隻脚少女のやりなおし   作:にゃあたいぷ。

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戦車道、始めます!③

 ピッピッピッと電子音が響き渡る。

 まだ眠たい頭、朧げな意識の中で私は睡魔に抗えず、二度寝を決め込んだ。暖かい布団に包み込まれながら、むにゃむにゃと幸せを噛み締める。人生で最も心地良さを感じる時は二度寝する時だと思っている。朝目覚めてからポヤポヤっとした気持ちのまま、もう一度、眠りに就くまでの時間が最高に心地良かった。布団の柔らかい感触に身を委ねながら、ゆらゆらと、ぬくぬくとした気持ちで意識を――怒られる! と飛び起きて、目覚まし時計を止めるために手を伸ばした。いつもはない段差から滑り落ちて、あぐッ! と床に体を叩きつける。でも急がなくちゃって、痛む体を撫でながら目覚まし時計のボタンを叩きつけるように押した。パジャマに手を掛けて脱ぎ捨てるように――と、そこで「あれ?」と首を傾げる。まだ見慣れない部屋、でも愛着のある部屋に「もう家じゃないんだ」と零して自嘲気味に笑った。

 ここは大洗女子学園の女子寮、入学式を終えてから数日が経っている。

 二年生に進学するのと同じタイミングで転校してきた私は今、戦車道とは無縁の生活を送っている。自分好みにレイアウトした部屋に戦車関連のものは何一つなくて、なんとなしに物足りない。沢山のボコ人形を棚に並べて置いているけども、寂しさを紛らわせることはできない。でも自分で戦車道から距離を置くと決めたから、そう思ってしまうこと自体が罪深いことだと感じた。

 身支度を整えて部屋を出る。階段から降りようとして、ふと気になることがあって引き返し、ちゃんと鍵が掛かっているのを確認してから女子寮を出た。

 通学路、今日も良い天気だった。夏のように陽射しが強すぎるわけでもなくって、ぽかぽかとした空気に穏やかな風が肌を撫でる。焼き立てのパンの香り、胸一杯に吸い込むと少し幸せな気持ちになれた。コンビニの前を歩くと、そういえば地元にはサンクスはなかったなあと感慨に耽り、その窓に貼られたボコのコンビニくじに目を奪われた。ゴツン、と電柱に頭を打ち付けた。慣れている訳じゃないけども慣れた痛み、あいたた、と頭を撫でながら電柱に立て掛けられた通学路の看板を見る。そこにはアンコウを模したご当地キャラが描かれてあって、なんだかとってもうざ可愛い。くすり、と含み笑いを浮かべると――私のすぐ隣を通学生が横切っていった。楽しそうにお喋りをしながら通学する背中を見て、少しだけ切ない気持ちになる。この辺りから学校に通学する生徒が増え始める、二人組、三人組と笑い声が聞こえる中で私はほんの少し胸を締め付けられながら学校に向かった。

 

 午前中の授業を終えた昼休み、賑やかな教室内。

 皆が友達と一緒に話しながら食堂に向かう中、私も学食を食べに行こうと思って筆箱に手を伸ばした。筆箱を掴んだ時、カタッとボールペンが机の上から落ちた。仕方ないからボールペンを拾う為に机の下に潜り込んでみたら、丸めた背中が机の裏に当たり、カタカタッと定規と鉛筆が落ちる。それを取ろうと手を伸ばせば、今度はお尻が机に当たって筆箱が落ちた。カタカタカタッと中身がバラける音がしたので、たぶん筆箱の中身は全て床に散らばってしまったようだ。何をやってもこんな感じで上手くいかないな、と深く溜息を零してからせっせと片付けを始めた。

 漸く食堂に行く準備が整った時には、もう教室には私一人だけが取り残されていた。

 どうして何時もこうなんだろう、と溜息をまた一つ零す。こんなことだから転校しても友達が一人もできないのだ。みんなは一年生からの友達がいて、もう決まったグループが出来ていることもあるのだろうけども――やっぱり、私自身がおっちょこちょいで引っ込み思案なせいもあるのだと思っている。なけなしの勇気を振り絞って誰かと話をしてみようと思っても、運が悪いのか、どうなのか、タイミングが上手く合わなくって、まだ誰ともまともに話せていなかったりする。

 こんなことだから黒森峰でも頼りないって言われるんだろうな、と教室で一人、気落ちする。

 

「へい彼女! 一緒にお昼どう?」

 

 ふと誰もいないはずの教室で誰かを呼ぶ声が聞こえてきた。

 あれ誰か他に残っていたっけな、と思いながら左を向いても誰もいなくって、右に振り返ってもやっぱり誰も居なかった。前を見てみても誰も居ないから、もしかしてと思って後ろを振り返ってみると二人の女生徒が私を見つめながら微笑んでいた。背の高くてお淑やかそうな女性と茶色の髪で少し押しが強そうな女性、二人はよく一緒にいるところを見かけていたけども――そんなことよりも! と慌てて席を立った。どうして二人が私に話しかけてきてくれたのかわからない。驚きと困惑にあわあわしていると二人は何やら話し合って、茶色の髪をした女性、武部沙織が「驚かせちゃって、ごめんね」と謝らせてしまった。別にそんなことないよ、と言いたくても声が出せず、背の高い方の女性、五十鈴華が「改めて、良かったらお昼を一緒にどうですか?」と言ってきた。

 ん、私とお昼? ……私と!?

 驚きと困惑に嬉しさが加わって、もう頭の中はてんやわんやしていると「西住さんと」と二人は良い笑顔で頷き返してくれた。

 

 初めて誰かと一緒に向かった食堂、

 学食を受け取る時に二人とお話をしたのだけども、二人とも前々から私に話しかけたいと思ってくれていたようだった。理由を聞くと、いつもあわあわしていて面白いからだそうな。なんだか気落ちするなあ。そのまま二人が自己紹介してくれる流れになったから、二人が自分の名前を答える前に二人の名前と生年月日を答えた。すると武部さんに、面白い、って言われたよ。たぶん悪い意味ではないと思う。その後で二人に、名前で呼んで良い? って訊かれたから、その呼び方が本当の友達みたいで嬉しくなった。つい嬉しくってはしゃいだら学食を持ったまま転びかけた。こういうところが駄目なんだって、分かっているけどもなかなか直ってくれない。

 一応、黒森峰女学園でも友達と思っている相手は何人かいる。

 でも、相手の方が私のことをどう思っているのかわからない。勝手に戦車道をやめて転校してしまっているから、きっと愛想を尽かされていると思う。それでも私のことを友達と想ってくれている気がする相手は一人だけ残っているけど――その彼女は私の方から距離を置いてしまっている。今日までずっと着信を無視し続けているし、SNSに入る通知も怖くて開いていなかった。まあ彼女は私よりも逸見さんや赤星さんとよく一緒に居たから、たぶん私のことも大して気にしていないと思う。最近、SNSに通知が入る頻度も落ちているし、電話の着信が入ることも少なくなった。

 だから武部さんと五十鈴さん、二人と友達になれたことは本当に嬉しいことで――少し後ろめたかったりもするけども、新しい何かが始まる気がしたんだ。食堂で色々と話し込んで、教室に戻ってからも変わらずに接してくれる。友達と話すってこういう感じなのかなって思うと、なんだかとっても嬉しくっって、だから「二人とも友達になってくれてありがとう」とお礼の言葉を告げる。

 二人ともキョトンとした顔を浮かべたけど「こちらこそ」って微笑み頷き返してくれた。

 これからは楽しい高校生活が始まりそうだ。

 

「やあ、西住ちゃん!」

 

 いつの間に教室に入ってきたのか、上級生と思しき三人組が教壇の上に立っていた。

 流石にクラスメイト以外の名前は予習していなかったので、彼女達が何者なのかは分からない。三人組が詰め寄ってくる中、「この学校の生徒会長」と武部さんが耳打ちで教えてくれる。たぶん真ん中の小柄でツインテイルの女性がそうなのだろう、後ろに控える二人は副会長と広報とのことだ。そして生徒会三人組が私の前まで来て、見下ろしてきた。

 私はなにかしでかしてしまったのだろうか。なんだか怖くって、言われるがまま、廊下まで連れ去られた。

 

 

 西住みほ。戦車道における二大流派の一つ、西住流の御家に生まれた娘の一人だ。

 小学生の頃から戦車道を始めており、中等部時代には全国中学生大会で三度の優勝経験を持っている。その内一つは彼女が隊長を務めている等、経歴だけを見れば、正に戦車道の申し子とも呼べる存在だった。どうして戦車道のない大洗女子学園に転校して来たのかわからない、しかし大洗女子学園が戦車道で全国大会を優勝する為には彼女の協力は必須だ。大洗女子学園を廃校の危機から救う為には、彼女を取り込むことは必要不可欠だった。形振り構ってはいられない。寝不足でまだボーッとする頭に喝を入れて、彼女には是非とも戦車道を履修してもらわなければならなかった。

 できることなら拗れる前に大人しく履修して欲しい、とそう願っている。

 勝手過ぎて本当に嫌気が差してくるな。干し芋でも食っていなければ、やってられない。

 近頃、体重が増え続けている。

 

 

 私はカツアゲをされるように生徒会の御三方に廊下まで連れ出された。

 後ろは壁で残る三方を生徒会に囲まれていて、逃げ道はない。上から見下ろしてくる副会長と広報――どっちがどっちか分からないけど――の二人に萎縮し、顔を俯かせれば会長が下から覗き込んでくるので、これまた逃げ場がなかった。私がなにをしたんだろう、呼び出されるようなことをした覚えはないんだけどな。そんなことを考えながら怯えていると「必修選択科目なんだけどさあ」と会長が軽い調子で馴れ馴れしく肩を抱き寄せて「戦車道取ってね、よろしく」と少しドスを効かせた声色で告げられる。

「あれ? この学校は戦車道の授業はなかったはずじゃ?」と困惑する私に「今年から復活することになった」と片眼鏡の女性に端的に教えてくれた。

 

「この学校に戦車道が?」

 

 繰り返す質問に会長は少しキョトンとして「そう!」と私の背中を強く叩いてきた。

 

「いやあ運命だねえ?」

「あ、でも戦車道は……」

「とにかくよろしく〜」

 

 もう一度、背中を叩かれて、そのまま三人はその場から去っていった。

 なんだか嵐ような人達だった。生徒会の人達の背中を呆然と見送りながら「戦車道……戦車道、か」と何度か繰り返して、余計な想いを振り払うように頭を振った。もう戦車道とは関わらない、そういう覚悟の上で私は大洗女子学園に来た。戦車道から逃げた私が再び戦車道を始めて良いとは思えない。ここでまた戦車道を始めてしまったら、それこそ黒森峰のみんなに申し訳が立たない。何のためにお母さんに無理を言って、転校したのか分からなくなる。

 それに今のは私は、根本的に戦車道を続けることはできないのだ。だって私は戦車に乗ることが――不意にフラッシュバックされる映像に頭を抱えた。大雨の中で、戦車が激流に飲み込まれる。伸ばした手は届かない、離れていく崖、病室で片脚を失った友達が眠り続けている。頭が痛い、気持ちが悪い。動悸が激しくなって胸元を握り締める。最近は鳴りを潜めていたっていうのに、吐き気に口元を抑えた。嘔吐きながら地面に座り込んだ。大きく深呼吸をする、大丈夫、慣れている。落ち着け、大丈夫、ここは学校、ゆっくりと気を落ち着かせれば良い。大丈夫、大丈夫、と自分に言い聞かせる。ここに戦車はない、だから大丈夫、と自己暗示するように繰り返した。

 何度か深呼吸を繰り返した後で「みほ!? 大丈夫なの!?」と武部さんが駆け寄ってきた。

 両肩に手を置いて、武部さんが真正面から私の顔を見つめてくる。

 

「……大丈夫、大丈夫だよ」

「顔、真っ青じゃない! 全然、大丈夫じゃないよ!?」

「これは……沙織さん、どう致しました!?」

「華、保健室に連れて行くよ!」

「……はい!」

 

 ああ、また迷惑をかけてしまっている。ごめんね、と言うと、気にしないで、と強い口調で言われた。

 そのまま二人に体を支えて貰いながら保健室まで連れ添ってもらうことになってしまった。

 

 

「西住はちゃんと履修してくれるでしょうか?」

 

 河嶋の疑問に「さあね〜」と適当に返した。

 正直なところ、脈はある気がしている。今のままでは駄目だろうが――思っていたよりも彼女は戦車道に対する嫌悪感がなかった。わざわざ黒森峰女学園から大洗女子学園に来るほどだ。なにかしらの事情があると思っていたのだが、戦車道に嫌気が差したからという訳ではなさそうだった。まあこの分であれば、背中を少し押してやれば行けそうな気がする。

 嫌がる相手に戦車道を強要するよりも、大分、気が楽だと思って大きく息を吐いた。

 

「ところでこれ、情報操作になると思うのですが大丈夫でしょうか?」

 

 そう言いながら小山が取り出したのは必修選択科目の履修届。用紙の半分以上を使って戦車道と大きな文字で書いており、他の選択科目は所狭しと詰め寄せている。別に他の選択ができなくしている訳ではないのだ、「大丈夫大丈夫」とこれまた適当に流しておいた。また二十年以上前に使われていた戦車道の宣伝用映像が見つかったので、少しでも戦車道に興味を持ってもらう為に必修選択科目オリエンテーションと称して映像を流そうと思っている。

 

「今、打てる手はこんなものかな」

 

 椅子に身を預けて、大きく息を吐き捨てる。

 ここまでずっと突っ走ってきたから、ちょっと疲れた。少し眠ろうかな、と思っているとスマートホンに連絡が入った。どうやら保健委員からのようだ。

 電話を取って話を聞く、話の内容に目を見開き、思わず聞いた内容を繰り返した。

 

「西住が倒れた!?」

 

 あれから何が起こったというのか。

 とりあえず二人にはオリエンテーションの準備をするように言いつけて、私は早足で保健室へと向かった。


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