隻脚少女のやりなおし   作:にゃあたいぷ。

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番外編:不死鳥の名は伊達じゃない。⑭

 私、ウバは、自分が生きていても良いのかどうか分からなかった。

 どうして今、生きているのかも分からない。ただ生きているから生きている、それ以上の理由が見出せなかった。

 幼い頃から何をしても駄目で、頓珍漢で、うすらとんかちで、呼吸をするのも億劫だった。周りと同じ空気を吸っていると申し訳なくなる。言葉を発するだけでも、なんだかいけないことをしているような気分になる。私は絶対的に間違っているのだと思って生きてきた、生きているだけで罪なんだと思って生きてきた。理屈や理論とか、そんなのはどうでもよくて、ただ結果的に私は間違っている。結論的に私は間違ってる。答えだけが決まっている計算式、途中経過は後付けだった。時期が悪い、場合が悪い。そんなことは関係なく何時如何なる時も私が悪い。私が悪いに決まっている。

 だから目の前で起きている状況は私が決定的に悪いし、私が生きているだけで悪いのだ。何かを決定するのも駄目、何か行動を起こすのも駄目、かといって黙っているのも駄目。誰かに口を開くと不快にし、誰かと顔を合わせると機嫌を損ねる。正に人生の袋小路、だからは私は息を潜める。空気になる。いいや、空気なんて申し訳ない。誰かの肺に吸い込まれるとか、申し訳なくて死にたくなる。私はそう空気でいうところの異臭だ、おならだ。屁と一緒だ。もう駄目だ、死ぬしかない。現代社会、自殺をしても迷惑がかかる。もう駄目だ、おしまいだ。弱者救済を謳う社会は私にちっとも優しくなんかない。

 生きているだけで罪なのに、私は誰とも関わらずに生きていたいのに、道端の日陰で誰にも気付かれない植物のように萎びていたいのに、どうして私はこんな場所に居るのだろうか。ああもう穴に引きこもりたい、その穴の中に入って埋まりたい。墓標なんていらない、墓穴とは自分で埋まる為にあるのです。

 誰にも迷惑をかけない場所で、ただただ息を潜めながら静かに死にたい。それが私が長年考える夢だった。

 

 親の都合で学園艦に押し込まれた私は、鬱々とした生活を送ることになる。

 中学生の時に虐められて、高校生になってからも絡まれる。自覚はなかったけど、小学生の時も今思えば虐められていた。中学生の時ははっきりと虐められていたけど、親からは絶対に不登校なんて許されなかったし、虐めは虐められる方が悪いって言い聞かされて育ってきた。財布を盗られた時も「間の抜けた貴女に対して神がお仕置きしたのよ」と言われたりなんかもした。エスカレートする虐めに親が学校に呼び出されることもあったけど、虐めをしていた相手と、相手の親を前にして、先ず最初に私の親が取った行動は謝罪だった。うちの子が迷惑をかけて申し訳ない、こんな大事にして申し訳ない。所詮は子供同士の喧嘩で親が出るのは間違っている。そんなことを言いながら、呆気に取られた私の頭を掴んで机に押し付けた。これには先生も、虐め相手も、相手の親もポカンとした顔を浮かべていた。

 そして、その時に悟ったのだ。

 私はきっと何をしていても、どんな行動を取ったとしても、どのような理不尽に晒されても、絶対的に私が悪い。納得が行かずも、理屈が成り立ってなくとも、何か悪いことが起きれば、全て私が悪くなる。そのように私の周りはできている。そう思わないと、この今にも窒息してしまいそうな世界で生きていけなかった。

 世界の全てが私の敵だった、世界の全てが爆弾だった。物事を二面性で考えることは悪いっていうけども、私にとっての二面性は無関心か敵の二択だった。味方なんて、この世界の何処にもいない。期待するだけ無駄だって、何度も、何度も何度も、何度も何度も何度も、何度も何度も何度も何度も、突きつけられてきたからもう期待なんてしない。期待なんてするだけ辛くなるだけだって知ってるから、私は希望に縋らず絶望する。絶望が、私の軋む心を覆い隠す。何も見えない深い闇が私にとって、最も心地良い空間だった。

 だから余計だったのだ。私のことなんて放っておいて欲しかった。

 

「ほら、行きますわよ。ウバ」

 

 差し伸べられる手に逆えず、その手を取る。

 無駄だって分かっているのに、どうせ迷惑をかけるだけって分かっているのに、そしてまた見捨てられるって分かっているのに。

 今度こそは、と希望に縋る自分のことが情けなくて仕方なかった。

 

 

「あら、美味しいわね」

 

 紅茶の園、部外者である玲良(れいら)を簀巻きに連れて行った日のことだ。

 淹れられた紅茶に口を付けたダージリンがポロッと零した言葉だった。メイド服を着て、ビクビクと身を震わせる玲良を私の後ろに控えさせた私は彼女の代わりにドヤ顔を決める。そうでしょう、と。私が見出して鍛え上げたのよ、と。自慢げに相方に語りかける。というよりも実際、彼女は私の自慢と誇りだ。彼女が自分のことを誇らないから、私が彼女の分まで誇ってやる。彼女が自分のことを嫌いだと云うのなら、私がその分まで好いてやる。

 これはそういう話だ。世界の誰よりも情けない友人のことを、私は世界の誰よりも誇らしげに語る。

 

「当然よ、彼女はこのアッサムの自慢なのですから」

 

 正直な話、最初は彼女のことなんて気にも留めていなかった。

 周りから虐められるような情けない奴だと思っていたし、彼女を虐める周りの存在も気分が良いものではなかった。

 私が彼女に目を付けたのは、紅茶の作法について、彼女とペアを組んだ時だった。彼女のテーブルマナーは素人同然の酷いものであったが、煎れる紅茶の銘柄を味だけで、もしくは香りだけで判別することができた。ちょっと美味しい紅茶の淹れ方を教えてあげると、私が淹れる時と全く同じ味わいの紅茶を淹れることができた。

 彼女のことを鍛え上げると決めたのはその時で、面倒を見ると覚悟を決めたのもこの時だ。

 

 彼女、玲良には黄金の舌と鼻がある。

 美味しい紅茶を嗜む為に、それだけの為に私は彼女を庇護下に置くと決めた。彼女の淹れる紅茶の再現性は高い。これは後に判明したことだが、彼女は紅茶の色を見るだけでも茶葉の品種を当てることができるし、熱湯の湯気に触れるだけで温度を正確に測ることができた。耳は恐ろしいほどによくて、ポツリと零した独り言にも反応する。

 なんとなしに彼女のことを虐めたくなって、目隠しをしてみた時、彼女は正確に私の位置を追いかけてきた。試しに他の使用人を部屋に入れると極端に怯えて、泣き出してしまったので実験は中止。同じことをする時は、必ず部屋に私だけがいる時に決めている。

 また彼女は視線を感じ取ることができ、その方向までも分かるようで、密かにGI6の訓練相手にされていた。ちなみにGI6の全敗で、どれだけの時間気付かれずに監視できるかがスコアになっているのだとか。

 此処まで彼女のことを知れば、彼女が何故、ああまで常に怯え続けるのか想像も付くというものだ。

 

 玲良には、自分に向けられる視線を全て知覚することができる。

 

 彼女の幼い頃からの経歴も問い質したこともある。

 悪意に敏感な彼女が、数多の視線に晒され続ける恐怖を、私は想像でしか語ることができない。私は彼女を突き放さない。如何に彼女が面倒臭い性格をしていようが、如何に彼女が問題を持って来ようが、私がそうすると決めた。貴女には私の背中に隠れる権利がある。全ての悪意から貴女を守ると決めた。

 最初は美味しい紅茶の為、気付いた時には、彼女を守るのは私の役目だと認めていた。

 

 紅茶の園、玲良の淹れた紅茶を嗜んだ後、相方はポツリと零す。

 

「ねえ、アッサム。あの子……」

「ダージリン?」

「……いえ、なんでもないわ。また連れて来てくれるかしら?」

 

 喜んで、と満面の笑みで答える。

 紅茶なんてもう関係ない。まるで彼女は放っておけない妹のようで、本当にどうしようもない。手放すなんて考えられなかった。彼女に戦車道を学ばせたのは、私がそれで弱い自分を克服した経験がある為だ。あとはそう、戦車道を嗜んでいる時であっても、彼女の紅茶を飲めないことはほんの少し寂しい。

 忖度? 配慮? 差別? 酌量? 当然でしょう、彼女には私の寵愛を受ける価値がある、価値など無くとも関係がある。関係が無くとも意思がある。平等だなんて淑女的ではない。贔屓するのはむしろ当然、このアッサムが彼女を愛すると決めたのです。

 文句があるのであれば、どうぞ一歩前へ。

 

 貴女には、愛の自由を否定する覚悟がお有りでしょうか?

 

 

 プラウダ高校、残り十三輌。聖グロリアーナ女学院、残り一輌。

 今、隊長のナターリアから聖グロリアーナ女学院に残された一輌に対して、降伏勧告が行われている。これ以上は時間の無駄、そう考えて立ち上がろうとした時、最愛の娘である愛里寿に服の裾を摘まれた。つい先程まで眠たそうにしていたはずの瞳は、ただ一輌の戦車をじっと見つめていた。

 聖グロリアーナ女学院でただ一輌だけ残されたクルセイダー巡航戦車、掲げる三角旗は未だ健在だった。

 

『うばぁっ!?』

 

 はたして、その奇声は何処から聞こえて来たのか。観客席から騒めいた。

 

『こ、これ、これこれこれこここ……つつつつなつな繋がっててててて、るよよよねッ!?』

 

 どうやら私達の目の前に設置された巨大スクリーンから音は聞こえているようだ。

 戦場に放たれた高性能ドローンは、観客に臨場感を与える為、現場にある生の音声をお届けしている。しかし今の音量は先程まで流されていたものとは違っていた。『もう、うるさいですね〜。アッサム様の命令じゃなければ……ほら、繋がってますよ。オープン回線、貴女の声は今、全ての車輌に繋がっています』という誰かの面倒臭そうな声を聞いて、これがあのクルセイダー巡航戦車からの通信だということが分かった。

 どうやら運営側がオープン回線の設定を間違えてしまったようだ。

 

 すぅっと息を吸い込む音が聞こえて、『んッ!』と決意を強く固める声が漏れる。

 

『こ、ここ……降伏勧告だって!? ふ……ふざけるなッ!!』

『ちょ……ッ!? ウバさん、待ってください! こんな状況から逆転なんて……ッ!!』

『わ……私はまだ戦える、私はまだ此処に居る! 聖グロリアーナ女学院は此処にあるッ!!』

 

 継戦宣言、震えた声で少女は告げる。

 

『は、旗はある、私達の旗は立っているッ! 折れるものなら折ってみろッ!! 倒せるものなら倒してみろッ!!!』

 

 全国高校戦車道大会は地上波で放送はされない。

 試合毎の時間に差があり過ぎて、番組の枠に収めることができない為だ。なので戦車道における試合の配信は基本的にネットを活用することが常となっている。そして巨大スクリーンに映し出される映像と同じものがネットにも映し出される。

 つまり彼女の大法螺は今、全国にいる戦車道ファンの下に届けられた。

 

『聖グロには、まだ私が残っているんだッ!』

 

 その今にも泣き出してしまいそうな声に、私の足は止まっていた。

 

 

 私が戦車道を始めたことに大したドラマはない。

 アッサム様が臆病な自分を克服する為に戦車道を始めたから、それで私にも自信を持って欲しいと言われたから、断る勇気もない私はなし崩しのように戦車道を始めることになった。だからといって根暗なコミュ障が戦車メンバーを集められるはずもなく、誘われるはずもなく、初日から倉庫の隅でバケツとモップを持たされることになる。そんな有様の私にアッサム様は呆れ果てた溜息を零し、何かを決意したように倉庫の日陰から私を引き摺り出した。

 私と一緒に戦車に乗るメンバーは皆、GI6の面子だった。なんで? と思ったけど、アッサム様が言うには「彼女達は貴女を良いように利用していたのだから構わないわよ」ということだ。正直、利用されていた自覚はない。それに初対面の人と同じ空間に詰め込まれるっていうだけで気不味さで死にそうだった。こんな私に付き合わせてごめんなさい、許してください。ついでに死なせてください。もう死にます。何故かGI6の皆様方は私のことを私よりもよく知っていた、怖い! 怖いといえば、初めて戦車に乗った時、周りから真っ先に狙われて怖かった。うばうば喚いてごめんなさい、生きていてごめんなさい。産まれてきてごめんなさい。そんなことなんて、どうでも良い。と言わんばかりに尋問された。淡々と質問して、答えた結果をカリカリと記録に取られるのは本当に怖い。

 そんな彼女達ではあったけど、常に一人、私の周りに付くようになってから虐められる機会は減った。誰も居ないかなって思う時も常に監視されているようで、逆に息苦しかったけど、でも守ってくれている相手にそんなことを思う方が駄目だって思うから我慢した。何も喋るな、何も見るな、何も感じるな。そして気配を晒すな。この四ヶ条が私の処世術である。

 私に良いところなんて何もない。誰にでも良いところのひとつはあるものだって綺麗事をいう物語もあるけども、何をやっても駄目な奴はこの世界に存在する。そんなことはない、貴女にもきっと良いところはある。そんな言葉は聞き飽きた、仮に私に少しマシなところがあったとしても、結果的に、確定的に、私は何をやっても駄目な奴なのだ。希望を持たせるな、期待をかけるな。それだけで心が苦しくなって死にそうになる。あ、でも、アッサム様が教えてくれた紅茶の淹れ方だけは褒めてくれた、調子に乗ってはいけない。これは決して私が褒められている訳ではない。アッサム様の教えが良かった、いや、これはアッサム様が淹れた紅茶なのだ。アッサム様のお茶を、こんな風に私が気に入られたいという下心の道具に使うなんて不敬なことだって分かっていたけども、虐められるのは嫌だったからごめんなさいって疼く胸を押し込めて、吐きそうになる気持ちを抑えて紅茶を振る舞った。

 嗚呼、もう嫌だ。世界の皆様、ごめんなさい。死ぬ度胸がなくて、ごめんなさい。今日は空がとっても青いから、少しだけ気持ちが晴れて死にたくなる。

 生きていることが、私にとって苦痛だった。

 

 とある日、アッサム様がご褒美をくれるって言ってくれた。

 なんでそうなるのか分からなかったし、ご褒美なんて怖くていらなかった。だから必死に言葉を繕って拒絶していると、アッサム様が「して欲しいことを正直に言いなさい」って問い詰められた。この時、詰んだって思った。答えても嫌われる、嘘を吐いても嫌われる。だって私が望んでいることなんて、とても罪深いものだから、決して望んではいけないことだったから、

 だから私はこの世の絶望を感じ取りながらポツリと答えたんだ。

 

 見捨てないでください、と。

 

 その時のアッサム様のとても寂しそうな顔を私は忘れられない。

 彼女は何も言わずに私に歩み寄って、ギュッと抱き締めてくれた。

 それだけだった、それだけで涙が止まらなかった。

 

 私は独りが良かった、そうすれば苦しむことはなかった。

 ただ辛いだけだ。私は知っている、最も苦痛なのは世界中の全員から嫌われることではない。それはただ辛いだけだ。死ぬ方がましだと思える程に苦しいのは、好いてしまった相手に嫌われることだった。石を投げられるのは痛いだけだ、服を隠されるのも嫌なだけだ。靴の中に虫の死骸を詰め込まれることも、机の中に画鋲を仕込まれることも、鞄の中に百足を入れられることも、大したことではない。それは当たり前に嫌なことで、気持ち悪くて、痛かったりするだけだ。

 でも私はアッサム様に嫌われたくない。

 こんな私が何かを望むなんて罪深いことだって分かっている。でもアッサム様に見捨てられたら終わりだと思った。人生が終わる、世界が終わる、私という存在そのものが終わる。うばうば喚くことしかいできない私が何かできるとは思えない。それでも何かをしなくちゃいけなかった。せめて言われたことをしなくちゃいけないって思うのだけど、アッサム様はそれだけだと満足してくれない。私が自分の意思で何かを始めることを期待している。そんなことは分かっている。でも私に何ができるというのか、こんな私が何をして良いというのか。

 だけど、期待には応えたい。

 

 望みというのは欲望の湧水だ。

 望めば望んだ数だけ、また新しい何かを欲するようになる。

 だから私は多くを望まない。それは許されない。

 誰が許すとか、許さないとか、そういう話ではなくて、ただ許されない。

 結果的で確定的に、明らかな真実だ。

 

 私は望む、平穏を。私は望む、日常を。私は望む、普通を。

 

 そう思っていた、私は植物のように生きられたら良いと思っていた。

 でも、今はもう違う望みが生まれていた。

 

 アールグレイ様が言った。お前の望みは慎しすぎる、と。

 私にとって、それは大それたことだった。

 

 

 

 私は――生きていて良かった、と思える何かが、ずっと欲しかったんだ。

 

 

 

 通信機を握り締める、そして宣言する。

 布告を、継戦の布告を。声高らかに告げよう、ちょっと震えてるのは許して。

 操縦桿を両手に握り締めて、エンジンの調子を確認する。

 行けるかな? 行けないかも、でも行くしかない。いや違う、行くんだ。

 そうやって自分を追い詰めることでしか、私は一歩を踏み出せない。

 

安室(あむろ)玲良(れいら)、クルセイダー。行ぎましゅっ!!」

 

 聖グロリアーナ女学院戦車道チーム。

 私はまだきっとチームの一員にはなれていないけど、それでも其処が今の私の居場所だった。

 

 

 


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