第62回全国高校戦車道大会。
いくら全国と銘打っていようが所詮は高校生の試合だ。何処か場所を借りて開催するのが関の山、そんな風に考えていた時期が私にもありました。全国高校戦車道大会の開会式の会場は例年と同じく野外となった。しかし私の聞いていた話とは違って、入り口近辺には屋台が多く建ち並んでおり、友達同士で遊びに来て逸れてしまうと二度と会うことができなくなりそうな人口密度、子ども向けのアトラクションまで用意されていたりと、それは何処かの有名な祭かと見間違う程の規模であった。そのまま開会式が行われる会場へと足を運べば、鉄パイプで組み立てられた仮設観客席、私の手を引くナターリアは「はえ〜、去年は同じパイプでもパイプ椅子だったんだけどなあ」と感嘆の吐息を零していた。観客席の前には巨大スクリーン、会場入り口に山積みにされていたパンフレットには今年からドローンによる中継が開始されるとの話があった。
これは思っていた以上に力が入っている。戦車道はマイナースポーツって誰が言ったんだよ、いやまじで。
「響、選手の控え室はあっちだよ」
大会の規模の大きさに圧倒されているとナターリアは私の手を引っ張った。
扱いがまるで子どもである。いやまあ、子ども扱いには慣れてるから良いのだけどね。提督もこんな感じだったし……そんな感じでナターリアの後ろを歩いて行くと徐々に人混みが少なくなって、何処からともなくピロリロピロリロと特徴的な笛の音が辺りに鳴り響いた。振り向けば、弓を背に、剣を腰に、バグパイプを脇に担いだ女性が三人の少女を従えて、カチューシャ達に迫っている。「あれはなんだい?」とナターリアに問うてみると彼女は驚くよりも呆れの方が強い顔で「あれは聖グロの隊長さんだね。尋常ではない部隊展開の早さから疾風アールグレイ、去年は隊長代理として、決勝まで導いているよ」と若干の早口で答えてくれた。なるほど変人のようだ。個性派揃いの艦娘であっても、あれだけの逸材は珍しい。しかも良い胸を持っているだけになおさら勿体ない。黙っていれば美人という言葉があるように、黙っていれば良い胸という言葉もある。彼女の胸は観賞用、写真越しに見るのが好ましい胸のようだ。
そんなアールグレイなる者の威嚇を受けて、ノンナはおもむろにカチューシャを肩車した。うん、何が起きてるのか理解できない。でも今の彼女なら腕が塞がっているので、胸を触っても大丈夫な気がするんだ。飛んで火に入る夏の虫のように、ふらふらと彼女達の間に歩み寄ろうとした――瞬間、アールグレイが鋭い敵意と共に細長い直剣に手を掛ける。と同時に直ぐ側まで歩み寄っていた私の前髪を掠めて、ノンナの長い足がアールグレイの鼻先に突き付けられた。あ、うん。これは駄目ですね。両手を上げて、一歩、二歩と距離を取る。アールグレイはと云えば、ノンナの華麗な足技に表情ひとつ崩さず、その開かれたスカートの奥をガン見していた。うん、それは私もしっかりと確認した。意外と初心なものを履かれていらっしゃる。
ノンナに睨みつけられた、私は首を傾げてみせる。塵を見るような目で見下された。何故、分かる。
「……確かに彼女は頼もしい護衛のようだ。試合でもこういう機敏な防御をされたらかなり厄介だろう」
アールグレイが澄まし顔で告げる。知っているぞ、君はアレだろ。私と同族だろ? 内心でビビってるのは分かっている。何故なら私も恐怖を感じており、君と同じ対応をしているのだからね。
「それで君が今年の隊長を務めるナターリアか。その顔は去年も見た記憶がある」
何時の間に私の後ろまで来ていたのか。ナターリアは私の両肩に手を乗せて、申し訳なさそうにアールグレイを見た。
「ご、ごめんなさい! ……ノンナ、こんなところで暴力沙汰とか洒落になってないわよ!」
「先に仕掛けてきたのはあちらです」
「それでもよ! 仕掛けた側に問題があっても、先に手を出した方が悪く言われるのは世の常なんだからね!」
ノンナがツンと顔を背けるのを見て、ナターリアは溜息をひとつ。改めてアールグレイに頭を下げた。
「いやいや構わないよ。彼女のいう通り、先に試したのは私の方だ」
そういうとアールグレイはナターリアに向けて、手を差し伸べる。
「貴女には、あの小さな暴君を御することはできるのかな?」
その挑発的な問いかけに「あの生意気な餓鬼には苦労させられているけどね」とナターリアは苦笑する。
「でも戦車に対する愛は人一倍よ。試合における情熱は、この大会に出場する誰にも負けない。そんな彼女に好き勝手やらせるのが私の役目なのよ」
お互いに楽しみましょう。とナターリアはアールグレイの手を取った。これにはアールグレイもポカンとした顔を浮かべてみせる。そして、何処か嬉しそうに、むず痒そうに笑ってからカチューシャの方を見た。
「ちびっ子副長、良い先輩を持ったじゃないか」
「どうかしらね?」
「大事にするんだな、こう言ってくれる相手はなかなか居ない」
アールグレイはノンナの蹴りの風圧で乱れた前髪を整えながらカチューシャ、そしてノンナとナターリアを見つめた。
「去年のような硬直した防御陣形とは違う新しいプラウダを見せてくれそうだな」
「当然でしょ、カチューシャが鍛えた新生プラウダの強さを見せつけてやるわ」
言ってからカチューシャはナターリアに目配せした。何か一言、言ってやりなさい。という意味か。ナターリアは少し困ったように笑って、口を開いた。
「私、今年で卒業するのでひとつ手向けの花が欲しいんですよね」
ナターリアは一度、間をおいて呼吸を整える。そして聖グロリアーナ女学院の四人を見据える。
「あの優勝旗とか彩りがあって良いとは思いませんか?」
「……それは私達は勿論、黒森峰に対する宣戦布告にもなるが、理解できているのかな?」
「できますよ、優勝。カチューシャが居て、ノンナが居て。そして響がいる」
もう一度、ひと呼吸。肩から伝わる絶対の自信、これで勝てなきゃ嘘だと彼女は言っている。
「今年はプラウダ高校の優勝で決まりです。申し訳ありませんが、貴女方は彼女達にとっての通過点でしかない」
「それはそれは……随分と大きく出たものだ。ダージリン、アッサム……そして、ウバ!」
彼女に付き従う三人の名を呼んだ。アールグレイの前に出たのは二人、一人は淑女然とした女性であり、その立ち振る舞いから気品の高さが窺える。もう一人は如何にもお嬢様といった見た目だ。そして最後の一人、アールグレイの背中に隠れる少女は今にも泣き出しそうな顔で身を震わせている。その様子に淑女然とした女性が溜息ひとつ、姿勢を整えながら上品に声を掛ける。
「ウバ、さっさと出て来なさい」
「うばあっ! あの背が高い人怖い! やだ! ダー様、私、絶対にやだ!」
「貴女が出て来ないと締まらないでしょう?」
ダー様と呼ばれた淑女然とした女性に呼びかけられてもウバと呼ばれた少女は頑なにアールグレイの背中から出ようとしなかった。
「……うん、まあ。試合になると怖いよ、彼女」
「ああ、そう……」
「追い詰められた彼女は、時に虎よりも凶暴だ」
そういうと彼女は地面に落ちた剣を拾い上げると、背を向けたまま横目に私達を見た。
「逃げのナターリア、自慢の後輩を持つのは君だけではない。今年の優勝は聖グロリアーナ女学院だ、去年と同じく今年も君達を踏み台にしてあげよう」
じゃあな、私達と当たるまで負けるなよ。と最後に告げてから二人を引き連れて、その場を立ち去った。
「うばばばばばばばばばばばばば……っ!」
残されたのは一人。先程、ウバと呼ばれた少女だった。カチューシャからは冷たい視線、ノンナからは睨み付けられて、まるで蛇に睨まれた蛙のように怯える彼女のことを少し不憫に思って声を掛ける。
「君は、あの三人に付いて行かないのかな?」
「ち、ちが、ちちちがががが、ちがちがちがちが……うばばばばば! あ、足がががががが、動か……ひぐっ!? ……うごうごうごうううごごごごごごうううごごごうごうごうううごうごうごごごごごごご、うばばばばばばっ!!」
しまった、余計に混乱させてしまったようだ。潮よりも余程扱い難い。「ジョバ子ッ!!」と遠くから聞こえてきたダー様の怒声に、少女はビクンと身を跳ね上げさせて「うばぁっ!」と泣きながら駆け去っていった。優雅とは、淑女とは。聖グロとは。そんな哀しい声が聞こえて来そうな逃げっぷりだ。
「なんだったのかしら、あれ?」
そんなカチューシャの声に「さあ?」とノンナが呆れ混じりに答える。
「……虎っていうとティーガーよね?」
ナターリアはナターリアで頓珍漢なことを口にしていた。この空気、どうすれば良いのだろうか?
見晴らしの良い場所、しばらく四人で景色を堪能した後で「戻ろっか?」というナターリアの言葉に三人で頷き返す。
開会式における戦車行進は滞りなく終わった。
初戦はボンプル高校を下して、二回戦。そこも問題なく突破する。
続く三回戦、準決勝は約束通り聖グロリアーナ女学院と当たることになった。
今日もまた愛機のBT-7M快速戦車に搭乗し、サクマドロップの飴を舐める。
此処まで戦車道を体験して思ったが、いやはや戦車道というのは私が思っている以上に凄いものだ。全国高校戦車道大会の試合会場は全国各地、大会中は週に一度のペースで試合が行われている。その各地で即席の観客席が組み立てられており、大型スクリーンが持ち込まれた。その大型スクリーンには戦車の配置や状況が事細かに晒されており、試合中は解説や実況まで付けられている。何処がマイナースポーツなのか。ナターリアが言うには今年からとの事だが、国からの支援も相まって規模がおかしかった。
そんな状況にあっては恥ずかしい試合なんて出来るはずもなく、何処も彼処も死に物狂いで勝利をもぎ取ろうという気迫が見て取れる。フラッグ戦という性質もあって、心から気が抜ける試合なんて一度もなかった。
そして今日からは四強と呼ばれる高校の一角が相手となる。
作戦は基本的にカチューシャが立てる。抽選で試合会場が決定した翌日、隊長室でカチューシャが机に広げた資料をチームの主要メンバーで確認する。この場に居合わせるのは、作戦の立案者であるカチューシャの他に隊長のナターリア。他に三年生からはライサが居合わせており、二年生からはノンナ、ラウラとファイーナ。そして一年生からは私の計七人。タシュケントはまだプラウダ高校の生徒ではない為、練習に顔を出しに来ることはあっても、こういう場には来ていない。他校との試合中に不貞腐れた顔で観客席に座っているところを見たことがある。七人で作戦を煮詰めた後で、カチューシャが最後に纏めて、皆に作戦の概要を説明する流れだ。
さて、今回もまた勝てるだろうか。勝敗は時の運もある。しかし私は勝ちたかった。
私は、ナターリアの事が好きだ。戦車好きな彼女のことを好ましいと思っているし、試合が始まると本当に楽しそうに試合をする。ノンナ辺りは辛辣にカチューシャに面倒ごとを押し付けてるっていうけども、それでも全力で今を楽しんでいるナターリアの事を私は嫌いにはなれなかった。よく面倒を見てくれた。思えば、まだ半年と過ぎていない関係、物足りないと思う。まだ、もう少しだけ一緒に試合がしたいと思った。この大会で全てが終わる訳じゃないけど、それでも私は負けたくない。あと一戦、共に戦えるなら戦いたい。
勝ちたいな。うん、勝ちたい。
同じ一年生のメンバーに告げる。行こう、と。エンジンを吹かす音、小刻みな振動、無限軌道が軋む音。履帯が地面を削る音。アイムシンカートゥートゥートゥートゥトゥー、アイムシンカートゥートゥートゥートゥトゥー。人差し指を指揮棒のように振って、鼻歌を口遊んだ。騙してないけど試合なんでね、少し真面目に行こうと思っている。何時も真面目ではあるけども、何時もよりもシリアス成分増し増しで。
黒色の帽子を被り、気合を入れ直した。
「不死鳥の名は伊達じゃない、出るよ」
ナターリアには最後まで笑っていて欲しい。それが彼女には一番、似合っている。