嘗て、私は艦娘と呼ばれる戦闘兵器だった。
暁型の二番艦である駆逐艦“響”の加護を得た私は、人類の存続を守る為に深海棲艦と呼ばれる敵個体との戦闘に身を投じる。人類の存亡を賭けた熾烈な戦い、艤装と呼ばれるランドセルにも似た兵装を背負って大海原を駆け続けた。見た目は幼いかも知れないけども、これでも結構な功績を残し続けて来た自負はある。
そんな私も人類の存亡を賭けた反攻作戦、AL作戦およびMI作戦における戦闘にて撃沈された。
その結末に悔いはない。私は自らが囮となって敵艦隊を引きつけて、仲間達を敵の急所へと送り届けたのだ。その判断を誇りに思うことはあっても、後悔することはあり得ない。もし仮に心残りがあるとすれば、それは姉妹達のことであり、私を信じて送り出してくれた提督の事だった。艤装は全壊、ぶくぶくと沈みゆく身体。辛うじて生きていた通信機から「帰って来い」という提督の声が聞こえてくる。しかし、もう駄目だ。私は澄ました声で「不死鳥の名は伊達だったようだ」と返した。姉妹達の泣き喚く声が聞こえてきた。絶対に許さない、とか、意地でも戻って来なさい、とか、そんなの嘘なのです、とか。その姉妹達の言葉に不謹慎だと思いながらも嬉しくなって「
だから最後の言葉はシンプルで良い。
「私の最後の名は
こんな私を信頼してくれて、ありがとう。
艦娘の身体は、艤装なくして水に浮かない。水面から水の底まで堕ちる、遠退く水面は綺麗だった。
死後、撃沈された艦娘がどうなるかは諸説ある。そのまま深海棲艦に堕ちるという話もあれば、深海棲艦の補給艦から艦娘を回収できる事から敵の本拠地に連れて行かれるのだという話もあった。本拠地に連れて行かれた後は分からない。解体されて深海棲艦の材料にされるのか、それとも深海棲艦に改造されてしまうのか。
私は死ぬことそのものは恐ろしいと感じていなかった。深海に沈み堕ちる意識の中、薄暗い海中で恐ろしいと感じたのは私の体が敵の兵器として活用されることだった。仲間に砲口を向けて、傷を付けてしまうことが恐ろしかった。それだけはできない、と艤装が壊れて撃ちきれなかった最後の魚雷を胸に抱き、そのまま手動で信管を起爆させる。
そして気付けば、見知らぬ部屋に突っ立っていた。
誰も居ない、この家具ひとつ置かれていない殺風景な部屋は一人用の個室のようだ。
部屋の中心には身分証明の書類が置いてあり、他には通帳と印鑑、キャッシュカード。そして鍵が添えてあった。通帳を開くと残高に1が一つ、0が七つ、一千万円の金額が収められている。これがどういう意図で用意されたのか分からない。分かるのは自分の身分が保証されており、これから先の数年間、金銭面で不自由することはなさそうだ。ということだけだった。
書類を手に取る。
とりあえず外に出てみるべきか。鍵を片手に出入り口に向かう。扉は内側から閉められるタイプで、閉じ込められている訳ではなさそうだ。取っ手を握る、少しだけ躊躇してから扉を開いた。熱を帯びた風が吹き込んできた。色の濃い木々が揺れており、蝉の鳴き声が聞こえる。どうやら外は夏のようだ。そして此処は少し古びたアパートの二階にある一室であるらしい。山の上にあるようで勾配が強く、曲がりくねった峠道を自動車が走っている。鎮守府のような機能性を考慮した配置ではなく、雑多に建てられた住居群。それを見てギュッと胸を握り締める。身につけた服は意識を失う直前まで着ていた制服と同じ形をしているが、鎮守府で支給されていた物と比べると薄っぺらくて柔らかい。
どうやら此処には誰も居ない、此処には私一人だけのようだ。
自由、というものを自覚する。もう起床時間に縛られることはなく、もう就寝時間に縛られることもない。同じ部屋の姉妹達に睡眠を脅かされることもない、騒がしいって隣の部屋から苦情を受けることもない。鎮守府に居た時、個室が欲しいと何度か思ったことがある。嗚呼、胸が締め付けられるようだ。姉妹には苦労をかけられた、それと同じくらいに苦労をかけた。此処にはいくら望んでも手に入れられなかった自由があった。
ふと目尻から一筋の涙が溢れる。
泣き喚くような真似はしない。でも、もう鎮守府には帰れない。姉妹が待つ、あの部屋には帰れない。その事がなんとなく分かってしまった。だから、少し泣く。覚悟は決めていた、それでも守りたいと思った。司令官の撤退指示を無視した甲斐あって主力を目的地まで送り届けることができたのだ。そのことに後悔はない。ふと空を見上げる。此処にはきっと仲間達は居ない。この世界は長閑だった、まるで戦争なんて起きていないかのような呑気さを感じる。この空の続く先に仲間が居ないということを無意識の内に理解する。
そのことが、ちょっとだけ寂しい。
嗚呼、海が見たいな。
そんなことを突拍子もなく思った。