隻脚少女のやりなおし   作:にゃあたいぷ。

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Hoi4をやってたら遅くなりました。


番外編:不死鳥の名は伊達じゃない。⑦

 プラウダ高校が抱える慢性的な問題の一つに「横の繋がりは強いが、縦の繋がりは弱い」というものがあった。

 これを象徴するのが新一年生に立場を分からせる為に行われる仕置試合。これは上級生による徹底的な蹂躙により、新一年生の自尊心を砕いて従順にさせるというものだ。この分からせによって新一年生と三年生の間には確執が生まれ、二年生が三年生から受けた鬱憤を新一年生で晴らすという悪循環が生まれる。そうなってくると新一年生は新一年生で結束するようになり、それが翌年になれば、そのまま立場がエスカレーター式に変わるだけだ。徹底した上下関係に新一年生は同じ苦楽を共にした仲間として、同学年同士で絆を深める。

 しかし、それは決して上級生に対する恨みを忘れない。という話だけではなかった。

 この確執は公式戦でも埋める事ができず、上級生と下級生で試合に対する熱意に致命的な齟齬が生じる結果となる。つまるところ、どうして自分達を虐げてきた上級生の為に頑張らなくてはならないのか。という話だ。どうでも良いとまでは言わないが、憎き上級生が主体となって行われる試合に、下級生の気合が入らないのも無理からぬ事であった。

 その結果が昨年の全国大会における準決勝、聖グロリアーナ女学院との試合による敗退だ。

 

 変わらない、私はなにも変えられなかった。

 虐げられてきた下級生は上級生に恨みを抱きながらも、その好き放題できる立場に憧れを抱いた。学年カースト制、今日まで上級生の虐めに耐え切ってきたという意識が、下級生を虐げても良いとする免罪符になった。そうして私達の時代でも上級生が下級生を虐げるという構図は変わらず、変えられず、手を打つ前に馬鹿な新一年生が三年生の一人を襲撃して負傷させ、歓迎試合での報復を止める事ができなかった――というよりも私自身、身内が襲われたという事実に怒りを抱いていた。

 今年もまた一緒なのか、と思った時、現れたのが生意気な糞餓鬼だった。

 脳ある鷹は爪を隠すというが、彼女がそうなのだろうと思った。勝利の為ならば、騙し討ちは勿論、相手を油断させる為に股を潜ることも厭わない。その一筋縄ではいかない性根を持つ彼女だからこそ、新一年生のまとめ役に抜擢した。そして打算的な彼女は新一年生を掌握する為、一年生の環境改善に精力的に動いてくれた。それまで上級生で独占していた配給物――つまり嗜好品を新一年生にも行き渡るように提案したり、風呂時間の問題点を上げて改善を促すなどと私の思惑通りに動いてくれた。

 おかげで新一年生が三年生に抱く悪感情は少なく済んでいる。割を食ったのは二年生で、彼女達は一年生への厚遇に不満を抱いていたが、今までの体制に問題があったのだと言い聞かせる。

 これも全て勝利の為、黒森峰に勝つには全学年が仲間として協力し合う体制を作るのが急務であった。

 私が蒔いた種は、あの生意気な糞餓鬼が回収してくれるはずだ。

 

 私、エカチェリーナに心残りがあるとすれば、それはナターリアの事であった。

 二年生、今はもう三年生か。彼女達の時代が最も酷い。私が二年生だった時、三年生による新一年生いびりが流行った。全国大会の決勝で黒森峰に負けた後は特に酷くて、一年生を鍛え上げるという名目で扱きという名の虐めが横行した。特に才能がある者が相手の時は酷い。出る杭は徹底的に打つ。自分よりも少しでも才能があると認めれば、可愛がってやると訓練場に連れ込んだ。雪が降る季節に汗だくになり、それは気絶するまで続けられる。あまりに過酷な訓練は生徒の一人が肉離れを起こしてしまったことで鳴りを潜めたが、怪我人を出したことで一年生の半数近くが戦車道を辞めるきっかけとなった。

 今、残っているのは才能を持っていないが故に、三年生の扱きを見逃されてきた者達だ。

 ナターリアには才能がない。あるのは戦車が好きという熱意、そして趣味が高じて得た豊富な知識の二つだけだった。入学当初から落ち零れと言われ続けて、最初に辞める新一年生は誰か? という賭け事でも名前が上がるほどだった。そんな彼女が三年生の扱きに耐え切ったのも、自分の意思で弄ることが許される戦車が欲しい。といった利己的な理由だ。

 そんな彼女には試合に勝つという熱意が欠けている、しかし彼女は不思議と周りを惹きつける力を持っていた。自尊心の高い者は淡々と扱きに耐えるナターリアの姿に心を折られることになったが、元から周りの期待を背負っていない者は、落ち零れのナターリアが頑張っているのなら自分もあと少しだけ頑張ってみよう。と思うようになって、私達が卒業する日まで練習に耐え抜いてきた。

 正直、ナターリアに隊長の素質はない。しかしナターリア以外に隊長はあり得ない。

 ナターリアには戦車が大好きという想いだけがあった。厳しい練習を終えた後に戦車の資料や戦車道の試合を見て、勉強に励んでいたことを私は知っている。本人は頑張っているつもりではなかったようで、気晴らしのようなものだと言っていた。よくある女子高校生がファッション雑誌を捲るように、OLがゼクシィを開いて結婚式を夢想するように、仕事帰りのサラリーマンが野球観戦に勤しむように、そんな感覚で彼女は戦車道と接してきた。興味本位で調べた内容は、無意識の内に彼女の記憶に刻み込まれる。そして好きな選手の試合なんかでは、自分が感動した場面を早口で詳細に話し始める。彼女、ナターリアはオタクに近い性質を持っている。それも観るだけではなく、実践したがるオタクだ。例えば、ガンマニアが居たとして、拳銃を集めるだけでは満足できず、実際に拳銃を撃つ為に射撃場へと足を運び、自分の愛銃を一から十まで手入れすることに喜びを感じるタイプのオタクだった。

 確かに彼女には目立った才能はない。しかし、そんな戦車好きが人並み程度の成長しかしないっていうのなら、それは嘘だ。

 

 ナターリアに足りないものは、勝利に対する執着。そして試合に対する熱意だ。

 立場が人を作る、という言葉もある。隊長の責務が彼女を変えてくれると信じて、今年のプラウダ高校を託した。ナターリアは私のことを嫌っていたようだが、それはそれだ。今となっては関係ない。

 勝手ながら私はナターリアのことを応援させて貰っている。

 

 

 撃破三輌、残った七輌の敵戦車が砂塵を捲き上げながら突撃してくる。

 砲撃戦から接近戦に移行、味方が組んだ横列の隙間に敵戦車が車体を捻じ込ませてきた。それで陣形が崩れて、ぐちゃっと敵味方が入り混じった乱戦に移行する。こんな状況に持ち込まれては作戦も糞もない。四方八方から敵味方の砲弾が飛び交う中、錯乱状態にある味方に「各自、自分の判断で動いて!」と告げるのが精一杯だった。仮にも隊長、こんな指示しか出せないことにもどかしさを覚えるが、今はそんなことを気にしている場合ではない。私が乗る車輌はフラッグ車だ、混戦の中にあっても優先的に狙われる。私達が生き残ることが最優先、極端な話、フラッグ戦なんていうものは例え相手が十輌、自分が最後の一輌だったとしても、そこで相手のフラッグ車を撃破することができれば、勝ちなのだ。

 適度な試合時間、常に一発逆転が狙えるフラッグ戦は観客ウケが良かった。

 キューポラから全周囲に展開された戦車を確認し、更には頭に叩き込んだ地形を配慮しながら操縦手に逃げる方角を指示する。時折、装甲を掠める砲弾に悲鳴を上げながらも現状から目を逸らさない。 兎にも角にもフラッグ戦はフラッグ車を生き残らせることが最優先、その為ならば幾らでも味方を犠牲にしても良いし、積極的に盾にすべきだ。

 IS-2重戦車。その背後に隠れて、T-34/85中戦車を駆る。

 重くて硬い。その上、遅い戦車はフラッグ車として使うよりも盾にした方が良い。そんな響の意見を聞き入れた私は伝統的にプラウダ高校のフラッグ車を務めてきたIS-2重戦車から乗り換えて、使い慣れたT-34/85中戦車に搭乗する。この選択が正しかったのかどうかは分からない。でも、自分で選んだ選択だ。結果を以て正しいものにしてみせる。

 私は戦場を駆ける。今、私が身を置くこの環境の全てを利用して、勝利をもぎ取る。

 

 それこそが私の原点、ナターリアが愛した島田流の在り方だ。

 

 乱戦の最中にあっても、私が乗るT-34/85中戦車は傷が少ない。

 それは偶然でもない、奇跡でもない。そこにあるのは必然だ。そうなるように動いているのだから、そうなったというだけの話。頰に伝う汗を手で拭い取り、唇を舌で舐め取る。私は島田千代と西住しほが鉄火場で目を閉じたのを見たことがない。ならば私もそうするべきだ。状況は一秒毎に更新される、ならば常に首を振って周りを観測し続けなくてはならない――と不意に戦車の一輌が乱戦の中から飛び出し、ガツンと私達の戦車を横殴りに体当たりしてきた。してやったり、と戦車に乗る相手の顔が鮮明に想像できた。しかし、天の利、地の利、人の利は全て私の手中にある。逃げのナターリア、その名は伊達ではない。私は今、置かれている敵と味方の位置を全て、盤上に書き起こすことができる。

 貴女は勘違いしている、動きを止められているのは私だと何時から思っていた?

 

「4号車、援護をお願い! Огонь(アゴーニ)!」

 

 通信機越し、味方のT-34/85中戦車の一輌に向けて指示を飛ばす。

 それは彼女達にとっての絶好の攻撃ポジションであり、数秒後、砲撃音と共に目の前の敵車輌が大きく横に傾いた。その中で敵車輌から白旗が上がるのを確認し、その影に車体を隠すように操縦手に指示を出した。動きを止める為に突撃してきたということは二の手があるということ、そして、仕留め役の戦車になり得る戦車のポジションは全て把握している。ならば必然、何処に戦車を隠せば、攻撃が当たらないのかなんて、考えなくてもわかることだ。徹底的に味方を利用する。島田千代が無双する姿に憧れた私は、能動的に動く戦場においてこそ自身の真価を発揮できることを感じ取る。

 戦場の全てが手に取るようにわかった。

 こんなの負けるはずがない、笑みが溢れる。きっとこれが日本戦車道の至宝、島田千代と西住しほの見ていた景色、その一部なんだと思った。そして、だからこそ分かる。私が常に有利に立てる状況、それを作っているのは一輌の戦車、BT-7M快速戦車。信楽姉妹、響とソラの二人だった。

 彼女達は戦場の大事な場面で必ず、顔を出しに来る。

 

「……全ては終わってから考えよう」

 

 二人が居て、カチューシャとノンナが居る。

 今年は無理でも四人が揃う来年には、黒森峰を下して全国大会の優勝が狙えるかもしれない。

 そんな淡い期待を夢想し、首を振って、現場に意識を戻す。

 

 今、私の前に立ち塞がる敵は、余計なことを気にしながら勝てるほど緩い相手ではなかった。

 

 

 油断していたことは認める、侮っていたことも認める。

 私、ラウラは、カチューシャとロシア軍人に鍛えて貰ったことで少なからず自分の力にも自信を付けていた。

 だから勝てると思っていた。少なくとも、今の腑抜けた三年生が相手なら余裕だとも思った。だが、それは試合開始と同時に行われた狙撃によって、考えを改めさせられた。私達にできることは三年生にもできる。高校戦車道における一年間の経験の差は、どうにも私が想像していた以上に大きかったようだ。

 だが、決して個人の技量で劣っている訳ではない。

 乱戦の中でも十分に私達は戦えている、三年生と対等以上に渡り合っていた。何度も勝利を掴めそうな場面はあった。あと一手あれば、形勢を一気に引き寄せられる場面も多かった。この場にカチューシャが居たら、きっとこう言うに違いない。貴女達にあと少しの策略としぶとさがあれば、結果を決められる場面はいくらでもあった。

 それは分かっている、私でも気付けた勝ち筋だ。しかし、あと一手が足りない。まるで見計らったかのように、最後の一手が零れ落ちる。最初の一回目は運が悪いと思った、二度目には違和感を感じ取った。だが三度目、四度目ともなれば、流石に邪魔されていることは分かる。問題は誰が邪魔をしているのか、という点にあったが五度目でそれも見破った。

 こんな有様ではカチューシャに叱られそうだ。苦笑を浮かべながら通信機を手に取る。

 

「ファイーナ、フラッグ車よりも先に仕留めて欲しい相手がいるわ」

 

 最も信頼できる相棒に問いかける。

 

『見つけたのね、誰なの?』

 

 その素っ気ない声色が、私に安心感を与えてくれる。

 

「BT-7M、ライサ。ええ、そうよ。我らの副隊長様よ。プラウダ高校昨年のレギュラーは私達が思っていたよりも遥かに実力が高かった。当然よね、例年の優勝候補。弱いはずがない、黒森峰に劣っているはずがない」

 

 だから、と軽く息を吸ってから告げる。

 

「逃げのナターリアを相手に、逃げ道が残されている状況で仕留めるのは難しい。なら、その逃げ道から先に潰してしまえば良い。そして、その逃げ道を作っている相手はもう見つけた。ナターリアよりも先にライサ、逃げ道のないナターリアが相手なら倒せない相手じゃない」

 

 行ける? と問いかけるとファイーナは一言、やる。と決意を込めるように零した。

 

 

 私、ライサは呆気に取られていた。

 

「同志Ташкент(タシュケント)、カヴェナンターという戦車を知っているかな?」

「ああ、あのブリカスの欠陥兵器。クソザコナメクジどころか大きすぎて物置としても邪魔になる粗大ゴミがどうした?」

「いや、なに、この密閉空間で常にサウナ状態とのことだ……なかなか滾る。そうだろう、同志?」

「そこは同意はしかねるな。同志Верный(ヴェールヌイ)、貴様は本当に同志なのか?」

「響だよ」

 

 乱戦の最中、砲弾が飛び交う中で二人は悠々と会話を交わす。

 砲弾が装甲を掠める音も、右へ左へと揺れる車体も、二人は欠片程も気に止めていない。

 興奮もなく、緊張もない。まるで日常に身を置くかのような余裕がある。

 

「なんだか空気が変わったようだよ?」

「どうやら気付かれたようだ。少し運転が荒っぽくなるけど舌を噛まないでよ」

「身体が軽いから、お手柔らかに頼むよ」

「さて、どうしようか?」

「同志、最近ちょっと機嫌が悪いこと多くない?」

 

 なんでもない、とソラが最後に言うとアクセルを思いっきり踏み込んだ。

 一応、私も外の様子を観察したりしてるけども、外も見ていないのに二人は敵の位置を把握していてなんか怖い! 耳が良いだけって二人はいうけども、なんだかそんな次元じゃない気がする。向きまでは分かっていないみたいなんだけども、車内から敵の位置が全て分かるとか絶対に普通じゃない。

 なんというか才能の違いを感じる瞬間だ。

 

「同志Ташкент(タシュケント)、砲雷撃戦用意!」

Понятно(パニャートナ)、魚雷はないけどね!」

 

 そう言って二人はノリノリで戦車を乗り回す。

 ナターリアから戦車道の理解が弱い二人のフォローを頼まれていたのだけど、私って本当に必要なのかな?

 そんなことを考える、十八歳のお年頃だった。

 




終わらなかった……だと?

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