隻脚少女のやりなおし   作:にゃあたいぷ。

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遅れて申し訳ありません、リアル事情の都合が付きませんでした。


番外編:不死鳥の名は伊達じゃない。⑰

 鉄の臭いがする、油の臭いがする。此処に潮の香りはなく、されども土煙の臭いが鼻腔を擽った。

 激しく上下に揺れる車内、舌を噛まぬように歯を食い縛りながら悪路を駆け抜ける。視界不良の森林地帯。その木々の隙間、間隙を縫って放たれる砲撃音に身を竦ませた。外れそうになる帽子を目深に被り直す、操縦手に指示を送り続けた。意識は常に外へと向けており、常識的な軌道を続けるナターリアと連携しながら変態的な軌道で迫るクルセイダー巡航戦車を退ける。

 相手のあまりにも鋭い感性に舌打ちする。射線が見えている。敵が持つ特性を利用することで漸く生きながらえているのが現状だ。幾ら砲撃しても当たらない。そもそも行進間射撃は当たらない方が当然だが、この状況でも至近弾を撃ってくる相手の異常性に肌が粟立った。

 兎に角、意識をもっと集中しなくては、もっと限界まで相手を観察しなくては。私が持つ感性を総動員する。

 

『駄目、響! そっちに行ったら……ッ!!』

 

 突如、通信機から発せられる声。その数秒後、視界が開けた。

 ワアッ! と地響きのような歓声が響き渡る。遮蔽物がほとんどない大広間、地形には幾らか起伏はあるが車体を隠せる程ではなかった。サアッと全身から血の気が引くのを感じた。心臓が跳ねる、背後からスコープ越しに照準を合わせられる感覚。やらかした、やってしまった。私は地形を把握し切れていなかった。遠巻きに聞こえる観衆の歓声が更に遠く聞こえる。

 このままでは倒される! そう直感したから操縦手に急速旋回の指示を出した。「倒れちゃう!」と叫ぶ操縦手に「良いから早く!」と怒声を張り上げた。車体が遠心力で傾く、振り回される車内で装填手の子が転倒しかけたので片手で支える。無理やり姿勢制御を行う為に、予め外側に向けていた砲塔、その砲身をもう片方の手で砲撃した。反動で傾いていた車体が元に戻る――前に敵からの砲撃、数瞬後、車体後部に砲弾が当たる。軽い車体はぐるんとスピンを起こしたように半回転し、私は装填手の子と転倒して大きく背中を打ちつけた。拙い、と思った。しかし転倒した衝撃で声が出ない。車体は止まっている、操縦手の子も突然の事に手が止まっている。駄目だ、このままでは狙い撃ちだ。床に落ちた通信機、今の衝撃で落としてしまったか。何か聞こえるが、咄嗟に庇った装填手の子が体の上に乗っかっており、手を伸ばしても届かない。

 砲撃音が聞こえた、しかし車体が揺れることはなかった。

 

 

「うわああああああああああああああああっ!?」

 

 T-34/85中戦車の装甲が削られた、砲撃音が鳴り響く度に車体は強く揺らされる。

 クルセイダー巡航戦車から放たれる砲撃をT-34/85中戦車の装甲で受け止めた。真正面から受け止めれば大丈夫、側面でも避弾経始を心がけたら大丈夫。そう自分に言い聞かせながら音信不通になったBT-7M快速戦車を庇い続ける。「もう駄目です!」と車内のメンバーから声が上がる、悲鳴も上がった。私だって、もうなにがなんだかわからない。それでもやらなきゃいけないことはわかっている。あの戦車の相手は私では絶対に無理だ。あの戦車を相手取れるのは響達だ。だから私達は身を削ってでも響達を守らなくちゃならない。それが最後の仕事だと、それが私達の死に場所だと、私達は言葉を交わさずに理解していた。

 勝つ為に最善を、その為に私達は響達に全てを託す。

 

「響、どうなってるの!? 響、起きて! 早く! 私達は、もう持ち堪えられないっ!!」

 

 通信機は繋がっているはずだけど返事がなかった。気絶をしているのかも知れない、だが悠長に寝ている時間なんて今はなかった。

 

「ああ、駄目です! もう無理、限界! あ、来る! 次、もう駄目っ!! あ、あっ! ……あっ!!」

 

 操縦手の言葉を耳にし、私は砲手に指示を出して、BT-7M快速戦車に照準を合わせた。

 

「良い加減に目覚めろォーッ!!」

 

 それはパッとした思い付きだった。

 しかし、これが現状での最善だと信じて、躊躇なく味方を撃ち抜く。

 その数秒後、急所を捉えた砲撃に私達の戦車から白旗が上がる。

 

 

「……しつ……こ、いッ!」

 

 絶対に倒さなくちゃいけないのはBT-7M快速戦車なのにT-34/85中戦車が邪魔をし続ける。

 おかげで急所を狙えなくて、余計な時間を食ってしまった。それは三分にも満たない時間、微動だにしないBT-7M快速戦車。もしかすると機器類に故障が発生したのかも知れない。しかし、それはない。と断言する。もし仮に致命的な故障が発生していれば、白旗が上がっているだろうし、あのT-34/85中戦車が庇い続ける理由もない。そしてなによりも、私の勘がアレを倒せと命じてくる。その衝動に突き動かされるように操縦桿を動かした。

 そしてT-34/85中戦車を撃破した――が、最後の最後で敵戦車が妙なことをしでかした。

 T-34/85中戦車がBT-7M快速戦車の履帯を撃ち抜いた。敵の奇行に戦車内のメンバーが困惑した、が――もう時間的猶予はなくなった。目覚めた、その事を直感する。戦車を走らせる、砲身の照準を敵戦車の急所に合うように誘導した。これで終わる、はずだった。砲身から弾が発射されない。ガチャリ、と今、装填された音が鳴った。敵戦車の転輪が、履帯を置き去りに回転する。数秒遅れでの砲撃は、僅かに装甲を掠めただけだった。

 操縦桿を手早く動かした。大丈夫、一騎討ちなら大丈夫。そう言い聞かせるように戦車を再発進させる。

 

「ご、ごめん! 玲良!」

「大丈夫! 大丈夫、まだ!」

 

 うばうばうば……意識を集中させる。

 森林地帯を突っ切って近付いてくる戦車の気配が二つ、合流する前に倒し切る!

 もうなりふりなんて構わずに再起動した敵戦車の後ろを追いかけた。

 

 

 BT-7M快速戦車はクリスティー式戦車、つまり履帯がなくても走り続けられる特徴を持っている。

 そして履帯という走破性を犠牲に得られる速度は、なんと時速72km。クルセーダー巡航戦車の後継機、クロムウェル巡航戦車だって目じゃないぜ。観客席前にある起伏の少ない大広間であれば、その性能を遺憾なく発揮することも難しくない。目覚めたばかりの操縦手には、ここでエンジンを焼き切っても良い、と兎にも角にも速度を出し続ける事を厳命した。

 くらりとくる意識、激しく振動する車内にズキリズキリと頭が痛んだ。額から血が流れ落ちる、どうやら転倒した時に軽く頭も打ってしまっていたようだ。庇った装填手のジャケットには真っ赤な血がべっとりと付着していた。彼女の青褪めた顔を見て、大丈夫だよ。と笑って照準器を覗き込んだ。打撲や裂傷はもちろん、骨折のひとつやふたつで怯むような柔な人生は送っていない。

 あれはきっと天才と呼ばれる部類に入るのだろうな、なんとなしにそう考えた。

 強い、ただひたすらに強い。その強さに理由や理屈を付けることすら無粋に思える程に相手は強い。認めるしかない、私達では勝つことができない。あれは恐らく時代を代表する天才だ、ただ生きているだけでロマンやドラマを振り撒いて人々を魅了するような類の人間だ。その圧倒的強さ故に、誰もが彼女の戦いに魅せられる。私達では勝てない、それを自覚した上で出来る最善の行動は――履帯を失った今、森林地帯に逃げ込むことはもう出来ない。この視界の開けた戦場で、あの化け物を相手に何処まで時間を稼ぎ続けられるか。私には雪風のような魅力はない、島風のような才能もない。夕立のような伝説もない。ただ最後まで戦い切った。生き延びる、悪運の強さだけが売りの艦娘だ。

 撃沈されて今がある。それは瑕が付いた二つ名だが、それでも見せよう。

 泥に塗れて、傷だらけで、それでも名乗る。その二つ名を。

 

「不死鳥の名は、伊達ではないさ」

 

 意識を限界まで集中させる。

 ズキリズキリと痛む頭を振り切るように、操縦手に細かく指示を送る。車体が激しく左右へと揺さぶられた。恐らくだが、相手の砲手はそこまで化け物染みていない。ただピッタリと砲口を私達に向けられるのは操縦手の腕によるところだろう。だから砲手の呼吸を読むことさえできれば、相手の砲撃を逸らすことも可能だ。

 砲撃音、車体の側部装甲を掠める。砲撃音、砲塔上部の装甲によって弾かれた。

 キリキリと胃が締め付けられるような想いを飲み込んだ。あと、どれだけの時間を稼げば良い? いや、この身が保つ限りだ。大丈夫、あの最後の戦いの時よりも希望はある。援軍は来る。それまで耐え切って、そこで気持ちを切らさずに倒し切る。

 大丈夫、悪運だけは誰にも負けない自信があるんだ。

 

 

 戦場で交錯する二輌の戦車。

 BT-7M快速戦車とクルセーダー巡航戦車の激戦に観客席が沸く中で、私だけが静かに勝負の行く末を見守っている。

 何の因果なのか、海から陸に場所を変えただけで私達は未だ兵器に乗り続けている。そのことが嫌という訳ではない。別に命のやり取りをする訳でもないし、懸けるのも高々チームの尊厳くらいなものだ。人類の存続を懸けた戦いに比べれば、なんと軽いことか。いくら兵器を使っていようが所詮は試合、所詮は遊戯。響はどう考えているのか知らないけど、私の戦車道との付き合い方なんて、その程度で良いと思っている。

 擦れた考え方って思われるかも知れないけど、仕方ないじゃない。私の青春は前世の鎮守府にあって、今ここにある訳ではない。二度目の人生なんて延長戦、やり直しなんて望んじゃいなかった。そう思うからこそ、降って湧いた余生はだらだらと過ごすのが丁度良いと考える。

 だから響にはあんまり遠くには行って欲しくはなかった。

 溜息を零す。私が知るВерный(ヴェールヌイ)と彼女は違う、それでも彼女とВерныйに共通点はあった。死にたくなかったな、と思う。あんまり響は鎮守府のことを気にしていない様子だけど、私は今も鎮守府のことが気掛かりだ。嚮導駆逐艦という性質から駆逐隊の旗艦として選ばれることも多く、世話を焼いてきた駆逐艦も少なくない。その中でも私が最も気に掛けていたのがВерныйだった。

 彼女は、周りと積極的に関わりを持ちたいとは考えない性格だった。

 第六駆逐隊の中でも浮いた存在であり、よく独りになっているところを見掛けた。私が声を掛けると嬉しがって、何時しか彼女は姉妹達よりも私と大きな同志と共に時間を過ごすようになる。鎮守府、駆逐艦娘寮。その屋上の真っ白なシーツが風に靡く中で「同志、どうして姉妹と一緒にいないの?」と問うてみたことがある。すると彼女は少し困ったように笑って「あそこはほんのちょびっとだけ窮屈なんだ」と答えた。

 響とВерныйは同一人物ではあるが、紛れもない別人でもあった。

 少なくとも響の方が思考や視線が変態的で、活発で行動的だ。今時の言葉を使えば、Верныйは陰キャで、響は陽キャ。それぐらいに二人は違っていた。同じ姿形、声をしていながら明確に別人だと分かる。それでも私が彼女のことをВерныйと呼び続けるのは、どうしてか。最初は大して深い意味なんてなかったのにな、と思う。

 そんな私が願うのは一つだけだ。無事で帰ってきて欲しい、それだけだった。

 

 

 至近弾の振動が頭に響く、装甲が砲弾を弾く音が脳に響いた。

 目眩がする、霞む視界で敵戦車に照準を定める。砲撃なんて当たらない、当たらなくとも効果的な撃ち方っていうものを知っている。相手の行動を制限する砲撃に、敵戦車も苦しんでいるのが分かった。呼吸を測る。敵戦車の砲撃に合わせて、操縦手に右へ左へと車体を動かさせた。それに合わせて右へ左へと泳ぐ体を、はしっと装填手の子に支えられる。

 大丈夫、と振り払った。少なくともまだ倒れるような段階ではない。全身から力が抜け落ちて、指一本も動かせなくなる段階までは程遠い。気合と根性、それに大和魂があれば、まだ耐え切れる段階だ。思いっきり、息を吸い込んだ。酸素を赤血球に乗せて、全身の細胞に行き渡らせる。まだ勝負の最中、痛みを感じるのはアドレナリンが足りていない証拠だ。

 踏み留まる、幾度目かの目眩。まだ、と遠のく意識を繋ぎ止める。

 その瞬間、車体が大きく振動した。

 

 ――暗転、再び私の体は装填手の子に支えられていた。

 

 まだ戦車は振動している。まだ戦いは続いている。

 状況はほとんど変わっていないことを察して、装填手を押し除けて照準器を覗き込んだ。まだ私は戦える。あと一射だけ凌ごう、それが終わったら、もう一射だけ頑張ろう。そしてまた一射だけ凌げば良い。

 あと、どれだけの時間、持ち堪えれれば良いのか。

 流れる血は頰から首筋に伝って、襟元を真っ赤に染めあげていた。

 

「どうして……どうしてそこまで頑張るんですか!?」

 

 そんな装填手の耐えきれず、張り上げた声に、私は笑って答えてやる。

 

「託されたからね」

 

 私達ならどうにかできるって、皆が信じてくれたから今、私達は此処に居る。

 

 

 


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