい。

 思えば、私が本気で戦車道をしていたのはまほが相手の時だけだった。

 今だから云えることだけど、まほとの試合は楽しかった。

 本気でやる戦車道は、ただ純粋に楽しかった。

 

 憎い分だけ、愛しているよ。

 

 

 




ヨーグルト学園編に入るまでに区切りがいいところまで来たので、大洗編に戻りますね!
気が向いたらヨーグルト学園も書きます。たぶん本戦直前くらいに

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