そこに一切の妥協はなく、片脚をなくした程度で戦車に乗ることを諦めるはずはない。と私、逸見エリカは戦車仲間である彼女のことを信じていた。そうであれば、私は彼女が戻ってきた時のために戦車道を続ける必要がある。そして、私のことを助けてくれた兵衛と共に来年の全国大会で優勝すると決意を固めた。
西住流の後継者であるまほが隊長を務めて、みほと兵衛が両脇を固める。その上で地味ながら堅実な活躍を見せる小梅がいるのだから来年は負けるはずがない。才能に恵まれた三人に置いていかれないように、そして同年代で似た境遇の小梅に負けないようにより一層に戦車道に励むことを心に誓った。
それが、どうして、こうなった!
ベッドの枕を壁に投げつける。まるで振り上げた拳を何処に向ければ良いのかわからなくなったような――どうしようもない感情の発露を求めて、掛け布団を思い切り殴りつける。はあっはあっと荒い息が溢れた。どいつも馬鹿だ、馬鹿ばっかりだ。みほも、小梅も、しほさんだって、みんながみんな、馬鹿ばっかりだ! 今までどこに目を付けていた、兵衛が諦めないことは見ればわかる。戦車に乗せないと言われれば、彼女はあっさりと黒森峰を見捨てる。あいつはそういう奴だ、そういう奴だからこそ、みほやまほといった生粋の天才に肩を並べることができるのだ。勝つ為に、全ては自身の掲げた目的の為に、あいつは何処までも妥協なく突っ走る奴なのだ。
兵衛のことを見誤って、みすみす何処とも知れない高校に手放して――こうなったら敵として叩き潰すしかない。あいつはそういう奴だ、手心を加えずに一切合切の躊躇なく油断も隙も見せずに叩き伏せる。それをあいつは望むに決まっている、そして、それこそがあいつに勝つ為の手段だと私は知っている。
隙を見せたら倒される、確実に。たった一輌だけになっても虎視眈々とフラッグ車に狙いを定める。
〜♪
スマフォの着信音が流れる。
苛立つ心を抑えて、スマフォの画面を見ると「茨城白兵衛」という文字が表示されていた。
慌てて電話に出ると友人の聞き慣れた声が聞こえた。
『はいはーい、こんにちはー。今、大丈夫?』
片脚を失ったにも関わらず、まったく気落ちしていない様子の兵衛に小さく息を零す。
「ええ、大丈夫よ。もうちょっと連絡を寄越しなさいよ」
『ちょっと色々とあって忙しかったからねー。エリカはどう? 元気なの?』
「ええ、元気よ。そっちは……元気そうね」
『まあねー。一時はどうなることかと思ったけど、無事に戦車道を再開することができそうだよ』
うんうん、と頷くような声に私は胸を撫で下ろした。
先程までの苛立ちは薄れている、自分が自然と笑みを浮かべていることがわかった。
ただ、彼女が他の高校で戦車道をすることに少し寂しさを感じる。
「それでなんの用なの?」
と、なかなか自分から連絡を入れてくれない友人に問いかける。
彼女はあまり連絡を入れようとしなかった。それは何時でも戦車道のことばかりを考えており、暇な時間がないほどに充実した日々を送っているせいだ。そして、もう一つ、彼女を揶揄う時に使われる呼び名が音信不通に拍車をかけていた。
そのため、彼女が連絡を入れる時は決まって、なにか用事がある時だと相場が決まっている。
『用がないと連絡しちゃ駄目なの?』
そんな問いかけも何度目になるか、「用がないと連絡しないのはそっちでしょ」と少し語気を強めて返す。
『心が痛むなあ、まあ用事はあるけど』
ほらね、やっぱり、と苦笑する。
それが彼女らしかった、予想が当たったことが少し嬉しかったりする。
兵衛のことは、たぶん私が最もよく知っている。
そのことが今回の件でわかった。
『全国大会で私達が乗ってた戦車あるじゃない、あれってまだ残ってる?』
不意の言葉に顔を顰める。あの時、兵衛を置いていった時の記憶が呼び起こされる。静かに息を吐き出して、小さく吸い込んだ。そして笑みを作って答える。
「ええ、残っているわよ。尤も廃車同然で修理するのも難しいらしいわ」
『ああ良かった、残っているんだね』
電話越しに安堵する吐息が聞こえた。
『それ、いらないなら送ってよ。うちって今、戦車がなくて困っているんだよね』
またあの戦車に乗るつもりなのだろうか。……怖くはないのだろうか。
私は暫く、あの戦車に乗りたいとは思わない。あの時のことを思い出してしまうから同じ型番の戦車は避けるようにしている。
当事者の兵衛はもっと怖いはず――いや、兵衛に限って、それはあり得ないことか。
「……敵に塩を送れってことかしら?」
気遣う言葉は声に出ず、つい挑発的な言葉を口から出してしまった。
『王者の貫禄ってやつを見せて欲しいだけかな』
そう言うと笑い声がスピーカー越しに聞こえてきた、それにつられて私も吹き出すように笑った。
居心地が良いと思う、彼女との会話は気を使わなくて済んだ。
「まあいいわ、どうせ廃品業者に送る予定だったし。隊長に伝えれば、たぶん大丈夫なはずよ」
『よっ、エリちゃん大統領! 太っ腹!』
「感謝しなさいよ」
『うん、する。すっごくするよ! 大好きだよ、エリカ! 愛してる!』
「調子の良いことね」
分かりやすいお世辞なのに、そう言われて気分は悪くない。
あのIII号戦車J型も再び兵衛が乗るのであれば、嫌いにならないで済むような気がした。それにあの戦車も脚を奪った子の力になれるのであれば、報われると思った。だから必ず送り届けようと決心する。
「……来年、戦えるかしら?」
なんとなく問いかける。こういう時、彼女がどう答えるかなんて知っている。
『私達が勝つよ』
どんな戦力差であっても決して怯まない、ただひたすらに自身の勝利の為に邁進する。その胆力をいつも羨ましく思っていた。
「黒森峰は負けないわ」
『精々足掻くと良いよ』
「ええ、そうね。みっともなく足掻くところを私の前で見せて頂戴」
売り言葉に、買い言葉。いつもそれで失敗しているのに、彼女相手だと全然気にならない。
『うん、全国大会で戦おう。約束だ』
「約束ね、わかったわ」
『それじゃ、戦車の方はよろしくね』
プツッと電話が切れる。
あれだけの啖呵を切ったにも関わらず、頼るところは頼ってくる。なんて恥知らずな奴なんだ、と思いつつも悪い気分ではない。あの子はどこに行っても変わらないままだ。それが嬉しかった。気付いた時には苛立ちなんて綺麗さっぱり消えていた、むしろ清々しい気分だった。
さてと王者の貫禄を見せに行きましょう、と、まほ隊長を説得する為に私は部屋を出る。
†
よし、これで戦車を一輌、確保することができた。
これで四輌、あと一輌あれば最低限、全国大会に出られるだけの数を揃えることはできる。このことをミッコに伝えると「良い友達を持ってるね」と笑顔を向けられたので「とびっきりの友達だよ、私の自慢だね」と彼女以上の満面の笑顔で返した。会長はあと一輌の戦車を確保する為に、形振り構わず、他の学園艦に廃車やいらない備品がないか電話を掛け続けている。
ここは継続高校生徒会室、ミッコとアキと私でお菓子を摘んでおり、半ば戦車道の溜まり場になり始めていた。
「そういえば、ミカは何処に行ったの?」
ポテチを口にしながら二人に問いかけると「アキ、知ってる?」「知らないよ?」という言葉が返ってきた。
これから本格的に戦車道を再開するのに何処に行っているのか、そういえば搭乗員が足りていないんだったか。もしかするとスカウトをしに行ってくれているのかもしれない。
不意にガチャッと黒電話の受話器が乱暴に落とされる。驚き振り返ると会長が苦渋に満ちた表情を浮かべながら首を横に振った。
「何処の学園艦に当たっても戦車は余っていないってさ」
はあ〜と大きく溜息を吐きながら項垂れる。このままなら戦車道が終わるかもしれない。
「簡単に諦めるなんて君らしくないよ、リュティ」
ノックもせずに扉を開けて部屋に上がり込んできたのは、カンテレを抱えたミカだった。
彼女は私の横に座ると机に広げた菓子類に手をつける。そしてクッキーを口に咥えながらカンテレを奏で始めた。
いつでもカンテレ弾いてんな、こいつ。
「あー、ミカ。何処に行ってたんだよ!」
「戦車を譲って貰えそうなところに連絡を入れていたのさ」
「えっ、それじゃあ譲って貰えるの?」
怒った表情から直ぐに嬉しそうに顔を綻ばせるアキの変わり身を見ながら耳を傾ける。
「なにかを手に入れようとするなら対価とリスクが必要だよ」
そう言うと彼女はカンテレを奏でる手を止めて、次はポッキーに手を伸ばした。
「それでミカ、何処なんだ?」
「君が想像していることと一緒のはずだよ、リュティ」
「それしかないかな、やっぱり」
会長がまた溜息を吐いた。
アキは苦笑し、ミッコは楽しそうに笑っている。
どうやら三人には話が伝わっているようだ。
「ミカ、どういうこと?」
唯一、分からない私が彼女に問いかける。
「はっきりと言ってくれないと分からないかな」
そんな彼女に面倒くさいなあ、と思いながら改めて質問する。
「対価ってなに?」
「勝利だよ」
「それじゃリスクって?」
「戦車一輌かな」
「……それで得られるのが戦車ね」
もうここまで来ると話は大体わかる、なら後は――
「――どこから戦車を奪う気なの?」
「奪うなんてとんでもない、鹵獲するんだよ」
「同じじゃん」
それで何処なの? と再度、ミカに問いかけると彼女は緩やかに口を開いた。
「プラウダ高校」
その名は四強の一角、そして今年度戦車道覇者のものだった。
†
継続高校とプラウダ高校の間には因縁がある。
年に数度、両校の間では戦車道に基づく強化試合が行われており、その戯れの一つに鹵獲ルールと呼ばれる――ざっくりと云えば、戦車を対象とした賭け試合が行われているらしい。最大三輌の戦車で戦う小規模の試合である為か、なんと継続高校はプラウダ高校に鹵獲ルールで勝ち越しているという話だ。今年も既に二度行われており、二度とも継続高校が勝っているとのことである。そのためプラウダ高校の隊長は二度の敗北に恨みを持っているらしく、ちょっと挑発をしただけですぐ賭け試合に乗ってくれたということだ。
「彼女達も太っ腹だね」と戦う前から余裕たっぷりなミカは二度行われた試合での功労者である。
さて、試合が決まったは良いが、そうなると搭乗員不足の問題が出てくる。
戦車はBT-42の他に、T-26とT-34。III号戦車J型は間に合わない、T-26の方にはアマチュア無線部の連中が乗る予定であり、ソ連の傑作戦車と名高いT-34の方に私が乗ることになっている。しかし、今決まっている搭乗員は自分以外にいなかった。生徒会は仕事が忙しい為に――主に暴走族関連――戦車に乗ることは難しく、新たなチームメイトを探し奔走することになった。
ちなみに試合は一ヶ月後であり、対戦相手は「クリスマスまでに終わらせる」と息巻いているようだ。
それはさておきだ、
いくら学園艦の危機とはいえ学生の本分は果たさなくてはならない。
ということで私は今、校舎で講義を受けている――のだが、学校の机に座るといつも眠くなって仕方なかった。戦車道に関わることならば何時までも起きていられるのだが、それ以外の場所では眠気に負けて、いつもすぐ眠ってしまう悪い癖が私にはあった。おかげで前いた黒森峰ではエリカに万年寝る子と呆れ果て、小梅からはいばら姫、もしくはねむり姫と揶揄われ、みほからはぐ〜子と屈辱的なあだ名で呼ばれることが多々あった。
今回も睡魔に逆らうことができず、あっさりと眠りについた。ここ最近は色々とあったこともあり、それはもうぐっすりと、起きた時にはもう空が赤くなっていた。
あれ? と首を傾げる。何時もならエリカか小梅が起こしてくれているはずだが――見慣れぬ教室、自身の制服を見て、ああ、そうだった。と今の自分が継続高校の生徒であることを思い出す。
眠く重たい体を起こし、戦車を見に行かなくちゃと大きく体を伸ばした。
「おはよっ」
「……ん? あ、うん、おはよう」
目の前でにんまりとした笑みを浮かべる金髪の少女に、暫し目を奪われた。
垢抜けないとも呼べる素朴な笑顔、水色の透き通った瞳が私を映す。綺麗だな、と思った。
ぽけっとしていると少女は「貴方は何処から来たの?」と問いかけてきた。
「えっと、黒森峰から……」
「ああ、通りで将軍っぽいと思った」
「将軍?」
私が首を傾げると「ええ、将軍よ。居眠り将軍」と笑みを深める。
なんとなく不思議な雰囲気を持つ彼女に「貴方は誰なの?」と問いかけた。
「私? 私はスオミ。貴方は?」
「……
問われるまま答えると、彼女は首を横に振る。
「嘘はいけないわ。貴方は茨城
「……その名前は好きじゃない。男っぽいし、芋くさいし、ましてや……」
「白、大事なのは白。きっと貴方には白色がよく似合うわ」
ふふっ、と彼女が笑い声を零してみせる。
「白い将軍、白は好きよ。それとも居眠り将軍の方が好き?」
「兵衛って呼んでよ。将軍はいらない」
「貴方にヘイヘなんて似合わないわ。どうしてもって言うなら……そうね、シロエって呼んであげる」
むうっ、と私は眉間に皺を寄せる。しかし彼女は嫌がらせが好きなのか、大人しそうな雰囲気とは裏腹にサディストなのか、ただ楽しそうに微笑むだけである。なんとなしに掴みどころがなかった、何処か胡散臭い気がする。ミカとは違って彼女はミステリアスな感じがした。
「戦車道、困っているのでしょう? 良いわ、入ったげる。貴方と一緒の戦車に乗せてくれるなら、だけど」
スオミと名乗る彼女が告げる。願ったり叶ったりの提案を、私はすぐ呑むことができなかった。
「どうして?」
「どうして、っていうのは?」
「目的が分からない」
注意深く彼女を見据えると、スオミは嬉しそうに目を細めて答えた。
「きっと一目惚れね」
私は目を伏せる、告白にも似た言葉を告げる彼女のうっとりとした顔を直視できなかったから。スオミが口角を歪に上げた時、背筋にゾゾッと怖気が走った。
視界を閉ざしたまま深呼吸をする。そして意を決して、目を開けると彼女の顔が目と鼻の先にあった。吐息がかかる距離、あら残念、と彼女は艶やかに笑ってみせる。思わず、椅子ごと身を引いた。生唾を飲み込んだ、こいつはヤバイやつだと確信した。でも、背に腹を変えられる状況でもない。だからといって彼女を受け入れるのはヤバすぎる。
葛藤する、逡巡する。巡り廻る思考の末に私が出した結論は――
「戦車道で私を惚れさせてみせてよ。そうしたら私の方から貴方を……」
問題の棚上げ。それも、とりあえず彼女を戦車道に繋ぎ止めて、後のことは後で考えようという類のだ。しかし、それがいけなかった。
「貴方の方から私を求めてくれる、愛してくれるのね」
こいつはまじでヤバいやつだった。
「ええ、分かったわ。早速、戦車に乗りましょう。私、頑張るわ」
彼女は陶酔するように頬を赤らめさせ、その蕩けきった顔を抑えるように両頰に手を添える。
私は今、選択を間違えた気がして仕方ない。