隻脚少女のやりなおし   作:にゃあたいぷ。

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番外編:不死鳥の名は伊達じゃない。⑲

「うばぁっ!?」

 

 操縦席に座る鬼才から放たれる奇声に苛立ちを覚える。

 安室(あむろ)玲良(れいら)、ソウルネームをウバ。彼女は聖グロリアーナ女学院が誇るべき麒麟児であり、今もなお成長を続けている化物だ。しかし、その脆弱過ぎる精神と問題を抱え過ぎた人間性から彼女は今日という日まで蔑まれて生きてきた。本来、彼女はもっと大きな舞台で輝きを放つ存在だ。こんなところで躓いて良い人間ではない。もし仮に彼女が負けることがあるとすれば、それはきっと彼女自身に問題はなく、周りに原因がある時だ。最も身近なところで云えば、それは彼女と一緒の戦車に乗る私達っていう事になる。

 貴女は充分にやっている。それなのに、まるで全て自分が悪いかのように気負って奇声を上げる彼女の事が心底嫌いだった。

 

「私がなんとかしてやるわよ……ッ!!」

 

 ぐるぐるとハンドルを回して砲塔を旋回させる。早く、できるだけ早く、横腹を突くBT-7M快速戦車からの砲撃はウバの超絶技巧で一度、回避している。それで得られた時間は十秒にも満たない、その僅かな時間でハンドルを一度、二度と回し続ける。腕が痺れるのも構わずに、腕が痛むのも厭わずに、ハンドルを回す左腕の手首を右手で掴んで、少しでも早く、と急かす想いをハンドルに乗せる。その間も、うばうば、と狼狽える声が耳障りだ。私が、なんとか、してやるんだ! そして、その時は来た。照準器の真ん中に敵戦車後方にある燃料タンクが映り込んだ!

 

「いっっっっっっけぇぇぇぇええええええッ!!」

 

 GI6は聖グロリアーナ女学院において最優の集団だ!

 砲撃した瞬間、腹の底に響く爆発音が重なった。装甲を削る音が揺れる車内に響き渡り、そして着弾する音が聞こえた。遅れて、バシュッと白旗が上がる音がする。車内の機能は……停止していないッ!

 勝った、と私が小さな握り拳を作る前で「うばぁッ!?」とウバが絶望に声を張り上げる。

 

「挟まれてるッ!!」

 

 

 BT-7M快速戦車の無茶に舌打ちを零し、その成果に笑みを浮かべる。

 彼女達が稼げた時間は僅か三十秒前後、たったそれだけの時間だが、彼女達はあの怪物の動きを止める事に成功していた。文字通り、後輩達が決死の覚悟で切り開いた勝機を逃すことはできない。ノンナが乗るIS-2重戦車と連携を取り、前後からクルセイダー巡航戦車を挟むことができた。正面はIS-2重戦車、背後は私、カチューシャが乗るT-34/85中戦車。あの憎き敵戦車は先程、砲弾を撃ち尽くしたばかり、照準を合わせるのはノンナが先か。それでも前後からの砲撃に耐え切れるはずがない。

 何故なら、まだ敵車輌はBT-7M快速戦車が邪魔で動きが鈍いのだから――ッ!

 

 

 BT-7M快速戦車の奮闘もあり、憎きクルセイダー巡航戦車が動きを止めた。

 彼女達が稼いだ時間は高々三十秒前後、さりとて三十秒。あの怪物を相手に値千金の時間を稼いでみせた。まだ一年生、思えば、響もまだ一年生だったか。後輩達があそこまで奮起したにも関わらず、私達が応えないなんて道理に合わない。砲撃が中たるイメージが湧かない? 知ったことか、此処で中てなくて何時中てる。敵戦車の正面には私、ノンナが乗るIS-2重戦車。敵車輌の背後にはカチューシャが駆るT-34/85中戦車。この布陣を前に逃げ切れるのであれば、逃げ切るが良い。私は真正面からど真ん中に撃ち込むだけ、そしてカチューシャが逃げ道を塞いでいる。射線が視えるというのであれば、避けてみせろッ!

 此処で確実に仕留めてやるッ!!

 

 

 ――勝った! この瞬間、プラウダ高校の中心人物である二人の思考が確信を以て重なった。

 

 

 ――負けた! これから起きることを察して、思考が真っ暗な絶望に覆い尽くされる。

 これまでの装填時間及び照準時間を鑑みて砲撃の順番は、IS-2重戦車、T-34/85中戦車。そして私達、クルセイダー巡航戦車。なら迎撃するよりも回避の方を優先すべきだけど、その逃げ道をT-34/85中戦車によって塞がれていた。IS-2重戦車の砲撃だと下手な被弾傾斜では耐え切れず、仮に耐え切ったとしてもその衝撃で身動きが取れない内にT-34/85中戦車の追撃で仕留められる。白旗を上げたBT-7M快速戦車を壁にする時間もない。駄目だ、詰んでる。どう足掻いたとしても勝てる道がなかった。どうして、どうして何時もこうなんだ! 私は、どうして私は、肝心な時に失敗をするのだろうか。BT-7M快速戦車に見切りを付けず、きちんと仕留めておけば、こんな事にはならなかったのに! 仮に後回しにするにしても、もっと意識を残しておくべきだった! 嗚呼、おしまいだ! 終わりだ! 私の失敗のせいで、聖グロリアーナ女学院は負けちゃうんだ! 勝てた試合を落としちゃうんだ!

 うばあっ、と声を上げそうになった時、砲手の子が何かを呟いた。

 

「……貴女に落ち度はない」

「ふえっ?」

「ありがとうね、それなりに楽しかったわよ。もう二度と戦車に乗らないと思うけどね」

 

 その言葉を聞いた時、あっ、と様々な顔が脳裏を過った。

 アッサム様、ダージリン様、アールグレイ様。ルクリリ、戦車道科のみんな、整備科のみんな、GI6のみんな、誰もが本気で優勝を目指して、誰もが本気で努力を繰り返してきた。そんな中で私だけが本気になれなくて、何時も怖くて、正直、戦車道が面白いなんて思った事は少なかったし、好きでもなかったけど、それでもみんなが全力を出していたことはわかった。どうして、私は此処に居るのだろうか。込み上げてくる感情は、悔しい。だった。アッサム様、どうして私なんかに期待するんですか? 嫌だって言ったじゃないですか、私なんてどうせ、どうせ! どっかでやらかすに決まっているのに! 私なんかに最後を託すから、こんな結果になるんだ! みんな頑張ってきたのに、私のせいで報われなくなる。――――あれ? どうして、そんな事を思うのだろう? 私のことを虐めてきた奴ばかりなのに、それでも、どうして見捨てられないのだろう? みんな一生懸命で、努力して、嫌な顔ひとつせず、苦しいことも、辛いことも、乗り越えて、ああ、うん。みんな良い顔をしていたんだなって、そう思っていた。そうだ、羨ましかったんだ。アッサム様が戦車道を終えた後で満足げな顔を浮かべていたから、それが知りたくて、ちょっとだけ頑張った。本当にちょこっとだけ、どうして、私は本気で戦車道に打ち込んで来なかったんだろう。私は何時も、愚図で、鈍間で、間抜けで、最後の最後まで気付けなくて、何時だって全てが手遅れになってから大事なことに気付いちゃうんだ。そうだ、何時も全てが終わってから、全てを察する。 

 では今は? ――まだ終わっていないッ!

 

「うばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうばうば…………」

 

 勝機が潰えた、この状況。まだやれることは残っているはずだ。

 計算しろ、勝機がないならこじ開けろ。法則が敗北を突きつけるなら法則を捻じ曲げろ。ルールは利用するだけでは二流だとダージリン様が言っていた。ルールは自ら作ってこそ一流であると、転換せよ、転換せよ、転換せよ。既存の情報に囚われるな、既存の感性に囚われるな。人類は鳥に憧れて空を飛んだ、ならば私にだってできるはずだ。飛躍させよ、思考を既存の法則から飛躍させよ。ゲームが一次元から二次元へ、二次元から三次元へ、平面から立体へ、そう進化を遂げてきたように私も既存の概念から進化を遂げよ。不可能を不可能のまま可能に! 暗闇の中に足を踏み入れることを恐れるな! 通った場所が道になるのではない、辿り着いた場所に後から道が繋がるんだ! 伸ばせ、伸ばせ、伸ばせ、手を伸ばし続けろ、手繰れ、手繰れ、手繰れ、蜘蛛の糸を手繰り寄せろ! 今、この場所が真っ暗闇だと云うのであれば、石を叩いて火花を散らせ! 希望なんて、何処にでも転がっているものだ! それに誰もが気付かず、後になって冷静になった時に後悔するのが人生の大半だってこと私は知っているじゃないかッ!!

 それがどれだけ細く、不可能に思えるような脆い道であったとしても勝ち筋は勝ち筋なんだッ!!

 

「うばぁッ!!」

 

 視えた! もうこれ以上、計算している余裕はない! これに賭けるしかない!

 

「右旋回22.172度! 俯角8.576度!」

「えっ、なに? えっ、細かッ!?」

「早く! 適当でも良いから! 後は私が合わせるから急いでッ!!」

 

 最短経路を走る為に切り落とした計算は多い。それでも、これが唯一の逆転の一手だと信じて操縦桿を握り締めた。

 

 

 勝った! という確信から砲撃した。

 

 

 勝った! という確信にヒヤリとしたノイズが混じった。

 

 

 IS-2重戦車から放たれた砲弾は螺旋回転を画きながら水平を辿り、クルセイダー巡航戦車の砲身を捉えた。

 軌道が逸らされる。砲身は折られて、砲弾は螺旋回転を保ったまま砲塔を掠めて、その先にあるT-34/85中戦車に目掛けて飛翔した。観衆の誰もが予想していなかった軌道、その結果を狙って弾き出した少女は肌身に感じる感覚から驚愕に目を見開いた。僅かな予感を辿り、気のせい、偶然で片付けなかった少女は、ほんの少しだけ細工を施した。砲身を真正面に向けたまま、車体を僅かに斜めにズラす。それはプラウダ高校に所属する者ならば誰もが体感し、知っている小さな暴君の得意技。

 その名は被弾傾斜。

 砲弾はT-34/85中戦車の側面を抉り、鈍い金属音を響かせて遥か後方へと弾かれた。

 

 

 その一瞬の攻防は、試合を観る全ての人類を黙らせた。

 プラウダ高校の応援席が、聖グロリアーナ女学院の応援席が、戦車を回収された両校の選手達が、未だ戦場に立つ選手達が、カチューシャが、ノンナが、審判が、実況が、解説が、そして島田千代が、島田愛里寿が、更にはネット通信を介した先にいるモニターの向こう側の誰かが、その全てが言葉を失った。その全てが魅入られた。試合開始から数時間、数多の砲撃に晒されること数十分間、十三対一という圧倒的な劣勢からの怒涛の快進撃。撃破した数は、なんと十一輌にも及んだ。見るも痛々しい傷痕を全体に刻まれた車体は、それまでの激戦を想起させる。まるでレストア前の車体、いや、もう二度とまともに動かせない程の損害を受けて、尚もクルセイダー巡航戦車は歴戦の勇者の出で立ちで、威風堂々と在り続ける。

 未だに拭えない情熱、未だに冷めない興奮。試合開始前、これだけの奮戦を何処の誰が予想できたというか。

 私、アッサムは目頭の奥が熱くなるのを堪えながら、ただ勝負の決着を見守り続ける。よくやりました、と頭を撫でてあげようと思った。ギュッと抱き締めてあげようと考えていた。労いの言葉、それに健闘を称える言葉。これまでについて語り、これからについて語る。早く会いたい、その情けない面を拝みたくて仕方なかった。何かをしてあげなくては気が済まない。これ以上ない程に充分な成果を、彼女は上げてくれた。

 そう思ってしまった時点で、きっと私もまた彼女の限界について見誤っていたに違いない。

 

 

「……ま、まだだ!」

 

 アクセルを踏み込んだ、まだ機能は失われていない。

 つまりはまだ白旗は上がっていない、まだ負けてはいないということだ!

 私の想いに応えるように、エンジンが異音と共に唸りを上げる。

 

「この試合における勝ちの目は消えた! でも、まだ全ての可能性が潰えた訳じゃないッ!!」

 

 無限軌道が回転する、履帯が地面を削る。ギリギリと歪な音を立てながら鉄塊が動き出す。

 

「次だ! 次の試合だ! この試合を引き分ければ、まだ私達は勝てるんだ!!」

 

 右に流れる車体を必死に立て直しながら徐々に速度を付ける。砲身が折れた今、砲撃による攻撃手段は失われた。でも弓矢や銃撃による遠距離戦を終えた後、古来から伝わる伝統的な戦い方がまだ残っているッ!

 

「アールグレイ様なら、きっと次は上手く作戦を立ててくれるはず。ダージリン様なら、きっと次は上手く対応してくれるはず。アッサム様なら、きっと次は上手く補佐をしてくれるはず。ルクリリだって、次があれば、きっともっと奮戦してくれるはず! 他の皆だってまだ! 聖グロはまだ、その本領を発揮していないだけなんだ! 私なんかよりも凄い人間でいっぱいなんだ! 本当の聖グロは、もっと、ずっと凄いんだッ!!」

 

 うばぁっ! と気合を入れる。T-34/85中戦車の砲口が私達に向けられていた。それでもアクセルを踏み抜くことを止めない、速度だ。速度が必要だ。この戦車を砲弾に見立てて、あのフラッグ車に叩き込んでやれば、まだ次に希望を繋げられる。明日へ繋ぐんだ、手を伸ばし続けることを諦めるなッ!!

 

「やらせはしない、やらせはしないぞ! 聖グロの旗はまだ、折れちゃいないッ!!」

 

 敵戦車の砲撃、その呼吸を読み切って、被弾傾斜で受け流す。それで車体のガタ付きは酷くなったけど、大丈夫。まだクルセイダー巡航戦車は斃れない! 距離からして、あと二度の砲撃を掻い潜る必要がある。大丈夫、何が大丈夫なのか分からないけど大丈夫! 大丈夫、そうだ、大丈夫だ。大丈夫、絶対に大丈夫、何がなんでも大丈夫。そうだ、大丈夫に決まっている。絶対に大丈夫だ。この最後の攻撃を必ず、必ずだ! 敵戦車まで届けてやるッ!!

 

「明日を勝つのは――私達だッ!!」

 

 声を張り上げた、その時。背後からの強い振動で、車体が大きく揺れた。

 ガチン、と戦車の全機能が停止する。エンジン音が失われる、無限軌道が回転を止める。履帯が止まる。抵抗が失われた操縦桿、空回りするアクセル。操縦席からの覗き窓から見えるT-34/85中戦車の姿が、目に焼き付いた。

 数秒の沈黙の後、バシュッという音が無慈悲に鳴り響く。

 

『フラッグ車、撃破確認! よってプラウダ高校の勝利!』

 

 この瞬間、私達の明日は永遠に失われた。

 

 


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